新人提督と電の日々   作:七音

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在りし日の提督と成功たる証・前編

 

 

 

 

「あの……。■■さん……?」

 

「なんですかー提督ー」

 

 

 控えめに声を掛けてくる提督へと、■■■は雑誌のページをめくりつつ、ぞんざいに返事をした。

 場所はいつもの執務室。来客用のソファに、うつ伏せに寝そべっている。

 普段なら怒られよう態度にも関わらず、彼はとても申し訳なさそうな表情。

 ま、当然ですけどね。これ、当てつけですし。■■■、怒ってますし。

 

 

「た、大変恐縮なんでありますが。……執務室で求職情報誌を見るのは、控えて頂きたいなぁ、と、思いまして……」

 

「えー。良いじゃないですか。どーせ転職なんて出来ないんですし。一生、提督の側でお仕えするしかないんですしー? ちょーっと夢を見るくらい、良いと思うんですよ?」

 

 

 足をパタパタ。

 微笑みと嫌味を叩きつければ、ますます青くなる提督の顔。

 滝のような汗まで流れ出し、重苦しい沈黙が広がった。

 やがて耐えられなくなったのか、おもむろに彼は席を立ち……。

 

 

「もうそろそろ許して下さい! たまのバカンスにハメを外しちゃっただけなんだ! 決して、決して意図的に君の事を忘れた訳じゃないんですぅううっ!?」

 

 

 見事なスライディング土下座を披露してくれた。

 どうしてこんな事になっているのかと問われれば、それは先日行われた、■■■の巫女体験が原因である。

 ■■■はですね、とっっっっっても不本意だったけど、提督のためならと思い、頑張って慣れない巫女服を着て、大きなお友達へ笑顔とおみくじを振りまいていた訳です。

 だというのに。だというのに! 提督はそんな■■■の事を忘れて食べ歩きしてたんですよっ。

 一緒に巫女やってた■さんたちと、一緒に合流してビックリ。明らかに体重が増えてたし。

 まぁ確かに? 飛騨牛と近江牛を使ったお料理は大変美味しゅうございましたが、疲れ切った■■■たちを出迎えた脂ギッシュな提督の顔が、どうにも憎たらしく……。

 という理由があって、■■■は現在、反抗期真っ盛りなのである。ふんっ。

 

 

「口ではなんとでも言えますよ、なんとでも」

 

「本っ当に、反省してますから! ええと、あれだ、ほら。巫女服似合ってたぞ! 超可愛かった、日本一。いや世界一。否! 宇宙一可愛かったですっ。結婚しよう!」

 

「だったら今すぐ婚約指輪下さーい。給料三ヶ月分の」

 

「うっ。も、持ち合わせが少々、心許なくて……。時間を貰えればなんとか……?」

 

「はぁ……。■■■、甲斐性無しの提督のとこじゃなくって、二佐のとこの子に産まれたかったなー」

 

「そんなこと言わないでさぁ!? 許して下さいお願いしますっ!」

 

 

 情けなさ過ぎる彼の土下座に、■■■は思わず溜め息をこぼす。

 最近ようやく分かってきた。この人、油断するとすぐに調子乗っちゃう人なんだ。

 別に本気で言ってるわけじゃないけど、■■■がしっかりしなきゃ、大変な事になりそう。これから先が思いやられる。

 と、悲嘆に暮れつつ転職情報誌を閉じた瞬間、代わりとばかりに執務室のドアが開いた。

 息を切らせて飛び込んで来たのは……■■■くん?

 

 

「■兄ちゃん大変だ! SMなんかしてる場合じゃない!」

 

「何を言うか少年っ、■■が新しい趣味に目覚めたらどうしてくれる!? 土下座プレイと訂正しなさい!」

 

「目覚めるわけないでしょうバカなんですか!? ……それで、■■■くん。何かあったの?」

 

 

 真顔で変なことを言う提督に雑誌を投げつけ、■■■くんへと問い掛ける。

 疑わしい瞳が、「やっぱSMじゃん」とか言ってそうだけど、無視しよう。

 ■■■くんも深くは突っ込まず、興奮気味にまた口を開く。

 

 

「まだオフレコの段階なんだけど……。■■■家の次期当主が、傀儡能力を得たらしいんだよ!」

 

「なんだって?」

 

「……はい? え? それって大ニュースなんですか?」

 

 

 提督がおふざけモードから若干引き戻された事から、衝撃的な情報なのは予測できたけれど、■■■にはいまいち伝わってこない。

 その割に、■■■家という単語に聞き覚えがあるような、ないような……。

 

 

「当たり前じゃんか──っつっても■■姉ちゃんには分かんないか。えっと、■■■家ってのは………………■兄ちゃんパス」

 

「少年、面倒臭くなったな? まぁ良いが。オッホン! それでは解説しよう。■■■家とは!」

 

 

 首をひねっていると、怪訝な顔をした■■■くんが提督に話を投げ、受け取った彼は立ち上がり、得意げに胸を張って話し始めた。

 要約すると、■■■家とは世界有数の資産家の一族であり、国防費も負担する、いわば■■■たちのパトロン。

 その現当主は、日本における傀儡艦第一号である■■■を、私財を投げ打って建造した傾奇者……らしい。

 ■■■家は血筋よりも能力を尊び、故に実の息子さんではなく、お孫さんが次の当主になるだろう、というのが関係者の見解だそうな。

 

 

「なるほど……。■■■を建造したのは■■■家の現当主で、そのお孫さんが軍に入るんですね」

 

「そのようだ。今までは、私や少年のように一般市民からだったり、二佐のような、もともと兵役に就いておられた方が、能力者として召し抱えられていた訳だ」

 

「政財界に関わる人間が入ってくるなんて、ロクなもんじゃないよなー。ぜってー嫌味な金持ちのボンボンだぜ?」

 

「しかし、少年。これが息を切らせて飛び込んで来るほどのニュースとは、流石に私も思えないんだが……? いや、大ニュースではあるが」

 

 

 今度は提督が首をひねり、■■■くんに疑問を投げかける。

 今まで縁遠かった政財界の偉い人が能力者に。

 物凄く気を遣いそうだし、■■■くんの言う通り、嫌な人だったら困るけど、仲間が増えるのは純粋に良い事だと思う。少なくとも、血相を変えて知らせに走るほど重大だとは……。

 図らずも同意見となった■■■と提督。

 ところが、■■■くんはあっけらかんと、更なる情報を口にした。

 

 

「そりゃそうだよ、本題は別にあんだもん。実は……。

 次期当主の教導官に爺ちゃんが選ばれてさ、そのボンボンが一時的に横須賀に配属されるらしいんだ。

 それに合わせて、現当主がここを視察に来んの! しかも今日!」

 

「んなっ、き、今日!?」

 

「と、突然過ぎません!?」

 

「いや、俺に言われても困るんだけど。とにかくそういう訳だから、色々と準備を──んぁ?」

 

 

 ■■■家の現当主がやって来る。

 それは即ち、職場に社長が突撃訪問するようなもの。確かに一大事だ。

 今度こそ、驚きで色めき立つ■■■たちだったが、しかしその時。開けっ放しだった廊下への扉から、人影がヌッと入り込んできた。

 豊かな白い髭を蓄え、紋付袴で杖をつく、腰の曲がったお爺さん。その後ろには、数人の黒服の男性も。

 祝いの席に出向こうとした、近所のお年寄りが迷い込んだ風体ながら、異様にギラついた両眼が、無視しきれない存在感を漂わせていた。

 だ、誰だろう、このお爺ちゃん……?

 

 

「ふぅむ。お前さんが、重巡洋艦■■。そして、そっちの若造が■■ ■■■だな」

 

「は、はい。そうですけど……」

 

「失礼ですが、貴方は? 所属と氏名をお聞かせ願いたい」

 

 

 お爺ちゃんは無遠慮にこちらへと近づき、■■■と提督を舐めるように値踏みする。

 思わず背筋がゾクっとしてしまい、そんな■■■を、彼は背中に庇ってくれた。

 いつもはダメダメなのに、こういう時はすぐに気が付いて、キリッとした表情をするんだから、ちょっとズルい。場違いだと分かっていても、つい背中に縋り付いてしまう。

 それをどう思ったのか、お爺ちゃんは「ふふふ」と悪役染みた含み笑いを浮かべ、カン、と杖で床を突いた。

 

 

「よかろう。ならば聞かせてやる。儂こそが、そこな■■の建造を主導し、国防資金の二割を負担する大財閥、■■■家の当代。■■■ ■■■であ──」

 

 

 メキッ。

 

 

「──ぐふぉ!?」

 

 

 ……の、だけども。

 ご自分の名前を名乗り、背筋を伸ばそうとした刹那。お爺ちゃんから嫌な音が。

 例えるなら、ギックリ腰をした時のような。いえ、経験無いですが。

 

 

「あ、あのぉ……。なんだか、物凄く嫌な音がしたんですけど……。大丈夫ですか……?」

 

 

 額に脂汗を滲ませ、プルプル震えるお爺ちゃんに、■■■は恐々、声を掛けてみる。

 すると、さっきまでの威圧的な雰囲気はどこへやら。お爺ちゃんは眼に涙を浮かべていて。

 

 

「すまんが、て、手を貸してくれんか。久々に威張ろうとしたら、腰やってしもうたわい……」

 

「えええ……」

 

「御老体……」

 

「歳考えろよ爺さん……」

 

「黙れ小童! 儂はまだ八十手前だぞ──ひぐぅ!?」

 

 

 ■■■、提督、■■■くんの順に呆れ返り、怒ろうとしたお爺ちゃんがまた、腰を押さえて悲鳴を上げる。

 どうしよう、これ。背後に控えていた黒服さんたち、めっちゃ汗かいてるんですけど。想定外の事態ですか?

 ……とりあえず、これだけは言わせて欲しい。

 ■■■の平穏な日常返して。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 闇が、這い寄ってくる。

 それは善意のようであり、愛情にも似て、しかし極上の悪意であった。

 嫌だ。止めてくれ。来るな、寄るな、離れろ。

 どんなに懇願しても、闇は音もなく忍び寄る。

 もがく事すら出来ない。この腕は。この脚は。冷たい寝台へと雁字搦めにされているのだから。

 やがて喉元に手が掛かり、顔らしきものに覗き込まれる。

 光の尾を引く双眸は、やがて単眼となり、突然、唇を塞がれた。

 体内へ侵入しようと、舌が唇を押し広げ、抵抗虚しく、闇が口内を這う。

 嫌悪感は最初だけ。

 甘美なる快楽を与えられ、次第に脳は麻痺していく。

 

 そして、“自分”は。

 

 

「やメろッ」

 

 

 渾身の力で闇を振り解き、組み伏せ、右の貫手を突きたてようと振りかぶる。

 人体はおろか、鋼鉄の板すらも容易く破れるであろう、必殺の意思を込めたそれが、女の形をした“影”へと──

 

 

「て、提督?」

 

 

 ──突き立てられる寸前で、止まった。

 違う。“これ”は、違う。

 淀んだ思考がそう訴えかけ、霞む眼を凝らしてみれば、自分は女性を組み伏せ、その胸元へ右手を突き付けていた。

 後頭部でまとめた、くすんだ色味の長い金髪。

 士官用の礼服を思わせる衣装に身を包み、フレームのない眼鏡の奥で、瞳を困惑に揺らす彼女は、確かに自分の知る人だった。

 伊勢、日向に続いて励起し、舞鶴の秘書官として任命した、統制人格。

 香取型練習巡洋艦一番艦 香取だ。

 

 

「……かと、り?」

 

「は、はい……」

 

 

 どうにかして声を絞り出すと、戸惑いながらも返事をくれる彼女。

 しばし呆気にとられ、それから辺りを確認。

 自分と香取が居るのは、壁際に据えられたベッドの上だった。

 家具らしい家具は見当たらず、ベッドの反対側の壁に埋め込まれたクローゼットがあるだけ。一つしかない窓から光が差し込み、朝である事を教えてくれている。

 まだ馴染みのない、舞鶴における自屋だった。広さは二十平米ほどか。

 

 

「起床時間に、なりましたので。起きて頂こうと部屋に入ったのですが、酷く魘されていましたので、それで……」

 

「……すまない。悪い事を」

 

「いいえ。問題、ありません。どうかお気になさらず」

 

 

 たどたどしい説明を聞き、そこでようやく、自分が彼女に危害を加えかけていたと気付く。

 香取は許すと言ってくれるけれど、気分は晴れない。

 横目にも分かる青空が、書き割りのような異物感を放っている。

 と、そんな時、背後で何かが蠢く気配を感じた。

 

 

「あのぉ、どうかしました? なんか変な声……が……ぉぉおお邪魔しましたぁ!?」

 

 

 ヒョッコリと顔を覗かせ、眼を丸くし、瞬く間に逃亡してしまったその人は、横須賀鎮守府の警備員から、調整士へと転身した疋田 栞奈さん。

 見事な慌てっぷりに、自分は困惑。なんとなく香取と見つめ合って、原因に思い至った。

 黒いTシャツとジャージのズボンを履いているだけの男が、朝から女性をベッドに組み伏していれば、そりゃあ勘違いするに決まっている。

 

 

「勘違い、されてしまいました、ね……」

 

「そうだ、な……」

 

 

 先程までと違う意味で気不味くなり、ぎこちなくベッドから距離を取る。

 身体を起こし、乱れた着衣を整える彼女の姿は、それこそ“事後”のような、いかがわしい雰囲気を醸し出していた。

 ……いや、自分の気のせいだ。あの感覚に引きずられているだけ。さっさと眼を覚まさなければ。

 

 

「え、ええと。朝食の御用意が整っています。お召し上がりになりますか?」

 

「ああ。みんなは……もう起きてるか、この時間じゃ」

 

「はい。皆さん、提督をお待ちになっています」

 

 

 背を向ける自分に、香取が問い掛けてくる。本来の要件はこちらのようだ。

 つい一週間ほど前に落成したばかりの、新生舞鶴鎮守府庁舎。

 梁島提督の方はどうだが知らないが、自分たちに用意されたのは、住居一体型の、高級ホテルのような建物だった。

 しかし、艦隊を構成する統制人格はまだ少なく、執務室に程近いフロアで、皆が集まって暮らしている。

 一つの階層で生活を完結させられる仕組みらしい。

 

 

「分かった、すぐ行く。先に戻ってくれるか」

 

「……はい。では、失礼致します」

 

 

 衣擦れの音で、香取が立ち上がり、深く礼をしたのが分かる。

 そのまま彼女が立ち去るのを待ち、部屋に備え付けの洗面所付きトイレへ。

 冷たい水を顔にかけ、滴るままに鏡を見つめた。

 自分の顔だ。左眼を閉じた、自分の顔であるはずだ。

 けれど、一瞬。

 見知らぬ“誰か”の顔が、オーバーラップしたように見えてしまった。

 

 

「夢……。あの時の……? 違う、その前に、何か……」

 

 

 起きる直前に見ていたのは、舞鶴事変の夢だ。

 ベッドの上で拘束され、見知らぬ人影を幻と思って、激情を吐露し。

 “左眼”を、経口移植された時の。

 珍しい事ではない。

 あのシーンを再現されたのは久しぶりだが、悪夢を見るのなんて何時ものこと。

 でも、今日に限って“何か”が違う気がした。

 悪夢を見るもっと前に。とても重要な“何か”を見たような……。

 

 

(……駄目だ。思い出せない)

 

 

 どうにかして思い出そうとするものの、定かなのは影との接吻までで、それ以上は遡れなかった。

 もう一度、鏡を確かめる。

 水を滴らせる、不機嫌そうな男がいるだけ。

 ……やめよう。

 みんなが待ってくれているんだから。

 

 己への不信感を、水気と一緒にタオルで拭き取り、自分は正装──黒の詰襟に着替えて部屋を出る。

 建物の中央へ向かって、豪奢な赤い絨毯を踏み、幾つかの部屋を通り過ぎ。

 数分と経たない内に、目的の部屋のドアを開く。

 階を移動するエレベーター近くにあるそこは、小さな定食屋が丸ごと収まりそうな部屋だった。

 意外にも純和風な室内。その奥座敷に、卓袱台を囲む複数の人影が。

 

 

「あ! もう、提督遅いー! お腹空いちゃいましたよーっ」

 

 

 真っ先に不満の声を上げたのは、主任さん──いや、明石だった。

 釣られるようにして、他の二名もこちらを振り向く。背筋を伸ばして正座する、伊勢と日向だ。

 あと二人ほど居るはずなのだが、多分、配膳の準備でもしてくれているのだろう。

 

 

「待ってないで、先に食べてても良いんだけど……」

 

「それじゃあ一つ屋根の下、一緒に暮らしてる意味ないじゃないですか。とにかく御飯! ごーはーんー!」

 

「分かった、分かったから」

 

 

 まるで子供のような振る舞いの明石に、自然と苦笑いを浮かべつつ、彼女と伊勢の間へ腰を下ろす。

 ほとんど間を置かないで、伊勢がお茶の入った湯飲みを出してくれた。

 

 

「おはようございます、提督。よく眠れました?」

 

「……あまり。夢見が悪かった、ような気がする」

 

「ハッキリしないな。覚えていないのか」

 

「思い出そうとすると、思考にモヤが掛かるんだ。思い出せるなら思い出したい。

 それと……遅くなった。おはよう、日向。伊勢と、明石も」

 

「うむ。おはよう」

 

「ふふっ、おはようございます。二回目ですけど、ね?」

 

「一番最初に声掛けたのに、名前出るの最後ですかぁ……? まぁ、おはようございます」

 

 

 湯飲みに口をつけ、斜向かいの日向と朝の挨拶を。

 次いで、伊勢、明石にも視線を滑らせれば、爽やかな笑みが返ってくる。

 こうしていると、最初の頃を思い出す。

 まだロクな艦隊も組めずに、小さな卓袱台を、“あの子たち”と囲んでいた日々を。

 

 

(……女々しいな。自分で捨てた癖に)

 

 

 お茶から昇り立つ湯気に浮かんだ過去を、息で吹き消した。

 今は駄目だ。過去を羨んでは、ここに居る“みんな”を、侮辱する事になる。

 もっと自分という存在を大きくして、全部を背負えるようになって。許しを乞うのはそれからだ。

 

 

「お、お待たせしました……」

 

 

 密やかな決意を緑茶と共に飲みくだしていると、盆に載せられた和定食が、目の前に運ばれてきた。

 配膳してくれたのは、割烹着姿の疋田さんだ。他は香取が、同じように膳を配っている。

 しかし、疋田さんの頬は妙に赤く、視線はあっちこっちに行ったり来たり。

 これは……。間違いなく、さっきのを引きずっているのだろう。

 早めに訂正しておいた方が良いな、うん。

 

 

「どうも。……疋田さん、さっきの──」

 

「いえっ、大丈夫です! 私は何も見てませんから!」

 

「ですから、疋田さん? 先程から何度も言っていますように、私と提督は何も……」

 

「そうですね、何もないんですよね、分かってますよーハイハイ」

 

 

 弁明は食い気味な声に潰されてしまった。

 見兼ねたのか、香取も疋田さんに声を掛けるのだが、反応は変わらない。

 ううむ……。相変わらず、変な所で暴走気味な人だな。どうしたものだろう……?

 

 

「え。なになに? もしかして提督ってば、朝から香取秘書官を押し倒しちゃったとか?」

 

「おい伊勢。やめないか、朝っぱらから下世話な」

 

「何よー、日向だって気になるでしょー。ほらほら明石、一歩リードされちゃったかもよ? そこんトコどうなのさー?」

 

「あ、伊勢さん。お醤油取ってもらえます?」

 

「あれーガン無視されてるー!?」

 

 

 首をひねる自分を他所に、テンション高く騒ぎ立てる伊勢。

 日向がそれをいなし、明石はマイペースを崩さない。

 ショックを受けたっぽい反応の伊勢だが、「はいどうぞ」と醤油差しを渡す姿を見るに、ノーダメージのようだ。

 大袈裟に過ぎると思わないでもないけれど、この明るさは有り難い。正直、救われる。

 と、そんな風に和んでいた所、配膳を終えたらしい香取が、パン! と手を打つ。

 

 

「はい、そこまで! 皆々様、そろそろ朝食に致しましょう。提督、音頭をお願いします」

 

「分かった。……では、頂きます」

 

『頂きます!』

 

 

 秘書官らしい……と言うより、委員長っぽい香取の仕切りで、ようやっと朝餉の時間が始まった。

 まぁ、先に焼き魚へと醤油をかける明石のフライングもあったが、とにかく食事だ。

 ワカメと油揚げの味噌汁、焼いた魚の干物、出汁巻き卵、納豆、海苔、お新香、白いご飯。

 当番的には、香取と疋田さんの作であるはず。味は期待できるだろう。

 さっそく焼き魚を口に運ぶと、香ばしく焼けた匂いが鼻に抜けて、美味しさを演出してくれる。

 他のみんなも、それぞれに舌鼓を打っているようだった。

 

 

「提督、今日は──っん、新しく統制人格を励起するんですよね?」

 

「そのつもりだ。あの二人を呼べば戦隊を組める。急拵えではあるけど、作戦行動も可能になるし」

 

「桐林舞鶴部隊、本格始動という訳か」

 

「やっと実戦で瑞雲を飛ばせるのねー。柄にもなくウキウキしちゃう!」

 

 

 ご飯を飲み込む明石への返答ついでに、今後の行動方針を軽く確認する。

 現状、舞鶴に属する自分の統制人格は四名。明石、伊勢、日向、香取だ。

 しかし、まともな戦闘行動が可能な艦に限ると、航空戦艦である伊勢たちのみとなってしまう。

 軍艦が二隻以上揃えば一つの戦隊だが、二隻だけで作戦行動を遂行させるなんて、無茶もいい所である。

 そこで今回、陽炎型駆逐艦一隻と、甲標的を運用可能な水上機母艦を新たに励起。編成する事で、最低限の戦闘をこなせるだけの戦力を整えるのだ。

 じきに、史実では搭載する事の叶わなかった瑞雲を、思う存分飛ばせられるようになるとあって、航空戦艦二名の顔は気合いに満ちていた。

 

 彼女たちを頼もしく思うと同時に、自分はふと、別方向からの視線を感じ取る。

 真正面に座り、遠い目で何かを妄想していそうな疋田さんではない。

 その隣──日向の反対側に腰を下ろす香取が、こちらをジッと見ていた。

 

 

「どうした、香取」

 

「あ、いいえ。なんでもありません。お新香、如何でしょう? 少し、塩の配分を変えてみたのですが」

 

「……うん。美味いよ。ちょうどいい」

 

「では、次回からもこのように」

 

 

 たおやかに、香取は微笑む。

 完璧で美しいそれを、しかし、素直に受け止められない。

 彼女は何を誤魔化したのだろう。

 静謐な眼差しに込められていた感情は、一体どんなものなのか。

 気になりはしたが、この場で問い質そうとは思わなかった。

 真面目な彼女だ。

 重要な事であれば、いつかきっと話してくれるだろうと信じて、彼女の作った漬物を噛み締める。

 

 この時の自分は。

 それが正しいと、愚かにも思い込んでいたのである。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ○九○○。

 必要な申請を終え、励起予定の二隻が停泊する乾ドックへ向かった自分たち五人を出迎えたのは、実に予想外な人物だった。

 

 

「遅かったな」

 

 

 自分と同じ、黒の詰襟を着る偉丈夫。梁島 彪吾、提督。

 “両手”が腰の後ろで組まれていた。今日は義腕を着けているようだ。

 

 

「何故、こちらに」

 

「そろそろ舞鶴にも慣れた頃合いかと思ってな。様子を見に来た」

 

 

 一礼してから問い掛ければ、然も当然と彼が答える。

 額面通りに受け入れる事が出来ないのは、自分が疑り深いだけではないと思う。

 しかし、今この時に限って言えば、それはどうでも良い事だった。

 もっと気に掛かる存在が、梁島提督の遥か後方……。励起時の情報を観測する機器群の側にあったからだ。

 細かい調整をしているのだろう、長い黒髪を持つ、その少女は。

 横須賀で、長く自分を支えてくれた、書記さんに違いない。

 

 無事だった。

 明石同様、丸っきり情報が入ってこなかったが、忙しなく動く様子は健康そのものに見える。

 舞鶴事変で負傷した、という事しか教えられていなかったし、ようやく胸のつかえが取れた気分だ。

 主任さ──明石も同じ気持ちらしく、無言ではあっても、表情が「良かったぁ」という気持ちを物語っていた。

 というか、すぐさま走り出して飛びついたりしそうな、そんな雰囲気もある。

 

 

「桐林。明石。貴様たちに一つだけ言っておく事がある。

 あの娘は、横須賀での記憶を失っている。そのつもりで行動しろ」

 

 

 ──が、しかし。

 冷たく硬い声が、喜びに水を差す。文字通り、心に冷や水を浴びせられた。

 記憶を、失っている。

 忘れている。

 自分たちの事を?

 にわかには信じ難く、けれど、梁島提督の顔を見る限り、嘘ではないだろうと理性が判断して。

 それでも、口に出さずには居られなかったのだろう。

 明石が彼へと、うわ言のように問い掛けていた。

 

 

「う、嘘……。じゃあ書記さん、アタシや疋田さんの事を……」

 

「ああ。あの娘の中では桐林でなく、無名の能力者に仕えていた事になっているのだ。

 それに合わせ、自分自身で記憶を改竄している節が見受けられる。そこの……明石の前についてもな」

 

「そんな……。一体、どうしてっ?」

 

 

 叫び出したいであろうに、明石は書記さんに気付かれまいと、声を殺して詰め寄る。

 今にも泣き出しそうな少女を前にして、だが梁島提督は全く動じなかった。

 

 

「誰も彼もが、現実をそのまま受け入れられる、強靭な精神構造を持っている訳ではない。あの娘にとって、舞鶴事変は防衛機制を働かせるに値する事だったのだろうよ」

 

 

 防衛機制。

 様々なストレスから自己を守るために働く、心の作用。適応機制とも呼ばれる。

 だが、舞鶴事変においての、書記さんの立ち位置をほとんど知らない──疋田さん共々、助けに来てくれた事しか知らない自分には、どうにも信じられなかった。

 何かを隠しているんじゃないのか。

 彼自身に都合が良いよう、肝心な所をボカして、本心を誤魔化しているのでは。

 覚えてはいないけれど、一度殺されかけた身としては当然の疑念だと思う。

 それが視線として、言葉として現れるのを、止めようと思わなかった。

 

 

「随分と他人事ですね。いえ、実際に他人事なのでしょうけれど、彼女を預けなければならない身としては、不安になります」

 

「……否定はせん。なじりたければ好きにしろ。だが、下手にあの娘を刺激すれば、今度こそ壊れるぞ」

 

 

 露骨な皮肉に、端正な顔立ちが歪む。

 けれどそれは、見間違いかと思わせるほどの刹那に消え、またも冷徹に事実を突きつける。

 一体なんなんだ、この男。

 自分を殺そうとしたり、明石とあんな形で引き会わせたり、書記さんを気遣う素振りを見せたり。

 梁島 彪吾の根底に根ざす、行動理念と言うべきものが、見えて来なかった。全く理解できない。

 理解できないけれど、それは、今考えるべき事でもないのだろう。

 気掛かりだけど。心残りだけども、“提督”(のうりょくしゃ)として優先すべき事がある。

 そのために、自分は感情を奥歯で嚙み殺す。

 

 

「話は、それだけですか」

 

「ああ」

 

「では、励起作業を行いますので」

 

「うむ」

 

 

 目線を外し、自分は歩き出した。

 隣には明石が小走りに続き、沈黙を守っていた伊勢、日向、香取、疋田さんの四人も。

 艦首をこちらへ向ける二隻の間で、変わらず作業をしている小さな背中が見える。

 近く影に気付いたのか、作業をしていた手を止め、背筋を伸ばしていた。

 初めて会う高官を、出迎えるが如く。

 

 

「提督……。あの、アタシ……」

 

「自分は大丈夫だ。……今は堪えてくれるか、明石」

 

「……はい。頑張って、みます」

 

 

 軍服の肘をつまみ、酷く不安げな上目遣いを見せる明石へと、振り向かずに言う。

 彼女を知っている。

 顔を。名前を。誕生日を。好きな食べ物を。苦手な物を。

 でも、知らないふりをしなければ、彼女が壊れてしまうから。

 そうと知られぬよう、密かに深呼吸。

 目の前で、見慣れた少女が、馴染みの動作で頭を下げる頃には、強い自分をイメージ出来ていた。

 

 

「お初にお目に掛かります、桐林大佐。私は、梁島提督の元で秘書官をしておりま──」

 

「初めまして、秘書官殿。早速ですが、準備のほどは」

 

「──あ。は、はい。既に」

 

 

 名乗ろうとする声を遮り、一瞥しただけで彼女から顔を背ける。興味が無い、という体で。

 聡い少女だ。以降は、作業と記録に関する注意点だけを簡潔に伝え、機械の側で控えた。

 これで良い。優しくして傷付けるくらいなら、突き放して守る方が、良いに決まってる。

 

 記録機械の起動を待つ間、気不味いような、息苦しいような沈黙が広がった。

 それを嫌ったのだろう。香取が一歩前に進み出て、右手に見える船──駆逐艦を見上げ、その名と経歴を諳んじる。

 

 

「陽炎型駆逐艦。十三番艦、浜風。

 ミッドウェー、ガダルカナル島、ソロモン、マリアナ、シブヤン海、坊ノ岬……。

 様々な海戦を生き抜き、数々の軍艦の最後を看取りながら、数千に及ぶ人命を救助した艦ですね。

 何か、狙いがあって建造を?」

 

「いいや、特にない。明石に任せただけだ。……香取と違ってな」

 

「そう、なのですか」

 

 

 自分の返答に、香取はそれとなく眼を伏せる。

 何かを問い質したくて、けれど出来ずにいるような、焦れったいもどかしさ。

 上手く隠しているように見えても、自分にはそれが分かってしまう。

 可能なら、この場で気掛かりを解消してやりたかったが、自分が口を開く前に、梁島提督が記録機器の側へと。

 

 

「伊勢、日向は増震機の補助が足りないまま励起したと聞いた。同じ事は可能か」

 

「……おそらく」

 

「ならば、今度は増震機を使わずにやって見せろ。興味深い」

 

 

 有無を言わせぬ雰囲気で、彼は励起の指示を下す。

 特に断る理由も無いし、命令口調に思う所も無い。

 今までは機械の補助を受けながら励起を行っていたが、今の自分ならば、無しでも励起可能だという確信があった。

 香取への説明を後回しにして、自分は駆逐艦に向き直り、意識を集中する。

 

 いつも感じていた、空気の震えはない。

 第六感の発露を導く、陶酔するような感覚も。

 だが、その代わりを果たす“左眼”が、自分にはあった。

 

 右眼だけで駆逐艦を見る。

 なんの変哲も無い、ただの鉄の塊だ。

 今度は眼帯を外し、“左眼”で駆逐艦を──浜風を見る。

 途端、船体から光の粒子が立ち上り始め、自分の眼前へ集まって来た。

 本来ならば眼に見えず、観測すら不可能なものが、感知された事によって、存在を確立するように。

 

 

「来い、浜風」

 

 

 呼び掛けと共に、手の平を上にして右手を差し出す。

 光の粒子が、単なる集合体から人型へと変化する。

 自分よりも小さな、少女ほどの背丈に固まったそれが、同じように右手を差し出し……繋がれた。

 

 光が弾ける。

 一瞬の眩みが治ると、そこには美しい少女が顕現していた。

 見覚えのある、紺襟の白いセーラー服に、胸元の黄色いリボン。

 しかし、記憶にあるそれと違って、袖の長さは半袖であり、灰色のプリーツスカートが合わせられている。

 くすんだボブカットの銀髪。長い前髪の隙間から覗く、青い左眼と視線が重なった。

 

 

「駆逐艦、浜風です。これより、貴艦隊所属となります。どうぞよろしく」

 

「桐林だ。その名に恥じぬ活躍を期待する」

 

「はっ」

 

 

 繋いでいた右手を解き、黒いタイツに包まれた脚を揃え、彼女は淀みのない敬礼を。

 短い言葉のやり取りからも、その生真面目さが伺える。

 正直な話、卯月みたくエキセントリックな子として現れる可能性も危惧していたので、これは助かった。

 いや、卯月もアレはアレで楽しかったし、可愛いと思うのだが。

 それよりも、雪風はやっぱりスカート履いてなかったのだろうか……。妙に丈が短いと思ってたんだよなぁ……。

 

 

「浜風さん、我等が艦隊へようこそ。提督の秘書官を務めている練習巡洋艦、香取です。よろしくお願いしますね?」

 

「はい。こちらこそ」

 

「同じく、工作艦 明石です。浜風ちゃんの船体を建造したのはアタシなのよ? よろしく!」

 

「そうでしたか。今後とも、お世話になります」

 

「航空戦艦、伊勢よ。期待してるから、バンバン活躍しちゃってー」

 

「ありがとうございます。暖かく出迎えて頂けて、浜風、感激です」

 

「日向だ。私たちも、まだ呼ばれて日が浅い。肩肘張らず、気楽にやろう」

 

「……はい。助かります」

 

 

 励起が無事に終わり、さっそく浜風の側に仲間たちが集まり出す。

 挨拶を交わすに連れ、柔らかな笑顔が伝播していった。

 この分なら、艦隊に馴染むのも早いだろう。

 自分も輪に加わりたい気分だったが、しかし、そうも行かない。

 梁島提督が興味深そうに、切れ長の眼を細めていた。

 

 

「ふむ……。上出来だな。もう一隻も同様にやって見せろ。貴重なデータだ」

 

「……了解」

 

 

 顎で使われているようで、流石に面白くなかったけれど、それを表に出すほど子供ではない。

 踵を返し、次に励起する船──水上機母艦へ向かう。

 

 

「水上機母艦、瑞穂。

 系譜を同じくする水上機母艦 千歳と、第十一航空戦隊を編成していました。

 史実での戦果はさて置き、甲標的を正式運用可能な、数少ない艦ですね」

 

 

 程々の距離で立ち止まると、いつからそうしていたのか、三歩後ろで控えていた香取が、浜風の時と同じように経歴を呟く。

 航空戦艦二隻と、駆逐艦に水上機母艦。艦隊とはまだ呼べないが、これでようやく、通常任務を遂行可能な戦隊を組める。

 多数の瑞雲で上空を守りつつ、砲撃戦は戦艦に任せ、低い雷撃力は甲標的で補う、という感じだ。

 これから励起する瑞穂を要とする構成であり、自然と気合いも入ってしまう。

 けれど、自分は敢えて肩から力を抜いた。

 気負わず、焦らず。あるがままの“彼女”を見ようと心を落ち着かせ、また、“左眼”を開ける。

 

 

「来い。瑞穂」

 

 

 先程と同じように、“左眼”で捉えて、呼びかけながら右手を差し出す。

 立ち上る光の粒子も、人型に集うのも同じ。

 唯一違う点といえば、こちらへ差し出される人型の手が、左手だった事くらいか。

 

 また、光が弾ける。

 顕現したのは、長い黒髪を持つ、色白な少女だった。

 明るい黄緑色の和袴を、深緑の大きな前帯で結んでいる。

 それだけなら和風少女なのだが、上半身は白い洋装の出で立ちで、胸元や分割袖に細やかなレースが仕込まれていた。

 白と黄緑のドレスカラーには錨を模った首飾りが付き、横髪を纏める同色の当て布は、朱色の和紐で結ばれる。日本の美称を名前の由来とする割に、和洋折衷な装いだ。

 不思議と違和感を覚えないのは、未だ目蓋を伏せる彼女の顔立ちが、それを些細な事と思わせる美しさと、柔らかさを併せ持っているからだろう。

 ややあって、伏せられていた目蓋が開き、灰色の瞳が露わになった。

 

 

「水上機母艦、瑞穂。すっ──!?」

 

 

 ところが、彼女はこちらの姿を視界に収めた瞬間、ビクッと身体を硬直させ、形の良い眼を真ん丸に見開いた。

 重ねられていた左手が震え、心の動きを表すように彷徨う。

 

 

「……推参、致しました。ど、どうぞ、よろしくお願い、申し上げます……」

 

 

 奇妙な間を置いて、しどろもどろに頭を下げる瑞穂。

 なんだろう、この初めての反応。

 金剛に一目惚れされた時とは、違う気がする。

 かといって、曙みたいに初対面で「クソ提督!」と罵るのを我慢している、ようにも見えない。

 う~ん。あれこれ考えるより、聞いちゃった方が早いな。

 

 

「どうした? 気分でも悪いか」

 

「い、いえいえいえ、とんでも御座いませんわ。この瑞穂、粉骨砕身の覚悟で、お仕えさせて頂きます……。で、ですから……」

 

 

 見た目通りの淑やかな動きで、しかし瑞穂は強張った笑みを浮かべる。

 そんな顔をさせる心当たりがまるで無く、思わず眉間に皺を寄せてしまうのだが、その途端、また彼女は身体を打ち震わせ──

 

 

「あまり、苛めないで、頂けますか……?」

 

「は……?」

 

「あああ、申し訳御座いません! 鈍亀な上、菊の御紋を背負っておいて、真っ先に沈んだ私なんかが生意気な口をきいてしまいました……。どうか、どうか平に御容赦を……っ」

 

 

 ──と、恐ろしく遜りながら、腰を九十度に曲げたのだった。

 あ、そっか。怖がられてたんですか、自分。

 そりゃあそうだよ。顔の半分に生々しい傷痕があって、しかも左眼は明らかな異形で。気弱な人なら卒倒も止むなしだ。

 明石や香取たち……。身の回りにいる人が全く気にしていなかったものだから、すっかり忘れていた。いや、気を遣ってくれていたのだろう。

 うわー。仕方ないとは言え、地味に落ち込む……。

 

 

「瑞穂さん、瑞穂さん。あのね、提督ってば、顔は怖くなっちゃってるけど、実は凄く繊細な人だから、あんまり怖がらないであげてくれる? アタシは明石。よろしくねー」

 

「は、はい。どうぞよろしく……え? でも、全身から放たれる、その……。

 霊気(オーラ)のようなものが、とても加虐的な雰囲気を醸し出して……」

 

「あの、瑞穂さん。つい先ほど励起された私が言うのもアレですが、流石に偏見では? 確かにその、提督の御顔は……厳めしいですが」

 

「そ、そうですっ。例え、提督の御尊顔にどれだけの迫力があろうとも、心根はお優しい方です! ……きっと!」

 

「香取秘書官。残念だが、フォローとしては微妙だぞ」

 

「……っぷは!? あはははは! ご、ごめん提督、もう我慢できない! あは、あっははは! ひー!」

 

 

 明石、浜風、香取がフォローのような事をし、日向がツッコミを入れ、伊勢が腹を抱えて大笑い。

 なんと言うかもう、しっちゃかめっちゃかな雰囲気だ。

 というか、やっぱり浜風も怖いと思ってたのね。自分で消さない事を選んだんだし、自業自得だけど、うん、傷付くわぁ……。

 そんな自分たちを見て、クスクスと笑ってくれている書記さんが、唯一の慰めです。

 

 とまぁ、こんな事がありつつも、まだお仕事中な訳で。

 オッホン! という自分の咳払いを切っ掛けに、緩みきっていた空気が引き締まる。こういう時だけは強面が役に立つ。

 ……別に、怒ってはいませんけどね。ちょっと寂しいだけでさ。とりあえず眼帯は着けておこう。

 

 

「今後の予定だが、まずは香取。君を旗艦とした五隻で艦隊を組み、練習航海と演習を行う」

 

「はい。練習巡洋艦としての初仕事、しっかりと努めさせて頂きます」

 

 

 恭しく礼をする香取を筆頭に、今後の艦隊運用計画を、七人へと簡単に説明する。

 自信ありげな伊勢と日向。

 オドオドする瑞穂。

 直立不動な浜風。

 同じく姿勢を正す疋田さん。

 どことなく楽しそうな顔の明石。

 背後で作業しているはずの梁島提督と書記さんは、どんな風に自分を見ているのか。

 今は思考の外に置き、軍人としての“自分”を表に出す。

 

 

「確実に練度を上げたのち、旗艦は浜風へと移譲。

 伊勢、日向、瑞穂で四隻の戦隊を編成して、通常任務に当たる。留意して欲しい」

 

「私に、旗艦を? 香取さんは……」

 

「編成しない。艦隊戦には不向きだからな」

 

 

 驚いたのか、浜風は香取を見やる。

 視線を向けられる香取はといえば、戦力外通告にも等しい言葉を、粛々と受け止めていた。

 

 これは前々から話していた事だ。

 艦自体の戦闘能力で言えば、香取は瑞穂と互角……いや、香取に分があるだろう。

 けれど、それは瑞雲と甲標的の同時運用によって十分に補えるものであり、他艦との連携によって、総合的な戦力を著しく向上させられる。

 残念ながら、練習巡洋艦にそこまでの能力はない。出来て精々、対空機銃や爆雷投射機を増設し、固定砲台か対潜哨戒を可能とするくらいか。

 そして少なくとも、今の自分の艦隊に、練巡を戦力として数えなければならない任務は下されない。

 香取がどう思っていようと、これは決定事項なのだ。

 

 それを理解したのだろう。

 浜風が頷き、しかし今一度、伏目がちに口を開く。

 

 

「編成については理解しました。しかし、新参者の私が、皆さんを差し置いて旗艦というのは、やはり相応しくないのでは……」

 

 

 自信の無さ。いや、旗艦という責務への戸惑いを、彼女の表情が物語る。

 おそらく、戦史での経験を色濃く受け継ぎ、影響を与えているのだろう。

 だが、それでは困るのだ。

 過去がどうあれ、現在を生き抜くためには、強くあらねばならない。

 彼女だけでなく、自分自身も。

 

 

「新参か古参かなんて関係ない。旗艦に相応しくないと言うなら、相応しい存在になってもらう。……不服か」

 

「………………」

 

 

 固い決意を込め、浜風の瞳を見つめる。

 海の青さを湛えたそれは、しばしの間、思案するよう閉じられ──

 

 

「いいえ。ご期待に添えるよう、誠心誠意、努力致します!」

 

 

 ──凛々しい敬礼と共に、頼もしい眼差しが返された。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 数刻後。

 己以外の人影がない執務室にて、香取は西陽に照らされながら、書類の整理に勤しんでいた。

 

 

「これで準備は良し、と」

 

 

 専用に設けられた机で、ほう、と溜め息をつき、壁掛け時計に目を向ける。

 一六○○。

 つい先程まで一緒に居た桐林と浜風は、しばらく前、執務室を出て行った。

 今頃、密かに準備されていた歓迎会に、彼女が目を丸くしている事だろう。

 明石が率先して行っているこの歓迎会。香取の時にも催されたもので、豪華絢爛……とまではいかないものの、心の温まる催しだった。

 サプライズの為、香取は敢えて執務室に残り、後で合流するという手筈である。

 その空き時間を利用し、明日から行われる練習航海に向けた必要書類などを纏めていたのだが、もう終わってしまった。

 時間的にも頃合いなので、そろそろ腰を上げるべき、なのだけれど。

 

 

(浜風さん、随分と期待されていたわね)

 

 

 椅子の背もたれを軋ませ、つい、物思いに耽ってしまう香取。

 脳裏に浮かぶのは、背筋を伸ばして敬礼する、新たな仲間の姿だ。

 軍略において、駆逐艦が艦隊の旗艦を務める事は珍しくない。

 今回の場合は戦隊の旗艦であるが、極端な話、然るべき状況を見極めてさえいれば、どんな船が旗艦でも問題ないのである。

 潜水艦ともなると、流石に務まる状況は限られるが。

 

 香取は練習巡洋艦。練習航海や、演習における旗艦は務めても、実戦には赴かない。

 それが桐林の方針であり、異論を唱える余地などない。

 香取自身、己が艦としてどれだけの力を持っているのか、理解しているのだから。

 浜風へと旗艦を移す事に、不満はなかった。だが、他に考えてしまう事があるのだ。

 それは。

 

 

(“私”は、何の為に?)

 

 

 練習巡洋艦の香取ではなく、傀儡艦としての、香取の存在意義である。

 そも、練巡とは士官候補生を育成するため、彼らを乗せて海を行く船だ。

 海に慣れていない候補生たちを、一人前の軍人として成長させる場なのだ。

 しかし、この時代における軍人は才能に大きく由来し、船には乗らず、船を遠方から操る事に特化する。

 故に、普通の艦隊には練巡など存在しない。そんな船を励起した所で、無駄にしかならない。

 過去を遡ってみても、この、桐林が励起した香取以外に、練巡が能力者に使役された例は無かった。

 ならば、彼は何を思って、こんな船を励起したのだろうか。

 少なく見積もっても数億は下らない費用を費やし、練習巡洋艦を建造した理由は?

 

 今現在、香取が任されている仕事は、主に秘書官としての仕事のみ。

 統制人格にさせるよりも、普通の人間を雇った方が安く済む。

 信頼性といった意味でなら、命運を握られているという点で統制人格に分があるかも知れない。

 けれど、どうせ金をかけるなら、同じ金額を投じて人間を“調整”した方が、維持費という点で優れる。

 そんな事を可能とする技術力があると、香取は独自の調べで知っていた。

 一応、明日からは演習などの仕事が始まるけれど、それだって他の船が代行できる。

 

 詰まる所、練習巡洋艦を励起する理由が、全く見当たらないのだ。

 

 

(練習巡洋艦に、戦闘は求めない。なら、統制人格としての私に求められているのは、何?)

 

 

 染み一つない天井を見上げ、ひたすら香取は思考する。

 存在する理由を、意義を見つけようと。

 しかし結局、何も見つけられないまま、虚しく時間だけが過ぎ去っていく。

 

 

(やめましょう。きっと、提督には深い御考えがあるはず。私なんかでは思い至らない、御考えが……)

 

 

 かぶりを振り、香取は迷いを強引に振り払う。

 このままでは歓迎会に遅れる。一人だけ参加しないだなんて、あらぬ誤解も招いてしまうだろう。

 今はとにかく、執務室を出よう。出てしまえば、仕事のことで悩まずに済む。

 そう考え、席を立とうとした香取だったが、ポン、という軽い電子音が引き止める。

 埋め込み型のPCにメールの着信があったという知らせだ。

 生来の生真面目さからか、無視するという選択肢は香取にはなく、すっかり慣れた手付きで投射型スクリーンを立ち上げ、メールの内容を確認する。

 

 

「これは……」

 

 

 時候の挨拶で始まる、丁寧な文面のそれは。

 初めて名前を知る官僚からの、予定外の申し込みを伝えるものだった。

 

 

 




「……という訳で、香取姉は凄い人なんですっ。
 凄い人なんですけど、そのおかげで私は、あんまりお仕事でのアピールが出来なくて……。
 オマケに、日常生活でも妙に通じ合っているといいますか……。私、どうしたら良いんでしょう?」
「さ、さぁ……? 難しい問題です、よねぇ……(おっかしいなぁ。なんで恋愛相談に乗ってるんですか私。インタビューしてたはずなのに)」

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