新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と愉快な仲間たちの里帰り・その二

 

 

 

「あの……。少しいい――ひゃっ」

 

 

 皆が台所へと去ってから、わずか二十分ほど。

 再び応接間に舞い戻ってきた霞は、広がる惨状に思わず後ずさった。

 

 

「アナタは確か……霞ちゃん? で良かったかしら」

 

「は、はい、合ってます、けど……。天龍、さん?」

 

「――っ――っ!――っ!?」

 

 

 朗らかに微笑む壮年の女性。これはまぁ普通だろう。

 問題は天龍。リスのように膨らんだ口元を手で覆い隠し、今度こそ本物の涙を垂れ流す姿は、なんの拷問を受けたのかと問いたい光景だった。

 だというのに、ケラケラ笑う女性が場違いである。

 

 

「いやー、天龍ちゃんってばいい飲みっぷりに食べっぷりで、つい勧め過ぎちゃったみたい」

 

「そう、ですか……。可哀想に……」

 

 

 聞こえないよう、後半はボソッと言ったおかげか、矛先が霞を向くことはなかった。

 しかし、脳内には天龍の悲痛な叫びが響いている。

 お茶なのに甘酸っぱ辛い。花林糖なのに苦くてしょっぱくて酸っぱい。このままじゃ味覚が死ぬ。

 どうすれば助けられるのかと、霞は思わず考え込んでしまうが、意外にも原因の方から話題が修正された。

 

 

「んで、何か用? 料理するんじゃなかったの?」

 

「あ、そうだった。鍋が足りなくなっちゃって。お父さんが物置から出してきて欲しいって」

 

「あらそうなの。じゃ、取りに行きましょっか。ごめんなさいね、天龍ちゃん。ちょっと待っててくれる?」

 

「っ! っ! っ!」

 

 

 よっこらしょ。と、年寄り染みた声を出し、女性が席を立つ。

 送り出す天龍はといえば、それはもう、もげるんじゃないかという勢いで首を縦に振っていた。

 おそらく、この隙にマーライオンしたり、正常な味の水分を補給するのだろう。

 後手に襖を閉めつつ、健闘を祈る霞であった。

 

 板張りの廊下を進み、遠くに台所からの騒ぎ声を聞いてしばらく。

 何度か曲がり角を過ぎた所で、靴脱ぎ石を降りて庭へ。

 サンダルを鳴らし、小さな物置に向けて歩いていると、不意に霞へと声が掛かった。

 

 

「それで、もう一つの要件は?」

 

「えっ。……なんの事、ですか」

 

 

 霞の足が止まる。

 少し先で振り返るのは、してやったり、という顔だ。

 

 

「隠さなくたって良いわよ。その表情を見れば、何か言いたい事があるのは一目瞭然。言いにくそうな感じからすると……。もしかして、バカ息子のこと?」

 

「……はい」

 

 

 数秒ほど迷ってから、霞は静かに頷く。

 そんなつもりはない……と、霞本人は思っていたが、言われてみれば、確かにちょうど良くもあった。

 話したいこと。話さなければならないことが、あった。

 

 

「今年の夏の終わりにあった事、聞いて……ますか」

 

「夏頃? さぁ。さっきも言ったけどね、あのバカ息子、軍に入ってから一通も手紙寄越さないのよ? 電話くらいなら二~三回あったけど、特に何も聞いてないわねぇ」

 

「……そう、ですか」

 

 

 ホッとしたのと同時に、息苦しい。複雑な心境のまま、霞は地面を見つめる。

 そのまま時間が過ぎるけれど、すぐ側で待ってくれる、暖かな気配があった。

 どこか、覚えのあるそれに助けられ、軍規を破る覚悟は決まった。

 

 

「あいつは……。司令官は、死にかけたの。……私のせいで」

 

 

 話したかったのは、あの日の出来事。

 フラ・タ強襲により、霞自身も大きな傷を負った、硫黄島到達任務の最中の事件だ。

 顔を上げると、静かに、無表情に見つめられていた。

 ドクン、と鼓動が暴れる。

 あるかどうかも分からない心臓が、痛い。けれど、ここで止まるわけにはいかない。

 霞は大きく息を吸い込む。

 

 

「詳しい事情は話せない……んですけど。でも、司令官が私を助けようとしなければ、傷付くことなんて無かった。私が、殺しかけたの」

 

 

 現在、能力者の死因で最も大きな割合を占める、フィードバック現象。これは一般にも知られる現象である。

 無機物と魂を交感させる代わりに、船の損害を負傷として受け取ってしまう、傀儡能力の代償として。

 国民には知らされていなかった、“桐”の負傷情報を提示したにも関わらず、その母親は微動だにしない。

 腕を組み、ただ、霞を見ている。

 

 

「だから、謝っておきたかった。

 許してもらえないかも知れないけど。

 私なんかが謝ったって、意味ないかも知れないけど。

 ……本当に、ごめんなさい」

 

 

 責められているのか、見定めようとしているのか。

 どちらにせよ、霞には頭を下げる以外に選択肢はなかった。

 いらぬ傷を負わせてしまい、尚かつ、それを知ることすら許されなかった“家族”に対して、謝罪することしか出来なかった。

 霞の視界には、また地面だけが映るようになる。

 拷問に近い静寂が続く。

 

 

「あの子が軍に入らなきゃいけなくなった時ね、バカみたいに取り乱したわ」

 

「……え?」

 

 

 しかし、場違いに明るい声が、重苦しい帳を揺らした。

 再び霞が顔を上げると、そこには懐かしむような微笑が。

 

 

「傀儡能力者。人類の防人(さきもり)。聞こえは良いけど、殉職率が九割を超える仕事だもの。

 なんで、どうして、ふざけないで。誰彼構わず、そんな風に罵ったもんよ。

 それが今では、巷で騒がれまくってる“桐”なんでしょう? しかも、国勢を左右するとまで言われる。なんの冗談かって話よね」

 

 

 雲の流れる空を見上げ、その人は一度背を向ける。

 大きく背伸びをし、下ろす勢いで腕を回す体操まで。

 落ち着き払った様子に、霞の方が戸惑ってしまう。

 

 

「怒ってない……んですか。息子さんが、怪我させられたのに」

 

「怒るも何も、元気にしてるじゃない。今さら責め立てるのはお門違いだと思うわ。

 霞ちゃんだって、ワザと巻き込んだ訳じゃないでしょ? それとも、嫌味とか言われたの?」

 

 

 腰に手を当て、ニカっと笑顔が振り返る。

 少しだけ心配そうに歪むけれど、霞が首を横に振れば、笑いジワがまた深く。

 

 

「なら気にしない、気にしない。あの子も望んでないわよ、きっと。

 まぁ、目の前で怪我されたら、どうだったか分からないけどねぇ。二度目だし」

 

「二度目?」

 

「本人は覚えてないんだけどね。中学生の頃、あの子は大きな交通事故に巻き込まれて、一ヶ月も意識不明だった事があるのよ」

 

「嘘……。そんな事、一度も……」

 

「だから、忘れちゃってるのよ。回復したのが奇跡だって言われる位の、本当に酷い状態だったんだから」

 

 

 そんなまさか……と、霞は口元を覆う。

 たった数時間、目覚めないのを見守っただけで、二度と味わいたくないほど不安だったのに。

 本当に目を覚ますんだろうか。本当は痛みを感じてるんじゃないか。代われるものなら代わりたい。

 一ヶ月。

 こんな想いを、一ヶ月。

 

 

「けど、あの子は生きてる。無事に帰って来て、今も笑ってる。

 十分よ。それ以上に望むことなんて、ない。

 こうやって諦めなきゃ、軍人の家族なんかやってけないわ」

 

 

 言葉を無くす霞に、また投げ掛けられる微笑み。

 なんて強い人なのだろう。

 必要に迫られて、身に付けたのかも知れない。本当は強くなんてないのかも知れない。

 でも、これが“母親”なのだと、そう思わされた。

 

 

「……なぁんか、不満そうな顔ねぇ」

 

「えっ。そ、そんな事ない……ですけど」

 

「嘘おっしゃい。大人を舐めるんじゃないわよ」

 

 

 ところが、見惚れていられたのも束の間。

 弓なりを描いていた目が、ズィっと霞を覗き込むのと同時にジト目へ変化し、終いにはデコピンまで。

 普段なら食って掛かるものを、何故かそんな気も起きず、霞は自らの内を探る。

 まだ言えていないこと。伝えていないこと。

 それは、本人が自覚するよりも先に、言葉として紡がれる。

 

 

「あいつ、バカみたいな事、言ったんです。

 手術が終わって、目が覚めたばっかりだっていうのに。真っ白な顔で、こう言ったんです。

 何度でも、同じことをする。この生き方は、絶対に変えない……って」

 

「……じゃあ、また怪我をして、死にかけるかも知れない訳だ。霞ちゃんはそれが辛いんだ?」

 

 

 無言で、今度は縦に首を振る。

 また危機に陥ったとして、何度でも助けてくれるという約束。嬉しく思わない訳ではない。

 けれども彼は、助けられた側の気持ちを理解していないのだ。助けられる事こそが、痛みを生む場合もある事を。

 自分のせいで誰かが傷つく。自分のせいで誰かが苦しむ。

 霞にとっては、それが一番嫌なことなのである。

 

 

「あーもう! 可愛い!」

 

「ふむっ!? え、なにっ」

 

 

 何故だか、霞は抱きしめられていた。

 唐突な柔らかさに、ただ呆然と撫で回され続けている。

 

 

「やっぱりあの人の子ねぇー。本っ当に、どうしようもないわー。

 こんな可愛い子たちに想いを寄せられて、そのせいで苦しんでるっていうのに、気付こうともしないんだから」

 

「ち、違うわよ!? 別に私、アホ司令官のことなんて……!」

 

「あんら~? 誰もバカ息子の事だとは言ってないわよ~?」

 

「あ」

 

 

 想いを寄せ、の部分に過剰反応し、ハグから逃げ出そうと暴れる霞。

 しかし、揚げ足を取られて硬直。恥ずかしさで唇と眉を歪ませた。

 降ってくる笑顔はますます深く、また胸に抱きしめられる。

 この小狡さとスキンシップ過多具合い。間違いなく、“アレ”の親である。

 

 

「大丈夫よ」

 

 

 けれど、次に掛けられた言葉には、意外なほどの優しさが込められていた。

 とても静かで。

 まるで、我が子へ呼びかけるような。

 

 

「これから先、どんな事があろうとも。あの子は生きて帰ってくる。

 この家を出る時、そう約束したもの。

 わたしは、母親としてその言葉を信じてる。だから、絶対に大丈夫」

 

 

 ぎゅう、と霞を抱きしめながらの、近しい昔語り。

 一体、どんな風に交わされた約束なのか。そう思いを馳せて、今とは逆かも知れないと、霞は思う。

 抱きしめるのが“彼”で、抱きしめられるのがこの人で。

 多分、言葉自体は違うだろうけれど、伝わってくる想いに、遜色はないと思えた。

 

 

「まだ不安なら、霞ちゃん。アナタがあの子を守ってちょうだい」

 

「……私が?」

 

「ええ。それとも、目の前であの子が苦しんでいる時、アナタは黙って見ているだけなの?」

 

「そんな訳ない! 守ってみせる、助けてみせるわっ。今度こそ、必ず!」

 

 

 ありもしない仮定に、霞は必死の形相で誓いを立てる。

 もう二度と。決して“司令官”を失いはしない。

 命に代えても――いや、それでは駄目だ。どんな状況であろうと、最後まで“自分”を諦めず、生きて帰る。

 そうしないと、あいつが泣いてしまうだろうから。

 

 

「なら安心。約束したからね。忘れちゃダメよ」

 

「……うん」

 

 

 ポンポン、と手を叩かれて、ようやくシャツを握りしめているのに気付いた。

 破れそうなそれを離し、今度は、霞の方から温もりへ身を預ける。

 抱きしめ返されるのが、なんだか嬉しくて……寂しかった。

 どうあっても、こんな風にはなれないから。

 統制人格は、人との間に子を宿す事が出来ない。決して母親にはなれない。

 それを寂しいと感じてしまうほど、親子の繋がりというものが、羨ましかった。

 

 

「さぁて、早いとこ鍋を探して、戻りましょうか。みんな待ちくたびれちゃうわ」

 

「うん!」

 

 

 弾むような声と、あいつには絶対に見せたくない、素直な笑顔を残して、霞は物置に駆けていく。

 小さなその背をゆっくり追いながら、呟かれた言葉は――

 

 

「護国の為の人身御供、か……。人間って、どこまで残酷になれるのかしらね……」

 

 

 ――誰にも聞こえないまま、遮る物のない空へ、吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「あらあら~。霞ちゃんってばぁ、見事に外堀りを埋めちゃってるのね~」

 

 

 一方、邸宅敷地内にある藪の中では、鍋を持って家の中に消える霞たちを見つめ、ある少女がホルホルしていた。

 霞と同じく、半袖のシャツにサスペンダースカートと、スパッツ、アームウォーマー。その上からセーターを羽織る彼女は、朝潮型駆逐艦四番艦・荒潮である。

 焦げ茶色をした、艶やかなはずの長い髪は、小さな葉っぱにまみれて残念な有様である。

 しかもその周囲には、同じく葉っぱまみれな少女たちが。

 

 

「ううむ……。金剛お姉様の姿が見えませんね……」

 

「やはり、外から覗くだけでは限界があります。いっそ、屋敷に侵入するしか無いのでは?」

 

「あの、霧島? 普通に挨拶して入れてもらう選択肢はないんですか?」

 

「というか、今の私たちって思いっきり不法侵入なんじゃ……」

 

「古鷹さんやめて。自覚したくないんです。提督のご実家に忍び込むだなんて不敬、この高雄、一生の恥です……っ」

 

 

 順に、比叡、霧島、榛名、古鷹、高雄の五名。

 突然に里帰りを決めた提督を、“無断で”追いかけてきた追跡部隊の一班である。

 それぞれが両手に枝を構え、周辺環境へ溶け込もうとしていた。

 

 

「そのわりに高雄さん、車は喜んで出してくれたわよね~」

 

「だってそれは! ……提督の里帰りについていくだけかと、思って……」

 

「私はてっきり、最上さんたちみたいな、護衛任務の延長かと……」

 

 

 クジ引きで旗艦を押し付けられた荒潮が、後ろの方でブツクサ言っている二人組みへ話しかける。

 思わず立ち上がりそうになる高雄だったが、古鷹に背中を抑えられ、なんとか中腰に留まった。

 先任の重巡たちに比べ、まだ練度の低い彼女は、別な箇所で身の証を立てようと、那智に続いて自動車免許を取得していたのだ。愛宕も同様である。

 しかし、その技術を初めて発揮したのが、よりにもよって独断専行の尾行任務。口車に乗せられてしまった古鷹と共に、酷く疲れた顔をしていた。

 

 

「高雄さんの言う通り! 私たちはただ、提督の里帰りに付き合っているだけ。ちょっとご挨拶は遅れてますが、後ですれば良いんです。

 それより、お姉様はどこなんですか本当にっ。提督のお母様とご対面が済んだ今、もしかしたら一気に結納なんて事にまで……!?」

 

「比叡姉様、流石に飛躍し過ぎです。電さんや鳳翔さんが居ますし、むしろグダグダになってるんじゃないでしょうか」

 

 

 逆に、嫉妬の炎でボイラーをグワングワンいわせているのが、首謀者である比叡と、参謀という名の口車担当、霧島だ。

 姉を愛してやまない比叡の脳内では、「(提督+金剛お姉様)x里帰り=結婚の挨拶」という、三回転捻りな計算式が成り立っており、それを阻止しようと躍起になっているのである。

 提督から、「君が来たら絶対騒ぎになるし外出禁止」と厳命されてしまったのも、一役買っている。

 霧島が着いて来たのは、暴走する姉を制御し、周辺の被害を最小限に抑えようという考えから。楽しんでいる部分も無くはないのだが。

 

 

「……やっぱり、榛名は車に戻ります。他の皆さんは大丈夫ですけれど、私が顔を見られては、提督にご迷惑がかかりますし」

 

「あら~、どうして~? 確かに押しかけてるけど、榛名さんだけダメなの~?」

 

「何か、おかしくありませんか? いえ、おかしいといえば、今の状況そのものがおかしいですけど」

 

「それは、ええと……」

 

 

 そして、気乗りしない顔をしていた最後の少女が、榛名だった。

 半ば強引に、「金剛お姉様のピンチを救うのよ!」と叫ぶ比叡が連れてきた彼女は、とある理由からこの場を去ろうとするのだが、事情を知らない荒潮、高雄が引き止める。

 言いにくそうな榛名に代わり、説明するのは古鷹だ。

 

 

「そっか。荒潮ちゃんも高雄さんも知らないんでしたね。榛名さんは、その。提督の初恋の女性に、ソックリなんだそうです」

 

「あら~。そうだったの~」

 

「初恋の女性に、ですか。それは……なんと言えば良いのかしら……」

 

 

 荒潮ははんなりと、高雄は複雑な表情で口を濁す。

 男性が、女性を連れて実家に帰る。

 普通に考えれば、真剣な交際をしている事の挨拶であろうが、後を追って複数の少女が押しかけている。

 中には彼の初恋の女性に瓜二つな少女も居て、しかもそれが、能力者の深層心理から模られるとされる、統制人格であったなら……。

 まぁ、最初から複数の女性を連れ帰っている時点で、交際の挨拶という線は消えているだろうけれど、印象を良くすることはまず無い。

 迷惑を掛けたくはなかった。

 

 

「なので、榛名は戻ります。どうかご武運を……」

 

「なに言ってるの。榛名は榛名なんだから、ここに居て大丈夫大丈夫」

 

「比叡姉様? でも……」

 

 

 しかし、去ろうとする榛名を、今度は比叡が引き止めた。

 据わりの悪そうな妹へ、猫背になった背中は語る。

 

 

「きっと、提督だって同じ事を言うと思う。榛名は榛名。初恋の人なんて関係ない。

 それでも文句言うような人なんて、ワタシたちがフルボッコしちゃうんだから! ね? 霧島っ」

 

「当然です」

 

 

 振り返らず、彼女たちは言い切った。霧島の眼鏡が輝く。

 虚を突かれた榛名は、手に持つ迷彩艤装(小枝)を取り落とし、次いで周囲を見回した。

 高雄も、古鷹も。そして当然、荒潮も。皆が揃って頷き返す。

 それが嬉しくて、榛名は膝を抱え、俯いてしまう。そうしないと、ニヤけた顔を見られてしまいそうで恥ずかしいのだ。

 小さく聴こえる「ありがとうございます」のせいで、どんな気持ちなのかはバレバレなのだが。

 

 

「こちら、荒潮~。大潮ちゃん、そっちの状況はどう~? どうぞ~」

 

 

 一件落着した所で、荒潮はトランシーバーの送信ボタンをオン。第二班を指揮している姉妹艦へと呼び掛ける。

 声の飛んだ先は、天龍が圧迫接待を受けているはずの応接間が覗ける、これまた藪の中。

 灰水色の髪を頭の両脇で短く縛った、煙突型の帽子が特徴の、朝潮型駆逐艦二番艦、大潮の元だ。

 

 

「感度良好! 現在、天龍さんが縁側に出て、虹色の何かをリバースし続けてるよ! 他のみんなは居ないみたい」

 

 

 元気ハツラツに、しかしヒソヒソと。

 器用な返事をする大潮は、見た目的に霰と深い関係性がありそうだが、実際は満潮と同じ日に完成した、双子のような存在である。

 彼女の側にも、複数の随伴艦が座り込んでいた。

 

 

「うふふ~。たぶん不味かったんでしょうけど~、気を遣って根性で食べまくる天龍ちゃん、最高に格好良かったわ~。後で褒めてあげなきゃ~」

 

「わたしは可哀想になって来ちゃったー。天龍ちゃん、顔色がおかしな事になってる。胃薬用意しておかないとー」

 

「……なんか、龍田さんと愛宕さんたちの声聞いてるだけで、欠伸が出てきそう……。

 北上さんも居ないみたいだし。待っていて下さい、北上さん。

 見つけたらすぐに私が助け出して、そして二人でランナウェイを……。どぅふふ……」

 

「あたしは普通に眠い……。なんでこんな事してんだ……ろ……。ぐー」

 

 

 荒潮とは違った意味合いでホルホルする龍田と、可愛らしいポーチを探る愛宕。

 北上との睦み合いを妄想して涎を垂らす大井に、半分寝ている加古である。

 裏口から侵入した第一班に負けず劣らず、風変わりなチームだった。

 ちなみに、これらのメンバーがどうやって選出されたかと言えば、ほぼ立候補である。

 

 

「荒潮ちゃん、霞ちゃんの様子はどうだった? どうぞ!」

 

『問題ないみたいよ~。相変わらず生真面目で~、司令官のことが大好きなだけだったらしいわ~』

 

「……? よく分かんないけど、大丈夫そうなら良かった。みんな驚いてたから……」

 

 

 荒潮、大潮は、入れ替わりで艦隊内演習を行うはずだった霞の、突然な行動の真意を探るため、嫉妬組みの比叡・大井に着いて来た。

 残って演習をしているはずの、三人の朝潮型――特に満潮から、「霞の事よろしくね」と頼まれ、割と張り切っていた。

 まだ大潮には伝わっていないけれど、荒潮が漏れ聞こえる声を聞いた今、真摯な気持ちからの行動であるのは明白。一安心である。

 

 

「そうよね~。私が天龍ちゃんを送り込んだのとは、全然訳が違うものね〜」

 

「そりゃあそうでしょうよ……」

 

「龍田ちゃんは天龍ちゃんで楽しみたいだけだものねー」

 

 

 かたや、テッカテカになった頬をさする龍田はといえば、提督ファミリーとの対面で起きる騒ぎを楽しむため、自らの姉を差し出したのだった。

 目論見通り、メシマズお菓子を必死な顔で食べまくるという、面白可哀想な姿を見られて御満悦な彼女だが、ちょっと引いてしまう大井と愛宕である。

 大井に関してはどっこいどっこいだと思われるが、触れないでおこう。触らぬ神に祟りなし。

 

 

「ぐぅ……くか? ……くん、くん……。バターで炒められる小麦粉に玉ねぎと、肉の焼ける香ばしい匂い……。これは……間違いなくカレー……」

 

「おおおっ、凄いです加古さん! こんなに離れてるのに、よく分かりますね!」

 

「うふふ。加古ちゃんってー、お腹が空くと嗅覚がワンちゃん並みになるのよねー。凄い特技ー」

 

 

 スニーキングミッション中にも関わらず、普通に皆が喋りまくっている中、睡眠欲から黙っていた加古が、急に鼻を動かし始める。

 漂ってきそうな臭いといえば、天龍がスプラッシュしたブツくらいのものだが、実際にはしてこない。

 ほぼ無臭のはずなのに、家中の調理を感じとるとは、凄まじい食欲である。愛宕がパチパチ拍手していた。

 

 

「そういえば、朝から何も食べてないわね~。私もお腹空いちゃったわ~……」

 

「急にだったものね……。外出許可も取ってないし、バレたら怒られそうだけど……。

 でも、北上さんが提督のご両親に挨拶だなんて、言語道断よ! どんな手を使ってでも妨害しないと……!」

 

 

 しかし、言われて空腹感を思い出してしまった龍田は、「くぅ」と鳴く腹を押さえて切ない顔に。

 大井も同様に空腹を感じていたが、彼女にとってそれは二の次。比叡にも負けぬ情熱と嫉妬心を燃やして誤魔化す。

 気の優しい北上。状況に流されてうっかり提督ラブ勢と勘違いされたら、なんとなーく違うと言い出せずに既成事実が積み上がってしまうかも知れない。

 

 ――そんなの絶対にダメなんだから!

 

 

「でも、腹が減っては戦はできぬ、とも言いますよ、大井さん! 大潮、鳳翔さんの料理も好きですけど、妙高さんの豚汁とかも好きです!」

 

「あー。美味しいわよねー。お野菜たっぷりでー、あったまるのよねー」

 

「そうそう~。お肉もたくさん切らなきゃいけないから、手伝ってても楽しいのよ~」

 

「……その楽しみ方で良いのかしら。はぁ、お菓子でも持って来れば良かった……」

 

 

 ……とは思うものの、周囲があまりに“のほほ~ん”としているせいか、けっきょく食べ物談義に参加してしまう大井。

 カレー。豚汁。アジの開き。お新香。サラダ。スパゲッティ。ピザ。グラタン。ステーキ。豚カツ。脳裏に様々な料理が、浮かんでは消える。

 考えれば考えるほど、腹の虫が泣き叫んだ。四人は車座になってため息をつく。

 

 

「ところで、加古ちゃんはー? ついさっきまでそこに居たのに……」

 

「……あら~? どこ行っちゃったのかしら~?」

 

「どうせ、そこら辺で昼寝してるだけでしょう。気にすること――あぁ!?」

 

 

 ふと、愛宕が気付いた。一人足りない。

 眠い眠いと言いながら鼻を動かしていた加古の姿が、いつの間にか消えていたのである。

 龍田が慌てて周囲を見回しても、人影は見当たらず……。

 ただ一人、興味無さげな大井は応接間の監視に戻ろうとし、次の瞬間には素っ頓狂な声を上げてしまった。

 何故ならば――

 

 

「お腹……減った……。もう、我慢出来ない……。お恵みをぉおぉぉ……」

 

「か、加古ぉ!? お前、なんでこんなとこに!? いや、とにかく助かったっ。ほら、こっち来い! オレの分まで食ってくれ!」

 

 

 ――既に加古は、天龍によって、新たな生贄となってしまっていたからである。

 虹色に輝く水溜りに後ろ足で砂をかけ、彼女はいそいそと加古を引っ張り上げていた。

 最早、誤魔化しが効く状況ではない。

 

 

「……こ、こちら大潮……っ。加古さんが敵の罠に掛かってしまいました……! これより、戦術的撤退を開始しまーす……! コソコソ……」

 

 

 作戦の失敗を悟った大潮は、速やかに撤退命令を下した。

 正確に言うなら罠でもなんでもなく、勝手に自滅しただけなのだが、まぁ、その辺は置いておくとして。

 大潮からの連絡を受け、動かざるを得なくなった第一班へ視点を移そう。

 

 

「あ、あらあら~。なんだか、マズい事になっちゃったかしら~」

 

「どうかなさったんですか?」

 

 

 変わらずはんなり口調な荒潮であるが、その頬には大粒の汗が伝っている。

 問い掛けてくる榛名へ答える余裕もなく、彼女も大急ぎで撤退準備に入った。

 

 

「ええと~、詳しい説明は後でするから、とにかく撤退よ~」

 

「はぁ!? こんな状況で撤退なんて……!

 こうしている間にも、トントン拍子に縁談が進んでたら……。

 いつの間にか婚姻届を提出しちゃってて、今夜が新婚初夜なんて事にまで……っ。

 わたしは一人でも、断固、徹底、抗戦です!!!!!!」

 

「ひ、比叡姉様、落ち着いて下さいっ」

 

「そうですっ、この藪は狭いんですから、騒がれるとすぐにバレて――あっ、眼鏡が!?」

 

 

 ……いや、入ろうとはしているのだけれど、比叡は意固地になり、榛名はオロオロするばかりで、霧島は肩がぶつかった拍子に眼鏡を落としてしまう。

 藪がガサゴソ音を立て、誰か人が見ていれば、確実にバレるはずである。

 古鷹と高雄が顔を見合わせた。

 

 

「どうしましょう、高雄さん。私たちだけでも帰ります……?」

 

「……そうしましょうか。このままだと、提督にお叱りを受け――」

 

「おねーちゃんたち、何してるのー?」

 

 

 うなずき合い、保身のために重巡たちが仲間を見捨てようとした、まさにその時。愛くるしい少年の声が響いた。

 ビシリ、と空気が凍りつく。

 五秒ほどの硬直時間を置き、錆び付いた機械が如く、ギクシャクした動きで皆が振り返った先には、目を輝かせる幼い子供――提督の下の弟、小助が体育座りをしていた。

 

 

「もしかして、かくれんぼー? だったら僕もやるー!」

 

「あ、あら~。違うのよ~? これは~、とっても大事なお仕事をしててね~」

 

「……ダメなの……?」

 

「ダメじゃないのよ~、ただ、ちょっと間が悪いだけで~……」

 

「……うー」

 

「あっ、待って、泣かないで~」

 

 

 家族が料理に掛かりっきりなせいで、暇だったのだろう。無邪気に遊んで欲しいとお願いする小助だったが、色良い返事を貰えず愚図り始める。

 宥めようと荒潮が頭を撫でるも、目尻に涙は溜まり……。

 そんな時、また遠方から聞き覚えのない声が聞こえてきた。

 

 

「おーい、小助ー。じきに昼食ができる、家の中に居なくては駄目だぞー」

 

 

 小助のことを探し回る、短髪の女性。提督の上の姉、大姉と呼ばれる女性だ。

 といっても荒潮たちには誰だか分からないのだが、目の前にいる少年の家族であることは直感的に理解できた。

 不法侵入。泣いている少年。一部、日常的ではない格好をした少女たち。

 どう考えても、務所まっしぐらであった。

 

 

「マズい、ヤバい、ピンチです!? このままじゃ見つかって捕縛されて尋問される!?」

 

「あぁぁ、やっぱり榛名だけでも逃げていれば……!」

 

「いえ、そこまではされないと思いますが、通報でもされると面倒ですね。ところで眼鏡知りませんか、眼鏡。このままじゃ逃げられません」

 

「ちょ、ダメです霧島さんっ、そんなに動き回ったら……あっ、古鷹さん後ろっ!」

 

「え? ……きゃっ!?」

 

 

 段々と近づいてくる女性の姿に、第一班は大慌て。

 押しくら饅頭状態で隠れようとするけれど、本体――もとい、眼鏡を求めて彷徨う霧島が、うっかり古鷹にぶつかった。

 そして、古鷹が高雄にぶつかり、高雄が荒潮にぶつかり、荒潮が比叡にぶつかり、比叡が榛名にぶつかり。

 将棋倒しに、少女たちが藪の外へ押しやられた。

 

 

「……裕子? いや、そんなはずは……」

 

「……こ、こんにちは……」

 

 

 当然、見せられる方は目を丸くするしかない。しかし、大姉は別の理由で驚きを隠せなかった。

 上目遣いの苦笑いを浮かべる榛名の顔は、彼女の幼馴染と瓜二つだったからである。それも、遡ること十年以上前の。

 誰だ。なんでここに。あの脂肪はどこへ行った。

 色んな考えが頭をめぐる中、一つ確かなのは――

 

 

「者共、出あえぇぇえええっ!! なんか巫女服っぽいコスプレした変質者が紛れ込んでるぞぉおおぉぉおおおっ!!!!!!」

 

「ち、違いますっ、榛名たちは……!」

 

「とにかく逃げましょ~!」

 

「ぬっ、待たんか痴れ者めぇええっ!」

 

「あ、かくれんぼじゃなくて鬼ごっこー? わーい!」

 

 

 ――この少女たちが、不法侵入者であること。

 こうして、提督一家を巻き込んだ大捕物は、幕を開けたのである。

 

 騒ぎはまだまだ続く……。

 

 

 


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