新人提督と電の日々   作:七音

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異端の提督と舞鶴での日々 伊良湖ちゃんはお年頃

 

 

 

 それは、今日という日が何事も無く過ぎ去り、終わりを迎えるころ。

 舞鶴鎮守府にある庁舎の厨房で、明日の仕込みを行っていた、わたし――給糧艦 伊良湖は、驚きに聞き返してしまいました。

 

 

「給糧艦が遠征任務に、ですか?」

 

「ええ、そうなの。どうしても舞鶴を離れなくちゃいけなくって」

 

 

 茶色のロングヘアを赤いリボンで飾る女性――給糧艦 間宮さんが、後ろ姿にしゃがみ込んで返事をしてくれます。

 長春色のワイシャツに、プリーツの入った青いロングスカート。その上から割烹着を着ている間宮さんは、わたしがとっても尊敬している先輩です。

 料理が凄く上手で、お淑やかで。大人の女性、って感じです。わたしも同じような格好をしているんですが、間宮さんみたいな……色気? が無くって、ちょっと寂しい……。

 やっぱり、スカートの丈が短めで、ネクタイを着けていたりもするから、学生みたいなんでしょうか。髪も黒いですし。

 それはともかく。パンパンと手を払いながら立ち上がった間宮さんは、振り返ってわたしに微笑みました。

 

 

「という訳で、伊良湖ちゃん。私の居ない間、舞鶴をお願いね?」

 

「あ、はいっ。頑張りますっ。……でも、どうして給糧艦が……」

 

 

 間宮さんの留守を、わたしが守る。我が艦隊の、烹炊(ほうすい)を任された。

 全力で取り組むためにも、気合を入れて返事をしましたけれど、同時に気掛かりな事も。

 それは、今まで裏方に徹してきた給糧艦という艦種が、“主役”として遠征へ赴く、という部分です。

 間宮さんも、ちょっとだけ困った顔に。

 

 

「仕方ないのよ。桐谷中将、直々の指令だもの」

 

「桐谷中将……って、提督を後見して下さってる方、ですよね」

 

「その通り。よく出来ました」

 

 

 あんまり詳しくは知りませんが、わたしたちの提督――桐林さんを管轄しているのが、同じ“桐”である“梵鐘”の桐谷さん。階級は中将のはずです。

 軍という枠組みを超えて、多方面からの援助をして下さっていると聞きました。

 日本海側安全領域の端にある人工島群、日本海泊地の建造も、十五年前から主導していたとか。

 

 大きな陸地の側。最大五十海里まで、深海棲艦の侵入してこない海域が、安全領域。でも、例外が幾つか存在しました。

 その一つが日本海。

 本当なら、安全領域同士がぶつかって入って来られないはずなんですけど、現実に深海棲艦は出現しています。だから舞鶴鎮守府がある訳です。

 そして、日本海における艦隊運用の効率化を図るため、人工島の建造を決定したのが十五年前。今までに何度も妨害され、ほんの一~二ヶ月前、ようやく落成へと漕ぎつけたのでした。

 その分、作戦展開に大きな影響力があるみたいで、提督は苦手としているようです。噂ですが。

 

 

 

「横須賀の方々が色んな事をして、一般の人達から人気を集めてるのは知っているでしょう?」

 

「はい。食事処 鳳翔とか、クマ・レンジャーとか。どこかの喫茶店でアルバイトとかもしてるって……。わたしたちが準備してる甘味処も、その一環なんですよね」

 

 

 二人並んで、仕込みの後片付けをしながらも、話は続きます。

 食事処 鳳翔というのは、横須賀でわたしたちのような役目を担っている軽空母、鳳翔さんが経営する飲食店で、つい最近、フランチャイズ店の契約が成立したらしいです。

 桐林艦隊公認コスプレ衣装を纏った、可愛らしい店員さんが売りだとか。

 そして、クマ・レンジャーというのは、横須賀に在籍する航空巡洋艦、三隈さん発案の御当地ヒーロー……もどき? です。

 なんだか緩い悪の首領ノース・ゴッドと、鞭がとっても似合う女性幹部ビッグ・Eの掛け合いや、チープな設定に対してキレのあり過ぎるアクションが大人気、とかなんとか。

 正直、あんまり興味が……。ごめんなさい。

 

 そしてそして。ここ舞鶴鎮守府でも、わたしたち給糧艦がお店を持たせて頂きました。その名も、甘味処 間宮!

 純和風な店構えですが、甘味だけに留まらず、和洋中のフードメニューも充実している、評判のお店なんです! ……まだ鎮守府内だけの営業で、お客さんは統制人格の皆さんだけなんですが……。

 正確には、このお店も食事処 鳳翔の姉妹店みたいな扱いで、オマケに、軍が経営してた喫茶店との、商標登録を巡る争いまであったみたいですけど、もちろん今は解決してますよ?

 将来的に、京都市内へ店舗を構えるのが目標です。

 

 

「それで今度、私自身が日本各地に赴いて、船内を一般公開しながら炊き出しする、というイベントが開催される事に決まったらしいのよ。その中で、甘味処を試験営業もするの」

 

「船内を、一般公開ですかっ?」

 

「そう。私を手伝ってくれる妖精さんたちは、普通の人にも見えるみたいだから。それで、ね」

 

「なるほど……」

 

 

 使役妖精。通称、妖精さん。

 わたしたち統制人格と、低強度能力者さんが使役する存在で、手の平サイズの女の子みたいな外見をしています。

 とても細かな精密作業を得意としていて、特殊な触媒でやる気を引き出せば、戦艦ですら四半日で建造できちゃいます。凄いですね。

 言葉は話せませんし、衣装や髪型、顔付きも千差万別。気まぐれな所もありますけど、とっても可愛らしい子たちなんです。あ、ちゃんと意思疎通は出来ますよ。念話みたいな感じで。

 でも、その姿は普通の能力者さんや、一般の人には見る事が適いません。一説によれば、心の綺麗な人間にしか姿を見せないんだとか。わたしたちの提督にも見えていないようです。

 

 ところが。間宮さんのお手伝いをする妖精さんは、誰でも姿を見られるという、他には無い特徴がありました。

 理由はよく分かっていませんけど、甘味処 間宮ではこれを利用して、「妖精さんの作るスイーツ」を前面に売り出す予定なんです。

 ミニチュアサイズな可愛い女の子たちが、一生懸命に作った甘味。きっと大好評間違いなし!

 ……と、思いますが……。

 

 

「大丈夫、なんでしょうか」

 

「……伊良湖ちゃん?」

 

 

 仕事上がりのお楽しみである、みんなには秘密のプリン・アラモード、バニラアイス添えを前に、わたしは不安を隠せません。

 どうしても、間宮さんの事が心配になってしまいます。

 

 

「船内を公開するってことは、誰でも自由に中へ入れるって事ですよね。もし、変な人が紛れ込んだりしたら……」

 

 

 こんなこと、考えたくなんてありませんが、傀儡能力者や、それに類するわたしたちを嫌悪する人々は、少なからず存在します。

 もし、そんな人が心を偽り、艦内へ潜り込んだとしたら……。

 通り魔。放火。爆弾。

 考え得る限りの最悪を想像するだけで、身震いする程の恐怖が湧き起こりました。

 わたしが悪く考え過ぎなのかも知れませんけど、どうしても嫌な予感を拭い切れません。

 なのに、椅子へ座ったまま俯くわたしを、間宮さんは優しく抱きしめてくれて。

 

 

「大丈夫。心配しないで? 万が一を考えて、陸軍の方にも協力して貰う……って、提督が仰っていたもの。

 香取さんだって着いて来てくれるし、他に護衛もつくし。まるで御召艦にでもなった気分だわ。だから、笑顔で見送ってちょうだい」

 

「……間宮さん」

 

「さぁ、頂きましょう? 甘い物食べて、元気出さなきゃ!」

 

「はいっ」

 

 

 パァッと、花が咲いたような微笑みに、釣られて笑顔になってしまいます。

 ……そう、ですよね。例えどんな悪意が待ち受けていたとしても、きっと、提督が護ってくれるはずです。間宮さんの言葉で、そう信じようと思えました。

 心が軽やかになった所で、間宮さんが対面へ座るのを待ち、「頂きます」と挨拶。わたしはプリンにスプーンを入れます。

 濃厚な卵とミルク、ほろ苦いカラメルの風味が鼻に抜けて、けれど舌に残り過ぎず、スッキリと解けていきます。そこへバニラアイスの冷たい甘さも絡まり、もう堪りません。

 間宮さん特製レシピのバニラアイスと、カラメルプリン。やっぱり美味しいなぁ。

 どうしたら、こんなに繊細な味を出せるんだろ……? もっと勉強しないと、うん!

 

 

「……あ。忘れる所だったわ。それと、提督に関して、貴方に話しておかなくちゃいけない事があって……」

 

「え? それって、まさか……!?」

 

 

 決意も新たに、プリン・アラモードを「ご馳走様」するわたしへと、間宮さんが真剣な表情を。

 提督に関して、話しておかなきゃいけない事。その内容に心当たりがあって、わたしは思わせぶりな反応をしてしまいました。

 間宮さんがわたしにまで秘密にしていた、提督との関わり。

 とても真剣で、同時にほんの少しの罪悪感を窺わせる雰囲気から、導き出せる答えは一つ。

 間違いない。

 提督と間宮さん、やっぱり“そういう関係”なんだ……!

 

 

「そっか。伊良湖ちゃんも、気付いてたのね」

 

「それは、えっと……。な、なんとなく、ですけど……」

 

 

 わたしの考えを裏付けるように、間宮さんが憂いを帯びた顔で、まぶたを伏せます。

 元が艦船とはいえ、人としての心と身体を得た今、わたしたちは恋する事も自由になりました。

 しかし、極端に人員を少なく、また、一般職員と統制人格が接触しないよう計られている舞鶴鎮守府では、自然と相手は提督に限られてしまいます。

 噂によれば、提督と“そういう関係”にあるんじゃ? と思しき統制人格の筆頭は、もはや説明不要な浜風さん、一番に付き合いが長い明石主任、全幅の信頼を置かれる香取秘書官、妙にボディタッチが多い浦風さん。

 他十数名に登りますけど、その中でも特に怪しかったのが、毎夜、提督と二人きりで食事を摂る間宮さんでした。なので、あんまり驚いてなかったりします。

 あ、ちなみになんですが。提督に対して好き好き大好きオーラを放っている鹿島秘書官は、全員一致で「まだだろう」という見解です。

 もしも“そういう関係”になったら、一晩でバレそうな方ですし。

 

 

「なら話が早いわ。私の居ない間、代わりに提督のお世話をお願いしたいのよ。

 提督は我慢するって言ってくれたのだけど、やっぱり心配で……。頼めるかしら」

 

「は、はい。分かりまし……はい?」

 

 

 ともあれ、話の内容を理解していると判断した間宮さんは、安心したような表情を浮かべ………………んん?

 間宮さんの代わりに、提督のお世話?

 間宮さんの、代わりに。

 提督と間宮さんは、“そういう関係”で。

 側に居ないと出来ないお世話を、わたしが。

 二人っきりで食事して、そのまま「わたしも食・べ・て?」とか。

 

 ……ぇええーーーっ!?

 

 

「だ、だだだだだだめですっ、無理ですっ! ゎわわ、わたし、そんなっ!? 無理ですよぅ!?」

 

 

 常識的に考えてあり得ないお願いをされ、思わず立ち上がってしまいました。

 自分でも、顔が真っ赤になっているのが分かります。

 まさかこんな、提督と関係を持つように言われるなんて、予想外にも程があります!

 けれど、間宮さんは不思議そうに首を傾げるだけで……。

 

 

「どうしたの、伊良湖ちゃん? 大丈夫よ。貴方ならきっと、提督を満足させられるから」

 

「そういう問題じゃ……! それに、間宮さんは良いんですかっ?」

 

「良いも何も、とても大切な事じゃない。提督につつがなく艦隊を運営して頂くためにも、精神的・肉体的な充足感を得る事は重要だわ」

 

「に、肉体的……!?」

 

 

 平然と言い放たれた言葉に、わたしは堪らず後退り。

 あの言い方は間違いなく、男と女のプロレスごっこinダブルベッドの事でしょう。

 提督と間宮さんは、恋人同士じゃなかったんですね……。ただ、みんなの為に身を捧げていただけ……。

 ショックがあまりにも大き過ぎて、わたしは立ち尽くします。

 我慢する、と言っていたなら、これは提督が望んだ事じゃない?

 だけど、誰かと肌を重ねる事が提督の安らぎとなっていたら、彼の後方支援が役目であるわたしに、断る事なんて。

 尊敬できる男性だとは思います。けどやっぱり、出会って間も無い訳で。褥を共にする、なんて。

 そんな気持ちが、言葉になって漏れていきます……。

 

 

「でも、でもわたし……。そういう事、は……あの……。

 す……好き合ってる人同士だけが、していい事だと、思うし……。

 初めては、その……旦那様になる、方に……」

 

「……さっきから何を言って――あ。やだ伊良湖ちゃんったら! 意外と耳年増なのね? うふふっ」

 

「え? ま、間宮さん……?」

 

 

 モジモジと、だんだん小さくなっていくわたしに、間宮さんは訝しげな顔をして、けれど次の瞬間、目を丸くしながら破顔しました。

 あ、あれ……。なんですか、その反応……。わたし、何もおかしい事なんて……。

 

 

「私が言っているのは、提督の“お食事”の話よ? 男女の睦み合いの話じゃありませんっ。理解できた?」

 

「………………へっ」

 

 

 ゆっくり歩み寄って来た間宮さんが、戸惑うわたしのオデコをコツン。

 知らず、変な声を出してしまった後。なんて恥ずかしい勘違いをしていたのかと、蹲ります。

 穴があったら入りたい、ってこういう気分なんですね……。

 うあぁぁぁ、先走り過ぎです、三分前のわたしの馬鹿ぁ……っ。

 

 

「ご、ごめんなさい……。提督と間宮さんは、お付き合いされているものだとばっかり……」

 

「ん~……。誤解のないように断言すると、恋人同士ではないわね。……残念ながら。さ、とりあえず座りましょう」

 

「あ、はい……」

 

 

 ぽんぽん。慰められるように肩を叩かれ、わたしはとにかく、さっきまでの自分を忘れようと心掛けます。

 ……え? 今、残念ながらって……。気のせい、かな……。

 聞いてみようにも、間宮さんはすぐ隣で、また真剣な表情に戻っていて、聞きそびれてしまいました。

 

 

「じゃあ、最初から話すわね。提督が滅多に人と食事を摂らないのは、伊良湖ちゃんも知っているでしょう?」

 

「はい。用意する時も、大体は軽食です、よね……。けど、夕食は必ず間宮さんと……」

 

 

 問われて思い出すのは、提督の普段の食生活です。

 一日三食、しっかりと食事を摂られますが、朝食・昼食は比較的軽い物をご用意して、間宮さんがご一緒する夕食に、豪華な御膳を用意していました。

 時折、急な出撃任務などで夕食の時間が潰れてしまう事もありましたけど、「そういう時は無表情のまま超絶不機嫌になんだよねぇー」とは、谷風さんの談です。

 

 献立にも気を付けています。

 わたしが知る限り、香りの強い物や、柑橘類などの酸味がある物、ゴーヤみたいな苦みのある物を好んで召し上がられていました。

 と言っても、これらを用意するのは朝と昼だけで、夕食は特に制限が無いんです。

 この辺りが混乱の原因で、提督という人がよく分からなくなっちゃう事もあったり。

 気難しい方なんでしょうか?

 

 

「私が提督と食事を摂るのはね……。彼に合わせて食事をするためなの」

 

「提督に、合わせて?」

 

 

 重々しく呟かれた言葉に、思わず首を傾げました。

 合わせる、ってどういう意味でしょう……? 時間、好み? まさか動きじゃないと思うし……。気後れしているような雰囲気が気になります。

 そんなわたしを前に、大きく深呼吸をした間宮さんは、沈痛な面持ちで続けました。

 

 

「……提督の味覚は、その六割が死んでるの。酸味と苦味。今感じられるのは、この二種類だけなのよ」

 

「――えっ!?」

 

 

 自分の耳が信じられなくて、わたしは大きな声を出してしまいます。

 味覚、障害……。そんな素振り、今までに一度も。

 

 

「最初はそうじゃなかったわ。私も舞鶴では古株だから、以前の彼を知っているし。

 ……けど、度重なる“力”の行使で、段々と味覚が死んでいって……。

 より正確に言うと、味覚錯誤という状態でね?

 まず甘味。次は塩味を正しく感じられなくなり、もう旨味も、滅茶苦茶な味にしか感じないの。

 今の提督にとって、食事は単なる栄養補給に過ぎない。苦痛以外の何物でもないのよ」

 

「そんなっ。だってこの前、鹿島さんのサンドイッチを食べたって、美味しいって言ってくれたって、鹿島さん……」

 

「……ええ。そういう人だもの……。前に一度、無理を言って提督の味覚情報を受け取ってみた事があるんだけど……。

 美味しいはずのものを不味く感じたり、不味く感じなきゃいけない物を美味しく感じてしまったり。本当に大変だったわ」

 

 

 胸を抱えるように腕組む間宮さん。その姿から、冗談なんかじゃないというのが、ヒシヒシと伝わってきました。

 わたしが気付かなかっただけ? ううん、隠していたんだ、提督。

 あの日……。鹿島さんが提督に卵サンドを作って、喜んで貰えたと、嬉しそうに話してくれた日。その裏で、提督と間宮さんは、どんな想いをしていたんでしょうか。

 心が、痛いです……。

 

 

「でもね、人が食事で得る満足感という物は、他に替えのない、とても重要なもの。伊良湖ちゃんも、それは分かるでしょう?」

 

「……はい。だからこそ、わたしたちのような給糧艦が産まれたんですよね」

 

 

 また新たな問い掛けに、わたしは気を取り直して答えます。

 給糧艦とは、商船式の船体に巨大な冷蔵庫・冷凍庫、各種倉庫や貯蔵設備、食品製造設備なども備えた、戦地へ食料を補給するための艦です。

 最大で、一万八千人を三週間賄うだけの食料を積むことができ、アイスクリームやラムネ、最中、羊羹などの甘味や、コンニャクを始めとする加工食品も製造可能でした。

 とても腕の良い料理人さんが揃っていた事もあり、海軍の中でも特に有名、かつ人気の艦だったらしいです。

 昔から食事に強い意気込みを持っている日本人ですし、かつての給糧艦 間宮が沈んだ時は、海軍全体がお通夜のような雰囲気に包まれたとか。

 

 そんな軍艦の統制人格であるわたしたちは、この艦隊で主計と烹炊を任されました。

 運用に掛かる経費を割り出したり、皆さんの士気を高める美味しい御飯を作ったり、ですね。とても味覚が敏感で、料理の腕にも自信が……それなりにあります。

 代わりに、艦隊戦への適性が凄く低くて、申し訳程度に載せている十四cm単装砲も、自力で標的に当てた事がありません。

 もちろん実戦じゃなく、一回位はやっておこう、という話になった演習での事です。この時は、完全同調状態の提督が……あ。

 

 

「もしかして、提督に合わせて食事を摂る、って……同調して?」

 

「大正解。完全同調状態で、完璧に動作を合わせて食事をするの。もちろん味覚も同調して、ね?」

 

 

 思いついた考えを口にすると、間宮さんがパンと手を打って微笑みました。

 わたしたち統制人格と提督――傀儡能力者との間にある、霊的な繋がり。

 それは五感を含めた、様々な情報のやり取りを可能とします。視覚・嗅覚・聴覚・触覚。そして、味覚も。

 失われてしまった正しい味覚を、給糧艦の鋭い味覚で補完し、提督の肉体と精神に、食事で満足感を与える。

 これが、間宮さんの言っていた大切な事なんだ。

 

 

「提督のお世話の重要性、分かってもらえたかしら?」

 

「はい。間宮さん、とても大事なお仕事を任されていたんですね……。流石ですっ」

 

「もう、おだてないで。私に出来ることを、精一杯やっているだけだもの。みんなと同じ」

 

 

 尊敬を込めて見つめると、間宮さんは余裕たっぷり、大人な笑顔で返します。

 提督のコンディションを保つという事は、艦隊のコンディションを保つのと同義。

 実際に戦う皆さんや、整備で支える明石さんにも負けない、重大な役目です。本当に凄い!

 ……でも……。

 

 

「わたしに務まるでしょうか……」

 

 

 問題なのは、わたし。

 料理の経験でも技術でも、間宮さんに遠く及ばない、新人統制人格のわたしです。

 ただ一緒にご飯を食べるだけなら、気負わずに済むかも知れません。

 けど、間宮さんほど木目細かな気配りを出来る自信は無いし、体格差も間宮さんより大きい。食事の際に誤差が出てしまいます。

 提督を御満足、させられるでしょうか……。

 そんな不安に駆られましたが、しかし、隣に居た間宮さんは、俯きそうだったわたしの肩を、強く叩いてくれました。

 

 

「平気よ。貴方はいつも通りに食事を用意して、提督の私室に行けば良いだけだもの。後は提督が。

 安心して身を任せていれば、あっという間だから。もしかしたら、病みつきになっちゃうかも?」

 

「病みつき? どういう意味ですか?」

 

「それは……。秘密にしておこうかなー。さ、上がりましょうか」

 

「ま、間宮さん、意地悪ですぅ!」

 

 

 励ましてくれるのは嬉しいんですけど、なんだか気になる言い方。

 首を傾げるわたしに、間宮さんは流し目で含み笑い。立ち上がって歩き出します。

 追いかける頃には、もう不安なんて消えていました。

 

 間宮さんの信頼。裏切るわけにはいきません。

 頑張れ、わたし!

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 時は巡って、翌日の夜。

 エレベーターを降り、料理の入った保温カートを押しながら、わたしは廊下を歩いていました。

 向かう先は、地下五階・地上十階という大きな庁舎の、七階。執務を終えた提督が、お休みになっているはずの私室です。

 舞鶴事変以降に高速建築された、この桐林艦隊専用庁舎ですが、艦隊運用に必要な業務を行えるだけでなく、わたしたち統制人格と、提督の家としての役目も持っています。

 

 あの事件を受けて、この鎮守府に属する能力者は、たったの二人になりました。

 桐林提督と、梁島提督の御二方です。

 色々な理由があるとは聞いていますけど、実の所、舞鶴鎮守府は彼らを隔離するための、陸の孤島にされてしまったのです。

 元々あった慰安施設は殆ど取り壊され、憲兵隊の屯所などが幾つも建てられて、二十四時間、内と外の両方を監視・警備しているらしいです。

 

 広大過ぎる牢獄。

 “桐”の閨房(けいぼう)

 鎖で繋がれた、“鬼”。

 

 中途半端に事情を知っている人々は、そう言って憚りません。

 みんな、気付かないふりをしていますけど、耳を塞いでも聞こえてくる風の噂は、確かに心を重くしました。

 

 

(……とかシリアスぶって、現実逃避している場合じゃ、ないんだけどなぁ……)

 

 

 はぅ、と溜め息一つ。歩く速度を落としてしまう、わたし。暗い表情が窓ガラスに映っています。

 無責任な流言蜚語が原因じゃありません。そんなの、気にしていたら生きていけませんから。

 そんな事より、もっと、ずうっっっと気になる事は、提督との御食事で、何か失敗をしてしまわないか、という事です。

 

 

(提督と……。殿方と夜に、二人きりの食事……。しかも、その人の部屋で……。ダメダメダメ! 意識したら余計に緊張しちゃう!)

 

 

 勢いよく頭を振り、両手でほっぺたをパシン。

 ……ちょっと痛かったけど、ふしだらな考えは追い出せました。

 今まで間宮さんに手を出さなかった提督です。きっとわたしの事なんか眼中にないはず。自意識過剰になっちゃダメ。

 提督のメンタルコンディションを保つための、大切な時間。ご満足頂けるよう、無心で奉仕するのよ、伊良湖!

 

 気合いを入れ直し、再び脚を進め始めると、その部屋には一分と経たず到着しました。

 大きく息を吐き、限界まで吸い込んで、わたしはドアをノックします。

 

 

「てっ、提督っ。ぉ、御食事をご用意致しましたっ」

 

 

 呼び掛けから数秒。部屋の中に人の気配を感じました。近づいてきます。

 緊張を気取られぬよう、平素の表情を心掛けて少し待てば、ドアは内側に開かれました。

 普段の折り目正しい正装と違い、ラフな姿の提督。

 軍服の上着を脱ぎ、白いワイシャツもボタンが二つ目まで外れています。

 覗いた胸元に、ちょっとだけ、ドキッとしてしまいました……。うう、長い夜になりそう……。

 

 

「入ってくれ」

 

「ひゃいっ、しちゅれ――し、失礼しますっ」

 

 

 不埒な事を考えたせいか、声は上擦った挙句に噛んでしまいました。

 恥ずかしさを俯き加減に隠し、わたしは道を開けてくれる提督の横を、カートごと通り過ぎます。

 こざっぱりした……というよりも、殺風景な部屋という印象でした。

 隅に簡易ベッドやクローゼット。その反対側に小さな水回りが置かれて、部屋の中央にテーブルと椅子がありましたが、他には何も。

 本棚とか、趣味の品とか、そういった物は見当たりません。ただ、寝るためだけの部屋……なんでしょうか。

 

 万が一の襲撃に備え、ダミーの部屋を幾つか用意し、ときどき移動もしているらしいですから、そもそも置けないのかな……。

 ちなみに、提督の私室は各階に存在し、その周囲は統制人格の部屋で埋め尽くされています。

 もちろん護衛の為なんですが、時々、阿賀野さんとかが寝ぼけて、提督の私室に入っちゃう事があるとか……。色々と、大変ですね。

 

 そんな事を考えつつ、わたしはカートから二人分のお皿を配膳します。

 本日のメニューは洋定食にしました。

 温野菜を付け合わせにした、ハンバーグステーキ。

 お出しする直前にクルトンを浮かべる、特製コンソメスープ。

 春の香草をあしらった鰆のムニエル。

 コールスローサラダに、自家製パンやミニグラタンもお付けして、デザートにはプリン・アラモードも……。

 あ、ハンバーグの上にはもちろん、目玉焼きが乗ってます。絶対、外せません!

 

 

「間宮から、話は聞いているか」

 

「あ、はい。提督の、お身体の事……ですよね。伺いました」

 

「……そうか。手間を掛けて、すまない」

 

「い、いいえっ、そんなっ。……勿体無い、お言葉です……」

 

 

 椅子に腰かける提督は、いつもの硬く重々しい声ではなく、ごく普通の……。雑談するような感じで話し掛けてきました。

 無駄話は一切なさらないような印象だったので、恐縮しながらもビックリです。

 なんというか、雰囲気が柔らかくなっているような気がします。これなら、思っていたより緊張せずに済みそう……。

 と、安心している間に準備は完了。「失礼致します」と断ってから、わたしも対面の椅子へと座りました。

 

 

「お待たせしました。どうぞ、お召し上がり下さいませ」

 

「うん。……頂きます」

 

 

 提督が静かに両手を合わせ、同じようにわたしも。

 間宮さんから前もって聞いていた、完全同調の合図。

 二つの存在に別たれたまま、心と身体を重ね合わせます。

 そして、その瞬間――

 

 

(……あ)

 

 

 ――隠しきれないワクワク感が、胸をくすぐりました。

 これは、わたしの気持ちじゃありません。提督の抱いている気持ちが、伝わって来ているみたい。

 こんなに楽しみにしてくれていたなんて。なんだか、こそばゆいです。

 

 そんな風に感じ入るわたしですが、身体は意識の外で、勝手に動いていました。

 ナイフとフォークを優雅に使い、ハンバーグを切り分けて口へと運ぶ提督の動きを、完璧にトレースしています。

 本当はもっと大きく切って食べたいはずなのに、わたしの小さめな口に収まる大きさ。お気遣いが分かりました。

 肉汁滴るハンバーグを二人揃って頬張ると、焼けたお肉の芳ばしい香りと旨味が、口一杯に。

 粗めに挽いた食感が楽しく、わたし自身、会心の出来に笑みが溢れました。

 ふと目線を前へ向ければ、提督も同じ表情を。初めて見る、優しい笑顔でした。

 

 わたしの表情筋の動きが伝わった? ううん、違う。

 これは、わたしと提督。二人が全く同時に、同じ気持ちを抱いたから。完全同調しているからこそ、そうだと確信できます。

 でも、意図しない視線に気付いたのか、提督は気恥ずかしそうに顔を曇らせて。

 

 

「すまない。見苦しいな、こんな顔で笑っては……」

 

「いいえ、そんなことっ! もっと、お食べになって下さい。このミニグラタンとかも、自信があるんですっ」

 

「……そうか。ああ、美味いな」

 

 

 伝わってきたのは、怖がらせてしまった、という僅かな後悔。

 やっぱり顔の傷、気にしてたんだ。けど、そんなつもりじゃなかった、というわたしの気持ちも、きっと伝わっているはず。

 その証拠に、本日の自信作を勧めてみると、わたしたちのフォークはまた同時に動き、顔もまた同じ表情を浮かべました。

 美味しい。

 もっと食べたい。

 残さず全部、味わいたい。

 提督の嘘偽りない気持ちが。純粋な喜びが、わたしの心を温かくしてくれます。

 

 

(間宮さん、ずっとこんな風に)

 

 

 わたしの作った料理を、美味しいと言って貰える。

 これまでも、艦隊の皆さんに褒められた事はあります。しかし、今日の“これ”は今までと違いました。

 言葉や表情だけでなく、繋いだ心から、提督の喜びを感じ取ることが出来る。余す所なく、わたしの料理を味わって貰える。

 料理人として、これ以上に嬉しいことがあるでしょうか? こんな気持ち、生まれて初めてでした。

 癖になる、ってこういう事だったんですね。間宮さん……。

 

 

「ご馳走様」

 

「お粗末様でした」

 

 

 気が付けば、最初の緊張なんてどこへやら。

 わたしたちは終始笑顔で、時おり雑談も交えつつ、料理を平らげました。

 コールスローの隠し味を当てられたり、ムニエルのバターの風味を楽しんだり、パンを千切ってソースの味を確かめたり。

 デザートを出した時には、提督もプリンを作れると知って驚いちゃいました。

 間宮さんの言った通り、あっという間です。

 

 今は、同調状態を解除して、食後のコーヒーをご用意したところ。

 砂糖もミルクも無し。コーヒー本来の苦味と酸味を、提督は上機嫌に楽しんでいます。

 君もどうだ、と勧められたので、わたしもコーヒーを頂いていますが、ブラックは少し苦手なので、砂糖とミルクは多めに。

 ホッとする香りと甘さです。

 

 

(お食事、楽しかったな。……でも)

 

 

 提督との夕食は、本当に、心の底から楽しめました。

 あ、わたしが楽しむんじゃなくて、提督に楽しんで頂かなくちゃダメなんですが。まぁ、置いておくとして。

 楽しんでしまった分、気になってしまう事も出てきました。

 それは、提督の今の状態。苦味と酸味の二つしか、正しく味を感じられない状態です。

 どんな気持ち、なんでしょう……。

 

 提督は味覚障害を隠しています。皆さんが気負って、“力”の受け入れを拒んだり、食べる楽しみを遠慮したりしないように、だそうです。

 その兼ね合いで、食事を……。間宮さん曰く、苦痛としか感じられない食事を、摂らなければならない場面も。

 楽しいはずがありません。それでも耐えて、隠し続けている。

 ……どんな、お気持ちなんでしょうか。

 

 

「どうした」

 

「あ、いいえ。その……。不愉快とお思いでしたら、無視して下さって良い、んですが……」

 

「構わない。話してくれ」

 

 

 もう同調を切ってしまったのに、提督はわたしの気持ちの変化を、敏感に察して下さいます。

 傷付けてしまわないか。御気分を害してしまわないか。

 とても悩みましたけど、優しげな右眼に背を押されて、その言葉を口にしました。

 

 

「……お辛く、ありませんか……?」

 

 

 反応は、しばらくありませんでした。

 息苦しくなるような沈黙が続いた後、提督はマグを傾けて、コーヒーに刻まれた波紋を見つめます。

 ああ、やってしまった。せっかく心地良い時間を過ごしていたのに。わたしが無神経な事を口にしなければ……。

 そんな風に後悔し始めた頃、やっと提督のお顔がこちらへ。

 

 

「辛くない、と言えば嘘になる。ごく当たり前に感じ取れていたものを、ろくに感じられなくなったからな」

 

「そう、ですよね……。申し訳ありません、出過ぎた事を……」

 

「……でも」

 

 

 恐縮して、頭を下げるわたしでしたが、けれど、提督は言葉を続けます。

 

 

「おかげで、その当たり前がどれだけ大切な物だったのか、知る事が出来た。それに関しては、むしろ感謝している」

 

「感謝、ですか?」

 

「うん。物を食べ、味わい、楽しむ。こんな当たり前を、幸せだと思える。

 ブラックコーヒーの奥深さも、こうならなければ、知ろうとしなかっただろう。

 不便は多いが、それでも自分は恵まれているよ。こんなに美味しいものを、食べさせて貰えるんだから」

 

 

 コーヒーを最後まで飲み干し、一息ついて、柔らかく微笑む提督。

 強がっている訳でも、気を遣わせないよう、見栄を張っているのでもない。

 この言葉は提督の本心なのだと、確信できます。

 完全同調状態ではなくなっているのに、不思議でした。

 それがなんだか、嬉しくて、くすぐったくて。

 

 

「間宮さん、ずるいな……」

 

「……ん?」

 

「いえ、なんでもありません。水回り、使わせて頂きますね?」

 

「ああ」

 

 

 思わず呟いてしまった言葉を、わたしは立ち上がる事で誤魔化します。

 汚れがコビリ着いちゃわない内に、洗っておかなきゃ。そう、自分自身に言い訳しながら。

 お皿を洗っている間、背後からは、執務室に漂っていた良い香り――提督のアロマ・シガレットの香りが、漂って来ていました。

 こうしていると、まるで夫婦みたい……とか。バカみたいですね、わたし。

 

 お皿を洗うと言ったって二人分。

 アロマ・シガレットが半分も減らない内に終わり、食器をカートへ仕舞って、部屋を出る準備は整ってしまいました。

 

 

「それでは提督。本日は、これで失礼致します」

 

「うん。助かった」

 

 

 お辞儀と一緒に挨拶を済ませると、退室するわたしを、提督が送り出してくれました。

 カートを押して廊下に出てから、振り返ってもう一度、頭を下げます。

 頷いた提督は、そのままドアの向こうに姿を……。

 

 

「あの、提督っ」

 

「……なんだ?」

 

 

 消してしまう、はずだったのに。

 わたしは何故だか、その横顔を呼び止めていました。

 どうして、そんな事をしてしまったのか。自分でもよく分かりません。

 でも、不思議そうにヒョコヒョコする咥えタバコを見ていたら、自然と言葉がこみ上げて。

 

 

「明日は今日よりも、もっと、ずっと腕によりを掛けて。ほっぺたが落ちちゃうくらい美味しい食事、ご用意します! 伊良湖に、お任せ下さいっ!」

 

 

 精一杯に胸を張り、普段のわたしだったら出来そうもない宣言を、しちゃいました。

 きょとん、とする提督。対するわたしの顔には、自分でも上出来だと、見もせずにそう思える笑顔が、浮かんでいると思います。

 やがて、提督の頬も緩く綻び、今度こそ、わたしたちは別れの挨拶を。

 

 

「楽しみにしておく」

 

「はいっ!」

 

 

 ゆっくり、ドアの隙間へ消えていく微笑みを、確かに見届けてから。わたしもカートを押してエレベーターに向かいます。

 足取りは軽やかで、スキップしたいくらい、心が弾んでいました。

 美味しい、って言って貰えた。楽しみ、って言って貰えた。また、心を重ねてお食事できる。

 堪らなく嬉しくて、楽しくて。

 わたしの胸は、かつてない程のやる気に満ち溢れていました。

 

 

「よぉーし! 明日も頑張るぞーっ、おー!」

 

 

 ……と。拳を突き上げ、自分で自分を励ましちゃう位に。

 間宮さんの居ない、寂しくなるはずだった一週間余りの時間は。

 この日から、わたしにとって、掛け替えの無い時間となって行くのでした。

 

 明日は、何を作ろうかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《オマケの小話 本日の鹿島さん》

 

 

 

 

 

「はぅ……。ちょっと、小腹が空いちゃいました……」

 

 

 かなり時間を早送りし、給糧艦 間宮が遠征任務から帰った、まさにその日。

 舞鶴鎮守府 桐林艦隊庁舎を、鹿島はトボトボ歩いていた。

 横須賀であれば、「After Noon Teaの時間デース!」と、どこぞの高速戦艦が叫び出す頃合いである。

 この時間帯、艦隊の執務は小休止を挟む。

 桐林は執務室に備え付けのソファで仮眠をとり、その間、秘書官である鹿島も自由時間となるのだ。

 とはいえ、ほとんどは次の仕事の下準備だったり、桐林の寝顔観察にそれを費やす彼女が、どうして庁舎をほっつき歩いているのか。

 先に本人が口走った通り、小腹が空いたからであった。

 

 

「やっぱり、私だけだと疲れちゃうなぁ……。香取姉、早く帰って来てぇ……」

 

 

 涙目で愚痴をこぼす彼女は、今朝方から非常に忙しかった。

 いや、第一秘書官の香取が、間宮と共に遠征任務に従事している間、ずっと忙しかった。

 桐林のスケジュール管理。搬入される物資の受付・仕分け作業の指示。次作戦展開の準備と、練度向上を目的とした艦隊内演習の組み立て。

 いつもなら香取と分担して処理する、その他の雑事が山ほど押し寄せて来たのだ。

 しかも、本当なら間宮と一緒に帰ってくるはずの香取は、何故かその姿を見せず……。

 

 そんな訳で、ちょっぴり弱気になっている、お疲れモードな鹿島なのである。

 ここは早急に、甘味でやる気を取り戻さないと。寝顔観察は然るのち、だ。

 向かっている先はもちろん、庁舎一階にある大食堂 兼 店舗――甘味処 間宮。

 羊羹か。最中か。プリンかアイスか御団子か。とにかく、内密に融通して貰わねば。

 

 目的地には程なく到着し、準備中という看板が出ていたからか、珍しく人気のない店内を進んだ鹿島は、こっそり奥の厨房を覗き込む。

 幸い、二人の人影があった。間宮と伊良湖だ。

 

 

「あ、間宮さん居た。あの――」

 

「ところで、伊良湖ちゃん。提督と過ごしてみて、どうだった?」

 

 

 さっそく声を掛けようとした鹿島だったが、彼女へ背を向ける間宮は、同時に伊良湖へと話しかけていた。

 反射的に鹿島は身を隠す。

 提督と、過ごしてみて。

 この単語に引っ掛かるものを感じたからである。

 

 

「え? どうって……」

 

「もう、トボけないでちょうだい。私の代わりに、提督のお世話を頼んだじゃない」

 

「あっ。あー、あの事、ですか……」

 

 

 再び様子を伺うと、隣り合って夕食の仕込みをしているらしい二人は、意味深長な言い回しで話を続ける。

 提督のお世話? 間宮の代わりに、というならば、食事に関する事だろうか。

 しかし、その割には伊良湖の表情がおかしい。

 俯き加減に頬を染め、恥ずかしそうに両手の指を絡ませ。

 これではまるで、如何わしい話でもしているような……。

 

 

「その……。なんと言えばいいのか、難しいんですけど……。『病みつきになっちゃう』って言葉の意味が、よく分かりました。こういうのも、女の喜びって言うんでしょうか」

 

「でしょう? やっぱり女としては、殿方に喜んでもらえるのって、幸せよね」

 

(ぉぉお、女の悦び!? 病みつきって……。えぇぇ!?)

 

 

 物影に身を隠す鹿島は、心の中で絶叫した。目は真ん丸に開かれ、手の平に汗が滲む。

 まるで、じゃなかった。この二人、間違いなく如何わしい話をしている。そうとしか聞こえない。

 まぁ、ご存知の通り実際には違うのであるが、間宮、伊良湖の言葉の選択も偏っていた為、鹿島が勘違いしても致し方ない。……かも知れない。

 落ち着きのある人物であれば、もう少し聞き耳を立ててから判断しようとする所だろうが、思い込んだら一直線な鹿島の中では、既に色事の話で確定してしまった。目が血走り始めている。

 そんな事とは露知らず、間宮の同意を得て安心したのか、伊良湖は桐林と過ごした時間を語り出す。

 

 

「わたしの技術なんて、間宮さんに比べたら拙いと思うんですけど、提督は心から喜んで下さって。

 それが、統制人格としての繋がりから伝わって来て。なんと言うか……。

 ああ、この感覚にずっと身を委ねていたい……とか、思っちゃったりも……」

 

「分かる! 分かるわ、その気持ちっ。提督って、こういう事では絶対に嘘なんてつかないし、それがまた堪らなく嬉しいのよね~」

 

「はいっ。わたしもそう思いました!」

 

 

 うっとり。己が頬に手を当て、色気たっぷりに微笑む間宮と、頬を染めつつ、笑顔を輝かせる伊良湖。

 いちいち如何わしい言葉を、無意識に選択する二人だが、悪意は無い。自分たちの純粋な気持ちを語り合っているだけである。

 しかし、当然のように鹿島の勘違いは加速してしまい、彼女は口をあんぐりと開け、全身に冷や汗をかいていた。

 

 

(嘘……。嘘よ……。提督さんと、間宮さんが? オマケに伊良湖ちゃんまで? ふ、風紀が、風紀がっ!?)

 

 

 桐林と、淫らな格好で絡み合う間宮。そして伊良湖。

 食べ物の口移しや裸エプロンに始まり、女体盛りやら、練乳舐め取りプレイやら、料理中のイタズラやら。鹿島の脳裏で、桃色ロマンティックが繰り広げられる。

 誰かがそれを覗いていれば、「アンタの風紀の方がよっぽど乱れとるわ!」と言いそうな有様である。

 

 

「安心したわ、貴方も同じ気持ちで居てくれて。……じゃあ、今日からはまた私が、提督のお世話をするわね。今までご苦労様」

 

「えっ」

 

「え?」

 

 

 それを知る由もない間宮は、遠征任務によって変えざるを得なかった業務を、通常通りに戻そうと提案するのだが、伊良湖は驚きに彼女を見つめ、間宮もまた。

 重なる視線が、見えない火花を散らす。

 

 

「……伊良湖ちゃん? 私ね、一週間以上も遠征に出ていたの。その間ずっと、いつもなら提督と楽しんでいる時間を、一人寂しく過ごしていたのよ。分かって貰えるわよね?」

 

「はい。とても大変なお仕事だったと思います。……けど、いきなり過ぎますっ。わたし、ようやく提督と通じ合えてきた所なのに……っ」

 

「わ、私だって、何日かぶりに提督と一緒に過ごすのを楽しみにしていたの! いくら伊良湖ちゃんでも、譲れないわ!」

 

「そんなの、お、横暴です! わたしに提督のお世話を頼んだのは、間宮さんなのに……。あんなのを教えられたら、引くに引けません!」

 

 

 ニッコリと、威圧感を放つ笑みを浮かべた間宮に、伊良湖が珍しく――否、初めて反抗の姿勢を示す。

 たじろぐ間宮は、しかし気迫を以って詰め寄り、伊良湖もへの字口で応じる。

 最早、誰が聴いても男を巡る痴話喧嘩としか聞こえなかった。本人たちにその気が無い、というのが始末におえない。

 

 

「……ねぇ、伊良湖ちゃん」

 

「なんでしょう、間宮さん」

 

 

 バチバチと音の聞こえてきそうな、一触即発な雰囲気に包まれる二人。

 ロマンティックが止まらなかった鹿島も現実に引き戻され、包丁を持ち出す前に止めるか否か、先程までとは種類の違う冷や汗を流してしまう。

 耳鳴りを感じる沈黙が、数秒。

 鹿島の息を飲む音を合図にしたかの如く、状況は一変した。

 

 

「よく考えたら、三人一緒っていうのもありだと思うの」

 

「あ、奇遇です。わたしもそう考えてて。三人でも問題ないですよね?」

 

(ぅえぇぇええぇぇぇ!?)

 

 

 勝手に叫びそうだった口を押さえ、鹿島はまたしても驚愕する。

 さっきまで提督さんを取り合っていたのに、どうしてそうなるの?

 3(ピー)? 3(ピー)なのぉ!? と、思考がしっちゃかめっちゃかである。

 

 

「そうと決まれば、今日は二人で準備しましょう! 久しぶりの共同作業よ!」

 

「はい! 腕によりを掛けて、提督を昇天させちゃいますっ!」

 

 

 一方、元凶の二人は仲良く頷き合い、気炎を上げて料理の仕込みに没頭していた。

 くどいようだが、言葉の選択が著しく不適切なだけであり、当人たちに如何わしい話をしているという自覚はない。

 その純粋さが、鹿島のロマンティックをエンドレスにしてしまう訳で。

 

 

(間宮さんと、伊良湖ちゃんと、提督さんが。

 三人で組んず解れつ、ぎったんばっこん……。

 そんなのダメ、止めなきゃ……。

 でも、止めに入ったりしたら、私まで……?)

 

 

 間宮と伊良湖。熟れて食べ頃な果実と、まだ青さの残る果実を、両腕にかき抱く桐林。

 本物の彼なら絶対に浮かべそうにない、悪い男の笑みを想像し。

 そして、その魔の手に掛かろうとする己自身を想像し、乙女回路はついにショートした。

 

 

「も、もう、だめ……。はうっ」

 

「……あら? 何かしら、今の音。誰か倒れたような……」

 

「って、鹿島さん!? 大変ですっ、は、鼻血が、鼻血がー!?」

 

 

 ボシュン、と湯気を立てて倒れ込む鹿島。

 気付いた伊良湖たちが駆け寄るも、鼻血まみれな彼女の顔には、何故か幸せそうな笑顔が浮かんでいた。きっと不埒な――もとい、幸せな夢でも見ているのだろう。

 この一件以降、「帰って来た間宮をさっそく押し倒した」「とうとう伊良湖にも手を出した」「いやいや、代わりに鹿島へ手を出した」「それは無い」「ですよねー」、などという噂で、桐林艦隊庁舎は持ちきりになったとか、ならなかったとか。

 

 真相は闇の中、である。

 

 

 

 

 

『……最近、鹿島の視線が怖いんだ』

 

「鹿島、さん? 確か、舞鶴での秘書官さん、ですよね?」

 

『ああ……。なんだか、獲物を見るような目で見られているというか、蚊を叩き潰す直前の目付きというか……』

 

「……司令官さん。何かしたんじゃ……?」

 

『心当たりがないから困ってるんだ。無駄なこと喋らないようにしてるし、迂闊に物理接触しないよう気を付けてるし。困った……』

 

「………………。あの、ちょっと酷いこと言っても、大丈夫ですか?」

 

『えっ。……う、うん。大丈夫……だといいな……。どうぞ』

 

「多分ですけど、司令官が今まで大丈夫だと思っていた事が、変な目で見られちゃう原因で。

 でも、口数を少なくしているから誤解が解けなくって、悪い方へ悪い方へ行っちゃってる……ような気がするのです」

 

『……それだと自分、悪い所を自覚できなくて対処不可能なんですが』

 

「今からでも遅くないのです。ちゃんと舞鶴の皆さんとも話すようにして、キチンと理解して貰った方が良いと思います」

 

『そう、すべきなのか……。でも今更だし……。いや、誤解されたままっていうのも……』

 

(ギャップに戸惑って、距離を置こうとする子とか出るかも知れませんけど……。その方が安心なのです、私的に)

 

『……ああ、ごめん。一人でブツブツと。何か言ったか』

 

「はゎ、だ、大丈夫なのですっ。何も言ってない、のです……」

 

『そうか……。話を聞いてくれて、助かった。ちょっと、努力してみる。お休み』

 

「はい。お休みなさい、なのです。……はぁぁ……。電はやっぱり、悪い子なのです……」

 

 

 

 




「ううう、どうしよう。昨日もロマンティックがドリフト走行して眠れなかった……。提督さんにも変な顔されちゃうし、散々だよぉ……」
「……あの。少しいい、ですか……?」
「へひゃう!? ……って、貴方はドイツの潜水艦の……」
「はい……。ちょっと……お願いしたい事が、あって」
「お願い? はいっ、なんでしょうっ。お困りならば、この鹿島を頼って下さい!」
「……Danke。……実は……」

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