統制人格。
傀儡能力者が生み出す、軍艦の現し身。無人制御端末。使い魔。
その全ては女性体として具現し、外見も千差万別であるが、共通性質として、自発的な意思を持たない。
法的にも生命体として認められておらず、あくまで器物、もしくは船の付属品として扱われる。
傀儡能力者と霊的な繋がりを持ち、それを通じて伝達された命令を、更に艦全体へと伝える役割を担う。
身体は霊子で構成されており、厳密に言えば、物質に触れる能力を持つ幽霊である。
人間とほぼ同じ構造・臓器が再現されていると考えられているが、睡眠・飲食・排泄を始め、様々な活動を必要とせず、負傷に対する耐性も持ち、身体能力は極めて高い。
これが、■■■。■■という重巡洋艦の現し身。
「あの、どこに向かってるんですか?」
「ん? あぁ、ちゃんと仲間を紹介しておこうと思ってね」
そして、■■■を呼び起こしてくれた人が、今、廊下の前を歩く■■さん。……傀儡能力者。
人類が新たに獲得した霊的異能。それを持ち得た人間のこと。
一定以下のテクノロジーで作成された構造物――特に軍艦へ自らの魂を分け与え、統制人格と呼ばれる端末を生み出し、無人制御を可能とする。
傀儡能力者は、世界総人口である五十億に対し、一千万分の一程度の確率で発現するが、日本においては百万分の一ほどの確率で発現している。
しかし、彼の励起した軍艦である■■■は、通常の統制人格という枠組みから、外れた存在になってしまった。
おトイレは必要ないけど、眠くなるし、お腹も空くし。何より、■■■という自意識を持ってる。
理由は全く分からなかった。なので、■■さんは色々と検査を受ける予定らしい。
でも、その前にちょっと……と連れ出され、その後を追っているのです。
「さ、ここだ。入ってくれ」
「……はい。失礼致します」
程なく、彼はとある部屋の前で立ち止まる。
第二重構造会議室……。重構造ってなんだろう? よく分からないけど、厳重な感じ。
とりあえず、■■■はドアをノック。挨拶しながら、両開きのそれを開けた。
日の光が差し込む明るい室内。中をくり抜かれた楕円形の大きな机の側に、五人の男女が立っていた。
端から、彼に二佐と呼ばれていた初老の男性と、半ズボンの少年、■■■くん。二佐は堂々と。■■■くんは欠伸をしてる。
だけど、その隣に居る三人は誰だろう。
■■■と同い年くらいの女の子に、眼鏡を掛けた……ごめんなさい、失礼な言い方します。パッとしないオジさんと、■■さんより少し若い感じを受ける男の人。
この人たちが、仲間?
「まずは、二佐と少年。もう会っているし、省いても問題ないか」
「え? ま、まぁ、無いと言えばそうですけど……」
「おいおい。その言い草はなんだ、仮にも上官だぞ?」
「そーだよ、人を呼びつけといて。オレは兄ちゃんほどヒマじゃねーんだけど」
「ははは、すみません二佐。少年には後でラムネ奢ってやるから、な」
「っ! ぜ、絶対だかんな!」
首をひねる■■■を置いて、■■さんは二佐、■■■くんと談笑中。やっぱり仲が良いみたい。
二佐は落ち着きのある男性……最初のアレは例外かな。で、■■■くんは口の悪いイタズラっ子。ラムネで釣られちゃうあたり、まだまだお子様だね。
「で、こちらが同期の……。どっちで紹介したのが良いかな」
「……どっちでも」
お祖父さんと孫みたいな二人の次は、白い詰襟とプリーツスカートを合わせる女の子。
若く見積もって十五歳、少なくとも成人はしていないと思う年恰好で、色味の燻んだ金髪とソバカスが特徴だった。ちなみに髪型はポニーテール。
んー。外国人さん、なのかな。顔立ちが日本人離れしてる。けど、髪の色は染めたりとか出来るし、言葉のアクセントも自然。ハーフとか?
「彼女の名前は■■ ■。潜水艦、伊号五○三・五○四を主に使役しているんだ。無口でとっつきにくいかも知れないが、真面目な子だ。仲良くしてくれ」
「……どうぞ、よろしく」
「はい。よろしくお願い致します」
ペコリ。深々と頭を下げてくれる彼女に、■■■もお辞儀を返す。
表情の変化はあまり無いみたいだけど、礼儀正しくて大人しい子みたい。友達になれたらいいな……。
と、淡い期待を抱く■■■の前に、次なる人物が進み出てきた。
さっきのパッとしないオジさん。ちょっと猫背で、気の弱そうな感じ。
「次は、■■ ■■さん。軽巡洋艦、大淀を旗艦とする、砲雷撃戦の妙手だ。元は脚本家なんですよね?」
「いやはや。全く稼げませんで、そう名乗るのも恥ずかしいんですが……。
しかし、今までは何一つ精神的活動を見せなかった統制人格が、突如として自意識や感情を発露させた。
実に興味深い題材です。後で取材させて下さいね?」
「は、はい。構いませんけど、お役に立てるかどうか……」
「いえいえ、問題ありませんって。取材にかこつけて、若い女の子と話したいだけですから。あっはっは」
「……奥さんに言いつけますよ」
「ごめんなさい冗談です勘弁して■■君っ」
人の良さそうな顔で笑うオジさんでしたが、目を細くした■■さんの言葉に大慌て。意外。結婚してたんだ。
少し頼りなさそうだけど、■■さんとも仲良さそうだし、■■■も懇意にさせて貰おうっと。
「おっほん。まぁ、■■さんは置いといて。最後に紹介するのはこの――」
「やぁやぁ! これまでは特に気にかける事もなかったが、自由な意思を宿したとなれば、紳士として挨拶せざるを得ないね!」
「ひゃっ」
賑やかに自己紹介が進む中、背筋をピンと伸ばした、艶やかな黒髪と爽やかな顔立ちが特徴の青年が、ズイッと前に。
■■さんが紹介しようとした瞬間、彼は勢いよく円卓の上へ躍り出た。
まるでスポットライトでも浴びているかのように、大仰で芝居掛かった動き。
な、なんなの?
「ボクの名は■■■ ■■。だが、それは世を忍ぶ仮の名に過ぎない!
なら本当の名前はなんだって? ふっ、耳をかっぽじってよく聞くが良い! ボクの真の名前は――」
「本名は■■ ■■だってさ。なんか霊能力者の家系らしくて、有名な陰陽師と同姓同名らしいけど、胡散臭いよなー」
「――って■■■君っ!? 何故に一番の見せ場を掻っ攫うのだぁ!?」
「だって一々ウゼェんだもん」
「これ■■■。いくら本当の事でも、本人を目の前に言ってはいかんぞ」
しれっとセリフを奪った■■■くんに、その■■■さんとやらは悲愴な感じで崩れ落ちる。
ていうか、二佐も何気にヒドい事を……。この人、嫌われ者?
「くっ……。だが負けぬ……! 例え見せ場を失っても、■■■君にウザいと言われようとも、■君にフラれ続けても、決してくじけはしない! 何故ならボクは……」
どう表現すればいいんだろう……。
毒を飲まされて死ぬ寸前に、最後の言葉を残そうとするような、思わず見入ってしまう悲愴感が漂っている。
……んだけど、どうにも真剣に受け取れない雰囲気があった。
そんな■■■さん。唐突に顔を上げたと思ったら、恍惚とした表情で窓の外を見やり。
「イケメンなのだから……!」
実にナルシスティックな一言で、周囲を引かせました。
ああ、分かった。この人、頭に「残念な」って付けなきゃいけない人なんだ。
確かに顔立ちは整ってるかも知れないけど、これじゃあ台無しだよ。何? そのギリシャ彫刻っぽいポーズ。首痛めますって。
「こ、個性的な、方々です、ね……」
「だろう? 割と困ってるんだ、ははは」
「■■さん、笑えない……」
本音を分厚いオブラートに包んで、■■■はなんとか苦笑いを浮かべる。
■■さんが楽しそうに笑っているけども、■さんとかは疲れ切った様子。フラれ続けとかって言ってたし、貴方が被害担当なんですね。お察しします。
……軍人さんが、こんなので良いのかなぁ。なんだか不安になって来ましたよ……?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
身体が沈み込むような、柔らかい革の座席。
恐ろしく滑らかな手触りは、同時に微かなエンジンの振動を伝えてくる。
スモーク処理のされた防弾ガラスが、外側からの視線だけでなく、内側からの視界も閉ざす。
少しばかり前。軍病院へと向かうのに使用されたリムジンと、同型の車内に自分は――自分たちは居た。
「一体、どこへ向かってるんですか」
「着けば分かる」
ダークスーツの襟元を緩めつつ、斜め前に座る梁島提督へ問うが、はぐらかされた。
安物の毛染めで染めた黒髪から、独特のツンとした香りが漂う。うっかり左眼を開かないように着けた、使い捨ての眼帯が落ち着かない。
同じように彼も、左手を落ち着きなく握っては開いていた。
自分が意識を取り戻して、一週間が過ぎようとしている。
その間、検査や事情聴取はもちろんの事、自身の置かれている状況に関しても、説明を受けた。
あの施設は舞鶴鎮守府の近隣にある研究所であり、自分の身柄は桐谷提督の管理下に置かれている。
新たな“力”――霊子力場発生能力に開眼し、どのような影響が傀儡艦にもたらされるか分からない今、与えられていた指揮権は凍結。復帰できるかどうかも未定だ。
ひとまず、知りたい事を聞けば、ある程度は答えて貰えたし、人間としての扱いを受けている。それだけでも有り難いのだろう。
「……あの」
「先に言っておくが」
どうにも間が持てず、思い切ってまた声を掛けてみるが、強い語気が被せるように発せられた。
口をつぐんでしまうと、黒い礼装姿の彼は、目を閉じたままに続ける。
「早合点して暴力を振るった事に関する謝罪は、不要だ。
おかげで拘束具が無意味なのも判明したからな。むしろ役に立ったぞ」
「……そうですかっ」
また、これだ。この人を嘲笑う態度が、本当に腹立たしい。
自分と“同じ立場”だというのに、何故ここまで足蹴にされなければならないのか。
そう。驚くべき事だが、あの“力”を得た人間は、自分一人ではなかったのだ。
自分は……おそらく、小林 倫太郎の実験の結果、視神経から“侵された”。
対して梁島提督は、自分を殺そうと、第一次大侵攻で回収されたという、敵性艤装の破片を取り込んだ結果、骨から“侵された”……ようだ。
霊子力場の発生以外に現時点で判明している作用は、身体能力の強化、生化学反応の変異による毒物に対する極めて高い耐性。
握力は成人男性の平均、五十kgから百三十kgにまで上がり、瞬発力・動体視力などの向上も見られ、致死量の三万倍のシアン化カリウム――青酸カリにすら耐えうると聞いた。実験済み、らしい。
そして、発作的にしか“力”を使用できない自分と違い、彼は既に“力”を制御下に置いているという。
一時は小林 倫太郎との繋がりも疑われたが、恭順の意を示す彼に、桐谷提督を始めとする上層部は寛容だった。少なくとも、自分よりは行動に自由がある。
いつ暴走するかも分からない兵器と、未知の技術ながら安定動作する兵器。
等しく重要かも知れないけれど、重用すべきがどちらかは、考えるまでもない。
「一つ、注意点がある。よく聞け」
そっぽを向く自分に、今度は梁島提督の方から声が掛かる。
無視する訳にもいかないので、目線を戻す事で先を促すと、特に無作法を気にするでもなく、彼は続けた。
「我々が得たあの“力”は、感情の昂りに反応し易い。心を乱すな」
「感情の、昂り?」
「怒りや憎しみ。そういった負の激情だ。覚えがあるだろう」
……覚えがある、どころじゃない。
自分が霊子を纏う時には、必ず激情が伴っていた。
先輩を殺した外道への憎しみ。
主任さんを見殺しにした梁島提督への怒り。……まぁ、こっちは勘違いだったけど。
とにかく、誰かを激しく憎み、怒り狂った時に必ず、この“力”は活性化する。まるで漫画やアニメによくある、暴走型特殊能力だ。
「我々は、言わば超高圧のボイラーのようなものだ。機関部に据えれば、それこそ出力が万の位に留まらず、億……いいや、京や垓の位に届く程のな」
「垓って……。そんなまさか」
「物の例えだ。実際は馬力程度で測れん」
胡乱な目を向けるが、梁島提督は至って真剣に見えた。
ボイラーという身近な表現と、日常では縁遠い数字の桁。
億の一万倍が兆で、兆の一万倍が京。そして京の一万倍が垓……十の二十乗、ゼロが二十個も必要になる。
俄かには信じがたいけれど、見せられた記録映像――小林 倫太郎との戦闘記録が嘘でなければ、物理法則を書き換えるほどの“力”。常識に囚われない方が良いのかも知れない。
「人はボイラーをどのように使う。答えてみろ」
「は? そりゃあ、熱を使ってお湯を沸かしたり、蒸気でタービンを回したりして動力源に……」
「その蒸気はどうやって送る」
「耐圧加工した蒸気管とか……。さっきから何を」
「ならば。そういった物を用意せず、ただボイラーを焚き続けたら、どうなる」
不意打ち気味な問い掛けに対し、反射的に答えを返していると、同じような問いが立て続けに。
最初は何を言いたいのか理解できなかったが、その内に言葉の輪郭が見えてきた。
超高圧のボイラーを、なんの目的もなく、延々と焚き続ければ……。
「蒸気の逃げ場が無かったら、あっという間に破裂――爆発する」
「そうだ。我々の場合、その逃げ場が統制人格であり、作用点となるのが傀儡艦という訳だ。
十数分なら耐えられるだろう。だが、長時間使えば……。自殺したいのなら、止めはせんがな」
最後にそう突き放され、車内はまた沈黙で満たされた。
ただの人間だった自分に、本来は無い機能が追加された結果、爆発の危険性まで内包してしまった、という訳か。
条理を覆す“力”の代償。高いと見るか、安いと見るべきか……。望まぬまま得てしまった自分は、どうすればいい。
そんな時、ふと、身体が前へ押し出されるような圧力を感じた。停車したようだ。
「着いたな」
梁島提督は、停車したのを確認すると、足元から大きめのアタッシェケースを取り出し、唐突に左腕を百八十度ねじった。
袖口のボタンが外され、スルスルと左腕が引き抜かれる。その上腕部に、メカニカルな接合部。おそらく、最新式の義腕だろう。
「義腕、だったんですね」
「……ああ、言っていなかったな。中将――ではないか。元帥に斬り落とされた」
「え?」
「お前を殺そうとした時に、だ。行くぞ。この姿の方が関係者の同情を引ける」
驚く自分を置き去りに、ドアを開け放つ背中。それを追って革靴を踏み出せば、暗く澱んだ空が出迎えた。
遠目に白く大きな建物。円球状の天井が特徴的だが、周囲に人影は全く見られない。
「ここは……」
「吉田元帥の遺体が安置されている。
明後日、国葬が行われる時に搬出される予定だ。
貴様はあの人に助けられた。別れの挨拶は必要だろう」
一つ、心臓が跳ねた。
中将の遺体。もう亡くなってから日は経っているはずだが、しっかり保管さえしておけば、肉体は留めておける。
別れ。挨拶。確かに、必要だ。
ちゃんと、区切りをつけなくては。
「ありがとう、ございます。機会を作って、頂いて」
「私に言うべき言葉ではない。……着いて来い」
礼儀として、梁島提督の背中に頭を下げるが、やはり返答は素っ気無い。
特に期待していた訳じゃないから、こちらとしても気にならないが。
彼の後を追い、アスファルトを踏んで白い建物の中へ。
とても落ち着いた内装。無地の絨毯が足音を吸い込んで行く。
相変わらず、人っ子ひとり居ない……と思っていたら、廊下を幾つか曲がった先で、見覚えのある巨体が歩み寄って来た。
「やぁ、お久し振りですね」
この場に似つかわしくない、朗らかな笑みを浮かべるその人は、今の自分の生殺与奪権を握る人物。“梵鐘”の桐谷提督だった。
爽やか過ぎる少年のような声に、自分は敬礼で答える。
「お久し振りです。桐谷提督も……?」
「いえ。私は既に済ませておりましたので。逐一報告は受けていましたが、一度、貴方の顔を見ておきたかったんですよ」
「あ……。自分、は……」
「皆まで言わずとも結構。桐林殿。貴方の身に起きた事は、全て承知しています」
まるで労わるように、大きな手が肩に置かれた。……でも、どうしてだか、素直に受け取る事が出来なかった。
確かにこの人ならば、舞鶴で起きた事の全てを把握可能だろう。しかし、それは今だからなのだろうか。
千条寺家当主としての辣腕を考えると、こうなると分かっていた上で、放置していたのではないか……なんて、邪推してしまう。
きっと、自分は見当違いな逆恨みをしているんだ。
桐谷提督なら、こんな事になる前に何か手を打てたんじゃないのか。そんな風に期待して。本当に、どうしようもない。
「色々と話したい事もあるのですが……。
何分、国外の来賓を迎えるとなると忙しい上に、このような場です。止めておきましょう。
後から間桐殿と桐ヶ森殿も来る予定ですよ」
「あの二人も……」
「ええ。先にお別れをどうぞ。私は準備がありますので、これで失礼します。では、また後ほど」
それだけ言い残すと、桐谷提督は近くの大きな扉を顎で示し、返事も待たずに歩き去る。
国葬……。それもそうか。梁島提督も言っていたけど、吉田 剛志司令長官は、特進により階級を元帥にまで押し上げられた。
つい癖で中将と呼んでしまうが、もう、そんな風に呼んじゃいけないんだ。
あの釣り好きなお爺さんは、英霊となってしまったのだから。
……そう言えば、梁島提督。さっきから黙ったまま……。
「あれ? 梁島提督……?」
居ない。周囲を見回してみるが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
自分の前を歩いていて、桐谷提督が現れて、そこから気配が消えたような……。
廊下にポツンと取り残され、自分はしばし途方に暮れるけれど、すぐに扉の存在を思い出した。
この向こうに、眠っている。
(……吉田、中将。……元帥)
扉を前に、知らず深呼吸をしていた。
身体の内側を、何か、おぞましいモノに撫で回されているような、不快感。
それを追い出したくて頭を振り、ドアノブへと手を掛ける。
けれど、動かせない。
手首を捻り、奥へ開くだけ。
たったそれだけの動作が、異様なほど、重い。
「……っ」
気がつくと、自分は弾かれるように逃げ出していた。
「すみません……。すみません……っ、すみませ……」
どこをどう走っているのかも分からず、ただ、走る。
なんで。なんで自分は逃げている。何から逃げているんだ。
ちゃんと挨拶をしなくちゃいけないのに。
今生の別れを、済ませなければならないのに。
「最低だ……」
立ち止まった所は、まばらに車が停まっている、駐車場のような場所だった。建物の裏手、だろうか。
あれほど走ったのに、息切れすらしていない。今までの自分だったら、息も絶え絶えだったはず。
自分の心が、自分という存在が分からなくて、独りきりで空を見上げる。
まだ昼にはなっていないが、それにしては暗過ぎる空だった。
「……ん?」
ドドドドド。
ふと、人が猛烈な勢いで走っているような、そんな足音が聞こえてきた。
背後から。これは……近づいてくる?
何とは無しに振り返ってみると……。
「――ぉおりゃあっ!」
「ぬぉおおっ!?」
いきなり上段蹴りが飛んで来た。
奇跡的にそれを掴み止めると、放ったのは少女である事が分かった。
黒いブレザーのような服装。眩しい金髪。フェルト地の黒い帽子。そしてスラリと伸びたおみ足。
……桐ヶ森提督!? え、なんで自分襲わてれるの!?
「あ、ちょっ、離しなさいバカ!」
「いや、何、何してくれてんだアンタ!? ――あっ」
「きゃっ」
片脚立ちでピョンピョンする桐ヶ森提督と、訳も分からず、細い足首を掴み続ける自分。
奇妙な膠着状態は、バランスを崩し、もつれ合いながらアスファルトに転がる事で解消された。
一応、下敷きになって庇いはしたけど……。
「いったた……。もう、最悪……」
「それはこっちのセリフですよ……」
自分の上へ乗っかり、胸板に手をついて身体を起こす彼女は、やけに軽く感じた。
人の顔って、下から見上げるとブサイクになると聞いたけど、やっぱ美少女のままだ。
なんて不謹慎なことを考えていたら、破廉恥な体勢で呻く自分たちに駆け寄ってくる人影が。
あれは……。佐世保で会った、桐ヶ森提督の調整士さん?
「あーあー、何やってんですか、桐ヶ森提督。ダメでしょ、いきなり人に蹴りかかっちゃあ」
「ウッサイわね、自業自得なのよ。よくも私のシュトゥーカを汚してくれたわねぇ? この強○魔!」
「た、体位的にはっ、自分の方が被害者なんですけどぉ!?」
「体位って言うなバカァ!」
「おぉおぉおぉおぉおっ」
ガックンガックン、前後に揺さぶられながら反論すると、彼女は真っ赤な顔で更に激しく前後運動を。
いや、うん。真面目に騎乗位みたいな格好なので、早めにどいて欲しいんですがっ。
っていうか、なして強○魔呼ばわりされなきゃならんのだ?
「ど、どういう事なんですか? シュトゥーカを汚したって……」
「どうもこうも無いわよ!
アンタに制御を奪われた機体、私の制御を受け付けなくなっちゃったのよぉ!
私の、私だけのシュトゥーカだったのにぃいぃぃ! うわぁああぁぁあああんっ!!!!!!」
「えー、つまりですね? 今まで桐ヶ森提督が使っていたJu87C改は、もう桐林提督専用機になっちゃった訳です。
それが悔しくて悔しくて堪らないんですよね? はい、ティッシュどうぞ」
あー、そういう事ですか……。解説どうも。
上体を起こすと、さっきまで怒り心頭だった桐ヶ森提督は、顔をグシャグシャにして泣き喚いていた。
仕方なく、調整士さんのティッシュで代わりに拭うと、彼女は「チーン!」と鼻をかんでようやく一息。
さっきまで気分が落ち込みまくってたのに、何してんだろう自分……。
「……づあ゛ぁ、色々とブチまけてスッキリしたわ。よいしょ」
赤くなった目元を擦りつつ、サッサと立ち上がる桐ヶ森提督。
自分も合わせて立ち上がると、綺麗な碧眼がこちらを見上げた。
「にしても、本当に別人みたい。一瞬、アンタが桐林なのかどうか、分からなかったわ」
「……すみません」
「なんで謝るのよ」
「な、なんとなく……」
「はぁ。やっぱりアンタ、桐林ね」
どう答えれば良いのか分からず、本当になんとなく謝る自分へ、彼女は呆れた表情を浮かべる。
まぁ、ダークスーツに眼帯を着けた、顔に傷のある男を客観的に評価すると、良く言っても悪く言っても、絶対ヤクザだ。しかもかなりの修羅場を踏んだ若頭的な。
今は情けない顔をしてるだろうが、無表情なら結構な迫力があるんじゃなかろうか。全然嬉しくない。
……ん? という事は、相手が誰かも分からないのに、確認せぬままヤクザへ蹴り掛かったって事ですか?
勇気があるってレベルじゃないですよ。無理無茶無謀の三拍子が揃っちゃってますよ。自重して女の子なんだから。
「何があったか、なんて聞かないわ。どうせ理解もしてないでしょ?」
「……はい」
「取り敢えず、さっきも言ったように、あの時のシュトゥーカはもう私には使えない。
近い内にアンタへ渡るでしょう。……大事に使いなさい。墜としたら承知しないから」
「か、覚悟しておきます」
「素直でよろしい」
あくまで高飛車な態度を崩さない少女に、思わず「お嬢」って呼びたくなってしまう。
自分にその記憶はないが、舞鶴で制御を奪ったとされるJu87C改。
彼女の代名詞とも言える機体を譲るのだ。あの大騒ぎっぷりも理解できる。
もし指揮権が戻ったとして、使うのは自分ではないだろうし、墜とさない確約は無理でも、お仕置きだけは承知しておかなければ。
「というか……。さっきからしてるこの臭い。アンタまさか、髪染めた?」
「え、ええ。その……。漫画みたく、真っ白になってしまったので……」
「……ぬぁんですってぇ?」
「は? ぅおっ」
結構キツい臭いだし、バレるかぁ……と思って自分の髪を弄っていたら、ネクタイをグイッと引っ張られ、桐ヶ森提督の顔が急接近した。
驚きに硬直していると、彼女はクンクン鼻を鳴らし、顔を突っ込むようにして臭いを嗅ぎまくっている。
え、えぇ、何? なん、くすぐった、ぉお?
「あ、あの、桐ヶ森、提督?」
「あぁ、なんてこと……! アンタ、バカじゃないの!? こんな安物使って、しかもこんなに染めムラがぁ……っ。
髪や頭皮っていうのはね、ものすごーーーくデリケートなのよ!? キチンと労わりながら、優しく染めてあげなきゃダメじゃない!
後で顔貸しなさい、私が丁寧かつ完璧に染め直してあげるわ!」
「ありがとう、ございます……?」
「スゲェ……。臭いだけで毛染めの品質まで見抜くとか、まるで犬っすよゴッドバードバレーさん……」
「うるさい黙れ。あーら白髪が生えてるじゃない、抜いてあげるわフンヌッ!」
「イッテェ!?」
何やら、髪の染め方に一家言あるらしいプリン頭さん。
こちらへ指を突きつけた後、ついに黙っていられなくなった調整士さんの白髪を、振り返り様に勢いよく引き抜いた。しかも見事に一本だけ。
えっと……。あれだ、クォーターってのも大変なんですね。毛染めなんて二十年後ぐらいにお世話になるものだと思ってたし、ありがたく教わろう。
断ったら拘束台に縛り付けられて、無理やり染められそうだし。
「ところでアンタ、一人で来たの? 護衛も無しに?」
「……いいえ。梁島提督と一緒に。多分ですけど、今も何処からか監視されてるかと……」
「ふぅん。ま、当然か。大変よね、アンタも……」
梁島提督の話題になった途端、賑やかというか、落ち着きの無かった雰囲気は沈んでいく。
推測だが、自分と彼の能力が未到領域に達した事は、知らされたのだろう。目撃者でもある。
正直な話、今まで通りに……。これまでと全く変わらずに接してくれる、桐ヶ森提督の在り方が嬉しかった。
……でも。自分はどうだろう。
桐谷提督が来ると言っていた、もう一人の同僚。先輩を殺した犯人の、クローンである彼に対して。自分は、どんな顔をして会えばいい。
いいや、どうすれば良いかじゃない。どんな反応をしてしまうかが、怖い。
「あの……。まだ、間桐提督は――ん?」
「……何よ?」
「いや、あれ……」
そんな気持ちが、卑屈な問い掛けをさせようとしたのだが、ふと、彼女の背後に、場違いな人影を見つけてしまった。
二人の女の子。
揃いのセーラー服を着る少女たちは、一方が活発そうな黒髪のショートカットで、残る一方は利発そうな、前髪パッツンの黒髪ロングだった。
小学生か中学生? 少なくとも高校生には見えない。
桐ヶ森提督も振り返り、駐車場隅にある自販機へかぶり付く二人を見て、眉をひそめた。
「何、あれ。ちょっと、なんで一般人が紛れ込んでんのよ」
「私に聞かれても……。誰か、政府高官の御息女とかじゃ?」
「なら警備が付くでしょう。怪しいわね」
「そうですか? ……いや、そうですね。自分も、油断して拉致されたんですから」
普通にジュースを買おうとしている女子二名……だと判断しそうだった自分だが、すぐに考えを改める。
そうやって油断して、まるで警戒をしていなかったからこそ、あの事件は起きたのだ。警戒するに越した事はない。
……のだが、二人の少女へ近づくもう一人の影を発見し、自分たちは異口同音に呟いてしまった。
「あら。イケメン」
「おお、イケメンですね」
「紛うこと無きイケメン、ですか」
順に、桐ヶ森提督、調整士さん、自分である。
セーラー服少女に声を掛けたらしいその人影は、遠目にも分かるほどの超絶イケメンだったのだ。
梁島提督を威厳があって近寄りがたいイケメンとするなら、彼はあまりに現実離れした容姿から、近寄りがたい雰囲気を纏っている。
着ているのは自分と同じようなダークスーツ。モデルかと見紛う長身痩躯だ。
なんというか、遠くから眺めていたい感じ、だろうか? 桐ヶ森提督が若干ときめいているような。
しかし……。
(でも、なんだこの感覚。どこかで、会ったような)
自分の脳裏をよぎるのは、奇妙な既視感だった。以前に見かけたことがある?
いや、あんな美形、一度見たら忘れようがない。けれど、誰かの面影が……。
腕を組み、考え込んでしまうが、それも長くは続かなかった。
なんと件のイケメンが、こちらを目指して歩み寄って来たからである。
プリン頭さんは「ちょっと、こっち来る! か、鏡出しなさい鏡!」と慌てふためき、調整士さんが「はいどうぞっ。……あああ風で付けまつ毛が!」と、三面鏡を持ってサポート体勢。
用意が良過ぎる。ていうかどこから出したの? 手品?
……と、騒いでいる間に、イケメンは二人の少女を連れて自分たちの真ん前に立ち――
「予想通り、辛気臭ぇ面ぁしてやがんな。プリン頭に……。白髪ヤクザ」
「は?」
「え?」
――覚えのある口調で、自分と桐ヶ森提督を呼んだ。
この、口の悪さ。プリン頭、という呼び方。
自分が知る人間の中で、こんな風に呼びつける人物は、一人しか居ない。
桐ヶ森提督が、震える指で彼を指し示す。
「ま、まさか、その呼び方……」
「おう。オレ様よ。こうして直に会うのは初めてだな」
「……間桐提督!?」
「えっ、嘘ぉ!? このイケメンがですかぁ!?」
自分が名を呼び、調整士さんが叫びを上げると、そのイケメン――間桐提督(?)は、「照れるぜ」なんて言いながら頭を掻いた。
身長は、同じくらい。百七十ちょっと? 適当に切ったような短い黒髪が何故か似合っていて、着崩したダークスーツがオシャレ感を演出している。
顔立ちは黄金比とも表現したいバランスであり、スッと通った鼻は高く、細い眉と切れ長な眼が、女性にも通じる細やかさで整えられて。
信じられないといった様子の桐ヶ森提督が、金魚の如く口をパクパクさせつつ、ズレた帽子の位置を戻した。
「う、嘘、嘘よっ! だってアンタ、前に佐世保で見た時はガリガリのチビ助で……!」
「あん? いつの話だよ、いつの」
「ほら、私と演習するはずだった時! 去年の、医務室で、ほら!」
「……ああ。あん時はまだ成長剤が効いてなかったからな」
綺麗な眉をいびつに歪め、間桐提督が過去を振り返っている。
成長剤……。語感から察するに、強制的に身体を成長させる薬物だろうか。いまいち把握しきれない。
そんな自分の気持ちを、調整士さんがタイミング良く代弁してくれた。
「あのぉ……。状況がよく掴めないんですが、私」
「……十ヶ月かそこら前よ。私は間桐と演習するために佐世保へ行った事があるの。
けど、直前で『体調不良により中止』って事になって、無駄足になっちゃったわ。
それで文句でも言ってやろうと、警護を薙ぎ倒しながら間桐専用の医務室へ乗り込んだ時、カーテン越しに……」
「なるほど……。その頃から傍若無人だったんですねぇ……あだっ」
「一言多いのよ軍艦オタ。こちとら燃料費自前だったんだからね? そりゃ怒るわよっ」
笑顔で失礼な物言いをする調整士さんに、デコピンを食らわせる桐ヶ森提督。
仲良くじゃれ合う彼女たちを、間桐提督は静かに見つめている。
次に疑問を挟んだのは、彼の方だった。
「つーか、お前らよ。……オレの事、聞いてんのか」
「はぁ? なんの話よ」
「ん……。まぁ、どうせあの熊野郎が口滑らすだろうから、教えとくか。そこの白髪ヤクザは知ってるみたいだしなぁ?」
また頭を掻きむしる彼は、最後に、嫌味な流し目をこちらへ向ける。
そうだ。自分は知っている。桐ヶ森提督の知らない、彼の出自の秘密を。
そして、彼も知っている。今は黒髪になっているはずの自分が、少し前まで白髪だった事を。……おそらく、その原因も。
目の前に、ナイフの切っ先を突き付けられた。そんな気分だった。
「ねぇ、パパ。なっちゃんたち、いつまで黙ってれば良いのー?」「自己紹介、してないです」
「人前でパパ呼びすんなっつってんだろ!? 殴るぞ!?」
「きゃー!」「誘拐、されるー」
「ゴラァアアッ!?」
が、しかし。緊張感を打ち破る和やかな声が、間桐提督の背後から発せられ、缶ジュースを抱える少女たちと、イケメンの追いかけっこが唐突に始まった。
……目まぐるしくて、着いて行けない。というかパパ? え、そういう関係? いやでも、あの二人もどこかで見たような記憶が……?
「ちょ、ちょっとちょっと。なんなのよ、この子たち。なんか見覚えが……」
「分かった! このロリっ子、間桐提督の長門と陸奥ですねっ? いやーこうなるかぁー」
「嘘でしょおっ!? ま、マジなの間桐!? 答えなさいよ性犯罪予備軍!」
「前半は肯定するが後半には断固反論すんぞ! オレだって好きで援交っぽい呼び方されてる訳じゃねぇ!」
「えんこーって何ー?」「せい、はんざい? わるもの?」
パン、と手を打ち合わせた調整士さんの指摘に、またも目を剥くお嬢。
反論するイケメンの周りを、セーラー服少女――長門、陸奥と思しき二人がパタパタ走り回って……。
なんだこのカオス。突っ込もうにも、どこから突っ込めばいいんだ……?
「あ゛ー、クソ……。とにかく、場所変えんぞ。オラ来い、ながむー」
「あっ! また略した!」「ちゃんと呼んで、下さい」
間桐提督は諦めたらしく、憮然と背を向けて歩き出す。
その後ろに少女二人が続き、自分たちは顔を見合わせる。
どうするのよ。行くしかないんじゃ。行きましょうか。
無言のまま通じ合った三人で、連れ立って彼らの後を追う。
雲が、より分厚くなり始めていた。