「――以上が、工廠の進捗状況になります。イタリア艦の実戦投入は、最速でも二週間後を予定してますね」
夜を迎えた舞鶴鎮守府。
煌々と明かりの灯る執務室にて、工作艦 明石の統制人格を演じる少女が、桐林へと報告を上げる。
ただ頷くだけの彼に代わり、側で控える第二秘書官、鹿島が彼女を労った。
「……はい、確かに。明石主任、お疲れ様でした」
「鹿島秘書官も、お疲れ様ー。いやー、今日も働いた働いたー」
「ですね。うふふっ」
首の骨をポキポキ鳴らし、大仰に肩を回す明石。その笑顔に釣られて、鹿島も楽しそうに笑う。
舞鶴における明石の役割は、人として過ごしていた横須賀での日々と変わらない。
新たな軍艦を建造し、損傷を受けた傀儡艦を修復し、兵装開発まで一手に担っている。
人工統制人格として適合した船が工作艦であったのも、おそらく必然だったのだろう。
彼女が元人間である事を知っているのは、桐林を含めても両手で数えられるほど。最近、ここに鹿島も加わり、秘密を共有する人数が増えた。
桐林が恩師を喪い、明石が統制人格として生まれ変わった経緯など、彼女は涙ながらに聞いていたものである。
そして、共に主人を支えていこうと、彼女たちは改めて誓った。硬く握手を交わしつつ、「でも負けないから」と無言で鍔迫り合ったのは、言うまでもない。
しかし、“それ”以外では分別のある女性だ。
互いの仕事の重要性も理解し、心から労い合う。良きライバルと言ったところか。
対立候補の数は……考えない方が良いと思われる。
「ホント、一日過ぎるのが早いったらないねぇー。ちょっとゴロゴロしてただけで夜だもん、やんなっちゃうよー」
そんな彼女たちを差し置き、執務室のソファで寝そべる秘書官補佐が一人。
仰向けに少年漫画雑誌を開く、谷風である。
靴を脱ぎ捨て、背もたれに脚を掛けるその姿は、ハッキリ言ってだらしない。
薄緑色のショーツが丸見えだった。
「谷風ちゃん……。確か、昼に顔出した時もそこで寝てなかった? 少しは働こうよ……」
「えー。んーなこと言われてもさー。他の三人がやること全部やっちまったら、ゴロゴロするしかないじゃん。鹿島秘書官も仕事は普通に早いし」
「仕事は、ってどういう意味ですか谷風ちゃん? というか、そんな格好ダメです! その角度はその……えっと……み、見えちゃいますから……!」
「んぁ? 見えるって……」
明石が呆れ、鹿島がそれとなく注意を促すと、ようやく谷風は自身の惨状に目を向ける。
執務机と対角線上に位置するソファで、このような格好をすれば、否応無く部屋で唯一の男、桐林の目に着いてしまう。今は一心不乱に書類を作成しているようだが。
そのせいか、谷風の顔に照れや焦りは無く、気楽な笑みを浮かべて軽く手を振っていた。
「今更、パンツ如きで恥ずかしがりゃしないってー。まぁ、この間は胸をモロッと出しちゃったし、アレはちっと恥ずかしかったけどさぁ?」
「も、モロッと……」
鹿島の目が丸くなり、桐林が持っていた資料はバラける。
時を遡ること一週間。直近の出撃において、谷風は中破状態に陥った。
オーバーニーには穴が開き、スカートの丈は半分に。そして上着もただのボロ切れとなり……。あれは間違いなく、先っちょまで見られたに違いない。
しかしながら、中破した回数は通算で二桁に届く頃。最初こそ半泣きになっていたけれど、今さら羞恥心は掻き立てられないのだ。というか、捨てないとやってられない。
そんな谷風へと、同じく秘書官補佐である磯風、浦風が口を酸っぱくする。
「そうは言ってもだな。はしたないと思うぞ、流石に」
「磯風の言う通りやで? いくら提督さんが紳士やっても、女としての恥じらいは無くしたらいけんよ」
「紳士ねぇ……?」
二人の意見に、思わず首を傾げてしまう谷風。
桐林が紳士。態度だけを見れば確かにそうだが、彼が本当は色々と我慢しているのを、谷風は悟っていた。舞鶴の他の面々も、半数以上は察しているだろう。
何を思ってそうしているのか、まだ理解の及ばないことも多いが、敢えて放置している部分もある。どこからどう崩れるか、今の彼は予想がつかない。
だからこそ、ちょっとばかり彼をつつき回して、破裂しないよう、色んなものを漏れ出させるのが己の役目だと、谷風は自負している。
その自負に基づき、ニヤリと底意地悪くほくそ笑んだ彼女は、ワザと姦しい話を続けた。
「しっかしさぁ。実際提督にゃあ、パンツの中身以外は見られちゃってる訳で。いちいち気にしてたら、戦闘なんてできゃしないよ」
「ふむ……。確かに、一理あるか。中破した状態でも動くことは出来る。いや、むしろ中破で足を止めることの方が危うい。そんな時に、肌を隠すほどの余裕は無いしな」
谷風がスカートの裾をわずかに持ち上げ、磯風も自身の身体を確かめ、桐林は書類を書き損じる。
損傷を負った状態で脚を止めれば、良い的になるのは必定。戦場では動き続けることも重要だ。
しかし。しかしである。仮に中破へと陥り、セーラー服の上が縦に裂けたとしよう。そんな状態で磯風が動くと、風で捲られてもう横乳やら何やらが見えまくってしまう。
大変なのである。敢えて詳しくは言わないが、とても、大変なのである。
そんな事とは露知らず、同じような経験をした浦風もまた、自らが傷を負った時の事を思い返す。
「せやねぇ……。うちはいっぺん大破まで行ってしもうた時あったしなぁ。あん時は……正直、下着まで全損しとったけぇ、ぶち恥ずかしかったわ。あっはは」
「わ、笑い事じゃないよ浦風ちゃん。あの時はアタシも冷や冷やしたんだからね?」
朗らかな笑い声に、明石は顔を青くする。
いつだったか、出撃した水雷戦隊がコテンパンにやられて戻って来た時だ。
浦風は艦尾と機関部の一部を破壊され、沈み始める一歩手前という所まで追い詰められていた。なんとか修復は出来たものの、明石としては、やはり味わいたくない絶望感である。
何せ浦風自身も、衣服が全体的に破け、吹き飛んでしまったスカートの代わりに、上着の裾でショーツを隠すような有様だったのだから。
……いや。先の発言を鑑みるに、下着は全損していたのだから……。
浦風の尊厳のためだ。ここで止めておこう。
桐林は渋い顔で書き損じを丸め、近くにあるゴミ箱へ向けて投げ捨てるが、しかし、目測はかなり誤ってしまった。大暴投である。
「全く、仕事中になんて話をしてるんですか。提督のお邪魔になりますよ」
それを代わって拾い上げるのは、残る最後の秘書官補佐――浜風だった。
ゴミ箱に紙屑を捨て、彼女は姦しい姉妹艦たちへと、厳しい眼差しを向ける。
仕事中でありながら、婦女子が肌の露出を論じ合うなど、風紀の乱れも甚だしい。
面白くないのは睨まれた谷風で、毅然とクリップボードを持つ浜風へ、逆に話を振った。
「そーいう浜風はどうなのさ。提督に真っ裸を見られても、恥ずかしくないってのかい? けっこう派手に剥けてたじゃないさ」
「ええ、特には。かなり前に通り過ぎた悩みです」
「お、おう……。マジかぃ……」
……が、返されたのは思いも寄らぬ淡白な答え。恥ずかしがって面白くなるだろう、と考えていた谷風が怯む。
記憶にある限り、浜風の中破した時の姿は、恐ろしく扇情的だった。
タイツが伝線し、スカートもボロボロ。上着は袖口が残る程度で、手で隠さなければ弾ける果実が丸見えだっただろう。
あれを恥ずかしがらないとは、なんという剛の者なのか。
浦風も信じ難かったらしく、小首を傾げる。
「浜風はうちらよりも早くに励起されたし、出撃もようけぇしたみたいやから、慣れてしもうた?」
「……別に、慣れては……。お見苦しい物を見せて、恐縮するだけ。戦闘中は気にしないわ」
「うむ。やはりそうあるべきだな。だが浜風。見苦しいというのは謙り過ぎではないか? お前で見苦しいなら、私たちは見れたものではなくなってしまうぞ」
「いや、あの、そういう意味じゃ……」
最初は頑なな態度を崩さなかった浜風だが、磯風にこうまで言われ、ついに頬を染めながら俯く。
ここで、彼女たち四人の身体付きを比べてみよう。
まずは谷風。言うまでもなく、ザ・駆逐艦といった体型であるが、凹凸の無い寸胴とは言えず、探せば女性らしさも見つけられる。そこが特殊性癖の持ち主には大好評だろう。
次に浦風だが、谷風よりも身長は高く、一五○cmに届く。胸の豊満さは比べるまでもない。古い言い方をすると、トランジスタ・グラマーという表現がピッタリだ。豊かな母性も垣間見える。
磯風も背は高い方で、浦風より少しだけ胸は控えめ。それが逆に全体の印象をシャープにし、統制人格でなければ、ファッションモデルとして引っ張りだこであろうというのが、想像に難くない。
そして、浜風。四人の中で最大の大きさを誇り、背は程々で一五○cmへわずかに届かない。だというのに、全体的なバランスは決して崩れておらず、奇跡的なプロポーションを保持していた。
こんな美少女たちが、下着がどうの裸がどうのと、間近でガールズトークしているのだ。
男がただ一人、その近くへ放り出されている所在無さ。ご想像頂けるだろうか。
桐林は諦めたらしく、アロマ・シガレットを吹かしている。
それを見た谷風の目が光り、いそいそと立ち上がった。
「ま、提督も男だしねぇ。実はやせ我慢してるだけで、興味津々だったりしてぇ。ほらほらぁ、谷風さんのスレンダーなバディを思い出してごらんよぉ。……興奮したろ?」
執務机に向けてモデル歩きをした彼女は、頭、鎖骨、胸、くびれ、太ももと両手を動かし、“あだ”な女の表情を作る。
少し前かがみに桐林を覗き込む姿など、その手の趣味を持つ男が飛びつかんばかりであった。
しかし彼は、谷風を上から下までじっくり眺めた後、数秒の間を置き、「ふっ」と鼻で笑うだけだった。谷風の額に青筋が浮かぶ。
「ぅんがー!? 久しぶりに笑ったと思ったらそれかいチクショー!!」
「おい谷風、暴れるな」
「こぉら! いくら提督さんが大艦巨砲主義でも、女の子の身体的特徴をおちょくったらいけんやろ!」
「庇ってんのかバカにしてんのかどっちだぁー!?」
暴れ出す両腕を、磯風と浦風がすかさず捕らえた。
一応、浦風はフォローらしきものをするのだが、持つ者が持たざる者にすると、現実では多く刃傷沙汰の元になる。良い子はこうならないよう注意しよう。
さて。夜も遅くに賑やかな執務室であるが、すっかり忘れ去られてしまった少女を思い出して欲しい。
未だ実戦を経験していない、鹿島の事である。
「あ、あのっ、明石さんは工作艦ですけど、船体に損傷を負った事ってあるんですか?」
「え。アタシ? ……まぁ、あるっちゃあるけど……。思い出したくないなぁ、あはは……」
「そ、そうなん、だぁ……」
話題に着いて行けなかった鹿島は、同じく実戦には向かない軍艦である、明石に一縷の望みを託した。
ところが、彼女はモジモジと身体を小さくし、真っ赤な顔に苦笑いを浮かべている。
それもそのはず。実は舞鶴艦隊が仮編成だった頃、彼女は鎮守府内で工作機械の事故を起こした経験があり、桐林に肌を晒した事があったのだ。
しかも、人工統制人格なのだから、衣服と損傷は連動しないだろうと高を括り、彼の目の前で。つまりは肉眼で見られた。
まだ塞ぎ込む前だった彼は、鼻血を噴くなどして大変だった。今もアロマ・シガレットを折ったりしている。半分以上残っていたのに、実に勿体無い。
「となると、この場で司令に肌を見せていないのは、鹿島秘書官だけという事になるな」
「えっ!? ゎ、私、だけ……?」
「こんだけ仰山の柔肌を堪能しとるんじゃ。いつかうちら、提督さんに責任取ってもらわな。なぁ?」
密かに打ち拉がれる鹿島へ、磯風は気付きたくなかった真実を突き付け、浦風が桐林の背後に立って、彼の肩を揉みながらトドメを刺した。
反射的に浜風を見れば、何とは無しに姿勢を整え、無表情のまま「ドヤァ」というオーラを放つ。実際はどうだか知らないが、少なくとも鹿島にはそう見えたのだ。
私だけ。
私だけ、提督さんに見られてない。
イコール、仲間外れ。
私だけ責任を取って貰えない。
――それはとっても困るっ。
「てっ、提督さんっ!」
突然の呼び掛けで、執務室は静寂に包まれた。
決意に満ちた表情を見せる鹿島へ、誰もが目を注ぐ中。
彼女はクリップボードを抱えて、叫ぶ。
「私は……か、鹿島はっ、いつでもOKですからねっ」
OKですからね……ですからね……からね……ね……。
まるで山彦の如く響いた声に、磯風は「ほう」と片眉上げ、谷風も「これはこれは」と楽しげな笑み。
しかし、それ以外の反応は無く、静寂が十秒ほど。
それで発言の危うさに気付いた鹿島が、しどろもどろとなって言い訳を始めた。
「ぁあああの違うんです! あの、必要とあらば、海に出る覚悟は出来てます、って言いたかっただけで、決してあの……ぇ、エッチな意味、じゃ……」
クリップボードを落としそうになりながら、アワアワと両腕を振り回したかと思えば、最終的に、トマトのようになった顔を隠す。
いつでもOK。
話の流れからして、このOKは肌を露出することか、責任を取って貰うという部分に掛かっているとしか思えない。
それ即ち、「今晩どうですか?」と誘いを掛けているようにも聞こえてしまう、危険極まりないワードであった。
が、何を思ったのか、桐林は席を立ち、ゆっくりと鹿島に歩み寄る。
「……提督さん? え?」
足音に気づき、クリップボードを下げる鹿島。幾分、迷うような素振りを見せ、その両肩へ手を置く桐林。
黒い瞳が見下ろしている。
鼓動は異常な早鐘を打ち鳴らしていた。
もしや、あの発言を真に受けたのだろうか。
それで鹿島の唇を奪おうとして……。
(そ、そそそそそんな、いきなり!? みんな見てるのに!? こ、心の準備がっ、嫌じゃないけど、ど、どうしよう……。でも、提督さんが望むなら、私………………あれ?)
――などと妄想を繰り広げる鹿島であったが、目を閉じ、自分から顎を上げた瞬間、身体が回れ右をした。
桐林に無理やり方向転換させられたのだろう。
一体なんなのかと、うっすら右眼を開けてみれば……。
「随分と面白い顔をしているわね、鹿島」
「ひぃぃいいいっ!? かか、香取姉ぇ!?」
なぜかそこには、満面の笑みを浮かべる姉が。夜戦演習に出ていたはずの、香取が居た。
鹿島は恐怖に悲鳴を上げ、どさくさ紛れに桐林の腕の中へ収まった。割とあざとい。浜風と浦風、明石の目が細くなる。
実は、執務室が静寂に包まれたあの瞬間、香取は既に入室していたのだ。皆が黙ったのはそのせい――騒いでいると雷を食らうから――である。
そして今現在、彼女は猛烈に怒っていた。笑顔だが間違いなく怒っていた。
「あら、演習上がりの実の姉に向かって、酷い反応」
「あ、う、え……。い、いつから、そこに……?」
「いつでもOK、の少し手前からよ。一体どういう了見なのかしら。第二秘書官ともあろう者が、提督に色仕掛けなんて」
「ち、違いますっ、香取姉違うのぉ!! だから反省房行きは待ってぇー!」
段々と、糸のように細まっていく香取の眼。鹿島は離れがたい気持ちを振り切り、今度は姉に泣きつく。
反省房とは、“おいた”をした統制人格が送られる、言わば懲罰房である。
と言っても肉体的な責め苦は当然あらず、その日の食事が磯風謹製となり、食べ切るまで出てこられない、といった程度だ。ある意味、肉体的な責め苦よりも地獄であるが。
鹿島の置かれるであろう苦境に、谷風は顔を覆った。
「あっちゃー。やっちまったねぇ、鹿島秘書官ってば。こりゃー明日の昼までかかるぞー?」
「何を言っているんです? 貴方にも仕置が必要なようですね」
「へっ? い、いやいやいやいやいや、アタシなんもしてないって! なっ? 浦風、磯風……て裏切ったなぁ!?」
――が、何故だかそれに谷風自身も巻き込まれ、慌てて姉妹艦に同意を求めたが、逆に頭を抱える。
彼女の背後で、浦風と磯風が「元凶は」「こいつだ」というプラカードを掲げていたためである。どこにそんな物を持っていたのだろう。
「貴方たちには統制人格としての自覚が足りません! これから私が、それをたっぷりと教授して差し上げます。覚悟なさい!」
「そ、そんなぁ……」
「勘弁しておくれよぉ……」
首根っこを掴まれて正座させられた谷風と、自ら進んで正座した鹿島に、怒れる第一秘書官は教鞭を突き付けた。
桐林が無言で椅子へ。浜風はその隣で控えて、浦風・磯風のプラカードは「自業自得」「抜け駆け厳禁」と裏返り、明石も数珠を手に南無阿弥陀仏と唱え……。まるでお通夜のような雰囲気だ。
そんな時である。
控えめに、執務室のドアがノックされた。
「あの……。お取り込み中、失礼致しま……えっ」
顔を覗かせたのは、黒髪を赤いリボンでポニーテールに結い、割烹着を纏う少女――給糧艦、伊良湖だった。
が、なかなか彼女は入室しようとしない。単なる定型句のはずが、本当に取り込み中だった事に驚いたのだ。
仕方なく、秘書官たちの代理として浜風が要件を聞く。
「伊良湖さん? 珍しいですね、執務室にいらっしゃるなんて。どうなさったんですか?」
「あ、はい。間宮さんからのお言付けです。提督、お夕食の準備が整いました、と……」
お説教組三名に、傍観組三名。
一瞬異様な雰囲気の空間を避けて通り、伊良湖は静々、執務机の前へ。
伝言を受け取ると、桐林が彼女に労いの言葉を掛ける。
「分かった。ご苦労」
「は、はい。では、私はこれで――」
「浜風。後を頼む」
「了解しました」
「――えっ」
そして、浜風へ一言残したかと思えば、彼はそそくさ執務室から出て行ってしまった。
余りの素早さに、伊良湖はまたビックリしてしまう。
こうして伝言を持ってくる事自体、彼女には初めてだったの事だったのだが、普段の落ち着いた物腰を知るだけに、この反応は驚きだったのである。
逆に、磯風や浦風はこれをよく目にしており、笑顔で彼の背中を見送った。
「毎度の事だが、司令は夕食に関してだけは動きが早いな」
「せやねぇ。けど、間宮さんのご飯は美味しいし、仕方ないじゃろ?」
「……ですね」
「……だねぇ」
「そう、なんでしょうか……?」
普段は無感動に近い男性が、食事時には活動的になる。
確かに微笑ましい光景にも見えるけれど、実情を知る浜風、明石からすると、歯切れの悪い言葉しか返せない。
そして、伊良湖にとっても彼の行動は、少々怪しく映っていた。
彼は日に一回、決まって間宮と一緒に食事を摂る。
基本的には夕食をだが、朝食・昼食だった事もあり、その時々によって変わる。しかし問題はその点ではない。
必ず間宮と、“二人きり”で食事を摂るのだ。
鹿島とほぼ同時に励起され、まだ一ヶ月ほどしか舞鶴で過ごしていないが、出撃がある時以外は絶対にそうだった。
まさかとは思うけれど、尊敬する先達である間宮と彼は……。わりない関係、だったりするのだろうか。
口を挟むのは野暮だと理解しつつも、人間と軍艦。心配になってしまう伊良湖なのである。三角関係――否、多角関係的な意味でも。
そんな様子を、説教を中断した香取が見逃さず察知するのだが、事は桐林の身体に関わる。
皆の前で説明する訳にもいかず、無闇に広める訳にもいかず。
気付かれぬよう、小さな溜め息をつくしかなかった。
一方、お説教をされていた二人組は……。
(……っし、鹿島秘書官、今の内に窓から逃げるよ!)
(え? で、でも、そんな事したら後が怖い……)
(んなこと言ってる場合じゃないって!
香取秘書官に説教されながら磯風の飯を食わされるなんて、三日は再起不能だよ!?
そしたら秘書官の仕事も出来ないよ!? ほとぼりが冷めるまで身を隠すだけさ、ほら!)
(……そ、それもそうですね。お仕事できなくなるのは困ります。浜風ちゃんに負ける訳には……。ここは、戦術的撤退しかありませんっ。いざ、抜き足、差し足、忍び足……)
「そこの御二方。どこに行かれるおつもりですか?」
「うっ」
「ひっ」
皆が桐林へ注目している内に、こっそり逃げ出そうとした谷風と鹿島。
香取が振り返りもせず怒気をぶつけると、その丸まった背中はビクゥッ! と跳ねた。
「まさか、逃げようなどとは思っていませんね?」
「い、いえ、あの、鹿島、ちょっとお花を摘みに……」
「そ、そうそう! アタタッ、急にお腹が……っ」
「お黙りなさい。統制人格が腹痛など、磯風さんの料理を食べた時にしか起こり得ません!」
「なぁ、香取秘書官。地味に傷付くのだが」
「でも事実やさかいなぁ……。教える方も大変やわ」
戦闘中でもないのに、紅い霊子力場を纏って見える香取の背後で、磯風が久しぶりに口を開く。
先程からのやり取りでお分かりだろうが、彼女の料理スキルは非常に低い。
不器用ではないはずなのに、魚を焼き過ぎて消し炭にしたり、煮物を煮過ぎてペースト状にしたり。
横須賀の比叡が色んな物――調味料やアレンジ――の入れ過ぎだとすれば、磯風は作業のやり過ぎだと思えば良いだろう。
どちらにせよ、口に入れるのを躊躇う物体が出来上がるという事実に、変わりはないのだから。今後は浦風の料理教室に期待しよう。
そして、とある練習巡洋艦と駆逐艦の、悲惨な末路は……。
「さぁ、夜は長いですよ? たっぷりお勉強しましょうね?」
「あうぅぅ……。て、提督さん、助けてぇ……!」
「ヤバい、ヤバいよ、徹夜になるのが確定的に明らかだよ……」
「……さて。うちらはどないしよ? お腹も空いてきたし、提督みたく御飯にする?」
「そうしよう。用意は出来ているのだろう?」
「あ、はい。問題ありません。明石さんと浜風さんも、いかがですか」
「もちろん、行く行く! 今日はなに食べよっかなー?」
「すぐ資料を片付けますので、少々お待ちを。……これで良し。では、参りましょう」
実に良い笑顔を浮かべる香取と、再び正座させられつつ真っ青になる鹿島・谷風。
彼女たちを置いて、残る五名が執務室を後にした。
その日。
舞鶴鎮守府の地下にある反省房からは、「うわぁーんっ、苦いよぉおおぉおぉぉ……」という悲鳴と、「なんで焼きオニギリがザックザクなのさぁああっ!?」という叫びが響いたという。
全くもって、平穏無事な一日であった。
「一つ、聞いてもいいか」
『はい。大丈夫なのです』
「……女の子が、側で下着だのなんだのという話を始めた時、男はどう反応すれば正しいんだろうか」
『え? えと、状況がよく……』
「そう、だな。忘れてくれるか。次は耳栓するよ……」
『……よく分かりませんけど、お疲れ様、なのです……?』
「………………」
『………………』
「なんだか怒ってない?」
『別に、なのです。おやすみなさい、司令官さん』
「あ、ちょ――切れた……。この前の仕返しか……」
「それじゃあ、伊良湖ちゃん。私の居ない間、舞鶴をお願いね?」
「あ、はいっ。頑張りますっ。でも、どうして遠征任務に給糧艦が……」
「仕方ないのよ。桐谷中将、直々の指令だもの。……あ。それと、提督に関して、貴方に話しておかなくちゃいけない事があって……」
「え? それって、まさか……!?」