一応、観艦式を無事に終え、数日が経過したある日。
どっちゃりと、執務机に盛られた封筒の山を見て、■■■は首を捻った。
「なんですか、これ」
「聞いて驚け。なんと、君へのファンレターだ!」
「……えぇえぇえっ!?」
ドヤァ、という顔付きの提督に、今度は思わず絶叫。目を白黒させてしまう。
ファ、ファンレター?
えっと、でも、全部積み上げたら天井を突き破るくらいありそうなんですけど?
「こ、これ全部、ですか」
「ああ。ホントにビックリだよ。まさかここまで反響があるとはなぁ。ちなみに、わたしへは呪いの手紙ばかりだった」
「……なんかゴメンナサイ」
「いいさいいさ。わたしが代わりに憎まれる事で、君が受け入れられ易くなったんだ、って考えるようにするから……」
ちょっぴり、涙で瞳を潤ませる提督。
嘘じゃなさそうだし、そんなに酷い内容だったのかな……。
と、心配になってしまう■■■だったけれど、彼は直ぐに立ち直った。
「だが、喜んでばかりも居られない。早速で悪いんだけれども、君に新しい仕事がある」
「あ、はい。お仕事ですか。人前に出るような事じゃなければ、なんでもお言い付け下さい!」
提督の言葉に、■■■は背筋を伸ばす。
新しい仕事。
幸い、観艦式は大きな失敗をせずに終えられたけど、■■■の失敗は即ち、提督の失敗。気を引き締めなくっちゃ。
そんな気持ちが伝わったのか、彼も表情をキリッとさせ……。
「■■……」
「はいっ」
「超ごめん。人前に出る仕事なんだ」
「え」
いきなり腰を九十度に曲げた。
……人前に出る仕事? またぁ!?
「君の名前の由来になった山にある、四大護国寺とかいうとこで、一日ずつ巫女さんをやるんだ。
ほら、最近どこも過疎化が進んでるだろ? 地域活性化の一役を担って欲しいって、偉い坊さんに頼まれちゃってさ……」
「そ、そんなっ、急に言われても困ります! 観艦式でも死ぬほど恥ずかしい思いしたのに……」
神妙な顔で説明する提督に、思わず涙目になる■■■。
ええ。確かに観艦式で大きな失敗はしませんでした。でも、小さな失敗はしたじゃないですか。
具体的に言うと、観艦式の最後の最後。
いよいよ■■■が登場し、本体の艦橋から飛び降りるという、ウルトラCなアクロバットを成功させた直後。唐突に吹いた海風のせいで、カメラの前でパンモロしちゃったじゃないですか。
どうにかその場は何事も無かった風体で乗り切ったけど、ネット上では■■■の純白パンツ画像が出回ってるみたいだし。正直もう死にたい。
またあんな思いをする位なら、いっその事ボイコットを……なんて考えるほど、メディアに晒されるのは嫌になりました。
という訳で、全身全霊でお断りしたい■■■でしたが、提督は顔の前で拝むように手を合わせ……。
「いやホントごめんっ。今後の事を考えると断るに断れなかったんだ。ちなみに明日からだから、今すぐ準備してくれ」
「はぁ!? な、なに考えてるんですか提督!? 今後の事とかなんとか言って、本当は■■■の巫女服姿を見たかっただけじゃありませんかっ?」
「ぶっちゃけそれもある!」
「言い切ったよこの人!?」
急過ぎる日程に食って掛かるも、胸を張る提督に■■■はズッコケてしまう。
ダメだわこの人、煩悩に塗れちゃってる。いや、そんな風に思ってもらえるのは、嬉しくない訳じゃないですが……。
えー、ちなみに。四大護国寺とは多分、弥高護国寺、長尾護国寺、観音護国寺、太平護国寺の四つのお寺を総称した呼び名で、それぞれ、悉地院、惣持寺、観音寺、太平観音堂という呼ばれ方もあるようです。
かの高名な役行者――役小角様が開基となったお寺も含まれる? そうですが、詳しい事は知りません。なんでこんなお寺の名前を知ってるのか、自分でも不思議。
とまぁ、こんな感じで現実逃避しているですが。
そんな姿を見兼ねたのか、提督は崩れ落ちる■■■の肩へ手を置いた。
「不安になる気持ちも分かるが、安心しろ■■。今回の犠牲者――じゃない、参加者は君だけじゃないんだ。入ってくれー!」
「提督? 犠牲者って言いましたよね今、犠牲者って。ねぇ」
途中で言い換えたけど、明らかに言ったよこの人。もしかしなくても■■■、とてもブラックな鎮守府に捕まったんじゃ……。
なんて不安増し増しになっていた所、執務室へのドアが静かに開く。
入って来たのは、燻んだ金髪の少女と、キラキラ輝く笑顔がウザ――もとい。鬱陶しいイケメン男性。
■さんと、■■■さん?
「え、■さんも巫女体験するんですか?」
「不本意、ながら。ちょっとだけ、興味、あったし……」
「そしてそして! ■君が参加するならば、この僕も当然参加させて貰うぞ!
あ、もちろん巫女じゃないよ? 女装しても様になるだろうけれど、世の男性陣を勘違いさせては可哀想だからね!
ちなみに、僕ら二人は一般人を装う予定さ!」
「そーですかー。心強いなー」
残念な方の戯言は受け流しつつ、■■■は■さんという巻き添えを得て、どうにか立ち直る。
一人だったら心細いというか絶望的だったけど、知り合いが隣にいてくれるなら、なんとか……なって欲しい。切にそう願う。
そんな■■■たちに、何故かニコニコ顏な提督が歩み寄り、あれよあれよと肩が組まれて。
「と、いう訳で……。いざ行かん、岐阜県と滋賀県の境目! 待ってろ飛騨牛、近江牛ー!」
「軍の払いで、食べ尽くす……!」
「はっはっは! 食い意地の張った姿も素敵だよ■君!」
「どう考えたってそっちが本命じゃないですかー!? もうヤダー!」
なんとも軍人らしからぬ掛け声が、執務室に轟く。
こうして、主に■■■だけが苦労する、食い倒れツアーが始まるのであった。
とほほ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
吉田 剛志元帥の国葬がしめやかに執り行われ、日本中が悲しみに包まれてから一週間後。
自分は、京都府は日本海沿岸の某所にある、秘密港に居た。
岩盤をくり抜いて作られたそこは、空からの目は元より、あらゆる情報網から隠された巨大施設だ。
収容可能艦艇数、おおよそ二百。今も未来の傀儡艦が多く停泊しており、久しぶりに黒い詰襟を着る自分と、“彼女”を甲板に乗せる船も、そこにあった。
「すぅ……。はぁ……。すぅ……」
自分の目の前で、大きく深呼吸を繰り返す、赤毛の少女。
いつもの様に、鎮守府が指定する女性用制服を纏う彼女は、しかし普段ではあり得ない、様々な“部品”も付与されている。
左肩と、左脚のオーバーニーソックスに沿う形で、装甲が付加。
腰から背中、身体の右側へとせり出す艤装には、幾つもの小型クレーンが配置されていた。
どうやら艤装本来は重いらしく、紫色の帯で右肩に吊るすようになっているだけでなく、簡易な台による支えも必要としている。
アンテナ付きのPCも置かれていて、それだけが奇妙な異物感を醸し出す。
統制人格のような格好をしているが、彼女は――主任さんは“まだ”人間だった。
「大丈夫ですか、主任さん?」
「いやぁ、やっぱ、緊張しますね……」
視界に入る自分の白髪が鬱陶しく、使い捨て眼帯と一緒に直しながら声を掛けると、引きつったような苦笑いが返される。
周囲から人払いはされているが、無数に設置された監視カメラは、つぶさにこちらの様子を伺っているだろう。
これから、世界でも初めて励起実験が行われるのだから。
人工統制人格の、本励起実験が。
「アタシ自身が作った物ですから、適合はするはずなんですけど……。感覚的なものなので、確実かは……」
手ずから削り出したという艤装を撫でつつも、主任さんの表情は優れない。
統制人格が持つ艤装という物は、ブラックボックスの塊だ。
過去、感情持ちを説き伏せ、艤装を分解した事はあったようだが、およそ機械的な動作を期待できない構造にも関わらず、実際にはキビキビと作動するという、摩訶不思議な物体だったらしい。
そんな物をどうやって作ったのかと言えば、単に鉄の塊を削り出し、それらしい形に貼り合わせ、ただ持っているだけ……のようだ。
“ヤツ”の残した資料を精査した結果、この状態で励起を行う事で、鉄の塊が艤装へと転換するとのこと。
しかし、これらの情報は全て、確証が無い。
あの戦いで目にした、阿賀野型の人工統制人格たち。のちに回収された遺体を解析した結果も、どうやら芳しくないらしかった。
そもそも、最初の成功例こそが主任さんであり、ここから先は未知の領域。願わくば、安定している今の状態を維持して欲しかったが……。
本励起を望んだのは。人工統制人格としての完成を望んだのは、彼女自身だったのである。
「あの、主任さ――」
「はいストップ」
「――んむぐ」
それがどうしても理解できず、問い掛けてみようとするけれど、いきなり唇を指でつままれた。
「その呼び方、ダメですよ? この励起が成功したら、アタシは工作艦 明石になるんです。そこら辺、キチンと認識して貰わないとっ」
ニッコリと。微笑みながら注意を促す主任さんは、胸を張ってそう言う。
屈託の無い、彼女らしい表情。
これをまた見られるという事だけでも、奇跡なのだ。それなのに、どうしてその先を求めるのだろう。
やっぱり、彼女の気持ちが分からない。
「……本当に、良いんですか。自分なんかの、船になっても」
「はい? 何を今更」
卑屈な物言いに、彼女は握り拳をこちらの胸へと置き。
そして、柔らかく微笑んでくれる。
「貴方以外は嫌です。貴方が良いんです。貴方だから、アタシは今、笑っていられるんです。胸を張って下さい。……提督」
拳が開かれ、手の平が押し当てられると、その気持ちが直に伝わってくるようだった。
でも、安心できた反面、主任さんの微笑みは、今まで見たことの無いくらいに、綺麗で。
自分の鼓動の早さまで伝わりそうで、気恥ずかしい。
「はいっ。じゃあ練習してみましょっか。アタシのこと、明石って呼んでみて!」
「え? ……明石……さん?」
「うぐっ。なんでそこで“さん”を付けるかな……」
「いやだって、ずっと主任さんだったから、つい」
「ちゃんと呼び捨てにして下さいー。全くもう」
変わらず微笑み続ける彼女を、馴染みのない呼び方で呼んでみるが、どうやら気に入らないらしく。
そんなこと言われてもなぁ……。電たちならまだしも、普通の女の子だった人を呼び捨てって、今までした事ないし……。
いや。これから彼女は、その“まだしも”の中に入るんだ。慣れておかなくちゃ。
「……ぁ、明石」
「はい、提督。何かご用ですか?」
「へ? あ、えっと、よ、呼んでみただけ、だけど」
「……そっか。そう、ですよね……」
軽めに深呼吸をしてから、主任さんの――明石の目を見据え、呼び掛ける。
すると、彼女は思いがけない返事をして、しどろもどろになってしまう。
それが移ったのか、二人で気不味く顔を逸らしてしまい……。なんだか、頬が熱くなっているような感じがした。
ど、どうにかしなくてはっ。
「あ、あははっ。なんだか、付き合いたてのカップルみたい、です、ね……」
「……アタシはそうなっても良いんだけどなー」
「んぇえっ!?」
「ふふふ。冗談ですよーだ。変なこと想像しました? 提督のエッチー」
「なっ、お、怒るぞ明石!」
「あははは! ごめんなさーい」
半分からかわれているのだと分かり、拳を振り上げて怒ったふりをすれば、イタズラっ子は舌を出して頭を庇う。
もちろん、本気で怒るわけが無い。
きっとこれは、主任さ――明石なりの気遣いであり、事実、おかげで緊張感は軽くなっている。
一番に不安を感じているのは、彼女のはずなのに。
自分も、ウジウジなんかしてられないな。
「始めるか」
「了解です!」
元気の良い返事に後押しされつつ、自分は右眼を閉じ、精神を集中させる。
別段、変わった事をする必要は無いらしい。
幾度も経験したように、普通に艦船を励起可能な状態を維持すれば、自分と彼女は魂でつながった存在となる……はず。
PCの操作音が聞こえてきた。同時に、増震機の稼働による低周波も感じる。
船に乗った状態で励起するのは初めてだが、むず痒いような、肌が痺れるような、そんな感覚だった。
「……なんだか、ちょっとだけ怖くなって、来ちゃいました……。
あの、アタシの身体に触っておいて貰えます? いつ適合が始まるか、分からないので」
「は、はい」
ふと、彼女が不安気な声を出す。
無理もない。何もかもが初めてで、失敗すればどうなるのかさえ分からないんだから。
自分は、集中を切らさぬよう心掛けながら、眼を開けて右手を伸ばす。
必要かどうかも判然としないが、通常の励起で起きる事……。統制人格と能力者が肉体的に接触しているのを、再現しておこうという訳だ。
さんざん迷った末、それは彼女の肩へ落ち着くのだが……。
「提督……」
「あ、ごめんなさいっ。でも肩がダメだと他に選択肢が」
「いえ、そうじゃなくって」
どうしてだか、不満そうな顔がそこに。
馴れ馴れしかった? でも、手とか頭とかは尚さら駄目だろうし……。
とりあえず反射的に謝るが、今度は頬を染めて。
「で、出来れば、ですね? その……。あの時、みたいに。抱き締めてくれたら、安心できるんですけど……」
「えっ」
――だなどと、吃驚仰天なお願い事をしてきたのだった。
PCから警告音。脳波が安定していないせいだ。
いかん、落ち着け、冷静になれ。
彼女はただ不安がってるだけなんだ。
今さら励起を中止は出来ないし、これは、万全を期す為。やましい気持ちは捨てろ。
……ぃ、行くぞっ!
「わ、分かりました。では……」
「……ど、どんとこーい!」
思わず敬語になりつつ、距離を一歩詰め、おずおずと細い身体を抱きしめる。
……と言っても軽くである。ほとんど力を込めず、腕の中に納めるだけ。
彼女の方も、腕をこちらの背中に回している。戸惑っているのがその手付きから分かった。
言葉は発しない。そんな余裕が無い。
ちょうど、鼻のある高さで赤毛が揺れ、微かに甘い芳香が嗅覚をくすぐる。
それだけでなく、肩口へ押し付けられた小さな頭が。その重さが、何故だか心地良くて。
心臓は異様な早鐘を打ち、しかし、心は落ち着きを取り戻している。警告音も止んでいた。
奇妙な安心感。
先程の手の平もそうだったが、他人の体温を感じるというだけで、こんなにも安らぐものだろうか。
なんだか、申し訳ないような……。罪悪感? も覚えるけれど、今しばらくは。彼女が望む限りは、こうしていなければ。
「――あっ」
「どうしました?」
「始まった、みたいです。あ、何、これ。何か、流れ込んで……」
言い訳染みた事を考えているうちに、腕の中にある身体が小さく跳ねる。
同時に、全身で感じる微動が、より強く。
始まった。人間として生まれた彼女が、軍艦として生まれ変わろうとしているのか。
……でも、なんだ? この嫌な予感は……?
「いや、違う、だめ……。それは、アタシじゃ……。でも……う、あ……っ」
「主任さ……? 明石? おいっ」
それを裏付けるが如く、彼女は熱に浮かされているように、うわ言を繰り返す。
肩を揺すぶってみるけれど、眼の焦点が合っていない。
此処ではない何処かを。今ではない何時かを見つめている。
動くはずのなかった艤装も、不気味に蠢いていた。まるで、もがいているようだ。
「アタシが、消える。アタシが、塗り潰、され、て。アタシ、あ、アタ、ああ、ああああああああああああ」
「そんな……っ。ダメだっ、しっかりしろ! 呑まれるなっ!」
「ああ、あ、あああああ、あああ、ああああ」
励起振動は最高潮に達し、通常であれば、統制人格が顕在化する頃合い。
だが、彼女の様相は明らかに、悪い方向へ向かっている。
工作艦の過去が刷り込まれようとして? でもこれは、“侵食”されているようにしか……。
必死に呼び掛け続けても、虚ろな瞳から、どんどん生気が失われていく。
もはや立ってもいられないのだろう。膝は崩れる寸前で、自分が支えていなければ、とっくに倒れてしまっている。
どうして、こんな。
ダメなのか? せっかく助かったのに、また?
(そんなの、あんまりじゃないか。なんで、この人にばかり)
どれほど強く抱き締めても、抱き返される事はない。
呼び掛けに返るのはうわ言ばかりで、彼女の眼に自分は映らない。
消えていく。主任さんが。
横須賀で散々お世話になって。
死なせてしまったと思ったら、生きていてくれて。
自分なんかの為に、船になるとまで言ってくれた、女の子が。
そんな事、認められるかっ!
「……自分の船に、なってくれるんだろう?
だったら、その命令に従う義務があるはずだ。
勝手に消えるんじゃない。君が消えるのは、自分が死ぬ時だけだ。
頼むから……っ。お願いだから、戻って来てくれっ!」
脱力する彼女の身体を抱き留め。
虚空を見つめるその視界を、頬に手を添えて無理やり正し。
自分は全身全霊を込めて、叫ぶ。
すると、地震かと思うほどに激しかった励起振動が、急に止まった。
同時に、彼女が身に付けていた艤装も消失。糸が切れたようになる身体を、慌てて横たえる。
この感覚は……。励起を終えた時に似ているが、確証を持てない。
まぶたは硬く閉じられていた。
胸の上下から呼吸を確認できるけれど、彼女の心が無事かどうかは、分かるはずもない。
「し、主任さん……?」
恐る恐る、今まで通りの呼び方で、彼女を呼んでみる。
実際には数秒だろうが、十分以上にも感じられる沈黙の後、ようやく、まぶたが開き始めた。
眠りから覚めたばかりの、微睡んだ瞳。
何かを探すように宙を泳いだ視線は、やがて、こちらの視線と重なる事で一点に定まる。
薄桃色の唇が、わなないた。
「……もう。明石だって、言ってるじゃない、ですか……?」
「あ……。よ、良かった……」
しょうがないなぁ、というような苦笑い。
そのおかげで、彼女の心が無事であると理解できた。
成功した。成功した、んだよな?
艤装が消えてしまったのは、何故だか分からないけど、とにかく一安心、か。
「どこか、おかしく感じる所は? 痛みとかは?」
「いいえ。特には。変な感じは、変な感じですけどね。
さっきまで、アタシという存在が消えちゃうかと思ってたのに。
提督の呼ぶ声が聞こえた瞬間、なんというか……。引っ張り上げられた、ような」
「これで、工作艦に……」
「はい。それは確実です。こうだ、って説明はできないんですけど、アタシ自身がそう確信してます。
人間としての過去と、工作艦としての過去が、分離しながらも同じ位置にある、というか……。う~ん、やっぱり難しいですね……」
彼女を――明石を支えながら問い掛けると、立ち上がりつつ、彼女自身も首を傾げる。
やっぱり、感覚的な物を説明するのは無理だろう。
自分だって、能力を使っている時の事を事細かに説明しろ、と言われたらお手上げだ。
上の連中はそれで納得しやしないだろうが、彼女はもう自分の船。しっかりと護らなければ。
完全に復調したらしく、照れ臭そうに「どうも」と呟いた明石は、腕の中から逃れ、少し離れた場所で艤装を出し入れしていた。
どうやらあの艤装、霊子化して体内へ格納されただけのようだ。
詳しい原理なんて知らないが、本当に統制人格になったんだな……。
「とにかく、無事で良かった。一時はどうなることかと」
「あはは。ご心配をお掛けしました。それじゃあ、改めて……。
工作艦、明石です。艦隊の修理は、これからもアタシにお任せ下さいね!」
「ああ。よろしく頼む」
艤装状態で姿勢を正し、幾度となく見てきた笑顔を浮かべた明石が、右手を差し出す。
改めるとやはり気恥ずかしく、ほんの少しだけ躊躇った後、自分はそれを握り返して、敬語は使わずに頷いた。
今までずっと敬語で通してきたし、慣れるにはちょっと時間が掛かるだろうけど。
きっとその方が良い。そう思う。
「……あ~、と……」
「……ど、どうかしました?」
「い、いや。特に、どうという事は、ないんだけど」
「……そう、ですか……」
微笑み合いながら、繋いだ手を解くタイミングを見計らう自分たち。
なんだろう。もう離しても良い頃合いだろうけど、なんだか、惜しむような気持ちが湧いてくる。
いっそ、大井みたいに嫌がってくれたら、とも思うが、明石は顔を逸らすばかり。
……どうしよう。気不味い。
と、そんな時。パチパチパチ、という拍手の音が背後から聞こえてきた。
もうここしかない、と手をさり気無く解きつつ振り返れば、見覚えのあるセーラー服少女の二人組が。
「君たちは、間桐提督の……」
「はーい! なっちゃんです!」「むっちゃん、です。成功、おめでとう、ございます」
「あ、ご丁寧にどうも……。へぇ、この子たちが間桐提督の長門型なんですねぇ~」
どうやら、人工統制人格の励起実験について知っていたようで、少女たちと明石は丁寧に頭を下げあっている。
彼女たちがここに来るだなんて、どういう事だろう……?
話は変わるが、Ms.フランとあの店を出た後、自分たちはまっすぐ例の施設へと戻り、元帥との最後の別れを済ませた。
彼女も浅からぬ縁があったらしく、とても長く、静かに祈りを捧げる姿が印象的だった。
本当は間桐提督にも会いたかったが、彼らは既に立ち去っていて、桐ヶ森提督も含め、顔は合わせられず終い。後ろ髪を引かれる思いで、自分は施設を後にしたのだ。
その時点でMs.フランとは引き離されたが、後日、正式な連絡ルートが確保され、ちょいちょい雑談混じりの話し合いが持たれている。
ひとまず、「なんか適当なイタリア艦をそっちに送るから、楽しみにしといて?」、とのこと。
相変わらずアバウトな言動だったけれど、それがあの人らしいんじゃないかと、今ではそんな風に思える。
そんな訳で、間桐提督の長門型……。略称は「ながむー」だったっけ?
この子たちに会うのも数日ぶりなのだった。
「どうしてここに? 何か用なのかい」
「うん、お使いですっ」「桐林さんを、呼びに来ました」
「提督を? 一体、誰が……?」
片膝をつき、視線の高さを合わせると、なっちゃんは元気よく、むっちゃんは淑やかな返事をした。
明石は首を傾げているが、この二人を遣いに来させられる人物など、“彼”しか居ないだろう。
……流石に、二度もいきなり殴られるって事はないだろうが、どうしても身体が緊張した。
そうとは知らない少女二人は、勿体ぶった笑みを浮かべ、小走りに駆け出す。
タラップを降りていく背中を目で追うと、その先に居たのは……。
「間桐提督……。と、疋田さん?」
少女たちに纏わり付かれている美男子――間桐提督こと、吉田 皆人と。
明石と同じ制服に身を包み、細長いアタッシェケースを提げた女性――疋田 栞奈さんが、そこに居た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
重苦しい雰囲気が漂う、移動用大型カートの中。
沈黙を破ったのは、工作艦のあった第九ドックから、間桐提督の指定した第三ドックへ向けて運転する、疋田さんだった。
「えっと……。お、お久しぶりですね。桐林提督に、主任さん。……いえ、もう工作艦の明石さん、ですか」
「え? あ、あの、もしかしてアタシの事情、全部……?」
三列シートの中央。自分の左隣に座る明石が、おっかなびっくり、といった様子で問い返す。
彼女が人工統制人格であるという事実は、言うまでもなく最高機密に類する情報だ。
知っているのは“桐”の数名と、海軍情報部の極一部。一介の警備員だった疋田さんが、知り得ないものである。
自分の救出作戦に参加したという経緯を知っていれば納得だが、わざわざ明石にそれを教える人物も居ない。驚いて当然か。
疋田さんの苦笑いが、バックミラー越しに見えた。
「ええ。救出にも立ち会いましたから、全部知ってます。ご無事で何よりでした」
「……はい。ご迷惑をお掛けしました。というか、その格好。アタシと同じ……」
「あ、これですか」
明石が深々と頭を下げた後、話題は疋田さんの服装に移る。
横須賀で彼女が着ていた制服と言えば、警備部の青いスーツだったはず。
でも、今着ているのは明石と同じ……。鎮守府の庁舎などに勤める、若年女性職員用の制服。スカートの丈だけは少し長めになっているようだ。
どうしてあんな服を着ているのか、自分も疑問だった。……いや、年齢的な意味じゃなくて。
「実は私、調整士の資格を取りまして。この度、正式に桐林提督付きの調整士として選ばれました」
「なるほど、そういう……。あ、調整士といえば、書記さんは? いつもなら提督の側に控えてそうなのに、ずっと姿が見えなくて。アタシ、気になってたんです」
「……あの人は、舞鶴で色々あって……。今は梁島提督の保護下に居るはずです」
「梁島の……!?」
予想外の名前に、自分は前のめりになってしまう。
疋田さんが調整士になったというのも驚きだが、書記さんが梁島の所に居るだなんて、聞いていない。
どこまで本気だったか分からないけれど、自分を目の前にして、家族を盾にするような発言をした男が、あの人を。
不信感を露わにする自分だったが、しかし、疋田さんは首を振る。
「安心して下さい。多分ですけど、提督の思ってるような事態にはならないと思います。あの二人なら」
「どうして言い切れるんですか。何か知って……?」
「私の口からは、言えません。信じて頂くしか」
知らず、硬質な声をぶつけていたが、彼女は頑なだった。
……多分、自分の知らない、なんらかの事情を把握しているのだろう。
正直に言えば、二度と関わり合いになりたくない相手だ。でも、そんな事を言ってはいられない。
疋田さんを信じたい気持ちもあるけど、何か考えておかなくては。
そんな、敵愾心にも似た感情を悟られたか、バックミラー越しの彼女の笑顔が、殊更に大きく花開く。
「とにかく保証しますんで! なんだったら、私のファースト・パイタッチを賭けてもいいです! 信じて下さい!」
「……それって賭けの対象になる事ですか? いやまぁ、確かに今の疋田さんはそういうお店の人っぽいですけど」
「桐林提督ヒドいっ!? 私だってコスプレっぽいの気にしてたのにぃ!? どうせこの女子メンバーの中じゃ最年長ですよぉぉおおおっ!」
「ちょっ、疋田さんスピードスピード! すみません謝りますから!」
「お、おいバカ! 飛ばすんじゃねぇ並乳女っ、気持ち悪くなんだろうがっ!?」
「パパ」「セクハラ」
「あはは、シリアスが長続きしないなぁ」
どうやら地雷を踏んでしまったようで、大型カートは急激に速度を上げ始める。
オマケに、車体があっちへフラフラこっちへフラフラ。置かれている資材コンテナと、何度もニアミスを繰り返す。
明石は妙に楽しそうだけど、事故りそうで怖い!
ホントごめんなさいっ、疋田さんまだ若いですからっ。
少なくとも自分よりは歳下だし、イメクラっぽいけど可愛いですよ!?
「はぁ……。はぁ……。も、申し訳ありません。最近、ちょっと焦りを感じ始めてまして……」
「まだ焦るような歳じゃないでしょ……。そんなこと言われたら、未だに彼女居ない歴=年齢な自分はどうなるんですか……」
「あ、奇遇ですね。私も彼氏居ない歴=年齢です。けど桐林提督の場合、金剛さん辺りで妥協すれば、今すぐにでも脱喪男できるんじゃ?」
「いやいや疋田さん。アタシ、恋人って妥協して作るものじゃないと思いますよ? やっぱり初めての恋人って、お互いに好き合って結ばれたいじゃないですか」
「甘い! ダダ甘ですよ明石さんっ! そんな風に考えてたら、あっという間に歳食っちゃうんですからね!? 私みたいに!」
「なんの話をしてんだオマエらは。くだらねぇ……」
「だよねー。パパにはなっちゃんが居るもんねー」「そうです。むっちゃんが、正妻ですから」
「やめんかバカたれ共。憲兵が来たらどうすんだ」
爆走して少しは落ち着いたらしく、カートのスピードは徐々に安全域へ。
それと引き換えに、今度はカート内が騒がしくなってきた。
疋田さんって、確か二十三歳だったよな。
二十世紀に生まれた格言の一つに、「女はクリスマスケーキと同じ」という言葉があるらしいが……。男である自分も、焦った方が良いのだろうか。
ふと気になり、最後列シートで、両脇に幼女を侍らせる間桐提督へ視線を向けてみると、バッチリ眼が合った。
数秒の空白を置き、彼は「ふん」と鼻を鳴らす。
「オレは謝らねぇからな。何も間違ったこたぁしてねぇし」
「……はい。その必要はありません。おかげで目が覚めましたから。ありがとうございました」
つっけんどんな態度にも、自分は頭を下げる。
殴られたのは痛かったが、痛かったからこそ、結果的に色々な事を考えさせられ、己自身を見つめ直す事が出来た。
あの一件を知らない明石と疋田さんは首を傾げているが、とにかく、感謝しているのは本当だ。
一方、間桐提督は目を丸くし、驚いているのかと思えば、そっぽを向いて嫌味ったらしい顔を。
「殴られて礼を言うとかマゾかよ、変態野郎」
「パパって呼ばせてる人に言われたくないですねー。本当は喜んでるんでしょう?」
「はぁ!? だ、誰が喜ぶかこのドアホ! オレはコイツらの事なんかなんとも思ってねぇっつの!」
「うわ、酷い。なんて酷い言い方。なっちゃん、むっちゃん。大丈夫かい?」
「しくしく。大丈夫じゃないー、傷付いたー」「謝罪を、要求します。ひっく、ひっく」
「いや明らかに嘘泣きだろオマエら」
「謝れー、謝れー!」「ごめんなさいって、言いなさい」「ついでに土下座しろー」
「テメェやっぱ根に持ってんじゃねぇのかぁ!? ってか、なんでそんなに息ピッタリなんだよっ!?」
流石に変態呼ばわりにはイラっとさせられ、ながむーちゃん'sと一緒になってやり返す。
なんの躊躇いも、気遣いもない。これが、普段通りの自分たちだろう。二人のノリが良くて助かった。
様子を伺っていた明石も何時しか微笑み、楽しげに呟く。
「意外と仲良いんですね。お二人って」
「そりゃまぁ。一応、友人だしね」
「っ! ……ふんっ」
「そっかぁ、ついに提督にもお友達が……。横須賀ではボッチだったのに、明石は嬉しいですよ……っ」
「ぼ、ボッチじゃないだろう? ほら、みんなが側に居たし、疋田さんだって居たし。ねぇ?」
「えっ? 私、友達枠に入ってたんですか?」
「何その反応。え、もしかして自分、勝手に友人だと思い込んでたの?」
「あ、違う違う違いますっ。てっきり知人とか、知り合い枠だと思ってまして。
友達っていうには立場が違い過ぎるかなー、とか考えてただけで、決して嫌いじゃありませんから!
時々、殴りたくなる事もあったのは事実ですけど」
「知りたくなかった事実をありがとう……」
「桐林さん、だいじょーぶー?」「泣いたら、めー、ですよ……?」
まるで、息子の成長を見守る母のように、ハンカチを涙で濡らす明石。
笑顔でグサっとくる新事実をブチまける疋田さん。
自分はシートの背もたれにうな垂れ、ながむーちゃん'sに慰めてもらう。
結構な温度差があってビックリですよ……。
まぁ、自分だって逆の立場だったら、疋田さんと同じような反応をしただろうけどさ……。
「……ったく。アホくせぇ。んな事より、だ。テメェに渡すもんがある。おい」
「はい。明石さん、これ後ろにお願いします」
「あ、りょうかーい」
寂しさを噛み締めていると、どこかワザとらしい溜め息をついた間桐提督が、疋田さんへ呼び掛けた。
助手席を示した彼女に従い、明石が立て掛けられていた長いアタッシェケースを引っ張り出して、そのまま最後列へと橋渡し。
彼はそれを受け取り、膝の上で開く。取り出されたのは、全く同じデザインの、二振りの刀だった。
「それは……?」
「オヤジの……。吉田 剛志の伊勢型二人が使ってたもんだ」
訝しむ自分の呟きに、間桐提督が静かな声で返す。
カート内の雰囲気は一変し、空気が重みを増した。
「遺言が遺されててな。舞鶴での戦いで使った伊勢型と、オヤジがもともと持ってた伊勢型を、オレらで分配する事になった」
「元帥の? まさか、それで第三ドックに?」
「ああ。古い方をオレに、新しい方をテメェにだとよ。全く、準備が良すぎなんだよ、あのクソオヤジ」
伊勢型の分配。寝耳に水だった。
そもそも、自分と明石が工作艦を降りた後、彼は「着いて来い」とだけ言ってカートに乗り込んだので、聞くタイミングが無かったというのもあるが……。
元帥は、どこまで先を見通していたのだろう。
自分自身が死ぬ事を織り込み、一体どんな未来を描いていたのか。今となっては知る由も無いけれど、底が知れない。
遅まきながら畏敬の念を深くする自分へ、間桐提督は無言で刀を差し出している。
何も考えず受け取ろうとしてから、本当に受け取る資格があるのかと、疑念が頭をよぎった。
この刀は、いわば元帥と、伊勢さん、日向さんの形見だ。
ただの刀と言ってしまえばそれまでだが、この二振り込められた意味は、果てしなく重いはず。
……やっぱり、今の自分には受け止めきれない。
「受け取れませんよ、こんな大切な物。それこそ間桐提督が……」
「勘違いすんな。これは温情でもなんでもねぇ。実験の残りカスだ」
「実験?」
脈絡を感じられない言葉に眉をひそめると、間桐提督が一方の刀の鯉口を切り、刃を確かめる。
美しい刃文の上を、光がなぞった。
「感情持ちの統制人格の艤装が、能力者と消滅した後も残るなんざ前代未聞だ。
それを励起時に用いることで、ひょっとしたらテメェのように、最初っから感情持ちを呼べるんじゃねぇか、ってな」
「っ!? どうなったんですかっ?」
「半分成功で、半分失敗だ。明らかに意識の芽生えはあったが、テメェの統制人格程じゃなかった。ホントどうなってんだかな」
カチン、と
苦笑いのような、己を皮肉っているような。複雑な表情だった。
「励起が終われば消滅するかと思ってた訳だが、何故かまだ残ってやがる。
オマケに、どんだけ解析してもタダの刀としか判断できない。
で、所有権はオレに移ったんだけどよ。宝の持ち腐れにしかなんねぇからな。
……だったら、少しでも“何か”を起こす可能性のあるヤツに、渡したかった」
言い終えた彼は、押し付けるようにして刀を差し出す。
穏やかな瞳。
普段の彼を考えれば、青天の霹靂にも等しいそれだが、茶化そうなどとは思えない。
明石を見る。
微笑みを浮かべ、大きく頷いてくれた。
なっちゃんと、むっちゃんを見る。
ソワソワとこちらの様子を伺ったり、何か、期待するような眼差しを向けていた。
(変な気分だ……。あの時も、自分は)
なんとなく、半年ほど前を思い出す。
“桐”として初めて舞鶴へ向かい、間桐提督を始めとする同僚と対面した、会談の日。
あの日、自分は元帥から、桐生提督の中継器を引き渡され、受け継いだ。
それが今度は、単なる嫌味な棒人間だった間桐提督から、元帥の形見を……。
運命。宿命。宿業。
色んな言い方があるだろうが、そんなものを感じてしまう。
「さっさと受け取れやアホ。腕が疲れんだろ」
「……はい。確かに、受け取りました」
「ん」
受け取った二振りは、思いの外軽く、しかし異様な存在感を以って、自分の手の内に収まった。
なんの変哲も無い鞘が、何故だか暖かく思えた。
「それと、コイツもオマケに取っとけ」
「へ? ……っとと」
感慨深く刀を眺めていると、そこにもう一つ、強引に渡される物が。
伊勢さんたちのそれより短く、けれど、ズッシリとした重みを感じるそれは……。
「小太刀?」
「兵藤の三笠刀だ。梁島んトコからパチって来た。ソイツはオマエが持つべきだ。いや、持たなきゃならねぇ。分かるな」
「……はい」
頷きながら、自分は小太刀を握り締める。
……初めて見た。
梁島が自分を殺そうとした時、元帥が振るったという高周波振動剣は、先輩の持ち物であったと、話には聞いていた。
拉致事件の際、“ヤツ”に折られた一振りと、“ヤツ”を貫いたとされる、もう一振り。
双方共に回収され、特に後者からは“ヤツ”の血液サンプルなどが採取でき、詳しい解析をしているらしい。
存在自体は知っていたものの、その所在については答えて貰えなかった。てっきり軍の所有物になったと思っていたが、まさか、梁島が秘匿していたとは……。
「三笠刀自体の切れ味は然程でもねぇが、高周波振動で戦車の前面装甲もブチ抜く。
しかし本命は、電解ダマスカス鋼の鞘だろうよ。
折れず、曲がらず、砕けず。護身用の武器としちゃあ一級品だ。使えるようにしとけよ」
アタッシェケースを閉じつつ、間桐提督が言う。
この重み。自分が感じている後ろめたさからでは、なかったようだ。
高周波発生装置の分と、マーブル模様が特徴の鞘。合わせて五~六kgはあろうか。
先輩が……。あの人が遺してくれた、武器。
自分に戦闘技術は無い。基礎訓練でも苦手な分野だった。
けれど、もうそんな事も言ってられない。
これを使って、強くならなくちゃいけないんだ。自分で自分を守れる位には。
「はい、着きましたよー」
疋田さんの声に、考え込んでいた自分はハッとさせられる。いつの間にか、カートも止まっていた。
左手に刀を二振り。右手に小太刀を持ったまま、降車する皆に慌てて続けば、数十m先の右手に、二隻の戦艦が縦列して見える。
扶桑型と比べると低いが、重厚感のある艦橋。
船尾方向、第五砲塔のあった場所は、改修で格納庫と航空甲板に変貌していた。
航空戦艦、伊勢・日向。
“ヤツ”との戦いを経て、空っぽとなってしまった、魂の器だ。
「これが、元帥の……」
「ボサッとすんな。ほれ、始めんぞ」
呆然と、真新しく見える船体を眺めながら、丁度、二隻の中間地点の延長となる場所で、励起の準備が進む。
既に増震機は取り付けられているらしく、間桐提督はアタッシェケースを椅子代わりに、ノートPCを操作している。
明石と疋田さん、長門型の二人は、遠くからこちらを見守っている。お喋りしているようだが、流石に聞こえない。
しばらくすると、明石を励起した時と同じように、腹の奥に響く低周波が。
「あん? 浸透圧が妙に低いな……。増震機の出力を上げっか……」
「……いえ、必要ありません」
「は? お、おい」
どうやら数値に異常が発生しているようで、間桐提督の悩まし気な声が背中に届く。
しかし、自分はそれを気にも留めず、航空戦艦たちへと歩み寄る。
不思議だが、確信があった。
そんな物に頼らずとも、“彼女たち”は応えてくれる、と。
「はぁ……。すぅ……」
大きく息を吐きながら、小太刀をベルトの後ろへ。
次に、空っぽの肺を空気で満たしつつ、一振りずつ刀を手に。
熱い。
主を喪った刀と、異形の左眼とが、共鳴するしているような。
そして、何故だか感じ取れる。
“彼女たち”の内に潜む――いや。燻っている、熱情の残滓を。
その残滓が訴え掛ける。
早く起こして。早く呼んで。早く。早く。早く。
……勘違いかも知れない。
自分がそう思いたいだけなのかも知れない。
けれど、自分は急かされるまま、心の赴くままに、左右の刀を前へ差し出す。
「来い。伊勢、日向」
名を呼べば、周囲を満たしていた低周波が一瞬で消え去り、代わりに、空間に“たわみ”が二つ生じた。
その“たわみ”へと、光が集まる。
段々と人を形取るそれらは、ゆっくりとこちらに近付き、やがて、臣下が礼を尽くすように跪く。
片膝をついて、手の平を上に、両手を掲げる様は、まるで刀の拝領を待つ姿。
迷う事なく、自分は二人の手に刀を置いた。
刹那、光が爆発し、一瞬だけ目がくらむ。
視界が回復する頃には、恭しく刀を拝領した女性たちが、凛々しく顕現していた。
「超弩級戦艦。伊勢型の一番艦、伊勢。参りました」
赤茶色の髪をポニーテールにする女性――伊勢は、立ち上がりながら刀を右腰に差す。
金剛たちと同じような、巫女服を改造したような出で立ちだが、余計な装飾は一切無く、スカートの落ち着いた色合いや草履が、侍のような印象を与える。
左腕には航空甲板が据え付けられ、腰と肩の両脇へと迫り出す四つの砲塔は、その名に恥じぬ威圧感を放っていた。
「同じく、伊勢型の二番艦、日向。
そして、ほぼ同じ立ち姿の日向も、同じように刀を差しながら謙る。
髪は短か目に切り揃えられ、口上は伊勢よりも落ち着いて聞こえた。
「我ら、等しく御身の剣、御身の船となり」
「立ち塞がるモノを尽く斬り伏せ、撃ち砕いて御覧に入れよう」
左腕を胸の前で構えた二人は、時代劇さながらの台詞回しで自己紹介を締め括る。
その前に立つ自分はと言えば、ただただ、彼女たちの存在感に圧倒されていた。
過去、なんらかの理由で高練度の統制人格が消滅した軍艦を、他の能力者が再利用する場合はあった。
が、新しい統制人格に練度が引き継がれるという事も無く、完全に塗り潰されてしまうのが常だった。
しかし、眼前のこの二人は違う。
この世に生まれ出でたばかりだというのに、歴戦の勇士たる濃密な闘志を漂わせているのだ。
何よりも、魂で繋がる自分自身が理解している。
この伊勢と日向は、“伊勢さん、日向さん”とは違う存在だけれど、確かに“何か”を継いでいるのだと。
自分に、御せるだろうか。
あの人のように、臆せず戦えるだろうか。
そんな不安を募らせる、情けない自分だったが……。
「……とまぁ、堅苦しい挨拶はこの辺で良い?」
「は? あ、ああ。構わないが」
「やっぱり、最初くらいはキチッとしとかないとね? 改めまして、伊勢よ。よろしく!」
「……よろしく、頼む」
「うんうん! いやぁ、そんな顔してるから性格も厳ついのかと思ったけど、話が分かる良い上司じゃない。ね、日向?」
「悪かったな、こんな顔で……」
意外な事に、艤装を格納した伊勢は堅い表情を崩し、気さくに握手まで求めて来た。
躊躇いながら手を差し出すと、ガッチリ握られ上下にブンブン。
な、なんだろう、このフレンドリーな感じ。さっきの……威圧感みたいなものは、気のせいだったのだろうか?
と思ったのも束の間。伊勢の隣に居る日向は、落ち着いた雰囲気を維持したまま、胡乱な眼をこちらに。
「君が、提督か? ふぅむ……」
「……不服か」
「さぁ。だが、一つ聞いておきたい。……君は、なんの為に“
腕を組み、同じく艤装を格納する日向。
それでも刀は腰にあり、いうなれば野武士、山伏のようだ。空気を読んだか、伊勢も手を離して距離をとった。
自分がここに居る理由……。戦場に、身を置く訳?
少し前の自分だったら、きっと答えに窮していただろうが、もう違う。
迷うこと無く、答えられる。
「みんなの、居場所を……。
誰かの安らぎになったり、営みが繰り広げられる場所を、守るために。
自分自身がそんな場所と成る為に、ここに居る。力を貸して貰うぞ。伊勢、日向」
黒い瞳を真っ向から見据えて、自分は答える。
日向の眉がピクリと反応し、伊勢までもが大きく眼を見開いた。
単に驚いているのか。はたまた、期待外れだったのか。
どちらにせよ、この二人は自分にとって大きな“力”となる。
是が非でも一緒に戦って貰う、と右眼で訴え続ければ、日向は瞼を閉じ、軽く溜め息を。
少しだけ、微笑んでいる……?
「……まぁ、いいさ。その言葉を忘れなければ、君は……」
「はいはい、日向ってば真面目過ぎなのよ。もっと気楽に気楽にー」
「伊勢……。離れないか、全く」
何かを言いかける日向だったが、伊勢に無理やり肩を組まれ、中途半端で終わってしまう。
例えるなら、伊勢が柔、日向が剛、というような感じか。
……元帥と共に逝った“彼女たち”も、そんな風だった。
何はともあれ、取り敢えずのお眼鏡には適ったらしい。
この二人を――いや、この二人と明石、それに疋田さんを仲間に加えて、また新しい戦いが始まるのだ。……ここからだ。
と、胸の内で決意を固めていた所へ、やたら大きな拍手が一人分。
何故だろう。水を差されたような気分を引き起こす、それの主は……。
「お見事です。貴方の“力”、確実に階梯を昇ったようですね」
「……桐谷提督」
変声機を使い、重低音の声で労をねぎらう男。“梵鐘”の桐谷提督だった。
いつから様子を伺っていたのか、声もなく驚いている明石たちの更に後ろから、ゆっくりと歩み寄って来る。
間桐提督が腰を上げ、敵意を剥き出しに凄む。
「テメェ、何しに来やがった」
「そう構えないで下さい。誤報告については謝罪したじゃありませんか」
「許した覚えはねぇ。今後許すつもりもない。……桐林、オレぁ先に帰るぞ。胸糞悪い」
「あっ、パパっ? えっと、えっと。ごめんなさい、またねー!」「挨拶は、またの機会に。失礼、します」
吐き捨てるように、彼は一方的に別れを告げ、代わりに謝る少女たちと歩き去る。
対する桐谷提督の顔には、やはり笑顔が貼り付けられていて。
「やれやれ。すっかり嫌われてしまいました」
「……自業自得ではありませんか」
「おや、手厳しい。貴方もですか。寂しいですねぇ」
肩をすくめる姿が、どうにも胡散臭い。
一応、大人としての礼儀は払うつもりだが、先日の一件で、自分の中では梁島と同様、敵に分類される男だ。余程のことがない限り、好意的な目で見るなんて不可能に近い。
それを知らないはずの桐谷提督は……。否、知っていても大して行動を変えないだろう彼は、間桐提督の背中が小さくなるのを待たず、こちらに向き直る。
「それはさておき。デバガメしていたのは他でもありません。桐林殿、貴方の今後について、お話ししたい事があったからです」
「自分の、今後?」
「はい」
立ち話でするには重要過ぎる内容に、思わず右眼を細めてしまう。
自分の身柄は、あいも変わらず桐谷提督の監督下にある。
イタリアとの同盟で、無下に扱われる可能性はかなり減ったはずだが、彼自身からは逆に恨みを買ったに違いない。
それでも、国と千条寺家の利益を上げる為ならば、手厚く援助すらしてくれそうな人物だが……。
「貴方には、横須賀から去って頂きます」
「……何っ!?」
桐谷提督が放った一言は、予想を遥かに超えて、自分の心を揺さぶった。
左眼が、微かに疼く。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
船渠から秘密港内部施設へ繋がる、無機質な通路。
多くの人が行き交ってもおかしくないのに、全く人影が無いそこを進みながら、自分は考え込んでいた。
(一体、どういう事なんだ)
伊勢、日向の励起から、もう十数分が経っている。
周囲の風景は段々と変化し、自動ドアや曲がり角の多い、居住ブロックに差し掛かっているようだ。
所々、壁に設けられた案内図を確かめながら向かう先は、桐谷提督に指定された部屋。
そこで待っている人が、居るらしい。
『貴方と梁島殿には、舞鶴鎮守府へと移籍して頂き、その再建を担って貰います』
彼の話を意訳すると、テロやら何やらで損害を被った舞鶴鎮守府を、自分と梁島、二人だけを擁する隔離施設にしたい、という事だった。
不穏分子に簡単に侵入され、あまつさえ爆破されるという失態を演じた人員を総入れ替え。
そこへ、“ヤツ”との戦い――舞鶴事変と名付けられたようだ――で名誉の負傷を負った“英傑”を据える事で、民衆の不満を僅かなりとも抑える、と言うのが理由の一つ。
もう一つの理由は、自分が得た“力”の影響を考えて、だ。
自分はまだ、あの“力”を制御できているとは言い難い。
そんな状態で、極めて練度の高い傀儡艦を用いた戦闘を行ったら、どうなるか。
運悪く暴走し、その“力”が陸へ向けられてしまったら。
万が一にでも、そんな事があってはならないのだと、彼は言った。
きっと、他にも理由はあるだろう。
舞鶴の再建は千条寺家が出資するだろうし、国に刃向かおうとした自分を監視し易くもなる。
加えて、せっかく人類が手に入れた新しい“力”。研究もせずに放って置くわけがない。
それらを考えれば、納得はできずとも、理解はできる。
しかし、気になるのは別の事なのだ。
『不服にお思いでしょうが……。きっと貴方は、自ら舞鶴へ行くと仰ってくれますよ』
事のあらましを説明し終えた後、桐谷提督はこう言って、とある部屋番号を示し、姿を消した。最後に、「お一人で向かわれた方が良いですよ?」と付け加えて。
取り残された自分と明石、伊勢に日向、疋田さんは、しばらく気不味い沈黙を味わってから、疋田さんの運転で港を離れ、言われた通り、一人で地下施設を歩いている……というのが現状だ。
何を企んでいる。
一体、今度は何をさせたい。
人通りの全くない通路を歩き、ずっと考え続けているが、答えは見つからず。やがて、目的の部屋へと辿り着いてしまった。
表側から掛かる電子ロックの自動ドア。
保護対象を守ったり、逆に危険人物を閉じ込めるために使われる部屋だ。
自分を待っているのは誰だろう……。いや、考えていてもしょうがない。
頭を振って迷いを振り切り、自分は静脈認証でロックを解除する。
窓が無く、中央に応接セットがあるだけの、十六畳ほどの部屋。
そこで待ち構えていたのは……。
「……司令官? 大丈夫なのかいっ?」
「響? 暁も……」
「そうよ、私も居るわ! ずっと心配してたんだからぁー!」
酷く懐かしく感じる、仲間たちの顔だった。
誰よりも早く立ち上がった響。抱き着いてくる涙目の暁。
壁際に寄り掛かっているのは、天龍と龍田。そして、ソファに腰掛ける、双子のように似た少女――雷と、電。
呆然と六人の顔を見渡す自分に、天龍型姉妹が歩み寄る。
「調子は悪くなさそうだな。安心したぜ」
「天龍……。すまない、心配かけた。龍田も」
「良いのよ~、気にしなくて。私は大丈夫だろうって思ってたから~」
「はは、そうか」
盛大に溜め息をつく天龍は、やっと気を抜ける、というような。
いつも通りの微笑みを浮かべる龍田も、どこか、いつも以上に柔らかい雰囲気の表情を見せてくれた。
……ああ、ホッとする。
心から気を許せる相手と話せるのって、やっぱり安心する。
その分、桐谷提督の言った言葉は気に掛かるけど、ひとまず置いておこう。横須賀の状況を確認しなければ。
「みんなは、どうしてる?」
「ハッキリ言って、酷い状態だね。横須賀の艦隊は、通常の半分ほどしか機能していないよ」
「金剛さんも、長門さんも、鳳翔さんも赤城さんも加賀さんも。司令官の事が心配で、仕事が手に着いてないの……」
響たちの口から語られたのは、思いも寄らぬ惨状だった。
金剛だけならまだ分かるが、赤城や長門までそんな状態になっているなんて。
心配して貰えるのは嬉しいけれど……。やっぱり、横須賀へ帰らなくちゃ。
早急に活動基盤を復活させ、今後、横槍が入らないよう立場を強化する必要がある。
……そう言えば。今まで面会など言語道断、という感じだったのに、みんなは何故ここに?
「一つ聞いていいか。君たちは、どうやってこの秘密港に来たんだ?
「あの図体のデカい野郎だよ。彼の事を考えれば、身柄は動かさない方が良い……とかなんとか言っててよ。
怪我でもしてんのかと思ってたが、ピンピンしてんじゃねぇか。トンだホラ吹きだぜ、ったく」
「具体的に言うと~、桐谷提督が横須賀に連絡してきてね~? 代表者数名だけ、という条件で、面会させてもらう事になったのよ~。ケチ臭いわよね~」
「……それって、金剛が騒いだんじゃ……」
「オレらもそう思ったから、教えてねぇんだ。正直、後は怖いけどよ……」
「赤城さんたちが気を遣ってくれたのよ~。絶対に、会っておかなきゃいけない子が居るでしょう~?」
ポン、と天龍に肩を叩かれたかと思えば、音も無く背後へ回った龍田に背中を押される。
押し出された先には、ソファから離れた二人の少女たち。
「……雷。電……」
距離にして、一m足らず。二~三歩ほど踏み込めば手が届く。
しかし、彼女たちはもどかしい距離を保ったまま、儚げに微笑んでいる。
「痛い所とか、ない? また、無理して笑ってる訳じゃ、ないのよね?」
「ああ、大丈夫だ。少しずつだけど、この眼の使い方も分かってきてる。
日常生活では使えないから、天龍みたいに、ちゃんとした眼帯が必要だな」
「良かった……。ホッとした、のです……」
敢えて大げさに、使い捨ての眼帯を撫でながら苦笑いを浮かべると、目に見えて緊張を和らげる二人。
左眼はもう元に戻らないが、顔の傷だけでも消した方が良いかも知れない。
そうしないと、この子たちは何時までも気に掛けてしまうだろう。
正直に言えば、消したくない。
この傷は、先輩が自分を守ろうとしてくれた、証拠のように思えるからだ。異常な考え方だという自覚はある。
でも、みんなにとってこの傷は、ただの敗北の証。要らぬ気苦労を掛けるくらいなら……。
と、頭の中で考えを巡らせる自分だったが、不意に、天龍が物言いたげにしているのに気付く。
何かを後ろ手に隠すような仕草。コツコツと絨毯敷きの床を叩く爪先。妙にソワソワしていた。なんだろう……?
「ほら、天龍ちゃん」
「う。わ、分かってるよ。……あ、あー、あのよ、司令官。今言った眼帯がどうの、ってヤツだけど、よ……」
問い掛ける前に、肘で突かれた天龍が進み出る。
どうしてだか顔を赤らめ、頬を照れ臭そうに掻くその姿は、時期的にはちょっと早いが、まるで意中の相手に、バレンタインのチョコを渡さんとする少女で。
しおらしさに思い掛けずドキッとさせられるけれども、ぶっきらぼうに突き出された手が持っているのは、なんと眼帯だった。
「これ、やる」
「え……? これ、天龍のと同じ……」
「く、球磨のヤツがさ、いつの間にか、オレのを真似て作ってたみたいでよ。
結構、凝ってるだろ? 木製だから軽いし、間に合わせに良いんじゃねぇかなって、思うんだ、けど……」
「うふふ。そういう訳だから、受け取ってあげて貰える~? じゃないと、せっかく頼み込んだ天龍ちゃんが可哀想で~」
「うおぁああっ!? た、頼んでない! 頼んでないからなっ! なに言ってんだよ龍田ぁ!?」
背中から対物ライフルでフレンドリーファイアされた天龍が、眼帯をこちらに放り投げて龍田へ詰め寄る。
反射的に眼帯を受け止めつつ、この二人は相変わらずだな、と、顔が勝手に微笑む。
良い加減、使い捨ての物にも飽きていたし、わざわざ探さなくて済むし、丁度良い。有り難く受け取ろう。
「ありがとう、天龍。確かに受け取った」
「……お、おう。なら、良いや……」
「うふふふふ。それ、天龍ちゃんだと思って大事にしてね~」
「オマエは変なこと言うなよ龍田ぁ!?」
「きゃ~、天龍ちゃん怖~い」
ズボンのポケットへしまい込み、素直に礼を言うと、天龍がまた恥ずかしげに俯いて、龍田の冷やかしで眉毛を釣り上がる。
多分、天龍は素で、龍田はワザとフザケているんだろう。場の空気を和らげるために。
けっこう長い付き合いだけど、ホント、この二人には助けられてばっかりだ。
いつか、ちゃんとした御礼をしたいものだが、しかし、和やかな雰囲気も長くは続かなかった。
「ねぇ、司令官……。暁たち、これからどうなっちゃうの……?」
いつの間にか、暁が隣に立っていた。
軍服の裾をつまみ、不安そうな瞳でこちらをジッと見上げて。
静寂が広がる。
「みんな、顔には出さないようにしているけれど、不安を抱えているはずだよ。……もう、司令官が帰ってこないんじゃないか、って」
暁の肩を抱く響は、それこそ皆を代表するように、言い辛いであろう言葉を口にする。
それに触発されたか、今度は雷が。
「そんな事、ないわよね? 今は、ちょっと離れ離れになってるけど。キチンと誤解が解ければ、また横須賀に帰ってこられるのよね? ね?」
期待と不安が混ぜ合わさった、彼女らしくない……。頼りない笑顔。
どう答えれば良い。
舞鶴の再建を任された。しばらく横須賀を離れる。でも、必ず帰ってくるから。
舞鶴の再建を任された。けど大丈夫だ。横須賀と行き来しながら両立してみせる。
どちらにせよ、確証のない、無責任な発言としか思えなかった。
答え、られない。
「……司令官、さん」
「電……」
俯きかける自分の前に、電が立つ。
雷とよく似たその顔は、より色濃く不安を映し出す。
大丈夫だよ、と言いたかった。
安心してくれ、と慰めたかった。
自分は君たちの居場所で、君たちの側が自分の居場所で。
だから、何も心配することなんてないんだ。
そう伝えたくて、自分は電へと手を伸ばす。
「自分は……」
「――あっ」
だが。差し出した手は、何にも触れられなかった。
電が反射的に身を竦め、後ろへ尻餅をついたからだ。
まるで、“何か”に怯えるよう、目を閉じ、頭を両手で庇っている。
(……ああ、そうか。そうだった)
梁島の言った通りだ。
なんとも都合の良い話だが、その瞬間、自分はようやく、あの夜の全てを思い出した。
願いを尋ねる影。
柘榴味の口付け。
胸に渦巻く激情。
怒り。
殺意。
呪い。
邪魔を、するな。
他の誰でもない。
あの夜、一番に皆を――彼女を傷付けたのは。
(自分自身、じゃないか)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ハッと気が付き、電は桐林を見上げる。
彼は、腕を伸ばしたままの体勢で硬直していた。
そして、顔に浮かぶ表情を確かめるや、己が何をしてしまったのかを、理解する。
「ち、違うのですっ。今のは、少しビックリしただけで……。司令官さ――」
そんなつもりじゃなかった。
怖がってなんかいないと、縋るように伸ばされた電の手は、空を掴んだ。
桐林は手を引き、その手で己の顔を覆う。
「……ふ、っくくく……。ぁ、ははは……」
「し、司令官……?」
掠れた笑い声に、暁が怯えて裾を離す。
ほんの一瞬で、彼の纏う空気は固く、重苦しいものに変貌してしまっていた。
「自分は……。横須賀へは、帰らない」
電に背を向け、桐林は吐き捨てる。
水を打ったような静寂が数秒。
やっと言葉の意味を理解した天龍が、軍服の肩を掴んだ。
「オイ、どういう事だよ。なんだよソレッ!?」
「嘘、よね? れ、レディーはそんな嘘に騙されないんだからっ」
「ふ、二人とも、ちょっと落ち着きましょう~?」
声を荒らげるのは天龍だけでなく、暁もだった。
怯えた事も忘れ、また裾にしがみ付いている。それ程までに、彼の一言に衝撃を受けたのである。
龍田までもが普段の余裕を失い、二人を宥めるだけで精一杯という有様だ。
「司令官。説明を、して欲しい。ワタシたちを、納得させるだけの理由は、あるのかい?」
辛うじて冷静さを保つ響が、頑なな背中に問う。
ややあって、返されたのは冷たく、静かな声。
「横須賀の艦隊は、ほぼ完成されている。そこへ、どんな悪影響を与えるかも分からない自分が戻れば、最悪、艦隊が瓦解する事も考えられるだろう」
「そ、そんな事っ」
「無いと言い切れるのか。雷」
へたり込む電に寄り添う雷は、強い語気で遮られ、言葉を失った。
例えば桐林が、そのまま横須賀へ戻ったとして。今まで通りに艦隊指揮を執れるだろうか。
また、あの夜のように暴走したら。
憎悪に呑まれ、人ならざる“力”を振るったなら。
仲間たちは、今まで通りに彼と接する事が出来るだろうか。
それこそ、艦隊が機能しなくなる場合だって考えられる。
だとするならば、横須賀の艦隊は、桐林を欠いたまま運用した方が。まだ役に立つ。
何せ雷たちは、人間と同じように考え、自由に判断を下せる、感情持ちなのだから。
納得なんて出来ない。出来るはずがない。
けれど、彼の言うことは正しいと、頭で理解してしまう。
電の顔はますます色を失い、雷が悔しさに歯噛みする。
「自分は舞鶴に居を移し、新たな艦隊を組む。もう伊勢型は励起した。海外からも助力を得ている。始まっているんだ」
そして、桐林が横須賀に戻れないとなったら、国は彼をどうするのか。
遊ばせておくなど以ての外だ。
新たな地で、新たな艦隊を組み、“力”の制御・解明に取り組むのが妥当であろう。
彼を知らない統制人格ならば、例え彼の“力”に巻き込まれたとしても、己が不幸を呪うだけで済む。
今までの全てを捨て去り、見ず知らずの仲間を選ぶ事が、彼に求められる最善。
決して、桐林自身が望んだ事ではないだろうと、想像がつく。
逆らえないような状況に追い込まれ、無理やり言わされているのだと、思いたい。
そんな気持ちが、天龍を乱暴に詰め寄らせる。
「なんだよ、ソレ……。オレたちを捨てるのか!? オレたちはオマエの! オマエの為だったから!」
「天龍ちゃん! お願い、やめて……」
「……クソッ」
桐林の襟首を、今にも掴み上げそうな天龍だったが、悲愴な顔の龍田に縋り付かれ、悔しさを壁に殴り付ける。
誰も。何一つ、言葉を口にしない。
このような気持ちの行き違いは、これまで無かった。
硫黄島作戦での霞の大破や、双胴棲姫との戦い。他にも、笑い話にしかならないような出来事は多々あったが、それらは全て、互いを想う気持ち故。
こんな風に、一方的に切り捨てられるのは、初めての事だった。
「強く、ならなくちゃいけないんだよ」
ダラリと下がっていた手を握りしめ、桐林は背中で語る。
「この“力”を使いこなせるようになれば、もう誰にも脅かされない。
だれも、自分たちの居場所を奪おうとはしなくなる。
でもダメなんだ。君たちの側に居たら、自分は強くなれない。
君たちの優しさに甘えて、いつまでも、頼ったままで。それじゃダメなんだ」
また例え話になるが、横須賀の統制人格たちが、あの“力”に晒されたとして。彼女たちはどう反応するだろう。
心を蝕む激情に、恐れを抱くだろうか。
掻き立てられた闘争本能に、荒ぶるだろうか。
その結果として傷付いた場合、桐林を責めるだろうか。
答えは否だ。
魂を押し流すような激情にも、堪えようとする。
闘争本能だけで、戦おうとはしない。
己が身に傷を負ったとしても、心配をかけぬよう微笑む。
それは、彼が呼び寄せた統制人格が、彼から引き継いだ、特性とでも言うべきもの。
……優しさ故だ。
きっと曙や霞、大井ですら、なんだかんだと言い訳をつけてそうするだろう。
けれど、その優しさは苦いのだ。
自分自身が元凶だと分かっている結果を、誰にも責めて貰えないのは。自己愛で歪みきった人間でもない限り、暴言を吐かれるよりも、苦しめられる。
だからこそ、彼女たちの優しさは、桐林にとって毒に他ならない。
必要なのは気遣いでなく、無遠慮に叱咤し、文句を叩きつけ、憎んでくれるような存在。
負の感情すらをも糧としなければ、人理を超えた“力”など、制御できようはずが無いのだ。
優しさだけで全てが上手く回るほど、この世界は甘くないのだから。
しかし、これはあくまで桐林の理屈であって、オマケに彼は口にも出していない。
それに思い至れなかった、電が……。
必死に引きとめようとする電が、彼と同じように拳を握り、立ち上がりながら叫ぶ。
「頼ることの、何がいけないんですか……?
司令官さんに頼って貰えたら、電は嬉しいのです!
司令官さんのお願いだったら、なんだって頑張れます!
……大好きな人の為に、役に立とうって思う事が、いけない事なのですか!?」
桐林の背中が、わずかに揺らぐ。
初めてだった。
大人しく、どこか引っ込み思案だった彼女が、感情に任せてとはいえ、こうもハッキリと好意を口にするのは。
その想いが通じたのだろうか。
未だに振り向かない背中の宿す雰囲気が、フッと和らいだ。
「何か、勘違いしてないか? 舞鶴へ行って、そのまま二度と戻らない、なんて言ってないぞ」
「え? ど、どういう事なの? 司令官、分かるように話して」
先程までの冷徹な声ではなく、悪戯が成功した時のような、本当に普段通りの声。
あまりの落差に困惑し、雷は反射的に聞き返す。
すると、彼は右肩越しに後ろを振り返り――
「自分は強くなる。誰よりも。みんなを守れるくらいに。
そして、いつか横須賀に帰るよ。
新しい仲間たちを引き連れて、胸を張って、必ず帰ってくる。
だから、待っていて欲しい。自分たちの家を、君たちに守っていて欲しい。
だからさ。……笑って見送ってくれないか」
――彼女たちにとって懐かしい、力強い笑みを見せた。
髪の色は白く変わってしまったけれど、それ以外に何一つ変わらない、本当に普段通りの、彼らしい横顔。
もう、何も言えなくなってしまった。
彼がああいう笑い方をする時は、既に心を決めていて、何を言っても揺るがない。
電は、それを誰よりも、一番よく知っている。
だから。
彼女は震える手をどうにか抑え、鼻の奥がツンとするのを我慢し。
精一杯の笑顔で、大切な人を送り出す。
「行ってらっしゃい、なの、です」
「行ってきます」
右眼を緩やかに細め、なんの気負いもなく返事をした後、桐林は自動ドアの向こうへ消える。
そこでもう、限界だった。
背中が完全に見えなくなった途端、電は膝から崩れ落ち、嗚咽を漏らす。
「……っ、う、ぁ……っ、司令、か、さん……! ひっく、ぅあ、あ……っ」
後悔ばかりが、電の胸を埋め尽くしていく。
行ってしまった。怖がってしまった。傷付けてしまった。触れる事すら、出来なかった。
もう、自由に会う事すら叶わなくなるだろう。
おそらく、彼も迷っていた。電が怯えてしまうその瞬間まで、舞鶴行きを拒もうとしていた。
それを悪い方向へ後押ししてしまったのは、やはり電だ。
制御できない“力”で電たちを傷付けるのを恐れ、彼は仲間から離れる事を選んだのだ。
新しく励起した統制人格たちなら、傷付けて構わない? それも違う。
今まで寝食を共にしてきた仲間と、これから出会い、苦難を共にする仲間。
傷付けるならどちらが良いかと迫られ、彼は後者を選んだ。電が、選ばせてしまった。
天龍は、苦虫を噛み潰したような顔で、また壁を殴る。
龍田は、そんな彼女の拳を優しく握り締め、悲しげに瞼を伏せる。
暁は、電を真正面から抱き締めて、一緒に泣いている。
響は、帽子を目深に被り直す。つばを掴む指が、震えている。
雷は、己の無力さを確かめながら、無気力に自動ドアを見つめている。
誰もが皆を思い遣り、幸せを願った結果、訪れてしまった別れ。
その苦味に、少女たちは無言で耐え続ける。
いつか帰るという、儚い約束だけを信じて。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃。
疋田と明石、伊勢、日向の四人は、地下施設の廊下で桐林を待ち続けていた。
彼と別れてから、まだ十数分。談笑するネタには事欠かないけれど、もどかしいような気持ちも感じている。
壁に寄り掛かる日向が、彼の歩いていった方向を見つめ、呟く。
「しかし、彼は誰と会っているのだろうな……」
「さぁ……? ひょっとして、横須賀に置いて来た恋人だったりして。ね、明石はその辺りのこと詳しいんでしょう? こっそり教えてよー」
「い、いやぁ、恋人は居なかったような気が……。好きな子は、居るみたいですけど……」
「ついでに言えば、桐林提督“を”好きな子もたっくさん居ますけどね……って、戻って来ましたよ!」
話題が桐林の噂になると、丁度、廊下の曲がり角から彼が姿を見せる。
しかし、その雰囲気は異様だった。
桐谷の登場で顔は険しくなったものの、まだどこか柔らかみを帯びていた雰囲気が消え去り、空気そのものを重くするような、名状し難い影を背負っている。
何事か、と四人は言葉を失い、近寄って来る彼を待つ。
表情を窺い知れる距離になって、タイミングを見計らっていた疋田が声を掛けた。
「桐林、提督? あの……」
「……少し、待って貰えますか」
暗い声で返す桐林は、疋田を制しつつ、使い捨ての眼帯を外す。
しっかりと、瞼の上にまで刻まれた傷痕を見て、伊勢が静かに息を飲み、日向は痛ましさに目を細める。
それには大した反応をせず、桐林がズボンのポケットを探り、天龍からの贈り物を取り出した。
「それって、天龍ちゃんの……?」
思わず覗き込む明石に、彼は答えない。
顔を伏せ、左眼に眼帯を押し当てて、繋がる飾り紐を後頭部で結ぶ。
誂えたようにピッタリだった。
けれど……。
「行こう」
真正面を見据え、颯爽と明石の左側を通り過ぎる、真剣な横顔は。
白髪と顔の傷も相俟って、まるで別人のようにも見えた。
なに馬鹿な事を、と頭を振り、明石は彼の背中を追いかける。
どこへ向かうのかも知らぬまま、その後ろに疋田、伊勢、日向が続く。
この日。この五人から。
舞鶴鎮守府、新生桐林艦隊が始まったのだ。