「……あれ?」
気がつくと、自分はテーブルについていた。
見覚えがあるようで無いような、洋風のリビング。
久しく感じた覚えのない、空気が肌に纏わりつくような暑さ。
開け放たれた窓は青空を切り抜き、風が運ぶ風鈴の音色が、涼やかさを演出している。
……今って、夏だっけ。ん? なんだ、この状況……。
「ねぇ、てーとく……? 聞いてる?」
「え。あ。ごめん、何?」
「むーっ。聞いてなーいっ! ローちゃん、大事な話してるのに!」
ふと、妙に低い位置から呼びかけられる。
視線を下せば、扇風機の前でペタンと女の子座りする、スク水セーラーの少女が、プンプン怒りながら立ち上がる所だった。
健康的に焼けた小麦色の肌と、ブルーの瞳。銀髪にピンクの花飾りが似合っている。美少女だ。
……けど、ロー・チャン? この子まさか中国人……な訳ねぇだろ。どう見たって西洋人だよ顔立ちが。
それは良いとして、なんで怒られてるんだろう。というか誰だろうこの子。見覚えがない。
困惑していると、リビングの奥――恐らくはキッチンから、またしても見知らぬ少女が現れた。
「どうなさったんですか、お二人とも?」
「食卓でケンカなんて、はしたないですよ。提督、ロー」
両手にパスタを持つ、またもや美人さんなコンビ。
先に声を発した美人は、ゆるふわウェーブの明るい茶髪を後ろでくくっている。
二人目のメガネをかけた美人は、焦げ茶色のセミロング。後ろ髪はウェービーだが、前髪はキッチリ切り揃えられていた。
そんな二人に、ローと呼ばれた水着少女がシュンとしてしまう。
「ごめんなさい……。でも、てーとくが……」
「う、うん。自分が少しボーッとしてたんだ。……ローは、悪くないから。な?」
「ふうん……。ま、構いませんけど」
「うふふ。仲がよろしくて、羨ましいです。良いと思います」
一か八か、水着少女を庇ってみると、メガネ美人の溜め息に加え、おっとり美人の微笑みが。場を取り繕う事はできたようだ。
彼女たちはそのまま、ニンニクの良い香りが漂う皿を配膳してくれる。
(……やっぱり見覚えがないなぁ……。しかし、この状況そのものにデジャビュを感じるような……?)
プリーツ部分の内側が白くなっている赤のスカートと、白いロングタイツを止めるガーターベルト。
赤・白・緑――イタリア国旗みたいなタイが映える、肩を出すために袖が分離した白シャツ。頭にも、白く大きなカチューシャが乗っている。
腹部をキュッと締め付けているのは、灰色のコルセットだろうか。
共通する部分は多いが、メガネ美人の方はタイは短く、肩を覆う短いケープを着けていた。
これだけ特徴的なら忘れるはずがない。という事は初対面のはずだけど、彼女たちは自分のことを“提督”と呼んだ。
そして、見覚えがないのに知られているという、奇妙な感覚。これには覚えがあるのだ。
なんだっけっかなぁ……? 割と最近だったような気がするんだけどなぁ……?
「わー! すっごく美味しそう、ですって! これ、リットリオさんとローマさんが作ったの?」
「そうよ。パスタの国出身の身として、提督には負けられませんから。それと、姉さんの名前はもうイタリアだから」
「仕方ないわ。つい先日までリットリオだったんだもの。……提督。改めて、お礼申し上げます。私たちを大事にして下さって、ありがとうございます」
……とか考えているうちに話は進み、ローがペペロンチーノに目を輝かせた。
ロー。ローマ。リットリオ改め、イタリア。
ローはよく分からないが、ローマはイタリアの首都で、イタリアはかつて、ドイツと共に日本と枢軸国同盟を組んだ国。
ひょっとしたら、海外艦の統制人格なのか? ……なんだろう、喉まで出かかってるんだけど思い出せない、このもどかしさ。
それを誤魔化そうと、ニコニコ微笑むイタリアへ、自分も笑いかける。
「……な、なんか照れるなっ。ほら、早く食べよう! せっかくのアルデンテが台無しになっちゃうしさ!」
「うふふ、そうですね。頂きましょうか。急だったので、パスタしか御用意できなかったのが、恥ずかしいのですけれど……」
「そんなこと無いって! イタリアみたいな可愛い子の手料理を食べられるだけで、それこそ天にも登る気持ちさ」
「まぁ。相変わらず、日本の方なのに地中海的な」
「全く……。すぐ姉さんを口説くんだから……っ。はい、ワインですっ」
「おう、ありがとな。ローマ」
喋ってみると、意外にも口は勝手に動いてくれる。
まるで似つかわしくない軽口だが、三人は当たり前に受け入れていた。これが普段通りなのかも知れない。
全くもって現状は理解できないけど、不思議と安心感があり、警戒心も湧かなかった。
とりあえず……パスタ食べよう。美味しそうで我慢できません!
「んっ、美味い!」
「おいひー! イタリアさん、ローマさん、すっごく美味しいですって!」
「ありがとうございます。……うん、我ながらよく出来ました」
「アンチョビーが肝心なのよ。これが本場の味」
フォークでパスタを数本巻き巻き。頬張れば、程良い辛味とニンニクの風味が口一杯に広がった。
高い金を払っても食べられるかどうか、というレベル。隣に座るローも御満悦。
対面のイタリアは確かめるように一口。満足のいく出来栄えのようだ。その隣でローマが展開する雑学すら、食事の良いアクセントである。
「っくぁー! 昼間っからパスタとワインを楽しむとか、最高だぁ~。なんか悪い事してる気分だよ~」
「まぁ、他に出来ることもないし、仕方ないんじゃない。みんな本土で、定期点検という名のデータ取りだもの」
「残っている方々も、警備任務で忙しいものね……。こういう時、国籍の違いというものが、少し煩わしくなります」
「うんうん。レーベちゃんもマックスも居なくて、ちょっと寂しいですって。
ローちゃん、国とか国境とか関係なく、みんなで仲良くできたら良いなって、そう思います!」
……っ! そうだ、思い出した!
何気なくローの口にした名前が、電流となって脳内を駆け巡り、全ての記憶を蘇らせる。
硫黄島。海外艦。千早艦隊。ヴェールヌイ。レーベにマックス、ビスマルク、オイゲン。
双胴棲姫戦を終えて、深い眠りについた自分が垣間見た世界を。
(どうして忘れてたんだろう。記憶は向こうに持って帰られないとか? なんでまたこっちに?)
しかし、思い出したら思い出したで、疑問が頭を埋め尽くしてしまう。
実家から帰り、庁舎で仕事詰めだったのは覚えているのに、誰かから差し入れを受けた所で記憶が途切れている。
意識レベルの低下がこっちに来る条件だとしたら、向こうの自分は寝ているのと同じ状態に陥ってるのだろうか?
あ、忘れてた。前は“こっち”の自分も、コンゴウのダークマターで意識飛んでたんだっけ。今回は状況的に飛んでなさそうだし……。う~ん。訳分かりません。
一応、テーブルの下で携帯端末をいじくり、彼女たちの名前で内部検索してみると、やはり海外艦であるという予想は正しかった。
話は逸れるし駆け足だが、思考の整理のために目を通しておこう。
「ぱっすたー、ぱっすたー。ドイツ語でーもぱっすたー」
まずは、身体を揺らして可愛く歌う水着少女、ロー。
正式名称、呂号第五〇〇潜水艦。イムヤたち、伊号潜水艦と同じ日本の潜水艦……なのだが、そうなるまでには紆余曲折がある。
元々はドイツの潜水艦・U-511であり、量産に向かなかった伊号潜水艦に代わる、通商破壊用の潜水艦技術を提供するため、ドイツからはるばる旅してきた潜水艦なのだ。
まぁ、けっきょく複製は不可能だと判断されたり、実戦投入もされなかったのだが、そこは大人の事情という事で。他にも日本籍を得たU-ボートはあるようだ。
“こっち”の自分は外国籍艦船しか励起できないはずだけど、元がそうなら問題ないっぽいな。
「今度は、和食にも挑戦したいですね。お醤油とか、お味噌も使ってみたいです」
次は、料理の研究に余念がない、リットリオことイタリア。
正式名称、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦二番艦、リットリオ。
級名にして一番艦の名前は、ヴィットリオがラテン語の男性名――勝利を意味するウィクトルを語源とし、ヴェネトはイタリア北部の港湾都市、ヴェネツィアがある州の名前。第一次大戦でイタリア軍が勝利した、「ヴィットリオ・ヴェネトの戦い」に因んで名付けられた。
そして、リットリオとは古代ローマの要人警護職。彼らの持つファスケスという斧がファシズムの語源で、ムッソリーニ失脚後、その影を嫌った政権によってイタリアへと改名させられたのだ。
また、リットリオを一番艦とし、リットリオ級と表記する場合も……って、ほぼ雑学だな、この項目。勉強になったけども。
「和食、か……。あの、ニホンシューとかいう白ワインなら、また飲みたいわね」
最後はローマ。見た目と違って飲兵衛らしい、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦四番艦である。
由来はもちろん、イタリア共和国の首都、ローマ。姉たちと同じく、戦艦にしては細長いシルエットが特徴だ。
大型三連装主砲による手堅い攻撃力。舷側で最大三百五十mmの重装甲。しかし最高速は三十ノットという、走攻守の揃った高速戦艦なのだが、航続距離が駆逐艦並みなのが欠点とのこと。
余談だが、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の三番艦、インペロは未完成で、欠番扱いらしい。
(ざっとこんな感じか……。ホント、“こっち”の艦隊は多国籍なんだなぁ)
記憶にあるだけで、ロシア、中国、ドイツ、イタリア、アメリカ、イギリスの艦船が混じっている。良くも悪くも個性的な艦隊だ。とても同一人物が作り上げたとは思えない。
まぁ、“こっち”の記憶は引き出せない訳だから、本当に顔だけソックリな別人の可能性だってあるんだけど。疑い出したらキリがないし、置いておこう。
やはり問題は、どうやって向こうへ戻るか、だ。
前回は偶然……というか、いつの間にか戻ってて、戻ってからは“こっち”の事を思い出せなかった。戻る直前の記憶が曖昧なのが痛い。
またレーベたちに添い寝して貰わなくちゃダメなのか? それとも他に要因が……?
「提督? どうかしたんですか。フォークが止まっていますけど」
「……もしかして、味が濃かったでしょうか? お水、お持ちしますか?」
「いや、大丈夫大丈夫。
メチャクチャ美味しいから、シッカリと味わってただけだよ。
これならいつでも嫁に行けるな。むしろ自分が欲しい!」
「まぁ、提督ったら。ヴェールヌイさんやレーベさんたちが居るのに、いけませんよ?」
「もし姉さんとも結婚したいなんてほざくなら、私を倒してからにして。全力で相手をしてあげるわ」
「はっはっはっはっは。サーセン」
つい考え込んでしまう自分を、イタリア・ローマが気遣ってくれる。
冗談めかして答えると、これまた“いつも通り”といった様子で窘められた。
でもローマさん。艤装出して威嚇すんのは勘弁してつかぁさい。
自分の言動、妙にチャラくなってるな。
やっぱりこの身体、“こっち”の自分の意識が残ってるっぽい。影響を受けているように感じる。
……いや? なんか、それよりも非常に重要な発言をローマがしたような……。
「あら。提督、お皿が空ですね。お代わりも用意できますけれど、いかがですか?」
「うん? おぉ、そうだな。頂くよ。イタリアの手料理ならいくらでも入るぞ!」
「うふふ、光栄です。では、少しだけお待ち下さいね?」
「イタリアさんイタリアさん、ローちゃんもお代わりー!」
「はい、喜んで」
「姉さん、私も手伝うわ」
気になることは山ほどあったが、卑しいかな、食欲に負けてウヤムヤとなってしまう。
原理とか原因とかは分からないまでも、悪影響があった訳でなし。
向こうで誰かに話したって、単なる夢と言われるだけのはず。いっそ、純粋に楽しむのもアリかな?
……あ、思い出した。そういえば最初、ローが何か話してたよな。あれはなんだったんだろ。
「なぁ、ロー。大事な話ってなんだったんだ?」
「あ。忘れちゃうところでした……。えっと……これです!」
ぽん、と手を打ったローは、ガバッとスク水の胸元へ手を突っ込む。
日焼け跡のコントラストに目を奪われる中、掲げられたのは一枚のCDケース。
お代わりを手に舞い戻る、ローマのメガネが輝いた。
「映像ディスク、かしら」
「ですです! この間、ビスマルク姉さんやオイゲンさんと一緒に、ビデオメール撮ったでしょ? そのお返事が来たから、一緒に見て欲しいなって。良い?」
「あら、良いですね。さっそく準備しましょう」
「ほぉー。そういえば、そんなのも送ったっけか。見よう見よう」
再生機器の用意をイタリアに任せ、自分は適当に話を合わせる。
ビデオメールかぁ。あきつ丸とまるゆも陸軍に送ったっけ……。
けっこう前に返事が来たらしいけど、映っている人が全員ミイラ状態だったそうな。一体なにがあったのか。あんまり知りたくない。
思い返している間に、テーブルの上へ大きな機械が置かれた。空中に映像を描画する、最新式ノンスクリーンプロジェクターだ。
ディスクを挿入すると、数秒の読み込み待ちの後、厳しい軍服でデスクにつく、チョビ髭の男性が映し出された。
「お、始まった。……誰だっけこの人?」
「提督……。不敬ですよ。ドイツ軍の総司令官じゃありませんか。名前は……私も失念してしまいましたが」
「えっ。総司令官? マジで?」
パスタを食べつつ動画鑑賞を始める自分だったが、ローマからの思わぬ返事で動きが止まる。
総司令官って、要するにメッチャ偉い人ですよね。そんな人にビデオメールとか送っちゃってんの 相変わらず“こっち”の自分の交友関係は読めんわ……。
しかも、動画は滞りなく再生されているけれど、その音声は聞き慣れぬ言語で統一されていた。
日本人にとって、やたらめったら格好良く聞こえる、ドイツ語である。
「っていうか、なに言ってるか全然分からん……」
「字幕もありませんね。私もちょっと……」
「あ、そっか。てーとくたちは分からないんですよね? なら、ローちゃんが通訳しますって!」
流石にイタリアにも分からなかったらしく、二人揃って首を傾げいたら、ローの小さな手が勢いよく挙手。
残ったパスタを一飲みにし、キリリとした表情でスクリーンの横へ立った。
そして、リモコン片手にポチッとな。頭から動画を再生し直す。
『Guten Tag,Mr.――』
「ええっと……。おっほん。おはようございます!
暑い日が続いていると思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
こちらも変わらず、レイネン、どーり? のモーショに、ナンギしてますっ」
「おぉー。難しい言葉、ちゃんと使えるんだな。偉いぞ、ロー」
「へへへー。日本語、だいぶジョータツしました! ガンバリました! はい!」
チョビ髭の男性が話すのと同時に、ローの可愛らしい声がドイツ語を吹き替える。
少し難しい言い回しに詰まりそうになるも、言い切って胸を張る姿が可愛い。
ほっぺにパスタの切れ端ついてるけど、そこがまた犯罪的に可愛らしい。
『――――――』
「送ってくれたビデオ見ました。みんな日本に馴染んでいるようで、ヒト安心です。
ビスマルクは凛々しく。オイゲンは愛らしく。
レーベ、マックス、U-556・ココロ、U-511あらため、呂 五〇〇・ローちゃんは、娘にしたいくらいです。素晴らしく“モエー”です。
……もぅー、
「……う、うん? なん、なんか変じゃない? おかしくなかった?」
「確かに、厳つい男性に可愛らしい声が吹き込まれると、違和感を覚えますね」
「いやそっちでなくて。発言内容がさ」
「予想通りだと思いますけど。ドイツの何某は世界一、だそうですから」
雰囲気的には、ものすっごく重大な話をしている風なのに、その内容は同族臭かった。
いやまぁ、人の趣味は千差万別だろうけどさ。もしかしてこの人、ドイツ艦の感情持ちを見たいがために船をくれたんじゃ……。
まさか、向こうであきつ丸とまるゆが送り込まれたのも? ……あり得ないと言い切れない自分が悲しい。
ドイツと日本のヘンタイ度は、足すと宇宙一ですか。ははは……。
『――! ――!! ――!? チクショウメー!』
「あれ? こ、今度は怒ってない!? 言葉は分かんないのに、怒られてることだけは凄く伝わってくるんですけど!?」
「ど、どうしたんでしょう?」
「ロー。通訳できますか」
「は、はい……。えっと、意味がよく分からないから、そのまま言うね?」
信じ難くて乾いた笑みを浮かべていると、チョビ髭の総督、今度は机に身を乗り出して声を荒らげた。
しかも、空耳ドイツ語ネタの鉄板、「畜生めー!」付き。確か……恥知らず、って意味だっけ? あ、兵士さんが乱入してどっか連れてった。
予想外すぎたか、顔に疑問符を乱舞させるローだったが、一時停止で気を取り直し、ちょっと巻き戻してまた吹き替えを始める。
一体、何を怒って……?
「えと……。だ、だがしかし! 素晴らしいからこそ、貴君に言いたい事がある! なぜ……。なぜスク水の色が紺なのだー!!」
『……はい?』
自分、イタリア、ローマ。三人の声が重なった。スク水の、色?
「分かる。旧型の素晴らしさはわたしにも分かっているー! しかし、日焼けした少女の肌に映えるのは、やはり白ではないのかー!?
“モエー”のセンクシャたる日本人の貴君がコテーカンネンに縛られるなど……恥を知れー! ……あ、何をするキサマら離せー!
……って、言ってました。ローちゃん、何か間違っちゃったのかなぁ……?」
「ち、違うと思いますよ? 少なくとも、貴方が悪くないのは断言できます。気を落とさないで?」
「……予想以上の変態でしたね。駄目だわこいつら。早くなんとかしないと……」
スクリーン上から人が居なくなり、映像は綺麗な花畑に切り替わる。
その横でローが落ち込み、イタリアが慰める姿と言ったら、シュールという他にない。
『――――――』
「あ、戻ってきた。……おっほん。ごめんなさい、取り乱しちゃいました。ハンセーします。
色々言っちゃったけど、ボク的には紺もアリなので大満足です。流石だねー!
これから先も大変だと思いますが、彼女たちと共に頑張って下さい。いつか海の上で会えると良いね。
またビデオ送ってね。特にローアングルのを――なんでもないです、さようならー。
……以上? です! ごせいちょー、ありがとうございましたっ。ですって!」
「戻ってからは簡潔だったわね」
「きっと怒られたのね……」
「これでいいのかドイツ軍」
襟の乱れたチョビ髭総督が、ボロボロになりつつ画面内へ戻り、軽く手を振って映像が終了。
ペコリと一礼するローへ拍手を送るも、なんだか釈然としなかった。
ある意味、平和な証拠なのだろうか。どちらかと言うと、裁判の証拠に使われそうだ。
呆れ返る自分たちを他所に、ローは達成感を滲ませる顔付きで席へ。
「途中、変なところがあってビックリしちゃったけど、でも、総督に喜んでもらえて良かったー」
「うんうん。細かい事は投げ捨てて、良かったな、ロー」
「へへへー」
反射的に頭を撫でると、柔らかい笑顔がさらに溶け出す。
かと思ったら、今度は遠い目で窓を――その先にあるだろう、海を見つめた。
「ローちゃん、いつかドイツにサトガエッリしたいな。向こうではただの船だったし、この足で、故郷を歩いてみたいなって」
「里帰り、ね。……分からなくはないわね。私たちにあるのは、所詮、借り物の記憶だもの。私もこの目で、本物のローマの街並みを見てみたいわ」
「そうね……。いつかそんな日が来たら、とても素敵ね」
ローマも、イタリアも。
遥か彼方の故郷を想い、それぞれに瞼をふせる。
見た事はなく、歩いた事もなく、記憶の中にしかない祖国。それでも彼女たちは、遠く離れた海で戦い続けている。
叶えたいという、強い気持ちが湧き上がった。
きっとこれは、自分だけの願いじゃない。“自分たち”の願いだ。
いつか、この海を渡れるようになったなら。彼女たちと世界一周の旅に出る……なんていうのも、良いかもしれない。
……頑張れよ、“こっち”の自分。その先に居るのが、ローアングルなビデオレターを要求するヘンタイでも。
「そうそう。実は私も、提督に見て頂きたい物があるんです。お時間、よろしいですか?」
「お、イタリアもか。もちろん良いぞ。ここで待ってれば?」
「はい。あ、出来れば、テレビの方を向いていて下さい。準備ができたら声を掛けますから」
「ほほう、期待を煽るな。了解だ」
ふと思い出したように、イタリアが軽く両手を合わせた。
しんみりしてしまった空気を変えるためにも、自分は快く了承。手を振って見送る。
「見せたい物ってなんだろうねー? もしかして、イタリアさんたちもビデオレター送ってましたって?」
「さぁ……。特に聞いてないわ。気になるわね……」
残る二人も聞いていなかったようで、不思議そうに顔を見合わせては、もしかしたら、ひょっとして……と、予想している。
自分としては短い付き合いだが、真面目だけど茶目っ気も持ち合わせていそうなイタリアが、わざわざ直前まで秘密にするくらいだ。
サプライズのプレゼントとかだったり? そうだとしたら、受け取っちゃマズいかなぁ……?
「お待たせしました~。みなさん、こちらを向いて下さいますか?」
三人で律儀にテレビへ向かい、待つこと十数分。背後からイタリアの声が聞こえてきた。
期待と不安で胸を膨らませ、ゆっくり後ろを振り向くと、そこには――
「なっ!? ね、姉さんっ、なんて格好を……!?」
「わぁ~! イタリアさん、その水着可愛い~!」
――真っ赤なビキニで魅惑のボディを包む、イタリアが立っていた。
色めき立つローマたちと違い、自分の身体は硬直してしまうが、けれど、異常なほど思考速度は早くなり、眼前の光景が脳裏へと焼き付いていくのを感じた。
ビキニと言っても、ホルターネックのチューブトップで、チョーカーから伸びる細い紐が、男の手にも余るだろう重量を支えている。
下の方もかなり際どく、両サイドは二本の紐で繋がっているだけ。くびれを内腿へ下るラインが、スリムさと同時に豊満さを強調していた。
しかし決して卑猥ではない。ストライプ柄のパレオが慎ましさを演出し、照れもあるのか、頬は赤みを帯びている。カチューシャに添えられたハイビスカスに、負けないくらいだった。
ハッキリ言おう。
そんじょそこらのグラビアアイドルが、千人束になっても敵うはずのない、美女だ。
「せっかく海が近くにあるので、奮発してみました。……どうでしょう? おかしくありませんか?」
そんな美女――いいや、女神が羞恥に身をくねらせつつ、上目遣いで感想を求めてくるのだ。
先程と同じように、胸の奥から熱い情動が込み上げてきて当然。
逆らう事すら許されない、考えられないそれに操られるが如く、自分は彼女の手を取っていた。
「凄く似合ってるよ、イタリア。結婚しよう」
「まぁ。ありがとうございます。嬉しいです」
「ちょっと、なにドサクサ紛れにプロポーズしてるのっ! 姉さんも喜ばないでっ。私は認めないわよっ!!」
「てーとく、鼻血出てますって。はいティッシュ」
気がつけば、流れるようにプロポーズまで。多分“こっち”の自分のせいです。
微笑むイタリア。割って入るローマ。ティッシュを差し出すロー。
リビングが混沌とする中、大量出血でちょっと冷静になった自分は、鼻に丸めたティッシュを詰める。貧血起こしそうだ。
「いいなー。ローちゃんも、新しい水着欲しいかもって。たまには違う格好したぁーい!」
「はいはい分かった分かった。後で一緒に選ぼうなー」
「わーい! Danke、です! へへへー」
「にしても、太陽が目の前にっ、てくらい眩しいわー。しかし、ちょっくら唐突じゃないか?」
「……それもそうですね。今までもローやココロが目の前にいたのに、特に水着を欲しがったりは……」
パタパタ走り回るローと戯れつつ、少し疑問に思った点を指摘する。落ち着きを取り戻したローマも同意見らしい。
けれど、眩しかったイタリアの笑顔には、それを受けて見る見る曇ってしまい……。
「……提督が、いけないんです。だって、あんなに美味しい、カルボナーラをお作りになるから……」
『は?』
「あ~。あのカルボナーラ、すっごく美味しかったって! また食べたいな~」
ローマと疑問の声が重なった。
……カルボナーラ? た、確かに得意料理の一つだけど。卵使うし。
あ、そっか。ローマが負けられない、とかなんとか言ってたのは、この事か。どうやらローも堪能したみたいだけど、それがどう繋がるんだ?
ローマがさらに問い掛ける。
「ね、姉さん? 確かに、提督の作るカルボナーラは絶品でしたけど、それとこれとどう関係が……」
「だって私、三回もお代わりしちゃったのよ? それに今日も、なんだかんだとパスタを二人前……。
このままじゃ、絶対に太っちゃう。だから、あえて露出度の高い水着を着て、水泳でダイエットしなきゃ! と、思ったの」
「……あれ? でもでも、ローちゃんたちって太らないんじゃ……」
「いいえ、いいえっ! そうやって油断するのがいけないんです! 見えない所にお肉が付いてからでは遅いんです! つまめるようになってからでは、ダメなんですっ!!」
「い、イタリアが燃えてる……」
今までの、おっとり・ふわふわな印象から一変。イタリアは瞳に炎を宿して熱弁する。
ダイエットのために水着か……。絶対に太らないと知っていても、気にせずにはいられない乙女心、という奴だろう。
ここはひとつ、自分も一肌脱いだ方がいいかも知れない。
というか、さっきから「YouやっちゃいなYo!」的な衝動に襲われているのだ。
海へ行け。服を脱げ。そして泳げと、内なるもう一人の自分が叫んでいるのだ!
……と、いう訳で。
「よぉし、分かった! 部下の不安を解消するのも上司の務め。付き合おう! 行くぞイタリア!」
「提督……! はいっ。戦艦イタリア、抜錨です!」
「え、え、あの、駄目よ二人ともっ、私たちは待機してなきゃ……」
「ローちゃんも行きますって! 泳ぎはまかせろー。ばりばりー」
「ちょっと、だから……ぁぁあもうっ、行けば良いんでしょう行けばっ!?」
イタリアとローを引き連れ、自分は部屋を飛び出す。
燦々と降り注ぐ陽光の下、ヤケクソになったローマの叫びと、蝉の声が響いていた。
後先なんて考えず。いざ、海岸線へ!
みーずぎーだワッショーイ!
「イタリア……ロー……ふひ、みずぎだ、ワショーイ……ふひひひ……」
「提督、提督! しっかりなさって下さいっ。ここは日本で、今は冬ですよ提督!」
「比叡姉様……。一体、提督に何を食べさせたんですか……?」
「た、ただのカレーだってばぁ! お母様直伝のスペシャルレシピを、わたし流にアレンジしただけなのにぃ……っ」
「どう考えたってソレのせいデース!? 致し方ありまセン、ここはmouth to mouthの人工呼吸を……。んん~……ってOuch!?」
「はいはいどいて下さいねー。急患を医務室まで運びますよー。こちら疋田ー、胃洗浄の準備お願いしまーす」
「さて、と……。みんなー! 出撃……じゃないけど、準備は良いかにゃ~ん? ばんご~う、一!」
「二よぉ」
「三です」
「四だぴょん!」
「五だよ!」
「七で~す」
「八だ」
「九……」
「十です!」
「十一ぃ……。ってか帰りたい……」