新人提督と電の日々   作:七音

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異端の提督と舞鶴での日々 “キガン”の渾名・その三

 

 

 

(みんな、頑張ってる……。私がしっかりしなきゃ、みんなに迷惑が掛かっちゃう。ちゃんと、戦わなくちゃ!)

 

 

 ツェッペリンから雲龍攻撃隊の視覚情報を引き出し、そうとは知らず、重巡棲姫と同じ光景を見つめる照月が、密かに決意を固める。

 待つことしか出来ないのはもどかしいけれど、周辺の警戒も怠れないので、全く気を抜けない。

 そうこうする内、ツェッペリン本人の得る視覚情報に変化が現れた。

 彗星の遥か遠方。高速航路に乗っているらしい、異常な高速で進む四隻の影。

 

 

「見えた。敵 水雷戦隊を発見。これより攻撃態勢に入る。前進(Vorwärts)!」

 

 

 獲物の存在を嗅ぎ取り、臆する気色もなく機体を推し進める。

 腐っても二百五十kg爆弾。当たり所にもよるが、上手く使えば数を温存する事も可能だろう。腕の見せ所だ。

 と、微かに笑うツェッペリンに対し、桐林が割り込む。

 

 

『ツェッペリン、烈風を緊急発進。一四○○から敵 艦載機群が来る』

 

「――何っ!?」

 

 

 彼女の脳裏へ差し挟まれたのは、レーダーが得た情報を視覚化したもの。

 東にそびえる岩陰に紛れた、山椒魚のような外見の敵 空母――ヲ級 選良種の姿と、海面スレスレを疾走する、敵の爆装重視型航空機が見えた。

 

 

「どういう事だ。さっきまで影も形も……」

 

『高速航路で隆起岩礁の影を移動したか、新しく湧いたか。どちらにせよ対応は必要だ』

 

「了解した。全く、忙しいものだな……!」

 

『秋月、照月。対空戦闘用意』

 

《了解!》

 

《りょ、了解っ》

 

 

 ツェッペリンは予め用意していた戦闘機、烈風をカタパルトで撃ち出し、秋月型二名が凛々しく、躊躇いがちに主砲塔を稼働させる。

 予定外の敵増援だが、想定内ではある。十分、対処できるだろう。

 その傍ら。ビスマルクたちを追い越して、第一エリアに差し掛かった雲龍型攻撃隊も、敵機を捕捉した。

 

 

《こちら雲龍。間も無く空母棲鬼の艦載機群と接敵予定。例の新型が含まれている模様。留意して》

 

「新型? 確か、球状の航空機だったか」

 

《はい、そうですツェッペリンさん。とても機動が読み辛いので、複数機で当たらないと……》

 

《オマケに硬いのよねぇ……。キチンと狙わないと二十mm機銃でも弾くなんて、冗談じゃないわ》

 

 

 敵機の群れは、遠目に見てもそれと分かる球状をしていた。

 双胴棲姫戦で見られた仮称 飛行要塞を大幅に縮小したような外見で、ヒレを模した短い主翼を持ち、赤光揺らめく眼孔が穿たれている。

 通常の艦載機と七対三の割り合いで混ざっており、精鋭機であるという印象が強い。

 事実、眼孔や開口部を狙わねば、鏡面装甲が二十mmの銃弾を容易く弾いてしまう。やり辛い相手だ。

 

 そして、新たな脅威が続々と出現する中、ビスマルクも追い詰められていた。

 

 

《ぐぅ……! 当ててくるわねっ、攻撃する暇が無い……!》

 

 

 重巡棲姫の号令で本気を出したか、赤黒い霊子を纏ったル級とネ級の砲撃が、至近弾を連発。確実なダメージを蓄積させている。

 円を描くように回避行動を繰り返し、直撃弾を貰っていないのが奇跡に近い現状で、電気系統や計器にも不具合が出始めてた。いつ致命傷を負っても不思議ではない。

 瑞雲でル級たちに肉薄。注意を逸らそうと試みていた日向が、ビスマルクの劣勢を悟り歯噛みする。

 

 

《不味いな……。ビスマルクが保たないぞ》

 

《こりゃあ、こっちも二手に別れるしかなさそうね。敵 軽巡は私たちが始末するから、レーベとマックスはまずオイゲンちゃんを援護して。然るのちに――》

 

「いいえ、伊勢さん。わたしは大丈夫ですから、二人はお姉様の方へ!」

 

《何を言ってるのさ!? いくらオイゲンでも、多勢に無勢だよ!》

 

《そうですっ。むざむざ死なせるような真似、出来る訳がっ》

 

 

 隊を分けようと指示を出す伊勢に、敵 重巡と二対一で渡り合うオイゲンが口を挟む。

 ヤケになったのかと、レーベとマックスが悲痛な叫びを上げるも、彼女は朗らかに笑って。

 

 

「大丈夫。本当に危なくなったら提督が助けてくれる。あの人が後ろに居る限り、わたしは絶対に沈まない! ……信じて?」

 

 

 急速回頭。重巡二隻に反航戦を挑む姿からは、自暴するような気配は微塵も感じられない。

 無論、強がりも含まれての事だろうが、今は一分一秒が惜しい状況。レーベは信じて背を向ける。

 

 

《……うん。すぐに、ビスマルクと一緒に戻って来るから!》

 

《ご自身の発言には、責任を持って下さいね。嘘になったら承知しませんよ》

 

 

 後を追い、マックスも艦首を岩礁の隙間へ。

 当然のように、チ級 旗艦種を始めとする六隻の水雷戦隊が妨害しようとするが、立ち塞がるように伊勢、日向が砲撃。軽巡ホ級、駆逐ニ級を一隻ずつ仕留めた。

 引き換えとして、残る駆逐級二隻から直撃弾を受けたが、戦艦の装甲は破れない。

 

 

《悪いけど、ここから先は通行止めよ》

 

《どうしても通りたければ、押し通るといい。……通れるものなら、な》

 

 

 チ級 旗艦種、ヘ級選良種が、ニ級を伴い二手に分かれる。

 航空戦艦たちは、追いながら残していた瑞雲を全て発艦。少しでも早くオイゲンたちの増援に向かおうと、全力で叩くつもりなのだ。

 中継器でその様を感じているオイゲンも、決して無謀な行動は取らず、砲撃で牽制するに留めていた。

 

 

「まだ……。まだ提督に頼るのは早い。それまでは、生き延びるのが最優先……。あの戦いを切り抜けた、このプリンツ・オイゲンを、甘く見ないでね!」

 

 

 リ級、ネ級の攻撃タイミングを読み、先んじて砲撃。

 至近弾で無理やり照準を外させるという高等戦術を駆使し、オイゲンは継戦能力を遺憾無く発揮する。

 ドイツ海軍が展開した主要作戦の殆どに参加し、終戦までその身を維持できたのは、確かに幸運だった事も絡むだろうが、決して、幸運だけで生き延びた訳ではない。

 少なくとも、少女の身と成ってまで戦い続ける彼女に、道半ばで諦めるという選択肢は無かった。

 

 だが、奮闘するドイツ国籍艦たちの裏で、戦況は確実に傾き始めている。

 それが顕著なのは、阿賀野型率いる味方 水雷戦隊が逃げ惑う第二エリアだ。

 

 

「ううう、なんで当たらないのー! ……あいたっ!? お、お腹擦ったぁー!?」

 

《阿賀野姉、落ち着いて。あまり速度を出さず、慎重に行きましょう》

 

 

 自らの上をウロチョロする敵 水偵へと砲撃を加えつつ、ヘ級 旗艦種、イ級 選良種二隻の包囲から脱出を試みるが、狭過ぎる道筋が災いして、バルジを岩礁に擦ってしまう阿賀野。

 いつもの如くアワアワする姉に対し、能代は比較的冷静なまま対処しているが、やはり声音に焦燥が滲む。

 これが初めての戦闘でもなければ、追い詰められ、大破した経験だってある。

 しかし、命を賭けたやり取りに慣れるはずもなく、忍び寄る“死”の気配が、汗を握らせていた。

 複縦陣後方の三女・四女も同じはずなのだけれど、不意に矢矧は、酒匂がジッと空を見つめているのに気付く。

 

 

《酒匂、どうしたの? 砲撃が止まっているけど……》

 

《あ、うん……。なんだか、動き方にパターンがありそうな気がして……。もうちょっと見てて良い?》

 

《なるほどね。分かったわ、そのまま観察を続けて。夕雲、長波。そっちは問題ない?》

 

《あまり芳しくありません。お気付きですか? 先程から、段々と追い込まれているように感じます》

 

《ってか、かなりヤバいぜ。先回りされて魚雷でも撃たれてみろ、躱しきれん。タイミング合わせてドラム缶でも撒けば防げそうだが、あいにく持って来てないし……》

 

 

 膠着した戦況。何か一つでも突破口が欲しくて、矢矧は酒匂の行動を止めないが、危機は間近に迫っていた。

 複雑に入り組んだ岩礁壁の迷路を、零観から見下ろす事で、敵艦と鉢合わせしないよう進んでいる阿賀野たち。

 けれど、少し前から明らかに待ち伏せしたり、岩礁壁自体を攻撃して崩落させたりして、移動先を誘導されているようにも思えるのだ。

 もし、万が一にも丁字有利を取られ、その状態で雷撃された場合、彼女たちに逃げ場は無い。確実に、やられるだろう。

 

 

「提督さん……。阿賀野たち、大丈夫だよね……?」

 

『………………』

 

 

 敢えて悪い言い方をするなら、何も考えていないような気楽さが特徴の阿賀野ですら、不安から桐林を呼ぶ。

 彼は答えない。

 皆の行動が的確で、指示を出す必要が無いからだろうか。それとも……。

 視点は第四エリア。残った圧縮空気を全て使い果たし、十機の烈風を編成したツェッペリンに移る。

 

 

『ツェッペリン。攻撃隊をこちらで預かる。ヲ級との格闘戦に集中してくれ』

 

「それは、構わないが……」

 

『心配するな。あの程度ならば自分でも仕留められる。ヲ級の艦載機に抜かれる方が厄介だ。頼む』

 

「……了解。全機墜として置物にしてやるさ。秋月たちの出番は無いかも知れないな?」

 

《ふふ。ちょっと残念な気もしますが、その方が有り難いですね》

 

《が、頑張って下さい、グラーフさん!》

 

 

 急な申し出に戸惑うツェッペリンだったが、最後の一言に篤い信頼を感じ、強く頷き返す。

 航空支援部隊の間近へ迫るヲ級 艦載機群は、よくよく見れば艦戦型が混ざっていない。

 三十機対十機と、数の上ではかなり不利でも、彼女なら覆せると見込んでの指示だ。

 オマケに秋月たちの声援までつけば、心が奮い立とうものである。

 

 その一方、八機の彗星を預かった桐林は、奇妙な感覚を覚えていた。

 

 

(対空射撃がぬるい……。なんだ、この違和感)

 

 

 海面を撫でる様に飛行する彗星へと、単縦陣を形成する敵 水雷戦隊が機銃掃射するのだが、その密度が甘い。なおざりにも感じられる程だ。

 しかし好機は好機。桐林は彗星を二機ずつ、四つのグループに分け、その中で左右へわずかにズラしつつ、翼下の爆弾が縦に並ぶよう調節。右機体の左側爆弾と、左機体の右側爆弾の位置を重ねる。

 両側から二つのグループが敵側面に回り込み、微調整を繰り返し一度目の爆弾投下。間を置かず左右を入れ替え、同じく二度目。計二回の反跳爆撃を行う。

 十六発の爆弾は、水切りしながら敵艦へ。

 内、チ級 旗艦種に向けられた第一弾は運悪く迎撃され、海上で爆散したものの、他は第二弾も含め、全てが吸い込まれるよう命中した。

 ただでさえ、中型・小型艦艇には致命傷になり得る二百五十kg爆弾が、全く同じ箇所に集中したのだ。四隻から成る水雷戦隊は、無残な姿と成り果て、沈んでいく。

 

 

「軽巡ヘ級、軽巡ホ級、駆逐ハ級二隻。計四隻の撃破を確認。加えて報告。待機限界まで残り二十分です」

 

 

 栞奈が戦果を読み上げ、補助システムのタイムリミットも付け加える。

 桐林の“力”の根源たる左眼は、ただ開けているだけなら負担も少ないけれど、逆に言えば、ただ開けているだけで負担が掛かる代物。

 だからこそ制限を掛けられているのだが、戦いとは常に全力を出す側が勝つとは限らず、使い所が難しい。

 それに、彼を襲う違和感も、どんどん強くなっていた。

 

 

『おかしい……。“何か”が妙だ……』

 

「提督? 何か気掛かりな点があるのですか?」

 

『……分からん。皆、警戒を――』

 

 

 脳幹がスパークするような、微かな痛み。香取も怪訝な顔だ。

 虫の知らせや、第六感にも近いそれに従い、全速の彗星をヲ級に向かわせる桐林が、注意を促そうとしたその瞬間。

 

 

《バカメ……!》

 

 

 重巡棲姫の嘲りと共に、ヲ級から発艦した敵 艦爆が、赤黒い妖光を纏った。

 

 

「何っ!? 加速した!?」

 

 

 迎撃する予定だったツェッペリンの烈風を擦り抜け、艦爆は支援部隊を目指して進む。

 増速噴進器(Rocket Booster)でも使ったような速度に、流石の烈風も追いつけない。

 中継器から漏れる焦燥感が、標的となった雲龍たちにも伝わる。

 

 

《やられた……! このタイミングで霊子戦闘を……っ》

 

《このままでは、二分足らずで私たちの直上に来ますっ!》

 

《嘘でしょ!? 烈風を完全無視なんて……。提督っ》

 

『一機でもいい、艦戦を上げろ。秋月、照月!』

 

《はい! 照月、行くわよ!》

 

《うんっ》

 

 

 雲龍、天城、葛城の三人は、程なく始まるであろう装甲空母鬼との航空戦に備えつつ、予備艦戦の発艦準備に入った。

 もちろん、備え付けの対空兵装にも、無数の使役妖精が配置に着く。

 そして、それを守るように東北東へ急速展開する、二隻の乙型駆逐艦。

 一定の距離を保ち、腹を敵機に見せて並んだ秋月と照月が、空を睨んだ。

 

 ――来る。

 

 

《この秋月が健在な限り、やらせはしません!》

 

《ガンガン撃って! 長十cm砲ちゃん、頑張ってぇ!!》

 

 

 轟音。轟音。轟音。

 

 海面を低く飛ぶ機体に。

 高度を稼いでいた機体に。

 側面を回り込もうとする機体に。

 

 三連装機銃で弾幕を張り、単装機銃で追い込み、長十cm砲でトドメを刺す。

 最大で一四七○○mの高さまで届く砲弾は、敵機を蚊蜻蛉の如く撃ち落としていた。

 

 

「凄い……。主砲の命中率が八割を超えてる? これが、乙型駆逐艦の力……」

 

 

 信じ難い光景を目の当たりにした栞奈が、思わず呟く。

 相対速度。重力。回避運動。その他もろもろの要素が重なり、命中率が低くて当たり前の砲撃が、八割がた的中している。

 これだけでも驚くべき事だが、二つの高射装置による分火指揮は、時に二機を同時撃墜するという離れ業をすらやってのけた。

 三十機の編隊は見る間に数を減らし、残った六~七機が、隊列も維持できず逃げ惑う。

 

 

『ツェッペリン、彗星を返す。……仕留めろ』

 

「……! 心得た」

 

 

 知らず惚けていたツェッペリンは、桐林の声に意識を引き戻される。

 翼下の爆弾を投下し終え、空気抵抗を減じた彗星が、ヲ級を眼下に捉えていた。

 早速、汚名返上の機会を与えてくれるらしい。

 転進して敵機を追ったり、ヲ級の予備機を警戒していた烈風を維持したまま、八機の彗星二二型が制御下に加わる。

 ヲ級はその場から離れようとしている。追加の艦載機を上げないのは何故だろう。沸くように出現した代償として、搭載数を減らしているのか。あるいは油断を誘うためか。はたまた……。

 いや、考えていても仕方ない。この機を逃す手は無いのだから。

 

 

「出し抜いたつもりだろうが……。我らを甘く見たな。報いを受けるがいい!」

 

 

 出来るだけ高度を稼ぐツェッペリン。

 一般的に単縦陣を組む爆撃隊だが、彼女は八機全てを分散させ、ヲ級を大きな八角形で囲む。

 爆弾倉の扉を胴体内側へ畳み、一機、また一機と、失速したかの様に降下を始める彗星。

 深海棲艦の中でも比較的鈍足なヲ級は、多方向からの急降下爆撃を力場障壁で防ごうと試みた。

 規則正しいタイルパターンに、桐林もかくやという正確さで、二百五十kg爆弾が一点に集中。

 一発目、二発目までは受け止めたが、三発目でついに崩壊し、続く四~六発の直撃を受け、一瞬のうちに炎で捲かれる。

 

 

「敵空母撃破! ッハハ、痛快だな!」

 

 

 海面スレスレで、彗星を復原させ、ツェッペリンが歓声を上げた。

 八機のうち二機の爆弾を残し、敵艦を完膚無きまでに叩きのめす。

 史実で未成艦だった彼女にとって、これが正真正銘、最初の戦果となる。この喜びようも無理はない。

 秋月、照月の乙型姉妹はと言えば、しっかり役目を果たした安堵に、ホッと胸を撫で下ろして。

 

 

《ふぅ……。どうにかなりましたね》

 

『まだ気を抜くな。照月、現在状況は』

 

《はい。敵 航空機隊は、ほぼ撃退。こちらの損害は皆無です。ちゃんと出来たよね? 長十cm砲ちゃん! ……あれ?》

 

 

 ダンディなディフォルメ体を褒めつつ、再び航空戦へ備える雲龍たちに代わって照月が報告する。

 五分も掛けず、三十機の編隊を壊滅状態に追い込んだにしては、お気楽な雰囲気が漂っていた。

 けれど、唐突に気付く。追いついたツェッペリンの烈風から逃げようとする敵 艦爆が、ガクン、と失速したのだ。

 恐らく制御者を喪ったからだろうが、その予想落下地点は……照月たちの上。

 

 

《あわわ、あ、秋月姉! 敵の飛行機が墜ちてくる!? 避けて避けてぇー!》

 

『……機関一杯。回避行動』

 

《は、はい。これは、ちょっと予想外です》

 

 

 期せずして、特攻を受ける形となった二隻が縦に並び、落下地点から離れようとスクリューを急速回転させた。

 誰にも制御されていないはずなのに、敵機は彼女たちを追うように次々と墜落。抱えたままの爆弾が衝撃で炸裂する。

 航空燃料へと引火したようで、海面が炎に揺らぐ。

 秋月の右舷間近に四機目が墜ちると、ようやく落着範囲からの脱出は完了し、今度こそ一安心と、二人は大きく溜め息をついた。

 

 ――暴音。

 

 

《きゃ!?》

 

 

 突然の衝撃に、秋月は膝をつく。

 一瞬遅れ、舞い上がった海水が雨となり降り注いだ。

 艦爆の爆弾が? それにしては衝撃が大きい。水柱の上がり方も違う。

 もっと大きく、威力のある物が炸裂したような。

 

 

《ば、爆弾……? 違う、これは……雷撃! 司令!?》

 

 

 ゾクリ、と背筋に走った悪寒が、秋月を叫ばせる。

 刹那、桐林は着艦の為に戻る彗星から視界情報を取得。“左眼”で情報を精査した。

 実時間にして僅かコンマ二秒ほど。秋月の右舷、およそ一・五kmの場所で、海面から突き出る頭が。

 異様に長い黒髪を身体に巻き付け、口元をガスマスクのような物で隠す女。その下には、百mはあろう船影も見える。

 

 深海棲艦、潜水カ級、選良種。

 海中のスナイパーと呼ぶべき存在が、そこに居た。

 先ほどの雷撃。運良く墜落する敵 艦爆が割り込まねば、秋月は沈んでいただろう。

 

 

『潜水艦……。無闇な吶喊はこれを隠す為か……!』

 

《せ、潜水艦って、こんな状況で!? た、退避……ううん、対潜警戒……ど、どうしたら……! ひゃうっ》

 

 

 まさかの伏兵に照月は狼狽し、アワアワと周囲を見回す。

 ヒュー、という墜落音。

 爆発。炸裂。炎上。

 艦尾近くにまた墜落。爆散した。

 

 

《はぁ……。はぁ……。っう、は……》

 

 

 冷や汗が止まらない。動悸は激しく、呼吸も乱れて。

 急転する状況で思考能力が落ち、ただただ、視線を海面へ滑らせる。

 離れた場所で、最後の敵機たちが同時に墜落。黒煙が上がった。

 何も。何も見えない。

 混乱が彼女の眼を塞いでいるのだ。

 

 

《照月、左ぃ!!》

 

《――え?》

 

 

 いきなり、秋月が悲鳴を上げた。

 彼女は艦橋から飛び降り、左舷を艦尾へ走り出す。

 反射的に示された方向を見れば、やっと混乱から醒めた瞳が、影を捉える。

 波間で揺らぎ、やけに浅い位置を進む、細長い二つの影。

 先のカ級とは別の個体が放ったのだろう、魚雷が二射線。直撃コースだ。

 

 

(……あ。間に合わない。当たっちゃう)

 

 

 己が運命を理解した瞬間、照月の世界は、時の流れを緩くした。

 沈みゆく敵 航空機の残骸。

 浮力のバランスが取れたか、浮かんだままの機体から上がる黒煙。

 仲間たちの息を飲む気配。

 それら全てを感じながら、彼女は肩を落とす。

 

 

(照月、また沈むのかぁ……。早かった、なぁ……)

 

 

 脱力していた。

 もう無理だと、諦めていた。

 機関を一杯にしても、逃げられない。

 この船体に、魚雷の直撃を耐える防御力は無い。

 一巻の終わり。

 未練は尽きないが、どうしようもないのだ。

 

 照月が瞼を閉じる。

 硬直する長十cm砲たちに手を添え、その時を待つ。

 

 果たしてそれは、爆音を伴って――――――ふざけるな。

 

 

(え。今の……提督?)

 

 

 暴音が発生する、ほんの一瞬前に、声が聞こえた。

 怒りにも感じられる激情を伴い、照月の脳内で反響している。

 気付けば彼女は、紅い光の膜で包まれていた。

 被雷による衝撃が、ない。

 

 

《何、これ……。凄く眩しくて、熱い光……》

 

 

 困惑しながら、照月は手を伸ばす。

 触れられるはずもないが、陽光とは違う熱が、細い身体を抱いている。

 また声が聞こえた。

 

 誰も死なせない。

 誰も犠牲になどしない。

 もう、誰一人として喪うものか。

 “俺”の眼が届く所では、絶対に。

 死なせたりなんか、して堪るか!

 

 声音も、温度も、一人称すら違う。

 けれど確かに、それは桐林の声だった。

 

 

「これ、は……Admiralの……? う……っ」

 

 

 彼の声は照月だけでなく、中継器を載せるツェッペリンにも届いていた。

 思わず、胸を押さえてしまう。

 そうさせるほどの熱量が、唐突に生まれたのだ。

 

 鋼のように堅い決意。

 悲しくも真っ直ぐな誓い。

 鉄面皮で冷淡としか思えなかった男が、一皮剥けば、途方も無い情熱を滾らせている。

 

 身体が熱くて、堪らない。

 

 

『全艦、霊子戦闘を開始せよ。……反撃だ』

 

 

 その声の主は、変わらず冷静さを保ち、しかし微かに声を震わせた。

 逆襲の合図が、少女たちへ伝播する――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 まず最初に応えたのは、ツェッペリンと同じ熱さを胸に感じる、雲龍型の三人だった。

 

 

「あまり、この“力”には頼りたくなかったのだけど……。こうなったからには仕方ない。二人共、合わせるわよ」

 

「はいっ、雲龍姉様!」

 

「全くもう、本当に過保護なんだからっ」

 

 

 左眼に紅い光を燻らせ、姉妹は一本下駄の音を重ねる。

 艦戦の緊急発艦を中止し、攻撃隊の制御へと没入する為、舞うは神楽。

 雲龍が旗竿を手に反閇(へんばい)――足踏みによる邪気払いを織り交ぜ、天城が神楽鈴を鳴らし、葛城が梓弓の鳴弦で拍子を刻む。

 神楽殿で隣り合っている訳でもないのに、彼女たちの呼吸は完璧に一致していた。

 第一攻撃隊。烈風三十機、流星改二十七機の制御権が三姉妹で共有される。

 

 舞い踊る最中、雲龍は幻視した。

 装甲空母鬼の艦載機群と向き合う、紅に染まる烈風と流星改たちを。

 

 

「逃がさないわ」

 

 

 先行する烈風に対し、装甲空母鬼は球状艦載機を押し出す。

 数にして三十 対 四十五。

 劣勢を強いられるはずが、展開されたのは互角以上の格闘戦だった。

 

 絡み合うように擦れ違い、銃弾を浴びせる。

 三機に背後を取られた烈風は、けれど慌てることなく旋回回避に専念。注意を引きつけ、その前方から回り込んだ別の烈風が、敵機の開口部へ二十mm機銃を叩き込む。

 最後の一瞬で囮は落とされるも、引き換えに三機全てを墜落せしめた。

 機動戦以外にも、桐林から供給される霊子を機銃へ集中。増大した攻撃力で真正面から撃ち破ったり、集中砲火を受け、あわや撃墜という所を霊子障壁で防ぎ、反撃に移ったり。

 常識では考えられない戦い方を、雲龍の匠な制御が実現していた。

 

 しかし、残る通常型の敵機は百近くが抜けてしまう。

 流星改がまだ後方に残っているが、魚雷や爆弾を抱えたまま迎撃は不可能。

 ビスマルクたちに危機が迫る。

 それを踏まえても、艦攻を手繰る二人に焦りは無い。

 

 

「天城が参ります!」

 

「改飛龍型の本当の“力”、その身に焼き付けなさい!」

 

 

 流星改を、九機ずつ三つの編隊に分けて制御する天城と葛城は、大きく敵機を避けて下降。装甲空母鬼に機体を向かわせる。

 気付いた敵機の一部が追い縋るものの、紅い光芒を引く機体が、一時的に時速八百kmを超えるほどに加速し、瞬く間に目標へ。

 一旦、速度を落として航空魚雷を切り離したのち、また急加速した流星改は、正面から一編隊、両側面から二編隊が、不規則なタイルパターンを張る装甲空母鬼に襲い掛かった。

 

 両側面の二編隊は直ぐさま反跳爆撃を行い、当たりさえすれば良いと言わんばかりに爆弾を放つ。

 正面の編隊は急上昇。ほんの数秒で爆撃の高度を稼ぎ、宙返り。ほぼ垂直に落下しつつ、六十kg爆弾をバラ撒く。

 二十七機から四発ずつ。総数一百八発の多重爆撃に、力場障壁が砕かれる。そこへ漏れなく航空魚雷が殺到、炸裂。

 流石の装甲空母鬼も耐え切れず、文字通りの木っ端微塵と成り果てる。制御を失った敵機が、木の葉のように墜ち始めた。

 

 

「なるほど……。あの時の言葉は、こういう意味だったのだな。“公子”よ……」

 

 

 雲龍たちが装甲空母鬼を破る裏で、ようやくツェッペリンも立ち直る。

 未だ胸を焦がす彼の激情は、心を貫くと表現して不足ない。

 耳で聞いただけなら、きっと信じられなかっただろう。普段の言動からして有り得ないから。

 けれど、直接に感じた。この心で確かめた。これ程まで、彼は統制人格を想っていると。

 ああ、確かに。これは効く。

 

 左眼に光を宿しながら、ツェッペリンは己に出来ることを探る。

 最も憂慮すべき事柄……。逃げようとしている二隻の潜水級。位置は見失っていない。

 が、直ぐに使える機体は彗星が二機のみ。爆装も二百五十kg爆弾が一発ずつあるだけ。

 つまり、一発必中の精度で対潜攻撃を行わねばならない。

 出来るだろうか。

 

 

(……ふっ。なんだ、その程度)

 

 

 知らず、笑みが浮かんだ。

 爆弾が二発しかない? それで十分ではないか。

 確実に当てられるか? 当てられるに決まっている。

 何故なら。

 

 ――私は、彼の船(Graf Zeppelin)なのだから。

 

 

「肝を冷やしてくれた礼だ。取って置くが良い!」

 

 

 彗星を潜水カ級それぞれへと向かわせ、急速潜行するのを追い掛けるように、急降下爆撃が敢行される。

 遅延信管であるため、海中に没して数秒で爆発するはずだが、想定される有効危害半径を、既にカ級は脱していた。

 しかし、機体から紅い光を纏って切り離されたそれは、焼けた鉄杭でバターを刺すが如く、滑らかに海中を突き進み、カ級を叩き折る。直撃だ。

 海上に音は殆ど届かない。一瞬の閃光と、微かに盛り上がる海面だけが、カ級の最後を示す。

 圧倒的。

 いとも容易く窮地がひっくり返され、秋月は身を震わせる。

 

 

「やっぱり、凄い……。これが、司令の本当の“力”……」

 

 

 話には聞いていたし、映像を見てもいたが、今までの出撃は通常任務だけだったため、目にするのは初めてだった。

 魚雷の直撃をもいなす力場障壁。

 武装に纏化(てんか)すれば威力・貫通力・直進性などを向上させ、航空機そのものに纏化すれば、生き物のような格闘性能を発揮させ、機動性も著しく上がる。

 演劇におけるデウス・エクス・マキナ。

 物語を強制的に終わらせる為の、機械仕掛けの神にも通じる万能さ。寒気がするほどだった。

 その傍らで、照月はまだ呆然とし続けている。

 

 

「……生き、てる」

 

 

 へたり込む身体を襲うのは、撃沈を免れた事による虚脱。

 死ぬ所だった。いや、完全に死ぬつもりだった。

 それが運命だと受け入れて。そんなものだと、諦めて。

 でも、あの声が。ふざけるな、と憤る声が、耳から離れない。

 耳から脳幹を通り、胸と心臓を通じ、全身へ行き渡る熱さ。

 

 手が震えている。

 目の奥がジンとする。

 生きている事が、実感できる。

 

 長十cm砲のディフォルメ体を、包み込むように抱き締めながら。

 照月は、己の鼓動を確かめた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 雲龍が覚悟を決めたのと同刻。

 中継器を載せた阿賀野から漏れ伝う声を聞き、矢矧は悲しく眼を伏せた。

 

 

「提督……。そうよね。貴方は、そういう人なのよね……」

 

 

 吐息に紛れてしまう呟きは、想い出を懐かしむようでいて、自分たちの不甲斐無さを悔やんでいるようにも見える。

 彼女を始めとして、水雷戦隊の誰もが、沈痛な面持ちで立ち竦んでいた。

 けれど、阿賀野はおもむろに顔を上げる。

 最も強く、最も近くに彼を感じる少女が、固い決意を以って。

 

 

「みんな、聞いてー! あの“力”を使えば楽勝で勝てるけど、わたしたちは、わたしたちの“力”だけで戦おう!」

 

「阿賀野姉……。そうねっ。少しでも提督の負担を減らしましょう!」

 

「酒匂も能代ちゃんと同意見! 夕雲ちゃん、偵察機さえ落とせばなんとかなる?」

 

「はい。上からの視界さえ無ければ、どうにかなるはず……。いいえ、して見せます。ねぇ、長波さん」

 

「当ったり前ぇ! いい加減、撃たれっ放しってのも癪だしなっ」

 

 

 拳を握り、はたまた振り上げ。

 微笑みは嫋やかに、そして強かに。

 少女たちが勇ましく、己を奮い立たせる。

 皆の足手まといとならぬよう、精一杯。

 

 

「まずはぁ……。身の回りに注意しつつ、空で追いかけっこ! 阿賀野の本領……じゃないけど、とにかく頑張るんだから!」

 

 

 念話で周知された作戦を元に、阿賀野型姉妹の四人が、周辺情報の把握だけに使っていた零観を、敵偵察機へと差し向ける。

 武装は、機首に据えられた二挺の七・七mm機銃のみ。航空戦では豆鉄砲に等しいけれど、ヘ級の制御する偵察機にとっては有効だった。

 突如として格闘戦を仕掛けられ、敵機は退避行動を取る。

 しかし、一対四では如何ともし難いようで、左に大きく旋回しつつ、逃げ回るのが精一杯のようだ。

 それに合わせ、ヘ級、イ級の動きは鈍くなり、阿賀野たちも次に備えて動きを止めていた。

 敵機を背後から二機で追い掛け、一機が上を、一機が右を抑える。やがて、敵機は徐々に高度を下げながら、また大きく左へと旋回し――

 

 

「みんな、今だよ!」

 

 

 ――追い込まれているとも気付かず、水雷戦隊の真上を通るルートに出た。

 酒匂の合図で、六隻が一気に対空砲火を浴びせる。

 十五・二cm連装砲、十二基二十四門。八cm連装高角砲、八基十六門。十二・七cm連装砲、六基十二門。二十五mm機関銃はそれこそ無数。

 たった一機にこれだけの砲火をくべれば、命運など尽きたも同然である。

 程なく、敵偵察機は能代の高角砲が放った砲弾に貫かれ、爆散した。

 

 

「よし、仕留めた!」

 

「やったー! 能代、やっるー」

 

「さぁ、次よっ。散開っ!」

 

 

 敵の眼を奪った事で行動し易くなった六隻は、今度は矢矧の号令で隊を分ける。

 丁度、十字路のようになった所で、阿賀野と能代、矢矧と酒匂、夕雲と長波の三組が、それぞれ別の道を行く。

 敵艦も危機を感じ取ったか、すぐ近くに居たイ級同士が、縦に並んだ組を作り、ヘ級との合流を計ろうとしている。

 零観でその一部始終を把握していた阿賀野型姉妹は、進行方向を塞ぐよう、岩礁を砲撃で崩したり、丁字路の一辺に陣取ってまた砲撃、逃げる方向を誘導する。

 先程までやられていた事の意趣返しだ。もちろん、ヘ級の牽制も忘れない。

 

 ややあって、イ級二隻が異様に細長い一本道へ入った。

 両脇の岩礁は、駆逐艦程度の高さならギリギリ隠すものの、他と比べると低めだ。

 イ級たちは気付いていない。岩礁を挟んだ脇道で、夕雲と長波が並走しようとしているのを。

 

 

「御誂え向きの場所に逃げてくれんじゃない? そのまま、そのまま……」

 

 

 長波が後部甲板、第二砲塔の上で舌舐めずりし、忙しなく動く使役妖精たちを待つ。

 秋月型を参考に、少々無理やり増設した二基の九四式爆雷投射機。通称、Y砲。

 そして、彼女の足元に転がった、一抱えはあるドラム缶――太い鎖で雁字搦めになった、三つの二式爆雷。

 時限信管を設定するため、手の平サイズの少女たちが、あくせくと蠢いている。

 

 

「長波さん、やるわよ!」

 

「おう! 嵐直伝っ」

 

 

 ここ、というタイミングを見計らい、同じく第二砲塔の上の夕雲が、鎖の端を持つ。

 敵艦との距離。射出速度などから設定秒数を割り出し、三つ纏めた方は長めに。

 三つ合わせて四百八十kgもの爆雷を、二人はハンマー投げの要領で振り回して、数秒。

 遠心力が最大になった所で――

 

 

「爆雷直投げぇ……」「アターック、ってな!」

 

 

 ――山なりにブン投げる。

 二基のY砲からも、五十度の射角で交互に爆雷が投射され、夕雲のそれは前方の、長波は後方の駆逐イ級へ。

 二・五秒間隔で降り注ぐ爆雷の雨は、命中精度こそ低いものの、百kgの炸薬が至近距離で爆発し、岩肌のような船体を殴り続ける。

 加えて、両舷から文字通り投げ込まれた一塊の爆雷二組が、それぞれが目標とする敵艦の、魚雷発射管と思しき部位近くへと落着。僅かな間を置いて、大爆発を引き起こす。

 何が起きたのかも分からぬまま、イ級たちは真っ二つとなって轟沈した。

 

 

「うっし! ザマァみさらせ!」

 

「案外いけますね、この攻撃。超至近距離でしか使えないのは難点ですけど」

 

 

 長波は拳をかざしてガッツポーズ、夕雲は薄っすら汗ばんだ額を袖で拭い、自らの戦果に頷く。

 この戦法、陽炎型駆逐艦、十六番艦の嵐が、停船した英国籍タンカーに向けて爆雷を投射。砲撃で開いた穴へと放り込み、撃沈した逸話によるものだ。

 彼女も桐林艦隊に属しているが、詳しく語るのは別の機会としよう。

 

 

「よぉ~し。あとは阿賀野たちで片付けちゃおー! 行っくよー!」

 

「阿賀野姉、勢いに乗るのは良いけど、調子に乗るのはダメだからね?」

 

「軽巡ヘ級 旗艦種……。少し物足りない相手かしら。でも、能代姉の言う通り、油断大敵か。気を引き締めて行きましょう」

 

 

 残存する敵勢力は、軽巡ヘ級 旗艦種が一隻のみ。

 余程の不運がない限り負けないだろうけれど、戦いは水物。合流した四姉妹が、決意も新たに前進する。

 その最後尾で、酒匂はふと、鎮守府がある方向を振り返った。

 

 

(司令……。大丈夫、だよね? “あの時”みたいな無理、してないよね?)

 

 

 頭をよぎる、過去の記憶。

 爆撃。炎。遠い痛み。

 キュウ、と胸が締め付けられる。

 しかし彼女は首を振り、強い気持ちで前を向く。

 あの日に交わした約束を。無用な心配だと言い切った、彼の言葉を。

 心の中で繰り返しながら。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 時間を巻き戻し、残るは第三エリアのオイゲンたち。

 彼の声を聞いた瞬間、後方から追われる彼女の左眼に、燃えるような光が宿った。

 

 

「来た……。Admiralさんの“力”! 一気に決める!」

 

 

 雲龍たちと違い、全身から紅い光を噴出させ、オイゲンが全砲塔を右舷へ向ける。

 艦自体も右に急速回頭。複縦陣を組んでいた二隻――左側の重巡ネ級、右側の重巡リ級も、当然それに応じた。

 ネ級は回り込むために直進。リ級は同方向へと回頭したが……。

 

 

グラーツ(Graz)ブラウナウ(Braunau)!」

 

 

 彼女は回頭を続けながら左手をかざし、第一砲塔、第二砲塔を稼働させていた。

 オーストリア地方都市の名を付けられた砲塔が、リ級に二十・三cmの砲弾を吐き出す。

 回頭中という事もあり、四発の砲弾はリ級から少し上へ逸れた軌道を描く。

 ところが、かざした左手を握った途端、四つの影たちが紅い光を纏い、軌道を変える。

 結果、リ級は直撃弾で側面装甲を破られ、黒煙に捲かれた。

 

 次なる標的はネ級。

 その砲撃による至近弾を力場障壁で殺しつつ、回頭を続けるオイゲン。

 砲塔は旋回させず、波の上下を砲身の仰角調整で無効化しながら、狙うは一瞬。

 速度を上げるネ級と、後部主砲の射線が重なる、その刹那。

 

 

インスブルック(Innsbruck)ウィーン(Wien)!」

 

 

 第三、第四砲塔が火を吹いた。

 始めから紅い光を浴びて押し出された砲弾は、狙い違わずネ級へと向かう。

 素人目にも分かる直撃コース。リ級と比べればかなり分厚い側面装甲が、まるで紙のように貫かれる。

 轟音。

 弾薬庫にでも引火したか、ネ級はリ級よりも早く沈んでいった。

 それを確認し、オイゲンがまた回頭。無言でビスマルクの支援へと。

 上空から瑞雲で見守っていた日向、伊勢は、彼女の無双ぶりに目を見張る。

 

 

「新鋭含む重巡二隻を秒殺、か」

 

「相変わらずトンでもないわねー、霊子展開状態のオイゲンちゃん」

 

「我々も向かおう。ビスマルクから敵を完全に引き剥がす」

 

「りょーかいっ」

 

 

 オイゲンに続き、この二人も艦首をビスマルクが居るエリアへ。

 レーベたちを送り出すために戦っていた、軽巡チ級 旗艦種、同ヘ級 選良種、駆逐ニ級二隻の姿は、もうない。

 瑞雲の爆装を使い切る代わりとして、退場願ったのである。

 制御が煩雑となるので、着弾観測用の数機以外は着水させ、後でクレーンを使い回収――俗に言うトンボ釣りをするつもりで放置。ハンカチを振る使役妖精の応援を背に、二隻の航空戦艦は加速した。

 そして、彼女らに送り出された駆逐艦たちも。

 

 

「……ねぇ、マックス。感じた?」

 

「ええ。微かにだけれど、感じたわ」

 

 

 灯った火を確かめるように、レーベとマックスは胸に手を当てる。

 微かな……。波音にも掻き消されそうな声だったが、それは確かに届いていた。

 

 

「意外だよね。あんなに熱い人だったなんて」

 

「そうね……。でも」

 

「応えなきゃ、ね」

 

「もちろん」

 

 

 隣り合って進む二人が、指先ほどの互いを見つめ、頷き合う。

 長く共に戦ってきたけれど、ようやく、彼という人物の一端に触れた気がする。

 勘違い。気のせい。そう言われれば、そうかも知れない。

 だが今は。胸に小さな火が灯っている間だけでも、信じていたい。

 二人は行く。未だ危機的状況に陥る仲間を、救い出すため。

 

 

《オノレェ……ッ! “オモチャ”ノ ブンザイ デェ……!》

 

 

 恐ろしい勢いで戦の天秤が傾き、傍観していた重巡棲姫が髪を逆立てる。

 この時点で、装甲空母鬼を流星改が滅多打ちにしており、まともに戦える戦力は、ビスマルクと同航戦で戦うネ級 選良種、ル級 選良種二隻のみ。陣形は単縦陣だ。

 焦りを覚えたのだろう、重巡棲姫は速度を第五戦速――三十ノットまで上げ、岩礁を砕氷船の如く砕きながら、第三エリアへと割り込む。

 アラドの視界でそれを確認したビスマルクが、敵艦に追われて尚、不敵な笑みを。

 

 

「あら。今さら焦り始めたの? ……遅過ぎるわ。何もかも!」

 

 

 ここで、待機していた雲龍たちの第二攻撃隊と、駆けつけたレーベたちが動く。

 

 まずは第二攻撃隊の流星改二十一機。

 十二機と九機の編隊に分かれ、前者がネ級たち、後者が重巡棲姫へ向かった。

 水平爆撃でビスマルクから引き剥がし、合流を阻止。然るのちに雷撃を行う予定なのだ。

 目論見通り、力場障壁の消耗を厭うネ級たちは距離を取るが、しかし、重巡棲姫は気にも留めない。

 瓦礫の山としか見えなかった上部構造から、丸みを帯びた白い主砲塔を二基“だけ”出現させ、対空射撃で流星改を出迎える。

 ネ級たちのそれが大した脅威でないのと反比例するように、重巡棲姫の砲は尋常ではない精度で、流星改を瞬く間に落としていく。発射間隔が長いのが唯一の救いか。

 加えて、ヒレが二重になった球状艦載機――専用の偵察機と思しき機体を、どこからか射出していた。

 

 一先ずビスマルクは窮地から脱し、レーベ、マックスもそこへ辿り着く。

 敵艦三隻に対して、後方から丁字有利を得る形で接近した二人は、挨拶代わりに雷撃を敢行。

 霊子によって雷速を上げた十六射線が、最後尾を行くル級の一隻を捉え、轟音と共に脱落させた。

 もうじきオイゲンと伊勢、日向もやって来る。

 そうなれば真に形勢逆転となるが……。

 

 

『ビスマルク。“………………”、行けるか』

 

「っ!? ちょ、正気?」

 

『正気だ。“ヤツ”にならば通用する。レーベたちへ砲が向く前に、仕留める』

 

 

 桐林が“ある事”を念話で伝え、驚いたビスマルクが中空を見上げた。

 言ってしまえば、やる必要の無い危険な行為だ。無茶にも程がある。

 が、彼が危惧している事も理解できた。霊子による性能の向上は、あくまで底上げであり、元の性能に大きく比例した。

 駆逐艦を巡洋艦に相当させたり、戦艦であれば不沈艦の如き耐久性を得られる。

 照月にそうした様に、一瞬だけならその範疇すらも超えられるが、連続して行使するのは不可能。

 もし仮に、重巡棲姫が執拗にレーベたちを狙い始めたら、庇いながら戦うハメになるだろう。見捨てて重巡棲姫を叩くという選択肢は無い。

 

 つまり、まだ戦況が流動的なのを利用し、重巡棲姫の一騎討ちを行おうと言うのだ。

 正直な所、ビスマルクは満身創痍だ。表面こそ無傷に近いが、至近弾の衝撃が蓄積し、実際には小破状態。

 桐林のサポートを得られるとしても、確実に勝てるとは言い難かった。

 

 けれど。

 

 

「ったくもう! 乙女を何度も傷物にしてるんだから、いつか責任取りなさいよね!」

 

『当たり前だろう。君の痛み、半分背負う。一人で戦わせはしない』

 

「そうじゃなくって……。もういいわよっ! このトーヘンボーク!」

 

 

 だからこそ、心の奥に奮い立つものがあった。

 結構な確率で無茶を言い渡されるが、不可能だった試しはない。

 いや、ビスマルクならば可能だと判断したから、こんな事を言うのだ。

 ならば、やってやろうではないか。

 彼女なりの精一杯である告白すら受け流す、この唐変木に、命を賭けるのも悪くない。

 惚れた弱みとかは言いっこなしだ。

 

 このやり取りが伝わっていたようで、遠目にネ級とル級を目視したオイゲンたちは、二隻の注意を引くように遠距離砲撃を加え、なおかつ最大戦速でビスマルクの元へ向かう。

 駆逐艦が相手取るには厳しい相手だが、航空戦艦と、底上げの係数が高い重巡洋艦ならば、問題なく戦力となるからだ。

 可能なら一騎討ちは待って欲しい、と思わないでもないけれど、桐林自身の活動限界も近付いている。早々とした戦闘終結が望ましかった。

 

 

《シズメ……ッ、シズメェエエッ!!》

 

 

 重巡棲姫がビスマルクに砲撃する。

 憤激に彩られた表情を隠さないまま、砲と連動して触手が蠢いていた。

 ビスマルクは、今までのような回避行動を一切行わずに、真っ向から立ち向かった。

 桐林の全霊を受け、艦全体を紅いモヤが包み込む。

 正鵠を射るような砲撃は、寸分違わず側面装甲を叩くはずだったが、直前で不規則なタイルパターンに弾かれていた。

 反撃は行わない。特に桐林と相性の良い重巡洋艦と航空母艦を除いては、力場障壁を展開している間に攻撃できないのだ。

 

 相対距離はどんどん縮まり、やがて二隻は擦れ違う。

 それこそ、霧島 対 サウスダコタによる近距離戦以上の、互いの乗員を目視できる距離で。

 ビスマルクが重巡棲姫を。重巡棲姫がビスマルクを見る。

 そして、重巡棲姫は目を疑った。

 擦れ違いざま、ビスマルクは己の頭を指で突いたのだ。

 

 当てて御覧なさいよ。

 当てられるなら、ね。

 

 重巡棲姫の奥歯が、軋む。

 

 

《ナメルナァアアッ……!》

 

 

 挑発に乗った重巡棲姫が、少しの距離を置いて急速回頭。ビスマルクも応じる。

 馬上試合と似た形。

 決闘前の緊張感は、急加速する二隻の波濤で掻き消された。

 二基四門の砲塔を、ビスマルクの艦橋へと照準する重巡棲姫。

 同じく、第一砲塔と第二砲塔を重巡棲姫に向けるビスマルクは、隠れて第三砲塔を左舷やや斜め前、第四砲塔も右舷やや斜め前に。方位にすると二○○○、一四○○だ。

 敵 偵察機が重巡棲姫にもそれを伝えるが、また擦れ違う時の保険だろうと捨て置く。

 

 再び距離は詰まる。

 互いに狙いも十分。あとはいつ砲撃するか。

 一秒。三秒。五秒。

 迫る。迫る。迫る。

 

 ビスマルクの力場障壁が消えた。

 

 

《オチロォオオッ!!》

 

 

 重巡棲姫が笑う。

 ビスマルクも無言で笑った。

 

 二隻の砲撃は、ほぼ同時。

 しかし、僅かに重巡棲姫の第一砲塔が早い。

 そして、ビスマルクの使った砲塔は――第三砲塔だった。

 

 轟音。

 

 

《ナニッ!?》

 

 

 確かに艦橋を狙った重巡棲姫の砲弾が、すり抜けた。

 ビスマルク自身が第三砲塔で至近弾を起こし、船体を大きく揺らした為だ。

 着発信管でも、時限信管でも不可能なこの自爆は、砲弾に込めた霊子を操作して、意図的に引き起こしたものである。

 

 

「ぐ……あっ……!」

 

『……っ』

 

 

 苛烈過ぎる衝撃に、ビスマルクと桐林を、巨大なハンマーで殴られたような衝撃が襲う。

 霊子が纏化された分、通常より衝撃も威力も大きい。艦中央部にあった副砲と高角砲が、片舷分丸ごと破壊された。

 あと少し爆破が遅れていたら、第一・第二砲塔にも被害が発生していたかも知れない。

 重巡棲姫は慌てて第二砲塔の照準を補正し、今回こそ艦橋目掛けて砲撃するも――

 

 

『残念だったな』

 

「当たってなんか、あげないわっ」

 

 

 ――ビスマルクの第四砲塔が炸裂した。

 海面と右舷デッキを大きくヘコませながら、艦の傾きが強引に戻される。

 重巡棲姫の砲弾は、またすり抜けてしまう。

 

 

《バ、カナ……》

 

 

 重巡棲姫の主砲は発射速度が遅い。

 新しく武装を構築するにしても、間に合うのは豆鉄砲程度。

 完全な無防備を晒していた。

 

 

「最後に見るのが“鉄血宰相”である事、誇りに思いなさい」

 

 

 煤に塗れ、薄汚れて。

 ジャケットを擦り切れさせながら、ビスマルクの瞳は一層に輝きを増す。

 呆気から立ち直った重巡棲姫が、全身全霊を込め、赤黒い力場障壁を張る。

 ビスマルク第一・第二砲塔にも紅い光が宿るけれど、趣はまるで違う。

 その光は、二人分の闘志と決意を受け、朱金の煌めきを放つ。

 

 

『Feuer!』

「Feuer!」

 

 

 桐林とビスマルク。

 砲撃を命じる声が重なり、四門の主砲から、四つの光弾が飛び出した。

 それは不規則なタイルパターンと拮抗し、せめぎ合い、貫く。

 

 爆音。

 

 

《――――――ッ!》

 

 

 霊子のコーティングが剥がれた砲弾は、勢いをそのまま、瓦礫の上部構造へと着弾。爆散する。

 重巡棲姫の断末魔が響き、途端、海域に乱立していた隆起岩礁も崩れ始めた。

 アラドで周囲を探ってみれば、ネ級 選良種とル級 選良種も、とっくに伊勢たちが始末をつけている。

 戦いが終わった。

 ビスマルクは脱力し、第一砲塔の前でへたり込む。

 

 

「っはぁ……は……ふ……。どうにかなった、わね……。

 貴方の無茶はいつもの事だけど、今回ばかりはヒヤッとしたわ。

 私が沈んだりしたら、本国にどう言い訳するつもり?」

 

 

 本当なら直接睨みつけてやりたいが、どこを見ていいのか分からず、結局いつも通りに中空を睨むビスマルク。

 重巡棲姫はプライドが高い。挑発すれば判断力を欠く。そこを突くぞ――と言われて、従った結果がこの有様。

 おかげで両の脇腹が痛い。喉は煤でいがらっぽいし、霊子戦闘後特有の疲労感も。無茶に付き合わされていい迷惑だ。

 ちょっとは労いの言葉を掛けて欲しいと思うのだが……。

 

 

戦艦(きみ)が沈むはずないだろう』

 

 

 ――と、桐林はのたまう。

 なんたる傲慢さか、と普通なら激昂するだろうが、その言葉に込められる意味を知っている彼女は、柔らかく微笑む。

 戦艦だから沈まないのではない。

 自分が君を沈めるわけがないと。この面倒臭い男は、言っているのだ。

 

 

「……あーあ、全く。何を言っても無駄かしら。先が思い遣られるわよ」

 

『苦労を掛ける。が、付き合ってもらうぞ』

 

「分かってるわ。ワタシは、貴方の戦艦(もの)なんだから」

 

 

 問答無用、といった雰囲気に、ビスマルクが肩をすくめた。

 彼女は今、自身がトンでもない大胆発言をした事に、まだ気付いていない。

 そして、不意に鼓膜を揺らす異音により、永遠に気付くことはなくなった。

 

 

《――、レ……》

 

 

 活動を停止し、行き足だけで海を進んでいた重巡棲姫から、それは届いていた。

 荒野のように荒れ果てた甲板に、洞が穿たれている。

 そこから離れた場所で、身体をヒビ割れさせる白い少女が、もがく。

 

 

《オノレ……ッ。オノレェエエッ……!

 ニンゲン メ……。クグツ ドモ、メ……。

 ニクラシヤ……。ニクラシヤァアア……!》

 

 

 口から呪いの言葉を吐き。

 穴の開いた腹から、臓物の代わりに鉄屑を零し。

 ヒビ割れからは、正体不明の橙光を洩らして、少女が息絶えようとしている。

 二本の触手も力なく垂れ下がり、もはや戦うだけの力は残っていない。

 あるのはただ、憎悪のみ。

 

 

『好きなだけ憎むといい。

 お前の敵を。仲間の仇を。撃てと命じた男を。

 ……そうでなければ、釣り合いが取れない』

 

 

 儚くも聞こえる呪詛に、桐林は冷たく返す。

 憎悪の連鎖を肯定するような言い回しだが、もう素直に受け取れようはずがない。

 果たして彼の真意は、どのような形をしているのか。

 問われた所で、彼は口を閉ざすだけなのだろう。本当に面倒臭い男である。

 

 ともあれ、重巡棲姫は先の言葉を遺言に、静寂の中へ沈んでいった。

 最も強大な敵が姿を消した事で、ビスマルクの元に仲間が集まり始める。

 

 

「姉様っ、ご無事ですか!?」

 

「提督。こっちも片付いたよ。と言っても、最初の雷撃以外、僕たちは何もしてないけど……」

 

「残存勢力は無さそうです。……戦果を挙げられただけ、良しとしましょう。レーベ」

 

「ちょーっと飛行甲板が歪んじゃったけど、私たちも無事よ」

 

「ううむ……。まだまだ練度が低いようだ。精進しなければ」

 

 

 心配で心配で心配で堪らなかったと、表情や仕草が訴え掛けるオイゲン。

 大物食いを成し遂げた割に、どこか申し訳なさそうなレーベとマックス。

 いい攻撃を貰ったらしく、後部飛行甲板がめくれる様に破損した、伊勢に日向。

 戦艦三隻が少々ダメージを負っているものの、敵艦全てを轟沈せしめたのは大戦果だ。

 

 

「Admiralよ。どうやら、隆起岩礁が崩壊した事により、高速航路が戻りつつようだ」

 

「前の航路図が使えるかは分からないけれど、帰投するなら今しかなさそうね。どうしますか」

 

 

 会話が一段落したのを見計らい、次いでツェッペリンと雲龍が指示を求める。

 重巡棲姫には流星改を落とされたが、他の艦載機はほぼ無事であり、こちらも戦果は上々と言えるだろう。

 発艦させていた機を戻し、燃料と弾薬を補給して、念のためにまた攻撃隊を待機させ……。

 戦いは終わったが、まだまだ空母は忙しい。

 そんな中、流星改や烈風を着艦させる天城が、別の報告を上げてきた。

 

 

「あの、提督? どうやら、装甲空母鬼から艦が解放されるようです」

 

「へぇー、めっずらしいじゃない。っていうか、私の知る限り解放艦って初めて? 装甲空母鬼なんだから、出てくるのはやっぱり……?」

 

 

 桐林艦隊から遥か彼方で、単なる浮きと化していた装甲空母鬼が、復活した高速航路によって流されて来ていた。

 着艦を待つ葛城の烈風が様子を伺っていると、その残骸は黒い外殻をボロボロと剥がし、内から一回り小さな――人類にとっては適正サイズの、正規空母が現れる。これまでにない出現法だ。

 爆撃と雷撃のダメージが至る所に見えるが、これまで敵艦から回収された艦船のパターンからして、日本海軍が完成させた唯一の装甲空母であろう。

 収益から三カ月余りで、潜水艦に沈められてしまった過去があり、験を担ぎたがる能力者からは倦厭されがちな空母でもあったが、今の桐林艦隊にとっては貴重な戦力になる……かも知れない。

 

 

『全艦、泊地へ帰投せよ。解放艦の曳航は阿賀野たちが。梁島提督に引き継ぎを依頼しておく』

 

「りょうか~い! ねぇねぇ能代っ、この子ってもしかして……」

 

「多分、そうかも? 高速航路が完全に戻る前に、テキパキと片付けちゃいましょう!」

 

「マル四計画の仲間が増えるのね。期待できそうだわ」

 

「でも、上が励起を許すでしょうか……?」

 

「だよなぁ。あーヤダヤダ。いつの時代も、人の脚を引っ張んのは人ってな」

 

「ぴゃう~……。司令以外の偉い人って苦手ぇ……」

 

 

 撤退に関する指示を受け、まだまだ元気一杯な水雷戦隊の皆は、解放艦の曳航準備に入る。

 一応の話であるが、戦闘で得た艦船の所有権は桐林が持っている。

 空母建造・励起は制限されていても、入手・保持に関してなら別だとする約束を、苦心して取り付けてある今、この機会を逃す手はないのだ。

 

 その他、主力打撃部隊と航空支援部隊は、撤退に向けて隊の再編成を始めた。

 自爆至近弾で中破したビスマルクを中心に、オイゲン、伊勢、日向が前方を固め、直衛にレーベ、マックスがつく。

 秋月と天城、照月と葛城、ツェッペリンと雲龍の三組に分かれた支援部隊は、秋月組と照月組が間をとって前方部隊に続き、曳航する水雷戦隊が戻って来たら、ツェッペリン組で輪形陣を形成する予定だ。

 しかし、水雷戦隊が戻るまでに多少の時間が掛かるため、その間、雲龍たちは艦首を風上に。攻撃隊を再編して発艦させる。

 ツェッペリンも、圧縮空気を貯めつつ、彗星を通常発艦させていた。今度は対潜用の爆装が混ぜてあり、初陣を勝利で飾っても、油断はしていないと分かる。

 ちなみに、放置されていた瑞雲だが、使役妖精たち共々、回収済みなので安心して欲しい。こちらも再爆装して発艦予定である。

 

 束の間、緊張しているようでいて、逆に弛緩しているようにも感じられる、奇妙な空気が漂う。

 戦いと戦いの境い目。

 何故だか雑談も憚られるその時間に、桐林は敢えて照月を呼ぶ。

 

 

『照月』

 

「……へ? あっ。は、はいぃ!」

 

 

 ボウっと、ただ周囲の流れに任せて動いていた照月は、勢いよく立ち上がって背筋を伸ばす。場所は艦橋の上だが、作戦会議の再現だ。

 彼女の行動が単に同じだったという訳ではなく、これから桐林が、口にする事も含めて。

 

 

『何故、諦めた』

 

「っ!? ……そ、れは……」

 

 

 身を竦ませ、言い淀む照月の顔には、強い後悔の念が現れている。

 そう。あの時、照月は諦めた。

 何をしても無駄だと、全てを投げ出そうとしていた。

 日常ならいざ知らず、戦場において、能力者には統制人格の状態が手に取るように分かる。当然、桐林も。

 顔を見なくとも憤慨していると直感できる声で、彼は照月を叱りつける。

 

 

『もう二度と、諦めるな。その命は自分が使う。

 どうやって活かすかも、どうやって殺すかも、自分が決める。

 照月。勝手に死を受け入れるような統制人格は、必要無い。覚えておけ』

 

 

 言い終えると、桐林は早々に同調状態を切り上げた。増幅機器から降りたのだろう。

 反論する暇も無かった。

 そもそも、反論なんて出来るはずがない。彼の言葉は正しいのだから。

 照月を含める統制人格は、全て彼と国の所有物であり、いつ、どうやって死ぬかも、彼女自身には選べない。所詮、道具なのだ。

 

 

(でも、だったらあの声は……?)

 

 

 だが、素直に納得できない部分も、同時に存在する。

 力場障壁の展開時に聞こえて来た声は、まるで反対の事を言っていた。

 絶対に死なせない。必ず守ってみせる。

 思い出すだけで胸を熱くさせる、あんな言葉を叫んだ人が、打って変わって、冷たい言葉を吐き捨てている。訳が分からない。

 

 

「なぁーにが、“どうやって殺すかも自分が決める”、よ。格好付けちゃって! そんな気、これっぽっちも無い癖に」

 

「え……? 葛城さん、それって……」

 

 

 一人、肩を落として落ち込む照月に、葛城の不平が聞こえる。

 また艦載機を発艦させている彼女は、その合間に下駄を苛立たしく鳴らした。

 

 

「言葉通りよ。その様子じゃ、聞いたんでしょう?

 本当は護りたいのに、優しくしたいのに。

 無理して強い言葉を選んで、突き放して。

 ……本当、不器用なんだから」

 

 

 薄い胸を張り、怒り心頭といった顔付きだった葛城は、段々と声のトーンを下げ、最後は悲しげに呟く。

 

 どんな事をしてでも守る。

 最後まで有効に使い潰す。

 

 両方とも彼の言葉だが、葛城は前者こそが本心であると確信していた。

 けれど、提督という立場には後者こそが相応しく、彼はそう在ろうと努力している。

 人が、その在り方を立場に左右されるなど、悲しい事だ。そんな事を続けていたら、本当の在り方が歪んでしまうかも知れない。

 しかし彼は止めないのだろう。本当の意味で、皆を守る為に。堪らなく悲しかった。

 

 そんな妹の想いを感じ、同様に艦載機を上げていた天城が、自らの気持ちを付け加える。

 

 

「でも、だからこそ。私は、そんな提督を支えたいと思うわ。貴方は違うの?」

 

「べっ、別に、そういう訳じゃ……。とにかく、照月! あの人の言葉は、額面通りに受け取っちゃ駄目よ。覚えておいて損はないからっ」

 

「はぁ……」

 

「ふふふ」

 

 

 クルクルとポニーテールの毛先をいじり、俯いたかと思えば、誤魔化すように声を張り上げて、一方的に会話を終わらせる葛城。天城が「仕方ないんだから」と微笑んでいる。

 照月は困惑気味に、「これが秋雲ちゃんの言うツンデレなのかな……」と、暢気な事を考えていた。割と図太い。

 

 

「照月。本当に大丈夫?」

 

「雲龍さん。はい、大丈夫……だと、思います……」

 

 

 が、雲龍型の長女も心配性なようで、発艦を終えた所で照月に話し掛ける。

 応じる顔色は、桐林と話している時よりも、幾分か明るく見えたけれど、その分、表情の曇りが強く浮かび上がっていた。

 照月が、心の奥底で何を思っているのか。

 能力者ではなく、中継器越しに言葉を交わせるだけの雲龍には、分からない。

 分からないが、しばしの沈黙を置いて、彼女は語り出す。

 

 

「前に言ったわね。提督の二つ名……。表記の違う“キガン”について」

 

「え? ……はい」

 

 

 静かな声が、照月に記憶を辿らせる。

 桐林の渾名。

 帰る岸辺と書く“帰岸”。必ず岸辺に帰す者。

 鬼の眼と書く“鬼眼”。鬼の“力”を振るう者。

 二つの意味を持つ、“キガン”。

 

 それを踏まえて、雲龍はもう一つの……。

 艦隊に属し、彼の心に触れたもの以外は誰も知らない、第三の渾名を告げる。

 

 

「提督の左眼は、確かに“鬼眼”かも知れない。

 “鬼”と呼ばれるだけの、厳しい一面だってある。

 でも、その身で、その心で感じたでしょう。

 あの人は確かに、私たちの帰る岸辺。

 口には出さないけれど、私たちの無事をいつも祈って、心から幸せを願ってくれる人。

 だから、私たちは。思いの丈を込めて、こう呼ぶの」

 

 

 ――“祈願”の桐林、と。

 

 祈り、願う者。

 “帰岸”と比べたら他力本願に聞こえ、“鬼眼”と比べても弱々しい。

 だが、その呼び名は。

 彼が心の奥底に隠す。最も弱い部分を表すのに、一番相応しく思えた。

 

 

「おっまたせー! さ、舞鶴に帰ろー!」

 

 

 遠く、解放された空母を曳航する阿賀野が、殊更に元気良く叫ぶ。

 帰投準備は整いつつあった。

 

 

「帰りましょう。私たちの、司令の元に」

 

「……うん」

 

 

 甲板上で空を仰ぐ秋月に、照月が小さく頷き返す。

 両極端な言葉の、どちらが本意なのか。

 まだ、ハッキリとは言えない。でも、それで良いとも思う。

 きっと、これからなのだ。

 これからもっと彼を知り、共に戦い、その上で決めるべき事だろうから。

 だから今は、帰れる事を喜ぼう。

 あの岸辺へ、帰れる事を。

 

 

 


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