新人提督と電の日々   作:七音

78 / 107
在りし日の提督と遺されたもの

 

 

 

 網膜を焼く眩しい光に、パイプ椅子へ座る■■■は、思わず「うゎ眩しっ」と顔を背けた。

 

 

「さぁ、いい加減に吐いたらどうだ? 親御さんも、きっと郷里で悲しんでいるぞ」

 

「ううう……。なんですか、いきなり……?」

 

 

 ショボショボする目を擦りながら、こちらへ古臭いライトスタンドを向ける男性――■■さんに、恨みがましい視線で返す。

 ■■■たち二人が居るのは、四角い四畳半ほどの小部屋。いわゆる、取調室だ。

 よくもまぁこんな場所があるものだと、感心してしまう。

 

 

「いや、取り調べと言ったらこういうのが定番かと思って。一回やってみたかったんだ」

 

「そんなの知りませんよぉ……。というか、■■■の親って貴方なんじゃ……」

 

 

 対面で机に身を乗り出していた■■さんは、椅子へ腰を下ろしながらスタンドの位置を直す。

 記憶にある限り……というか、何故かそうだと分かるんだけど、■■■をこの世界に呼んだのは、この人。

 自然発生したのではなく、作られたのでもなく、呼び寄せられて固定化された。そんな感じ。

 ……なんですが。ちょっと理解し難いようで、不可解な顔をする彼。

 

 

「やっぱり、そうなるのか……? 君を産み出したという実感は、今持って無いんだが」

 

「うーん。どうなんでしょう。さっきも言いましたけど、■■■が覚えてるのは、ただ誰かに呼ばれた気がして、そうしたら、いつの間にかここに居て……」

 

「むぅん……。これ以上は無駄、かも知れないなぁ」

 

 

 眉間のシワが更に深く、腕組みまでする■■さん。失望、させてしまったかも知れない。

 ■■■は一体なんなのだろう。

 理解しているのは、彼に従うべき存在であり、■■という軍艦が、■■■と一心同体であるということ。

 それ以外は……なんて言えば良いのかな。知っているべき事が頭に浮かぶ、というか。変な感じ。

 

 

「……っと、そろそろ昼時か」

 

 

 ふと、腕時計を確認した■■さんは、何やら足元をゴソゴソ。

 どうしたのかなと思っていたら、ステンレス製らしい四角い箱――岡持ち? が机に置かれた。

 ……あ。なんかいい匂い。

 

 

「あの、これは?」

 

「ふっふっふ。取り調べ室での食事と言ったら、やはりこれしかないだろう。カツ丼だ! しかも最上級の松! 奮発しちゃったよ~」

 

 

 シャコ、と蓋が持ち上がり、中から青い文様の描かれた丼が取り出される。

 ■■■と彼の前に一つずつ。お新香が入っているっぽい蓋付きの小鉢と、こちらも蓋のついた漆塗りのお椀。お味噌汁かな。

 目だけで「開けていいんですか?」と尋ねてみると、鷹揚に頷きが返された。

 

 

(カツ丼……。これが……)

 

 

 蓋を開ければ、真っ白な湯気がモワッと上がり、茶色いカツと、それを包む黄色い半熟卵が現れた。

 鼻腔をくすぐるのは甘じょっぱいタレの匂い。初めて嗅ぐはずなのに、懐かしい匂い。

 思わず、不思議な心持ちで見つめてしまう。

 

 

「あれ? もしかして、カツ丼を知らないのか?」

 

「ああいえ、違います違います。知ってはいるんですけど、初めて見たものですから」

 

「……ふむ。なるほど」

 

 

 勘違いされてしまったようで、■■さんは怪訝な顔。

 慌てて両手を振り否定すると、今度は真剣な表情で腕を組む。

 やっぱり変だよね……。自分自身のことは何も分からないのに、こういった一般常識みたいなものはちゃんと分かる。

 でも、記憶喪失とは違くて、「思い出せない~!」という、もどかしい感覚は無い。思い出せない事と知らない事の区別がハッキリつく。

 ■■■は、ホントなんなんだろう……?

 

 気不味い沈黙。

 一分か、それより短い時間が経ってから、彼は腕組みを解いて朗らかに笑う。

 

 

「ま、考えるのはおいおい、な。まずは食べよう。……食べられる、んだよな?」

 

「はい。大丈夫だと思います」

 

「なら食べよう。頂きます!」

 

「……頂きます」

 

 

 両手を合わせる■■さんに倣い、■■■も手を合わせた。

 上下に割り箸を割り、先端をカツ丼へ沈ませ、層になったご飯とカツを持ち上げる。

 タレとご飯と、カツの香ばしい匂い。勝手に唾が溢れてしまう。

 目の前では、美味しそうにカツ丼をかき込む彼。

 ……うん。いつまでも戸惑ってちゃ駄目だ。食べるのよ、大きく口を開けて、一気に!

 はむっ。

 

 

「っ!!!!!!」

 

 

 何これ、超美味しい!?

 口に入れた途端、塩味・甘味・旨味の、三種の神器ならぬ味覚が刺激された。

 タレの甘じょっぱさが、硬めに炊いたご飯の甘さを引き立たせて、それを吸ったカツはサックリと、しかしジューシーな脂を迸らせる。

 あぁ、なんというお肉と卵とご飯のハーモニー。どれ一つ喧嘩せず、全ての要素がお互いを高め合い、お口の中でコンチェルトを奏でまくり。

 っていうか、なんでこんなグルメ漫画的な表現方法を知ってるんだろ。ま、いっか。美味しいんだもん。

 もうとにかく幸せで、■■■は夢中になってカツ丼をかき込む。

 

 

「お、おい■■。そんなにガッつくと……」

 

「――!? ケホッ、ケホケホッ!」

 

「ああ、言わんこっちゃない」

 

 

 猛然とカツ丼を咀嚼していた■■■だけど、急ぎ過ぎたせいか、ご飯が変な所に入り、むせ返ってしまう。

 彼がすかさずお水を用意してくれて、奪い取るように一気飲みし、ようやく一息。

 

 

「ぷぁ、ふぅ……。ごめんなさい、お手数をお掛けしました……。余りにも美味しくて……」

 

「……そうか。気に入ってくれたなら、良かった」

 

 

 ほんの少しだけ間を置き、■■さんは優しく微笑む。

 何故だろう。その視線に、胸がチクリとした。なんだか彼の目が、■■■の向こう側を見ているような、そんな感じがして。

 でも、席に戻って向かい合う時には、もうそんな気配は無くなっていた。

 ……勘違い、だよね。きっと。

 

 

「落ち着いて、よく噛んで食べるんだぞ」

 

「はいっ!」

 

 

 子供にそうするみたく、彼はお箸をカパカパしながら注意を促す。

 思う所はあったけど、大きく頷き返して、■■■も食事を再開する。

 分からない事が多いけれど、今はそうするのが正解だと思えた。

 

 う~ん、カツ丼サイコー!

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「……あ゛ー」

 

 

 口の中が、粘つく。

 喉から勝手に、掠れた声が出た。

 ヒドい倦怠感。ボヤける視界には、見覚えの無い、小さな部屋が映る。

 五歩も歩かない内に、反対側の白い壁へと手が届く狭さ。自分の寝ているベッド。隅に洋式トイレ。

 窓は無く、太陽に代わる天井のLEDが眩しいけれど、昼なのか夜なのかも分からない。

 

 

(ここは……どこだ……。なんで、横になって……)

 

 

 視界だけでなく、思考までボヤけている。

 自分自身のことは、分かる。しかし、どうしてこんな部屋に居るのか、全く心当たりがない。

 それに、なんだろう。この既視感は。顔の左半分を、何かが覆って――

 

 

「ぅぐ、あ゛、あぁ……!」

 

 

 意識した瞬間、鋭い痛みが左眼を襲う。

 思わず身体を捻り、シーツごとベッドから転げ落ちる。実に質素な、白いシャツとズボンを身につけているのが、ここで分かった。

 けれど、それ以上は痛みが邪魔して考えられない。

 左眼が、痛い。左眼が……左眼……左眼?

 

 ダメだ。考えたくない。まだ、“忘れていたい”。何を? 分からない。

 

 

「対象が意識を取り戻しました」

 

 

 ふと、変声機を通したような、くぐもった声が聞こえた。男女の判別がつかない。

 振り返れば、背後にドアがあった。格子付きの小さな窓から、防護ヘルムを被っているらしい人影が、こちらを覗き込んでいる。

 さっきの声は、彼(?)が……? 誰かに、連絡したのか……。

 

 

「……なぁ、そこの人。ここはどこだ、どうして自分は……?」

 

「………………」

 

 

 痛みと倦怠感を堪え、どうにか立ち上がって尋ねてみるが、返答が無い。

 そのまま姿を消してしまうけれど、しかし気配は近くに。

 護衛……いや、そんな雰囲気じゃない。……監視? どうして。

 現状を把握できず、痛みに棒立ちしていると、三分と経たない内に、近づいてくる足音が聞こえてきた。

 

 

「あれを打たれて、五日で自然覚醒か。やはり貴様“も”、人をやめてしまったようだな」

 

 

 聞き覚えのある、冷たい声。

 ドアの前で立ち止まった足音の主は、異様なほど鋭い眼差しを持つ同僚――梁島提督だった。

 

 

「梁島、提督……? なんで……」

 

「……桐林。貴様、どこまで覚えている。貴様の記憶はどこからだ」

 

 

 こちらからの問いには答えず、彼は逆に問い掛けてくる。

 言われて、反射的に記憶を辿っていく。

 

 

(記憶……。自分は……)

 

 

 生まれ故郷。両親の顔。姉と弟。町の人々。

 学校生活。小学生。中学生。高校生。大学生。そして……。

 

 ――駅前。先輩、兵藤 凛、死、死んだ殺された殺ス!

 

 

「ヤツはどこダっ!? まだ、まだ自分ハ奴を――ァがっ!?」

 

 

 発作的にドアの格子へと縋り付くが、その途端、首筋から全身に向けて衝撃が駆け巡った。

 手や脚の筋肉が強張り、否応無く倒れ込んでしまう。

 電流? 首? 痺れの残る指をなんとか伸ばすと、何か、チョーカーのような物が着けられていた。全然、気付かなかった。

 

 

「頭は冷えたか」

 

「はぁ……う……。なん、だ……これ……」

 

「保険だ。万が一に備えての、な」

 

 

 複数回の電子音と共に、ドアが開く。

 よろけながらベッドへ身を投げ出すと、白い詰襟の偉丈夫は、ゆったりとした足取りで対面の壁にもたれる。

 思い出した。ああ、完璧にではないが、思い出した。

 見舞い。襲撃。拉致。失くした左眼。簡易増幅機器。人工統制人格。先輩の死。憎悪、嫌悪、暗い衝動。

 自分は、あの外道と……。小林 倫太郎と戦っていたはず。それがどうして……?

 

 

「その分だと、兵藤の死までは思い出したか。ならば、その後を教えておこう」

 

 

 腕組みする梁島提督は、相変わらずの鉄面皮だった。

 しかしよく見ると、彼の首にもチョーカーのような物が巻かれている。

 自分と同じ……拘束具? いや、そんな筈ないか。そんな物を着ける理由がどこにあるというんだ。

 

 

「簡潔に言うぞ。あの後、暴走した貴様を私は殺そうとし、それを止めた中将が代わりに出撃。戦死した」

 

「……は?」

 

 

 考え込む自分の耳に、あり得ない言葉が飛び込んできた。

 殺そうと……中将が……戦死……。

 頭の芯が麻痺したように動きを止め、けれど、肉体は勝手に詰め寄っていた。

 

 

「う、嘘だ、なんで中将がっ!? どうして……!」

 

「私が知るか。……あの人の心など、最後まで読めはしなかった」

 

 

 突き放す言葉と、苦味ばしった顔。真実だと、その二つが突き付ける。

 脚から力が抜けていく。ベッドに腰掛けて、頭を抱えることしか出来なかった。

 暴走ってなんだ? 自分の代わりに、中将が死んだ? なんでそんな事になってるんだ。訳が分からない。

 知らない内に、誰も彼もが死んでいく。どうして。

 

 ……みんなは。あの子たちは、どこだ。

 

 

「みんなは……。自分の、船たちは……。主任さんは?」

 

「無事だ。今は舞鶴に待機させているが、じき横須賀へ帰す」

 

 

 縋る思いでの問い掛けには、望外の吉報が返された。思わず、大きな溜め息が出てしまう。

 正直な話、中将の死にも、実感が湧かなかった。単に受け止めきれていないのかも知れない。

 でも、みんなが無事だった。あんな場当たり的な戦闘を、どうにか潜り抜けてくれていた。その事に酷く安堵していた。

 

 ……なんて、下劣な。

 自分をここまで育て上げてくれた先輩の。偉大なる恩人の死を前に、不幸中の幸いと 喜ぶなんて。最低だ。

 

 

「だが、政治的な問題もあるからな。整備主任を務めていた彼女には死んでもらった」

 

 

 強烈な自己嫌悪に襲われる自分に対し、梁島提督はぎこちなく左手の指を動かしている。

 ……? 今、変な言葉が聞こえた。

 整備主任、主任さん。彼女には死んでもら……え?

 

 

「今、なんて言った」

 

「死んでもらった、と言った。あの様な技術、他国にでも漏れてみろ。人類史は四半世紀で終わりを迎えるぞ」

 

 

 彼は然も当然と、事も無げに言い放つ。

 主任さん。人工統制人格化の改造を受けて、保護されたはずの。

 

 

「ふざけるな! あんた、あんたになんの権利があって!」

 

 

 無意識の内に、自分は梁島の胸ぐらを掴み上げていた。

 さっきまでの気怠さが消し飛び、全身に震えるほどの力がこもる。

 騒ぎを聞きつけたのか、待機していたらしい背の低い兵士が、こちらにサブマシンガンを向ける。

 手でそれを制したのは、こちらを見下す梁島自身だった。

 

 

「権利など知るか。そんなものに縛られる謂れはない。

 ……今の私にあるのは、義務だけだ。

 果たさねばならない義務が、遺されているだけだ。

 好きなだけ怒り狂うが良い。それを許される貴様は、過分に幸せなのだから」

 

「なんでだ……。せっかく助かった命を、どうして!? あんたには心ってもんが無いのか!?」

 

 

 もう我慢なんて出来るはずもない。あらん限りの力で、自分は梁島を釣り上げる。

 兵士がより近くで銃口を突き付けても、一切気にならなかった。

 

 許せない。許さない。許してたまるものか。

 この男は奴と同じだ。己の都合だけで他人の命を弄ぶ外道だ。

 先輩たちが死んで、どうしてお前なんかが生きている。お前が死ねば良かったんだ。

 

 そう、心の中で恨み言を叫んでから、ようやく気付いた。

 彼の胸元を締め上げる自分の腕が、何か、紅い光を立ち上らせている事に。

 

 

「な、なんだ、これ。なんだ、この光」

 

 

 手を離して後退り、何度振り払おうとも、その光は腕に纏わり付く。

 腕だけではない。それは全身から発せられていた。

 光、ただの光じゃない。霊子だ。自分は、霊子を纏っている? 深海棲艦のように? バカなっ。

 

 

「……この程度の霊波で破壊されたか、役立たずな拘束具め。脳に爆弾でも埋め込むべきだったな」

 

「おいっ、なんなんだよこれ!? なんで自分が、こんなっ!?」

 

「ふん。肝心な所だけ健忘とは、随分と都合の良い話だ」

 

 

 狼狽えるしかない自分へ、梁島は皮肉な笑いを返すだけ。

 言い返す言葉を探す内、紅い霊子は段々と霧散していき、胸を撫で下ろす。向けられていた銃口も下げられた。

 ……そう言えば今、自分は大の男を軽々と釣り上げていなかったか? それほどの筋力、自分にあったか? もう、何がなんだか……。

 

 

「一つ心当たりがあるとすれば、その左眼だな」

 

「ひ、左眼? そんな、だって自分の左眼は、あの襲撃の時……」

 

「ああそうだ。事実、貴様の眼球はここにある」

 

「は? ――ぅわっ」

 

 

 放り投げられた小瓶を反射的に受け取り、ギョッとする。

 目玉だ。人間の目玉が、何かの溶液――おそらくはホルマリン――の中で浮かんでいた。

 縦に大きく傷付いていて、見ているだけで左眼が疼く。

 自分の左眼? 待て。じゃあ、“ここ”に納まっているものはなんだ。包帯の下でビクビクと脈動しているものは、なんなんだよ。

 

 左手で顔を覆い、自分は、ベッドの上に小瓶を放り投げる。

 頭が一杯一杯だった。

 疼きはますます激しく、得体の知れない恐怖に身体が震えてしまう。

 

 

「だが、自分自身でも感じられるだろう。貴様の左眼は確かに埋まっている。……その左眼、一体“誰の”物だ」

 

 

 梁島は、それでも容赦なく言葉を吐き掛けてくる。

 答えようがない。

 思い出そうとしても、髪の長い影がフラッシュバックするだけで、他には……。

 

 

「そんなの、知る訳ない。自分だって、混乱して」

 

「……だろうな。貴様は奇跡に取り憑かれている。そこに貴様の意思など介在しない。

 起こり得ぬ事象に翻弄されるだけの、水面を漂う葉だ。とっくに沈んでいるはずの、な」

 

 

 突き放されたはずが、何故かその言葉は腑に落ちた。

 奇跡という名の時代(みず)の流れに、クルクルと回りながら漂う、一枚の木の葉。

 岩にぶつかったり、落差に飲まれたりしつつ、辛うじて浮かんでいるだけの。浮かんでいること自体が奇跡なのだ。

 

 

「……殺そうとしたって、言ってたな。予想してたのか、この事態を。あの場に居たのか」

 

「居たとも。貴様を始末できなかった事は、痛恨の極みだ」

 

 

 口をついた疑問にも、全く悪びれずに返す梁島。

 まるで、「お前が全ての元凶だ」と、言われている気がした。

 それを否定できる確信なんて、どこにも無かった。

 

 

「なんで……。なんで、自分ばっかり、こんな……。なんで、“俺”に関わった人ばかり、こんな……」

 

 

 自分は背中を丸め、暗い気持ちを垂れ流す。

 そうしないと耐えられなかった。とてもじゃないが、呪わずに居られなかった。

 運命。悲劇。不運。

 こんな言い方で表現される“何か”を、恨まずには居られない。

 

 先輩。吉田中将。主任さん。

 もっと一緒に居られると思っていた人が、いつの間にか消えている。

 ありがとうございます。尊敬しています。貴方が頼りです。

 伝えられなくなった言葉が、頭の中で木霊している。

 

 これが……後悔。

 気が狂いそうだ。

 

 

「地下三階のC-7号室へ行け」

 

「……え?」

 

 

 顔を上げると、彼は部屋の入り口に立ち、こちらへ背を向けていた。

 

 

「行けば分かる。自分の目で確かめろ。貴様に遺されたものを」

 

 

 そう言い残し、梁島と兵士、二つの足音が離れて行く。

 迷いの感じられない足音だった。部屋のドアは、開けっ放し。

 

 どれほどの時間が経ったのか。

 よく分からないまま、自分も恐る恐る、ドアの向こうへ。

 裸足で踏みしめるリノリウム材が、冷たかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 フラフラと。ヨロヨロと。

 覚束ない足取りで通路を進む間、自分はずっと一人だった。

 時折、経路図が壁に掛けられた、質素簡潔で殺風景な道。天井に張り付いた半球の監視カメラだけが、自分以外の存在を感じさせる。

 

 やがて、隣り合う二基のエレベーターが視界に入った。

 下向きの矢印を押すと、程なく片方の扉が左右へ開く。ここは地上二階だったようだ。

 中に入ってB3のボタンを。

 鏡面加工された壁へ寄り掛かると同時に扉は閉じ、身体が浮き上がるような感覚が襲う。

 ふと前を見れば、向かい側に見知らぬ男が立っていた。

 

 

(これが、今の自分)

 

 

 血色が悪い顔。

 頭の左半分を覆う包帯からは、真っ白な髪が溢れている。

 虚ろな右眼が、恨みがましくこちらを睨みつけて。

 あまり驚きは無かった。なんというか、どうでも良い。

 それでも、包帯の下を確認する気は起きず、エレベーターの到着と同時に外へ逃げ出す。

 

 

(行ってどうなる……。その部屋に、主任さんが? ……変わり果てた姿を見て、どうなるって言うんだ……)

 

 

 案内図を頼りに、また歩き出す自分。

 行きたくなんてなかった。できればずっと、ベッドで蹲っていたい。殻に閉じこもっていたい。

 けれど、何か得体の知れない情動に突き動かされ、脚は前へ。

 

 

「……C-7号……」

 

 

 アルファベットと数字が書かれたドアプレートを通り過ぎ、数分。目的の部屋に辿り着いた。

 電子制御のスライドドア。

 どうしようかと迷い、なんとなく手を伸ばすと、それは勝手に開いた。

 

 通路からの灯りで見えるのは、壁一面に設けられた、ロッカーのようなドア。まるで霊安室だった。

 一歩足を踏み入れれば、人を検知した白色照明が自動で灯る。

 中央に、台があった。

 人の形に盛り上がる、シーツの被せられた台が。

 膨らみ方から判断して、下に居るのは、女性。

 

 

(嫌だ。見たくない)

 

 

 コンクリートの中を泳ぐような速度で、その台へ近付いていく。

 呼吸は浅く、乱れている。

 指先が冷え、勝手に震えている。

 手の届く距離。

 すぐにでもこの場を離れたいという意思に反し、シーツの端を摘んでいた。

 ゆっくり。ゆっくり。シーツを下ろす。

 

 赤毛。

 

 

「……っ!」

 

 

 呼吸が止まり、背筋も硬直する。

 主任さんだった。

 眠っているように、静かな表情で横たわる彼女。しかし息遣いは聞こえない。

 呼び掛けようとしたけれど、声が出なくて。

 恐々、その頬に触れてみると、冷えているはずの指先よりも、遥かに冷たかった。

 命の温もりを、感じ取れなかった。

 

 

「嘘、だ……こんな……」

 

 

 ようやく出た声は、自分の物だとは思えないほど弱々しく、掠れていた。

 周囲の音が、遥か彼方から聞こえる。

 凍り始めた。内側に開いた穴から、自分という存在が、凍っていく。

 

 

「いやー、ホントホント。どうせ焼いちゃうのに、こんなソックリに作る必要ないですよねー」

 

「へ? ……くぁwせdrftgyふじこlp!?」

 

 

 横からニュッと入り込む主任さんの顔。

 一瞬だけ脳がフリーズし、直後、言葉になっていない悲鳴を上げながら、自分は壁際まで転げ回った。

 そんなこちらを他所に、彼女はシーツをペロっと捲り、「あ。乳首まで作ってある」とかなんとか。

 

 

「し、しゅ、主任、さん……?」

 

「はい。お久しぶりです、提督さん。……ですよね? 髪が白くなっちゃってますけど」

 

 

 状況を理解できないまま、主任さんの隣に立つ主任さんへ問い掛けると、いつもの格好をした彼女は、普段通りの明るい笑顔を見せた。

 なんだこれ。

 なんだこれ?

 なんだこれぇええっ?

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「え。は。お、ぇ? だって、あ、し、死んだって……」

 

「……? はい。死んじゃいますよ、社会的に。もしかして、何も聞いてないんですか?」

 

 

 目を白黒させる彼に向かい、アタシは右手を差し出す。

 呆然と手を取り、立ち上がってからも混乱しているような素振りを見せている。

 あー。これは、なんにも聞かされないでここへ来て、本物の死体だと思っちゃったパターンですか。

 人をこんなとこに呼び出しといて、梁島さんも性格悪いなぁ……。

 

 

「死んじゃう……社会的に……。まさか、それって」

 

「ええ。アタシの遺伝子から合成して、アタシそっくりに成型したタンパク質とカルシウムの塊。

 これを燃やして、社会的に死んだ事になるんです。……こんな身体になっちゃいましたからね。仕方ありません」

 

 

 ようやく合点がいったのか、彼は痛々しい傷痕の乗る唇を撫で、小さく呟いた。

 アタシはそれに頷き返し、ちょっと恥ずかしかったけど、背を向けて制服の上着をチョロっと捲る。

 彼にはきっと、明らかに人工物である、円形の接合機具が見えている事だろう。

 これが、人工統制人格化手術の結果。本来なら失敗に終わったはずの、実験の結果だった。

 

 

「生きてた……」

 

「提督さんのおかげですよ。あの手術の後、アタシはずっと意識を取り戻せなかったみたいですけど、提督さんが得た“力”の影響で、目を覚ましたらしいんです」

 

「らしい?」

 

「人から聞いたもので」

 

 

 上着の裾を直しながら、首をかしげる彼に振り向く。

 ……前から思ってたけど、この制服のスカート。両脇のスリットからパンツが見えちゃいそうで恥ずかしいんだよね……。太ももなんか丸見えだし。行灯袴を短くしたっぽい物らしいけど、世が世ならセクハラですよ全く。もう慣れたけど。

 それはさて置き。返事が妙に他人事なのは、本当に自分ではよく分かっていないからだ。

 アタシをあの館から運び出そうとした、陸軍兵さんat女性の証言によれば、医療ポッドの中でアタシは真っ赤な光を纏い、防護ガラスを素手で突き破りながら立ち上がって、また気を失ったらしい。

 で、その数時間後には病院で普通に意識を取り戻し、桐谷提督の庇護下へ置かれ、社会的に死ぬ事を提案された。そうしないと、次は人間に狙われるから……。

 まぁ、家族なんてもう居ませんし? 身軽なアタシは一も二もなく受け入れたんですが。

 

 

「なんともない、んですか」

 

「はい。前より好調な位で! 元気一杯ですよー!」

 

「……本当に?」

 

 

 心配そうにこちらを伺う彼。全身を使ってアピールするものの、全く信じてくれてない。

 むしろ、心配なのはこっちなんだけどなぁ。

 顎先から包帯の下へ潜る傷痕。霞ちゃんと負傷を共有しちゃった時のように、青ざめた肌。髪は漂白剤に漬け込んだみたいな白さで、聞いた話によれば、その左眼は……。

 でも、それを口にしたら、彼の表情はもっと曇ってしまうだろうから。

 アタシはちょっと大袈裟なリアクションをして、笑顔を心掛ける。

 

 

「む、疑り深いですね……。なんだったら触ってみます? 特別ですよ?」

 

「………………」

 

 

 ムキッ、と小さな力こぶを作って、それを見せつけるように眼前へ。

 彼は戸惑うようにしばらく見つめた後、おずおずと右手を伸ばした。

 躊躇いがちな指先が、力こぶをプニプニ。

 ……っ、これは、や、マズいかも……っ。

 

 

「ぅ……ちょっとくすぐったい……って、か、顔までいきますぅ!?」

 

 

 くすぐったさを我慢し、緩みそうな顔に力を込めていると、彼の手は二の腕から移動し、肩をポンポン。

 そこまでは良かったんだけど、肩から頭の横へと手が伸び、冷んやりした指が頬を撫でた。

 流石に、予想外。恥ずかしくて顔が赤くなっているのが分かる。

 な、ナチュラルにこんな事しますっ!? 慣れてる。この人、明らかに慣れてません? 駆逐っ娘へのボディタッチ効果ですか!?

 に、逃げた方が良いのかなぁ……なんて焦るアタシを、彼は静かに見つめ続けて。

 

 

「提督さん……? ――あっ」

 

 

 不思議に思い呼び掛けてみると、その右眼から一筋、雫が零れた。

 気が付けば。

 アタシは抱き締められていた。まるで、縋り付かれるように。

 

 

「生きてた……。生き、て、た……っ。生きて、る゛……。良が、っだ……ぁ……っ」

 

 

 硬い床へ膝をつく彼と一緒に、アタシも膝立ちに。

 とても。とても強く抱かれて。

 突然のことで反応できなかったけれど、さっきのような危機感はなかった。男の人にそうされているというのに。

 多分、理由は震えていたから。

 彼のたくましい腕が、凍えるように震えていたから……だと思う。

 

 

「……提督、さん。アタシは、最低の女なんです」

 

 

 宥めるよう、その背に手を回し。アタシは胸の内を吐露する。

 目を覚ましてからずっと、胸につかえていた……罪悪感を。

 

 

「あの発作、ワザとだったんです。提督さんなら、きっと助けてくれるだろうから。ワザと薬を飲まないで、無理やり着いて行って……。本当に、最低」

 

 

 アタシの心臓は、産まれながらに欠陥を抱えていた。

 それは中学生となった頃から本格的に牙を剥き始め、手術をすれば治るけど、一庶民にはとても払えない、トンでもない額の治療費が必要だった。

 幸い、アタシには少し特別な才能があって、それに随する保険とかをやり繰りして、高額な延命治療を施してきたけど、それも限界。

 十五歳まで生きれば奇跡だったのが、もう十九。その間にアタシは天涯孤独になった。親孝行すら、する暇が無かった。

 誕生日に貰った超大型軍艦プラモは嬉しかったけど、いつこの心臓が破れるかと思うと、歳を取るのが怖くて仕方がなかった。

 未来に望むことは無く、ただただ、死にたくないから生きてきただけ。

 死への恐怖が、生きる原動力だった。

 

 でも、怯えながら生きるのにだって、もう疲れ切っていた。だからアタシは、一か八かの賭けに出たのだ。

 彼なら……。統制人格にも分け隔てなく愛情を注ぐ彼だったら、助けてくれるんじゃないか、と。そう期待して。

 彼の目の前で発作を起こすため、薬を絶ち、喫茶 間宮に行ってみたいなどと嘘までついた結果が、あの襲撃。

 アタシのせいだ。

 アタシが足を引っ張らなければ、あんな結果に終わらなかったはず。

 彼は拉致されずに、兵藤さんも死なずに済んで、みんなで笑っていられた……かも、知れない。

 

 たらればに過ぎないのは分かってる。それでも苦しくて仕方ない。

 他人を利用してまで生きようとしたから、こんな事になっちゃったって。

 みんなの命を犠牲にしてまで、生き延びようとしたんだって。

 それが証拠に、アタシは敵の提案まで受け入れてしまった。

 

 

『僕に着いてくれば、その変な音がする心臓を取っ替えてあげるよ』

 

 

 こんな言葉を真に受け、人をやめてまで、死から逃れた。そのとばっちりを、みんなへ押し付けた。

 最低なんて言葉じゃ、足りるはずがない。

 どうしようもなく自分勝手な――醜い女。

 

 

「アタシには、そんな価値無いんです。貴方に泣いてもらえるような、人間じゃ……」

 

「そんなのいい! 生きててくれた、生きていてくれれば、それだけで、もう……!」

 

「あ……」

 

 

 ……なのに。

 痛いほど抱き締められるのを、嬉しく感じてしまった。

 首筋をくすぐる彼の吐息が、堪らなく愛おしい。

 

 

(電ちゃん、ごめん……。アタシ、卑怯だよね)

 

 

 決して届かないだろう謝罪の言葉を、心の中で唱えながら。強く彼を抱き返す。

 アタシは一度死んだ。

 彼が新しい“力”に目覚めなければ、永遠に目覚めないまま、標本にでもなっていただろうと思う。

 だけど、こうして生きている。

 生きて誰かと触れ合う事が出来る。

 そんなはずがないのに、許された気がした。

 彼の一言で、救われてしまった。

 

 

「……提、督」

 

「主任さん、主任、さ……。っふ、ぐ……うっ」

 

「大丈夫ですよ。アタシはちゃんと、生きてます。ここに、居ますから」

 

 

 子供のように泣きじゃくる彼をあやすため、なんだか小さく感じる背中を、優しく撫でる。

 いつの間にか。アタシ自身の目からも、涙が零れ始めていた。

 

 アタシはこの日。誰かを愛おしく想う喜びを、初めて知った。

 そして、他でもない彼に誓いたい。この命は、彼のために使おうと。

 こんな言い方をしたら、きっとまた、怒ってくれるんだろうけど。それでもアタシは、彼と共に生きていきたい。

 人間としてではなく、彼の……船として。

 

 恥知らずにも。

 こう、願ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 抱き締め合う二人の男女を映す、監視カメラ。

 PC画面以外に光源のない、暗い部屋でその映像を確認しながら、梁島は椅子を軋ませ、背後へ言葉を投げ掛ける。

 

 

「何かあれば容赦無く撃てと、言ったはずだぞ」

 

 

 そこには、立ち尽くす兵士が一人。

 無言を貫いていた彼――否、彼女がヘルメットを外す。

 疋田 栞奈。

 らしくない、厳しい表情を浮かべる彼女は、強い言葉で問い返した。

 

 

「護衛対象を撃つ必要が、あったんですか」

 

「ある。止めねば奴自身が“力”に喰われて死ぬぞ。撃たれた所で死には――もう、死ねはしないのだ、私たちは。お前は撃たねばならなかった」

 

「……私には、桐林さんを撃つ事なんて……。私は、守るために……」

 

「くだらん感傷だな。やはり、お前に奴の衛士は務まらん」

 

「………………」

 

 

 胸をナイフで突き刺されたようだった。

 今後も桐林の側に居るため。兵藤の遺言を果たすために、栞奈は梁島へ懇願した。彼を守らせて下さい、と。

 その試練が、先程の一幕。桐林が再び暴走した際、それを止められるかどうか、である。

 しかし栞奈は撃てなかった。

 必要な時に、必要な相手に対して引き金を引けない兵士など、木偶にすら劣る。彼女の願いは果たされないだろう。

 

 

「どうして、あんな言い方を。……ワザと勘違いさせるようなことを、したんですか」

 

 

 失意の内に、栞奈はまた問い掛けていた。

 あの、挑発的な言動。敢えて思い違いを起こさせ、己を憎ませるように差し向け……。

 理解できなかった。

 栞奈の試験のため? あり得ない。

 一歩間違えれば大怪我を負う所だったと、“同じ力を宿した”彼自身が、よく分かっているはず。

 

 

「……人間という生き物はな。一度でも憎んだ相手は、そう簡単に許せないものだ」

 

 

 しかし、梁島は意外にも、寂しげな声で返事をする。

 また椅子の背もたれを軋ませる、その男の表情は、見ることが叶わない。

 

 

「憎しみや怒りは、ただ存在するだけで人を動かす。恨む相手が必要なのだ。……かつての私が、そうだったように」

 

 

 懺悔のようにも聞こえるそれに、栞奈は納得できなかった。

 一度は殺そうとまでした男を、恨まれてまで守ろうとする。

 チグハグだ。

 梁島の行動は一貫性を失っている。一体何が、そうさせるのか。

 まるで理解が及ばない。

 だが、そんな彼女へと再び投げられた言葉は、すでに氷の温度を取り戻していた。

 

 

「兵藤の遺言、まだ渡すな」

 

「え?」

 

「渡せば奴は折れるぞ。そして、もう二度と立てなくなるだろう」

 

「で、でも、これは……! 凛さんの、最後の言葉、なんですよ……」

 

 

 懐に忍ばせてある、兵藤の遺品――特別に所持を許された、兵藤が使っていた携帯端末を手で探り、栞奈は悲痛に顔を歪ませる。

 巧妙に隠された、たった数分の音声ファイル。

 この耳で確かめたそれは、兵藤が桐林に遺した……想いなのだ。

 必ず届けなければならない。彼に知っておいて欲しい。

 裏切る事しか許されなかった女の、たった一つの真心を。

 けれど、梁島もまた譲らなかった。

 

 

「それでもだ。今はその時ではない。……無理やり取り上げても良いんだぞ」

 

「っ!? 駄目です! 例え貴方の命令でも、これだけは!」

 

「ならば、せいぜい大事にすることだ。下がれ。沙汰は追って伝える」

 

「……はい。失礼、します……」

 

 

 途端、身を庇う栞奈を、梁島がせせら笑う。

 もはや是非も無しと、彼女は肩を落として退室した。

 小さな部屋に、一人きりとなって数分。

 ふと思い出したように、梁島は監視映像を閉じ、代わりに動画ソフトを立ち上げる。

 選択されたのは、短い音声ファイルだった。

 

 

『梁島 彪吾。

 おヌシを、吉田 剛志の名に置いて、九人目の“桐”――桐城とする。

 襲名は桐谷と相談し、機を見て行うこと。

 ……守ってやっておくれ。あの者たちの、未来を』

 

 

 一分にも満たない、簡潔過ぎる遺言。

 吉田の死後、桐谷が手ずから梁島へ届けた物である。改竄された形跡は無い。

 何十回も。何百回も聞き返したその声に、梁島は己の顔を右手で覆う。

 

 

「こんな私に、まだ生きろと言いますか、先生。貴方はやはり、鬼畜ですよ……」

 

 

 この先、梁島と桐林は、確実に政府の監視下に置かれるだろう。

 そして、眠っている間に採取された体細胞、血液、精液や骨髄液などを基に、様々な研究が行われる。

 あの娘とて、どうにかして実験材料行きを阻止したが、これから先はどうなるか。

 完全に死んでいた阿賀野型の四名と違い、社会的にだけ死ぬ事が決まった今、その行く末は戦争の中でしか見出せない。

 適合する軍艦を見つけ、死んだ娘と瓜二つの、統制人格を演じなければならない。

 

 それに耐えられるだろうか。あの二人は。

 梁島自身、耐えられる気がしない。

 心の底から憎んでいた“力”を、宿してしまった己に。

 許されるなら、今すぐにでも自害したい。誰かを、自身と同じ目に遭わせぬよう。

 

 だが、許されない。

 あの人の言葉が許してくれない。

 梁島は呪う。

 生涯でただ一人、最後まで勝てなかった男の事を。

 決して破れないと知りつつ、あんな戒めを遺して逝った、先生の事を。

 

 指の隙間から、紅い光が漏れていた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告