新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と戦果報告

 

 

 

 どうしよう。

 まさかこんな事になるなんて、信じられない。

 想像してなかったとは言わないけど、本当に、現実に起こるだなんて。

 どうしよう。どうしよう。

 みんなにどう説明すればいいの。

 明日から、どんな顔をしてあの人に会えばいいの?

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 

 私……。

 こんなに幸せで、良いのかな。

 

 

 出典不明。

 誰か、少女の日記と思われるが、文字から嬉しさが伝わってくる。

 紙面の端には、丸い形の二重線に輝きのマーク。……指輪の絵、だろう。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「以上が、梁島・兵藤両提督の報告を合わせた、最終的な戦果になります」

 

 

 隣で立つ桐ヶ森提督が、直立不動のままに報告をあげる。

 広々しているけれど、仮に用意されたという予備の執務室。

 並び立つ自分と少女の真向かいには、執務机を挟んで二人の人物が佇んでいた。

 革張りの椅子を軋ませる吉田中将と、その側で控える巨体――桐谷提督だ。

 

 

「うむ。ご苦労じゃった」

 

「結果的には大勝利となりましたね。これで諸外国への体面も保てます」

 

 

 キスカ・タイプとの戦闘を終え、三日目。

 一○○○を迎える佐世保鎮守府で、自分と桐ヶ森提督は、揃って戦果報告を行っていた。

 入渠ドックは最大限に割り当てられているのだが、船の入れ替えにもそれなりの時間が必要で、まだ修理中の船も多く残っている。横須賀へ戻るには数日を要するだろう。

 もちろん、その時間を無駄にできるほど暇じゃあなく、戦後処理を済ませる事となった。

 修理にかかる費用や資材の計算。消費した弾薬・燃料・艦載機の補給と、その補填の手筈を整え、被った損害と回収した解放艦の割合から、戦果を導き出すのが主な仕事。

 今日は結果報告である。

 ちなみに、間桐提督はいつも通り、長めの休養中とのこと。“千里”の特権だ。

 

 

「さて……。ではそろそろ、本題に入ろうかの」

 

 

 鷹揚に頷いていた中将だったが、ふと顔を引き締め、机に両肘をついて指を組む。

 通常なら、戦果報告を終えれば退室を許されるけれども、あの戦いの後ではそうはいかない。

 意図を汲んだ桐谷提督が言葉を継ぐ。

 

 

「まずは桐ヶ森さん。汚染の影響は如何ですか」

 

「ご心配なく。汚染……っていうか、侵食? どちらにせよ、全く影響は残ってないわ。むしろ快調なくらいですから」

 

 

 戦闘後、沖縄で精密検査を受けた彼女は、さらに精度の高い機器による二次検査を行うため、佐世保へと上陸した。先輩が護衛を引き受け、一日半の船旅だったそうな。

 桐生提督の眠る病院の設備と同じ物を、桐谷提督が取り寄せたらしく、結果は信用できるだろう。

 実際、桐ヶ森提督の顔色も良くて、髪をかき上げる仕草に淀みがない。

 しかし、平然としていた彼女の表情は、美少女から一転して戦士のそれに。

 

 

「でも、聞きたいのはそんな事じゃないんですよね。……私が見た物、ですか」

 

「そうなるのう。思い出したくないかも知れぬが、聞かないわけにはいかんのじゃ。許せ」

 

「構いません。当然ですから」

 

 

 深海棲艦に精神を侵される際、なんらかの情報を引き出せることは、桐生提督の一件で判明している。自分もそれを経験した。

 果てのない白。黒い少女たち。対話。

 そして、自分が現実へ帰還した直後、桐ヶ森提督も。人の言語体系ではない音声を漏らした事実からして、明確だ。

 全く同じ経験なのかは定かじゃないけど、今、それが明らかになる。

 

 

「……私が、あの時に見た物。それは……」

 

 

 少女は静かに瞑目し、小さな深呼吸を。

 再び開かれた碧い双眸が、中将たちを見据え――

 

 

「コイツに聞いてください」

 

「ひゅへ!? なんで自分に振るんですか!?」

 

 

 ――何故だか、細い指をこちらに向けた。

 よ、予想外にも程がある。思わず変な声出ちゃったぞ。

 

 

「誤魔化しても無駄よ。あの後、私自身の状態を確認しようと記録を漁ってみたんだけど、アンタも侵食されたでしょ」

 

「それは……えっと、その……」

 

 

 下ろされた指の代わりに、今度はジト目が向けられる。

 まだ自分のターンじゃないと高を括っていたせいで、口が上手く回らない。

 そんな姿を見てか、桐谷提督たちも彼女に続く。

 

 

「まぁ、バレバレでしたね。あんな様子では何かあったと言っているようなものです」

 

「じゃのう。おヌシにも聞く予定ではあった。もう整理はできておるな?」

 

 

 三対の視線に、重みを感じた。

 質問対象は桐ヶ森提督から自分へと移ってしまったようだ。

 そりゃあ誤魔化せた自信なんて無かったけど……。

 いや。もう覚悟を決めるしかない。あの空間で得た情報を、できる限り正確に伝えなくては。

 

 

「自分は、敵の統制人格と……。深海棲艦と、対話しました」

 

「ほう」

 

「興味深いですねぇ」

 

 

 中将の片眉が吊りあがり、桐谷提督は笑みを崩さない。

 口にしてしまえば緊張も吹っ切れ、勢いのまま話を続ける。

 

 

「と言っても、大した事は分からなかったんです。これだ、と確信を持って言えるのは三つ。

 あの子と対話した空間――どこまでも続く白い世界が、十万億土と呼ばれること。

 キスカ・タイプの統制人格の名前は、双胴棲姫であること。

 そして……。彼女たちに命令を下す者が、存在していることです」

 

 

 何度も記憶を探り、確信を持って言えると判断したのは、この三つ。

 最後の伝言は……どうしてだろう。話してはいけないような気がした。

 内容が意味不明なのもあるが、もし、双胴棲姫が“あの人”と呼んだ人物が、想像通りだったら。

 ……そんなの、ダメだ。

 

 

「十万億土、ですか。この世から極楽浄土へ至るまでの間に点在するという仏土……。仏の世界の事ですね。転じて、極楽浄土そのものを指す場合もあるようですが」

 

「仏教の言葉が聞けるとは思わなんだ。それが正しければ、おヌシも桐ヶ森も、死後の世界へ足を踏み入れておった……という事になるのう」

 

 

 自分の嘘が上手くなったのか、もしくは単に幸運だったか。将官二人はすぐさま考察に入ってくれる。

 騙すようで心苦しい。世界の今後を考えるなら、全てを話すのが正しい選択。

 分かっているけれど……。“彼”の身を危険に晒すだけの、確証が欲しかった。

 

 

「ソウドウセイキとは、どのような字で表すのでしょうね。パッと浮かぶ限りでは……」

 

「双胴船に棲まう姫、です。なぜかは分かりませんが、自分の脳はこう変換し、正しいと認識しています。

 それと、自分はあの時、銃を持っていました。反射的に双胴棲姫へ向けたのですが、横須賀に置きっ放しだったはずの、南部十四式カスタムを」

 

「……ますます興味深い。異口同音を過たずに伝えられ、警戒心を……思念を実体化する空間ですか。仏土を名乗るに相応しい。

 この呼び名、日本の海域だけなのでしょうか。諸外国の領海では、それぞれに対応する単語に変換されたりするのかも知れませんね。

 わたしの侵食レベルは低過ぎて、そのような経験は出来ませんでした。出来ることなら代わりたかったですよ」

 

 

 羨むように、桐谷提督が嘆息する。

 言われてみれば、随分と稀有な経験をしてしまったと思う。

 能力者になるだけでも低い確率だっていうのに、深海棲艦と対話まで。

 おそらく日本だと片手。世界でも両手で数えられるくらいしか、あの世界を見ていないはず。

 そして、生還した者はもっと少ない。本当に幸運だったんだな……。

 

 

「私もだいたい同じです。名前までは聞き出せませんでしたが、双子の統制人格だけあって、二人同時に“引きずり込む”のを想定していたんでしょう。無駄でしたけど」

 

「ふむ。一人につき一人という訳か……。敵の司令官――と表現していいのかは分からんが、確実に戦力を殺ぎ落とそうとしておるようじゃな」

 

「これからの戦い、厳しいものになりそうです。獣を追い込むようで楽だったんですが、困りました」

 

「だから、言ってる事と顔が一致してないのよ、アンタ」

 

「持ち味です。堪能して下さい」

 

 

 桐ヶ森提督は視線を正面に戻し、中将や桐谷提督と頷きあっている。

 自分の隠し事も、桐ヶ森提督の肯定によって隠されたようだ。

 ……けど。

 

 

(嘘だ。桐ヶ森提督も、嘘をついた)

 

 

 双胴棲姫の事は話したが、二人同時に現れたとは言わなかった。あえてそうした訳じゃなく、言いそびれただけだ。

 それを自分と桐ヶ森提督、それぞれに一人ずつ現れたという風に表現している。少なくとも自分はそう受け取り、残る将官たちも。

 完全に同じタイミングでの侵食というわけではないし、自分の後に向こうへ行ったとも考えられるけれど、なぜだか、“そうじゃない”と思ってしまう。

 加えて、彼女が視線を戻すその時。一瞬だけ重なった瞳には、確信があった。

 

 ――アンタも、嘘ついてるでしょ。

 

 隣で呆れた顔をしている少女は、あの刹那にそう語りかけて来たのだ。

 これで共犯者だから、と。後で詳しい事情を聞かねば。

 ……勘違いじゃないと良いな。もし違ってたら恥ずかしいってレベルじゃないし。

 

 

「事情は把握した。聞きたいことはまだまだあるが、統制人格と違って五感を共有することもできん。今日はここまでにするとしよう。下がって良いぞ」

 

『はっ!』

 

 

 退室を促す中将へ、自分と桐ヶ森提督は同時に踵を鳴らす。

 すると、桐谷提督もまた、中将の隣から一歩下がる。

 

 

「わたしもこれで失礼します。また後程」

 

「うむ。自愛するのじゃぞ、桐谷。特におヌシは薬を使い過ぎる。そのままではワシより先に死ぬぞ」

 

「お返ししますよ。そのペースで葉巻をお吸いになられたら、タールで溺れ死んでしまいます」

 

「ワシは良いんじゃ。こうして生きておるのが、すでに奇跡じゃからの。おヌシと違って娘もおらぬ」

 

「ああ言えばこう言いますねぇ……。では、中将」

 

 

 最終的に、三人で仮の執務室を出る事となった。

 部屋の前を固める衛兵が、机についたボタンの合図でドアを開ける。

 桐谷提督を先頭として廊下をしばらく進み、サロンみたいに幾つかのソファが置かれている場所へ差し掛かったところで、自分はようやく緊張を解いた。

 

 

「はぁぁ、終わった……」

 

「だらしないわねぇ。この程度で緊張しすぎよ、早いとこ慣れなさい」

 

「ふふふ、良いじゃありませんか。お疲れ様でした、桐林殿。桐ヶ森さんも」

 

 

 前のめりにソファへ腰を下ろすと、それを切っ掛けとして、硬く真面目な雰囲気が、ちょっとだけ和らぐ。

 桐ヶ森提督も隣に。組まれるおみ足が美しい。

 

 

「しかし、ここからが本番ですよ。

 本当の軍事力というのは、戦いに勝利できるという事ではありません。戦い続けられる事こそを指します。

 いつまた、戦場に立つ必要が出てくるやも知れませんしね」

 

 

 一人、後ろ手に立ったままの桐谷提督は、変わらぬ笑顔を浮かべて言う。

 勝つ事よりも、戦い続けられる事の方が重要、か。言い得て妙である。

 たとえば、大きな戦いに勝ったとして、無傷で済むとは限らない。浅くない傷を負った場合、そこから回復できなければ、勝った意味が失われてしまう事だって。

 それに、負けたとしても、再び戦いを挑むだけの力があれば、二度目は勝てるかもしれないのだ。

 

 勝てなくてもいい。負けなければいい。生きてさえいれば、どうにかなる。

 フラ・タとの戦いで見出した――なんて言えばいいんだろ。哲学? だけど、桐谷提督が似たようなことを言うとは思わなかった。

 まぁ、彼の場合、その過程で犠牲にするものが多いんだろうな……。そこだけは相容れない。

 にしても、いい加減慣れるかと思ったのに、未だ違和感バリバリだよ、ソプラノボイス。

 実は着ぐるみで、中に小さい美少年が入ってるとか、そんな可能性……ないな。うん。

 

 

「何よその言い方。せっかくの勝利にケチ付けるつもり?」

 

「いえいえ、そんなつもりは。心構えの問題ですよ。

 戦闘内容についても文句はありません。

 二度と同じ勝ち方は出来ないでしょうけれど、終わり良ければ全て良し、です」

 

「ウソクサ……。含みがあり過ぎてパンパンじゃないの」

 

 

 ――と、バカな想像をしているうちに、熊と美少女が険悪なムードに。

 桐ヶ森提督がやたらと突っかかってるようにも感じるが、しかし、桐谷提督は余裕を崩さない。

 

 

「とんでもない。お二人の奮闘は心から賞賛していますとも。ええ。特に、桐林殿」

 

「……ぇえっ!? じ、自分で、ありますか」

 

 

 むしろ、こうして驚かされるくらいだった。

 双胴棲姫との戦闘記録は、桐谷提督もリアルタイムで見ていたらしい。

 という事は、北上の発言から始まる、あのやり取りも見られていたはず。

 傀儡艦に自爆攻撃をさせるような人物からすれば、あれは致命的な欠陥と受け取られるんじゃないだろうか。

 と、実は内心ビクついていたのに。まさか褒められるなんて……。

 

 

「そう驚くことはないでしょう。

 経緯はどうあれ、貴方は三十隻以上の船を出撃させた上に、一隻の轟沈も出さなかった。

 桐城殿が頑として受け入れなかった二つ名……。“不沈”に相応しいのは、貴方かも知れませんね」

 

「“不沈”ねぇ……。“プリン”の方が似合いじゃないの?」

 

「ははは。とても美味しいらしいですから、それもありですねぇ」

 

「褒めるのか貶すのか、どっちかにして貰えると助かるんですけど」

 

 

 投げやりなプリン頭少女に対し、ソプラノマッチョは何度も首を縦に振っている。

 ……うーん。額面通りに受け取れないのは、自分が捻くれてるから……じゃないよな、きっと。桐ヶ森提督だって同じように感じてるみたいだし。

 けど、キリシロ? 人の名前……。まさか、“桐”?

 

 

「質問、よろしいでしょうか」

 

「どうぞ」

 

「ありがとうございます。キリシロ殿とは、一体?」

 

「おっと、そうでしたそうでした。これも箝口令が出ているんでした。……まぁ、桐林殿ならば問題ないでしょう。梁島彪吾(ひょうご)提督の事ですよ。

 彼も相当な手練れでしてね。間違いなく“桐”に匹敵するんですが……。感情持ちを沈めてから、意固地になっているようで。困ったものです。

 あぁ、ちなみにですが、土偏に成りの城で、桐城です」

 

「感情持ち、を……?」

 

 

 軽い気持ちでした挙手には、思いも寄らない事実が返ってきた。

 “不沈”の桐城。いや、鉄壁の梁島提督。先輩が妙に嫌っている歴戦の提督。そして、感情持ちを失った過去を持つ、顔しか知らない人物。

 あまり良い印象を持っていなかったが、そんな背景があったのか。全く知らなかった。

 隠されていたんだから仕方ないんだろうけど、自分だったら耐えられない重荷を背負いながら、なお戦い続ける人を嫌ってたなんて、少し後ろめたい。

 だが、桐ヶ森提督は別の理由で不機嫌さを増したようで、脚が苛立たしそうに組み替えられる。

 

 

「桐谷。アンタ、いつからそんなに口が軽くなったの。舌ばかりが動く男は嫌われるわよ」

 

「おや手厳しい。同じ経験を持つ桐ヶ森さんとしては、嫌な話題でしたね。申し訳ありません」

 

 

 ギシリ。

 何かが軋む音がした。

 革張りのソファにシワを作る細い指と、強く食い縛られる歯。

 重なる不協和音が、隣り合う少女から発せられたのだ。

 

 

「消えなさい。今すぐに。まだ忘れてあげられるわ」

 

 

 睨み上げる瞳は、焼けた鉄の温度を宿している。

 直視すれば――ひょっとすると、見られただけで焼け死にそうな、怒り。

 そんな物を真正面から受け止めているのに、桐谷提督は肩をすくめるだけ。

 

 

「随分と嫌われたものです。退散した方が良さそうだ……と、忘れるところでした。桐林殿」

 

「あ、はい」

 

 

 反射的に、立ち去ろうとする桐谷提督の声へと返事していた。

 いけない。桐ヶ森提督に気圧されて、聞き逃すところだった。

 

 

「問答無用でわたしに直通する番号です。いずれ必要になるでしょうから、受け取って下さい。

 それと、今回のことで色々と物入りにもなるはず。必要とあらば融資しますよ? 十一(といち)ですが」

 

「あぁ、ありがとうございま――ってスンゲェ暴利じゃないですかぁ!?」

 

「はっはっはっはっは。冗談ですよ冗談。無利子無担保で、無制限です。ぜひご利用ください」

 

 

 差し出された名刺を受け取りつつ、これまた反射的に突っ込む。

 闇金チックな金利に、今度は体温の下がる感覚を覚えたが、どうやら桐谷提督なりのジョークらしい。

 あなたが言うとシャレにならない雰囲気が漂うんで、真面目にやめて頂きたい。

 しかし、面と向かって文句をつける事もできず、ジト目で精一杯伝えようとするも、「例の件、伝えておいて下さいね」と桐ヶ森提督へ言い残して、彼は悠然と歩き去った。

 こういうのもマイペースっていうんだろうか……。

 

 

「なんか、意外ですね。もっと色々……覚悟してたんですけど」

 

「ま、奴にとっては結果が全てだからでしょ。それに、見た目が笑ってるだけで、腹に据えてるものは絶対にあるわ。気を付けときなさい」

 

「……そうします」

 

 

 なんの気なしを装い、恐る恐る、そっぽを向く少女へ声をかけると、意外にも普通に返事が。

 良かったぁ。怒った桐ヶ森提督なんて、とてもじゃないけど太刀打ちできないし。一安心だ。

 

 

(桐ヶ森提督も、感情持ちを失った経験がある、のか。こんなに若いのに)

 

 

 桐谷提督が嘘をつくメリットなんて無い。

 いま隣で、手持ち無沙汰に髪を弄るこの子は、梁島提督と同じく、共に戦場を駆けた仲間を失った経験がある。

 舞鶴で陽炎に向けた視線や、双胴棲姫戦での柔軟な対応の理由が理解できた……ような気がした。

 自分なんかより、ずっと苦しい人生を歩んで来たんだ。

 島風に聞いた話が本当なら、幼い頃は血筋が理由で虐げられ、若くして戦うことを強要された中で、友まで亡くした。なのに、こうして戦っている。

 

 

「ん~……っはぁ。変な空気になっちゃったわね。忘れてちょうだい」

 

 

 ぐぅっと背伸びをし、そんな素振りを微塵も見せない桐ヶ森提督に、なんだか胸が締め付けられた。

 強過ぎる少女の横顔が、切なくて。同時に誇らしくも思える。

 この子と並び立つ、“桐”の渾名に恥じぬ男になろうと、そう思わされた。

 

 

「さってと。久々の完全オフだけど、やらなきゃいけない事だらけで大変だわ、全く」

 

「そうなんですか。お疲れ様です」

 

「なに言ってるのよ。アンタのせいなんですけど?」

 

「はい?」

 

 

 立ち上がり、疲れた笑みを浮かべる桐ヶ森提督。

 自分も労いながら腰を上げたのだが、何故か彼女は小首を傾げている。

 どういう事かと困惑していたら、疲れた笑みは満面の笑みへと変化し、クリクリな瞳がにじり寄って来た。

 

 

「さぁ、私と人目につかない場所へ行きましょうか。返事は『はい』か『Yes』か『Ja』しか受け付けないわ」

 

「全部同じ意味じゃありません? あの、笑顔が怖いです……」

 

「へぇ。こぉんな美少女が二人っきりになろうって誘ってるのに、袖にするのかしら。

 そんな贅沢が許される立場だとでも? 風子さん――いいえ、統制人格にあんな格好させるハレンチ男が」

 

「いやあれは、自分がそう指定した訳じゃなくて、深層心理が……」

 

「結局はアンタの願望でしょう。言い訳しない!」

 

 

 とうとう窓際まで追い詰められ、襟を引き寄せられて顔が急接近。ヘアカラー特有の香りがした。

 普通こういう時って、花の香りとかシャンプーの香りがするもんじゃないの? じゃっかん匂いがキツいっす。

 っていうか顔近い! 通り掛かった職員さんたちがザワザワしてますから、勘弁してぇ!?

 

 

「あ、あのぉ……。桐ヶ森、提督? どうかその辺で……」

 

 

 頬を引きつらせ、どう脱出するか思案していると、横合いから男性の声が。

 クリップボードを抱え、ごく普通の職員制服を着る若者だ。自分と同じか、ちょっと年上だろうか?

 とにかく、彼の乱入により空気が変化。襟元は解放され、不機嫌な視線の矛先も別方向に。

 

 

「チッ。邪魔するんじゃないわよ軍艦オタ。大人しく引っ込んでりゃいいの。分かった?」

 

「いや、そうはいきませんって。倫理的にも、風紀的にも。と言うかですね、誤解されると思ったんで黙ってましたが、桐ヶ森提督にあんな事やそんな事されても、ご褒美にしかならないです」

 

「………………あ。それもそうね。余計な買い物しちゃったわ、もう。早く言いなさいよ」

 

「はは、は、すいません……」

 

 

 数秒の間を置き、桐ヶ森提督はポンと手を打つ。

 そして近くのゴミ箱へ向かったかと思えば、懐や軍帽の中、スカートから何がしかを取り出し、ドンドン突っ込んでいく。

 皮のムチ、ピンクいロウソク、なんかトゲトゲしい板、ギャグボール、荒縄、アイマスク、etc,etc,etc……。

 どこにそんな容量が? いやそれ以前に、アブノーマルなプレイ道具にしか見えませんけども?

 

 

「どなたか存じませんが、ありがとうございました。マジで助かりました」

 

「いやぁ、半分は私のせいゴッホゴッホお役に立てたなら幸いであります!」

 

 

 貞操の危機を脱した喜びを胸に、職員の男性へと感謝を述べる。

 どうしてだか、急に咳き込んだりしているのが気になるけど、最後は敬礼が返された。

 本っ当にありがとうございます。興味がないとは言いませんが、相手は選びたかったんで。

 

 

「そ、それで、ですね……。よ、よろしければっ、さささ、サインを頂けませんでしょうか!?」

 

「はぁ、サイン」

 

 

 未だにガチャガチャ物を捨てる少女を背景に、男性は色紙と筆ペンを取り出して、腰を曲げつつ差し出した。

 サイン……。あぁ、そうか。うちの子たちのか。

 隔月刊・艦娘で紹介されてから、メディアへの露出が微妙に増えてきてるっぽいし、ファンが居てもおかしくない。

 SM処女を守ってくれたんだ。このくらいは融通を利かせないとな。

 

 

「良いですよ。誰のが欲しいんですか? こっちに来てる子のだったら、修復が終わり次第――」

 

「い、いいえっ。あの、できれば、桐林提督のを……」

 

「へぁ?」

 

 

 ……え。“俺”の? なんで?

 可愛い女の子じゃなくて、どうして十人並みの男を? まさかこの人、そっちの気が……っ。

 と、戦慄に後ずさっていたら、いつの間にか戻って来た女王様(仮)が、若者を指差してため息をつく。

 

 

「分かんない? コイツ、元桐生の調整士よ。さっきも言ったけど、極度の軍艦オタでね? 様々な船を使役してるアンタに憧れてるんですって。奇特よね」

 

「………………マジで?」

 

 

 目が点になった。

 桐生提督の最後を看取った、調整士。よく声を思い出せば、確かに聞き覚えがある。……この人が。それだけでも驚きなのに、憧れって。

 信じられない気持ちで見つめ返すが、しかし彼は、熱を込めた視線と言葉で語り出す。

 

 

「はいそれはもう! 羨ましいっつーかなんつーかですね、もうとにかくお近づきになりたくて。

 特別コラム小冊子、超面白かったです。赤城対加賀の構図、燃えました。十冊まとめ買いしてあります!

 もう、もうっ……お父さんと呼ばせて下さい!!!!!!」

 

「とりあえず、君にお父さんと呼ばれる筋合いはない。……はい、どうぞ」

 

「あざーっす!!」

 

 

 またも下げられる頭に、定番の言葉を返しながら、複雑な思いで筆ペンを取る。実はコッソリ練習してた甲斐があった。

 書記さんとは全然違うタイプの調整士さんだなぁ……。

 なんていうか、気の置けないタイプ? 仲良くなれそう。電たちに変な気を起こさなければ、だけど。

 

 

「あ、それとですね。ついさっき、桐ヶ森提督を訪ねてきたお客様が居まして」

 

「客? 誰よ」

 

「会えば分かると思いますよ。いやー、あの時から思ってましたけど、変なコネがあるんですね、桐ヶ森提督も」

 

「どういう意味よそれ。私には友達なんて居なさそうってこと?」

 

「なんでそう捻くれた受け取り方するんですか。違いますってば。あ、こっちですよー」

 

 

 受け取ったサインを恭しく掲げた調整士さんは、桐ヶ森提督へ気楽に話しかけている。

 そして、こちらの背後に誰かを見つけたらしく、大きく手を振った。

 駆け寄ってくる足音。聞きなれたリズムに振り返ると、噂をすれば影がさす。そこには見知った露出“強”少女が。

 

 

「提督、おはようございまーす!」

 

「おぅ、おはよう。朝から元気だな、島風」

 

「えっへへ」

 

 

 やけに速い小走りから急停止をかけ、連装砲ちゃんと一緒にビシッと敬礼。

 軽く返礼すれば、またもや笑顔が返ってくる。

 ぴょんぴょんとステップで近づく彼女は、そのまま上目遣いに袖を引っ張ってきた。

 

 

「あのね、提督。連絡事項があるんだけど、その前にちょっとだけ、アイリちゃ――桐ヶ森提督とお話ししてもいい?」

 

「ん? 構わないぞ」

 

「ありがと」

 

 

 緊急性のある連絡なら、たぶん島風よりも先に、書記さんが教えてくれるはず。

 島風本人に言ったら悔しがるだろうが、そう判断して許可を出すと、彼女はホッと一息。

 様子を伺っていた桐ヶ森提督へ向き合う。

 

 

「……あの。あの時は、嘘ついちゃってゴメンナサイ! 私、アイリちゃんが桐ヶ森提督だったなんて、知らなくて……」

 

 

 ぺこり。九十度になりそうな勢いで、島風は謝る。

 嘘。桐生提督を見舞った時、まだ見知らぬ少女だった桐ヶ森提督へ言った、偽名のことだろう。

 普通ならあまり気にしないと思うけど、何かにつけて一直線なこの子。胸に引っ掛かっていたのかも知れない。

 その事を理解してくれているのか、桐ヶ森提督ことアイリちゃんは、優しい笑顔を浮かべていた。

 

 

「良いのよ別に。私も嘘ついたから、お相子だし」

 

「それって、偽名の事だよね――じゃなくって、ですよね? なら……」

 

「いいえ。“それが”嘘なの」

 

「んぇ?」

 

 

 しかし、その言葉に首を四十五度倒す島風。

 偽名が嘘ってことは……?

 

 

神鳥谷(ひととのや) 藍璃(あいり)。これが私の本名よ。嘘をついたっていうのが嘘なの」

 

「ちなみに、神様の鳥の谷って書いて“ひととのや”だそうです。昔はゴッドバードバレーって呼ばれてたそうで――うわらばっ」

 

「余計なことを言うなってぇのよバカ! 一応機密情報なのよ!?」

 

「酷い、酷いっすよ提督……」

 

 

 情報を補足する調整士さんが、裏拳で吹っ飛んでいく。

 綺麗に入ったよ今の。でも、すぐに立ち上がったところを見るに、手加減はしてるらしい。

 唖然とする自分と島風を見て、桐ヶ森提督は「おっほん」と咳払い。改めて姿勢を正す。

 

 

「……まぁ、驚きはしたわ。風子さんが――駆逐艦の島風だったなんて。

 でもね、そんな理由で態度を変えるような人間に、私はなりたくない。

 だから……。私と貴方の関係は変わらないわ。

 と、とりあえず、私から言いたいことはそれだけっ。……問題、あるかしら」

 

 

 最初は胸を張っていた彼女だが、だんだんと頬を赤くし、最後の方には俯き加減で髪をいじりだす。

 ……誰? このメッチャ可愛い女の子。自分に向けられてないって分かってても、上目遣いが破壊力満点なんですけど?

 

 

「ううんっ! 全然ない! アイリちゃん大好きー!」

 

「ちょっ、危ないでしょ……あはは」

 

 

 同性ゆえの耐性か、島風はいじらしい桐ヶ森提督にも負けない、キラキラ輝く笑顔で飛びつく。

 くるくる回って笑い合う少女たち+連装砲ちゃん。なんとも、心温まる光景だった。

 混ざりたいとか言えない。

 

 

「良いですねぇ。麗しき乙女たちの友情。歳食ったせいか、最近涙もろくなっちゃって……」

 

「そうですね。でも、視線が妙に下向きなのは気のせいですかね」

 

「……涙もろくなっちゃってっ。そのせいです、ええ」

 

 

 同じ感想を抱いたらしい調整士さんも、ハンカチで目頭を押さえている。

 ただ、視線の行く先はやや下向き……っつーか、島風のスカート覗こうとしてんだろ。

 お父さんの前でいい度胸だ。はっ倒すぞテメェ。

 

 

「ところで、連絡事項があるんじゃなかったの?」

 

「あっ。そ、そうだった……。ほーこくします! 桐林艦隊所属の全艦艇、修復・補給作業を終えました!」

 

「そうか。主任さんの言う通り、こっちの技術者も腕が良いんだな。報告ご苦労、島風。さっそく会いに行くとするか」

 

「うん。みんなドックで待ってるから、早く行こー? あ、アイリちゃんも一緒に来てっ。瑞鳳が会いたいんだって」

 

「瑞鳳? ……あ、そういえば約束してたわね。いいわ、付き合ってあげる」

 

 

 アホらしい牽制をしていると、今度は島風から報告が上がった。

 書記さんは佐世保へ着いて来てくれたが、主任さんは自分の艦隊専任というわけじゃない。

 しかも、直前に体調を崩したらしく、「お世話できなくて、申し訳ありません……」と、悔しそうな言伝を貰った。

 正直に言って、彼女以外の整備士に任せるのは不安もあった。まぁ、杞憂だったみたいだし、良しとしよう。

 

 

「あのぉ、私も行って良い……ですよね? 是非に行かせてください、土下座でもなんでもしますから、お願いします!」

 

「そこまで卑屈にならなくても……。桐ヶ森提督?」

 

「ふぅ……。コイツ、私の翔鶴とか瑞鶴にも興奮して鼻血出してたんですもの。止めても無駄よ」

 

「当ったり前でしょう!? 悲運と幸運の姉妹鶴ですよ? これが興奮せずにいられましょうか!」

 

 

 連れ立って歩き出す三人……自分と島風とアイリちゃん――って呼んだら殺されそうだ、脳内に留めよう。

 とにかく、それに付き添おうとする調整士さんの瞳は、真っ赤な炎を宿していた。筋金入りですね……。

 着いてくるのは構わないけど、うちの子たちに変なことされないように、目を光らせておかなきゃ。

 そんなこんなで、足音四つが不規則に鳴る廊下を進んでいると、前方に見覚えのある少女の姿が。

 

 

「あ、書記さん。おはようございまーす!」

 

 

 反射的に手を挙げると、軍服の男性と話していた彼女は、取り繕うように会釈。

 男性は振り向きもしないまま、何やら書類を渡して歩き去る。

 ……あれ。邪魔しちゃったのか、もしかして?

 

 

「お早うございます。提督、島風さん。“飛燕”様も、ご機嫌麗しく」

 

「どうも。私、堅っ苦しいのはあんまり好きじゃないから、二つ名は控えてもらえると助かるわ」

 

「失礼いたしました。では、桐ヶ森提督と」

 

「ん。それでよろしく」

 

 

 しかし、書記さんはいつも通りの所作で、桐ヶ森提督へ礼を尽くす。

 タイミング良く終わった……のかな。だと良いんだけど。

 

 

「今の人は? 話し込んでいたみたいですけど、お邪魔だったんじゃ……」

 

「いえ。挨拶ついでに、書面を受け取っていただけですから。どうぞ」

 

 

 一応確認してみると、受け取った紙をそのまま渡してくる彼女。

 パッと見で理解できるのは、書かれているのが駆逐艦やら重巡やら空母やらの名前だということだ。

 

 

「なんですか、この船名リスト」

 

「今回の戦闘で解放された船のうち、提督へと割り当てられた艦のリストです」

 

「ぅえ? だってこれ、三十隻くらい……」

 

「はい。その全てが、新たに艦隊へ加わることになります」

 

「わー、すごーい……。あっ、風の名前の子が居る!」

 

 

 背伸びして覗き込む島風を置いて、思わず、書記さんと書面とを二度見してしまった。

 双胴棲姫戦で解放された船の数は、確か全部で三十七隻。

 睦月型、吹雪型、綾波型、初春型、朝潮型、陽炎型駆逐艦。長良型軽巡。最上型重巡。蒼龍型、翔鶴型、飛鷹型航空母艦などなど、である。

 その大半が自分の艦隊に?

 

 

「ま、私たちの艦隊はすでに完成されてるしね。予備の船だって、何隻も持ってたら邪魔になるだけだし。

 だったらアンタに励起させて、遠征だのなんだのさせた方が有益でしょ。桐谷もおっぱいバカも同意済みよ」

 

「……マジっすかぁ」

 

「はい。マジです。艦隊の運用方法、考え直さなければなりませんね」

 

 

 珍しく砕けた口調の書記さんが締め、自分は頭を悩ませる。

 今回の出撃で、溜め込んでいた資材はほとんど底をついた。もう何ヶ月も経ってるような気がするけど、よく考えれば、硫黄島到達までの損失も補填しきれていないのだ。

 そこへ三十隻以上の船が加わるとか……。マジでどうしよう? どうにかして調達ルートを確保しないと。

 

 

「ん? ってぇ事は、さっきの人がもしかして」

 

「そうなります。護衛の梁島少将。船団護衛に関しては右に出る者のない方だと伺っています。初対面でしたので、緊張しました……」

 

「ようするに、“桐”とは別枠のバケモノ。中将と同じ、最初期からこの戦争に関わってる生き証人でもあるわね」

 

「男の私から見ても、凄いイケメンですよね、やっぱ。後ろ姿だけでもカッコイイとか。妬ましいです」

 

 

 もうすでに見えなくなった、梁島提督の背中。

 調整士さんの言う通り、それには威厳が満ち溢れているように感じられた。

 むしろ、溢れた分が威圧感になって襲ってきそうな、そんな気配すら。

 今回はニアミスだったけど、先輩の言う通り、直接会わない方が良いのかも。怖いし。

 ……あ。少将で思い出した。

 

 

「あの、そういえばさっき、桐谷提督が別れ際に『例の件』とか言ってましたけど、あれは?」

 

「あぁ、うっかりしてたわ。ね、一つ聞きたいんだけど」

 

 

 問いかけてみると、桐ヶ森提督は一歩前へ進み出る。

 そして、その場でクルッと半回転。またもや上目遣いになり――

 

 

「アンタ……。ワルツは踊れる?」

 

 

 ――と。

 イタズラっ子のような、挑戦的な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

「うぉぉぉぉ……! マジもんの金剛や長門が目の前に……! それだけじゃなくて雪風とか一航戦まで……。選り取り見取りFOOOOOOOO!!!!!!」

 

「それ以上鼻血出すと、出血多量で死ぬわよ。軍艦オタ」

 

「きゃあーん! 飛燕改二ちゃん可愛いよぅ! シュトゥーカちゃんも格好良いよぅ! ……提督っ、これ買ってぇ!!!!!!」

 

「瑞鳳、無茶言わないでくれ……」

 

 

 


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