新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と過去の亡霊

 

 

 五感を閉ざした暗闇の中に、翔鶴は立っていた。

 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。

 それら全てを除外し、まぶたを伏せ、外界からの情報を一切遮断している。

 己の中にある“流れ”へと、精神を集中させている。

 

 意識するのは自らの身体。

 素足に纏わり付く“流れ”が、膝上までを覆う硬質な装甲へと具現する。

 スカートの両脇では対空砲に。肘と手首では距離を置いて連結したバングルに。胸当てには「シ」の文字が刻まれ、右肩に飛行甲板。背中には矢筒が。

 そして、翔鶴は左手を前方に差し出す。

 全身を包んでいた“流れ”は、最終的に手の平で凝固し、一張りの和弓となった。

 伏せられていたまぶたが、開く。

 

 

「ふう……」

 

 

 青。

 境目の曖昧な青が、翔鶴の眼前に広がっていた。

 鼻を潮の香りがくすぐり、海風は白い髪をたなびかせる。

 昇降機の駆動音に振り返ると、中部昇降機から二式艦上偵察機が姿を現す。

 無数の使役妖精たちが発艦位置へ押しやり、旗を振って合図。

 一つ頷いた翔鶴は、矢尻が航空機の形状をした矢を番え、静止する。

 矢尻と二式艦偵が同期し、大きさの違うプロペラが、全く同時に回転を始めた。

 やがて、回転数が一定を上回ったのを見計らい――

 

 

「全航空隊、発艦始め!」

 

 

 ――二つの艦偵は、空へ羽ばたいた。

 矢は偵察機と重なるようにして姿を消し、翔鶴からの意思を十全に満たす。

 見下ろすそこは、横須賀鎮守府の直近、東京湾。翔鶴の側に、姉妹艦である瑞鶴と、一航戦・加賀。軽空母である飛鷹・隼鷹、あきつ丸の艦影がある。

 離着艦する偵察機を合わせれば、その数は五十を越えるだろう。

 

 その目的は、提督を拉致した車輌の発見・追跡。

 事件現場から西へ逃走したという軍用トレーラーだが、目立ち過ぎる車を乗り換えたのか、目撃情報はすぐに途絶えた。

 しかし、燃料資源の殆どを軍が統括するこの時代、走っている車の数自体が少ない。

 陸軍の諜報部隊はすぐに当たりを付け、今はその車を上空から探している所だ。

 

 

「お疲れ様、瑞鶴。後は任せてちょうだい」

 

「……翔鶴姉。うん、分かった。お願いするね……」

 

 

 翔鶴は、隣り合う船の上で、左肩に飛行甲板を付ける妹を気遣う。

 胸当てに「ス」の文字を抱く瑞鶴がそれに答えるけれど、表情は硬かった。

 彼女たち、桐林艦隊に所属する空母が、提督拉致の報を受けて捜索を開始し、すでに一時間が経過しようとしている。

 元々、午後は空母たちによる艦隊内演習が予定されていた為、速やかに捜索へ移行することは出来たのだが、結果は芳しくない。

 報を受けた時、翔鶴は艦載機の積み込み途中であり、慌てて二式艦偵を追加したせいで、参加は最後になってしまった。艤装の召喚が遅れていたのはこの為である。

 

 

「大丈夫? とても顔色が悪いわ。下がる?」

 

「ううん、平気。……休んでなんか、いられないもん」

 

 

 姉の言葉を珍しく断り、瑞鶴がまた弓を弾いた。着艦した二式艦偵の代わりに、新たな機体が発艦して行く。

 演習目的だったため、艦載機に積んだ燃料はかなり少ない。第一陣はそのまま発艦させ、第二陣からは他艦載機の燃料を移し替え、稼働時間を伸ばしている。

 直接街の上空を通過すると、何某かの緊急事態である事が国民に分かってしまうため、海上へ向かわせて高高度から本土へ引き戻すという、非常に手間の掛かる捜索となっていた。

 おまけに、街中での墜落を避けるため、かなり早めの帰還を義務付けられた。それを考えれば、とにかく手は多い方が良いのだから。

 

 

「全く、トンでもない事態になっちまったもんだねぇ」

 

「よりにもよって、提督が拉致されるだなんて。正直、平和ボケしてたわ……」

 

 

 同じく艦載機を制御する軽空母、隼鷹・飛鷹。

 隼鷹のあっけらかんとした雰囲気は成りを潜め、生真面目な飛鷹は眉を鋭角に。

 普段の彼女たちを。食事処で働く彼女たちを知る人間が見れば、驚くような代わり振りだった。

 艦隊に呼ばれてからというもの、こなしてきたのは客商売にパーティーの随伴。

 ともすれば、軍艦としての役目を忘れてしまいそうな……夢のような日々だったが、もう微睡んではいられない。

 

 

「貴方たち。無駄口を叩く暇があるのなら、索敵へ集中なさい。話に夢中で見逃した、などと、言い訳にもならないわ」

 

 

 それを如実に物語るのは、加賀の厳格な声である。

 表情はいつもと変わらないように見えるが、身に纏う雰囲気は硬質だった。

 口調だけは軽い隼鷹が「へーい」と返し、飛鷹も短く「了解」と。

 別段、窘められた事は気にしていない二人だが、代わりに瑞鶴が噛み付く。

 

 

「そういうアンタは、なんで平気な顔してられんのよっ。提督さんが拉致されて、どんな目にあってるか……!」

 

「瑞鶴、やめなさい。そんな言い方……」

 

「だって!」

 

 

 あきつ丸に積まれた中継器が伝える加賀の表情は、いつも通りだった。

 遠く、彼方を見据える瞳。仲間へかける声。緩やかな曲線を描く眉。何一つ変わらない。

 いつも笑っていた彼が。出掛けに、「お土産買ってくるからなー」と手を振っていた彼が、帰ってこないのだ。

 ひょっとしたら、もう二度と……なんて考えるだけで、崖っ淵を目隠しで歩かされているような気分にさせられる。

 だというのに、どうしてそんな風に振る舞えるのか、瑞鶴には理解できなかった。

 けれど、あくまで冷静に弓を引く加賀は、平然と答える。

 

 

「一番に辛いのは……私ではないからよ」

 

「……あ」

 

 

 静かな声に、ハッとさせられた。考えるまでもなく、分かってるはずの事だった。

 一番辛いのは。悔しいのは、彼を守るはずだった統制人格だと。

 長門と木曾は、土下座せんばかりの勢いで謝り続けていた。

 摩耶は怒りを露わに飛び出そうとし、雪風と鳥海に止められていた。

 そして、ペタンと地面へ座り込み、人目も憚らず泣いていたのが、霞だ。「どうして私は、こんなにも弱いの」と。一言だけ呟いて、ただ、静かに。

 満潮たちと去っていくその背中には、誰も声を掛けられなかった。

 

 

(分かってた、はずなのに。私、なんで……)

 

 

 声は掛けられなかったけれど、皆、思うことは一つのはずだった。

 提督の奪還。

 瑞鶴もまた、怒りにも似た激情を抱き、胸に秘めたまま弓を弾いていたのだから。

 だが、時間と共にそれは焦りへと変貌し、苛立ちを募らせて、当たり散らして。

 恥ずかしさに、瑞鶴は弓を固く握りしめる。

 

 

「まぁさ。イライラすんのも分かるし、色々と大変だけどもさ。今は内輪揉めなんて止めとこうよ」

 

「そうね。最優先事項は提督の発見と、身柄の確保。喧嘩も後悔も、その後にしましょう」

 

「……分かってるってば、そんな事! ……ごめん、ちょっと頭冷やす」

 

 

 しかし、瑞鶴の気持ちもまた、皆にとって理解できるものである。

 唐突に奪われた日常。存在の根幹たる能力者を握られ、数秒後には消え去ってしまうかも知れない恐怖。誰もが己を保とうと努めているだけで、誰もが等しく不安なのだ。

 事実、桐林艦隊の空母の側には、他提督の空母が控えていた。万が一、瑞鶴たちが突然消失した場合、偵察部隊に混ぜた自らの艦偵を介し、制御を拾い上げるために。

 だからこそ、隼鷹・飛鷹からの言葉を受け止め、瑞鶴は自らの頬を叩く。

 キチンと謝るのは後で。今は、もっと優先すべき事があるから。

 

 気を取り直した妹の姿を見て、翔鶴もホッと一息。

 そのまま、加賀へと思念を送る。

 

 

(加賀先輩。敵の狙いは、やはり……)

 

(でしょうね……。赤城さんも、それを危惧しているわ)

 

 

 敵の狙いが軍へ打撃を与える事ならば、簡単だ。提督を殺してしまえば良い。数十の傀儡艦が一瞬で失われる。

 それをしないという事は、彼の存在そのものが目的であるという事に他ならない。

 世界でただ一人。最初から感情持ちの傀儡艦を励起可能な男。

 研究材料として、実験材料として、これ以上魅力的な存在もないだろう。

 彼の意思が考慮される訳もなく、生きてはいても、無事に帰って来る可能性は……。

 悪し様な考えかも知れないが、希望を持てるだけの要素も見つけられず、翔鶴と加賀は、人知れず溜め息を零した。

 

 

「……っ! 見つけたっ、こちらあきつ丸! 対象車を発見! 繰り返す、対象車を発見したであります!」

 

 

 そんな時、頑なに沈黙を守っていたあきつ丸が声を上げた。

 歓喜の声にも聞こえる知らせに、事態は大きく動き出す。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

『――以上が、偵察部隊からの情報です。追跡をお願いします!』

 

「……ったく、遅ぇってんだよっ」

 

「赤城さ~ん? もう開始しちゃってるから、安心して~」

 

 

 書記の少女が繋ぐ、通信機越しの赤城の声。

 待ち望んだ一声を聞き、フルフェイスヘルメットの天龍のみならず、彼女が跨る大型二輪車も叫ぶ。

 前輪を上げ急加速するその背中で、ハーフヘルメットを被る龍田が微笑んでいた。

 

 

「天龍様の御通りだぁ! 前を塞ぐと轢いちまうぜぇ!」

 

「他にだぁれも走ってないけどね~」

 

 

 天龍たちが走っている道は、関東大震災で崩落した高速道路を再建した、新・首都高速四号 新宿線である。

 普段はそれなりに通行量のある高速だが、今日は珍しく他の車はない。好都合だった。

 あきつ丸からの情報によると、追跡対象車であるワゴンは、何故か身を隠しやすい一般道から、航空機に丸見えの高速道路へと、わざわざ現れたというのだ。しかも、西へ向かう主要な道路に、複数台が。

 怪しい事この上ないけれども、見逃しては敵にむざむざ身柄を渡すも同義。

 情報は即座に地上部隊へ伝えられ、道路をゆっくり西へ向かっていた追跡部隊のうち、直近の班が追跡の任に就いた。

 現在、新首都高を経由し、中央自動車道を走る天龍たちも、その一班である。

 

 

(このスピード……。ホント、三隈様々だな)

 

 

 天龍が乗る、レースにも使われそうなフォルムを持つ電動大型バイクは、三隈による改造が施されていた。

 そのままでも最高時速は三百kmを越えられるが、リミッターを外すと時速四百kmほどまで加速できる。八王子を抜けようとする対象車へ追いつくのに、役立ってくれるだろう。

 他の対象車は、第三関越自動車道、旧・東名高速道路や細い国道などを通っているらしく、そちらには最上型の二輪車隊が二組、妙高型の車輌隊が一組、追跡に向かっていると聞いた。

 競争、という訳ではないが、どうせなら一番槍に立ちたいものである。

 

 

「……? 天龍ちゃん、あれじゃないかしら?」

 

 

 そんな時、背後の龍田が前方を示した。

 急速に大きくなるワゴン車の後ろ姿。伝え聞く特徴と、ナンバーも同じ。

 見つけた! と天龍は口角を上げるが、次の瞬間、後部ドアから銃口が覗く。

 

 

「ぬぁったぁ!? アッぶねぇ……。んのぉ……!」

 

 

 慌てて左へハンドルを切ると、音速を超える銃弾が右手を掠めていった。

 その上、銃撃はタイミング悪く……いや、タイミング良く別れ道の手前であり、天龍たちは高架に、ワゴン車は少し前方で下をくぐる道へと入ってしまう。

 だが、ここで諦めるほど、この二人はヤワではない。

 加速するバイクは、旧・八王子ジャンクションへと差し掛かる。

 左が青梅、右が厚木へと向かう別れ道を、迷わず右に。ハンドルを真っ直ぐ固定し、防音壁へ突っ込む。

 

 

「龍田ぁ!」

 

「りょうか~……いっ」

 

 

 あわや衝突、という寸前に、召喚された龍田の艤装から、特注の榴弾が発射された。

 炸裂音。

 粉塵を突き破り、二人を乗せたバイクは空中へ身を躍らせる。

 奇しくもそれは、下の道を通っていたワゴン車の真上。

 龍田が天龍の腹に回していた腕を離す。

 自由落下に合わせ、彼女は薙刀を下へ構えた。

 

 

「ちぇすと~」

 

 

 気の抜ける声と共に、その刃はフロントガラスと車体を突き抜け、コンクリートへ突き刺さる。

 不快な掘削音を伴い、ワゴン車が龍田を乗せたまま、薙刀を軸に大暴れし始めた。

 向かう先には、長剣・紅蓮を構える少女の姿。

 ワゴン車が近づくに合わせ、天龍は剣の腹を身体の前に。地面をしっかりと踏みしめて。

 

 

「――フンッ!」

 

 

 気合一声、ワゴン車を“受け止めた”。

 車体の横っ腹がへしゃげ、同時に龍田が跳躍。天龍の背後へ降り立つ。

 あちこちから煙を吐く車の中は、相当ヒドい事になっているだろう。

 けれど、天龍が受け止めた分、衝撃は殺せている。怪我で済んでいるはず。

 それを確かめようと、天龍たちは歪んだ後部ドアを無理やりに開く。

 中には、気を失っているらしい黒尽くめの人間が四人と、黒い軍服を着せられたマネキンが一体。それだけだった。

 

 

「チッ、外れかよ。仕方ねぇ……」

 

「お顔だけでも拝んでおかないとね~」

 

 

 提督の姿を確認できず、天龍は舌打ちしながら誘拐犯の一味を道路上へ引きずり出す。

 せめてもの駄賃として、顔ぐらい拝んでやらねば気が済まない。

 同時に、身体に爆発物などが巻かれていないことも確認する。

 提督の攫われた現場で、拘束されたまま残されていたという犯人も、派遣された陸軍の回収を待たず自爆したと聞く。

 うっかり巻き込まれでもしたら……。まぁ、痛い思いで済むだろうが、マゾヒストでもない限り勘弁して欲しい事である。

 だが……。

 

 

「……お、いおい」

 

「あら~……こっちも……」

 

 

 手足を拘束し、一人、二人とマスクを外した時点で、姉妹の顔色が変わった。

 三人目、四人目まで行くと、驚愕の表情で互いを見つめている。

 これは一体、どういう事なのか。頭に答えは浮かんでいても、理解が追いつかない様子だ。

 気不味い沈黙が続くかと思われたが、しかし程なく静寂は破られる。

 バイクに据えられた通信機の受信音。

 考えこむのは一先ず止め、二人はバイクへ向かう。

 

 

『もっしもーし! こちら鈴谷ぁ。こっちで一台止めたんだけど、天龍さん、そっちどぉ?』

 

「鈴谷か。オレの方も止めたんだが、外れだった。そっちは?」

 

 

 良くも悪くも、緊張感のない声は、鈴谷の物だった。

 はるか彼方。第三関越自動車道に立つ彼女の側にも、タイヤが外れ、動きを止めたワゴン車が。側には熊野の姿もある。

 しかし、通信機に返す言葉は暗く、鈴谷は肩を落とす。

 

 

「こっちも外れ。提督、乗ってなかった……」

 

『そうか……。まぁ、気を落とすなよ。まだ高雄や最上たちが残ってるしな』

 

 

 通信機越しの天龍はそう言うが、やはり鈴谷の気は晴れない。

 もし、ここで提督を取り戻せていたなら、「今回はヤバかったねー」と笑い話にできたのに。

 ついでに恩でも着せて、服やアクセサリーを一緒に買いに行ったり……。などと妄想していたせいか、現実の冷たさが身に染みる。

 せっかく覚えたバイクの運転も、彼を後ろに乗せてドギマギさせるのではなく、こんな奴らの追跡に使わされてしまったし。

 そんな鈴谷を気遣ってか、熊野が肩を叩き、話を変えようと別の懸念材料を指し示す。

 

 

「それよりも、鈴谷さん? 下手人の……」

 

「っと、そうだった。ねぇ、そっちの運転手とか捕まえた?」

 

『あぁ……。捕まえはした、けどよ……』

 

『もしかして~……そっちも全員、同じ顔してたりするかしら~?』

 

 

 犯人を確保出来たのは良い。問題は、その顔にあった。

 天龍たちが捕まえた四人の男も、今、鈴谷の側に転がっている四人も。全く同じ顔をしていたのである。

 予想通り、といった風に、熊野が溜め息をつく。

 

 

「やはり、そちらもでしたの。ひょっとしたら、こちらの下手人と同じ顔かも知れませんわね」

 

「ここまでくると気味悪いよねぇ……。四つ子が二組、な訳ないし。コイツらって……」

 

 

 スカートを織り込みつつ鈴谷がしゃがみ、昏倒する男を木の枝でつっつきながら言い淀む。

 知識として、彼らを表現し得る言葉は知っている。

 しかし、それが現実に起こったのだとしても、にわかには信じられなかった。信じたくなかった。そんな思いが断言させるのを躊躇させているのだ。

 今度こそ静寂が広がる……かと思いきや、またも割り込むような受信音が響く。

 鈴谷はすっくと立ち上がり、バイクへ小走りに駆け寄る。

 

 

『こちら妙高! 皆さん、聞こえていますかっ!?』

 

「わっ。み、妙高さん? 声おっきぃ……」

 

 

 受信ボタンを押すと、旧・東名高速に居るはずの妙高の声が、大音量で轟いた。

 耳鳴りに耐えている鈴谷の代わりに、天龍が彼女へ問いかける。

 

 

『落ち着けよ妙高。……まさか、司令官を確保したのか!?』

 

『いや、司令官の姿は無かったんだが……』

 

『それより、犯人たち側に居るーっ?』

 

 

 身を乗り出すような問いに答えたのは、難しい顔でもしていそうな那智。

 続いて足柄の声が割り込み、耳の回復した鈴谷が犯人を見やる。

 

 

「え? 居るけど……。あ、顔の事? だったら――」

 

『今すぐ離れて下さいっ!』

 

『その人たち、お腹の中に爆弾があるみたいなんですーっ!』

 

「――なんですって!?」

 

 

 焦る妙高と、羽黒の泣き出しそうな叫び声に、熊野が驚愕したわずか数秒後。ひび割れた爆音が、妙高たちの使う通信機を震わせた。

 横転した軍用ジープの側で、煤に薄汚れた四姉妹は顔を青くする。

 

 

「す、鈴谷っ、熊野!?」

 

「天龍、龍田っ? 返事しなさいよぉ!」

 

 

 奪い合うように那智と足柄が呼びかけるも、返事はない。

 まさか、爆発に巻き込まれて傷を……。

 嫌な想像を頭で必死に否定するけれど、長い沈黙が心を挫こうと続く。

 やがて、羽黒のまなじりから雫が零れそうになると、ようやく通信機にノイズが入った。

 

 

『ひやぁあぁぁ……。死ぬかと思ったぁ……』

 

『全く……。自爆だなどと、下劣な輩ですわ!』

 

『……久々に、頭に来たぜ……っ』

 

『やだ~、お洋服がコゲコゲ~。……許さないから』

 

 

 立て続けに聞こえてくる、鈴谷、熊野、天龍、龍田の声。

 無事なのを悟り、妙高が安堵の溜め息をつく。

 

 

「はぁ……。皆さん、ご無事で良かった……」

 

「心配させるんじゃないわよぉ、もう」

 

「しかし、敵は徹底しているな。ここまでやるとは……」

 

「……あっ! 最上さんたちにも知らせないとっ」

 

 

 足柄が道路へ大の字に。那智が考えこむように首をひねる。

 妙高たちが犯人を確保した際にも、爆発物の有無は確認した。それでも彼らは自爆してしまった。巻き込まれなかったのは、全員が運良くジープの側へ戻っていたからだ。

 となれば、爆発物は身体の中に仕込まれていたという事になる。

 同じ顔。腹の中の爆弾。そして、意識がなくても自爆する仕掛け。命を軽んずる、外道の所業であろう。

 未だ連絡が無い最上たちは、恐らく追跡の途中。羽黒が大急ぎで連絡をつけると、彼女たちは驚いた様子だったが、しっかりと状況を把握してくれる。

 

 

『うん、話は聞いてたよ。ちょうど捕捉した所だったんだけど、やっぱり仕掛けない方が良さそうだね。街中だし』

 

『このまま距離を取りつつ、水偵も併用して尾行致しますわ』

 

 

 一般道を走っているらしい最上たちと通信を終え、天龍は融けかけたバイクの影から立ち上がる。

 先程まで、ワゴン車と犯人たちが居た場所は、ナパーム弾を炸裂させたように融解していた。跡形も無い。

 

 

「踊らされてる気分だぜ」

 

 

 ボロボロになった衣服から覗く肌を手で隠し、天龍は暮れなずむ空を仰いだ。

 頭上を塞ぐ道路たちが、まるで釈迦如来の指にも思えてくる。

 重くのしかかった五行山を退けてくれる、旅の法師でも現れて欲しいと、本気でそう思う。

 気が付けば、同時多発テロ発生から、すでに三時間が経過しようとしていた。

 

 

「とりあえず……。三隈への言い訳も考えなきゃなぁ……」

 

「おシャカにしちゃったものね~……。あの子、落ち込まなければいいけど~……」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 西日の差し込む宿舎は、そこだけ違う惑星にでもなったかの如く、重苦しい空気で満たされていた。

 通常任務が全て破棄され、普段よりも人は多いはずなのに、賑やかさは全く感じられない。

 ここに居ない統制人格……。捜索任務に就く空母たちや天龍たち。遠く舞鶴での演習申し込みを受け、呉を経由して日本海へ向かっている、古鷹、加古、北上、大井、時雨、夕立の六名は、ある意味で幸せだろう。

 

 

「……はぁ……」

 

 

 一人、食堂の長卓で溜め息をつき、尻で椅子を磨くことしか許されない、吹雪よりは。

 赤城が臨時で指揮を執っているとはいえ、彼女たち統制人格は、人間と同じような自由行動を許されない。

 提督が不在の今、その行動はより上位の人間による監督下に置かれ、一々お伺いを立てねばならなくなった。

 故に、活動を許された一部の統制人格以外は、この宿舎で缶詰になる事を余儀なくされている。

 皆の命が掛かった緊急事態。少しでも役に立ちたいという吹雪の思いは、決して果たされない願いなのである。

 だからこそ、動ける仲間たちを羨み、待機するしかない自身を省みて、溜め息がこぼれてしまうのだ。

 

 

「溜め息をつくと、幸せが逃げちゃう……って、よく言うよ?」

 

「え? ……睦月ちゃん」

 

 

 背後からの声に振り返ると、そこには白と緑のセーラー服を着る少女が……睦月が立っていた。

 いつもの少しおどけた様子もなく、苦笑いにも見える笑みを浮かべる彼女は、「隣いい?」と尋ねてから、吹雪の横へ。

 

 

「なんだか、大変な事になっちゃったね」

 

「うん……。睦月ちゃんは、大丈夫?」

 

 

 艦隊へ呼ばれた時期が近い事もあり、この二人は仲が良かった。

 史実での先輩後輩も関係なく、共に初実戦へ向けて演習を重ねる間柄だ。ネームシップ同士、という共通点もある。

 そのため、他の統制人格とは気を遣って話せない事も、自然と話題に上がる。

 

 

「私は全然……というより、まだ実感が湧かない、っていう感じ、かなぁ。提督が、攫われちゃったなんて」

 

「そうだよね……。私も、そうなのかも」

 

 

 どこか他人事のように、二人は揃って辺りを見渡す。

 閑散とした食堂。普段とはまるで違う光景に、人影がダブる。笑っている提督と、周りで同じように笑う、統制人格たちが。

 居ないはずの彼らの気配を、簡単に思い出すことが出来るせいで、火急の事態である事こそが嘘のようだ。

 もちろん、そんな考えではいけないのも分かっている。

 提督の所在が判明したら、吹雪たちは地上部隊として駆り出されるだろう。

 たとえ練度は低くとも、決して死なない兵士――否、兵器として。

 気を抜いてはいけないと、分かっている。……分かっているから、縋ってしまうのかも知れないが。

 

 

「なんだか……」

 

「……ん?」

 

「なんだか、こんな時に変だけどね? 今すっごく、提督とお話ししたいなぁ、とか思っちゃって。私、どうしちゃったのかな……」

 

 

 軽く伸びをした後、下ろした手を太ももへ挟み込み、睦月は再び笑う。今度は、間違いなく苦笑いだった。

 まだ一~二ヶ月の付き合い。彼女と提督が言葉を交わす機会は少なかった。

 出会った時と、親睦を深めるためのレクリエーション会議と、食事を何度か共にしたくらいか。

 よく笑う人だなぁ……という印象を抱き、それ以上はこれから知っていくのだろうと、思っていたのに。

 いつでも話せると思っていた人が、居ない。

 暖房はついているはずなのに、どうにも、耐え難い寒さを感じる睦月だった。

 

 

(……司令官なら、どんな言葉を掛けてあげるんだろう。司令官なら……)

 

 

 落ち込んでいる睦月を見て、吹雪もまた想いを馳せる。

 提督ならば、こんな時、どうやって彼女を励ますのだろうか。

 大丈夫と言い張る? 話を逸らせて気を紛らわす? 全てを受け止めてあげるのだろうか。

 どれが正解にしても、そうした後、睦月は暗い表情を浮かべてはいないと思えた。

 怒ったり、悲しんだりするかも知れないが、その後は絶対、笑っているような気がした。あの夜の、村雨のように。

 けれど、吹雪には出来ない。

 不安に肩を落とす仲間へ、どう喋りかけていいか、分からない。

 悔しくて、寂しかった。細い肩に手を置いて、ただ側に居ることしか出来ない自分自身が、不甲斐なかった。

 

 そこへ、二人連れの少女が歩み寄ってくる。

 一方は黒いセーラー服に白タイの少女、望月。もう一方は吹雪と同じ服装の初雪だ。

 

 

「よーっす。何してんの、二人とも」

 

「望月ちゃん。特には……。ちょっとお話ししてただけで」

 

「それより、初雪がこんな時間に起きてるなんて、珍しいね?」

 

 

 軽い調子の望月に睦月が答え、吹雪は首をかしげる。

 いつもなら昼寝を満喫しているだろう、ぐうたら二人組が揃って食堂へ顔を出すとは、とても珍しかった。

 いや、寝ぼけ眼な初雪に見るに、昼寝自体はしていたようだ。

 

 

「ボーっとしてたら、いつの間にか寝てて……。夢、見ちゃった……。司令官の……」

 

「……そうなんだ。初雪ちゃん、どんな夢? って聞いても良い?」

 

「エッチぃ事、される夢」

 

『え゛っ!?』

 

「――を見て、周囲に勘違いされたのを、怒られる夢……。ゲンコツ、夢なのに痛かった……」

 

「なんだ……。ビックリした……。じゃあ、望月ちゃんは? まさか初雪と同じような……?」

 

「んな訳ないじゃん。あたしは逆に眠れなくてさ、宿舎をうろついてたら初雪と鉢合わせして、なんとなく……ってとこかなー。つーか、睦月が戻ってこないんだけど?」

 

「エッチぃ事……怒られ……うにゃあ……」

 

 

 どんな想像を始めたのか、真っ赤な顔を両手で隠し、睦月はボソボソと。

 吹雪が「おーい」と手を振っても、初雪が「むっつり、スケベ?」と呟いても、望月が「あぁぁ、しんどぉ……」とボヤいても、反応はない。

 不謹慎なのだろうが、この一瞬だけ。吹雪の周りだけ、宿舎の雰囲気は普段通りに戻っていた。

 それに釣られた少女が、また一人。

 

 

「ったく、アンタの周りはいっつも騒がしいわね。吹雪」

 

「み、満潮ちゃん。これは、そのぉ……」

 

「別に、怒ってる訳じゃないわよ。緊張し過ぎてたら、いざという時に動けないし。良いんじゃない」

 

 

 顔は笑っていないけれど、言葉尻はどこか優しい、サスペンダースカートに白いシャツの少女。満潮。

 その登場に、場の雰囲気が重さを取り戻してしまう。

 思い出してしまうからだ。彼女の、姉妹艦の事を。

 途切れた会話を繋ごうと、吹雪はしどろもどろになりつつ、口を開く。

 

 

「……あの、えっと……」

 

「霞のこと? それとも電のこと?」

 

「……り、両方?」

 

「霞は部屋で寝てるわ。電は、暁と雷に付き添われてる。放っておくと、一人で探しに出ちゃいそうだもの」

 

 

 意外なことに、満潮は饒舌だった。彼女も、誰かと話すことで気を紛らわしたかったのだろう。

 襲撃の報が鎮守府を揺らして、わずかに十数分後。護衛として同行していた統制人格たちは、自らの船の上に身体を現出させた。

 傷は負っていなかった。消滅退避――過剰なダメージによって破損した躯体を、再構成したためである。

 しかし、傷付いたのは肉体ばかりではない。悔しがる他の五名と違い、霞はしばらく茫然自失していたという。

 座り込み、立ち上がろうともしない彼女を、満潮たちがなんとか宿舎へ連れ戻り……。

 電と対面して、決壊した。「司令官さん、は?」という、か細い問いに。

 

 電は卒倒しかけ、それでも気丈に振舞おうとしていたが、周囲の判断で部屋へ戻された。霞も同様である。

 彼女たちを気遣う面々と、対面に追われる面々。自然と役割が分かれ、それに取り残されたのが、吹雪たち。

 いの一番に捜索へ出たがると考えられた金剛すら、我を通せば足並みが乱れるからと、拳を握り、ぎこちなく笑顔を作って。

 

 

「なんでかしらね。いつもなら誰にだって、なんでも言えるっていうのに、肝心な時は何も言えないのよ。……弱いのは、私も同じなのに」

 

 

 吹雪の対面へと腰を下ろし、長卓に上半身を投げ出す満潮は、九十度傾いた世界で自嘲する。

 彼女も、吹雪と同じことを悩んでいたのだ。

 苦しんでいる仲間を、姉妹を目の前にして、臆病になってしまった。

 叱咤すれば、折れてしまうかも知れない。優しい言葉で癒せるほど、霞の傷は浅くない。だったらどうしたら良い。

 どうしたら、どうしたら、どうしたら……。

 考えても答えは見えず、逃げ出したのだ。霞から。

 

 誰も彼もが、これまでと違う戦いに直面させられていた。

 ただ命を掛けるだけでは、絶対に勝ち得ない戦いに。

 ガタガタ、ゴトゴト。

 

 

「……んん?」

 

 

 不意に、場違いな物音が聞こえてきた。

 吹雪が周囲を見渡すと、少し離れた場所――那珂特注のカラオケセット、大スクリーンを背後とする舞台の床が、動いているように見える。

 

 

「どうか、した?」

 

「あ、いや。床が……」

 

「……なんだぁ、あれ」

 

 

 初雪の問いにその地点を指し示すと、望月が眠たそうな半眼を更に細くし、見間違いではない事を証明してくれる。

 五人はうなずき合い、足音を殺して近づく。

 一歩、また一歩と歩み寄るうちに、音は大きく、揺れも激しく。

 そして、皆が艤装を召喚。椅子を構え、ちょっと背伸びをして覗き込もうとした瞬間――

 

 

「ぬおりゃあっ!!」

 

「うひゃあっ!?」

 

 

 ――床が弾けた。一緒に、男らしいと表現するには高音な、女性の叫び声も。

 予想外……ではなかったのだが、予想以上の勢いに、吹雪は尻餅をついてしまう。

 しかし、次に彼女が浮かべた表情は、驚きは驚きでも、床が弾けた事への驚きではなかった。

 

 

「……って、貴方は確か……疋田、さん?」

 

「はぁ、はぁ、はぁ、ど、どうも……」

 

 

 予想外だったのは、埃まみれな女性の姿。

 誘拐事件に関わった中で、唯一無傷の帰還を果たし、故に敵性勢力との繋がりを疑われ、検査の名目で身柄を拘束されているはずの、疋田 栞奈が居たからである。

 鎮守府若年女性職員の制服――書記の少女や、攫われた整備主任と同じ格好が、年の割りに似合っていた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

(……痒い)

 

 

 最初に感じたのは、左目の奥の、こそばゆい痒みだった。

 次いで、異様な倦怠感と顔の痛み。まぶた越しに網膜を焼く光を感じる。

 ベッド……? 横になっているのか……。

 

 

(なんだ、これ……。顔に何か、巻かれてる……?)

 

 

 意識が覚醒を始めると、徐々に違和感が増えてくる。

 顔の左半分に、何か布のような物が密着していた。……包帯?

 唇にも違和感が……こっちは、テープでも貼られているんだろうか。引き攣るような感覚が頬へ繋がり、包帯の下へ続いている。

 触って確かめようと左腕を動かすと、チャリ、という細かい金属の擦れる音がした。

 なんだ。今の嫌な音。

 

 

「――な、んでっ」

 

 

 どうにか首だけを起こせば、その正体はすぐに判明した。細い鎖だ。

 革製の腕輪から、ベッド下へ垂れている。

 自分の身体を確かめてみると、足首にも同じような物が巻かれていて、手術着に似た緑色の服を着せられていた。

 拘束? 捕えられた。敵に捕まったのか!? 自分は、主任さんを背負って、それから……。

 

 

「目が覚めたかい、“後輩君”」

 

 

 声を掛けられ、そこでやっと気付く。ベッドの右手側に、“何か”が居るのだ。

 白過ぎる髪、アメジストの瞳。黒いフード付きコートと黒いマフラー。前は大きく開かれて、豊かに膨らんだ黒いビキニと、青白い肌を見せつける。

 顔付きは、少年のような溌剌さを内包した、ボーイッシュな少女にも思えるが、おそらく人間ではない。少女の形をした、反対向きのパイプ椅子に座る“何か”。

 

 

「あ。今さ、僕のことツクモ艦……じゃないんだっけ。深海棲艦、って思ったでしょ? 失敬しちゃうなぁ。外れじゃないけどぉ」

 

 

 驚愕の視線を向けられると、“それ”は不服そうに唇を尖らせ、椅子の背もたれへ顎を乗せる。

 愛嬌のある……と感じてしまった自分が信じられないが、十中八九はそう思ってしまうだろう、豊かな情動を感じさせた。

 深海棲艦? 本人も認めてる……けど、これほど感情豊かなのは、今まで見たことが無い。

 目の前に居る“これ”と比べたら、喋りもしないル級やタ級は言わずもがな。双胴棲姫だってまだ控えめだ。

 という事は、双胴棲姫以上の存在なのか? いや、それ以前に、自分を捕らえようとしていた奴らとはどういう関係なんだ。どちらが上なのかによって、大きく意味合いが変わってくるぞ。

 

 

「ここは……どこだ。お前は……っ」

 

「うんうん。普通に喋れてるね。さっすが僕お手製の修復促進剤、効き目バッチシ!

 ……にしても、今回は失敗だったよ。技研の情報がブラフとは気付かなかった。

 おかげで切り札が一枚……いや、三枚も無駄になっちゃった。全くもう。

 ま、いずれは君を確保するつもりだったし、前倒ししたと思えばあれかな?」

 

 

 対話する気がないのか、こちらの問い掛けには答えず、意味不明な言葉を、好き勝手に並べ立てている。

 ……口振りからすると、主導権を握っているのはコイツの方か。人類と深海棲艦が手を組んでいた。可能性を考えなかった訳じゃないが……。

 今はとにかく、相手に飲まれないことが重要だ。会話は必要最低限に、情報は考えて導き出せ。思い通りになってたまるか……!

 

 

「……あれ? もう聞かないの? 一緒に居たみんなはどうした、とか、何が望みだ、とか」

 

「………………」

 

 

 少女は――あくまで仮に少女と呼称するが――小首を傾げてギシギシと椅子を軋ませた。

 知りたいことは山ほどある。けれど自分は無言を通し、周辺環境の観察に努める。

 役に立たないだろうと思っていたが、軍での教練には、誘拐された場合の対処法も含まれていたのだ。

 警戒すべきはストックホルム症候群……。敵へ感情移入し、同情することを防ぐため、敵との会話は極力避ける。そして自らの置かれている状況を正確に把握、脱出のルートや現在位置を探らねば。

 

 

(八畳くらいの洋間。窓は無い。天井の明かりは埋め込み型。ベッド脇にトイレ。家具はパイプ椅子が一つと、壁に掛けてある軍服を吊るしたハンガーだけ。時計すら……)

 

 

 しかし、得られた情報は僅かにこの程度。自分がどれだけ気を失っていたのかも、分からなかった。

 先輩は、主任さんは、疋田さんは? 特に発作を起こしていた主任さんが心配だ。

 長門、木曾、摩耶、鳥海、雪風、霞。無事だと良いが……。捕えられた事を考えると、希望的観測なんて出来ないだろう。

 それに、電も……。金剛や赤城にも、不安な思いをさせているに違いない。

 無事に帰らなくちゃ。自分の命が、みんなを支えているんだ。無茶はできないけど、絶対に帰らなくちゃ……!

 と、表情を硬くするこちらを見て、少女は破顔する。

 

 

「ふふふ、マニュアルに忠実だねぇ。まぁ、聞かれても答えないんだけど、さ。

 お仲間の助けには期待しない方が良いと思うな。今頃、欺瞞車に引っ掛かってるだろうし。

 西への車が全て囮だと! ならば東か、はたまた北か……ってな具合に。

 普通の車なんかより、僕自身の脚で山を越えた方が速いってんだから、ホントこの身体はデタラメだよ」

 

 

 小芝居を挟みつつ、得意気に語る少女。それだけなら愛らしくも思えるが、目の前に居るのは敵だ。

 思考を冷たく、気持ちを凍らせて、自分は彼女をただ見つめる。

 けれど、そうする内に、不思議な感覚が脳内を満たしていくのを感じた。

 既視感である。

 天真爛漫、とも表現できよう少女の顔に、何故か見覚えがあるのだ。そんな事あり得ないのに。

 

 

「……ひょっとして君も、どこかで見たような顔だな……とか思ってる?」

 

 

 知らず、眉をひそめていたらしい。少女は自分の疑問を目敏く察した。

 ……君も? 誰かに同じ事を聞かれた? 一体どういう……。

 

 

「ふふふふふー。そっかそっかー。いやー、なんだか困っちゃうなー」

 

 

 必死に記憶の糸を辿る自分を他所に、若干頬を上気させ、照れたように少女は身悶えている。

 かと思えば、ズイッと椅子ごとベッドに距離を詰め、人差し指を立てた。

 

 

「じゃあ、ヒントをあげよう。その一、ホース・ラチチュード」

 

 

 ……ホース、ラチ……?

 唐突な言葉に、混乱は更に加速する。

 馬、管? ラチチュードっていうのは……くそ、英語は金剛のおかげでそれなりになったはずなのに、出てこない。

 

 

「その二、八割」

 

 

 中指が追加で立ち、第二ヒントが示されたが、答えを導くには至らない。

 断片的な繋がりは感じている。

 自分は確かに、答えを記憶の引き出しに入れてある。気がする。

 

 

「……まだ分からない? むぅ……。ならば、その三! 能力者の歴史を思い出してみよう!」

 

 

 でも、少女が言葉を重ねるに連れ、言い知れぬ……悪寒のようなものも、感じ始めていた。

 三本目は、薬指。紅差し指。桐竹源十郎。彼の周囲に居た人物。

 左眼が、痒い。

 

 

「だめかぁ……。そいじゃあ特別! 君の軍服借りるよー」

 

 

 ガクリ。項垂れた少女は、しかし笑顔を浮かべて立ち上がり、ハンガーの掛かった壁へ向かう。

 異形の脚を、ガチリ、ガチリ、と鳴らして。

 あの脚はなんだ……と驚く暇も無く、彼女はフードを外し、コートの上から軍服を羽織った。サイズが大きいのか、それで丁度良いようだ。

 そして、ベッド脇に戻りながら軍帽も被り、敬礼をして見せる。海軍式の、手の平を見せない敬礼を。

 瞬間、パズルのピースが全てはまった。けれど、描き出されたのは奇っ怪な騙し絵。

 

 そんな馬鹿な。あり得ない。不条理に過ぎる。

 顔は確かに似ている。でも性別が違う。外見年齢だって変わっていなければおかしい。

 いや、もし“そう”だとしたら、間桐提督は誰なんだ。あの脚は。なぜ深海棲艦に。

 

 

「まさか……。吐噶喇列島の、少年提督……?」

 

 

 疑問が頭を駆け巡り、混乱の極みに達してしまった自分は、軍の教えも忘れて、喉を震わせる。

 掠れるような声を聞き、彼女(かれ)は我が意を得たりと、妖艶に微笑み……。

 

 

「そう! 僕こそ、吐噶喇列島での戦闘において、第一種フィードバック現象により皮膚を失った負け犬……。小林 倫太郎、その人さ! 初めまして、だね? ……後輩君」

 

 

 大きく両腕を広げて、信じ難い答えこそが真実だと示す。

 左眼が、どうしようもなく痒かった。

 

 

 


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