同じ頃。一階部分の捜索を手早く終え、地下に潜った第二班もまた、戦闘状態にあった。
「ふふん、おっそーいっ!」
行く手を三台の自動砲台が遮る中、島風は、銃弾乱れ舞う明るい通路を走る。
小刻みに揺れる動き。
優秀過ぎる射撃ソフトが予測軌道を計算するも、追いつかない。全く見当違いな場所へ弾を飛ばすばかり。
加えて、高い負荷の掛かったFCSは、壁走りで通り過ぎた島風に続く、木曾の姿を捉えきれなかった。
銃身を向けようとした時点で遅過ぎる。ダマスカス刀が左の一台を右上から袈裟懸けに叩き、勢いを殺さず右の二台目を左へ薙ぐ。
少し奥まった最後の一台には、踏み込みが足りないか。しかし、木曾は身を屈めるだけだった。
彼女へ照準をつけようとする三台目。けれど、カメラが三人目の少女を補足する。
木曾の背中を飛び越え、白いスカートが翻るのも構わず、飛び蹴りを放つ摩耶。その眩しい太ももと靴底を最後に、自動砲台たちは沈黙した。
「……チッ、思っていたより身体が振られる。重過ぎるのか? もっと細身で、鋭く……」
「なぁにブツクサ言ってんだよ、勝ちは勝ちだろ。やったな、島風!」
「えっへへー。速さでは誰にも負けないもんねっ」
想像していたのと使い勝手が違い、木曾はダマスカス刀を戻しながら顔をしかめている。
全力で叩きつけても、欠けたりヒビが入らないどころか、歪みすら出ないのは流石だが、艤装状態の木曾が振るっても軸が僅かに振れるのだ。もっと他に、木曾に合う戦い方があるのかも知れない。
島風と摩耶はハイタッチして得意気である。
自らの速度を余す所無く活かし、自動照準を狂わせる島風。もうとにかく鬱憤を晴らせてスッキリしている摩耶。案外、相性は良いようだ。
「でも、どうなってるんでしょうか、この館。“アレ”は出ませんけど、夕張さんの持ってるホラーゲームみたいです。雪風、あのゲーム苦手です……」
「全くデス。Grotesqueなのは勘弁ネ。まぁ、ワザワザKeyを探す暇なんてNothing.立ち塞がるEnemyも、Lockの掛かったDoorもブチ破りまショー!」
残る第二班のメンバー……雪風、金剛たちが三人と合流。再び脚を動かす。
現在、彼女たちは地下一階を進んでいる。
上階では手間を惜しんで明かりを点けなかったが、地下のフロアはセンサーで点灯してくれた。通り過ぎてきた街とは違い、自家発電装置が生きていたか、時間が経って復旧したのだろう。
一階に大した施設はなく、トイレや厨房、応接室などがあるばかり。しかし地下に降りた途端、シックな装いだった内装は近代的となり、各扉も頑丈な合金製に変化した。
中の設備も、いかにもな電子機器や保管用ケージ、得体の知れない培養タンクなど、不気味さの様相まで変わってきているのだ。
雷と村雨が、どこか不安そうな顔で周囲に気を配る。
「……妙高さんたちの報告にあった、同じ顔の兵士、出てこないわね。その方が良いんだけど、不気味だわ……」
「そうよね……。これだけの研究設備、一体どれだけの命を冒涜したのかしら」
強襲部隊がこの館へ突入してからというもの、遭遇したのは全てが無機物であった。
拉致の際に姿を見せた人間――いや、クローン兵士は、一人たりとも存在を確認できていない。
今までの部屋の雰囲気から考えると、この階かもっと下に、彼らの“生産工場”があっておかしくないのだ。それがより薄気味悪さを加速させる。
「……? 皆さん、ちょっと静かにして欲しいのです……っ」
ふと、電が立ち止まった。
言われた通りに皆が声を潜めると、通路の奥から、かすかに聞こえてくる音が。
――ヒタ、ヒタヒタ、ヒタ、ヒタ。
まるで、素足の人間が歩いているような音。鎖の擦れるような音も混じっていた。
だが、リズムが少々おかしい。一定間隔ではなく、フラフラと覚束ない足取りであると分かる。発生源は、左へ曲がる角の向こう。
まさかとは思いつつ、雪風が顔を青くした。摩耶、金剛も砲を構える。
そのまま、十秒。
(なんか、ものすっっっっっごく、遅いね……。ムズムズする……)
(噂をすれば影が差す、か。対人戦なら、俺が出た方が)
(……待って下さいっ。この、足音……)
島風がなんとも場違いな感想を述べ、木曾がダマスカス刀を腰溜めに進み出ようと、一歩を踏み出す。
しかし、その動きをまたも電が制した。
この足音、彼女には聞き覚えがあったのだ。いつもと様子は違うけれど、半年近く前――まだ彼と二人きりだった頃に、幾度となく聞いた足音だ。
確実にそうだと言える自信は無かったが……信じたかった。
誘われるように、電は歩き始める。
コツン、という革靴の音と、素足の足音が交互に。やがて、足音は曲がり角のすぐ側へと差し掛かった。
緊張に顔を強張らせる電。信じて見守る皆が生唾を飲み込む。
ゆっくりと、足跡の主が姿を見せ始めた。
角に添えられる手。
緑色の、薄手のズボンを履いた素足。
――そして。
焦がれるように求めていた、とても懐かしく感じる、彼の横顔。
「司令官さん!」
「……い、なづ、ま……?」
弾かれるように電が駆け寄り、その人物――桐林の身体へ抱きつく。
バランスを崩し、尻餅をついた彼の後ろには、数台の自動砲台が存在した。が、動く気配はない。
もっとも、電はそれに気付いておらず、ただただ、震える手で入院着の背中を握りしめ、顔を何度も擦り付ける。
「司令官さん、司令官さん、司令官、さん……っ」
「……みんな。来て、くれたのか……。うぐ」
「テートク!? ああそんな、眼が……!」
電の背を撫でる桐林に、皆は大急ぎで駆けつける。
意外……でもないだろうが、最も速かったのは島風ではなく、金剛だった。
桐林の傍らへ膝をつき、痛みに顔を引きつらせる姿を見て、思わず涙を浮かべている。
彼の顔には、大きな裂傷があった。塞がってはいるが、まばらな深さの生々しい傷痕が、唇や頬、閉じられた左眼の上を走って。
雪風と霞の証言から覚悟していたけれど、実際に見ると痛ましいという他にない。
「なんだよ、一人で脱出してたのか。結構やるじゃん、提督。あたしらの来た意味無かったな」
「脱出……。いや、よく分からないんだ。気が付いた時には、もう拘束が解かれてて。とにかく逃げようと、歩き回ってただけ……だと思う」
「あん? なんだそりゃ。訳分かんねぇんだけど」
「……自分にも、何がなんだか……」
沈痛な雰囲気を変えるためか、摩耶があえて軽い調子で話しかけるが、返事は要領を得ない。どうやら、彼自身も現状を把握していないようだ。
桐林の手足を見てみれば、千切れた鎖の繋がるバンドが嵌められていた。
拘束されていたのは確かであろうが、ならば今、どうして自由の身になっているのだろうか。少々腑に落ちない。
ともあれ、作戦の主目的は達成された。留意すべき点はあるが、他の面々も安堵で口元を緩ませている。
けれど、無事に帰還してこそ、この作戦は完全に終了する。
いち早く警戒状態に戻った村雨と雪風は、まず、沈黙を守る自動砲台を調べ始めた。
「なにかしら、この砲台。急に動きが止まった……?」
「まるで、司令を……。ううん、雪風の考え過ぎ、ですよね……」
今まで、問答無用に銃弾を放ってきた自動砲台だが、村雨がカメラを覗き込んでも、雪風が銃身をつついても、全く反応しない。機能停止したようだ。
これではまるで、桐林を守ろうとしていたようにも見える。
貴重な人材、そのように設定されていたとしても変ではないけれど、だとしたら急に機能を停止したのは何故なのか。
わからない事だらけだが、しかし、この場に留まるのは不味い。
桐林の身体を気遣いつつ、雷がそれを示す。
「司令官? 疲れてるだろうけど、今はゆっくりしていられないの。動ける?」
「平気だ、問題ない……。心配かけて、ゴメンな。雷」
「……う、ううん。良いの。私は全然、なんともない……から……っ」
左手で雷の頭を撫で、微笑む桐林。
痛みがあるのか、それは左右非対称になっていて、疲労が色濃く現れている。
だというのに、感じる温もりが普段通りで、涙を誘う。
「電、離れてくれるか。立たないと」
「……あっ、はい。ごめんなさい、私……」
「良いから良いから、な。……ぅおっと」
立ち上がろうとする桐林だったが、中腰になった所でフラつき、また尻餅をつく。
いや、つきそうになった瞬間、摩耶が後ろから支えたため、辛うじて立っている。
見ていられないと、彼女はぶっきらぼうに肩を貸した。
「ほらっ、肩貸せよ。あ、それともおんぶのが良いのか?」
「い、いやいや。もう意識はハッキリした。なんとか歩ける。すまない、摩耶……」
「……いちいち謝んなって。お前のそういうとこ、ちょっとウザいぞ」
「はは、ゴメン……っと、また謝っちゃったな」
「……ふん。ばーか」
「もう、摩耶さん? 提督は怪我してるんだから、そんな言い方……」
「良いんだよ、村雨。君も、来てくれてありがとう。顔を見れて、安心した」
「……うん。私も。もう二度と、捕まっちゃったりしたら、駄目なんだから」
「ああ、努力するよ」
怪我人に対して、少し雑にも思える物言いだったけれど、桐林は笑っている。
右手を掴む細い指。腰へ添えられた手。決して急ぎ過ぎない歩幅。乱暴さを装う素振りの端々から、己への気遣いを感じ取っていたからだ。
そんな姿を見て、村雨もホッと胸を撫で下ろした。
ようやく取り戻せた。横須賀に帰れば。これが日常の世界に帰れば、全てが元通り。姉妹艦たちにも胸を張れる。
今度こそ、桐林たちは歩き出す。
ペースは遅めだが、確実に出口へと向かって。
桐林を中心とし、右に摩耶、左に金剛。前を木曾と島風、雪風が固め、背後に雷、電、村雨を配置する輪形陣だ。
しばらく進むと、金剛が俯き加減に口を開く。
「テートク……。答え辛い事ナラ、答えなくてもいいんデスけど……」
「……この眼、か。もう、使い物にならない。ヤツが……そう言っていた」
言葉にしづらいのか、口ごもってしまう金剛だったが、返答は実にあっさりとしていた。
使い物にならない。つまり、失明している。
事も無げに言ってのけたが、その事実は重い。
金剛は言葉を失い、前を行く木曾が、ダマスカス刀の鞘を握り締める。
「すまん! 俺が、俺たちが不甲斐ないばっかりに……っ」
「木曾のせいじゃないさ。ここに居る誰のせいでもない。……全ての元凶は、ヤツなんだからな……」
振り返ることの出来ない木曾へ返されたのは、慰めとも、励ましとも違う言葉。
揺らめくような怒りに満ちる、敵意だった。
電を含め、この場に居る誰も聞いたことのない、暗い声。間近で聞いた摩耶の手に、無意識に力が篭る。
それで雰囲気の変化に気付いたか、桐林の方から話が振られた。
「そう言えば、みんな、どうしてここが分かったんだ? どうやって手掛かりを?」
「電さんのお手柄です! あの光の柱が立った後、急に司令の居場所を言い当てて……」
「……光の、柱? 雪風。なんだ、それ。そんな事が?」
両腕を広げ、表情豊かに説明する雪風。しかし、桐林は首を傾げるばかりだった。
数km離れていた彼女たちにすら、あれだけ強烈な衝撃を与えた現象を、まるで認識していないようだ。
信じられないといった様子で、雷が電と顔を見合わせる。
「司令官、本当に分からないの? スッゴイ衝撃で、みんなひっくり返っちゃったのよ? ね、電?」
「はい。あの時、なんだか急に、司令官さんと過同調状態になったような気がして……。
でも、電だけじゃ何も……。兵藤さんが発信機を付けていてくれなかったら、今頃……」
「……なんだと」
「え?」
兵藤の名を出した途端、桐林が脚を止めた。
右眼が細くなり、唇も戦慄いている。まるで、忌まわしい言葉を耳にでもした様に。
急激な表情の変化に皆が驚き、島風が桐林を覗き込む。
「どうしたの? 提督、なんだか怖い顔してる……」
「……確認しておきたい、事がある。あの後、何があった?
軍病院へ向かう途中、突然地面が爆発して……。
あれはなんだったんだ。主任さんや、疋田さんは? 自分の家族は? ……先輩、は」
「そ、それは……ええっと……」
矢継ぎ早な問いかけに、雪風を始め、誰もが口を閉ざしてしまう。
言えば安心して貰える情報がある。けれど、言えば確実に傷付けてしまう情報も、ある。
どれをどうやって、どこまで伝えれば良いのか。判断が難しい。
息苦しい沈黙は、一体何秒あったのだろう。
意を決し、木曾が振り向いた。
「一先ず、家族の方は桐ヶ森大佐が保護してくれたし、疋田も無事だ。俺たちと一緒にここまで来た。整備主任と、兵藤大佐は――」
『ヤッホー。聞こえるかーい、こーうはーいくーん!』
「――!? この声……!」
唐突に割り込んでくる、不躾な声。
間違えようがない、“元”少年提督、小林 倫太郎だ。木曾は怒りに歯軋りする。
館内放送とは違う。ごく間近から……。桐林が付けている、左のリストバンドから聞こえていた。
どうやら唯の拘束具でなく、監視用の様々な機能も備えていたらしい。
『いやはや、何をどうしたんだか理解できないけどさ。よくもヤってくれたねぇ』
「……なんの、話だ」
『トボけちゃってー。おかげさまで、今までの研究データがパーだよ。ま、バックアップはあるけども』
明るく装っている通信機越しの声は、隠しきれない恨みと、異様なプライドの高さを滲ませる。
わざわざ聞いてもいない事を話す辺り、焦っているらしい。自らの優位性を示したい証拠だ。
『でもさ、コケにされたまま引き下がるなんて、僕の性に合わないし。……後輩君、勝負しようよ』
「勝負、だと……?」
だが、次に“元”少年提督が言い放った言葉は、驚きで皆の眉を歪ませた。
勝負。この場合、求められているのは個人同士の戦いではないだろう。
艦船同士の、殴り合い。
『そ。
冠島。別名を、大島、雄島、常世島、竜宮島とも呼ばれる無人島である。
京都府舞鶴市は若狭湾に存在し、成生岬から北北西へ十kmほどの場所に位置する。
さらに北北東には
深海棲艦が跋扈する以前はクジラなども回遊していた海域だが、度重なる海流変化により、今では鳥も魚も寄り付かない、死んだ海域である。
戦闘行為を行っても問題ないと言えばそうだが、けれど桐林は拳を握り、感情を押さえつけた声で拒否する。
「……そんな事に付き合って、何になる。無駄な戦いをする気は、無い……」
『まぁまぁ、いけずなこと言わないで。……あんまりツレないと、僕、拗ねて何するか分からないよ』
「な、なんなんデスかっ、さっきから黙って聞いてれバ、傍若無人な――」
『黙れ、ヒトカタ風情が。僕が会話するのを許したか。下がっていろ』
あまりに馴れ馴れしい“元”少年提督へ金剛が噛み付くも、一気に温度を下げた声が一蹴した。
驚いたのか、怒っているのか。顔を真っ赤にした金剛は、声にならない声を挙げながら地団駄を踏む。
おそらく、言った本人は暴言とすら思っていないのだろう。リストバンドからの声はまた馴れ馴れしさを取り戻し、桐林へ呼びかける。
『よし。じゃあ、ヒントをあげよう。……第一次大侵攻』
「……!? まさか、お前っ!!」
『ハハハ、流石に分かり易過ぎたかな? そう。僕にはね、艦載機運用能力がある。
僕を無視したりすれば、またあの時みたいに、“元 味方の艦載機”が本土を焼くよ!』
桐林が顔色を変え、左手のリストバンドに詰め寄る。
第一次大侵攻。舞鶴鎮守府を半壊させ、多大な被害をもたらしたあの事件が、再現されようとしている。無視できるはずがなかった。
加えて、“元 味方の”という言い方にも引っ掛かる。
それでは、あの事件が味方により……。統制人格と、傀儡能力者により引き起こされたようではないか。
一体どこまで、何を知っているのか問い質したい所だが、しかし、答えてくれる保証もない。
苦虫を噛み潰した顔で、桐林は決闘の申し出を受ける。
「分かった……。猶予は」
『一時間。それだけあれば十分でしょ? 多分、とっくに舞鶴を出てるんだろうし。
なんだったら、応援を要請したって構わないしさ。動ければ、の話だけど。見た限りじゃ無理っぽいかなー』
せせら笑っている顔が、リストバンドの向こうに見えるようだった。
口振りから判断するに、敵 艦載機は舞鶴鎮守府を目視可能な位置へ到達している。射程圏内、という事だ。ひょっとすると、他の街へも……。
問題は、提示された猶予の間に、舞鶴で演習予定だった艦隊が辿り着けるか否か。
桐林が視線で問うと、村雨が軽く挙手して答えた。
「業腹だけど、言われた通りよ。今、加古さんたちがこっちへ向かっている途中なの」
「ちっ、あたしらも船で来てりゃ、直接ブン殴れるってのに……!」
憎き仇敵を目前にして、傍観するしかない。歯痒さに摩耶が舌を鳴らす。
金剛もブンブンと首を縦に振っているが、聞こえているだろう声を無視し、“元”少年提督は話を切り上げる。
『じゃ、決まりって事で。そうそう、僕への通信帯も教えておくよ。普通の演習みたいに喋りながらやろう。楽しみだなぁ、あぁ、楽しみだなぁ。クヒッ。周波数は――』
最後にとある数列を言い残し、音声は途切れた。
雪風があくせくメモを取り、「バッチリです」と頷く。用済みとなった拘束具も取り外す。
それを受けて皆が移動を再開するが、しかし電は納得できておらず、縋り付くように桐林へ訴える。
「司令官さん、無茶なのですっ。そんな身体で戦闘指揮なんて……」
「……やるしか、ない。ここは、京都なんだよな?
何があったかは知らないけど、あの言い方、舞鶴鎮守府の機能は麻痺しているんだろう。
他に増援を求めたとして、到着まで待っていたら焼け野原にされる。そんなの、駄目だ」
「でも……っ」
受け答えはしっかりし、もう摩耶の助けを借りなくても歩けているようだが、相変わらず顔色が悪い。
こんな状態で戦闘を行えば、戦いの最中に何が起こるか。電はそれが心配なのだ。
けれど、桐林は電の肩へ手を置き、前方を見据えたまま、己が決意を指に込める。
「大丈夫。あんなヤツに、負けない。負けてたまるか。絶対に、勝つから」
「電。諦めましょ? こうと決めた司令官は、絶対に止められないもの」
「……は、い……」
雷からも宥められ、しぶしぶ引き下がる電だったが、やはりまだ納得できない。
何より、桐林の言葉に違和感を覚えてしまった。
彼は今まで、勝つ事を目的に戦っていただろうか。
戦いを強いられる立場ではあるけれど、その中に別の意味を見出してきたのではなかっただろうか。
まるで、急き立てられるように。囃し立てられるように戦へ赴こうとする背中が、何故か、電を心細くさせる。
「……そうだ。ヤツの正体については、みんな知ってるのか?」
「確証はないが、な。吐噶喇列島の少年提督、なんだろう。違っていれば、ある意味安心なんだが……」
「いや。当たりだよ、木曾。
ヤツは深海棲艦と融合を果たした、元 人間。自分の先達に当たる。
本人も理屈は分かってないみたいだったけど」
「そうか……。何がどうなってるんだろうな、この世界は」
「……答えを知ってる奴が居るなら、自分も聞いてみたいよ。
どうして世界はこんなにも、悪意に満ちてるんだ、って。
詳しいことは後で共有しよう。今はとにかく急がないと」
「……そうだな」
天井を仰ぎ、木曾は眉をひそめた。
深海棲艦となった人間。
統制人格という存在をも生み出す、傀儡能力者だ。どんな不条理を引き起こしたとて不思議ではないが、それにしても。
しかし、本土爆撃の可能性が示された今、悠長に考察している暇などない。九名は足早に階段を上る。
ややあって、桐林たちは一階のエントランスを過ぎ、館の外へ出た。
金剛、摩耶が先行すると、外に残っていた皆は、欠員も無く改造四脚を無効化していたようだ。煙を吐き、動けなくなったそれらが沈黙していた。
金剛の姿を見つけた長門たちが、目を見開いて駆けつける。
「金剛っ、提督は……無事、だったか……」
「って顔!? 顔が無事じゃないクマっ、大惨事クマ!?」
「にゃ……。痛そうにゃ……。ついでに極道みたいにゃ……」
「おい。その言い方はどうにかなんないのか、君ら」
大きく息を吐く長門に続き、早速いつもの調子で纏わり付く球磨と多摩。
ヤのつく職業の人扱いをされ、桐林も苦笑いを禁じ得ない。これこそが本領なのだろうが。
次に話しかけてくるのは、陸奥、最上、三隈の三人である。
「あらあら。でも、傷は男の勲章だもの。格好良いわよ。……痛い?」
「ちょっと、な。しかし、陸奥に格好良いって言って貰えただけ、ありがたいさ。平凡な顔にも特徴が付いたかな」
「提督、ちょっと笑えないよ……。手術とかで消せるかな? ボク、後で調べてみるね」
「わたくしは陸奥さんに同意です。なんと言いますか、凄味が出て男らしくなられたように見えますわ、お兄様?」
「その呼び方はやめてくれ。癖になりそうだ……。ありがとうな、最上も」
腫れ物に触るような優しさで、陸奥の指が傷痕の側をなぞる。
いつも通りの口調に思えるが、彼女は今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべていた。
それがこそばゆいのだろう。桐林は茶化すように顔の右半分で笑うのだが、最上に気遣われ、おそらく本気の三隈に励まされ。ようやく肩から力が抜けたようだった。
裸足で彼が歩き出すと、今度は山城と扶桑が隣に並んだ。
「あ、あのぉ……。提督が無事だったのは良かったんですけど、敵は?
私たち、四脚の相手しかしてないんですが……。しかも途中から動かなくなりましたし……」
「……その事だが、込み入った状況になった。ここまではどうやって来たんだ? 扶桑、脚は?」
「文字通り、脚です。走って参りました。けれど、丁度良く……」
問いかける山城は、どこか物足りない様子だ。イマイチ活躍できていないと思っているらしい。
派手に動いて敵を引き付けるのも重要な役割なのだが、敵という単語に難しい顔をした桐林は、説明する間も惜しんで逆に話を振る。
扶桑が自らの太腿を摩り、たおやかな語り口で前方を――鉄門の吹き飛んだ塀の裂け目を示すと、大型装甲車が猛スピードで突っ込んでくる所だった。
思わず身構える桐林だったが、装甲車は彼らの数m手前でドリフトしながら停車。
運転席から、顔まで覆う鎧のような装甲服を身に付ける人物と、鎮守府・若年女性職員用の制服を着た少女が降り立つ。
動くのを渋る装甲車の制御コンピューターを蹴り直し、三隈のバイクは惜しみつつ放置して、山道と道路の法定速度をブッチ切ってきた、疋田と書記である。
「お、お待たせしましたぁ! 疋田 栞奈、完全武装で吶喊します! ――って終わってるじゃないですかー! やったー!」
「疋田さん、はしゃぎ過ぎです。……提督。ご帰還、大変嬉しく存じます」
太ましくゴツいシルエットに似合わない、可愛いらしい声で万歳する疋田。それを窘める書記は、桐林の前に立って最敬礼を。
呆気にとられていた桐林が正気に戻り、まずは書記へ答礼した。
「ありがとう、書記さん。早速だけど、舞鶴まで行けるかな。増幅機器が必要なんだ」
「でしたら、わざわざ出向かなくとも」
「こんな事もあろうかとー! ちゃんと積んで来ましたよ、ブースター・ベッド!」
「おお……。助かります。……というか、なんで居るんですか疋田さんは?」
「酷い!? 己が身と職を犠牲にしてまで助けに来たのに!?」
「ははは、冗談ですよ。ありがとうございます」
「うぅ、それでも酷いですよぉ。……ぁはは」
要請を受け、書記と疋田が装甲車の後部ドアを開けた。中にある簡易増幅機器を見て、桐林は感嘆の息を漏らす。
ついでに、見た目が特殊機動隊なせいで、落ち込む姿が妙にコミカルな疋田と笑い合っている。ほんの少し、空気が和らいだ。
その間、金剛が皆へと事情を説明し、戦艦たちが総出で増幅機器を運び出しを始めた。
装甲車の電源からでも起動は可能だが、稼働時間が短い。通ってきた街では電力が死んだまま。しかし金剛曰く、この館は電力が生きている。
おそらく発電設備があるのだろうと書記は判断。増幅機器を運び込み、安全確認をしたのち、館内部の電源を使おうという腹である。
危険だと分かった場合、装甲車に備え付けの手回し式大型発電機を、統制人格たちが死ぬ気で回すという地獄絵図が広がる事になるが……。
「どう、三隈? 使えそう?」
「はい。かなり旧式ですが、その分、信頼性は高いかと。爆発物も無いですし、大丈夫そうですわ、もがみん」
「では、運び込みましょうか。手近な部屋に固定しましょう。行くわよ、山城?」
「はい姉様! 例え地味な肉体労働でも、働けるだけありがたいと思う事にします! ふんぬらばっ」
「山城ー。その掛け声はちょっと逞し過ぎるぞー」
幸い、館脇の小屋にあったのは電子制御でなく、古いガソリン式の発電機だったようだ。ハッキングなどで無効化もされないだろう。
数百kgはある増幅機器を扶桑型姉妹が持ち上げ、電源コードや変圧器、ディスプレイなど、固定器具その他を皆で運ぶ。
流石に手伝うわけにもいかず、桐林はガニ股で歩く山城に声を掛けたりして、四脚の残骸に腰を下ろしていた。
電たちも手伝いに行ったため、一人だけだ。
「……はぁ。……っ、ふ、ぅ……ぁぁ……」
皆に気取られぬよう、桐林は左手で顔の傷を押さえる。
息が白く、荒い。
熱に浮かされ、痛みに喘いでいるように見えた。
「オイ、司令官」
「っ。……天龍?」
すると、残骸の影から音もなく、一人の少女が現れた。鞘に収めた長剣を肩に担ぐ天龍である。
己を見上げる、見慣れた顔を。
そこに刻み込まれた、見慣れない傷痕を一瞥し、彼女は桐林へ顔を寄せた。
「お前は怒ったっていい。それだけの事をされたんだ。
でもな……。憎しみだけで、戦うなよ。そうなったら多分、深海棲艦と何も変わらねぇ。
……あと、我慢ばっかしてんじゃねぇや、アホ」
ツン、と軽くデコピンし、天龍は早足で去っていく。
その後を追うように龍田が現れ、傷痕へ、濡れたハンカチを静かに押し当てる。
「ごめんなさいね~? 天龍ちゃん心配性だから~。けど、ワタシも同感。……貴方の護りたいもの、忘れちゃ駄目よ……?」
ハンカチを押さえるように桐林の手を取り、龍田はゆっくりとした歩みで立ち去った。
その背中を見送って、次に空を見上げる。
満月があった。
しばし見つめ、何か、感じ入るように右眼を閉じる。
数分後。誰かが近寄ってくる足音が聞こえ、彼は腰を上げた。
今度は書記の少女だ。
「提督、準備が整いました。こちらへ」
「……分かりました」
ぬるくなったハンカチを握りしめ、二人、連れ添って歩き出す。
呼吸は落ち着きを取り戻していた。
館に入り、書記の先導で左側通路、その右手前にある部屋へ。
ケーブルを跨ぎながら中に入ると、ビリヤード台や大型スクリーンなどが置かれる、遊戯室らしき部屋の中央に、簡易増幅機器が据え付けられていた。
脇には椅子が置かれており、更にその周囲には十個近いディスプレイが配置されている。書記が座る場所だ。
金剛、長門、扶桑、三隈、弥生、木曾、電……。
周囲に侍る仲間を一通り見渡してから、桐林はベッドの上に身を横たえる。
簡易型だけあって、普通の増幅機器とは細かい部分が違っていた。
腕にはめる籠手は同じだが、それを収める手すりも、肩を押さえつける装具も無く、代わりに素足を収め、固定する部分がある。後は色の濃いバイザーの付いたヘルメットを被るだけ。
それでも機能は遜色なし。書記の制御の下、桐林は同調状態に入り、海上を移動中の水雷戦隊――中継器を積んだ加古に意識を飛ばす。
暗い海。冷たい潮風と波飛沫。
月明かりを浴び、厳しい表情で正面をまっすぐに見据える、黒髪セーラー服の少女が見えた。
『加古。……加古。聞こえるか』
「――ンごっ!? は、えっ? この声……。提督!?」
しかし、桐林の声を受け取った瞬間、キリリとした少女は、しどろもどろになって狼狽えまくる。
来たるべき戦いに闘志を燃やしているのかと思いきや、立ったまま、目を開けて寝ていたらしい。器用にもほどがある。
が、その驚きは中継器を通じて他の五名にも伝わり、時雨や夕立、古鷹が驚喜の声を上げた。
《無事だったんだね……っ。良かった……!》
《ほ、ホントに提督さんっぽい? 提督さん? ぽい?》
『ああ。本物だよ、心配かけたか』
《当たり前ですよっ! 私たちだけずっと蚊帳の外で、もう……。心配してたんですからぁ……》
胸の上で両手を握ったり、子犬のように小首を傾げて何度も問いかけたり、目尻に浮かんだ涙を拭ったり。形は様々だが、心の底から喜んでいるのが見て取れた。
桐林が拉致されてからも、ろくに情報を得られず、ただ海を行くしかなかった彼女たちにとって、それは如何許りか。
残る大井、北上も同じだろうけれど、少々素直ではない彼女たちは、気掛かりな点を挙げる事で喜びを隠す。
《無事で何より……と言いたいんですけど、本当に大丈夫なんですか? なんだか、酷く疲れているような感じが伝わって来ますよ》
《あ、あたしも思った。声を聞けて嬉しいけどさ、なんか無理してない? 左眼がショボショボするし……》
言外に「休んでいろ」と言う二人だが、桐林はそれを良しとしなかった。
『自分としても、本当は全てを放り出したいんだけど、生憎そんなこと言ってられない。……敵を叩く。針路変更』
「敵? ……もしかして、提督を攫ってくれちゃった奴? いいじゃん、やられっ放しとか論外だしね!」
向かうべき方向を新たに指示すると、すっかり目を覚ました加古が、屈伸運動をしつつ不敵に笑う。
ここ一番に巡ってきた出番、張り切らない筈がない。時雨、夕立、古鷹も表情を引き締め、重巡、駆逐艦、雷巡の複縦陣が北東へ進む。
雷巡たちは不服そうな顔――特に大井が露骨に眉を歪めるも、積極的に反対したい訳でもないようで、無言で従っている。
「提督。まだ到着までは時間がありますし、仮眠をとってはどうですか? 詳しい経緯は私からお伝えしますので、少しだけでも……」
「……それも、そうですね。十分だけ、休ませて貰います」
「はい。どうぞお休み下さい」
少しばかり会話に間が空くと、すかさず書記が休息を提案する。
疲労は自覚していたようで、桐林も素直に頷く。一分と経たない内に、彼は寝息を立て始めた。
ヘルメットにはノイズキャンセリング機能がある。きっと安眠できる事だろう。
その間に、これまで起こった事、判明した事実、敵の正体などを、書記や木曾が加古たちへ説明するのだが、時を同じく、遊戯室に新たな人影が入室した。
二階より上層を捜索していた、吹雪たち第一班である。
増幅機器搬入の騒ぎを聞きつけたにしては、ずいぶん遅い登場だ。
「ン? Hey,ブッキー! テートクは確保したデスよー! ……あれ。どうかしましタ?」
吹雪の姿を認め、金剛が小声ではしゃぎながら駆け寄っていく。
しかし、喜ぶべきはずの所を、吹雪も、弥生も、他の皆まで異様に沈み込んでいた。
金剛は心配そうに顔を覗き込む。
「……あの、司令官は、今……?」
「テートクですか? チョーシこいたEnemyが挑戦状を叩きつけてきたのデ、加古たちを向かわせている所デス。It's Pay back Time!」
「……そうですか。重症を負ってたりとかは、ないんですね? うん、良かった……」
桐林の無事を確認し、ホッと胸を撫で下ろす弥生たちだが、やはり表情が暗い。
何か、思わしくない事案が発生したのだろうか。
問いかけてみようとする金剛を差し置いて、今度は陽炎、川内、霞の三人が話し合い始める。
「でも、どうするのよ、こんな時に。話さなくちゃいけないけど、話したら、きっと……」
「しかし、事は急を要するよ。このままじゃ、悪化する可能性だってある」
「じゃあ川内さんはどうしろって言うのよっ? ありのままを伝えろって言うの? そうしたら、あいつ……!」
「霞、ダメだよ……。落ち着いて……」
霞はかなり気を揉んでいるらしく、言動に余裕がない。慌てて霰がその抑えに入っていた。
諍いの声を聞きつけ、もともと部屋にいた者たちも彼女たちに注視しだす。
そんな時、無言で俯いていた那珂が、かつてないほど真剣な表情を浮かべ、自らの意見を述べる。
「那珂ちゃん、まだ話さない方が良いと思う。今、提督は戦いに集中してるんだよね?
……ううん。多分だけど、戦うことで、無意識に痛みを忘れようとしてるんじゃないかな……。
後で怒られるかも知れないけど、今は秘密にしておこう? じゃないと、心が折れちゃうよ……」
「……私も、同意見です。提督はお優しい方です。知れば、必ず自分を責めてしまうかと……。そんな状態では、勝てる戦いも、勝てなくなってしまいます」
言いながら、涙まで浮かべ始める妹に、神通が身を寄せつつ賛同する。
胸に迫るものがあった。事情は分からないまでも、周囲で見守る者たちにまで、それは伝わっていく。
吹雪が意を決して口を開いた。
「司令官には内緒で、お話ししなければならない事が……。出来れば、長門さんと陸奥さんも……」
「呼んだか、吹雪」
「あらあら。どうしたのよ、みんなで暗い顔しちゃって」
呼ばれるのを待っていたか、長門、陸奥の両名が間を置かずに参加する。
心苦しい、と物語る表情で、吹雪は己が目で見た“者”の事を語ると……。
「――んです。動かす準備をしておかないと……」
「……嘘デス、どうして、そんナ……」
「あの外道めっ! 一体どこまで……っ」
「長門、駄目よ。今は確認が先、ね?」
金剛は色を失い、長門が怒りで拳を握りしめ、陸奥だけが冷静に、次に行うべき事を指し示す。もっとも、その瞳に揺らぐ感情は、隠しきれていないのだが。
弥生を先導として、長門たちは遊戯室から駆け出していく。
不穏な空気が、漂い始めていた。
「……どうして、こんな事に……」
力無く、吹雪が呟いた言葉は。
何も知らない桐林の寝息にも負けるほど、弱々しいものだった。