ヒュー、という墜落音。
爆発。炸裂。炎上。
赤。紅。朱色。橙色。臙脂色。
陽光を受け、清浄なる青に満たされていたはずの海は今、正反対の色彩で染め上げられていた。
無数の敵 航空機――人類側のそれとは趣の違う機体が、幾つも、幾つも、制御を失って海面へと突き刺さっているのだ。
「はぁ……。はぁ……。っう、は……」
第一高射装置の傍らに立つ少女が、冷や汗を手袋で拭いつつ、乱れた呼吸を整えようとしている。
白と黒のセーラー服に、胴を締める灰色のコルセット。
短めに整えられた茶髪の明るさと裏腹に、その表情は焦りで彩られていた。
身体の両脇へ迫り出した艤装の上。埋め込まれるような形で存在する、彼女が呼ぶ所の長十cm砲ちゃんも、葉巻を咥え、隻眼ライトを光らせて、二基それぞれが周囲を警戒し続ける。
砲に狙われている? 違う。
航空機の落下に巻き込まれないように? それも違う。
彼女が警戒しているのは……。
「
「――え?」
照月と呼ばれた少女の耳に、聞きなれた声が。前を進む姉、秋月の声が届く。
同じセーラー服に身を包み、黒髪を高い位置でポニーテールとする彼女は、甲板を艦尾へ駆けながら叫んでいる。
その声に従い、左舷へと視線を向ければ、人の域を超えた視力が、ある物を捉えた。
波間で揺らぐ黒い影。
やけに浅い位置を進む、細長いそれは――魚雷。
二射線。直撃コース。
(……あ。間に合わない。当たっちゃう)
己が運命を理解した瞬間、照月の世界は、時の流れを緩くした。
沈みゆく敵 航空機の残骸。
浮力のバランスが取れたか、浮かんだままの機体から上がる黒煙。
仲間たちの息を飲む気配。
それら全てを感じながら、彼女は肩を落とす。
(照月、また沈むのかぁ……。早かった、なぁ……)
脱力していた。
もう無理だと、諦めていた。
機関を一杯にしても、逃げられない。
この船体に、魚雷の直撃を耐える防御力は無い。
一巻の終わり。
未練は尽きないが、どうしようもないのだ。
照月が瞼を閉じる。
硬直する長十cm砲たちに手を添え、その時を待つ。
果たしてそれは、爆音を伴って訪れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
舞鶴鎮守府へと、変装した横須賀勢が訪れる前日。
桐林艦隊庁舎、地下三階にある重構造会議室では、出撃を前にした最終状況確認が終わろうとしている。
一九○○から始まり、現在時刻は二一○○。
実に二時間も、張り詰めた空気の漂い続ける室内には、十八名もの統制人格が集められていた。
航空戦艦の伊勢・日向を筆頭に、雲龍型航空母艦の三名、夕雲型駆逐艦が二名、阿賀野型軽巡洋艦が四名、秋月型駆逐艦が二名、ユーを除くドイツ国籍艦が五名。
雛壇状の席で、めいめいに固まって座っている。
ここに、彼女たちの視線を集める二名――演壇に立つ桐林と、投射型スクリーンの前で解説をしていた鹿島を加え、総勢は二十名。艦隊の三分の一ほどが集結しているのだ。
「……以上が、第三行動類型時の対応となります。ご質問のある方はいらっしゃいますか?」
秘書官として、初めて会議の進行を任された鹿島が、内心でおっかなびっくり、表面上はそつなく話を纏めた。
特に無ければこのまま会議は終わる。けれど、雛壇の向かって右側。ドイツ艦統制人格五名、伊勢と並んで座る日向が、おもむろに挙手する。
「発言を許して貰いたい」
「日向さん。どうぞ」
許しを得た彼女は、挙手した時と同じく、ゆったりと腰を上げる。
視線の集中を感じながらも、その背筋はピンと伸び、非常に堂々としていた。
「本作戦の主眼は、例の新型の撃破だという事は理解した。
だが、重ねて問いたい。……何があっても、“絶対に”拿捕はしないんだな」
細かい通常任務はさて置き、現在、艦隊に課せられた重大な任務は二つ。
存在すると仮定された敵棲地の発見・撃滅と、敵 統制人格の捕縛だ。
棲地の発見は、未だ手掛かりすら得られていない状態だが、捕縛に関しては違う。
度重なる出撃と、それに伴う練度の向上により、極めて稀にではあるが、捕縛に成功しかける場面もあった。
けれど、桐林の代理として作戦目標を語る鹿島の言葉に、「敵の捕縛」に関わる単語は一切無かった。即ち、捕縛任務は無視するという方針である。
しかし、それを理解した上で問わねばならない事も、日向の頭には浮かんでいた。
千載一遇の機会が巡って来た場合、行動方針を変更するのか、である。
成功率が上がってきているとはいえ、無理無茶無謀を掛け合わせたような任務。
達成可能な状況を作り上げられたのなら、そちらを優先するという選択肢もあるだろう。
むしろ、周囲を黙らせる戦果を挙げる事は、軍部における発言力を増やす為にも重要である。
彼女の言いたい事を過不足なく理解した桐林が、演壇に据えられたマイクのスイッチを入れた。
「場合によって、白兵戦に持ち込む可能性はある。
しかし、拿捕はしない。どれ程の好機であろうと無視しろ。
今回の出撃で、必ず“ヤツ”を――沈める」
発せられた言葉に、迷いは微塵も見られない。
鋭く光る右眼。会議室に緊張が走り、誰一人、異論を挟もうとはしなかった。
小さな溜め息をつく日向も同じようで、焦げ茶色の瞳が細められる。
「あい分かった。君がそこまで覚悟しているのなら、もう何も言わない」
「戦場の習い、ってやつよね。敵に情けをかけられる程、今回の作戦は甘くないもの」
席へ座り直す日向には、場違いに気楽な声が追随する。隣の伊勢だ。
ともすれば、通夜の如く暗くなる雰囲気を、彼女なりに慮っての事である。
そのおかげ……かどうかは分からないが、皆の顔からも緊張感が薄らぐ。
けれど、当の桐林は表情を険しくしたまま、ある少女へ視線を向けた。
オレンジ色のタイが目立つ、白と黒のコルセット付きセーラー服に、明るい茶髪。
ヘアバンドの代わりに「第六十一駆逐隊」と金字で書かれたペンネントを巻き、三つ編みにした両の横髪の先端には、黄色いスクリュー型の髪飾りが一つずつ。
艦隊防空の為に建造された、乙型駆逐艦――秋月型の二番艦、照月へ……である。
「照月。何か言いたい事があるのか」
「………………」
彼女の、どこか遠くを見つめるような視線を見咎め、桐林が厳しい声を発する。
が、照月は返事をしなかった。無視しているのではなく、そもそも気付いていないような、そんな素振りだ。
桐林の右眼がますます細くなり、隣に座る一番艦の秋月が、慌てて妹を揺さぶった。
(照月、照月っ! 司令がお呼びよ!)
「ふぇ? ……あ、は、はいっ!」
姉の切羽詰まった声に、照月はようやく状況を理解し、直立不動に立ち上がる。
桐林が大きく、深い溜め息をついた。
「集中できていないようだな」
「え、あ、の、すみま、せん……」
「艦隊の護衛を務める者がそれでは、皆が背中を預けられん。……編成から外れるか」
「――っ!? ぁ、う……」
ただでさえ冷や汗をかいていた照月だが、無慈悲な宣告で顔色は一層青くなり、目尻に涙まで。
平素であれば、鹿島も恐る恐る諫言しよう桐林の態度は、しかし、作戦会議という場にそぐわぬ物ではない。
何か言いたげに、桐林と照月へ目を配る鹿島だったけれど、結局は何も言えず黙り込んでいる。
一方で、秋月は見ていられなくなったらしく、勢いをつけて立ち上がった。
「お待ち下さい、司令っ。照月はこの作戦が初出撃になります。
少し緊張しているみたいですが、実戦での動きは、この秋月が保証しますので、何卒っ」
踵を鳴らし、秋月は背筋を伸ばす。一拍遅れて、照月も同様に。
服装は殆ど同じだが、浮かべる表情は全く似ておらず、凛々しい姉に対し、妹は叱られるのを待つ子供のようだ。
細かい違いを挙げると、秋月はふちに黒いラインとスリットが入った、白のプリーツスカートを履き、照月は同じデザインであるものの、色を反転させた物を履いていた。
鹿島を始めとして、皆が固唾を呑んで見守る中、不意に桐林は右眼を閉じる。
「言い訳は必要無い。実戦で力を発揮できるなら、な」
「他に、ご意見のある方はいらっしゃいますか? ……では、これにて終わりとさせて頂きます」
「我らの力を見せる時だ。一層の奮励努力を期待する。解散」
どうやら、今回は不問に付すらしい。
代表して鹿島がホッと一息。桐林の激励を最後に、会議は終了を迎える。
彼は鹿島を伴って退室し、その背中がドアの向こうへ消えた瞬間、張り詰めていた空気が一気に霧散した。
「……ふぁうぅうぅうぅ、秋月姉、怖かったよぅ~」
「なに言ってるの。元はと言えば、照月が作戦会議中にボーッとしてるから怒られたんでしょう?」
「だってぇ……。作戦会議自体初めてで、失敗しないようにって考えてたら、逆にそればっかり気になっちゃったんだもん……」
くにゃあ、とへたり込む照月を、困った顔の秋月が窘める。
軍艦の現し身と言っても、こうして人の身を得た統制人格たちにとって、軍艦としての経験は、時に現実味が薄く、時に現実以上の真実味を持つ。
照月には、こういった作戦会議自体が縁遠いものとして感じられるのだ。
そんな彼女に、付近で固まっていた別の姉妹――雲龍型の三人が歩み寄った。
「災難だったわね。提督は、作戦行動に関わる事には厳しいから」
第一声は、長女である雲龍。
くるぶしまで届きそうな長い白髪を一本の三つ編みにする、妙に露出度の高い女性だった。
白と緑を基調とした衣装は、膝までを覆う足甲、丈の短いミニスカート、これまた丈の短い――腹部を剥き出しにする、袖無しの上着で構成されているが、ボタンで前留めする形の上着は、胸部中央が開口し、地肌が剥き出しになっていた。
飛龍型航空母艦の流れを汲み、日本唯一の装甲空母・大鳳の悲劇――格納庫内に気化した航空機燃料が充満、引火。大爆発した――を教訓に、格納庫の換気機能を向上させた事の現れだと思われる。
誤解を恐れずに言うなら、水着をそのまま服としたような印象なのだが、本人にとってはこれが正しい格好らしく、至って平然としているのが彼女の特徴でもあった。
ちなみに、巨乳である。
「にしたって、あの言い方は無いんじゃない? あんなだからキガン――“
雲龍に続き、苦言を呈するのは三女の
うぐいす色を基調に、黒墨で松の木などが描かれた着物を纏い、雲龍とは違って露出度は控えめ。腰まで届く髪は烏羽色で、一房だけを頭頂部でポニーテールにしている。
横須賀の正規空母たちのように丈が短い訳でもなく、純然たる着物姿の美少女だった。
が、その端正な顔立ちは今、不愉快そうに歪んでしまっていた。桐林の冷徹な物言いが気に食わないらしい。
余談だが、彼女が控えめなのは露出度だけでなく、胸囲もだった。
史実において、本来積むはずだった機関部の製造が遅れ、陽炎型駆逐艦の機関部を代用して完成させたのが原因……かも知れない。
「もう、駄目よ葛城? そんな風に言っては。提督には提督のお考えがあるんですから」
そして三人目。不機嫌な妹を宥めようとする次女、天城は、葛城と同様に着物美女だった。
着物の柄から髪型まで、とてもよく似ているように見えるが、結び方が違うのか、茶髪のポニーテールはふんわりと広がり、真っ赤な椿の髪飾りが印象的だ。
また、胸囲的な意味でも、悲しいかな、葛城とは区別がつけられる。
彼女の機関部も、元々は別の艦に乗せられていたものであり、改鈴谷型重巡である第三百一号艦――仮称・鞍馬からもたらされ、雲龍と同じ出力になるよう調整された。三百号艦は伊吹だ。
その割に、雲龍と並ぶと一回り胸が大きく見えるのだが、おそらく着膨れしているのだろう。
ともあれ、並び立つ美人姉妹に見惚れそうになっていた照月は、葛城の口にした呼び方が気に掛かり、おずおずと問い返してみる。
「あのぉ……。葛城さん、『おにめ』ってなんですか? 提督、そんな風に呼ばれてましたっけ」
「へ? あ、そっか。照月はまだ、励起されて日が浅いんだったわね。知らなくて当然か」
控えめな挙手に、葛城は目を丸くするものの、彼女がこの艦隊では新人である事に思い至り、今度は得心の入った顔を見せる。
中堅である秋月の励起時期が二ヶ月半ほど前で、照月はまだ一カ月と少し。演習は繰り返し行っていたが、統制人格としては実戦未経験。文字通りの新米なのだ。
話を聞いていた天城、雲龍が、照月に詳しい事情を解説する。
「照月ちゃんは、提督の渾名って知ってますか?」
「渾名……。確か、帰る岸辺って書いて、“帰岸”でしたよね。……あ! 『おにめ』ってもしかして、鬼の……?」
「そういうこと。漢字は別でも読みは同じだから。そんな呼び方をするのは、やっかんだ人間のみだけれど」
中将となった桐谷が、正式に桐林へと与えた渾名――“帰岸”。
表向きには、今までに一度も傀儡艦を沈めていない事から、彼女らを岸辺に帰す者。あるいは、彼女たちの帰る岸辺という意味を持つとされている。
しかし、桐林と実際に相対した軍人は……。特に、彼の左眼を見てしまった者は、こぞって言う。
あれは鬼の眼だ。
奴は鬼を喰らったのだ、と。
この誹謗中傷、桐林本人の耳にも届いているが、彼は言い返さない。
反論した所で無駄だと分かっているからか。
“力”と引き換えたように、かつて“鬼”と呼ばれた吉田 剛志が死んだのは、紛れも無い事実だからか。
例え彼自身が納得していたとしても、実際に聞くと不愉快なのだろう。雲龍の黄色い瞳が細められた。
「ま、アタシは照月の気持ちも分かっけどなー」
そんな折、照月たちの頭上から声が降ってくる。
一段上の席に座る、サロペットスカートの少女――夕雲型駆逐艦四番艦、
「提督の顔、やっぱコエーしさ。オマケに他人の目なんて全っ然気にしないし、鬼提督って言われても納得だよ。田中少将とは真逆だな」
「な、長波さん……。流石に鬼提督は言い過ぎじゃ……」
「そうでもないぞぉ? 夜戦の時なんか、マジで敵艦の鼻面まで行かされてだなぁ。いや、それが当たり前っちゃあ当たり前なんだけど」
頬杖をつき、溜め息混じりに苦笑いする彼女の髪は、外側が黒、内側がピンク色の、二色を併せ持つ。清霜と同じ特徴だった。
大戦時、二水戦の旗艦を務めた経験があり、長波に座乗する田中 頼三少将が率いたルンガ沖海戦での、日米で評価が一変する戦いでも名が売れている。
夕雲型の中で最も長生きし、姉妹全員と面識があるのも特徴である。
照月とは浅からぬ縁を持ち、特に気に掛けてもいるようだ。気の置けない遣り取りから、仲も良好なのが伺えた。
しかし……。
「あらぁ、長波さんったら。それは提督への批判ですかぁ?」
「ひっ。い、いやいやいやいやいや、んな事ないって夕雲! ちょっとした言葉のアヤみたいなもんで……」
横からの強烈なプレッシャーに、長波が凍り付く。
大急ぎで取り繕う視線の先では、新緑の葉のような色をした髪を一本お下げにする、夕雲型の長女……夕雲が、凄味のある笑顔を浮かべていた。
ミッドウェー海戦や、キスカ島撤退作戦にも参加した、歴戦の勇士である。
照月と違い、その経験は彼女の中で生きているらしく、また、敬愛する人物を茶化された事もあり、誰もが後退ること請け合いの迫力だ。
けれど、唐突に重圧は霧散。夕雲はコロコロと、楽しげに笑う。
「うふふ、分かってますよ。冗談です、冗談」
「嘘つけ……。半分本気で怒ってただろ、この提督Love勢め」
「あら。提督を敬愛して何か問題でも? それに、この艦隊に提督を心から嫌っている子は、なんだかんだで一人も居ないと思うけれど。ねぇ、葛城さん?」
「へっ? なんで私に振るの? あ、天城姉ならともかく、私はあの人の事なんて、別になんとも思ってないし……」
「相変わらず見事なテンプレだなー」
「本当に。ある意味、夕雲は羨ましいです」
「だ、だから! 本当になんとも思ってないんだからね!? 聞いてる!?」
何故だか巻き込まれてしまった葛城が、顔を真っ赤にしながら、教科書に載っていそうなツンデレーションを発揮する。
長波は頬杖をついて遠い目を。夕雲は頬に手を当て溜め息をつく。前者は乙女ながらどこか親父臭く、後者は左口元のホクロが妙に色っぽい。
それがますます葛城をヒートアップさせるのだが、険悪な雰囲気は一切無く、むしろ、喧嘩するほど仲が良い、と言った方が適切であろう。
(秋月姉。葛城さんって、提督のこと好きなの?)
(う~ん……。本人の前で肯定するのもあれだけど、見たままというか、なんと言うか……)
(我が妹ながら、分かり易過ぎて申し訳ないわ)
(そ、そうでしょうか? と言うか、私ならともかく、ってどういう意味なんでしょう……? 確かに、その、尊敬はしていますけれど……)
置いてけぼりを食らった照月たちも、彼女たちの言い合いを気楽に、生暖かく見守っている。
さり気なく気持ちをバラされた天城だけは、頬を紅潮させて言い訳に苦心しているようだが、スルーされているのは不幸か僥倖か。
さて。
すっかり会議中の重苦しさが吹き飛んだ所で、夕雲は話を戻そうと、照月へ向き直る。
微笑んでいるのは今までと同じ。しかし、瞳には真摯な感情が込められていた。
「照月さん。提督が厳しいお言葉を掛けて下さるのも、貴方に期待しているからこそ、ですよ」
「それは……。分かっているつもり、なんですけど……」
「もっと自信を持って下さいな。乙型駆逐艦と言えば、艦隊の主力 of 主力の夕雲型にも勝る、対空制圧力があるんですから」
「夕雲、よくそれ言うよな……。確かにアタシら、出撃回数は多いけどさ」
「当然よ。浜風さんたちには負けられないわ! 色んな意味で!」
「そ、そうなんですかぁ……」
……が、途中からまた話が脱線し、拳をグッと握り締め、夕雲が浜風+αへのライバル心を燃やす。
どうやら、いつぞやオイゲンの言っていた事は真実だったようだ。
いまいち納得の出来ない照月ではあったが、ここで反論するのも藪蛇。当たり障りのない返事で誤魔化した。
すると、秋月もそれに便乗して、再び話の軌道修正を試みる。
「夕雲さんの言う通りよ、照月。今度は私も一緒。互いに守り合って、みんなで生き延びるの。良い?」
「……うん。ありがと、秋月姉。みんなも、ありがとう」
優しく手を包んでくれる姉に、照月は大きな安堵を感じながら、指を絡めた。
秋月と照月。同じ乙型駆逐艦姉妹でありながら、歴史上の接点は無きに等しい。
同じ作戦に従事した事はなく、修理などのタイミングですれ違い続け、最後を看取る事すら許されなかった。
それから数世紀。
戦いに身を置かねばならないのは同じとしても、少女の身体を得て再会した奇跡は、気弱な心を温めてくれる。
仲間たちの気遣いを一身に受け、この機会をくれた事にだけは感謝したいと、照月は桐林の顔を思い浮かべ……もっと優しくしてくれればなぁ、と苦笑い。
「でも、やっぱり提督は怖いかな……。もうちょっと笑ってくれれば、仲良くしたいって思えるのに」
「そんな事ないよー! 司令は怖くないもーん!」
「わっ。さ、
ガバッと、背後から襲い掛かる体温。
照月に抱き付いたのは、色素の抜けたような髪をショートカットにする少女。
阿賀野型軽巡洋艦 四番艦。末妹の酒匂という。
「酒匂、いきなり飛びついちゃ駄目じゃないの。照月ちゃんが驚いてるから」
「んーっ、だってさー」
「はいはい。提督のことが好きなのは分かったから、取り敢えず離れましょう」
「何よー矢矧ちゃんまでー!」
酒匂の両脇を抱えて引き剥がすのもまた、阿賀野型の二人。二番艦
赤み掛かった茶髪を、二本の三つ編みにしているのが能代。黒髪を高い位置でポニーテールにしているのが矢矧だ。
阿賀野型姉妹は、白い生地に紺襟の、ノースリーブのセーラー服と、赤いプリーツスカートを合わせて身に付けている。上着は丈が短いのか、全員ヘソ出しルックだった。
胸元を飾る紺色のネクタイには錨が白く刺繍され、両手は白い手袋で包まれており、全員が左脚のみに、ガーター付きの黒いオーバーニーソックスを履いていた。
最後にやって来た一番艦 阿賀野は、黒髪ロングをそのまま靡かせている。
蛇足ではあるが、この阿賀野型姉妹。酒匂を除いて、非常に洗練されたプロポーションを誇っていた。
いわゆる「ボン、キュ、ボン」を体現したような姿であり、男であれば十中八九、鼻の下を伸ばしてしまいそうな身体つきだ。
なぜ酒匂の胸部装甲が、龍驤の如きフラットなシルエットになったのかは不明である。
葛城のように機関部の問題があった訳でも無く、原因は一切分からない。本人が大して気にしていないのは、不幸中の幸いであろう。
話を戻し、長女である阿賀野。
とある事情から、桐林にひとかたならぬ想いを抱く酒匂の頭を撫でつつ、彼女は彼女なりのフォローを始める。
「ごめんねー、照月ちゃん。でも、阿賀野も酒匂と同じかなぁ? 提督さん、顔はヤ○ザ屋さんみたいだけど、ホントは優しい人なんだから!」
「……阿賀野さん?」
「ぴゃ!? ゆ、夕雲ちゃん、怖い……」
のほほんと、控えめに貶しながらも桐林を褒める阿賀野に、夕雲の視線がまた鋭くなり、酒匂が怯えた。独特な鳴き声だ。
そこから、「確かに顔は……」と矢矧が同意したり、「でも、私生活ではよく気遣って下さって」と能代がフォローしたり。各々、桐林への所感を述べ始める。
(提督が優しい、かぁ……。いまいち、信じられないなぁ……)
様々な意見を耳にしつつ、照月はボウっと天井を見上げる。
眼帯。顔の傷痕。黒かったり白かったりする髪。不機嫌そうに細められた右眼。眉間に常駐する皺。これが、照月の中にある桐林の姿だ。
よくよく考えてみれば、笑っている所を見たことが無い。笑う所を想像できない。
どうすれば、皆のように彼を信頼できるのだろう。
信頼できたなら、この胸に巣食う感情は消えるだろうか。……戦いへの、不安は。
雰囲気を壊さぬため、作り笑いを浮かべて、照月は夢想する。
姉たちと同じように、いつか、彼を信じられる日が来てくれれば、と。
そして、そんな彼女たちを、遠目に見守る仲間たちも居た。
残る編成メンバー。伊勢型二名とドイツ勢だ。
「ふう……。あの子たち、作戦前っていう自覚あるのかしら……?」
「ま、いいんじゃない? ガッチガチに緊張して動けないよりはさ。戦場に出れば、嫌でも引き締まるんだから」
ビスマルクが、下段の席で騒ぐ少女たちを横目に腕を組む。
命懸けで作戦に挑むのだ、もう少し切実さというか、真剣さを以って臨んで欲しいと思うのである。
かたや、伊勢は肩から力を抜き、緩い視線を向けていた。
必要以上に緊張しては、持てる力を発揮する事は叶わない。何事も緩急が大事なのだ。
ビスマルクも本気で呆れていた訳ではないようで、「一理あるわね」と呟き、退室しようと出口へ向かう。
次々に席を離れようとする面々だったが、しかし、オイゲンは一人、腰を下ろしたまま考え込んでいた。
「むむむ……」
「オイゲン、どうしたの? 難しい顔して」
「何か、作戦について気掛かりな事でも?」
それに気付いたレーベ、マックスが問い掛けると、彼女は背もたれに体重を預け、「はふう」と一息。
「作戦について、っていう訳じゃないんだけど、ちょっと悩み事……。でも、気にしないで? 個人的な事だし……」
「なら、無理には聞かないが。私たちで助けになれる可能性もある。良ければ話してみないか」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
いつも笑顔満面、天真爛漫なオイゲンが、珍しく沈んでいる。
作戦に関係無いとは言っても、彼女にとっては重要な事なのだろうと、ツェッペリンは肩へ手を置く。
同国出身というよしみだけでなく、作戦前にしっかり悩みを解決して、心置きなく任務を遂行して欲しいという気持ちからだ。
手を伝う気遣いを感じ取ってか、オイゲンの顔にもようやく笑顔が戻り、助言を受けようと口が開かれた。
「提督を好きな子が多いのは良いんだけど、影が薄くなるのは嫌なのよね……。何か、出発前にめい一杯アピール出来る事ってないかなぁ、と思って」
「……は?」
ところが、その内容は如何ともし難いもので、ツェッペリンの頬が引き攣る。
オイゲンも、長波が言う所の提督Love勢に含まれるのは、前日までの一件で判明していた。けれど、まさかこのタイミングでとは。
一人で相手取るには分が悪い。ツェッペリンは救援を求めて仲間たちを見やるが……。
「さ、ここはグラーフさんに任せて、私たちは出発の準備をしましょっか。遅れでもしたら提督が怒るよー」
「そ、それもそうね。伯爵、後は頼むわね」
「えっ。い、いや、伊勢? ビスマルク? 私も……」
「ツェッペリンなら大丈夫だよ。頑張って」
「はい。貴方の犠牲――おっほん。優しさは忘れません」
「……付き合ってられんな」
「レーベ、マックス!? ひ、日向まで……!」
擦れ違いざまに肩を叩きつつ、薄情にも彼女たちは去って行く。
その間にも、あーでもないこーでもないとオイゲンは語り続け、ツェッペリンはついに、逃げるタイミングを逸したのだった。
どこの国にも、不憫な属性を持つ者は存在するのである。