新人提督と電の日々   作:七音

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※作者からのお知らせ。
 シリアスモード突入に際し、足りないと判断した警告タグ「残酷な描写」を追加いたしました。
 あらかじめ御確認下さい。


序幕 新人提督と――――

 

 

 

 車内は、一種異様な雰囲気に包まれていた。

 影が真下に落ちる頃合いの、首都のオフィス街をスモークガラスに映すリムジン。その中には、運転手の男性を除いて十名の姿がある。

 まずは人間が四人。先輩――兵藤 凛提督、自分、主任さん、最近ホントに懇意な警備の人・疋田さん。

 そして、統制人格が六人。霞、雪風、木曾、摩耶、鳥海、長門だ。

 車座になった誰も彼もが、己以外の人物へ疑いの眼差しを向け、警戒心を露わにしている。

 静かな息遣いとタイヤ音だけが鼓膜を揺らし、しばらく。

 沈黙を守っていた先輩が、決意を込めて手札を切った。

 

 

「……悪いね新人君。ドロー・フォー!」

 

「なら自分もドロー・フォーで。はい疋田さん」

 

「ごめんなさい、私も。ワイルド・ドロー・フォー。色は黄色で、霞ちゃんどうぞ」

 

「じゃあワタシは黄色のドロー・ツー。次、木曾さんよ」

 

「ふっ、甘い。この間食ったクリスマスケーキ並みに甘いぞ。鳥海にドロー・ツーだ!」

 

「あら。でしたら私も。ドロー・ツーです。十八枚よ、雪風さん」

 

「ご、ごめんなさい。主任さんにドロー・ツーでお願いします。あと、ウノです」

 

「またぁ!? 雪風ちゃん早過ぎ……と言いつつ摩耶ちゃんにドロー・フォー。二十四枚も山札にあるかな……」

 

「へっへへ、ところがどっこい! ここでアタシもドロー・フォー! 長門に計二十八枚だぜ! どぉだ、参ったか!」

 

「なん、だと……」

 

 

 そして、右回りにドンドンとカードが切られていき、最後は先輩の真向かいに座る長門へ。

 自分たちは、とある病院――桐生提督が未だ眠り続ける、例の軍病院へと向かう道すがら、ウノに興じているのだった。

 全員からの集中攻撃をうけ、長門は轟沈寸前である。もうリカバリーは無理だろう。諦めが肝心だよ、うん。

 ……というか、お見舞いなのに人数多過ぎだろこれ。

 

 

「あの、先輩。どうして着いてきたんですか? どこから嗅ぎつけたんですか?」

 

「嗅ぎつけたってヒドい言い方だねぇ。愛しい君がお忍びで病院へ行くだなんて、心配になって当然じゃないか!」

 

 

 足りなくなった山札を切り直しつつ、先輩は胸を張る。

 最初は護衛の数も半分で、こじんまりと行くつもりだった。それがこんな人数になっちゃったのは、例によって先輩のせいである。

 朝。主任さんと護衛の霞・雪風・木曾を拾うため、宿舎に車を回そうと乗り込んだら、何故だかシートが生暖かく、「ハァハァ」と荒い吐息まで。

 急いで車を降りてみると、運転席が妙に艶かしい曲線で盛り上がっており、三秒後、中から先輩が「グッモーニン!」と現れたのだ。死ぬほどビックリしました。

 

 その後、先輩は腰を抜かす自分を引きずり宿舎へ。拡声器で皆を呼び出し、急遽、追加の人員を募るくじ引き大会が勃発。

 結果として摩耶・鳥海・長門・金剛の所に泊まっていたらしい疋田さんが追加され、車も先輩が手配したリムジンとなり、今に至るのである。

 昼前に帰ってこられるはずが、出発が昼というね。ちょっと前の自分なら怒っただろうけど、もう慣れました。下手に逆らって疲れるより、柳の如く受け流す方が楽です。

 

 

「病院に行くことは行きますけど、自分の検査はついでですよ? 主目的はお見舞いと、喫茶 間宮ですし」

 

「いやー。まさか本当に連れてってくれるなんて、感謝感激ですよーっ。一度行ってみたかったんですよねー、喫茶 間宮! 鎮守府の一般職員にとっては、もう高嶺の花でしたから!」

 

 

 行く手に待つ甘味を想像して、主任さんはウキウキ顏だ。

 色々あって流してしまっていたのだが、例の写真流出事件の直前、主任さんのしようとしたお願いが、「喫茶 間宮に連れてって」、なのである。

 位の高い人間が利用する病院内にあるため、いわゆる一般職員は、滅多なことでは間宮に入れない。しかし、自分の付き添いがあれば大手を振って楽しめる、という訳だ。

 良いように使われてる気がしないでもないけど、世話になってるお礼も兼ねて、叶えてあげようと思ったのだった。しばらく見舞いにも行ってなかったし、ついでに胃の検査とかしたかったし。

 まさか漏れるとは思ってなかったけど。誰が先輩に告げ口したのか……。

 

 

「……疋田さん。まさかとは思いますけど、教えてませんよね?」

 

「わ、私じゃありませんよっ。っていうか、直前まで知らなかったんですから、教えるなんて無理です」

 

「ですよねぇ……」

 

 

 一応、この中で最も付き合いの浅い疋田さんに疑いを向けるも、彼女の言う通り、無理な話だろう。なんせ、宿舎へも金剛が無理やり連れてきたっぽいし。

 ちなみに。くじ引きで彼女が当たりだと分かった瞬間、金剛は美し過ぎる土下座と共に「Exchange Please!」と叫んだ。意外と先輩が厳しかったので、企みは御破算となったが。

 ハンカチを噛み締め、電と一緒に見送ってくれるその姿は、ちょっと可哀想でした。

 まぁ、統制人格が居るんだから出番はないだろうけど、普通に護衛官としての力量はあると聞く。万全を期す意味では有り難い。

 

 

「あ、そうそう。忘れるところだった……。はいこれ。新人君にプレゼントだよ」

 

「プレゼント? 何かありましたっけ」

 

「正式に“桐”を襲名した記念に決まってるじゃないか。これでも真剣に選んだんだからねっ」

 

 

 先輩はゴソゴソ懐を漁り、小さなケースを差し出してくる。

 開けてみると、入っていたのは細かい装飾施されたボタン――カフスボタンのセットだった。

 見た目にも高級感が漂う品物だが、自分はそれを疋田さんに橋渡し。

 

 

「疋田さん、アレまだ持ってます?」

 

「はい。あの一件から、常備するよう上に言われてますんで。……あ、やっぱり。盗聴器入ってます」

 

「ギャース! なんで検知機なんて!?」

 

 

 疋田さんが手にした、手の平ほどの黒い機械――盗聴電波検知機が、《ピー!》と高音を発する。同時に先輩が仰け反った。

 念のため、と思ったらやっぱりかよ……。親指サイズのボタンに盗聴器を埋め込むとか、手間と金のかかるイタズラをしよってからに。

 

 

「この間、盗撮騒ぎがあったばかりですよ。警戒して当然です。先輩だし」

 

「ですよね。兵藤提督ですし。宿舎内の調査、大変だったなぁ……」

 

「ヒドい! ヒドいよ二人とも! じゃあこっちをどうぞ。盗聴器入ってない方」

 

「わー。用意が良いなー」

 

 

 疋田さんと二人で頷いていると、決してヘコたれない先輩が新たなケースを差し出してきた。主任さんも呆れている。

 再び検知機にかけるが、今度は反応しない。大丈夫そうだ。ポケットにしまっとこ。

 

 

「まぁ、ありがとうございます。頂きます」

 

「これからは表舞台に立たされるだろうから、こういう細かいオシャレも必要になってくるよ。

 時計とか靴とか財布とか、スーツならネクタイやタイピンなんかにも気をつけないと。立場に相応しい出で立ちをね」

 

「偉い人って、面倒ですね……」

 

「ですよねぇ。あたしは裏方で良かったです、ホント」

 

 

 ポンポンと肩を叩き、先輩は珍しく先輩らしい助言をくれる。

 いつだったか、自分も思った事を疋田さんが呟き、腕組みする主任さん。

 自分と先輩は軍服姿だし、彼女たちも役職に合わせた制服――疋田さんはよく見る青い警備の制服――なのだが、桐谷提督にも言われた。これから表に立つことが多くなる、と。

 妬み嫉みは、恵まれている環境から当然として。問題になるのは侮られることだ。若造である自分がそれを防ぐには、せめて形から入らなければ、という事だろう。

 繰り返すけど、偉くなるって面倒だ……。

 と、溜め息をつきたくなってきた頃合いに、木曾が話に入ってきた。

 

 

「ところで、向こうに着いたら俺たちはどうすれば良い。その、間宮とかいう店で待っていれば良いのか」

 

「ああ、そうしてくれ。自分は検査とかで時間かかるから。好きなもの注文して良いけど、一人二品までにしてね」

 

「雪風、楽しみですっ。島風ちゃんから、よく話に聞いてましたから。ね、霞ちゃん?」

 

「……まぁ、そうね。甘いものはキライじゃないし。護衛のついでなんだし、仕方なく食べてあげるわ」

 

 

 どうやら、甘味を待ち遠しく思っているのは、主任さんだけじゃないようだ。

 ニコニコ微笑む雪風と、口では興味がなさそうなのに、今か今かと窓の外を伺う霞が、実に少女らしくて可愛らしい。

 ちょっと気にかかるのは、やや表情の硬い鳥海のことか。

 

 

「でも、初めての任務が司令官さんの身辺警護だなんて、少し緊張してしまいますね……」

 

「そぉかぁ? アタシは別に気にしてねーけど。ただ喫茶店に行くだけなんだろ? 長門だって居るわけだし。な?」

 

「すまん、今は話しかけないでくれ。カードを引くのに集中できん……」

 

 

 カードの位置を入れ替えつつ、ソワソワ居住まいを正す鳥海。

 一方、彼女の姉である摩耶は、靴を脱いでシートにあぐらをかき、見えそうで見えないもどかしさを与えてくる。

 この二人、鳥海が高雄型三番艦で、摩耶が四番艦とされる場合があるのだが、鳥海の方が起工が早く、進水は摩耶の方が早いという事情があり、またしても面倒臭いことになっている。

 ひとまず、現海軍では摩耶が三番艦、鳥海が四番艦というのが定説だ。

 史実では、摩耶のみ改修によって高角砲と対空機銃を増設。防空巡洋艦として身を新たにした過去がある。練度が上がった暁には、両方に同じ改修を施したい。ま、先の話だが。

 そして、一人黙々と、カードを引いては落ち込んでいる長門さん。ただいま三連敗中だ。ついでに雪風は三連続の最速ウノ宣言中。この差はなんだろう。特に運が悪いわけでもないだろうに……。

 

 

(桐生提督、まだ意識が戻らないんだよな)

 

 

 ふと、この場に居ない同僚の事が、頭に浮かんだ。

 大型深海棲艦……キスカ・タイプとの戦いで、その意識を囚われた、同い年の青年。

 もしも彼が健在だったなら、今頃どうしていただろうか。

 一方的に負い目を感じるんじゃなくて、この仲間たちのことを話し合ったり、互いの霧島を自慢し合ったりしたんだろうか。

 たった一度、任務を共にしただけの間柄だけど、何故かこんな事を考えてしまう。

 

 

(桐ヶ森提督も、こっちに向かってるって話だし。“桐”が三人集まるのか)

 

 

 双胴棲姫戦での侵食以降、彼女は定期的な検査を義務付けられた。

 本当は沖縄の戦車隊教導任務があるし、向こうでも行えるレベルの医療検査であるはず。機材を運んでも良い。なのに、わざわざ本土の、あの病院を選んでいるという、もっぱらの噂だ。

 それは、“彼”を見舞うためでもあるんだと、自分は考えている。

 出会った時は……まぁ、実はちょっと感じ悪いなーとか思ってたけど、彼女は友人――いや、仲間というべきか。そういう存在を大切にしているように感じた。

 佐世保で、かつて失った感情持ちを想い、歯を食いしばる姿を見た時。迎賓館で、踊りながら語り合った時に、そう感じたのだ。

 ……うん。一つ付け加えよう。

 もし、桐生提督が健在だったなら。彼と彼女は、他に並ぶものの無いカップルになったり、したのかも知れない。

 

 ってそうだよ忘れてた! あの盗聴器、肩の布パッチ型じゃなくって、襟に仕込まれてた方!

 あれを仕掛けられる数少ない人間が、今ここに居るじゃないか! この機会に問い質しておかないと……っ。

 

 

「あの、先輩。ちょっと聞きたい事が……」

 

「ん。どうかしたかい、新人君? あ、私の最新スリーサイズはだねぇ……」

 

「いいえそっちはどうでも良いです。まさかとは思いますけど、自分の礼装に盗ちょ――う?」

 

 

 加速は唐突だった。

 薄暗く見える街並みが瞬く間に流れ、ほとんど意味の無くなった信号すらを無視。ドリフトしながら右に曲がる。ビー、という警告音のようなものも。

 横方向へのGを感じる中、先輩は座席と運転席を分ける透明な防弾樹脂板へ向かい、付属のボタンを押して問いかけた。

 

 

「何事だい、秋山」

 

「高出力の赤外線を探知しましたっ。誘導装置に狙われていますっ」

 

「なんだって!?」

 

 

 車内へ響く声に、思わず驚愕が口をつく。

 赤外線誘導装置……。前時代から多用される、誘導ミサイルを目標へ導くためのガイドだろう。

 後部座席で振り返る雪風の視界を借りれば、同じようにドリフトして追いかけてくる四台のセダンが。

 確実に、狙われている。

 

 

(また情報が漏れた? このタイミングで?)

 

 

 警戒に警戒を重ね、最近では自分のスキャンダルで影が薄くなっていたが、能力者へ悪意を抱く反社会組織は、未だ根強く活動を続けている。おそらくその手合いだろう。

 しかし、いくらなんでもこれはあり得ない。

 リムジンは確かに目立つが、だからといって、市街地で即日テロ行為に及ぶほどの組織力は確認されていなかった。ましてや誘導兵器を準備する暇など。

 内通者が居るんだ。横須賀の中に。ひょっとしたら……この車の中に?

 

 

「え、え、何? なんなのこれっ」

 

「落ち着きたまえ主任君。君は非戦闘員だ、私たちが守ろう。

 疋田君、グローブボックスから予備の銃を。対人戦に備えるんだ。番号はひと、まる、まる、きゅう、はち、さん、ご、だ。

 それと鎮守府に襲撃の報も。同じ場所に埋め込み型の通信機があるから。

 新人君、まさか丸腰じゃないだろうね?」

 

「は、はい。持ち歩いてます。でも、疋田さんは……」

 

「ご心配なく。戦闘訓練は一通り受けてますから。……人に向けるの、初めてですけど」

 

 

 レーザー照準を外すため、車は蛇行運転を繰り返しては、ビルの合間を右に左に。強烈な横Gが絶え間なく襲い掛かってきた。

 状況を飲み込めないのか、主任さんはオロオロと狼狽えている。

 厳しい口調で先輩が指揮をとり、疋田さんが側面に備えられた小物入れへと暗証番号を打ち込む。

 拳銃や予備弾倉、スモークグレネードなどを取り出す手が、かすかに震えて見えた。

 ……くそ、警戒はしなくちゃマズいけど、疑いだしたらキリがないか。今は敵を振り切らないと。

 腰のホルスターから銃を取り出し、安全装置を解除。薬室に一発目を送り込んでから再びホルスターへと戻し、自分は仲間と五感を同調、指示を飛ばす。

 

 

「鳥海、雪風。ミサイルが発射されたら撃ち落とす。準備してくれ」

 

「り、了解っ」

 

「司令をお守りします!」

 

 

 リムジンの天井が開口し、鳥海が艤装を召喚しつつ、車外へ身を躍らせた。両腕に固定された二十・三cm連装砲が蠢き、長い黒髪が流れる。

 雪風は片膝をつく彼女の傍ら、上半身だけを出して後方を確認。覗く双眼鏡越しに、急カーブを追いかけてくる三台の車と、曲がり切れず横転する一台が見える。

 爆発。

 おそらくだが、横転の衝撃でミサイルが暴発したのだろう。……中の人間は、即死。

 残る三台は、顔まで黒づくめの人影が窓から身を乗り出し、円筒状の物体――誘導ミサイルを構えた。

 片側三車線の幹線道路。他に走っている車はない。丸裸だ。

 

 

「見えました! 六時方向から来ます!」

 

「司令官さん、発砲許可をっ」

 

 

 雪風の視覚情報からは、敵対者の情報は得られなかった。

 数十m後方を走る、戦争前に市場へ出回っていた、ごく一般的な旧型車。くたびれてはいるが、特徴を探せるほどではない。

 能力者へ悪意を抱くテロ組織は、反抗中にどれもが独自のシンボルを掲げているのに、それすら無いのだ。

 “超自然主義派団体 ジ・アース”、“大地母神教”、“人類種淘汰推進委員会”。性質の悪い三大勢力のいずれかである可能性が高いが、まだ見ぬ第四勢力である可能性だって。ややこしい……。

 とにかく、鳥海の要求に答えを出すため、疋田さんを見やる。

 先輩の指示通り、横須賀への通信をしていた彼女だが、ヘッドホンを片耳に当てるその顔は、苛立ちと焦りに染まっていた。

 

 

「実弾装填、並びに市街での発砲許可、出ません! 指定区域まで待避せよ、と!」

 

「なんだそれは!? 俺たちの指揮官が狙われてるんだぞっ!」

 

「わ、分かりませんよっ、なんで、ちゃんと伝えてるのに……っ」

 

「……クソッ」

 

 

 木曾がそれに食ってかかるも、八つ当たりに近いことを悟り、拳がシートの合皮を叩く。

 通常、統制人格の艤装からは物体は発射されない。船に乗せられている兵装と似た機構を持っているが、砲は圧縮された空気を発射し、魚雷はそもそも形だけの飾りだ。

 しかし、艤装デザインは千差万別でも、口径は軍艦らしく統一されている。これを利用し、艤装から発射可能な、統制人格の艤装専用弾も開発されていた。

 濫用を防ぐために完全支給制であり、今回持ってこられたのもごく僅かだが、まさか使用許可が下りないだなんて……。

 車内に不穏な空気が漂い始めた。けれど、目を細めてやり取りを聞いていた先輩は、事も無げにそれを一変させる。

 

 

「……いや、私が許可しよう。責任は取る。重巡・鳥海、実弾を装填せよ」

 

「ひ、兵藤大佐? でも……」

 

「問答無用! やりなさい!」

 

 

 一瞬にして空気が澄み渡るような、凛とした覇気。車内を覗き込む鳥海と目が合い、自然と頷き合っていた。

 この状況、規則通りに乗り切ろうとすれば死者が出るだろう。やるしかないんだ。

 警告音が続く。赤外線レーザーに晒されているらしい。

 鳥海が敵車両へ向き直り、腰に巻かれたベルトを探る。四発の、散弾と似た弾薬。両艤装の台座と砲塔部分の境い目がわずかに浮き上がり、そこへ装填された。

 

 

「撃ち漏らせば、街に被害が出る可能性も……。確実に落とします!」

 

 

 鳥海が覚悟を決めた、その刹那。ボシュン――と、間抜けにも聞こえる発射音が三つ。

 飛翔する弾頭が、鳥海・雪風の視界に迫る。

 しかし、まだ撃たない。

 細切れになる一秒の中で、ゆっくり、ゆっくり。死が迫る。

 おおよそ二十m。十六m。十二m。

 

 

「……今です!」

 

 

 雪風の声が、鳥海に引き金を引かせた。その間にも弾頭は近づき、乗用車2台ほどの距離まで。

 右・連装砲から二射。わずかにズラして左も二射。通常の砲弾と違い、円錐状に広がっていく散弾が、三発の誘導ミサイルに届く。

 爆音。熱風。

 後方へ向かって流れていた鳥海の髪が、一瞬だけ進行方向へとたなびき、また後ろへ。

 リムジンの挙動も揺らぐけれど、立て直す頃には、車内に戻る鳥海の歓声が聞こえていた。

 

 

「やりました! 計算通りですっ」

 

「危なかったな……。しかし、これで敵が諦めるとも――」

 

「……ダメよっ、前!」

 

 

 悲鳴のような霞の叫び。

 長門が安堵の溜め息をつこうとしていた時、彼女は前方へと注意を向けさせる。

 フロントガラス奥。ビルの隙間を脇へと逸れる道に、追跡車と同じような車が二台、左右両端から。

 警報は鳴りっぱなし。……やられるっ!

 

 

「摩耶!」

 

「おうっ、まっかせろぉ!」

 

 

 摩耶が即応。ドアを開け放つのと同時に艤装を召喚、強化された握力で逆上がり。

 天井へ着地するまでの一瞬で装填を済ませ、前方から発射された弾頭二つを狙い、左右へ二射ずつ。

 二度目の爆音と熱風。

 至近距離で撒き散らされる炎が、摩耶とリムジンの視界を塞ぐ。

 なんとかなったか……? と思ったが、運転手の逼迫した声が危機を知らせる。

 

 

「――!? くっ、捕まって下さい!」

 

「ぅおぉ!? ちょ、アタシを落とす気――あっ」

 

 

 同時に、車体が大きくうねった。

 慌てて天井にしがみついた摩耶の視界は、ある物を捉える。

 真っ直ぐこちらへ向かう多数の誘導ミサイル。奥には射手と思しき人影が数人と、道路を横に塞ぐ厳ついトレーラー。

 摩耶が大きく跳躍、リムジンから離れるのが分かった。

 その視界で一秒と経たないうちに、弾頭はフロントガラスへと突き刺さる。

 

 

「桐林提督!」

 

「うっぐ!?」

 

「きゃあああっ!?」

 

 

 疋田さんが自分へ覆い被さるのと、主任さんの悲鳴が響くのは、全く同じタイミングだった。

 経験したことのない、重い爆音。

 世界の上下が、入れ替わる。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「らーらー、らららー、らーららー、ららら、ららー」

 

 

 ガチリ、ガチリ、ガチリ。

 黒づくめの人影が、ビル屋上のコンクリートをクルクルと踏みしめるたび、鋼鉄の擦れるような音が響いた。

 

 

「全く、酷いよねー。ずぅーっと我慢してたのにさー」

 

 

 フード付きコートの裾がひるがえる。

 中途半端に止められたファスナーからは、青白い肌と、女性用水着――ビキニのような布当てが覗いていた。

 丈は短く、楽しげに、軽やかにステップを踏む脚も見えていたが、それは、人間にしては奇妙な形状だった。

 

 

「我慢して、我慢して、我慢して。もうちょっと機が熟してから収穫するつもりだったのに。

 こんな風に鼻面へエサをぶら下げられたんじゃ、“技研”の連中に横取りされちゃうじゃないか」

 

 

 逆関節。

 普通であれば膝があって然るべき部分が、逆方向に曲がっている。

 少女のように愛らしい声を持つ人影の脚部は、まるで馬のような構造をしているのだ。

 膝下――否、踵から先も、正しく有蹄類のそれ。コンクリートを削っていたのは、さしずめ蹄鉄であろう。

 

 

「そんなの許せないよね。それが望みなんだよね? ……だったら、釣られてあげる。期待通りにしてあげるよ」

 

 

 三十階の高さから地上を見下ろすと、熱を帯びた上昇気流が人影に吹き付ける。

 マフラーがはためき、漂白されたような髪が溢れた。

 横転し、燃え盛るリムジン。軍用トレーラーから溢れ出る、黒づくめの兵隊。銃声。そして――かすかに混じる、人の焼ける匂い。

 心躍る(いたむ)、戦場の空気だ。

 

 

「あぁ……。この匂い、懐かしいなぁ……」

 

 

 蕩けるような微笑み。

 無邪気で、天真爛漫とさえ思えるそれは、実のところ、純粋な悪意で満ちていた。

 美し過ぎる笑みを浮かべたまま、人影は眼下を這う“モノ”に目を配る。

 

 

「今、迎えに行くからね。何も知らない、哀れな生き餌(モルモット)くん」

 

 

 そして、ある一点を見据え、フェンスへと手を掛けた。

 クシャリ。

 紙のように千切れるそれの向こうで。

 ヒトカタ共を支えとする、蟻の如く小さな男が、無様に蹲っていた。

 

 

 




 次回、新人提督と闇の強襲、に続く。

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