新人提督と電の日々   作:七音

54 / 107
新人提督と愉快な仲間たちの里帰り・その一

 

 

 

 まるで生き地獄だ。

 

 ガスストーブが焚かれ、背中と右側を襖で、残る左を雪見窓のついた障子で塞がれた、十六畳の和室にて。座布団の位置を直しながら、つくづくそう思う。

 床の間には「撥乱反正」と書かれた掛け軸が飾られ、漆塗りの大きな座卓が置かれるそこで、自分“たち”は二人の人物と向かい合っていた。

 正面は腕を組む男性。刈り込まれた短髪と角張った顔が特徴で、料亭の板前と言っても通用する雰囲気を放っている。

 はす向かいの女性は、肩ほどに切り揃えられた茶髪を持ち、柔和な笑みを浮かべている。

 二人とも、ごく一般的な洋服――よく伸びーるフリース素材で身を固めていた。

 

 

「あの……。なんで“俺”にだけお茶無いの……?」

 

「あら御免なさい、忘れてたわ。でもまぁ、仕方ないわよね。何通も手紙出してるのに、一通も返事を寄越さないようなバカ息子の母親だもの。おっほっほっほっほ」

 

「何その笑い方、気持ちわる。ま、無い方が助かるけどさ……」

 

「 あ ぁ ? 」

 

「ごめんなさい母さん許して下さい! 親父からもなんか言ってくれよぉ!?」

 

「今回は、お前が悪い」

 

「そんなぁ……」

 

 

 しかし、見る者を和ませていた笑顔は、自分の一言によって般若へと変貌。

 隣の男性――親父へ助けを求めるも、すげなく突き放されてしまった。

 そう、この二人は自分の……世に桐林として名を知られる能力者の、両親だった。

 

 

「さ、差し出がましいかも知れませんが、あまり責めないであげて下さいませんか? 立て続けに、様々なお仕事が舞い込んでいましたから、きっと忙しくて……」

 

 

 思わず机に崩れ落ちる自分を、左隣で正座する“彼女”が、苦笑いを浮かべつつフォローしてくれる。

 どんな状況でも気遣いを忘れず、ひたむきに支えようとするその人は、和装に身を包む妙齢の佳人――鳳翔さんである。

 スッと伸びた背筋が美しく、それを見た母など、まるで貴婦人を相手取るように畏まってしまう。

 まぁ、確かにそう扱ってほしい人だし、良いんだけども。

 

 

「すみません、お見苦しい姿を……。ところで、もう一度お名前を伺っても?」

 

「はい。横須賀にて、身の回りの世話を任されている、鳳翔と申します。いつも新鮮な卵を送って頂いて、とても助かっています」

 

「まぁまぁ、そんなお礼なんて。キチンと代金いただいてる訳だし、ねぇ?」

 

「足しになるなら、こちらとしても」

 

 

 主婦特有の謙遜に巻き込まれた父は、言葉少なに目を伏せる。

 緊張しているわけでも、嫌々付き合っているわけでもない。ただ単に、無口なのだ。

 物々しい見た目と相まって、怒った時の迫力は抜群である。

 

 

「ほうしょう、ほうしょう……。答え辛い事だったら申し訳ないんだけど、大陸の方だったり?」

 

「あ、いえ。産まれも育ちも日本です。私は、航空母艦の――」

 

「あぁあぁ、なるほど。空母から取ったのね。戦争が始まってから増えたものねぇ、軍艦の名前を持ってる子」

 

「いえ、そうではなく……」

 

 

 鳳翔さんの自己紹介を遮り、勝手に納得し始める母。

 世に傀儡能力者が現れてからというもの、能力者が使役する船たちは、以前にも増して特別な存在となった。

 そして、特別なものにはあやかりたいと思うのが、自分も含めた一般大衆というもの。現に、学生時代のクラスメイトにも何人か、軍艦の名前を持つ子が居たもんだ。

 といっても、響とか深雪とか摩耶とか、普通に名前として通用するものばかりだったから、それとは知らなかったが。

 しかし、見事に勘違いしてるな、母さん。早めに誤解を解かないと……。

 

 

「息子は、軍人として、どうでしょうか」

 

「……はい。とても立派な方だと思います。

 戦いに身を置く以上、否応無く辛い思いを強いられてしまいます。

 けれど、常に笑顔を忘れず、逆に周囲を笑顔にさせてくれて……。

 こうしてお仕え出来るのは、私にとっても幸せな事です」

 

「そう、ですか」

 

 

 親父は親父で、なんだか薄ら笑いを浮かべている。

 ……喜んでくれてるんだろうけどさ。笑い慣れてないせいか、ちょい不気味です。

 自分としても、珍しく褒めちぎられて恥ずかしい。

 意に介してないのは、座卓へ身を乗り出す母くらいのもので……。

 

 

「全くもう。あんたね、こんな良い人を捕まえてるんだったら、もっと早くに紹介なさいよ。夏だって帰ってこなかったし」

 

「いやだから……。本当に忙しかったんだよ、あの頃は。色々あって……」

 

「ふぅん。ま、軍に居るんだし、言えないことも多いか」

 

 

 責めるような物言いに、しかし、口を濁すことしか出来ない。

 ご多聞に漏れず、軍も長期休暇を取れる期間が夏にあるのだが、ちょうどその頃、自分たちは硫黄島航路開拓任務を遂行していた。

 オマケと言ってはアレだけど、あの任務で自分も負傷し、長期休暇の事なんて頭から吹っ飛んでいたのだ。だから仕方ないのである。

 ……なんて、言い訳できれば楽なのに、桐生提督の事もあって未公表だから、誤魔化すしかなかった。心配させたくないし。

 けれども、一応軍人の身内だけあって、多少は理解があるらしく、母はすんなり引き下がる。

 引き換えに――

 

 

「なら、まずは二人の馴れ初めでも聞かせて貰いましょうか」

 

「いえ、その。私と提督は、お母様の思っているような関係では――」

 

「お母様! ねぇ聞いた? お母様だって! うちのアホ娘共に聞かせてやりたいわぁ」

 

「あの、き、聞いて下さいっ。とても大事なことで……」

 

 

 ――面倒臭い事この上ない、勘違いに基づく話題を展開しつつ。

 なぜこうなったのかを説明するには、少々時間を遡らなければならない。

 それは、今から三十分ほど前の事である……。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「はぁ……。あ~……。ふぅ……」

 

 

 法定速度で移動する、住宅と標識たち。

 流れ行く街並みをぼうっと眺めながら、マイクロバスの助手席に座る自分は、ひたすら溜め息をついていた。

 いっそドナドナでも歌い出したい気分なのだが、実際やると面倒かつ性質の悪い連中が湧くので、我慢するしかない。

 そのストレスが一層に気持ちを暗くさせ……。嫌な悪循環だった。

 

 

「……すまないが、司令官。運転中にずっと溜め息をつくのはやめて貰えないか? 集中できなくなる」

 

「だって……。気分的にどうしても出ちゃうんですよ……。あ、そこ左です」

 

「うむ」

 

 

 運転手を務めるサイドポニーの女性――那智さんは、後方確認ついでに、迷惑そうな視線を向けてくる。

 そりゃあね、物凄く気分を害しちゃってるのは理解してるんですよ? でも……。

 

 

「長閑な街並みですね。鎮守府近辺とは全く違って、なんだか落ち着きます」

 

「ホントホント。畑が一杯だわ。あれって白菜かしら?」

 

「なのです。ああやって葉っぱを縛ると、中が甘くなるって本で読んだのです」

 

「あっ! 鳥も飛んでるわ! 白鳥かな、白鳥よねきっと! 真っ白で綺麗ー」

 

「丹頂鶴の可能性もあるよ、暁。でも、白鳥だとワタシは嬉しいな。シベリアは寒かっただろうね……」

 

「んな事より、まだ着かねぇのかよー。退屈過ぎて寝ちまいそうだぜ、オレ。霞もそうだろ?」

 

「……確かに。天龍さんの言う通り、ただ景色を眺めるのも飽きてきたわ。この景色が嫌ってわけじゃないけど」

 

「あたしも結構好きー、のんびり出来そう。大井っちも来れれば良かったのになー」

 

 

 ……背後で騒いでるみんなとの温度差が、また溜め息を誘うんだよなぁ……。

 今年も暮れに差し掛かった頃。

 くたびれたスーツで身を固めた自分は、統制人格を十名ほど連れ、一路、関東にある実家へと向かっている。

 発言順にメンバーの名前を挙げると、鳳翔さん、雷、電、暁、響、天龍、霞、北上。プラス那智さんである。

 那智さんが運転席、自分が助手席に座り、那智さんの後ろに鳳翔さん、天龍、霞。自分の後ろに雷・電、暁・響、北上が座っている。一番奥のラスト一人については……後で触れよう。

 天龍たちに続き、普通自動車・中型自動車免許を取得した那智さんに運転を任せ、悠々自適な二泊三日の旅……となるはずが、何故こんなに落ち込んでいるのか。

 理由は、ほんの二十一時間前に送られてきた、とある電報にあった。

 

 

「しかし、急とはいえ年末の里帰り。普通なら喜ぶべきだろうに、何を嫌がる事がある?」

 

「そりゃね、普通に自分のタイミングで帰るんだったら楽しみですよ。でも……うぅぅ……そのまま信号を三つほど……」

 

「司令官さん。どうして、そんなに“家族会議”を怖がってるんですか?」

 

「そうですね……。ちょっと物々しい雰囲気はありますけど、そこまで怯えるほどの事では……」

 

「なのです」

 

 

 ますます気落ちする自分に対し、電と鳳翔さんが示した、家族会議という言葉。

 これが、件の電報に書かれた文だ。より正確に言うなら、「家族会議招集」という一文になる。

 普通に考えれば、ちょっとヤンチャしちゃった子供が、親に叱られる構図を思い浮かべるはずだ。

 その点に関しては間違っていない。

 

 

「もう身体に刻み込まれてるんだよ。家族会議=辱めの場って。それに、“桐”を襲名したのも黙ってたから、多分その事を責められる……」

 

 

 だが、幼い頃から繰り返し行われたそれは、もはやトラウマに近い恐怖感を与えてくるのである。

 幼稚園。当時は好き嫌いが激しく、作ってもらった弁当をひっくり返しちゃった事へのお叱り。

 小学二年。手放し運転の自転車で、近所の田んぼに突っ込んだ事へのお叱り。

 小学五年。姉の友人に想いを寄せていることがばれ、それに対する余計な応援。

 わずか一週間後。傷心の自分をどうやって慰めるか、ヒッソリ深夜に集合。トイレに起きたら目撃しました。

 その後も枚挙に暇がないのだけれど、黒歴史を思い出すのが嫌なので割愛する。

 とにかく、厭しさ(造語)と切なさと心苦しさ満点のイベントなのだ。

 無視なんかしたら、まず間違いなく横須賀へ乗り込んで来るだろう。そうなれば“また”鎮守府が大混乱に陥るので、急遽、この里帰りが実現したのである。

 ちなみに、今も自分が横須賀に居ると思わせるための、偽装工作も行われている。情報漏洩は無いといいんだけど……。

 

 

「黙ってようかと思ったけど、言わせて貰うわ。自業自得じゃないの?」

 

「うぐ。えーえーそうですよ……。霞の言う通り、大抵は調子乗った自分が、ただ叱られてただけだよ……。

 木登りして降りられなくなったり、ザリガニをバケツ一杯に取ってきたり、セミの抜け殻を壁一面に飾ったり……。

 あぁぁぁぁ、なんであんな事したんだ自分はぁぁぁぁぁ……」

 

「若さ故の過ち、ってヤツか? 認めたくねぇモンだよな……」

 

 

 後ろの方で景色を眺める霞は、呆れた顔で小さな溜め息。そのさらに後ろでは、天龍が赤い彗星っぽい事を言いつつ、溜め息をついていた。

 いつの間に見たんだ、初代ガン○ム。確かに共有PCの中にあるけどさ。誰が入れたんだか分からない全シリーズが。

 ってか、なんでついて来たんだ霞? 自分、付き添い頼んでないぞ?

 

 

「はぁぁぁ……。帰りたくない……。どうせ桐ヶ森提督との関係を誤解されてるし、説明面倒臭い……」

 

「こら。シフト操作の邪魔になるではないか」

 

 

 思わず、助手席の肘掛けへ額を擦り付け、自分はうな垂れる。

 面倒臭いのは何も、“桐”の襲名を隠していた事だけじゃないのである。

 全くもって予想外な、桐ヶ森提督とのキスシーン流出。

 もちろん誤解なのだが、世間一般には“そういう関係”だと認知され、殺害予告がネット上に乱舞。百を越える身柄拘束者まで出た。

 面白そうなネタがあれば、後先考えず報道したがるブン屋共に、怒りを禁じ得ない。青葉だって空気くらい読むぞ? 引き換えに財布は軽くなるけど。

 金剛の暴走だって、電が必死に執り成してようやくだったのだ。それが、手紙で「早く子作れ長男」とせっつく母だったなら……。

 あぁぁぁ、考えたくもないぃぃ……。

 

 

「うんうん、大変ね。でも私は、会ってキチンと説明してほしい、司令官のお母さんの気持ちも、理解できるかな」

 

 

 ぽすん、と。頭に手を置かれる感触。電の隣、通路側に座る雷だ。

 細い腕をめい一杯伸ばし、頭をナデナデしてくれている。……気持ちいいけど、そろそろやめて。恥ずかしい。

 電さん、真似しようとして腕を伸ばしてるけど、シートベルトに阻まれて「届か、ない、のですぅ」とか言ってるし。本気出されたらマズいです。

 それはさておき。ナデナデ攻撃を続ける雷のあとには、席の隙間から顔を出す響が賛同する。

 

 

「前に金剛さんから聞いたけれど、軍へ入る時、家族に泣かれたんだよね。司令官の事が心配なんだよ。

 ましてや、大きな危険にさらされる“桐”かも知れないと分かった、今のお母さんの心情。察して余りある」

 

「……かなぁ。あ、次の信号を右で、あとは道なりに行けば大丈夫です」

 

「了解だ」

 

 

 言われて記憶を振り返ると、本気で家族に縋り付かれたのは、あの時だけだった……ような気がする。

 不道徳な事をしたならば、鉄拳制裁で無理やり軌道修正を図るような母を。

 弟を我が物のように扱い、からかって玩具にする姉たちを。

 ただ一度だけ、弱々しいと感じた出来事だ。

 

 

「きっとそうよ。だって、あの後ろ姿だけで司令官だって確信しちゃったんでしょ? お母様、凄いと思うわ」

 

「だねー。あたしたちはいっつも見てるから分かるけど、半年以上離れてたのに、だもんね」

 

 

 それを知らないはずの暁、北上も、響たちと同意見のようで。車内には和やかなムードが広がる。

 あの電報が送られてきた理由は、おそらく彼女たちの言う通り。後ろ姿だけの写真で、桐林が息子であると確信したから、としか考えられない。

 じゃなきゃ、あんなタイミング良く、追加料金まで払った速達が送られては来ないだろう。

 愛されている、愛してもらっている証拠、なんだろうけど。

 ……く、くすぐったい。家族を褒められるって、自分自身を褒められるよりも全身が痒くなる!

 早急に、早急に話題を逸らさねばっ。

 

 

「ま、まぁ、母さんの事は置いといて。自分が一番面倒臭いと感じてるのは、別の事だよ。分かってるよな?」

 

『………………』

 

「……あれ?」

 

 

 ちょっと。なんで急に黙るのさ、みんな。

 強引な話題転換に、和やかムードは凍りつく。誰も彼もが窓の外を眺め、口を閉ざしてしまった。

 そのせいか、今まで届かなかった囁き声が、最後部の座席から聞こえてくる。

 今まで、可能な限り意識の外へ置いていた彼女の名は。

 

 

「She that would the son win, must with the mother first begin.

 将を射んと欲すればまず馬を射よ。桐ヶ森提督には負けられないデース……。

 テートクのお母様に好印象を与えて、着実に……。フフュ、フィッフフフ……」

 

 

 まぁ、当然の如く金剛だった。

 一体どんな想像をしているんだろう。ヨダレを垂らし、イっちゃってる目付きが怖い。

 里帰りするのが決定した時も、行くのが当たり前な顔で背後に待機していた。「連れてかなかったら呪いマース」という怨念が聞こえてくるほどで、生きた心地がしなかったです。

 他の同行者の参加理由としては、金剛を連れて行くなら電も連れてかないと後が怖いし、「電が行くなら私たちも行くわ!」と引かなかった暁型三名に、龍田から強く推されて同行した天龍。北上は「面白そうだからやっぱりあたしも」と出発直前に乗り込んできて、霞もなぜだかそれに続き……という感じだ。

 ちなみに、大井もついて来ようとしてたみたいだが、実家ってとこで悩んでいるうちに出発してしまった、というだけである。

 暁たちや北上の理由はまだ分かるけど、他が全く分からない。暴走気味な金剛を含め、不安だ……。

 

 

「おい司令官。もしかして、あれか?」

 

「ん? あぁ、そうですそうです。とりあえず路肩に」

 

「心得た」

 

 

 ――と、暗い先行きに背中を丸めていたら、不意に那智さんが前方を示す。

 周囲の風景も変化し、閑散とした住宅街から、だだっ広い田園地帯へ。そんな中で見えてくる、大きな瓦屋根と背の低い垣根。

 未だ舗装されていない、土の道の向こうにあるそれが、自分の生まれ育った家だ。

 門代わりの垣根の境まで行くと、古き良き時代を思わせる、古民家の全貌が明らかになる。

 

 

「わあぁ……! 鳳翔さん、雷ちゃん、見て下さいっ、すっごく大きなお家なのですっ」

 

「本当に。こんな御屋敷で暮らしてらしたんですね、提督」

 

「すごーい……。何十人も一緒に住めそう……」

 

「あはは。といっても、使ってない部屋ばっかりだし、自分の部屋は六畳一間だったんですけどね」

 

 

 左右に軒が伸び、障子と窓ガラスの二重構造で締め切られた、近代風の日本家屋。

 松の木や藪などが適当に植えられ、五十m走くらいなら余裕で出来る、無駄に広い庭。

 今となっては見ることも少ない、昔ながらの風景だった。

 まぁ、隣の家と一kmくらい離れてるし、不便なことも多いんだけど……。

 

 

「ずいぶんな大きさだね。建坪はどのくらいかな」

 

「さぁ? 木造一階建てで、少なくとも三百平米以上はあると思うけど。

 昔この辺に、こういう家に傾倒してた地主が居たらしいんだけど、身寄りがないまま亡くなってさ。

 浮いた土地を家ごと親父が手に入れて、自分で改造したらしいんだ。維持費だけでカッツカツだよ」

 

「ええと、平米は平方メートルのことで、一坪は約三・三平方メートルだから……?」

 

「ざっと見積もっても百坪以上かー。凄いねー」

 

 

 興味津々らしく、響や暁、北上まで窓にへばり付いている。

 反対側に座っていた天龍も、身を乗り出すようにして眺めていた。

 

 

「もしかして、司令官の実家って金持ちだったのか?」

 

「いいや。せいぜい小金持ちってトコだよ。じゃなきゃ大学なんて行けないしな、このご時世」

 

「どちらにせよ、立派な邸宅である事に違いはない。圧巻だな」

 

 

 両手をハンドルの上で重ね、那智さんが呟く。

 単純な広さで言えば、横須賀にある宿舎と同等。一般人が住むには、確かに立派すぎる家だろう。

 自分がそれを実感したのは、子供の頃、友達ん家へ遊びに行った時だっけか。

 行く先々の家を狭く感じて、でもみんなからは「お前ん家広過ぎー」と言われ続け、ギャップに苦しんだっけ。いやー、懐かしい。

 

 

「それで、私たちはいつまで待ってれば良いのよ? いい加減に降りて、身体動かしたいんだけど」

 

 

 ……と、感慨に耽っている自分へ、霞のツンケンした声が。

 よほど窮屈だったのか、お尻をモジモジさせている。

 できれば考えたくなかったけど、ここまで来たら諦めるしかない、か。

 

 

「もうちょっと待ってくれ。まずは自分だけで、来客とかが居ないか確認してくるから。

 雷、電、金剛の三人は、良いって言うまで絶対に外へ出ちゃ駄目だ。

 うっかり人に見られでもしたら、トンでもない騒ぎになるからな」

 

「はーい」

 

「了解なのです」

 

「Englishで行くか、日本語で行くか。それが問題デース……」

 

「聞いてんのか金剛」

 

 

 マイクロバスを降りつつ、守って欲しい注意事項を伝えるのだが、返事は二つだけ。

 金剛さん、キャラを模索しているっぽい。なんだかますます不安。

 ドアを閉めて少し歩き、玄関の延長線上に立つと、それはいよいよ大きく見えて。

 

 

「やっぱ逃げちゃおっかなぁ……」

 

「……あの、うちに何か御用で――兄さん?」

 

「ん?」

 

「やっぱり(だい)兄ちゃんだー! なになに、帰ってきたの? 仕事クビになったのー?」

 

 

 思わず猫背になりかけていたら、懐かしい少年たちの声が聞こえてきた。

 車の停まっているのとは反対方向。顔を上げれば、黒い学ランのメガネ男子が自転車を押し、ランドセルを背負った少年が、こちらへ駆け寄って来る所だった。

 付き纏っていた倦怠感は一気に解消。満面の笑みを浮かべる少年を、自分は両手で受け止める。

 

 

「おおっと。コラ、縁起でもないこと言うな、小助(こすけ)。ただの里帰りだよ」

 

「それにしたって、前もって連絡くれれば良いのに。不審者かと思って警戒しちゃったよ」

 

中吉(ちゅうきち)……。実の兄を不審者扱いはないだろう」

 

「あれー。大兄ちゃん痩せたー? なんかお腹が硬いー」

 

「はっはっは、鍛えたからなー。あれ、前歯どうした?」

 

「こないだ抜けたー」

 

 

 苦笑いで歩み寄るインテリ系中学生――上の弟、中吉に半眼を向けつつ、冬なのに半袖半ズボンを着る、歯抜けになっても笑顔が眩しい小学生な弟――小助の頭を撫で回す。

 この二人こそ、自分が苦心して育て上げた、可愛い弟たちだ。

 ちなみに、自分たち三兄弟が使っている呼び名だが、当然のように本名ではない。ご近所さんを含めた、町内で使われるアダ名である。

 どうしてそうなったかは、説明しようとすれば二言三言で終わるのだけれども、面倒なんで後にしよう。

 

 

「で、どうして突っ立ってたのさ。入ろうよ。あれ、兄さんの車でしょ? 大きいね。給料良いんだ、やっぱ」

 

「あ、あぁ。そうなんだけど……。誰も、来てないよな……?」

 

「は? ……あ、そっか。平気だよ、兄さんが軍に入ったのは近所の人も知ってるけど、事務方って話してあるからさ」

 

「それに、ちょうどお昼だし。みんな家でご飯食べてるよー。僕たちもB日課なんだー」

 

 

 胡乱な目付きで敷地内を覗く自分に、中吉が空気を読んで説明してくれた。

 万が一にも来客中だった場合、誤魔化さなきゃいけない事だらけで面倒だったけど、この分なら大丈夫そう、か……?

 ……んー。念には念を入れた方がいい、な。

 

 

「いや、実はな。自分、一人で帰って来た訳じゃないんだ。ちょっと待っててくれ」

 

「へ? 一人じゃない?」

 

「大兄ちゃん、なんか言葉づかいが変……」

 

 

 困惑し始める弟たちを他所に、自分はマイクロバスに合図。

 特殊ガラスなのでこっちからは見えないが、意図は把握してくれたようで、車が庭へ移動を始める。

 適当な場所に停まったそれのスライドドアを開くと、片眉を上げる那智さんが振り返っていた。

 

 

「どうした。確認してからではなかったのか」

 

「そうだったんですけど、ちょっと予定変更。という訳だから、鳳翔さん。来てくれます?」

 

「えっ。わ、私、ですか?」

 

 

 急に話を振られ、鳳翔さんは目を丸く。

 自分が考えたのは、まず、どう見ても普通の女性としか思えない彼女を連れ、客が居ないかどうかをこの目で確認するという方法だ。

 もし居たとしても、食事処で磨きが掛かった接客スキルと、誰に対してでも柔らかい物腰を組み合わせれば、大抵の人物はやり過ごせる。

 居なければ居ないで、そのまま軽く挨拶して、みんなが居るから呼んでいいか、とでも言えばいい。玄関で靴を確認するくらいの間なら、誤解もされない……はず。

 とにかく、このまま手をこまねいているよりはマシだろう。自分としても心強いし。隣に誰かいれば、矛先がそっち向いて言い訳考えられるかも知れないし。

 

 

「ちょおっっっっっと待って下サーイ! あの二人のBoyはテートクのBrotherなんですよネ? だったらワタシが行きマス! 外堀りをBulldozerで埋めるのデース!」

 

 

 そういうゲスい案なのだが、いきなり覚醒した金剛が瞬間移動。

 ギラつく目をことさら輝かせた。……全く。欲望に忠実なヤツめ。

 

 

「却下。君と電と雷は、顔が世間に知られてるからダメだってば。先ずは顔を知られてなくて、一番に対人スキルの高い鳳翔さんと、威力偵察だ」

 

「Why!? ご挨拶を、未来のLittle Brotherとcontactをー!」

 

「なるほどー。確かに、鳳翔さんなら納得だわ!」

 

「なのです。電たち、お車の中で待ってますね」

 

「ゴメンな、すぐに確認してくるから」

 

 

 電たちはすんなり納得。暴れる金剛の身体を抑え込んでくれた。

 その隙に鳳翔さんは脇をすり抜け、車外へ降りたら急いでドアを閉める。

 安定性抜群なバスがガッタンゴットン揺れてるけど、放っとこう。

 

 

「すまん、待たせた。紹介するよ。この人は、自分がいつもお世話になってる鳳翔さんっていうんだ」

 

「お初にお目に掛かります。横須賀で、艦隊宿舎のまとめ役をさせて頂いている、鳳翔です。よろしくお願いしますね?」

 

 

 弟たちの前へ進み出ると、鳳翔さんがゆったりとした動作で腰を曲げる。

 誰もが見惚れる優雅な所作に、思春期真っ只中な男子二人は、呆然と硬直してしまう。

 ふふふ。気持ちは分かるぞ、弟たちよ。鳳翔さんの笑顔は最強だからなっ。

 ……にしても、ちょっとビックリし過ぎじゃないか?

 

 

「あ、あの。私の顔に、なにか……?」

 

「おいコラ、二人とも挨拶しろ。無視するなんて失礼――」

 

「……た」

 

『た?』

 

 

 鳳翔さんの顔を見つめ、たっぷりと三十秒以上、無言を貫く弟たち。

 仕方なく注意しようとしたら、中吉が何かを小さく呟く。

 思わず二人で首をかしげると、彼は肺にめい一杯息を吸い込み――

 

 

「大変だぁぁあああっ!? 兄さんが、兄さんが嫁さん連れて帰って来たぁああぁぁあああっ!?」

 

「家族が増えるよー! やったね父ちゃん母ちゃーん!」

 

 

 ――トンでもない事を叫びつつ、転がり込むように家へと駆けて行った。

 後を追う小助なんて、バンザイまでして実に楽しそう。

 って和んでる場合じゃねぇ!?

 

 

「おいバカ! 二人とも何を勘違いしてるんだよ! あと小助、その言い方止めろぉおおっ!」

 

「嫁……。私が、提督の? え?」

 

 

 必死の呼びかけも虚しく、彼らは家の中へ消えていく。

 アクロバティックな解釈に、鳳翔さんも困惑しまくりである。

 あぁぁ、くそっ! 我が弟ながら思考回路が一足飛び過ぎるだろ!?

 

 

「はぁ……。見事に裏目に出たわね、ダメ司令官」

 

「あ、霞? 天龍もなんで出て……」

 

「こうなったら、いっそのこと全員で出て行った方が誤解は解けやすいだろ? それにアレ見ろよ、アレ」

 

 

 頭を抱えていたら、いつの間にか霞と天龍が車を降りてきていた。

 親指で背後を示されたので、反射的にその先を追うと――

 

 

「……また、先を越されたデース……。こうなったらもう、BedへMission Impossibleするしかありまセン……」

 

「なのDeath……」

 

 

 ――先日のパーティーよろしく、開いたドアから顔を半分出し、闇の闘気を背負う二人の少女が。

 いや電さん? そこは否定するべきなんじゃ……?

 と、冷や汗をかく自分に、続々と逃げ出してきた北上、那智さんが肩を叩き、雷、響、暁がまとわり付く。

 

 

「提督。釈明、頑張ってねー」

 

「すまんが、私は手助けできそうにもない。武運を祈る」

 

「凄い瘴気だったわ……。窒息するかと思っちゃった……」

 

「本当に。モテる男は大変だね、司令官」

 

「……ねぇ、鳳翔さん。ベッドへ“みっしょん・いんぽっしぶる”ってどういう意味?」

 

「さ、さぁ? 私にもちょっと心当たりがないわ、暁ちゃん」

 

 

 純真無垢な問いかけに、苦笑いの鳳翔さん。

 微笑ましい光景を眺め、自分はしみじみ思う。

 最初に電を出さなくて良かった。誘拐犯に間違えられるよりはマシだ、と。

 

 そう思わなきゃやってられるかぁ!?

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ……とまぁ、こんな騒動があったのち、自分たちは日本屋敷へと招かれた。

 ぞろぞろと玄関に並ぶ少女たちを見て、大急ぎで出てきた両親が硬直するという場面もあったが、説明しようとする自分の言葉は遮られ、有無を言わさず、両親の御対面が始まったのだ。

 おそらく、鳳翔さんの付き添いとでも勘違いされたみんなは、襖一枚挟んだ後ろの部屋で待機中。

 チラッと振り返れば、二センチほど開いた隙間から、縦に並んだ瞳が幾つも見えた。ちょっとしたホラーである。

 

 

「そういえば、バカ息子の世話をしているって言ってたけど、大変じゃない? 迷惑とか掛けてないかしら」

 

「とんでもありません。普段から感謝の言葉を頂いて、ご飯も残さず食べてくださって。とてもやり甲斐があります。

 時々、酔い潰れてしまわれるのには困りますけれど。お部屋に運ぶのが大変で……」

 

「まぁまぁまぁまぁまぁ。部屋に。そうなのぉ。あんた、本当にどうやってこんな美人を引っ掛けたのよぉ?」

 

「引っ掛けたって人聞きの悪い……。っていうか、こっちの話も聞いてくれよ母さんっ」

 

 

 実にイヤらしく、オバさん臭く手をヒラヒラさせる母。

 いい加減、誤解を解こうと詰め寄るも、手付きはそのまま、表情だけが真剣さを宿し始める。

 

 

「はいはい、あんたの言いたい事は後で聞いてあげるから。……それよりも先に、説明すべき事があるんじゃないの?」

 

 

 母の一言をきっかけに、和室には重い空気が漂い始めた。

 説明すべきこと……。

 この真剣さを考えれば、おそらく、能力者としての自分に付与された、新たな側面についてだろう。

 ……どんな顔をされるか分からないけど、しっかり説明しなくては。

 

 

「もう、気付いてるとは思うけど。

 “俺”――いや。自分は、親父と母さんから貰った名前以外に、別の渾名を貰ったんだ。

 名付けは、護国五本指の吉田豪士中将。つい先日、襲名披露宴を開いてもらった――」

 

「大兄ちゃーん! プリン作ってよプリンー!」

 

「――ってうぉおおっ!?」

 

 

 だがしかし。唐突に右側の襖が開き、小助が胸へ飛び込んできた。

 慌てて受け止めると、申し訳なさそうな顔の中吉も部屋に。

 

 

「ごめん、止めようとしたんだけど、言うこと聞かなくて……」

 

「ねーねー。ほーしょーさん、大兄ちゃんのプリン食べたことあるー? すっげー美味しいんだよー」

 

「ふふふ、ええ。私も大好きよ、提督の作ってくれたプリン」

 

 

 膝の上でクロールする小助は、鳳翔さんと楽しげに笑いあう。

 人見知りをしないため、この子は近所でもアイドル的存在だ。友達も多く、周囲の人たちに愛される才能を持っている。

 自分も昔はこんなだったらしいけど、にわかには信じられん。

 

 

「あの、提督? 先程から、弟さんたちに呼ばれている名前は……?」

 

「あぁ、大兄ちゃんとか? みんなが付けたアダ名ですよ。

 俺は呼ばれ方が三つあって、親と姉たちからは、長男だから長太(ちょうた)

 上の弟からは普通に兄さんで、下の弟からは、デッカい方の兄って事で大兄ちゃんって呼ばれてるんです。

 んで、上の姉は大姉(だいねえ)、下の姉は小姉(しょうねえ)。上の弟は真ん中だから中吉、下の弟は小助って呼んでます」

 

「なるほど……。それで、本名は……」

 

「数えられる位しか、呼んだことも、呼ばれたこともないかなぁ」

 

「そ、そうなんですかー」

 

 

 小助を中吉の方へ戻しつつ、鳳翔さんからの質問にこう答えると、彼女はまた苦笑い。

 同じような顔の中吉が、恥ずかしそうに頬をかく。

 

 

「変わってますよね、やっぱり。近所でも有名ですから。変な呼び方し合ってる一家が居る、って」

 

「なに言ってんの。愛情表現よ、愛情表現。それにね、名前ってのは大事な物なんだからね?

 おいそれと呼んだりしないで、ここぞという大事な場面でだけ使った方が有り難みがあるでしょ」

 

「僕、学校でも小助って呼ばれてるよー。出席の時にホントの名前呼ばれると、変な感じするー」

 

「ホントホント。自分も苦労した……」

 

「ええと……。個性的で、良いのではないでしょうか?」

 

 

 なんと言えばいいのか分からなかったのだろう。鳳翔さん、無難な表現で切り抜ける。

 無理しなくていいよ。ちょっと変わってるどころか、世界に二つとない珍妙な家族だし。

 自分だったら、少し距離を置いた付き合いを考えたいです。

 

 

「って、話が逸れちゃったな。オホン……。改めまして。自分は、“梵鐘”の桐谷提督、“千里”の間桐提督、“飛燕”の桐ヶ森提督と肩を並べる、八人目の――」

 

「母よ! 長太が嫁を娶ったというのは本当かっ!? 騙されてるんじゃないのか? 美人局とかじゃないのか? 結婚詐欺じゃないのか!?」

 

「――だぁああもうっ、なんなんだよっ!」

 

 

 気を取り直し説明を……と思ったら、今度は左側。庭に面する障子窓がスパァン! と開いた。

 くるぶしまでを隠す黒いロングワンピが特徴の、吊り目がちな短髪美女。上の方の姉、大姉である。

 こちらの姿を確認したのち、彼女は尊大に胸を張る。

 

 

「なんだとは失礼な。半年ぶりに会う愛しい姉だぞ、嬉ションするくらい喜んで見せろ愚弟」

 

「傍若無人なのは変わらないっすね。あと、騙されてないから。鳳翔さんを侮辱するなら、本気で怒るからね」

 

「う。すまない……。つい心配でな……」

 

 

 失礼なことを言った自覚はあったのか、睨み付けると素直に謝り、そそくさ正座する大姉。

 そのまま鳳翔さんへにじり寄ると、顎に手を置き、ためつすがめつ観察を始めた。

 

 

「ふん。少なくとも、コイツからの信頼は得ている訳か。ふんふん。器量も悪くない。むしろ上玉だな。ふんふんふん」

 

「あ、あの、初めまして。鳳翔と申します。提督のお姉様、なのですよね?」

 

「む? これは失敬。挨拶が遅れたな。確かに、わたしはこの愚物の姉だ。よろしく頼む。それと、先程は済まなかった。無礼な物言いを」

 

「いえ、そんな。どうか気になさらず……」

 

 

 最初は不安を感じさせる言動だったが、そこは大人の女性同士。互いに頭を下げあい、和やかな挨拶を交わす。

 しっかし、母さんが連絡したんだろうけど、フットワークの軽さも変わらないっすね。隣町に住んでるはずなのに。きっとバイクに跨って吹っ飛ばしたんだろうなぁ。

 まぁ、こんなんでも二児の母親。ここからは落ち着いた話題展開をしてくれるはず……。

 

 

「さて。挨拶は済んだ。ならばここからは質問タイムだ。ぶっちゃけ、どこまで行った? もう寝たのか?」

 

「え」

 

「ブッ!? な、何を聞いてんだこの武士マニア!?」

 

 

 ……って安心してたらもぉおおっ!

 これだから、「謙信様と信玄様は何方がタチだろうか」とか言って悩み出すお腐れ様はぁああっ!

 矯正に成功したんじゃなかったんですか旦那さぁああんっ!?

 

 

「いいじゃないか。いい歳した男が、下ネタ程度で恥ずかしがるな。

 わたしはお前のおしめを替えて、十歳まで一緒に風呂にも入って、初恋だって応援したんだぞ。

 姉には知る権利がある!」

 

「初めての失恋が早まったのもアンタのせいだけどなぁああ!

 さっきから言おう言おうとしてたけど、今こそ言うぞっ。

 自分と鳳翔さんは、そんな関係じゃなぁああぁぁあああいっ!!!!!!」

 

 

 勢いに任せ、自分は家中に響き渡るような大声で叫ぶ。

 だが、うちの家族共に堪えた様子はない。

 むしろニヤニヤ度を増し、四面楚歌ならぬ三面楚歌の様相だ。楽しみやがってぇ……っ。

 

 

「全く、照れちゃってまぁ。で、実際のとこどうなの、鳳翔さん。母親として是非にも聞きたいわ。少なくとも、キスくらいはしてるんでしょう?」

 

「きっ、キス、だなんて、あの、私……」

 

「ちょっと、やめろよ! 困ってるだろっ」

 

 

 座卓へ身を乗り出す母。その姿は、井戸端会議大好きなスピーカーおばさんが如く。

 真っ赤になってしまう鳳翔さんを庇うも、今度は横合いから、大姉・小助・中吉が追撃を掛けてくる。

 

 

「……まさかとは思うが、デートをした事はおありか?」

 

「デート……。あ、一緒に食材の買い出しへ行った事なら、何度か……」

 

「じゃー、手を繋いだことはー?」

 

「……初対面の挨拶の時に、一度だけ……」

 

「えええええ。それじゃあ、恋人らしい事なんにもしてないって事ですか? はいアーンとかも?」

 

「あ、それならやった事がありますっ。ありますよっ」

 

『おぉー』

 

 

 パッと表情を輝かせ、鳳翔さんは胸を張る。

 いや、自慢気に言うことじゃありませんから。それとバ家族共、拍手してんじゃないっ。

 そりゃあ確かにやった事あるけど、嬉し恥ずかしな思い出だけども、こんな形で冷やかされたくないんです!

 

 

「そっかぁ。うん、安心したよ、兄さんがちゃんと恋愛してて。これでオレも、気兼ねなく女の子と付き合えるよ」

 

「何を偉そうに……。まず相手を見つける方が先だろ」

 

「長太よ。残念だが、中吉はお前が大学を卒業する前から、とっくに彼女持ちだぞ」

 

「なん……だと……」

 

 

 上から目線な弟の物言いがムカつき、反射的に言い返すのだが、予想外の新事実で顔面が引きつってしまった。

 中吉が、彼女持ち……?

 我が弟ながらイケメンなのは分かってたけど、趣味が昆虫採集だから絶対彼女は出来ないって思ってたのに……。

 お前だけは待っていてくれると信じていたのにぃ!?

 

 

「う、裏切ってたのか……。お前っ、“俺”が彼女できないってボヤいても、『こっちもだよー』って笑ってたじゃないか……っ。あの笑顔は作り物だったのか!?」

 

「いや、他にどう返せば良いのさ……。事実を言ったら引き篭もりそうだったし……。というか、鳳翔さんが居るんだから良いじゃない」

 

「大兄ちゃん、大兄ちゃん。僕もクラスにカノジョ居るよー。おっきくなったらケッコンするんだー」

 

「嘘だと言ってよ○ーニィ!?」

 

「……バー○ィ? それが小助君の本名なんですか?」

 

 

 下の弟までもが彼女持ち。耐え難い事実に、自分は後ろへ倒れ込んだ。

 唐突な新キャラ名の登場で、鳳翔さんは戸惑うばかり。横から小助が「ちがうよー」と訂正してる。

 こんなのって無いよぉ……っ。あんまりだぁ……っ。

 

 

「あんたはまた変な言い回しを……。やっぱり大学なんて行かせなきゃ良かったかしら?」

 

「留年したのも、学内アーカイブにある、セル画アニメや特撮を見続けたからだったしな。確か、前時代視覚文化研究会、とかいうサークルに入ったんだったか」

 

「だって……。だって見放題だったんだもん……。面白かったんだもん……」

 

「提督、畳で遊んではいけません。傷んでしまいますよ」

 

 

 母と姉の冷たい視線から隠れるよう、うつ伏せになって畳のヘリを爪でガジガジ。鳳翔さんに手をペチンと叱られ、止めはするが気持ちはイジけ続ける。

 けど、自分は悪くない。大学内なら何時でも何処でも閲覧可能な、簡易映像端末を作った学校の先輩が悪いんです。

 あぁぁ。何にも怯えず、何も考えずに生きていられたあの頃が懐かしいよ……。しっかし、実家の畳ってなんか特別に落ち着くなぁ……。このまま寝てたい……。

 

 

「いつまでも家族漫才してないで、早く本題に入りなさぁああいっ!!」

 

 

 懐かしい畳の匂いに全開でダレていたら、背後の襖が勢い良く開いた。

 反射的に飛び起きて確認すれば、霞が「ぜぃ、ぜぃ」と息を荒く、那智さんも「やれやれ」と肩を竦めて。

 ヤバい、マズい、しくじった。あまりのショックに、見られてるの頭から飛んでた。

 オマケに金剛が、「覚悟完了!」的な顔立ちで一歩を踏み出してる。おいおいっ、何するつもりだ!?

 

 

「初めましテ。ワタクシ、提督に使役される高速戦艦の現し身、金剛と申しマス。ドウゾお見知り置きを」

 

「……あ。ま、まぁまぁ、ご丁寧に……」

 

「美人、だな……」

 

「父よ。浮気か?」

 

 

 ……あれ。誰ですかこの人。

 意外にも、スススス、と鳳翔さんの反対側に陣取った彼女は、楚々とした挨拶と共に三つ指をつく。

 違う。なんかキャラが違う。もっとこう、アグレッシブじゃありませんでした?

 もしや、猫を被って点数稼ぎするつもりか? あざとい真似を……。

 

 

「司令官さん」

 

「……はっ」

 

 

 なんて戦慄している時である。

 背後に誰かの立つ気配を感じた。

 とても小さくて、なおかつ、やけにハッキリとした、覚えありまくりな気配。

 ……電だ。

 どんな顔をしているんだろう。どんな事を思っているんだろう。怖くて振り返ることすら出来ない。

 すると、高い熱量を持った気配が横をすり抜け――

 

 

「……ぇいっ」

 

「ぬぁえ? ちょ、電?」

 

「し、司令官さんに、一番最初に励起された駆逐艦、電ですっ。よろしくお願い致します、なのですっ!!」

 

 

 ――なんでだか、胡座をかいていた自分の上へ、ポスンと腰を下ろす。

 叫ぶように自己紹介するその顔は、リンゴみたいに真っ赤だった。

 は? え? 何これ? 甘えてくれるのは嬉しいんですが、母さんの前では待ってほしいんですけど!?

 ほら、なんだか性犯罪者を見るような目付きにぃ!?

 

 

「右に同じく! 司令官との付き合いが二番目に深くて、電のお姉さんである雷よっ。カミナリじゃないから、そこんとこもよろしく!」

 

「左に同じく。特Ⅲ型駆逐艦二番艦、響だよ。ロシア語、喋れます。ヅドラーストヴィチェ(Здравствуйте.)、こんにちは」

 

「えっと、えっと……。ま、真上に同じくー! 響たちのお姉さんで、暁よ。一人前のレディーとして扱ってよねっ」

 

「こ、こらっ、暁、重……っ」

 

「嘘だ……。なんか兄さんが小さい子にモテてる……」

 

 

 密着する柔らかさに困惑していると、右腕は雷、左腕は響。そして背中は暁に占領されてしまった。

 唖然と見守る中吉の声は、まるでツチノコでも見たような感じである。

 そんな驚くことないだろう。弟より優れた兄は居ないんだからなっ。あれ、逆か? ってか、これだと子供にまとわり付かれてる父親じゃ……?

 

 

「ふぅ……。朝潮型駆逐艦、十番艦。霞です。大きな声を出して、ごめんなさい」

 

「私は那智。妙高型重巡洋艦二番艦だ。よろしくお願いする」

 

「うん? そちらの方、わたしと雰囲気が似ているな」

 

「そのようで」

 

 

 その間にも、落ち着きを取り戻した霞、那智さんの挨拶が終わる。

 座る位置は、霞が鳳翔さんの隣。那智さんが金剛の隣だ。

 何やら、恥ずかしそうに頭を下げたり、意味深に微笑み合ったり。

 この二人は見ていて安心できるし、これで紹介は……ん?

 

 

「……あれ。なんか足りなくないか? 天龍と北上は?」

 

「二人なら、あっち」

 

 

 ふと、軽巡二人組――北上はもう雷巡だけど――が居ないのに気付いた。

 まさか家の中をほっつき歩いてるんじゃなかろうな? とも思ったのだが、端っこの霞は背後を指差す。

 振り返……ろうとして動けないのを思い出し、やや強引に首だけを巡らせると……。

 

 

「小姉? 何してんのさ」

 

「あ、長太ちゃーん。おひさー。この子たち凄いわねー、お肌ピッチピチ! お化粧のノリがもうね! 元メイキャップアーティストとしての血が騒ぐわー!」

 

「なぁなぁ司令官、コレ見ろよコレ! 爪に絵描いてもらったんだぜっ、格好良いだろ!」

 

「あたしは普通にメイクして貰っちゃった。どう? 提督」

 

「お、おう。二人とも凄いなー。見違えたよ」

 

 

 化粧道具を両手に微笑む、ふわふわロングヘアの女性――下の方の姉である小姉が、二人の少女で遊んでいた。

 天龍はネイルアートをして貰ったらしく、ドヤ顔で両手をかざしている。けどごめん、遠いから絵柄分かんない。

 逆に、ナチュラルメイクを施され、北上の美少女度がグンとアップしているのはよく分かる。化粧一つでここまで変わるとは、女の子ってすげぇ……。

 しかし小姉、いつの間に帰ってたのさ。大姉と違って家は隣の県じゃなかった?

 

 

「大兄ちゃん、この人たちはー? おんなじ仕事してる人ー?」

 

「まぁ、そうなる。ちゃんと説明するから、みんな静かにしてくれ」

 

 

 呆れ返る自分へ、小助が無邪気に問いかけてくる。

 もうそろそろ、真面目に話をしなきゃいけないみたいだ。

 空気を読んだのか、暁たちも身体から離れてくれた。右手に雷、左手には電。斜め後方を暁・響に囲まれる。

 ……なんだろう。説得力が著しく低下する陣形な気もするけど、この機を逃すわけにはいかない。

 

 

「自分は、八人目の“桐”。桐林なんだ。隠してて、ごめん」

 

 

 膝に手を置き、座卓へぶつかる寸前まで、頭を下げる。

 “桐”の正体は秘するべきもの。それを明かすという事は、“桐”にまつわる権力争いへ巻き込むということ。

 真に家族の幸せを望むなら、死ぬまで黙っている方が正しい。やり取りも最低限にして、距離を置くのが正解なのだろう。

 でも、自分の家族はそれじゃ納得してくれない。むしろ、「さっさと吐け」と言わんばかりにせっ突いて、真実を話すまで止まらない。

 だったら全部正直に話し、大人しくしてもらう方が良いと思ったのだ。

 リスクも承知の上。

 最悪、家族には今の生活を捨てて、鎮守府へ来てもらうことになる。姉たちの旦那さん方にも。そうなったら恨まれるだろうけれど、何も守れないよりずっとマシ。

 これが自分に考えうる、最善ではなくとも、最良の策だった。

 

 

「ふぅ。あの入館特番からそうじゃないかと思ってたけど、まさかアンタがねぇ。世も末だわ」

 

「そ、そんな言い方しなくても良いじゃんかよ。自分だって、分不相応なのは自覚してんだから……」

 

「すまない、母よ。その特番とやらはなんだ? テレビは時代劇しか見んのだが」

 

「僕もよく分かんないー」

 

「私は多分その時間、旦那ちゃんとコマしてたはずだから知らないけど、翌日の緊急特番見たわ。後ろ姿だけだったけど、やっぱり長太ちゃんだったのね」

 

「小姉さん、さり気なく下ネタ混ぜるのやめようよ。お客さん居るんだから」

 

「あら失礼ー」

 

 

 ……うん。最良の策、なんだけど。なんか反応薄くない? 親父無言?

 血の繋がった家族が“桐”になったんすよ。日本でも有数の能力者なんですよ。その気になれば海運業界を牛耳れるんですよー?

 もっとさ、「うちの息子がこんなにも成長して……」とか、「押し付けられた地位なんて関係ない! だって家族なんだから!」とか、感動的なSomethingは無いのー?

 

 

「ま、んなこたぁどうでも良いわ。それより……」

 

「どうでも良い? と、とても重要な事では……?」

 

 

 淡い期待を、座卓に身を乗り出す母がぶった斬る。

 ヒドい。泣くぞ。

 そんな気持ちを鳳翔さんが代弁してくれる中、全員の視線が母へ集中。言葉を待つ。

 

 

「あの金髪美少女がここに居ないって事は、スキャンダルはガセって考えて良いのね? 十八になったばかりの女の子に手を出したわけじゃないのね?」

 

「あ、気になってたのはそっちですか……。ガセもガセ、あれは桐ヶ森提督の仕込みだよ……」

 

 

 眼光鋭く、威圧するような問いには、溜め息と一緒に答えを返す。

 よく考えても見てほしい。

 つい先日、防衛機構を抜かれたばかりの軍が、“桐”の里帰りを許すだろうか? 普通はNOだ。

 それがどうして許されたのか。犯人である桐ヶ森提督から、自己申告があったのである。

 

 

『事後報告で悪いんだけど、あの画像流したの私だから』

 

 

 あのニュースが放送された直後。

 掛かって来た電話口でこんな事を言われた日にゃあ、「ふざけんな!」と怒鳴り返したって許してもらえるだろう。

 その光景を間近で見た那智さんも、難しい顔で腕を組む。

 

 

「よもや、自らの身を守るためにスキャンダルを用意するとはな」

 

「全く、いい迷惑デース。おかげでテートクと書記さんがどれだけ苦労したカ……」

 

「その苦労には大暴走した君も関与してるんだが、自覚あるんだろうな?」

 

「ふぃー、ふー、ふー!」

 

「金剛さん、口笛になってないのです」

 

 

 なんでも、自分が桐谷提督と意地を張り合ったり、電と楽しく踊っている間に彼女が受けたという求愛行動は、身の危険を感じるほどの勢いだったそうで。

 いざという時、承諾を取ってからフライデーされるはずだった写真を、私用の携帯に着信があったのをきっかけに、つい公開しちゃったらしい。

 撮ったのは軍用ステルスドローン。手の平に映像を出せる手袋型コントローラーを使い、隠れて操作していたとの事。高画質なのも、電磁スクリーンを抜けたのも納得だ。けど勘弁して。

 なんにせよ、軍も自分も多大な迷惑を被ったのは事実であり、今現在、桐ヶ森提督は桐谷提督と中将から、キツいお説教を受けているはずである。

 まぁ、自分がこうして鎮守府を出られたのは、殺害予告を出したアホの中に、よりにもよって横須賀の能力者が居たからでもあるのだが。里帰りは一時避難も兼ねているのだ。処分は検討中とのこと。

 個人的に大切なことだからもう一回言うけど、ホント、勘弁して欲しい……。

 

 

「あの……。兄さん、質問。兄さんが“桐”ってことは、その人たち……?」

 

「うん。さっきの自己紹介の通り、統制人格だよ。軍艦の現し身だ」

 

「ねーねー、とーせーじんかく、って何ー?」

 

「それはだな……」

 

 

 さらなる説明を求めて、中吉はおずおずと挙手し、小助が近くに居た那智さんの袖を引っ張った。

 とりあえず、自分の簡単な説明に加えて、那智さんが子供向けの解説をしてくれている。

 こういった情操教育は、能力者が生まれる前と後で、かなり変化しているらしい。

 性教育よりも先に、能力者の存在について学ぶそうだ。

 

 かたや、超常的・超自然的存在が否定されてきた世代と、それらとの戦争・共闘が当たり前になった世代。現実と非現実の境が、曖昧になってきているとも言えるだろう。

 自分の世代はちょうど中間……。物心ついた頃合いに能力者が生まれ始め、両世代の感覚が分かると同時に、一番教育が混迷した時代でもあったそうな。

 戦争前の時代を長く過ごした人の中には、やはり拒否感を抱く割合も多く、それが“魔女狩り”の悲劇に繋がったのだ。

 当然、うちの親も戦争前の生まれなのだが……。

 

 

「伝聞とは、印象が違うな」

 

「本当にねぇ。普通の女の子じゃない」

 

 

 幸いというべきか、どちらも過剰な反応を示す事はなかった。

 昔から、日本には八百万の神という概念があるように、自然崇拝や精霊崇拝――呼び方は様々だが、アニミズムに連なる考え方が根付いている。

 それを考えれば、超自然的存在を、恐れつつも受け入れる土壌があった、と言える。

 だというのに拒絶反応が起こってしまったのは、物質文明の恩恵を受け過ぎた弊害なのだ……という説も。

 しかし、現実的に“敵”と戦っているのは軍艦。物質文明の最たる物と、それにすら宿る魂魄で……。とまぁ、こんな難しい議論が未だ重ねられている、難題だ。

 そこから一歩遠ざかり、物事を難しく考える必要のない、一般市民の代表たちの反応はといえば。

 

 

「うむ。私も父と同感だ。もっと……。なんだ……」

 

「言いたい事は理解できるよ。もっと人形めいた存在、そう考えていたんだよね」

 

「そうねぇ。感情持ちっていう区分があるのは知ってたけど、結局はAIみたいな物だって聞いていたから。

 もしかして……とは思っていても、実際に統制人格だって言い切られちゃうと、戸惑っちゃうわぁ」

 

「ま、それが普通なんだろうねー。多分、あたしたちが特別ってだけで」

 

 

 統制人格を前にして、傲岸不遜な鳴りを潜める大姉と、隠していた本音を吐露する小姉。

 響と北上に同意されて、なおさら……という感じである。

 なんせ――

 

 

「ねーねー、お姉ちゃん何才ー?」

 

「え、暁のこと? ……そ、そうね! 起工が一九三○だから、生まれてから少なくとも三桁はいってるわ!」

 

「じゃー、お婆ちゃんなんだねー。肩揉んであげよっかー?」

 

「お、お婆……っ!? ち、違うの、間違えたわっ。司令官に呼ばれてからは、まだ一年経ってなくて……」

 

「じゃー、七歳だから僕の方がお兄ちゃーん!」

 

「……むんがーっ!!」

 

 

 ――その視線の先では、小助と暁が普通にお喋りしているのだから。

 おそらくだが、この子たちでなければ。感情持ちの統制人格でなければ、姉たちも気味悪がって近寄ろうとすらしなかっただろう。いや、恐れて、かも知れない。

 小助なら、無邪気に遊び相手にしてしまう可能性もあるけど、中吉くらいになると、まず自ら接触しようとは思わない。……それが普通の反応。

 

 しかし実際には、鳳翔さんと雑談したり、天龍にネイルアートしてあげたり。ごく普通に接する事だって出来た。

 笑顔を向けられれば親しみが湧くし、敵意を向けられれば恨みを抱く。

 結局、人は感情の生き物でしかない、という事なのだろう。

 理屈で雁字搦めにされても、一回言葉を交わせば違うと気付ける。経験に勝る信仰無し、だ。

 

 

「色々と思う事もおありでしょうけれド、目の前に居るワタシたちを見て、御自身で判断して頂けれバ、幸いデス」

 

 

 猫被りしたままの金剛が最後を締め、鳳翔さん、電を始めとする皆が頷く。

 最初の一歩は踏み出せた。自分の家族なんだから、きっと問題ない。

 それが証拠に、母は苦笑いで大きな溜め息をついた。

 

 

「とりあえず、アンタの子供の顔はまだ見れそうにもないわねぇ。よく考えれば、こんな美人が、こんなのになびく訳ないものねぇ……。お母さん悲しい」

 

「そ、そんな事ないのですっ。司令官さんは、あのっ……その……凄く……」

 

「……ねぇ。さっきから変だとは思ってたけど、アンタまさか……」

 

 

 電やめて。庇ってくれるのは嬉しいけど、タイミングが最悪です。

 片膝立ててるから。母さん拳握りしめてるから。

 ヤバい、このままじゃ、教育的指導と称したフルボッコが始まっちゃう。

 どうにかして言い逃れないと……!?

 

 

(い、雷! なんか話題変えてくれっ、助けてくれっ!)

 

(任せて、司令官!!)

 

 

 藁にもすがる思いで隣を見れば、満面の笑みが返ってくる。さすが雷、頼もしい!

 

 

「そうだわ! お母さんたち、お昼ご飯まだなのよね? もし良かったら、私たちに作らせてくれない?」

 

「え? 確かにまだだけど……」

 

「食材はこちらで用意していますので、ご恩返しも兼ねて、やらせて頂けませんか」

 

 

 壁掛け時計を確かめると、すでに時刻は一三○○。空きっ腹が主張してくる頃合いだった。

 来る途中、鳳翔さんと那智さんがスーパーで色々買ったはずだから、二食分くらいは作れるはずである。

 ちなみにナンパされたらしいが、那智さんの一睨みで退散する雑魚だったとのこと。まぁ………………いや、なんでもないですよっ。怖くなんてありません!

 ともあれ。急な申し出に、母さんは親父と顔を見合わせる。

 

 

「……どうしましょ?」

 

「特に、問題ないだろう。では頼みます。こちらへ」

 

「Oh,お父様も料理をなさるんデスか?」

 

「そうなんですよ。うちは父さんが家事全般を取り仕切ってて、母さんが大黒柱みたくなってるんです。大姉さんと小姉さんに料理を教えたのも父さんです」

 

「代わりに、かーちゃんはメシマ――あ、しゅみませんなんれもないれすごめんなさい……」

 

 

 普通は母さんが立つだろう場面で、代わりに立ち上がる親父。

 それというのも、我が家の家事を一任されているのは、中吉の言う通り父親なのだ。自分が料理するのに抵抗がないのも、親父の影響である。

 原因? 天真爛漫な笑顔から、死刑宣告を待つ受刑者の表情になった小助を見て欲しい。

 卵料理以外で失敗するの、絶対母さんの遺伝子のせいだと思うんだ……。

 

 

「ふ、せっかくだ。私も腕を振るおう。嫁イビリする姑が如く、厳しーい目線で判定してやるぞ!」

 

「僭越ながらお手伝いしマス、お姉サマ」

 

「電もなのです! お料理は得意なのです!」

 

「あのさー。あんまり大人数だと、かえって邪魔になるんじゃないかなー、ってあたし思うんだけど」

 

「問題ないわよ? 北上ちゃん。元武家屋敷だけあって、無駄に広いから。こっちで料理するの久しぶりだわぁ。さ、行きましょ!」

 

「なら、私も行くわ。那智さんはどうするの」

 

「そうだな……。ここにいても手持ち無沙汰だ。手伝うとしよう」

 

 

 親父、鳳翔さん、雷に続き、ゾロゾロと部屋を出て行くみんな。

 自分の側にも、トラウマを振り払った小助が寄ってくる。

 

 

「ねー大兄ちゃん、プリンはー? プリンはー?」

 

「あぁはいはい、分かったから。作ってくるよ……。中吉、材料残ってるか?」

 

「もちろん。みんな、兄さんほど美味しく作れないしね。ちょっと楽しみだよ」

 

「おう、期待してろ。暁、響。手伝ってくれるか?」

 

「当然よっ! 私だってお手伝いくらい出来るんだから!」

 

Да(りょうかい)

 

「えっ。えっ。あの、オレは?」

 

「天龍はまだネイルアート乾いてないだろう。そこで大人しくしてなさい。母さん、相手してやってくれる?」

 

「ええ、もちろん。さぁ、天龍ちゃん? 今、新しいお茶を用意しますからねー。お茶菓子もどうぞ? 手作りだから」

 

「え゛っ」

 

 

 せっつく小助と、実は甘党な中吉。ついでに暁・響を引き連れ、自分も台所へと逃げ出し――もとい、台所へと向かう。

 後に残されるのは、家事が出来そうもない二人組み。

 メシマズが作ったというお手製花林糖を前に、冷や汗が涙のように眼帯を伝う。

 

 すまない天龍っ。

 母さんはメシマズなのに料理好きだから、誰かが足止めしてなくちゃいけないんだっ。

 君の尊い犠牲は、二十分くらい忘れないぞ☆

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告