新人提督と電の日々   作:七音

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こぼれ話二本立て 間桐提督の転機&君が褒めろと言ったから

 

 

 

「豪志様。準備が整いました」

 

「うむ」

 

 

 襲名披露宴が無事に終わって間も無く。

 迎賓館を後にした吉田は、帰りのリムジンの中、伊勢に通信機器を用意させていた。

 自らの時と同じように、披露宴を欠席した問題児――間桐と話をするためだ。

 

 

「……出んのう」

 

「いつもの様に、まだお休みなのではないかと」

 

 

 しかし、ノートPCに似たそれの呼び出し画面が、いつまで経っても終わらない。

 日向の言う通り、まだ寝ている可能性が高かった。

 というのも、間桐は生活時間が昼夜逆転しているからだ。眠りにつく時間すら不規則で、伝言を残す羽目になるのがほとんど。

 先の戦いの疲労も抜けているだろうに、相変わらずの自堕落さ。吉田はしかめっ面を浮かべる。

 と、そんな時、画面に変化が起こった。

 コンクリートの壁が映し出されたのである。間桐の私室に間違いない。

 

 

「む、繋がったか。珍しく早起き――」

 

「はーい」「どちら、様?」

 

「――ぬぉ?」

 

 

 だが、返事をしたのは別の人物であり、吉田の顔がひょっとこのように。

 それもそのはず。瓜二つの容姿を持つ幼い少女が二人ほど、画面一杯に映し出されたのだ。

 

 

「お、おヌシらは、一体……?」

 

「なっちゃんだよー!」「むっちゃん、です」

 

 

 セーラー服を着る双子は、なっちゃんと名乗った方が元気よく、むっちゃんと名乗った方が控えめに手を挙げた。

 襟元のタイが解けているのがなっちゃん(仮)であり、黒髪のショートカットが溌剌さを伺わせる。

 一方、むっちゃん(仮)はタイを蝶々結びとし、日本人形が如く切り揃えられた長い黒髪は、文学少女の印象を与えていた。

 頭のてっぺんでピョンと跳ねる一房――いわゆるアホ毛が共通点か。

 年は……多く見積もっても十二が限界だろう。入学式前に、小学生が背伸びをしてみたような微笑ましさだ。

 しかし、吉田は彼女たちに強い違和感と危機感を覚えていた。

 

 

(どこかで見た……。間違いなく見覚えがあるというに、“何か”が致命的に違っておる。一体どこで?

 いや、それより。調整士ですら立ち入らせぬ部屋に、このような少女がおるとは、どういう事じゃ?)

 

 

 記憶にある朧気な影と、画面の中に居る、活き活きとした少女たち。驚きのせいで差異はスッキリしないものの、無視しようと思えばできる。

 より大きな問題は、なぜ間桐の部屋に居るのか、だった。よもや大艦巨砲主義を拗らせ、児童買春に手を出したのでは……?

 そうだった場合、法的後見人として厳罰を処さなければならない。

 腕白でも良い。たくましく育って欲しいと密かに願っていた吉田は、もう恥ずかしいやら情けないやらで、頭が一杯一杯である。

 そんな彼へ助け舟を出すのは、どんな時でも冷静沈着な伊勢と日向だ。

 

 

「豪志様。この子たちはおそらく……」

 

「間桐様の長門と陸奥、ではないかと」

 

「……は。い、言われてみればそうか。いかんな。気が動転しておった」

 

 

 いつの間にか滴っていた冷や汗を拭い、吉田は襟を緩める。

 間桐の長門型。キーワードにより記憶の引き出しが開き、ようやく合点がいった。

 キスカ・タイプ――桐林曰く、双胴棲姫との戦いの時点では、全く同じ服装と髪型で揃え、唯々諾々と命令に従うだけだった二体の統制人格が、二人の少女に。

 これ即ち、感情を得たという事に他ならない。

 しかも彼女たちは、長年の経験から表情豊かとなった伊勢たちに比べても、遜色のないレベルと見受けられる。非常に珍しいケースだ。

 

 

「長門に陸奥よ。おヌシら――」

 

「なっちゃん」「むっちゃん」

 

「……ん?」

 

「だから、なっちゃん!」「むっちゃん、です」

 

 

 まずは確認をと思い、二人へ問いかける吉田だったが、その言葉は当人たちに遮られた。

 こう呼べという意思表示なのだろう。

 奇妙な沈黙が続く。

 

 

「な、なっちゃんに、むっちゃん、か」

 

「はーい!」「なんです、か?」

 

「……なんじゃ、この言い知れぬ気恥ずかしさは」

 

 

 根負けした吉田が名前を呼ぶと、二人はまた元気よく、かつ控えめに挙手。

 まるで初孫を愛でるかのような感覚に、緩む頬を隠すのが大変な吉田だった。

 そんな姿を見て、伊勢たちまで「わたくしは、いっちゃん?」「ひっちゃん、いや、ひーちゃん……」と。まこと、少女らしい統制人格たちである。

 しかし、このままでは話が始まらない。吉田は大きく咳払いをし、軌道修正を試みた。

 

 

「おっほん。まぁともかく、ワシのことは分かるかの」

 

「うん、分かるよー」「パパの、パパ」

 

「パパ、じゃと?」

 

 

 久しく呼ばれた覚えのない呼称に、不覚にも目を丸くしてしまう吉田。

 パパのパパ。パパというのが間桐だとするなら、彼女たちは、吉田を間桐の父親だと認識していることに。

 判断基準は、高確率で間桐の記憶。という事は間桐自身も。口を開けば悪態しか吐かない、あの間桐が。

 嬉しさ半分、驚き半分。硬直した顔のまま、吉田は続ける。

 

 

「間桐は、寝ておるのか?」

 

「……? パパのこと?」「うん、寝てる」

 

「すまんが、通信機をヤツに近づけてくれんかの」

 

「はーい!」「よい、しょ」

 

 

 画面から少女たちが消え、ガサゴソと音を立てながら、映像が揺れた。

 空のペットボトルや、重ねられた配膳トレイが散乱する小汚い部屋を、通信機が移動。簡素なベッドの上に丸まった、シーツの塊を映し出す。

 寝相の悪い間桐の癖だ。

 

 

「間桐。ワシじゃ、起きろ」

 

「……ぐが、しゅー。……ぷぴー」

 

「間桐っ、間桐っ!」

 

「……んごっ……しゅこー。……ぶるすこふぁー」

 

「起きないねー」「お寝坊、さん」

 

 

 ベッドの上に置かれたPCから、吉田は根気強く呼びかける。

 が、ミノムシは一向に目覚めようとしない。画面外では、なっちゃんとむっちゃんも呆れている模様。

 暢気すぎる寝息にイラっとし、吉田が大きく息を吸い込んだ。

 

 

「起きんかミナトォッ!!!!!!」

 

「ぬへぁおぅ!?」

 

「ひゃうっ」「び、っくり」

 

 

 この世で、吉田一人にしか呼ばれない名前の効果か。ミノムシがガバッと上体を起こした。

 顔は隠れたままだが、キョロキョロと頭を振っていることから、かなり驚いているのが分かる。

 

 

「……んだよぉ、まだこんな時間じゃねぇか。起こすんじゃねぇよ糞ジジィ……」

 

「ぬかせ小童が。昼夜逆転しとるのが全面的に悪い」

 

 

 まぁ、それも数秒。例によって年寄りのお節介だと理解した間桐は、猫背になりながら大あくび。

 対する吉田までもが、遠慮のない言葉で返した。恒例のやり取りに、伊勢・日向がニコニコしている。

 

 

「ところで、まだ気付かんのか」

 

「んぁ? 何が……長門に陸奥? なんでこんなトコに……」

 

「なんでって、いちゃダメ?」「パパの側に、居たいです」

 

「誰がパパだ。変な呼び方すんじゃねぇよ。あぁ、起きたら腹が減っち喋ったぁああぁぁあああっ!?」

 

「流石は間桐様」

 

「見事なノリツッコミではないかと」

 

 

 吉田に示された間桐は、部屋を見渡して二人の少女を見つけると、平然と会話しつつベッドを転げ落ちた。ミノムシを吊るしていた糸が切れたようだ。

 コントのような一幕に、今度は拍手が送られる。

 

 

「のぇ、あ、ぬ、ぉ、は? なななななな、なんで? 何が起きてんだよじーちゃん!?」

 

「落ち着けミナト。ワシが聞きたいくらいじゃ。おヌシに連絡したら、既にこの状態じゃった」

 

 

 かつてない程に慌てふためき、知らず素に戻る間桐。

 吉田の声で段々と落ち着きを取り戻す彼は、信じられないという感情を、喉の震えに乗せる。

 

 

「マジで、俺の長門と陸奥、なのか」

 

「違うよ」「違い、ます」

 

「は? 違う?」

 

 

 てっきり肯定が返ってくると思っていた間桐は、思わず首をかしげる。シーツの中でも、怪訝な顔をしているのが伝わってきた。

 それを無視するように、少女たちは通信機の向きを変え、パタパタと全身が映る距離に離れる。

 肩幅に脚を開き、頷き合った彼女らは――

 

 

「わたしが、長門型戦艦一番艦のなっちゃん! で……」「二番艦、むっちゃんです」

 

 

 ――高貴なる輝きと共に、大き過ぎる艤装を召喚した。

 背中には、身体を覆い隠さんばかりの機関部。

 そこから身の丈と同じ長さを誇る、折り畳み式の四十六cm単装砲が四基伸びる。組み上げた状態なら、身長の二倍はあるだろう。

 事実、なっちゃん――長門が右手で、むっちゃん――陸奥が左手に構えるそれらは、天井を擦ろうかという所だ。

 

 小さな体躯に似合わぬ、巨大な艤装。

 間違いなく、この二人が統制人格である事が証明される。

 が、間桐は別な所にツッコミを入れたくてしょうがなかった。

 

 

「……いや何が違うんだよ同じじゃねぇか! けっきょく長門と陸奥だろっ」

 

「ちーがーうーのー」「ちゃんと、呼んで」

 

「チッ、面倒クセェ……。絶対そんな呼び方しねぇぞ、オレは」

 

 

 しゅぽん。と艤装を消し、上目遣いに詰め寄る長門と陸奥を、間桐は無下に扱う。

 画面の上から白い手が入り込み、「シッシッ」と振られた。少女たちの目が潤む。

 

 

「……なんで?」「むっちゃんたちの事、嫌いですか?」

 

「あぁ? 知るかンなも――っておぃぃい!?」

 

「ふ……ぐすっ……うぇぇぇ……」「パパに、嫌いって、言われた……」

 

 

 気怠げな声であしらおうとした間桐だったが、俯いた二対の瞳から溢れる涙に、慌ててベッドを降りる。

 入院着のような寝巻きを着る、男性の後ろ姿。首から上だけが絶妙に見切れていた。

 

 

「な、泣くんじゃねぇよぉおお!? 言ってない、嫌いなんて言ってねぇだろぉ!?」

 

「ミナト。見損なったぞ」

 

「間桐様、伊勢は怒っていますよ」

 

「下郎に成り下がりましたか。介錯は必要ですか」

 

「外野は黙ってろやクソがァアア!!」

 

 

 外野から良い様に罵られ、振り返る間桐の拳は震える。

 相変わらず見切れる彼の顔を想像しつつ、しかし吉田は思案を巡らせていた。

 

 

(どうなっておる? 陸奥だけならまだ分かるが、どうして長門も)

 

 

 間桐の陸奥は、すでに実働期間が八年を越えている。感情を得るに相応の経験は積んでいた。だが、励起して間もない長門まで、こうして涙を流し……。

 これでは、桐林とほぼ同じだ。間桐の能力が新たな側面を得たのだろうか。いや。もしかすれば、双胴棲姫を撃破した事が関係しているのやも。

 思考を巡らせ、幾つもの仮説を立てる吉田だが、いかんせん、確証がない。

 もどかしい気持ちを、ホームコメディの鑑賞に誤魔化すしかなかった。

 

 

「……く、ぐぅ……っ。よ、呼ばねぇ、絶対に呼ばねぇ、けど……」

 

「ひっく。ひっく……」「……ぐしゅ、っ」

 

 

 実は、女の子に泣かれるのが何より嫌いな間桐。

 自分がそうさせてしまった認識はあるようで、屈辱にまみれながらも、どうにかしようとプライドをかなぐり捨てる。

 

 

「き、嫌いでは、ない……」

 

「……聞こえない」「もっと、おっきな声で」

 

「ンの糞ガキ共がぁああ!! オマエらは俺のお気に入りだって言ってんだよぉおおっ!」

 

「わーい!」「むっちゃんも、好きっ」

 

「ぐほぁ!?」

 

 

 蚊の鳴くような声では物足りず、俯き加減に催促するお子様たち。

 ヤケクソ気味の絶叫が響くと、手に隠し持っていた目薬を放り投げ、二人は間桐へダイビング。

 衝撃でベッドに乗り上げ、通信機が天井を向いた。

 ギシギシと軋む音に、吉田は話を続けられないだろうと判断。溜め息ついでに別れも告げる。

 

 

「……ふぅ。ミナトよ。人の道を踏み外すようなことだけは、するでないぞ」

 

「ええと……。伊勢は応援致しますよっ」

 

「なっちゃんさん、むっちゃんさん。既成事実の積み上げ、頑張って下さい」

 

「待てや日向ぁ!? オレは巨乳にしか勃たね――うふぃっ、ちょ、そこはぶははははは!?」

 

「ヒドイこと言った罰だもーん!」「くすぐり、攻撃ー」

 

 

 通信が途切れるその瞬間まで、車内には明るい笑い声が届いていた。

 騒がしくも、心安らぐ。

 彼らにとっては珍しい、日常の一幕であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 # # # # #

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちぃーっす! 提督ー、お届けものですよーっと」

 

 

 それは、仮面舞踏会を間近に控えたある日。よく晴れた昼下がりの事だ。

 重要なイベントに集中するため、前もって書類仕事を片付けていたところ、ノックも無しに執務室のドアが開いた。

 書類を抱えて入って来たのは、つい先日、ようやっと我が艦隊へ加入した最上型重巡洋艦の一人、鈴谷である。

 

 

「おー。ありがとな、鈴谷」

 

「ふふーん。ま、第二とはいえ秘書官ですから。ほい、提督宛の報告書だよ」

 

「ん、ご苦労さん」

 

 

 上機嫌に一回転しながら、鈴谷は執務机の近くへ。

 フワッと舞うミニスカートが、目に嬉しくて仕方がない。

 しかし、不埒な事を考えていると知られたら、全力でからかわれてしまう。

 書類に目を通しつつ、自然な感じで絶対領域を眺めないと――ってダメだろうが自分!

 

 

「そういえばさ、こないだの艦隊内演習、見ててくれたんだよね?」

 

「演習? あぁ、最上型 対 妙高型 対 高雄型の、三つ巴戦か。もちろん観戦させてもらったよ」

 

 

 脳内セルフ突っ込み中の自分を他所に、鈴谷は前のめりで両手をつく。

 もはや恒例となった艦隊内演習だが、直近に行われたそれは、三つの陣営に分かれて戦う三つ巴戦だった。

 能力者の指示などは完全に無し。統制人格たちが、統制人格だけで行う演習である。

 ちなみに、上空からの観測などは利根型の二人が。その他サポートなども、古鷹型の二名と衣笠が行うという、重巡祭りでもあった。

 青葉? 潜水艦との混浴写真をネタにせびった金で、秋葉原へなんか買いに行くそうな。あとで覚えてろよパパラッチめ……。

 

 とまぁ、そんな事はさておき。

 下馬評では、練度の差により妙高型が優勢。高雄型と最上型は同程度の評価で、彼女たちが手を組めば……という感じだった。

 予想通りというか、演習は終始、妙高型が流れを握った。詳細は省くが、脱落するなら道連れに三隻くらい持っていくような、鬼気迫る戦いだったのである。

 果たして、その結果は……。

 

 

「しかし、まさか最後は鈴谷の一人勝ちとはな。驚いたよ」

 

「大混戦だったしねー。でもま、当然の結果じゃーん。鈴谷褒められて伸びるタイプなんです。うーんと褒めてね?」

 

「ははは。うん、よく頑張ったよ。今後もその調子で頼む」

 

 

 なんと、鈴谷残して全員轟沈判定という、誰も予想だにしない大穴。

 ぶっちゃけ、棚ぼたで勝っただけの彼女だが、先任相手の演習で生き残ったというだけでも、評価してあげるべきだろう。

 ここで余談を一つ。重巡は山にその名前を由来する事が多いのだが、利根や筑摩といった前例があるように、最上型も川を由来としている。

 中でも、鈴谷は現ロシア領土のサハリン――かつての樺太にあった、鈴谷川が元ネタ。いわば、海外地名の名前を持つ船でもあるのだ。

 そんな、珍しい曰くを持つ船なのだが、目の前にいる現代的な女子高生は、なぜだか不満そう。

 

 

「……そんだけ?」

 

「は?」

 

「もっとこう、他に言う事とか、渡す物とか……ね?」

 

「ね? って言われてもな。プリン位しか無いぞ。過度なご褒美を期待されても困る」

 

 

 しなを作り、両手を合わせて斜めがちにウィンク。

 可愛いっちゃあ可愛いんだけど、依怙贔屓する訳にもいかないし、今までみたくプリンで我慢してもらうしかない。

 けれど、それを聞いた途端、鈴谷は目に見えて肩を落とした。

 

 

「はぁぁぁぁ……。もっとちゃんと褒めてよー。女心が分かってなーい。そんなんだから、いつまで経っても非モテなんだよ?」

 

「ぐっ。ひ、人のこと言えた義理かっ、男の手も握ったことが無いくせに!」

 

「うっ。あ、あるじゃん! 初対面の時に、提督とっ」

 

 

 やれやれ……的に肩をすくめる彼女。

 カチンと来て言い返すと、また前のめりになって指を突き付けてくる。

 いや、それを勘定に入れていいのか? 暗に認めてるんですけど?

 

 

「それにねー。鈴谷、一般整備士の人にアプローチ掛けられまくってて、忙しーんだー。仕事ばっかな提督は知らないだろうけどさ?」

 

 

 失言に気づいていないらしく、鈴谷は髪をかき上げながら、自慢気に見下ろしてくる。

 ……面倒臭ぇなぁこの処女ビッチ! 実はメチャクチャ身持ちが固い癖しやがって、バレてないとでも思ってんのか!

 ったくもう……。適当にあしらっとくかぁ……。

 

 

「あーはいはいそーですかー。そらーよーござんしたねー」

 

「む。ホントだかんね? 私が本気出せば、男なんてみんなイチコロなんだからっ」

 

「はいはい凄いねー。童貞な自分には理解できない世界でございますよー」

 

「ど、童て……っ!?」

 

 

 淡々と受け流し、書類を選別していく自分。

 当然というかなんと言うか、気に入らないらしい鈴谷。

 微妙な沈黙が数秒続き、先手を取ったのは鈴谷だった。

 

 

「ふ、ふーん。そういう態度とるんだ……。いいよ、鈴谷にも考えがあるから……。ぃしょっと」

 

「あ。おい何――をっ!?」

 

 

 何を思ったか、彼女は執務机の上へ尻を置き、そのまま太ももを見せつけてきた。

 特徴的な、螺旋状に登る線の入ったオーバーニーソックス。

 本人が言うところの甲板ニーソと、プリーツスカートとの間から、ムッチリした肌色が覗く。

 こ、こいつ……! 自身の身体を武器にするとは、卑怯者めっ(ありがたや)

 

 

「ねー提督ー、この部屋、暖房強過ぎじゃない? 鈴谷、ちょっと汗かいちゃったかもー」

 

「……だ、だったら廊下にでも出てれば良いだろう。机から降りなさい」

 

「えー。酷ーい? 追い出そうとするなんて、鈴谷のこと嫌いなの?」

 

「………………」

 

 

 ブレザーとスカートをパタパタ。

 ワザとらしく空気を入れつつ、鈴谷は絶妙な加減でチラリズムを演出する。

 ヤバい、マズい。直視しちゃいけないのに、目が離せない。

 くそっ。ニタニタと笑いやがって――あれ、なんでボタンに手を……?

 

 

「うん。暑いからやっぱ抜いじゃおーっと」

 

「お、おいっ。待て――ぶおっ」

 

 

 止める間もなく、上着を脱ぎ捨てる鈴谷。

 顔面に向けて投げつけられたそれからは、フローラルかつ爽やかな、思春期の香りが。

 なんでだろう。香水なんか付けてないだろうに、凄く……って匂いを嗅ぐなっ!? このままじゃ処女ビッチの思う壺じゃないか!?

 落ち着け。冷静になれ。こんなの、その気になればいつだって嗅げるじゃないか。

 だから離れようね自分の右手っ! 今は別れの時なのよ!

 

 

「あーあ、お仕事だけじゃ、退屈だねー。……ねぇ。暇潰しにナニかしよっか」

 

「な、何かって、なんだよ……?」

 

「そんなの、女の子に言わせちゃダーメ。常識じゃん? ……どうする。ナニする……?」

 

 

 断腸の想いで上着を置くこちらへ、にじり寄る女豹。

 シャツの第一ボタンが外れ、第二ボタンも。

 第三ボタンに差し掛かると、鈴谷の指は躊躇する。ほんの少し、谷間を彩るレース細工が見えた。

 ……ふぅ。

 これは、アレだな。調子乗ってるな。オシオキしておかないと、後々に響く。

 パパラッチも居ない事だし、心を鬼にしなければ。

 そう思い立った自分は、無言で席を立つ。

 勢いがついたせいで、椅子は倒れてしまった。

 

 

「あ、あれ? 怒っちゃった? もー、軽い冗談なんだか……ら……?」

 

 

 ビクン、と身体を震わせる鈴谷を無視し、廊下へ続くドアへ。

 わずかに開き、人通りが無いのを確認。また閉じて施錠する。

 

 

「……ね、ねぇ。なんか今、カチャンって音が……」

 

 

 ようやく不穏な空気を察したらしく、鈴谷は机から飛び降り、そろそろと壁際に。

 自分は何も言わない。

 ただただ、無表情に距離を詰めていく。

 

 

「あ、の。えっと……。あっ! そ、そういえば熊野と約束があったんだっけー。いやー、うっかりうっかり。という訳で、私は帰――」

 

 

 下手くそな嘘をつき、横をすり抜けようとする鈴谷だったが、腕を壁につく事で逃げ道を絶つ。

 いわゆる壁ドン状態である。

 追い詰められ、影に落ちた彼女は、怯えの篭る瞳でこちらを見上げていた。

 

 

「自分で言ったこと、忘れたのか」

 

「へ? な、なんか言いましたっけ……?」

 

「そっちから誘っておいて逃げようとするとは、悪い子だな。鈴谷」

 

「え。あ。え? い、いやいやいやいやいや、私そんなつもりじゃ……」

 

 

 抑揚を消した声で畳み掛ければ、さっきまでの余裕が嘘のように、顔を赤く、身体も縮こませる。

 袋の鼠。龍驤の――じゃなかった、まな板の上の鯉。

 あとは手早く料理するだけだ。

 

 

「悪いが、絶対に逃がさないぞ。もうこっちは覚悟を決めた。諦めろ」

 

「……ま、待って。ヤバいってこれぇ……。違う、違くて……。あっ」

 

 

 囁く声で死刑宣告をし、宝石が如き髪を一房、すくい上げる。

 ただそれだけなのに、鈴谷の全身は目に見えて硬直していく。

 吐息で前髪を揺らせば、硬くまぶたを閉じて。

 

 

「だ、ダメ、ダメ、ダメ……。提督……っ」

 

 

 否定の言葉を発しながら、細い顎が自然と上向きに。

 頬はまるで紅を引いたよう。

 小刻みな震えは、緊張からか、恐れからか。

 少なくとも、抵抗の意思を完全に失ったらしい鈴谷へ、自分は――

 

 

「ほい」

 

「……んぁ?」

 

 

 ――ポン、と。

 手を頭に置くだけだった。

 

 

「へ。あれ。提督?」

 

「戦ってる鈴谷は……凄く、格好良かったぞ」

 

「………………へっっっ!?」

 

 

 だがしかし! 自分のターンは終わらない!

 撫でり撫でり。

 艶やかな髪を撫で回しながら、決め顔で笑いそうなのを誤魔化し、脳みそフル回転。喉からクッさいセリフを捻り出す。

 きゅー、という音と共に、鈴谷の顔が首から赤くなっていく。……気がした。

 

 

「海風に揺れる髪も、水平線を見つめる瞳も、普段より凛として、頼もしかった」

 

「えぁ、う? あり、がと? あれ?」

 

「それに、髪がサラサラだ。海に出ると痛みやすいだろうに、キチンとケアしてるんだな」

 

「あ、当ったり前じゃんっ。そういうのは、女の嗜み、だし……」

 

「ちゃんと出来てるのが凄いんだよ。統制人格だって、何もしないで万全の状態を維持できる訳じゃないんだし。鈴谷は偉い」

 

「……う」

 

「……ん?」

 

「うううぅぅぅ、やだ、マジ恥ずかしい、死んじゃう……っ」

 

 

 立て直そうとしたのか、「じゃんっ」の辺りで胸を張る鈴谷だったが、しつこく撫でながら褒め称えると、また傾いていく。

 両手で顔を覆い隠し、むずがるように頭を振る彼女。

 ……ヤバいなこれ。こっちも恥ずかしいけど、なんか癖になりそう。

 しかし、まだ続けないとネタばらしも出来ない。あと少しだけ楽しもう……もとい、頑張ろう!

 

 

「どうした鈴谷。顔を隠さないでくれ。せっかくの可愛い顔が見れないじゃないか」

 

「んんん……っ。見ないでってぇ、ばかぁ……。なんで、急にこんな……」

 

「なんでも何も、君が言ったんじゃないか。ちゃんと褒めろって」

 

「それはそうだけど………………うんっ!?」

 

 

 タイミングの良い投げ掛けに、平然と、さり気なく答えてあげれば、たちまち顔を上げる鈴谷。

 大きな目が、ことさらクリクリと。よし、ビックリしてる。勝った!

 

 

「えーと……。じゃあ提督は、私が褒めてねって言ったから、必要以上に持ち上げてただけ、ってこと?」

 

「あぁ、そうだ。良い薬になっただろ?

 いやー。ドレス選びの時も思ったけど、自分のボキャブラリーじゃ、ただ褒めるのも大変だよ。

 嘘は言ってないつもりだけど。あっはっは」

 

 

 ネタばらしが済むと、自分はそそくさ彼女から距離を取る。

 いやー、危ない危ない。あんまりにも反応が可愛くて、本気になるところだったZE!

 途中から褒める方向性が変だった気がするし、誰かに見られでもしたらマジでヤバいし、このおふざけは封印しとこ。

 電にだけは試してみるかな、いつか。なっはっはっはっは。

 

 

「――のぉ……」

 

「ん? なんだ鈴谷?」

 

 

 後頭部を掻きつつ高笑いしていたら、鈴谷はまた俯き始めた。

 握られた拳がワナワナと、周囲の空気も剣呑に。

 あ、あれ? 今度は自分が怒らせちゃったのか? 同じことをやり返しただけなのに?

 でも、からかい過ぎた感もあるし、こっちから謝った方が良いのか……?

 

 

「……提督のぉ、ばかぁああぁぁあああっ!!!!!!」

 

「うわっ」

 

 

 焦り始めた自分を、鈴谷は怒鳴りつける。

 目には涙を溜め、キツく睨みつけ。そしてそのまま、ドアに向かって走り出し……ってマズい!?

 

 

「おい鈴谷、ドアには鍵が――おぉおっ!?」

 

 

 瞬間的に艤装をまとった鈴谷が、数十kgはあろうドアを、体当たりで吹き飛ばす。

 ドガシャァン! と派手に木片が散乱する中、廊下を全力疾走していく、涙目の少女。

 しかもこの寒い時期、上着無しの、胸元が開いたワイシャツ姿で。

 

 

「やべぇ、ヘタ打った……。また変な噂が広がる……」

 

「桐林提督!? 今度は何したんですか一体っ!!」

 

「いきなり犯人扱いはやめてよ疋田さん!?」

 

 

 テロだと勘違い……してはいないらしい、最近懇意な警備員・疋田さんも、ショートボブの髪を揺らしながら駆けつけてくる。

 美人じゃないけど愛嬌のある人で、一房だけ横髪を三つ編みにしてるのが覚えるポイントだ。

 そんな彼女、今までの経験から、ここで起きる騒動の原因は、ほとんどが我が艦隊であると思っているようで――

 

 

「さてと……。提督? 鈴谷に何したのか、ちゃんと説明して欲しいな。嘘ついたりすると、ボク、本気で怒っちゃうぞ……?」

 

「違うんです誤解なんです勘違いなんです。自分はただ、鈴谷を褒めちぎっただけで……」

 

「巫山戯るのも大概になさって下さい! それだけで鈴谷さんがあんな風に引きこもる訳ありませんわ! 正直に言わないのなら……」

 

「ジャパネット高田の馬場で購入した、全自動お仕置きマシーンが唸りますっ。マイナスイオン発生器付きで、税込十五万三千七百九十八円でしたっ」

 

「ついでに、ウチのことも馬鹿にせぇへんかった? なんや、唐突にめっちゃイラっと来たんやけど」

 

「記憶にございませぬ。三隈はもう少し小遣いの使い道を考えようね?」

 

 

 ――つつがなく宿舎へ連行された自分は、座敷スペースに正座させられ、弾劾裁判を受けるのであった。

 いい加減に学ぼうよ、調子乗ると痛い目を見るって。

 そんなんだから、先行者みたいなロボットに威嚇されるんだぞ?

 ……誰か助けてぇ……。

 

 

 

 

 

「嘘は、言ってない……。嘘じゃ、ない……。んへへ……。

 って、私ってば何ニヤついてんの!? ぁああっ、自分で自分がキんモー!!」

 

 

 

 

 




「……え、エイブラハムくん、可愛いね。好きなのかい、フェレット?」
「うん。動物、好きです……。他にも、鳩のゴルバチョフとか、兎のサッチャーとか、ハムスターのムッソリーニとかが、居ます」
「世界の偉人シリーズなのです……」
「はっはっは。その子が名付けたんですよ。個性的で覚えやすいでしょう?」

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