「お久しぶりのAttention Please! 本文中にfu○kin’○hitなbad Guyが登場しますガ、相応しいEndを迎えマスので、安心して最後までお読み下サーイ!」
「おおお、お姉様!? お姉様が、お姉様が、とても美しくないお言葉をぉ!? これはいわゆる……悪堕ちというヤツですねっ? ならばワタシもっ。バッドバッディスバッデストッ!」
「あの、ぜんぜん違うと思います……。そして意味が分かりません……」
「……オッホン。まぁとにかく、薄い本的な展開にはなりませんから、宜しければ最後までお付き合い下さい」
執務室に、■■■家の御当主が来訪してから、しばらく。
話があると提督が連れ出された後、一人取り残された■■■は、落ち着かない心持ちでソファに座り続けていた。
■■■くんも、提督と同じタイミングで出て行ってしまい、本当に一人ぼっち。
こうなると、自分という存在を、どうしても考えてしまう。
統制人格。
傀儡能力者から生まれる、軍艦の現し身。
戦いの為に。戦いの為だけに生まれた、無人制御端末。
そんな■■■に、どうしてこんな事を考える意思があるんだろう。
(コギト・エルゴ・スム……。我想う、故に我在り、だっけ……?)
元々は、■■■にも意思なんて無かったらしい。
ただ、提督の命令に唯々諾々と従うだけの、ヒトカタだった。
嘘のようにしか思えないそれが、■■■の真実。
そもそも、意思ってどこから来るんだろう。
人間だって、極端に言えば有機物の塊でしかない。
蛋白質やらカルシウムやら、単なる有機物が集まり、人という形を持つと、何故かそこに意思が生じる。
しかし、科学的に人間と同質の有機体を作り出したとしても、そこに意思が宿る事はない。そういうものだと“知っている”。
意思。生命。──魂。
形のない、あやふやな……概念とも言えるようなモノが、■■■を■■■足らしめている。
けど。けれど、■■■を■■■だと感じさせる“意思”は、本当に人間と同じモノ?
この時代、霊子を測る機械はあっても、心を確かめる方法はまだ無いって聞いた。
確かめようのない、不確かで、あやふやなモノが、■■■を確固たる存在として意識させている。とても、不思議な感覚。
そんな事を考えていると、不意に聞こえるドアの開閉音が、思考を現実へと引き戻す。
どれだけの時間が経っていたのだろう。
いつの間にか、提督が戻って来ていた。
「■■。今戻った」
「あ、提督! お帰りなさいませ。……あの、それで……?」
大急ぎで駆け寄り、躊躇いがちに尋ねてみると、彼は肩から力を抜きつつ、笑いかけてくれる。
「そう緊張するな。悪い話じゃなかった。むしろ、私たちにとっては良い話さ。驚きはしたけど、な」
「驚いた、んですか」
そこまで言って、提督はソファを顎で示す。
二人、いつもの休憩時間のように並んで座れば、彼の溜め息は、天井に向けて放たれていた。
「色々と話されたよ。わたしの出自の事とか、君の建造に至るまでの経緯とか」
「提督の、出自……?」
「なんでも、断絶したはずの……なんとかっていう芸能系の傍流らしくてね。
世が世ならワイドショーを騒がせただろうが、まぁ、そんな事はどうでも良いんだ」
「え、良いんですか?」
「うん。良いんだ」
思わず聞き返してみても、提督の顔を見る限り、本当に興味がなさそうだった。良いのかな。
よく考えてみると、■■■、彼の事をほとんど知らない。
名前、年齢、好きな食べ物、趣味……。そういった事は知っているけれど、彼の家族に関する話を、聞いた事がない。
何故だか、妙に寂しい気持ちになったものの、今は■■■の事より、話の続きが気になる。
天井から視線を外し、膝に肘を置いて、彼は俯く。
重々しい空気。固唾を飲んで待ち続けていると、ややあったのち、意を決したかのように口が開かれた。
「君の、妹の建造が決まった」
その内容を理解するのに、■■■は少しの時間を要した。
妹の、建造。
■■型重巡洋艦の、姉妹。
それは、すなわち……。
「い、妹ってまさか、■■、■■の事ですか!?」
「ああ」
「本当ですか? ほ、本当に、■■に会えるんですか?」
「うん。そうだ。……喜んで、くれるか」
「当たり前じゃないですかっ! あぁもう、そんな顔をしてるから、てっきり悪い知らせだとばかり……。意地悪です!」
苦い表情の提督と反比例して、■■■はソファを飛び立ち、クネクネしながら大喜び。
自分でもおかしいと思うけど、とにかく嬉しくて仕方なかった。
知識としてしか存在を知らなかった、妹という存在。
改鈴谷型重巡洋艦二番艦、■■。ひょっとしたら■■という名前かも知れないけど、しっくりくるのは前者だから、■■■は■■と呼ぼう。
どんな思惑があったとしても、あの子に会えるのだとしたら、それはもう、望外の喜びに他ならない。
だからこそ、気掛かりだった。
■■■の喜びようを見て、また俯いた彼の事が。
……もしかして、意地悪って言ったの、気にしちゃってる?
ど、どうしよう、本気じゃなかったんだけどな……。
傷付けてしまったのかと、不安になる■■■だったけれど、しかし。
「……提督?」
「いやぁ、こういうのって溜めが必要だろう? 実際、驚いてくれたしな。大成功だ!」
「もう……。子供みたいなんだから。そんなんじゃ、いつまで経っても昇進できませんよ?」
「なにおう? ……ははは」
次に見せてくれたのは、普段通りの、彼らしい笑顔で。
だから、■■■は気のせいだと思ってしまった。
子供じみた悪戯だったのだと、思い込んでしまったのだ。
この時、彼が何を思っていたのかを知る機会は、ついぞ訪れないのだと、知る由もなかったから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ダン、ダン、ダン──と。
乾いた銃声が、舞鶴鎮守府 共有スペース地下に存在する、射撃レーンに響く。
両手でホールドした
間を置いて、ジーという駆動音が遠くから近づいてくる。
原始的な人型のターゲットシートが段々と大きくなり、命中したか否かを、穴の数で教えてくれた。
全弾命中。ただし、当たった箇所は、黒い人型から大きく外れた場所に二発。そして股間に一発。申し訳なく感じるのは何故だろう。
「控えめに言って、酷い腕だな」
「片眼で見てるんですから、仕方ないでしょう」
肩を落とす自分に、背後から声が掛かる。
負け惜しみを言いながら振り返れば、同じ格好──黒の詰襟を着る梁島提督が居た。
浜風たちの励起以降、自分と彼は、定期的にこうした訓練を共にしている。
今日の射撃訓練を始めとして、格闘技訓練、武器を使用した白兵戦訓練、鎮守府内に作られた専用施設を用いるパルクールなど、主に肉体面の鍛錬が主眼だ。
……いや。どちらかと言えば、鍛錬ではなく修錬か。
舞鶴事変を機に激変した、身体能力を制御するための。
ついこの間まで、ごく平均的な能力しか持っていなかった人間が、本気を出せば軽々とオリンピック選手を凌駕できるほどの能力を得てしまったのだ。ただ扱うだけでも一苦労だ。
もっとも、本気を出さなければ先程の通り、特筆すべき事もない結果に終わるのだが。
加えて、自分は片眼でしか対象を見る事ができない。近くの物ですら微妙な距離感を間違えるのに、十数mも離れていては尚更である。
実戦に備えた修錬であるため、聴覚保護の耳当てはつけていなかった。
“あの”襲撃で慣れたと思っていたが、撃たれるのと撃つのとでは、全く聞こえが違う。早く慣れなければ。
「見ていろ」
有無を言わさぬ口調で、梁島提督が隣のレーンに入る。
同じ型のリボルバーを右手だけで持ち、他人には「撃鉄を下ろしてから撃て」と言ったくせに、そのままダブルアクションで撃った。
ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン。
休む事なく、リズミカルに六発。
ややあって近づいてくるターゲットには、心臓部分に穴が一つ穿たれているだけ。
しかし、自分のように外したのではないと分かる。
同じ弾痕に、五発全ての銃弾を通したのだ。ダーツなどでブルズアイと呼ばれるアレだ。初めて見た……。
普通ならば歓声をあげて喜ぶ所だろうが、けれど彼は、さしたる感慨もなく振り返って言う。
「やれ」
「やれって……。いや、無理です。こうなる前だって、射撃は得意じゃ……」
「ならば、その“左眼”を使え。もはや“我等”に出来ぬ事などない。心から望み、本気で臨むなら、物理法則すら“我等”に従う」
言い訳がましく、顔の前で手を振ったものの、呆れたように続ける梁島提督。
真剣に、言っているようだった。
出来ぬ事などない。物理法則すら従えられる。
そう言われて、はいそうですかと信じられる人間が居たら、その人はかなり危ういと思う。
……けれど。自分自身に起こった数々の出来事が、彼の言葉に真実味を与えていた。
舞鶴事変での海戦。八つ当たりで破壊してしまった車。数mを軽く飛び越えられる跳躍力。
どれも、普通ではあり得ない事なのだから。
(心から、本気で……)
レーンに戻った自分は、銃から弾倉をスリングアウトさせ、空になった三発だけを排莢。新たな銃弾を装填する。
壁のボタンを操作し、ターゲットも新しい物に替えて、指定した距離まで離れるのを待つ。
その間に、眼を閉じたまま眼帯を外す。
どうせやるなら、梁島提督とは違う事に挑戦したい。正確に五角形を描いて、最後に中央を撃ち抜く、とか。
無理だ。無理だろう。無理か? 無理、じゃない。やれる。やって見せろ。
何度も、何度も。頭の中でそう繰り返し。
集中力が高まった所で、自分は本能的に左手へと銃を持ち替え、左眼を開き、引き金を弾いた。
ダン、という銃声が六発。
何も考えず、ただ身体に任せた逆腕での射撃だ。
よほどの熟練者でない限り、的にすら当たらないはずだが……。
「出来た……? マジ、かよ……」
近づいてくるターゲットのど真ん中には、確かに五角形の穴が描かれていた。
望んだ通り、最後の一発は中央に穴を穿っている。
なんというか、分かるのだ。
己の左手がどこにあって、銃口はどこを向いているのかが。
いや、それだけじゃない。込められた銃弾の炸薬量の僅かな差や、射撃を行った事によるライフリングの摩耗と、空気抵抗による弾道の変化。
その他諸々の、知覚し得ない様々な情報を、直感的に理解していた。
だから、どこに左手を持っていけば良いのか。銃身をどのくらい傾ければ、狙った位置に当てられるか。そんな事まで分かったのである。
「上出来だな。心臓の上を狙っていれば満点だったが」
「………………」
信じられない。
自分でやった事だが、そこに至るまでの経緯が荒唐無稽すぎて、信じたくない。
こんなの、おかしいじゃないか。
才能に溢れた人間が、気の遠くなるほど長い時間を掛け、やっと習得するような技術を、まるで当たり前のように。
こんなの間違ってる。こんなの、努力という言葉に対する冒涜だろう。
何故だか、怒りにも近い感情が芽生えていた。
そんな時、背後から、階段を降りる靴音が聞こえた。
誰かが来たようだ。
「失礼致します。提督、お話が……?」
言い淀む声の主は、おそらく香取。
振り向くと、思った通りの人物が、思わぬ表情で立っていた。
タブレット端末を片手に、なにやら怪訝な顔をしている。
「どうした、香取」
「あ、いえ。後ろ姿が、とても似ていらしたものですから。驚いてしまって」
慌てて言い繕う香取に、なんとなく隣を見やる。梁島提督と目が合った。
眉間に不愉快そうなシワが寄せられたが、きっと自分も、同じように顰めっ面をしていると思う。
今更ながら身長も伸びないはずだけど、身体付きが変化したからかも知れない。
自分の身体は、特に何もしていないのに逞しくなり続けており、これも“左眼”の影響だと考えられる。
ビルドアップ自体は別に困る事じゃないのだろうが、自分の中で何か、不可解な変化が起きているという事実と、能力を認めてはいるものの、決して尊敬できない人物に似ていると言われた事が、ちょっと嫌だった。
それはさて置き、香取だ。
銃を一先ずラックにしまい、自分は彼女と向き直る。
「内務省次官補であらせらせる、
「視察……?」
「視察自体は問題ないと思われるのですが、その。日程が……」
差し出された端末の画面には、カレンダー機能を持つアプリが表示され、ある日時をマークが示す。
それは、桐谷提督に指定されている精密検査と、丸被りしていた。
「御多忙なようで、この日にしか時間を作れないらしいのです」
「面倒な事になったな……」
視察というだけで面倒なのに、それが別の用事とダブルブッキングするなんて。
優先順位としては……いや、比べても仕方がない部類だ。どうしよう。
内務省とは、かつて途方もない権力を誇った行政機関である。
地方の行政財政、警察機構、土木、衛生、国家神事、果ては防空や国土計画までをも管轄した。
GHQによって大戦後に廃止されたが、再び戦火に見舞われ、彼の国による支援を得られないと悟ったこの国は、生き延びるためにこうした機関を再建した。
自衛隊が国軍に戻ったのもこの頃であり、色々と横槍を入れたがる連中も現れたらしい。
けれど、彼らの言い分は妄言に近いものばかりで、現実を見据えず、自らの利益にしか興味がない事を晒すばかりだったため、程なく設立した内務省の初仕事により排除された。高校の社会史の授業でも習う事だ。
かつては軍部と権力争いをした機関でもあるのだが、軍事国家に戻る事だけは避けたいと考えた当時の高官たちは、シビリアンコントロール──文民統制の維持を決定する。
これによって、軍部は完全に内務省管轄となったのだけれども、かつての戦時とは何もかもが違う上、どんな事にも裏道は存在する。
特に、世界有数の財力と影響力を持つ、千条寺家当主である桐谷提督は、内務省にまで手の者を配しているという噂だ。
つまり、どっちを無視しても困った事になる。
……ホント、どうしよう。
「提督。今回の視察、私に任せて頂けませんでしょうか?」
頭を悩ませていると、思わぬ助け船が出された。
どういう事かと眼で問えば、彼女は再び端末を操作する。
「幸い、形式的な視察との事ですから、提督のお手を煩わせる必要はないと考えます。
宮野様も、提督との正式な対面は、別の機会を設けたいとお考えのようです。……いかがでしょうか?」
新たに表示されたのは、とあるEメールの文面だ。
時候の挨拶で始まり、役人らしい回りくどい書き方がされているが、確かに香取が要約した通りの内容だった。
自分には桐谷提督の息が掛かっている。
内務省としても、事を荒立てないために気を遣っているのだろうか。
正直、怪しいと思う部分が無い訳ではないけど……。
「分かった。前向きに考えておく」
「はい。では、失礼致しました」
最終的に、自分は意見を取り入れる事に決めた。
立ち去る香取の表情に変化は見られないものの、その足取りは幾分か軽くなっているように思える。
本人に確かめては無いが、彼女には何か、思い悩んでいるような節が見受けられた。
具体的な事は分からないまでも、彼女自身が言い出した仕事を達成できれば、何某か良い方向へと向かってくれるのではないか。
しかし、そう願って後ろ姿を見送る自分に、我関せずを貫いていた梁島提督が話しかけてくる。
「厄介な男に目を付けられたな」
「どういう意味ですか?」
「自分で調べてみろ。これからは、自らの行動方針も自分で定める事だ」
勝手に話を切り上げ、彼も階段を上って行く。
厄介な男。宮野 裕史とかいう役人が……?
知らない名前だし、もともと調べるつもりではあったが、そう言われて更なる疑問が湧き上がった。
梁島提督に厄介とまで言わしめる男が、自分の艦隊を視察する。
しかも、自分の居ない間。
言い知れぬ悪寒が、首筋を這い回っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
内務省次官補による艦隊視察は、桐林の予想に反し、滞りなく終了した。
庁舎から工廠、ドックなどを巡り、また庁舎へと戻った香取は、革張りの椅子に腰を下ろす男に、誰にでも好感を与えられるであろう、完璧な微笑みを浮かべて見せる。
「本日は御足労頂き、誠にありがとうございました。お疲れではありませんか?」
「いえいえ。たいへん有意義な時間を過ごせましたよ、香取秘書官。まぁ、運動不足が祟って、歩き疲れてしまったのは否定しませんが」
灰色のスーツを着る初老の男──宮野 裕史が、これまた人好きのする笑顔で香取に返す。
丁寧に纏められた黒髪。髭はなく、中肉中背といった風態だが、身のこなしは機敏であり、所作の一つ一つが優雅な男だった。
これぞ役人の見本、というべき人物である。少なくとも、これまでを見る限りは。
「お茶などいかがでしょう? 良い茶葉をご用意していますので」
「これは有り難い。是非お願いします」
予定通りの申し出に、想定通りの返答。
順調に事が進んでいる喜びを隠し、香取が準備していた紅茶を用意する。
高値過ぎず、しかし決して安物ではない茶菓子も添えて出すと、当たり障りのない茶飲話に花が咲く。
それがしばらく続いたのち、宮野は本日の締め括りとなる話題を切り出した。
「設立の経緯から、この艦隊に不安を抱く者も多かったのですが、杞憂だったようですね。今の所、と枕に付けねばなりませんが、適正に運用されていると感じました」
「そう言って頂けると、提督もお喜びになります」
「しかし、ただ一点。見過ごせない無駄がありますね。そこだけが不可解です」
「無駄……ですか。あの、差し支えないようでしたら……」
一度は褒めておきつつ、本題を後出しにする。
外交における初歩の手順と理解しながら、香取は食い付かざるを得ない。
この艦隊は香取の居場所。
それを一番に脅かすのは、敵である深海棲艦でなく、他ならぬ人間からの突き上げだ。
艦隊の瓦解を未然に防ぐ為にも、外部からの意見は重要だ。
何かの役に立つ可能性がある事ならば、どんな意見でも自分が把握しておかなければ。
香取は真摯な想いで、宮野の言葉に耳を傾けていたが……。
「“貴方”です。練習巡洋艦という存在そのもの、ですよ」
発せられた言葉は、その香取をこそ否定するものだった。
息を飲み、問い返す事すら出来ない彼女へと、宮野は声高に論じる。
「戦争が始まって四半世紀。我が国はなんとか持ち堪えているように見えますが、その実、細い綱の上を歩いているようなもの。
うっかり足を踏み外せば、そのまま崩壊への一途を辿るでしょう。
経済、資源、貿易……。ありとあらゆる面で、日本という国は、昔から苦境に立たされている。
だというのに、国の未来を守ろうという提督が、傀儡能力者が、全く益のない船を励起するだなんて。無駄としか言いようがありません」
「……な、何を仰るのですか。益が、ないなんて。提督には確かな御考えが──」
「あると言い切れますか?」
詰め寄られ、香取は押し黙ってしまう。
言い返す事が出来ない。
正面切って戦えない軍艦である練習巡洋艦には。
常日頃から、己の価値を自問していた香取には、答えられなかった。
「貴方は聡い。もうお気付きなのでしょう? 貴方が居なくても、この艦隊は回る。貴方がここに入る必要など、ないのですよ」
笑顔で、残酷な事実を突きつける宮野。
表情に一片の曇りもないのは、悪意なんて欠片もない、仕事人間としての言葉だからか。
あるいは、そうするのが極自然な、悪意しか持たない歪んだ人間だからか。
「ああ、失敬。気を悪くされましたよね。これは私個人の意見です。
桐林提督には、私の意見を覆せるほどの考えがあるのかも知れません。
それに、貴方という存在の活用法は、幾らでもあります」
「私の、活用法……?」
「ええ。傀儡艦が使い物にならないのならば。……統制人格の方を使えば良い、という事ですよ」
「……っ!?」
果たして、真実は後者であった。
紳士然とした眼差しが一転、粘度を持って纏わりつくような、穢らわしい情動を孕む。
宮野にまつわる黒い噂は、本当だった。
資産家や政府高官に、どこからか“調達した女”を宛てがう、女衒屋であるという噂は。
鳥肌を立たせながら、香取は嫌悪感を露わにしてしまう。
「貴方はっ、最初からそのつもりで……!」
「おやおや。心外ですね。私は私が思いついた考えを述べたまでですよ?」
対する宮野の余裕は崩れない。
新進気鋭と目される能力者の陣地に乗り込み、その所有物を手篭めにしようとしている。
表沙汰になれば間違いなく拘束され、極刑も有り得る愚行をして、尚も。
香取の中に反骨心が燃え、それが表面的な落ち着きを取り戻させた。
激昂するなんて相手の思う壺だ。今はとにかく、話の主導権を取り戻さなくては。
「残念ですが、統制人格に女性としての機能は果たせません。貴方の望むような行いなど、そもそも不可能で……」
「ええ。ええ。そうでしょうとも。普通の統制人格ならば、ねぇ?」
どうにか声を捻り出した香取だったが、すぐさま出鼻を挫かれてしまう。
この男は知っている。
能力者以外には、馬鹿げた噂程度にしか認知されていない事柄を。
感情持ちとなった統制人格であれば、人間と性交渉を行えるという事を、紛うことなき真実だと認識している。
無意識に慄く香取を見て、宮野は太々しく笑みを深め、ソファから立ち上がった。
「人間というものは、欲に塗れた、薄汚い生き物なんですよ。
男は金と権力と女を。女は若さと美貌と愛を。
どんなに文明を発展させようと、どんな危機に陥ろうと、これらへの欲求を捨て切れない。
ましてやそれが、普通では手に入れられないモノとなれば尚更です」
卓を回り込みつつ、もっともらしく語られる人の業。
間違いではないだろう。
時代がどれほど移り変わろうと、人間そのものは変化していない。
常に何かを追求してきたからこそ、人類は星の覇者となったのだから。
「考えても御覧なさい。
若く。老いず。美しく。そして、“どんな無茶をしても壊れない”。
これこそ、男が昔から渇望してきた、都合の良い理想の具現です。
金でそれが手に入るのならば安いもの。
桐林提督に、どれほどの男たちが嫉妬と羨望の眼差しを送っているか、ご存知でしょう?」
「……し、知りません。そんな事、私は……」
「ふふふ。ああ、良い表情だ。桐林提督が羨ましい、貴方のような美女と、望むままに楽しめるのですから」
弱々しく否定する香取の肩に、手が置かれる。
いつの間にか、宮野が背後に立ち、間近から顔を覗き込んでいた。
汚い。
ゾッと悪寒が走り、香取は逃げるようにソファから離れる。
「ふざけないで下さい! 提督は、私の提督は、あなた方のような下劣な人間ではありません!」
「……でしょうね。彼がもっと穢らわしい人間だったなら、もっと早く潜り込めたでしょうから。
しかし、ならば彼は、どうして貴方なんかを励起したんでしょうか。貴方のような、役立たずを」
語気も荒く、桐林の清廉さを振りかざす香取だが、またしても言葉を失ってしまう。
それは、彼女こそが桐林へと問いたかったこと。
日々の仕事に誤魔化し、有耶無耶にしていた、己の核心。
「貴方も、薄々と感じていたのではありませんか。軍艦としての用を成さないのなら、いつか女として使われるのではないか、と」
「あ……。そ、そんな事、は……っ」
香取は、知らず身体を震わせる。
図星をつかれた。
そんな事は起きないと己に言い聞かせてきたが、どうしても拭えなかった不安が、その可能性だ。
先ほど宮野が言った通り、人間の欲は計り知れない。
結果として、自らを滅ぼす事すら可能な“力”を──核兵器を作り出すほどに。
あの桐林も一皮剥けば、どのような欲望を秘めているか、定かではない。
数日前の早朝。ベッドに引きずり込まれた時など、表情は取り繕えたが、本当は恐ろしかったのだ。
獣欲を満たすために身を捧げろと言われたなら、香取に拒む術は無いのだから。
「そう考えれば納得が行くでしょう。
若くて美しくて賢い女を侍らせるという、男の歪んだ願望を叶えるのに、貴方は打ってつけだ。
もしも貴方を供されれば、世の好事家たちは喜んで金や資産を差し出しますよ。
あるいは、この艦隊の未来に役立つ、“何か”さえもね」
絶望感に苛まれる香取の意識が、ある単語を切っ掛けに回り始める。
艦隊の未来に役立つ、“何か”。
まだ長くはない執務経験の中で、桐林が特に集めていた情報があった。
それは、国内外の輸出入に関わる企業や人物、原油産出国の現状、海上輸送ルートの昨今などであり、一般の執務の範疇からは、少々逸脱した内容だった。
と言うのも、それらは国が統括して行う事業で、能力者が直接に関わらなくとも問題ない事柄だからである。
無論、把握しておくことでスムーズな燃料配給の受給は可能だろうけれど、こと舞鶴鎮守府においては二つしかない艦隊。受領が滞る事などあり得ない。
これらが指し示すのは、桐林は独自の補給ルートを構築しようとしている可能性がある、という事だ。
今現在、彼は政府に対して恭順しているものの、舞鶴に落ち着くまでには一悶着あったという。
国家転覆を謀るとまでは行かないだろうが、腹に据えかねる物があり、自衛のためになんらかの手段を講じようとしている。これが香取の分析である。
国に頼らず艦隊を維持する為、必要なものは多い。
もしそれが、桐林が望み、求めるものならば。
「……例えばそれは、国に頼る事のない補給路も、ですか」
「あり得ます。権力者というものは、他者とのパイプを特に重要視します。
彼らを抱き込めたなら、桐林提督はクーデターすら可能となる事でしょう」
俯いたままの香取に、宮野は即答する。
その気があるかどうかなんて関係なく、起こせるという事実が重要だった。
内務省の役人も把握している危険性を、大本営が把握していないはずがない。
守るべき祖国にすら危険視されているだろう桐林が、いつかを見越して対抗策を講じているのなら、彼と命運を共にする統制人格がすべきは、ただ一つ。
──この身を投じて、お役に立つこと。
「彼の船ならば、彼の為に働くくらい、なんて事ないのでは?
もしそれを拒むのなら、貴方は本当に、なんのために存在しているのでしょうね」
「……わ、たし、は……っ」
宮野の言い分は正しかった。
少なくとも、香取には正しいと判断できた。
けれど。けれども。心を持って生まれてしまったモノには、残酷に過ぎた。
戦うために作られた存在が、その本懐を果たせないなら、他の事で身の証を立てるしかない。
分かっていても、あまりに、悲しかった。
「その気がお有りでしたら、ここに御連絡を。私がお相手を見繕いましょう。良かったですね? 貴方は初めて、提督のお役に立てますよ」
涙を堪え、折れそうになる膝を震わせる香取。
憐憫の情も湧きそうな有様を前に、宮野は晴れやかな笑みを浮かべ、一枚のメモを机に置いてから、応接室を立ち去った。
一人になった途端、香取は絨毯の上にくずおれる。
視察を終えた役人が、見送りもなく一人で立ち去るなど、普通に考えればあり得ない事だが、見咎める者はない。
桐林と疋田は精密検査に出向き、浜風はその護衛に就いている。
明石は工廠で様々な作業を行っており、伊勢と日向、瑞穂もそれを手伝っている。
庁舎に居るのは、香取だけ。
少しでも皆の役に立とうと、単独での内務省次官補の接待を申し出た、彼女だけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後。
誰にも相談できぬまま、思い悩んだ結果として、香取はとある高級ホテルの一室に居た。
宮野のメモにあったアドレスへ空メールを送ると、時間と場所だけを指定する返信があり、それがここだった。
どうやって鎮守府を抜け出せば良いのかと思ったが、出入りを監視する兵に金を握らせたらしく、簡単に外へ出られてしまった。
建物自体が宮野の“仕事場”であるらしく、フロント係は無言で高層階の鍵を差し出し、今は一人、一糸纏わぬ姿でシャワーを浴びている。
そうしろという指示書が置いてあったからだ。
(私は、何をしているのかしら)
暖かい湯を浴びながら、香取は自問する。
どうして、こんな場所に居る? この身体を売るため。
どうして、そんな事をしようとしている? 自身の存在価値を見出すため。
どうして、こんなにも心が冷え切っている? ……分からない。
本当に、これで良かったのだろうか。
いっそ桐林に全てを話して、助けて貰えば。
まだ間に合う。今すぐにでも逃げ出してしまえば。
(駄目。それじゃあ、ただ迷惑をかけるだけ。なんの役にも、立てないまま)
頭によぎる考えを、首を振る事で追い払う香取。
それは弱さだと、彼女は思っていた。
生まれた義務も果たせず、都合よく誰かに縋ろうだなどと、虫が良過ぎる。
愚直なまでの自立心が、仲間に頼るという選択肢を選ばせない。
「これで、良いのよ。この位でしか、私は、お役に立てないんだから……」
香取は小さく呟き、シャワーのコックを捻ってバスルームから脱衣所へ。
水気をバスタオルで拭き取り、身体に巻きつけたまま、ドライヤーで髪を乾かす。
それが終わったら、タオルを外すと同時に、統制人格として生まれ持った既定衣装の装着を済ませる。
黄金比を描く裸体が礼装に包まれ、髪がシニョンに纏め上げられるまで、掛かった時間は一瞬だ。
後はもう、その時が来るのを待つだけ。
どんよりと、暗雲が立ち込めているような心持ちで、控えめな照明が灯ったスイートルームに戻る。
一晩泊まるだけでも数百万は下らない、豪奢な部屋だった。
こんな事でもなければ、一生お目に掛かれなかったかも知れない。
そんな風に己を慰める香取だったが、程なく、室内にチャイムの音が響いた。宮野の用意した相手が来たのだろう。
覚悟を決める時間も貰えないのかと、思わず顔を顰める。
しかし、そのままでは不興を買うに違いないから。
せめてもの抵抗として、完璧な微笑みを顔に張り付け、香取は部屋の入り口に向かい、金で女を買う下衆を迎え入れようと、ドアを開けた。
けれど。
廊下に立っていたのは、予想だにしない人物だった。
「……えっ。て、提督っ!?」
白い髪。顔の傷。刀の鍔を模した眼帯。
格好こそフォーマルな紺のスーツだが、間違えようもない。
桐林、だった。
「どうした、香取。幽霊でも見たような顔だな」
「え……。あ……。あの……。え……」
困惑する香取を見下ろし、桐林は仏頂面で室内へと押し入った。
後ろ手に鍵をかけた彼は、そのままズンズンと歩を進め、香取も追いやられるように歩かされる。
奇妙な歩みは、リビングを通り過ぎて、ダブルベットまで来てようやく止まる。
桐林は言葉を発しない。
気まずい沈黙が長く続き、その中で諦めがついた香取は、静かにベッドを軋ませた。
「提督……。どうして、こちらに……?」
「もちろん、独断専行した愚か者を叱責するために、だ」
問いかけに対する桐林の行動は、迅速だった。
ベッドへ腰掛ける香取の真正面に立ち、かつてない程の激情を右眼に燃やしながら、彼は叱責する。
「なぜ勝手に行動した。
こんな事を自分は頼んだか?
こんな事をされて、自分が喜ぶとでも思ったか?
……随分と安く見られたものだな」
吐き捨てるような物言いが、桐林の怒りを表している。
どのような手段を講じたのか定かではないが、香取がしようとしていた事は、全て把握しているようだった。
普段の言動に比べれば、憤激している、と評した方が正解かも知れない。
しかし、それも当然であろう。
身内を差し出して見返りを得るなど、鬼畜の所業だ。
香取の行動は、彼がそれを良しとする人間だと、そう思っていた証左に他ならない。
香取自身、愚かしい行為だったという自覚はある。
叱責されて、軽蔑されて仕方ないとも思っている。
だが。
「……だって、私。他に何も、出来ないじゃありませんか。私は、まともに戦う事が出来ません。
伊勢さんたちのような砲もないし、瑞穂さんのような特殊な運用能力も……。浜風さんのような機敏さも、雷装も!」
真っ向から責め立てられた事で、香取の中に鬱屈していたモノも爆発した。
嫉妬。羨望。劣等感。
仄暗い、誰もが心の内に抱くモノを抑え切れず、彼女は声高に問う。
「なぜ、と仰いましたね? でしたら、提督はなぜ、私のような役立たずを励起したのですか?
私は、ただの練習巡洋艦です。人を育てるのがかつての役目でしたが、この時代には必要とされない船です。そんな私を、なぜ?」
「……前にも言ったはずだ。香取には演習旗艦と秘書官の仕事を選任してもらうと」
「嘘です。統制人格なら誰にでも出来る任務の為だけに、船を一隻用意するはずがありません。
本当の事を教えて下さい。私はなぜ、貴方に呼ばれたのですか? それを聞けない限り、私は……っ」
ああ、ついに聞いてしまった。
達成感とも、後悔ともつかない感情に、香取は俯いてしまう。
淡い期待の通り、香取に予想もつかない壮大な目的があれば、救われる。
けれど、もし理由なんてなかったら。
通常の傀儡艦建造と同じように、“揺らぎ”によって想定外の船が建造され、単に気紛れで励起されたのだとしたら。
怖い。知りたいと渇望していた答えを聞く事が、堪らなく怖い。
どうか、私の迷いを否定して下さい。
この身に存在し続けるだけの意義があると、お教え下さい。
声もなく、ひたすら香取は祈る。
それが、全くの無意味であると知らずに。
「予定外の、建造だった」
「……え?」
残酷な真実を、すぐには受け入れられない香取。
見上げる虚ろな瞳から視線を逸らし、桐林は尚も続ける。
「予定では、阿賀野型軽巡洋艦を建造するはずだった。
でも、主任さんは……。明石は、自分自身の機能を制御しきれなくて。
その結果、建造されるはずのない、練習巡洋艦が建造されてしまったんだ。
だが、君の存在を失敗として知られる訳にはいかなかった。
知っての通り、自分は酷く不安定な立場だ。
普通なら不可抗力として許される結果でも、後でどんな風に足を掬われるか分からない。
だから、解体を命じられる前に、大急ぎで励起した。
それから、面目を保つため、秘書官としての任務と、演習旗艦という仕事を急遽用意したんだ。……これが全てだ」
静かに、桐林が言葉を結ぶ。
嘘ではないと、香取の理性は判断した。
申し訳なさそうな声音も、苦々しい表情も、真実を言っていると教えてくれる。
「本当に、要らない船だったのですね。なんて、惨めな……」
香取は再び俯き、誰に見せるつもりもなく、苦笑を浮かべる。
結局、宮野の言う通りだった。
この時代に練習巡洋艦の居場所は無い。
無為に重油や鋼材を消費して生まれ、己の意義を求め、滑稽な独り相撲をしていた。
どうしようもなく惨めで、愚かなヒトカタ。それが、練習巡洋艦、香取。
けれど、希望を見出す事も出来た。
起こしてしまった失態を隠すためだとしても。
希望と呼ぶには、あまりに細く弱々しい、蜘蛛の糸のような事実でも。
香取はそれを頼りに、生きるしかないのだから。
「腑に落ちました。私は、提督の未来の為に生かされていた。そして、これからも生き続けなければならない。よく、理解できました。
戦う事も出来ず、なんのお役にも立てないと思っていましたが、ただ生きているだけで、提督の為になるのなら。……それで充分、です」
桐林に向けられたのは、宮野にも見せた完璧な笑顔。
整い過ぎて、作り物にしか見えない笑顔だった。
彼の右眼が細められる。
かと思えば、香取へと俄かに問い掛けて。
「なぁ。自分は、君たち無しで船を操れると思うか?」
「……は、い? 質問の、意図が……」
「いいから。忌憚なく答えてくれ」
何やら、桐林の雰囲気がガラリと変わったように思えた。
愚かな部下を糾弾するのではなく、まるで子供にでも言い聞かせるかのように。
不可解かつ唐突な変化を訝しむも、求められれば応えるのが統制人格の役目。
香取は逡巡の後、適切な言葉を選んで返答する。
「不可能、だと思います。提督の御力は存じていますけれど、統制人格を通さずに船を操ろうとすれば、脳が追いつきません」
「だろうな。じゃあ次だ。自分は、鎮守府の執務を一人でこなせると思うか?」
「……ええ、と。無理かと、存じます。提督には些かならず、事務処理能力が足りていない、ような……」
「分かっていたけど、直接言われると堪えるな……。まぁいい。じゃあ次は……」
本当に忌憚のない意見を受け、桐林の頬が少し引きつる。
いけない。無意識に反抗しようとしているのだろうか。
そう思った香取は、質問を切り上げようと語気を硬くした。
「どういうつもり、ですか。こんな問答に、なんの意味があるというのですか」
「意味、か。意味ね……。この世に、真に意味のあるものなんて、存在するんだろうか。……どう思う?」
「……もう、おやめ下さい。提督が御自分を卑下なされた所で、なんの慰めにもなりません」
なんの事はない。言葉遊びをしているだけと断じ、香取は眼を伏せる。
自らの価値を貶め、それで対等だとでも言うつもりか。
いや、どうせ気紛れだ。
適当に受け流せば良いと、心までをも硬く閉ざそうとする香取だったが、桐林も諦めが悪く……。
「勘違いしないでくれ。これは確認作業だ。
自分に単独で船を操る能力はない。一人で鎮守府を運営する事も出来ない。
空だって飛べないし、他人の心を読む事も、時間を巻き戻す事だって不可能だ」
「当たり前です。おふざけになるのも大概に」
「大真面目だよ、生憎と」
香取の隣へ腰掛ける彼の表情は、確かに真剣そのものだった。
真っ直ぐに香取を見つめ、真っ直ぐに言葉をぶつけてくる。
思えば、初めての経験かも知れない。自尊心を虚栄で飾らず、誰かと対話するのは。
この意識が、練習巡洋艦に宿ったものだという事を悟り、周囲には正しい意味での軍艦が存在し、人を育てるという、かつての意義を果たせないと知った時から、香取は皆の前で仮面を被り始めた。
自分には存在価値がないと。いつか見捨てられてしまうのではないかと、怯えている事実を隠すために。
「傀儡能力者と言ったって、出来る事なんて限られてる。
むしろ、出来ない事の方がよっぽど多い。
その事を悔やみ、悩んだりする。自己嫌悪だってしょっちゅうだ。
でも、自分の存在に意味が無いとは思わない。絶対に」
「……なぜ。提督はそんなにも、お強いのですか。私には、とても……」
それに引きかえ、彼はどうだ。
伝え聞いた話だが、大切な恩師を立て続けに失い、まだ季節の一つも過ぎ去っていないというのに。
確固たる意志を持ってここに在る彼は、どうして、こんなにも眩しい。
「自分の命は、自分だけの物じゃないからだ。
自分が死ねば君たちは消える。
電。赤城。天龍。北上。妙高。金剛。島風。横須賀のみんな。
伊勢。日向。明石。浜風。瑞穂。そして香取、君も。
この命は、君たちと繋がっている。それはとても、大切な意義があると思えるんだ。それに……」
懐かしむように。愛おしむように、桐林は幾つかの名前を呼ぶ。
そして、不意に右の手のひらを見つめ、自らの胸に置き。
「命懸けで、救ってくれた人が居る。
こんな自分に、“何か”を遺してくれた人が居る。
自分は、あの人たちの生きた証。
そう思うと、ほんの少しだけ、自信が持てるんだよ」
今にも泣き出しそうな顔で、微笑んだ。
香取は、そこでやっと勘違いに気付く。
桐林は強いのではない。
強く在ろうとしているのだ。
誰かの想いを通して、自らに意義を見出し、それに相応しく在ろうと。
急に、息が詰まった。
鼻がツンとし、眼の奥がじんわりと熱い。
こんな自分、と桐林は言った。
彼もきっと、香取と同じだったのだろう。
自らの存在意義に迷い、思い悩み、時に間違えたのだろう。
でも、彼にはそれを正してくれる人が居て、その想いを無駄にしないために生きている。
だからこそ、桐林は今、こうして語りかけてくれるのだと、香取は感じた。
かつて、彼自身がそうして貰ったから。
「出来ない事を数えるな。自分に出来る事だけを見つめろ。
軍艦としてじゃなくたって構わない。
誰かに与えて貰うのではなく、己の中に意義を見出せ。
香取。“君”が“君”として、“君”らしく生きる道を見つけること。
それが、練習巡洋艦に自分が与えられる、最優先順位の命令だ」
膝の上で握った拳が、震える。
寒い訳でもないのに、身体の奥から、震えが溢れ出て、止まらない。
香取の肩へと、桐林が躊躇いがちに手を置いた。
それが、どうしようもなく優しく感じられて。
嬉しくなるほど暖かくて。
涙が勝手に、溢れてしまう。
「私、は、ここに居て、良いんでしょうか……。まだ何も、出来る事を見つけられない、私でも……?」
「なら、これから見つければいい。自分なんかにも見つけられたんだ。君なら必ず見つけられる。必要なら、手を貸そう」
「……っ」
気が付くと、香取は桐林の胸に飛び込んでいた。
心の中に溜め込んできた不安を、全て投げ出すように。
しばらくしてから、大きな手が背中に回る。
こんなにも逞しいのに、存外、女慣れしていないらしい。
落ち着きを取り戻し始めていた香取は、子供をあやすような、不慣れな手付きにそう思った。
それくらい時間を置いての行動だったのだ。
(泣いたのって、これが生まれて初めてかしら……。本当に、スッキリするものなのね)
そっと、惜しみながら腕の中から抜け出し、桐林に背を向ける香取。
涙で顔がグチャグチャになっているのを、見られたくなかった。
ベッドに備え付けのティッシュで顔を拭き、ついでに眼鏡もぬぐう。
考えなしで抱きついてしまったから、ちょっとフレームも歪んでいるような。まぁ、すぐ直せるので問題ない。
とにかく、女として最低限の身嗜みを整えたのち、香取は今一度、桐林へと向き直った。
「申し訳ありません、見苦しい所をお見せしてしまって……。恥ずかしいので、忘れて頂けると、助かります……」
「それは無理な相談だな。これを忘れたら、それこそ自分の居る意味が無い」
「……意地悪ですね、提督は」
少しだけ、得意げにも見える桐林の表情。
二人、自然と微笑み合っていた。
やってみよう。
彼の言った通り、自分に出来ることを探してみよう。
練習巡洋艦の統制人格が、存在し続けるための
そして、それを極めてみせよう。
練習巡洋艦を励起して良かったのだと、後世の人間に言わしめるだけの、成功たる証を立てるために。
優しく微笑みかけてくれる、ちょっと強面な主人を前に、香取は胸の奥で誓った。
「あの……。宮野次官補は……」
「ああ。梁島提督に手伝って貰って、然るべき対処をしている。ツケは払わせるさ。……必ず、な」
不意に思い出し、香取がそう問いかけた瞬間、深い闇を宿す桐林の右眼。
背筋がゾッとした。純粋な恐怖からだ。
つい数秒前まで、心の拠り所としたくなるほどの優しさを見せていた彼が、打って変わって修羅の如く。
この様子では、宮野はその行いに相応しい、凄惨な末路を辿るに違いない。
香取の外出を手引きした兵にも、恐らく見せしめとして、厳罰が下る事だろう。
憐れみは覚えなかった。
桐林ならば、きっと命までは取らないだろうから。
もう二度と会う事はないだろうが、ただ一点。
彼と心を通わせる切っ掛けとなってくれた事だけは、感謝しておくべきか。
「何してる。さぁ、帰るぞ」
「え? 帰るんですか?」
「え、そうだけど。……え?」
話は終わったとばかりに、桐林がベッドから腰をあげる。
が、何故か香取は、その背中を呼び止めてしまった。彼も困惑しているようだ。
奇妙な沈黙。
ややあって、香取は己の失言に気付く。
これでは、部屋を出たくないと言っているようなもの。
まるで、彼と関係を持つつもりだったと、言っているようではないか。
「ち、違うんですっ、あの、そういう事ではなくて、けど、決して嫌という訳でも……。あ、これも違う。ええっと、その……っ!」
慌てて立ち上がり、ワタワタと言い訳を重ねる香取。
それすらも上手く行っておらず、混乱は深まるばかりだった。
ほんの十数分前まで、身を切る想いで、見知らぬ男に抱かれるつもりだったのに。
舌の根も乾かぬうちに桐林を求めるような発言をするだなんて、ふしだらな尻軽女そのものだ。
そう思われても仕方ない、馬鹿な事をしたのは事実だけれど、それを置いても否定したかった。
彼にだけは、そんな風に思われたくないと。身勝手だと理解しつつ、思ってしまう。
泡を食う姿を見て、桐林にも思う所があったのだろう。
ワザとらしく「ゴホン」と咳払いをし、香取から目線を逸らす。
「……ま、まぁ、勿体無いと思う気持ちは分かるが、誰かに嗅ぎ付けられでもしたら大変だ。夜の内に帰ろう」
「は、はい。そうですね。心得ました」
仕切り直す桐林に、香取は今度こそ、素直に頷き返した。
やや急ぎ足で、部屋を出ようとする二人の間には。
気恥ずかしさを物語る、微妙な距離があった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「糞、糞、糞……! こんな、こんな筈では……っ」
練習巡洋艦、香取の籠絡が失敗に終わってから、更に数日後。
高級外車の後部座席で、宮野 裕史はひたすら毒づいていた。
「おい神谷、もっとスピードは出ないのか!? デコイはそう長く保たんのだぞ!」
「無理を言わないで下さい……。この雨に加えて夜なんですよ? いくら車が少なくても、事故が……」
「チッ」
相も変わらず言い訳だけは一丁前な運転手に、大きく舌を打つ宮野。
窓の外には、車と同じ色が広がっている。
窓を打つ大粒の雨のせいで、視界は良くない。時期外れの遠雷まで聞こえていた。
この男は、他者を破滅させる事が好きだった。
地位あるものを没落させ、能力あるものを挫折させ、幸福なものを不幸のどん底に突き落とす事が、堪らなく大好きだった。
こういった歪んだ性質を、家庭環境やら生活環境やらに理由付ける医者も居るであろうが、宮野に限ってそれは当てはまらない。
他人の苦しむ姿を面白く思ってしまうのだ。そういう精神構造に生まれついてしまったのだ。
その証拠に、資産家に生まれついた彼が最初に陥れたのは、彼を愛してやまなかった両親なのだから。
両親を破滅させた後、その財力とコネクションを完璧に引き継ぎ、宮野は華々しく政財界にデビューを果たす。
そして、人間ならば誰しも翻弄される三大欲求を糸口に、時に弱みを握り、時に“注文”を受けて奔走し、内務省まで食い込むことに成功した。
人心の腐敗も然る事ながら、彼自身に悪事の才能が漲っていた事にもよるだろう。
順風満帆な人生だった。
思いのままに他者を弄び、気紛れに破滅させ、絶望に喘ぐ様を眺めるのは、心を充実させてくれた。
否、そうしている時しか、生きている実感が湧かなかったのだ。
だからこそ、より大きな達成感を、充実感を求めて、統制人格にまで手を出そうとしてしまったのである。
「これから、どうなるんでしょうか……」
「どうもこうもあるか! 梁島に、あの男に目を付けられてはお終いだ!
若造の方だけなら、どうとでもなると思ったのが失敗だった……。
こうなっては、私もお前も、この国には居られんぞ」
「な、なんでわたしまで!?」
「散々お零れに預かっておきながら、自分だけは助かるとでも思ったか? この屑が!」
「わ、わたしはっ、宮野次官補に言われたから……!」
鬱憤ばらしに、口汚く運転手を罵る宮野。
悪事の天才である事を自負するこの男にも、天敵とする存在があった。それが、桐林の周囲にいた三人の能力者──吉田 剛志、兵藤 凛、梁島 彪吾だった。
特に梁島という男は、宮野の扱う“商品”に微塵も興味を示さなかった。それどころか、宮野のような存在を露骨に嫌悪している節があった。
今まで消されなかったのは、梁島の性格を逸早く見抜いた宮野が、細心の注意を払い、彼の視界へ入らないようにしていたからに尽きる。
そんな折、梁島に千条寺の首輪がついたという噂が、内務省に届く。
好機だと直感した。
千条寺家は財界の重鎮。何より、当代の桐谷は“客”だった事もある。闇の商売の存在を知りつつ、決して排斥できない事を承知しているはず。
背後関係が洗えず、得体の知れなかった兵藤も、潔癖で知られる吉田 剛志も死んだ。ならば、もはや誰に遠慮する必要もない。
今まで誰も扱った事のない“商品”を仕入れる、絶好の機会が巡ってきたのだと判断し、その最適な供給源として、桐林に接触したのである。
(襲名披露宴で見かけた時は、単なるお人好しに見えた……。
分不相応な“力”を得た、単なる凡人だったはず。それが間違いだったのか?)
愚かな選択だったとしか言い様がない。危機感が鈍っていたとしか思えない。
もしかしたら今回の一件、宮野を始めとした後ろ暗い人間を一掃するための、罠だったのではないか?
そう感じてしまうほど、梁島の包囲網は細密かつ迅速だった。
懇意にしてきた政治屋たちの反応がなく、遅まきながら異変を察知し、身を隠す事には成功したが、あと一時間行動が遅れていれば、宮野の存在は闇に葬られていただろう。
恐らく今までの常連は、その悪行を認めて飼い殺しになる事を選び、宮野を贄として生き永らえようとしている。
切り捨てられたのだ。トカゲの尻尾のように。
負けたのだ。あの若造共に。
ほぞを噛むとはこういう事かと、宮野は奥歯を噛み締めた。
「……ん? うわっ」
「ぬぉっ」
ドスン、という重い衝撃。
不快な急ブレーキの音。
横滑りする車体。
唐突な出来事に、宮野は何が起きたのか理解できない。
車が円を描き、道路を塞ぐように停止して、やっと“何か”を轢いたのだと思い至る。
「何を、しているん、だ、貴様は……!?」
「ひ、人……。人が……。なんで高速に……」
シートベルトをしていなかった宮野は、強かに打ちつけた頭を押さえながら、青い顔の運転手を罵る。
進行方向に対して横を向く車の窓を確かめるが、電灯に照らされた左手側に変わった所はない。
反対側は、節電の為に灯りが落とされているせいで確認できなかった。
しかし、近づいていた雷雲が稲光りを発し、一瞬だけ道路の様子が浮かび上がる。
二十~三十m離れた場所に、倒れ伏す人影があった。
雨が視界を遮り、雨合羽を着ているらしい事しか判然としなかったが、あの速度だ。生きてはいまい。
「おい、ボサッとするな、早く逃げるぞっ。“あの連中”の船は待ってくれな……神谷?」
「……あ、あれ……あれ……!」
自分以外の誰がどこで死のうと、心の底からどうでも良かった宮野は、硬直する運転手の肩を揺するも、様子がおかしい。
人間を轢き殺した事に動揺しているのとは、違う。……恐怖している?
視線の先を追ってみるが、相変わらず闇が広がっているだけ。
(……んん? いや、そんなはずは)
稲光りが闇を切り裂き、遅れて雷鳴が轟く。
倒れていたはずの人影が、立ち上がっていた。
フード付きの雨合羽。顔は影に隠れている。色は赤、だろうか。
体格からして男性であるのは分かるけれど、不規則な稲光りが照らすだけで、何もかもが不明瞭だった。
(なんだ。何が起こっているんだ)
急激に気温が下がったような気がする。
震えが止まらない。
息が切れるのは何故だ。
魔訶不思議な出来事に困惑する宮野が、唯一、正しく認識できたのは。
人影の、恐らくは顔がある部分で、鈍い光を放つ──紅い単眼だった。
香取さん、実は超面倒臭い女性だった説。
さて。二週間遅れの明けましておめでとうございます!
そして、新年一発目の本編が後味悪くてスミマセン!
今回の話は、これまでギャグなどで誤魔化してきた、世界に満ちる悪意の一つです。
これらに対する主人公の明確な対応をこそ、今一度、キチンと描くべきだと考えておりました。
性暴力に直結する内容ですし、不愉快に思う方が居らっしゃったら謝罪します。誠に申し訳ありませんでした。
さてさて。それに合わせて描いたのが、練習巡洋艦の苦悩……。普通の軍艦に比べると、どうしても見劣りしてしまう戦力についてでした。
ゲームでは様々な特性が付与されていますけど、作中の現実には当然なく、まさしく存在意義に乏しい船。
その事を誰よりも熟知している香取さんが、どうやって第一秘書官として胸を張るに至ったかは、本文で語った通りです。
何か一つ付け加えるならば………………モゲロこの野郎(オイ)。
さてさてさて。言い訳がましくなってしまいましたので、ここいらで一旦、失礼をば。
宜しければ、お口直しのこぼれ話をどうぞ。