新人提督と電の日々   作:七音

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異端の提督と舞鶴での日々 十七駆による肌色談義

 

 

 

「――以上が、工廠の進捗状況になります。イタリア艦の実戦投入は、最速でも二週間後を予定してますね」

 

 

 夜を迎えた舞鶴鎮守府。

 煌々と明かりの灯る執務室にて、工作艦 明石の統制人格を演じる少女が、桐林へと報告を上げる。

 ただ頷くだけの彼に代わり、側で控える第二秘書官、鹿島が彼女を労った。

 

 

「……はい、確かに。明石主任、お疲れ様でした」

 

「鹿島秘書官も、お疲れ様ー。いやー、今日も働いた働いたー」

 

「ですね。うふふっ」

 

 

 首の骨をポキポキ鳴らし、大仰に肩を回す明石。その笑顔に釣られて、鹿島も楽しそうに笑う。

 舞鶴における明石の役割は、人として過ごしていた横須賀での日々と変わらない。

 新たな軍艦を建造し、損傷を受けた傀儡艦を修復し、兵装開発まで一手に担っている。

 人工統制人格として適合した船が工作艦であったのも、おそらく必然だったのだろう。

 

 彼女が元人間である事を知っているのは、桐林を含めても両手で数えられるほど。最近、ここに鹿島も加わり、秘密を共有する人数が増えた。

 桐林が恩師を喪い、明石が統制人格として生まれ変わった経緯など、彼女は涙ながらに聞いていたものである。

 そして、共に主人を支えていこうと、彼女たちは改めて誓った。硬く握手を交わしつつ、「でも負けないから」と無言で鍔迫り合ったのは、言うまでもない。

 

 しかし、“それ”以外では分別のある女性だ。

 互いの仕事の重要性も理解し、心から労い合う。良きライバルと言ったところか。

 対立候補の数は……考えない方が良いと思われる。

 

 

「ホント、一日過ぎるのが早いったらないねぇー。ちょっとゴロゴロしてただけで夜だもん、やんなっちゃうよー」

 

 

 そんな彼女たちを差し置き、執務室のソファで寝そべる秘書官補佐が一人。

 仰向けに少年漫画雑誌を開く、谷風である。

 靴を脱ぎ捨て、背もたれに脚を掛けるその姿は、ハッキリ言ってだらしない。

 薄緑色のショーツが丸見えだった。

 

 

「谷風ちゃん……。確か、昼に顔出した時もそこで寝てなかった? 少しは働こうよ……」

 

「えー。んーなこと言われてもさー。他の三人がやること全部やっちまったら、ゴロゴロするしかないじゃん。鹿島秘書官も仕事は普通に早いし」

 

「仕事は、ってどういう意味ですか谷風ちゃん? というか、そんな格好ダメです! その角度はその……えっと……み、見えちゃいますから……!」

 

「んぁ? 見えるって……」

 

 

 明石が呆れ、鹿島がそれとなく注意を促すと、ようやく谷風は自身の惨状に目を向ける。

 執務机と対角線上に位置するソファで、このような格好をすれば、否応無く部屋で唯一の男、桐林の目に着いてしまう。今は一心不乱に書類を作成しているようだが。

 そのせいか、谷風の顔に照れや焦りは無く、気楽な笑みを浮かべて軽く手を振っていた。

 

 

「今更、パンツ如きで恥ずかしがりゃしないってー。まぁ、この間は胸をモロッと出しちゃったし、アレはちっと恥ずかしかったけどさぁ?」

 

「も、モロッと……」

 

 

 鹿島の目が丸くなり、桐林が持っていた資料はバラける。

 時を遡ること一週間。直近の出撃において、谷風は中破状態に陥った。

 オーバーニーには穴が開き、スカートの丈は半分に。そして上着もただのボロ切れとなり……。あれは間違いなく、先っちょまで見られたに違いない。

 しかしながら、中破した回数は通算で二桁に届く頃。最初こそ半泣きになっていたけれど、今さら羞恥心は掻き立てられないのだ。というか、捨てないとやってられない。

 そんな谷風へと、同じく秘書官補佐である磯風、浦風が口を酸っぱくする。

 

 

「そうは言ってもだな。はしたないと思うぞ、流石に」

 

「磯風の言う通りやで? いくら提督さんが紳士やっても、女としての恥じらいは無くしたらいけんよ」

 

「紳士ねぇ……?」

 

 

 二人の意見に、思わず首を傾げてしまう谷風。

 桐林が紳士。態度だけを見れば確かにそうだが、彼が本当は色々と我慢しているのを、谷風は悟っていた。舞鶴の他の面々も、半数以上は察しているだろう。

 何を思ってそうしているのか、まだ理解の及ばないことも多いが、敢えて放置している部分もある。どこからどう崩れるか、今の彼は予想がつかない。

 だからこそ、ちょっとばかり彼をつつき回して、破裂しないよう、色んなものを漏れ出させるのが己の役目だと、谷風は自負している。

 その自負に基づき、ニヤリと底意地悪くほくそ笑んだ彼女は、ワザと姦しい話を続けた。

 

 

「しっかしさぁ。実際提督にゃあ、パンツの中身以外は見られちゃってる訳で。いちいち気にしてたら、戦闘なんてできゃしないよ」

 

「ふむ……。確かに、一理あるか。中破した状態でも動くことは出来る。いや、むしろ中破で足を止めることの方が危うい。そんな時に、肌を隠すほどの余裕は無いしな」

 

 

 谷風がスカートの裾をわずかに持ち上げ、磯風も自身の身体を確かめ、桐林は書類を書き損じる。

 損傷を負った状態で脚を止めれば、良い的になるのは必定。戦場では動き続けることも重要だ。

 しかし。しかしである。仮に中破へと陥り、セーラー服の上が縦に裂けたとしよう。そんな状態で磯風が動くと、風で捲られてもう横乳やら何やらが見えまくってしまう。

 大変なのである。敢えて詳しくは言わないが、とても、大変なのである。

 そんな事とは露知らず、同じような経験をした浦風もまた、自らが傷を負った時の事を思い返す。

 

 

「せやねぇ……。うちはいっぺん大破まで行ってしもうた時あったしなぁ。あん時は……正直、下着まで全損しとったけぇ、ぶち恥ずかしかったわ。あっはは」

 

「わ、笑い事じゃないよ浦風ちゃん。あの時はアタシも冷や冷やしたんだからね?」

 

 

 朗らかな笑い声に、明石は顔を青くする。

 いつだったか、出撃した水雷戦隊がコテンパンにやられて戻って来た時だ。

 浦風は艦尾と機関部の一部を破壊され、沈み始める一歩手前という所まで追い詰められていた。なんとか修復は出来たものの、明石としては、やはり味わいたくない絶望感である。

 何せ浦風自身も、衣服が全体的に破け、吹き飛んでしまったスカートの代わりに、上着の裾でショーツを隠すような有様だったのだから。

 ……いや。先の発言を鑑みるに、下着は全損していたのだから……。

 浦風の尊厳のためだ。ここで止めておこう。

 桐林は渋い顔で書き損じを丸め、近くにあるゴミ箱へ向けて投げ捨てるが、しかし、目測はかなり誤ってしまった。大暴投である。

 

 

「全く、仕事中になんて話をしてるんですか。提督のお邪魔になりますよ」

 

 

 それを代わって拾い上げるのは、残る最後の秘書官補佐――浜風だった。

 ゴミ箱に紙屑を捨て、彼女は姦しい姉妹艦たちへと、厳しい眼差しを向ける。

 仕事中でありながら、婦女子が肌の露出を論じ合うなど、風紀の乱れも甚だしい。

 面白くないのは睨まれた谷風で、毅然とクリップボードを持つ浜風へ、逆に話を振った。

 

 

「そーいう浜風はどうなのさ。提督に真っ裸を見られても、恥ずかしくないってのかい? けっこう派手に剥けてたじゃないさ」

 

「ええ、特には。かなり前に通り過ぎた悩みです」

 

「お、おう……。マジかぃ……」

 

 

 ……が、返されたのは思いも寄らぬ淡白な答え。恥ずかしがって面白くなるだろう、と考えていた谷風が怯む。

 記憶にある限り、浜風の中破した時の姿は、恐ろしく扇情的だった。

 タイツが伝線し、スカートもボロボロ。上着は袖口が残る程度で、手で隠さなければ弾ける果実が丸見えだっただろう。

 あれを恥ずかしがらないとは、なんという剛の者なのか。

 浦風も信じ難かったらしく、小首を傾げる。

 

 

「浜風はうちらよりも早くに励起されたし、出撃もようけぇしたみたいやから、慣れてしもうた?」

 

「……別に、慣れては……。お見苦しい物を見せて、恐縮するだけ。戦闘中は気にしないわ」

 

「うむ。やはりそうあるべきだな。だが浜風。見苦しいというのは謙り過ぎではないか? お前で見苦しいなら、私たちは見れたものではなくなってしまうぞ」

 

「いや、あの、そういう意味じゃ……」

 

 

 最初は頑なな態度を崩さなかった浜風だが、磯風にこうまで言われ、ついに頬を染めながら俯く。

 ここで、彼女たち四人の身体付きを比べてみよう。

 

 まずは谷風。言うまでもなく、ザ・駆逐艦といった体型であるが、凹凸の無い寸胴とは言えず、探せば女性らしさも見つけられる。そこが特殊性癖の持ち主には大好評だろう。

 次に浦風だが、谷風よりも身長は高く、一五○cmに届く。胸の豊満さは比べるまでもない。古い言い方をすると、トランジスタ・グラマーという表現がピッタリだ。豊かな母性も垣間見える。

 磯風も背は高い方で、浦風より少しだけ胸は控えめ。それが逆に全体の印象をシャープにし、統制人格でなければ、ファッションモデルとして引っ張りだこであろうというのが、想像に難くない。

 そして、浜風。四人の中で最大の大きさを誇り、背は程々で一五○cmへわずかに届かない。だというのに、全体的なバランスは決して崩れておらず、奇跡的なプロポーションを保持していた。

 

 こんな美少女たちが、下着がどうの裸がどうのと、間近でガールズトークしているのだ。

 男がただ一人、その近くへ放り出されている所在無さ。ご想像頂けるだろうか。

 桐林は諦めたらしく、アロマ・シガレットを吹かしている。

 それを見た谷風の目が光り、いそいそと立ち上がった。

 

 

「ま、提督も男だしねぇ。実はやせ我慢してるだけで、興味津々だったりしてぇ。ほらほらぁ、谷風さんのスレンダーなバディを思い出してごらんよぉ。……興奮したろ?」

 

 

 執務机に向けてモデル歩きをした彼女は、頭、鎖骨、胸、くびれ、太ももと両手を動かし、“あだ”な女の表情を作る。

 少し前かがみに桐林を覗き込む姿など、その手の趣味を持つ男が飛びつかんばかりであった。

 しかし彼は、谷風を上から下までじっくり眺めた後、数秒の間を置き、「ふっ」と鼻で笑うだけだった。谷風の額に青筋が浮かぶ。

 

 

「ぅんがー!? 久しぶりに笑ったと思ったらそれかいチクショー!!」

 

「おい谷風、暴れるな」

 

「こぉら! いくら提督さんが大艦巨砲主義でも、女の子の身体的特徴をおちょくったらいけんやろ!」

 

「庇ってんのかバカにしてんのかどっちだぁー!?」

 

 

 暴れ出す両腕を、磯風と浦風がすかさず捕らえた。

 一応、浦風はフォローらしきものをするのだが、持つ者が持たざる者にすると、現実では多く刃傷沙汰の元になる。良い子はこうならないよう注意しよう。

 さて。夜も遅くに賑やかな執務室であるが、すっかり忘れ去られてしまった少女を思い出して欲しい。

 未だ実戦を経験していない、鹿島の事である。

 

 

「あ、あのっ、明石さんは工作艦ですけど、船体に損傷を負った事ってあるんですか?」

 

「え。アタシ? ……まぁ、あるっちゃあるけど……。思い出したくないなぁ、あはは……」

 

「そ、そうなん、だぁ……」

 

 

 話題に着いて行けなかった鹿島は、同じく実戦には向かない軍艦である、明石に一縷の望みを託した。

 ところが、彼女はモジモジと身体を小さくし、真っ赤な顔に苦笑いを浮かべている。

 それもそのはず。実は舞鶴艦隊が仮編成だった頃、彼女は鎮守府内で工作機械の事故を起こした経験があり、桐林に肌を晒した事があったのだ。

 しかも、人工統制人格なのだから、衣服と損傷は連動しないだろうと高を括り、彼の目の前で。つまりは肉眼で見られた。

 まだ塞ぎ込む前だった彼は、鼻血を噴くなどして大変だった。今もアロマ・シガレットを折ったりしている。半分以上残っていたのに、実に勿体無い。

 

 

「となると、この場で司令に肌を見せていないのは、鹿島秘書官だけという事になるな」

 

「えっ!? ゎ、私、だけ……?」

 

「こんだけ仰山の柔肌を堪能しとるんじゃ。いつかうちら、提督さんに責任取ってもらわな。なぁ?」

 

 

 密かに打ち拉がれる鹿島へ、磯風は気付きたくなかった真実を突き付け、浦風が桐林の背後に立って、彼の肩を揉みながらトドメを刺した。

 反射的に浜風を見れば、何とは無しに姿勢を整え、無表情のまま「ドヤァ」というオーラを放つ。実際はどうだか知らないが、少なくとも鹿島にはそう見えたのだ。

 私だけ。

 私だけ、提督さんに見られてない。

 イコール、仲間外れ。

 私だけ責任を取って貰えない。

 

 ――それはとっても困るっ。

 

 

「てっ、提督さんっ!」

 

 

 突然の呼び掛けで、執務室は静寂に包まれた。

 決意に満ちた表情を見せる鹿島へ、誰もが目を注ぐ中。

 彼女はクリップボードを抱えて、叫ぶ。

 

 

「私は……か、鹿島はっ、いつでもOKですからねっ」

 

 

 OKですからね……ですからね……からね……ね……。

 

 まるで山彦の如く響いた声に、磯風は「ほう」と片眉上げ、谷風も「これはこれは」と楽しげな笑み。

 しかし、それ以外の反応は無く、静寂が十秒ほど。

 それで発言の危うさに気付いた鹿島が、しどろもどろとなって言い訳を始めた。

 

 

「ぁあああの違うんです! あの、必要とあらば、海に出る覚悟は出来てます、って言いたかっただけで、決してあの……ぇ、エッチな意味、じゃ……」

 

 

 クリップボードを落としそうになりながら、アワアワと両腕を振り回したかと思えば、最終的に、トマトのようになった顔を隠す。

 いつでもOK。

 話の流れからして、このOKは肌を露出することか、責任を取って貰うという部分に掛かっているとしか思えない。

 それ即ち、「今晩どうですか?」と誘いを掛けているようにも聞こえてしまう、危険極まりないワードであった。

 が、何を思ったのか、桐林は席を立ち、ゆっくりと鹿島に歩み寄る。

 

 

「……提督さん? え?」

 

 

 足音に気づき、クリップボードを下げる鹿島。幾分、迷うような素振りを見せ、その両肩へ手を置く桐林。

 黒い瞳が見下ろしている。

 鼓動は異常な早鐘を打ち鳴らしていた。

 もしや、あの発言を真に受けたのだろうか。

 それで鹿島の唇を奪おうとして……。

 

 

(そ、そそそそそんな、いきなり!? みんな見てるのに!? こ、心の準備がっ、嫌じゃないけど、ど、どうしよう……。でも、提督さんが望むなら、私………………あれ?)

 

 

 ――などと妄想を繰り広げる鹿島であったが、目を閉じ、自分から顎を上げた瞬間、身体が回れ右をした。

 桐林に無理やり方向転換させられたのだろう。

 一体なんなのかと、うっすら右眼を開けてみれば……。

 

 

「随分と面白い顔をしているわね、鹿島」

 

「ひぃぃいいいっ!? かか、香取姉ぇ!?」

 

 

 なぜかそこには、満面の笑みを浮かべる姉が。夜戦演習に出ていたはずの、香取が居た。

 鹿島は恐怖に悲鳴を上げ、どさくさ紛れに桐林の腕の中へ収まった。割とあざとい。浜風と浦風、明石の目が細くなる。

 実は、執務室が静寂に包まれたあの瞬間、香取は既に入室していたのだ。皆が黙ったのはそのせい――騒いでいると雷を食らうから――である。

 そして今現在、彼女は猛烈に怒っていた。笑顔だが間違いなく怒っていた。

 

 

「あら、演習上がりの実の姉に向かって、酷い反応」

 

「あ、う、え……。い、いつから、そこに……?」

 

「いつでもOK、の少し手前からよ。一体どういう了見なのかしら。第二秘書官ともあろう者が、提督に色仕掛けなんて」

 

「ち、違いますっ、香取姉違うのぉ!! だから反省房行きは待ってぇー!」

 

 

 段々と、糸のように細まっていく香取の眼。鹿島は離れがたい気持ちを振り切り、今度は姉に泣きつく。

 反省房とは、“おいた”をした統制人格が送られる、言わば懲罰房である。

 と言っても肉体的な責め苦は当然あらず、その日の食事が磯風謹製となり、食べ切るまで出てこられない、といった程度だ。ある意味、肉体的な責め苦よりも地獄であるが。

 鹿島の置かれるであろう苦境に、谷風は顔を覆った。

 

 

「あっちゃー。やっちまったねぇ、鹿島秘書官ってば。こりゃー明日の昼までかかるぞー?」

 

「何を言っているんです? 貴方にも仕置が必要なようですね」

 

「へっ? い、いやいやいやいやいや、アタシなんもしてないって! なっ? 浦風、磯風……て裏切ったなぁ!?」

 

 

 ――が、何故だかそれに谷風自身も巻き込まれ、慌てて姉妹艦に同意を求めたが、逆に頭を抱える。

 彼女の背後で、浦風と磯風が「元凶は」「こいつだ」というプラカードを掲げていたためである。どこにそんな物を持っていたのだろう。

 

 

「貴方たちには統制人格としての自覚が足りません! これから私が、それをたっぷりと教授して差し上げます。覚悟なさい!」

 

「そ、そんなぁ……」

 

「勘弁しておくれよぉ……」

 

 

 首根っこを掴まれて正座させられた谷風と、自ら進んで正座した鹿島に、怒れる第一秘書官は教鞭を突き付けた。

 桐林が無言で椅子へ。浜風はその隣で控えて、浦風・磯風のプラカードは「自業自得」「抜け駆け厳禁」と裏返り、明石も数珠を手に南無阿弥陀仏と唱え……。まるでお通夜のような雰囲気だ。

 そんな時である。

 控えめに、執務室のドアがノックされた。

 

 

「あの……。お取り込み中、失礼致しま……えっ」

 

 

 顔を覗かせたのは、黒髪を赤いリボンでポニーテールに結い、割烹着を纏う少女――給糧艦、伊良湖だった。

 が、なかなか彼女は入室しようとしない。単なる定型句のはずが、本当に取り込み中だった事に驚いたのだ。

 仕方なく、秘書官たちの代理として浜風が要件を聞く。

 

 

「伊良湖さん? 珍しいですね、執務室にいらっしゃるなんて。どうなさったんですか?」

 

「あ、はい。間宮さんからのお言付けです。提督、お夕食の準備が整いました、と……」

 

 

 お説教組三名に、傍観組三名。

 一瞬異様な雰囲気の空間を避けて通り、伊良湖は静々、執務机の前へ。

 伝言を受け取ると、桐林が彼女に労いの言葉を掛ける。

 

 

「分かった。ご苦労」

 

「は、はい。では、私はこれで――」

 

「浜風。後を頼む」

 

「了解しました」

 

「――えっ」

 

 

 そして、浜風へ一言残したかと思えば、彼はそそくさ執務室から出て行ってしまった。

 余りの素早さに、伊良湖はまたビックリしてしまう。

 こうして伝言を持ってくる事自体、彼女には初めてだったの事だったのだが、普段の落ち着いた物腰を知るだけに、この反応は驚きだったのである。

 逆に、磯風や浦風はこれをよく目にしており、笑顔で彼の背中を見送った。

 

 

「毎度の事だが、司令は夕食に関してだけは動きが早いな」

 

「せやねぇ。けど、間宮さんのご飯は美味しいし、仕方ないじゃろ?」

 

「……ですね」

 

「……だねぇ」

 

「そう、なんでしょうか……?」

 

 

 普段は無感動に近い男性が、食事時には活動的になる。

 確かに微笑ましい光景にも見えるけれど、実情を知る浜風、明石からすると、歯切れの悪い言葉しか返せない。

 そして、伊良湖にとっても彼の行動は、少々怪しく映っていた。

 

 彼は日に一回、決まって間宮と一緒に食事を摂る。

 基本的には夕食をだが、朝食・昼食だった事もあり、その時々によって変わる。しかし問題はその点ではない。

 必ず間宮と、“二人きり”で食事を摂るのだ。

 鹿島とほぼ同時に励起され、まだ一ヶ月ほどしか舞鶴で過ごしていないが、出撃がある時以外は絶対にそうだった。

 まさかとは思うけれど、尊敬する先達である間宮と彼は……。わりない関係、だったりするのだろうか。

 口を挟むのは野暮だと理解しつつも、人間と軍艦。心配になってしまう伊良湖なのである。三角関係――否、多角関係的な意味でも。

 

 そんな様子を、説教を中断した香取が見逃さず察知するのだが、事は桐林の身体に関わる。

 皆の前で説明する訳にもいかず、無闇に広める訳にもいかず。

 気付かれぬよう、小さな溜め息をつくしかなかった。

 

 一方、お説教をされていた二人組は……。

 

 

(……っし、鹿島秘書官、今の内に窓から逃げるよ!)

 

(え? で、でも、そんな事したら後が怖い……)

 

(んなこと言ってる場合じゃないって!

 香取秘書官に説教されながら磯風の飯を食わされるなんて、三日は再起不能だよ!?

 そしたら秘書官の仕事も出来ないよ!? ほとぼりが冷めるまで身を隠すだけさ、ほら!)

 

(……そ、それもそうですね。お仕事できなくなるのは困ります。浜風ちゃんに負ける訳には……。ここは、戦術的撤退しかありませんっ。いざ、抜き足、差し足、忍び足……)

 

「そこの御二方。どこに行かれるおつもりですか?」

 

「うっ」

 

「ひっ」

 

 

 皆が桐林へ注目している内に、こっそり逃げ出そうとした谷風と鹿島。

 香取が振り返りもせず怒気をぶつけると、その丸まった背中はビクゥッ! と跳ねた。

 

 

「まさか、逃げようなどとは思っていませんね?」

 

「い、いえ、あの、鹿島、ちょっとお花を摘みに……」

 

「そ、そうそう! アタタッ、急にお腹が……っ」

 

「お黙りなさい。統制人格が腹痛など、磯風さんの料理を食べた時にしか起こり得ません!」

 

「なぁ、香取秘書官。地味に傷付くのだが」

 

「でも事実やさかいなぁ……。教える方も大変やわ」

 

 

 戦闘中でもないのに、紅い霊子力場を纏って見える香取の背後で、磯風が久しぶりに口を開く。

 先程からのやり取りでお分かりだろうが、彼女の料理スキルは非常に低い。

 不器用ではないはずなのに、魚を焼き過ぎて消し炭にしたり、煮物を煮過ぎてペースト状にしたり。

 横須賀の比叡が色んな物――調味料やアレンジ――の入れ過ぎだとすれば、磯風は作業のやり過ぎだと思えば良いだろう。

 どちらにせよ、口に入れるのを躊躇う物体が出来上がるという事実に、変わりはないのだから。今後は浦風の料理教室に期待しよう。

 そして、とある練習巡洋艦と駆逐艦の、悲惨な末路は……。

 

 

「さぁ、夜は長いですよ? たっぷりお勉強しましょうね?」

 

「あうぅぅ……。て、提督さん、助けてぇ……!」

 

「ヤバい、ヤバいよ、徹夜になるのが確定的に明らかだよ……」

 

「……さて。うちらはどないしよ? お腹も空いてきたし、提督みたく御飯にする?」

 

「そうしよう。用意は出来ているのだろう?」

 

「あ、はい。問題ありません。明石さんと浜風さんも、いかがですか」

 

「もちろん、行く行く! 今日はなに食べよっかなー?」

 

「すぐ資料を片付けますので、少々お待ちを。……これで良し。では、参りましょう」

 

 

 実に良い笑顔を浮かべる香取と、再び正座させられつつ真っ青になる鹿島・谷風。

 彼女たちを置いて、残る五名が執務室を後にした。

 その日。

 舞鶴鎮守府の地下にある反省房からは、「うわぁーんっ、苦いよぉおおぉおぉぉ……」という悲鳴と、「なんで焼きオニギリがザックザクなのさぁああっ!?」という叫びが響いたという。

 

 全くもって、平穏無事な一日であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一つ、聞いてもいいか」

 

『はい。大丈夫なのです』

 

「……女の子が、側で下着だのなんだのという話を始めた時、男はどう反応すれば正しいんだろうか」

 

『え? えと、状況がよく……』

 

「そう、だな。忘れてくれるか。次は耳栓するよ……」

 

『……よく分かりませんけど、お疲れ様、なのです……?』

 

「………………」

 

『………………』

 

「なんだか怒ってない?」

 

『別に、なのです。おやすみなさい、司令官さん』

 

「あ、ちょ――切れた……。この前の仕返しか……」

 

 

 

 

 

 




「それじゃあ、伊良湖ちゃん。私の居ない間、舞鶴をお願いね?」
「あ、はいっ。頑張りますっ。でも、どうして遠征任務に給糧艦が……」
「仕方ないのよ。桐谷中将、直々の指令だもの。……あ。それと、提督に関して、貴方に話しておかなくちゃいけない事があって……」
「え? それって、まさか……!?」

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