新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と休日の姉妹艦

 

 

 

 

 

 張りつめた空気が漂っていた。

 潮風が頬を撫で、照りつける太陽の熱を奪い、汗を乾かす。

 声を発するものはなく、聞こえるのはただ潮騒のみ。

 

 

「………………」

 

 

 そんな中、自分はひたすら待っている。

 一瞬の変化を。まばたきの間に逃してしまう、絶好の機会を。

 じっと。じっと。じっと――来た!

 

 

「ぬおりゃあぁぁあああ!! ……ってあれぇ!?」

 

 

 勢いよく引いた竿の先には、何もついていなかった。

 手ずから針に通した餌すらも。くそ……また逃げられた……。

 

 

「あーあ、何やってんだよ。エサだってタダじゃねぇんだぞ――っと、きたきたぁ!」

 

「あら~、天龍ちゃんこれで五匹目ね~」

 

 

 横を見やれば、同じく折りたたみ椅子に座って竿をあやつる、左目に眼帯をつけた、黒のサマーセーターっぽい制服少女。

 その後ろには、同系色の、ミッション系スクールとかで見かけそうな制服少女。

 天龍、龍田姉妹である。

 

 

「なんで自分だけボウズなんだよ……。もう二時間くらい経つのに……」

 

「力が入りすぎなんじゃよ、お若いの。もっと気楽にせんと、あっちの嬢ちゃんに負けたまんまじゃぞ?」

 

「そうは言ってもですね、吉田さん……」

 

 

 今度は反対側に顔を向け、いかにも「釣り人です」と教えてくれる格好をした、軍関係者らしいお爺さんに泣き言を。

 現在地は、横須賀鎮守府の外れにある防波堤。

 何をしているのかというと、もちろん、釣りである。

 総勢十一名の家計を支える大黒柱となった今、自分は悟ったのだ。このままだと、せっかく迎えいれた子達に満足な食事すら与えられない、と。

 そんなことになれば、ひもじさから非行に走り、最終的にお縄を頂戴するような事態が待ち受けて……!

 

 ……というのは冗談だけれど、中佐になって給料が上がったにも関わらず、食費がカツカツなのも事実。

 幸いみんなの方から、「食事は出撃する前と帰ってきたあとに、ご褒美として」という決まりを作ってくれたのだが、「ただし、オヤツのプリンは一日一つを所望する」なんていらん一文もあった。けっきょく、節約せねばならないのである。

 こんな理由があって、自分は「なんか出来そうだからオレも行く」という天龍を連れ、釣り場に来たのだ。

 ちなみに道具は借り物。なんでも、横須賀鎮守府の一番偉い人が釣り好きらしく、個人で貸し出しているとのこと。会ったことも、会うこともまだないだろうが、感謝せねば。

 

 

「いやー、大漁大漁。こんだけ釣れりゃあ、今日の晩飯は全員に行き渡りそうだな」

 

「本当~。天龍ちゃんが釣りできて良かったわ~。捌くのが楽しみね~」

 

 

 実にうっとりとした表情で、龍田はピチピチ跳ねる魚を眺めている。

 美味しい食事を楽しみにしている……と思いたいのだが、それにしては雰囲気が病んでいた。

 なぜだか彼女は、こう、殺伐とした……違うな。攻撃的……でもない。うーん……サドっ気? を言葉の端々に見え隠れさせているのだ。ちょっと怖い。

 ま、雷電姉妹に続いて、料理技能を持ってくれてるのは助かるけど。

 

 

「しっかし、なんで釣れないかな……。初めてなのは天龍と一緒なのに」

 

「爺さんの言ったとおり、気張り過ぎなんだよ。こんなの、何も考えずに糸を垂らしてりゃ……ほら来たっ」

 

「六匹目~。何作ろうかしら~? 頭を飾った豪華なお造り? はらわたをとって煮物? 三枚におろして焼いちゃうのも良いわよね~」

 

「なんか物騒に聞こえるのは何でじゃろな、お若いの」

 

「聞かんでください……」

 

 

 密かに戦慄する男二人をよそに、天龍は「どうだ!」と得意気だ。

 先ほどから男勝りな言動が目立つ彼女も、その笑顔からは快活な少女らしさが伺える。

 少々交戦的な一面もあるのだが、根が良い子なのは実証済み。

 なにせ、励起直後の挨拶時――

 

 

『……っと。オレを呼んだな? オレの名は天龍。幾度となく氾濫を繰り返した暴れ川の名を持つ、水雷戦隊旗艦の現し身だ。……フフ、怖いか?』

 

『いや、普通に格好良いと思うけど』

 

『……へ? あ、え? そ、そうか。そうだよな。分かってるじゃねぇか!』

 

 

 ――なんて、照れ臭そうにつないでいた手をほどき、肩をバンバン叩いてごまかすくらいだ。

 さらには、その後に励起された龍田と顔を合わせ、「今度はオレの方が就役早かったな!」とドヤ顔まで。

 見た目は十代後半なのに、無理して悪ぶってる中学生にしか見えなくてもう……。

 ちなみに龍田も、電達とすぐに仲良くなった。ごっつんこシンパシーである。

 

 

「……はぁ。にしたって悔しいな……。せめて一匹だけでも釣らないと、大黒柱としての威厳が……」

 

「気負うのは分かるんじゃがの、そういうもんは竿に直接伝わる。気楽にの。あの嬢ちゃんみたく、純粋に楽しんでおればすぐじゃて」

 

「ですかねぇ……」

 

 

 好々爺な笑みにうながされ、自分は水面に視線を落とす。

 引いては寄せ、キラキラと光る水面。合わせて、気持ち良さそうに浮きが上下する。

 穏やかだ。

 つい昨日、海の上へ精神を飛ばしていたときに比べると、戦争をしているのが嘘のように。

 ……けれど。

 

 

「なんぞ、悩みごとかの。いや、まだ気掛かりっちゅうとこか」

 

 

 吉田さんが胸の内を言い当てる。

 そう、平和を享受しているはずの心には、否応無くさざなみを立てる“しこり”があった。

 

 

「分かりますか」

 

「なぁに、だてに半世紀も竿を握っとりゃせんよ。なんなら話してみるかの?」

 

「……いえ。これは、自分一人で解決すべきことだと思いますんで。お気遣い、ありがとうございます」

 

「……そうか」

 

 

 ――というより、話せる段階ではないのだ。

 自分の勘違いかもしれない。むしろ、勘違いであって欲しいと思ってすらいる。

 そのくらいに戸惑い、困惑していた。

 

 

「……あの~、あまり気になさらない方が良いと思いますよ~?」

 

「だな。どうあれ、オレ達のやることは変わんねぇ。上に立つならもっとドッシリ構えてろよ」

 

 

 あえて具体的にせず、姉妹は言葉をかけてくれる。

 苦笑いを返すも、脳裏によぎる光景。それは、南一号作戦の一環である、海上護衛作戦中の出来事だ。

 

 かつての日本軍が実施した資源輸送作戦、南号(なんごう)作戦から名を取った(そのままだと縁起が悪いため一を付け足している。結果はお察しだ)これ等は、南西諸島沖にある油田から採掘し、精製した石油などを、本州へ運ぶ目的で行われる。

 ツクモ艦の資源採掘によって新たに出現したらしいこの油田、今の日本にどれほど重要なものかは言うまでもないだろう。幸い、技術的に掘れないほど深くはなく、近くには無人島群も存在し、軍は死に物狂いでこの海域を確保した。

 が、せっかくの島も本格的な基地を敷くには小さく、製油所を作るのがやっと。しかも敵艦は定期的に現れ、小規模とはいえ、常時戦闘が繰り返される激戦区でもあった。

 

 他の提督との共同作戦でもあったその最中、自分は、製油所地帯沿岸へ進む輸送船団の護衛を任される。

 そして、向かった海域にて――

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 黒く染まる水面が爆発した。

 その衝撃は、大時化の波とあいまって軽巡洋艦を揺らし、暗闇を見通す視界もブレる。

 ツクモ戦艦から放たれる十六inch相当の呪詛。直撃すればひとたまりもない。

 

 

「おい司令官! 命令はまだなのかよっ!?」

 

『分かってる! 分かってるけど……!』

 

 

 甲板を叩く水音に紛れて発せられる、艤装(ぎそう)を身につけた天龍の声。

 三半規管を乱される感覚に襲われながら、自分は迷っていた。

 本当にいいのか? このまま撃っても。だって、あれには……。

 

 

《あの~、そろそろマズいと思いますよ~? もう挟叉に入ってますから、直撃弾くるかも~?》

 

 

 今度は龍田が、緊張感のない声で恐ろしい事実を伝えてくる。

 艦を挟むように着弾するのが挟叉。つまり、このまま打ち続けられれば、いつか当てられてしまうということ。

 考える時間もないのか、くそ……!

 

 

『本当に、みんなには何も見えないのか』

 

《ごめんなさい、司令官さん……。電には……》

 

《そうよ、戦艦を相手にするのは初めてだけど、いつものツクモ艦じゃない。しっかりしてよ司令官!》

 

 

 ……そうだ。確かに見た目は普通のツクモ艦。灰色の分厚い装甲で覆われた、人類の敵対者。

 けど、問題なのは見た目じゃない。問題なのは……。

 

 

「チッ、さっさと決めろ! 追撃すんのか、しねぇのか! モタモタしてっとオレ等がヤられるぞ!」

 

『く……っ』

 

 

 残りはたかが戦艦一隻。されど戦艦一隻。

 一発もらえば、装甲の薄い軽巡洋艦や駆逐艦なんて、大破必至。

 もう、時間がない……!

 

 

『……追撃だ。魚雷装填せよ! 単横陣で距離を詰めてから左右への単縦陣! 仕損じたら前翼単梯陣でダメ押しだ!』

 

Да(了解)、司令官》

 

《やっと暁の出番ね。見てなさい!》

 

「っしゃあ、オレに続けぇ! 遅れんなよオマエ等ぁ!!」

 

《うふふ、天龍ちゃん元気いっぱいね~》

 

 

 目の前で、天龍の拳が打ち鳴らされる。

 途端、タービンの回転数は上昇。三隻が縦に二列並んだ複縦陣から、横一直線に並んで被弾面積を減らす。一番左が天龍。右へ順に、暁・響・電・雷、そして龍田だ。

 命令の内容は、距離を詰めて敵前で天龍・龍田がそれぞれ左右に回頭。残る四隻も半数ずつ同様に。そして雷撃後、仕留められなければ包囲するようV字に展開、追加の砲雷撃戦というもの。

 こんな芸当、この海では熟練した船乗りでも出来っこないが、それぞれが意思を持ち、なおかつ中継器を通して他艦の情報を得られる自分達にはお手の物である。

 

 

「よくも好き放題撃ってくれたなぁ……? タップリと礼はするぜぇ?」

 

 

 天龍達が有効射程へと近づく。

 探照灯をつけていないにも関わらず、位置は明瞭。甲板には漁り火のごとく、緑光が揺らめいていた。それに、統制人格の視界は夜目もきく。

 横っ腹を見せる戦艦は回避運動を始めようとしない。それどころか、新たな砲弾も降ってこない。発射速度を考えればいくらでも撃てるのに。

 ……どうなってる。罠か? それとも……。

 

 

「おっし、全艦一斉回頭っ、司令官!」

 

『……っ。雷撃開始!』

 

 

 反射的な号令とともに、水上発射管から魚雷が放たれる。

 雷撃の軌跡が、放射状に収束。

 

 ――くぐもった轟音。水柱。

 

 

「どうだ! 天龍様の一撃は!」

 

《凄いわ~、珍しく全弾命中~?》

 

 

 敵戦艦が、かなりの勢いで傾いて行く。これは、本当に全弾命中したのか。

 珍しいってレベルじゃない。固定目標を狙ったのでない限り、自分は初めて見る。

 

 

『………………』

 

 

 沈んでいく。

 鋼のきしむ音は、まるで悲鳴のよう。

 おそらく、竜骨がダメになった。立て直すのは不可能だろう。

 甲板にあった漁り火も、徐々に。徐々に弱まっていく。

 

 緑色の小さな双眸が、霞のように消えていく――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

(あれは……。あの子は、何だったんだ)

 

 

 初遭遇したツクモ戦艦、ル級の上には――少女が居たのだ。

 灰色の、生物めいた艦の上に人影があった。まるで統制人格のごとく、小型化された砲塔を構えて。

 けれど、あの目は。あの緑の光は悪い意味で見覚えがあった。

 錯覚かと思い皆に訪ねてみたが、やはり彼女達にはまるで見えていなかったらしい。自分の視覚情報を記録しているはずの書記さんにすら。

 でも、その影は異様な存在感で記憶に焼きつき……。

 

 

(戦闘自体はいつもと変わらなかった。あの戦力を相手にするのは初めてだったけど、特に問題はなかった)

 

 

 自分達が相手にしたのは、戦艦ル級、雷巡チ級、軽巡ヘ級、駆逐イ級二隻の計五隻。

 その前に前衛部隊も相手にしていたが、数で勝り、演習で練度を高めた天龍・龍田姉妹に、第六駆逐隊を加える水雷戦隊で相手どれば、攻略は容易かった。

 撃破できた。思っていた以上に、簡単に。

 

 

(あの子も、“生きていた”かもしれないのに?)

 

 

 ……あまりに、簡単すぎた。呆気なく撃沈し、呆気なく終わってしまった。命を奪ってしまったかもしれないという、暗い実感をともなって。

 あれは何だ? 確かに、統制人格や傀儡能力だって解明されていないことの方が多いけれど、ツクモ艦にあんな少女が乗っているだなんて、一言たりとも聞いた覚えがない。

 おまけに数日後。今度は、突如として多数出現した敵艦隊から輸送船団を守るため、妙高(みょうこう)四姉妹と天龍型姉妹に編成しなおし、南西諸島防衛戦へ出撃した際。

 以前はただの無人艦だった重雷装巡洋艦にまで、あの人影は現れ始めた。

 

 ――自分は、どうにかなってしまったのだろうか。

 

 この仕事についた時から、命を奪われる覚悟はしていたつもりだ。けれど、命を奪う覚悟なんて、していなかった。

 相手はただの鉄の塊。意思を持ったように動くだけの、敵。そう教えられ、そう思ってきたから、意識していなかったのかもしれない。

 自分が振るっている力は、容易く命を奪える物なのだ、ということを。

 

 

「……まぁ、お前さんに何があったのかは聞かん。だがの、あんまり根を詰めんようにした方がええぞ」

 

 

 暗く沈みこむ思考へ、知り合ったばかりの耳慣れない声。

 淡々としていながら、どこか優しく思えるそれが、波の音に重なる。

 

 

「世の中のすべてには、なんかしらの意味が宿る。

 しかし、それに囚われちゃいかん。遠くを見ることばかりに躍起になっちゃあ、転んじまうぞい?

 まぁ、あんまり近くを見すぎても、目の前の壁にぶつかってしまうがの」

 

 

 パシャリ、水が跳ねる。

 次の瞬間、吉田さんの手には新しい海の恵みが握られていた。

 ……考えすぎ、なのだろうか。

 それとなく聞いてみても、軍の記録を調べてみても、ツクモ艦に統制人格が宿っているという記述はなかった。

 戦闘のストレスによる幻覚。そう片付けてしまえば楽だ。

 だが、意味があるというのなら、自分が彼女達を見たことにも意味があるのでは。

 本当に、ここで思考を停止してしまっていいのか。……どうすればいい。

 

 

「……ぁああ、ったくよぉ! いつまでもウダウダしてんじゃねぇ! それでも司令官かよ?」

 

 

 ――と、没入しかける自分を呼び戻す怒声。

 竿を龍田に任せてこちらを向く天龍は、高く眉を釣り上げ、眼前に仁王立つ。

 

 

「オレ等と違って、アンタは考えるのが仕事かもしれねぇ。でもな、戦闘中にまで悩まれちゃ困んだよ。そんな奴にオレの舵輪を握らせるわけにはいかねぇぞ」

 

 

 見下ろす視線には怒りが見えた。

 不甲斐ない。このままではお前を信頼できない、と。面と向かって不信をあらわにされるのは、久しぶりだ。

 まぁ、そう言われても仕方ないのは分かってる。戦いの最中で妙なことを口走り、危うく損害を被るところだったのだから。

 けど……。

 

 

「……んぁああ、クソッ。だから、そうやってすぐ悩むんじゃねぇよ! 別に考えるなって言ってるわけじゃない。ただ、優先すべきもんを見極めろっつってんだ」

 

「優先すべきもの……?」

 

 

 頭をかきむしる天龍に言われ、自分は改めて思考する。

 あの場で優先するべき事柄。それは何だ。

 任務を遂行すること? それとも、人影の正体を確かめることか?

 ……いや、違う。

 普段、自分が考えていることと順位が違っている。海へ彼女達を送り出す際、いつも自分が思っているのは。

 

 

(みんなを無事に、帰還させること)

 

 

 そうだ。こんな簡単で、なおかつ一番大切なことを、あの時の自分は忘れていたのか。

 存在し得ない人影に衝撃を受けたのは確か。でも、だからってみんなを危険にさらして良いわけがない。

 敵は敵。どんな状況にあろうと任務を確実に遂行し、無事に帰らせるのが自分の役目。

 人としての“自分”と、提督としての“自分”を切り離せていなかったのだ。……未熟にもほどがある。

 

 

「……天龍」

 

「んだよ。撤回なんてしねぇからな。これがオレの率直な――」

 

「ありがとう。一度に沢山のことを考え過ぎてたみたいだな」

 

「は?」

 

 

 不意をつかれたのか、腕組みをしたままポカンと口を開ける天龍。

 その表情がおかしくて、でも、向かい合ったまま告げるのはなんだか気恥ずかしく、自分は水面を見つめながら続ける。

 

 

「天龍の言ってくれたとおり、自分の仕事は考えることだ。けどそれは、みんなの力を引き出すためにすることだよな。

 思考を止めることはできないけど、戦いの中で迷うのは止める。自分にとって一番優先すべきは、みんなの無事。まずはそれだけを考えてみるよ」

 

 

 あれは幻なんかじゃない。あれを見たことには、多分、意味があるんだと思える。

 しかし、戦いの中でそんなことを考えられるほど、自分は強くない。

 だったらまずは、みんなを生き延びさせることに集中しよう。

 もっともっと強くなって、少しだけ周りを見る余裕ができたら。その時もう一度、あの子のことを考えよう。

 きっとそれも、大事なことだと思うから。

 

 

「……ったく、なんだよ。ころころ顔付きを変えやがって。調子狂うぜ……」

 

 

 ふっ、と肩から力を抜いた天龍は、満足そうな顔で腰に手を当て、「やれやれ」なんて聞こえてきそうな仕草。

 どうやら、彼女のお眼鏡には適ったらしい。一安心だ。

 

 

「ふふふ、良かったわね~、天龍ちゃん。帰ってきてからずっと心配してたものね~? 『あんなんじゃいつか折れちまいそうだ』って」

 

「ぬぁ!? お、おいこら龍田っ!?」

 

 

 ――と思っていたら、同じく満足そうな微笑みをたたえる龍田からの声に、天龍が大慌て。

 心配していた……。やっぱりさっきのあれは、発破をかけるためのものだったのか。

 本当に、自分は恵まれている。

 

 

「……そっか。優しいな、天龍は」

 

「でしょ~? 不安そうにしてた駆逐隊のみんなにも、『オレに任せろ』って言っちゃうくらいなんだから~」

 

「ぉ、お前等ぁ……!」

 

 

 誉め殺しに弱いのか、隠しておきたかったのか。彼女は顔を真っ赤にして拳をプルプル。

 妙に可愛らしくて、自分も龍田と同じように笑ってしまう。さらには吉田さんまで「若いのぉ」としみじみした一言。

 電達にも心配をかけてたみたいだし、後でちゃんと「大丈夫だ」って言っておかなくちゃならないな。

 ……って、何だ、さっきから腕が引っ張られ――

 

 

「――ずぉ!? ちょ、な、き、来たぁ!?」

 

「ん? ようやくアタリかよっ?」

 

 

 グイッと身体を持って行かれそうになり、慌てて立ち上がりバランスをとる。

 うわ、なんだ、なんだこれ、あり得ないくらい重いぞ!?

 

 

「凄い引き~。もしかして大物~?」

 

「おぉぉ、こりゃあデカイ。ほれ、頑張れお若いの」

 

「いやあの、ムリムリムリ、て、天龍、手伝ってくれぇ!」

 

「はぁ? ったく、メンドクセェなぁ」

 

 

 口では素っ気ない天龍だったが、すかさず竿に手を添えてくれる。

 んがしかし、その瞬間、肘の辺りにプニュリとした感触。

 ……え。これ、あれですよね。え? 腕が完全に埋まってるんですけど。なんという、圧倒的な……!

 

 

「おい、ちゃんと引けって。逃げられるぞ?」

 

「い、いや、あのな、その、で、デッカいのが当たって……」

 

「アタリがデカイのは分かってるっての。ほら、タイミング合わせろっ」

 

「ぉ、おう……」

 

「うふふ。天龍ちゃん、後で教えてあげたらどんな反応するかしら~」

 

 

 何をホクホク顔してやがるんですか龍田さん。お願いします秘密にしといて下さい。

 という祈りが届いているのかを確かめる間も無く、天龍が「せぇの!」と掛け声。

 仕方なく、柔らかさを堪能しながら全力で竿を引き上げると――

 

 

「ぉお! や、やっと釣れた!!」

 

 

 ――大きな影が、水しぶきを上げながら姿を現す。

 ビチビチと大暴れするその体躯は……六十センチ以上あるだろうか?

 

 

「うわ、すっげぇな! 今日一番じゃねぇか?」

 

「本当~、捌き甲斐がありそうね~」

 

「いやはや、まいった。最後にいいとこ持ってかれたのう」

 

「あはは、すみません。ビギナーズラックですかね?」

 

「謙遜するこたぁない。見事なもんだぞ、お若いの。どれ、今日は終いにするか。締めてやろう」

 

「はい、お願いします」

 

 

 手早く道具を片付け始める吉田さんにお願いして、釣った魚を締めてもらう。即死させるのにはコツがいるらしく、素人がやるよりは確実だ。

 まぁ、龍田が目を皿のようにして観察してたから、次はお願いできそうだけども。

 日暮れも近かったので、自分達も合わせて撤収。四人、談笑しながら鎮守府敷地内へと戻ってくる。

 ……ん? 四人で?

 

 

「あの、吉田さん。そういえばまだ聞いてませんでしたけど、どんなお仕事されてるんですか? 軍属の方なんですよね?」

 

「うん? なんじゃ、まだ気付いとらんかったか。ま、すぐ分かる。ほれ、まずは道具を置かんとな」

 

「はぁ……」

 

 

 天龍、龍田と顔を見合わせるも、やはりよく分かっていないみたいだ。

 悪い人ではないし、大丈夫だとは思うけど……とりあえずついていくしかないか。

 そう思い、黙って足を動かし続けていたら、少し先に見覚えのある後姿が見えた。

 制服に長い黒髪を揺らし、辺りをキョロキョロ伺っている彼女は……。

 

 

「書記さん。どうしたんですか、こんなところで」

 

「あ、提督。こんにちは。実は人を探し――って居たぁ!?」

 

「へ?」

 

 

 書記さんにしては珍しい、大きな声。その視線の先に居るのは吉田さん。

 どういうことだ? 何で彼女が吉田さんを? 軍属の彼女が探しているんだから、やはりこの人も軍の――

 

 

「もう! また仕事を放り出して釣りですかっ。いい加減になさって下さい長官!」

 

「はっはっは。すまんの、こればっかりはやめられんでな」

 

 

 ――長官?

 ええと……聞き間違いじゃなければ今、長官って言ったよな書記さん。……司令長官?

 司令長官って、鎮守府を統率するひとだよな。つまりは一番偉い人。そういえば、釣り具貸してくれてるのって司令長官じゃ。

 もしかして、目の前で孫くらいな年の女の子に怒られてるこの人が、横須賀鎮守府の? 最初期から現在までを戦いぬく歴戦の海軍中将であり、傀儡能力者“最初の五人”である吉田豪志……?

 自分、雲の上の存在みたいな人を一般人と勘違いして、ついでに魚締めさせたりしてたってこと?

 ………………人生終わった。

 

 

「どっどおっどどどどどどうしようううっぅっぅぅ」

 

「だ、大丈夫ですよ~。きっと、無礼千万・切り捨て御免なんてことには~……」

 

「おおぉぉお落ち着けお前等、まだだ、まだあわわてる事態じゃ……」

 

 

 ことを理解した瞬間、天龍達と車座になって顔を突っつき合わせる。

 ヤバい、ヤバいなんてもんじゃない。不敬罪なんて廃止されてるしそもそも皇族じゃないけど、司令長官をぞんざいな扱いしてたなんて周囲に知られたら、本当に人生が終わる。天龍達だってあわや解体とか……!

 ああもうなんで忘れてたんだよ!? いくら軍事に興味なかったとはいえ、顔写真くらいは見たことあったじゃないかぁ!?

 

 

「さて、お若いの」

 

「はいっ! なんでありましょうかっ!!」

 

 

 直立不動、肩ひじ張った敬礼が反射的に。

 しかし振り返ってみると、待っていたのは防波堤で見た好々爺な笑顔。

 

 

「そう畏まらんでくれ。ワシの方が隠してたんじゃからの。知名度が低くてちょいと落ち込みはしたが」

 

「も、申し訳ありません! 自分は、あまり記憶力が良くありませんで!」

 

「よいよい。そんなもんじゃろうて。で、話を戻すが、こっちの嬢ちゃんから報告は聞いておる。……ワシも見た」

 

「……は?」

 

 

 唐突に思える「見た」という単語。

 つかの間、困惑。意味がしみ込むにつれ、驚きがこみ上げる。

 

 

「あ、あのっ! それって――」

 

「すまんが、今言えるのはそれだけじゃ。箝口令を敷かせてもらう。気付かぬ者の方が多いからの。ちなみに、あの場で話しておったら、かなりマズいことになっておったぞ」

 

 

 ――けれど、まばたきの間に空気が変わった。

 重いとか、苦しいとかじゃない。ただひたすら、“大きい”。

 自分より頭一つは背の低い吉田中将に、見下ろされているような感覚。

 これが、本物の軍人。まるで、違う。

 

 

「はっはっは。若いのぉ、本当に。ところでおヌシ、まだ艦隊名は変えとらんのか? ほれ、第何期何番艦隊なままかの」

 

「え? あ、はい。そう、ですが」

 

「そうかそうか。ならおヌシ、今度から――桐林の艦隊を名乗れ。手続きはこちらでしておこう」

 

「……っ!? 長官!?」

 

「なんじゃ? 被っとったかの?」

 

「い、いえ、それは大丈夫ですが、こんな形で……!?」

 

 

 書記さんが驚愕に目を見開く。対して自分は、何も返せない。

 桐林……? “桐”を名乗るって、まさかそんな。

 

 

「あの……冗談、ですよね?」

 

「まさか。不服かの?」

 

「い、いいえっ、自分には……自分では、力不足にもほどが……」

 

「ワシはそう思わん。そも、これは将来を期待するという意味合いで行われるもんじゃ。その権限はあるし、問題なかろう」

 

「それは……そうでありましょうが……」

 

 

 一体これは、どういうことなんだ?

 ツクモ艦には女の子が乗ってて、釣り好きなお爺さんが司令長官で、おまけに渾名まで押し付けられて。

 わ、訳がわからない……。ドッキリか? むしろそっちの方が納得できるぞ? 誰かプラカードを持って出てきてくれ……!

 

 

「さてさて、色々あって驚き疲れたじゃろ。釣り具はワシが預かる。クーラーボックスは明日でも構わんからな。

 またの。桐林提督と、龍の嬢ちゃん姉妹。ワシの言ったこと、よく考えるといい。さ、いくぞい。書類作るの手伝っとくれ」

 

「……あ、お、お待ち下さい長官! えっと、失礼します!」

 

 

 呆然とする自分から竿などを回収し、吉田中将はスタスタ歩き去る。

 書記さんはこちらに頭を下げ、その背中を追って小走り。

 

 

「……っはぁ、うぁぁぁ、なんだったんだよもう……」

 

 

 二人の後ろ姿が見えなくなったころ、ようやく身体から力を抜く。というか勝手に抜ける。

 背後からも天龍達のため息が聞こえてきた。

 

 

「人がワリィな、あの爺さん……。なんかドッと疲れたぞ……」

 

「厳しい軍人さんだったらどうなってたかしら~……」

 

「考えたくもないよ……。とにかく、帰ろう。今日はもう帰ってご飯食べて風呂入ったら寝る……」

 

「だな……」

 

「私も、ちょっと疲れちゃった~……。晩ご飯、電ちゃん達に手伝ってもらうわ~……」

 

 

 中身のギッシリ詰まったクーラーボックスを肩にかけ、三人で宿舎へ歩き出す。

 本当に疲れた……。今なら臆面もなく、電へ膝枕とか要求できそうだ。しないけど。

 でも……。

 

 

「これから、どうなるんだ……?」

 

 

 つぶやきは、暮れなずむ空に消えていく。対象的に、胸の内はかつてない困惑で埋め尽くされていた。

 緑眼の人影。優先すべきこと。“桐”の渾名。

 

 ……今夜は、眠れそうにない。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「……あの、長官。なぜ、“桐”をお与えに?」

 

 

 場所を変え、広々とした執務室にて。

 少女はたまらず、椅子に腰掛けようとしていた老人へ問いかける。

 

 

「おヌシに知る権利はない……というのはさすがに酷じゃな。単なる牽制じゃて」

 

「牽制……?」

 

「ワシが名付けをしたのであれば、否が応にも噂は広まるからの。周知させるのにはちょうど良かろう」

 

 

 そこにいたのは、先ほどまで釣り人然としていた好々爺ではなく、白の軍服に着替えた厳めしい人物。

 別人、と称しても疑われないほど、身にまとう空気の密度が変化していた。

 

 

「彼に注目を集めたい、ということでしょうか。しかしそれでは……」

 

「もはや隠しきれんところにきているんじゃよ。あまりに特異すぎる。人の口に戸は立てられんしの」

 

「……他の方々が黙っていないのでは」

 

「抑え込む。問題にはさせん」

 

 

 海軍将校――特に傀儡能力者にとって、“桐”の名は特別以上の価値を持つ。

 “梵鐘”の桐谷、“人馬”の桐生、“千里”の間桐、“飛燕”の桐ヶ森……。

 統制人格やら魂やら、曖昧な概念を扱わなければならない傀儡能力者は、十年前の大侵攻を防いだ英雄・桐竹源十郎の名前から“桐”の一文字を得ることで、その力にあやかるのだ。高名な人形浄瑠璃の傀儡師である、桐竹家の血筋であった影響もあるだろう。

 もっとも、順序としては逆であり、目覚しい戦果を挙げた者に“桐”の名を与えることで、桐竹源十郎を象徴化しようとしているだけ、という考えもある。

 ……それに、英雄とされるのは、あくまで表向きの話でもあった。知り得ない情報なので、少女が顔に出すことはなかったが。

 

 

「全く、どんな時代にも愚物は居るもんじゃよ。肉体的な素養に能力が左右されぬと、今までの積み重ねで分かっておろうに。

 とにかくこれで、迂闊には手を出せんじゃろう。無駄に生き延びただけあって、ワシの名にもそれなりに力はあるからの」

 

「……ですが、前例がありません。こんなこと……」

 

「それを言うなら、彼奴の存在そのものが前代未聞ではないかの?

 もうそろそろ、大きな転機が必要なんじゃ。この際、良い悪いは問わぬ」

 

 

 突き放すような物言いには、わずかばかりの慚愧の念と、必要であれば骨、屍まで利用し尽くす冷徹さが同居している。

 ある程度を越えた傀儡能力者特有の、諦観。いや、命を数で考え、より有効に殺す必要のある軍人なら、誰もが望まずとも達してしまう領域。

 少女にとって、どうしようもなく憐れとしか思えない、悲しい人の姿であった。

 

 

「のう。おヌシはこの戦い、どう見る」

 

「……え」

 

「ワシはな、このままではいかんと考えとる。十年経っても、ワシ等は何も変わっとらん。

 生きるため、人類のためとお為ごかした戦いを、孫の代に残したくないんじゃ」

 

 

 老人は、机に伏していた写真立てを見やる。

 その中にいる人物を、少女は見たことがない。

 けれど、それを見るたび、深いシワの刻まれた顔が歪んでしまうことは、知っている。

 

 

「聞かなかったことにします。問題発言ですから」

 

「老い先短いジジイの弱音じゃ。そうしておくれ」

 

 

 背もたれに体重を預け、老人は大きなため息をつく。閉じたまぶたの裏で、何を描いているのか。

 推しはかることのできない少女をよそに、くたびれた手が胸ポケットから葉巻入れを取り出す。

 止めても無駄なことを知っている彼女は、無言のまま壁際に向かい、とあるスイッチを。

 

 

「早く、終わらせなければ、のう……」

 

 

 ゆらり。

 立ち登る紫煙が、天井に据えられた空気清浄機の中へ、吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こぼれ話 オフィスレディー四姉妹》

 

 

 

 

 

「……うむ。読みやすく、簡潔にまとまっている。これなら合格だ」

 

「本当に!? やっと終わったぁ……」

 

 

 三度目の正直とはよく言ったもの。思わず諸手をあげて机に突っ伏してしまった。

 書き上げたばかりの報告書を手に満足げなのは、妙高型四姉妹の次女。美しい黒髪をサイドポニーにまとめる、那智(なち)さんだ。

 

 

「ご苦労様でした、提督。それと、申し訳ありませんでした。那智の完璧主義に付き合わせてしまいまして……」

 

「何を言う妙高。どんな技能だろうと、習得しておいて損はあるまい」

 

「だからって、二時間も机にかじり付かせるのはやり過ぎですわ」

 

 

 那智さんの隣で書類をトントン整えるのは、おかっぱ髪の長女、妙高。

 現在この執務室では、なぜか事務技能を持ち合わせる妙高四姉妹の机が新たに設置され、資材配給の申請や、その他書類仕事を手伝って貰っている。

 が、自分の立ち位置はご覧の通り、入社したての新入社員。

 おっかしいなぁ……。自分が就職したの、一般企業じゃなくて軍隊だよなぁ……?

 

 

「あ、あの……。司令官さん、お疲れさまでした……。お茶、どうですか……?」

 

「おぉ、ありがとう羽黒(はぐろ)。助かるよ」

 

 

 おずおずと差し出されたお茶を一口。ほう、と安心する味だ。

 この子が妙高姉妹の末っ子、羽黒。髪の長さはミディアムで、髪飾りが特徴的である。

 ちなみに三女の足柄さん、ずいぶん前から「ああでもない」「こうでもない」と一人で机に向かっており、とっても静か。

 ま、触らぬ神になんとやら。放っておこうと思います。めんどいし。

 

 

「それにしても、長いこと文字を書いてたから、少し手が痛いな」

 

「まぁ。でしたら、ハンドマッサージなどはいかがでしょう? 疲れがとれますよ」

 

「え、そんなことまで出来るの?」

 

「はい。なんだか、年頃の婦女子の方々が興味を示しそうなことは、一通りできそうな気がいたします」

 

「グリーンカレーだけ上手く作れそうだったり、フラワーアレンジメントができそうだったり、編みぐるみを作れたりな。しかし、腕は中途半端だ。精進せねば」

 

 

 編みぐるみだけ「~そう」じゃないあたり、試したんですか。

 なにもそこまで極めようとしなくったっていいんじゃないですかね。

 という感想はさておき、ホントに疲れてるからマッサージは助かる。お願いしよう。

 

 

「いやいや、頼もしいよ。なら、さっそく頼もうかな」

 

「かしこまりました。那智、左手をお願いしますね」

 

「心得た」

 

 

 椅子をちょこっと回転させて手を差し出すと、机を回り込み、妙高と那智さんが近くにしゃがみ込む。

 ……って、両手同時?

 

 

「あれ、那智さんもやってくれるんですか?」

 

「当然だろう。さんざん働かせて褒美も無しでは、気勢に関わる。これは貴様がいつもしていることだぞ」

 

「そうですかね……? 大したことしてるつもりはないんですけど」

 

 

 もしかして、プリンのことだろうか。

 確かに休日は毎日のようにプリン作ってるけど、もう半分趣味みたいなもんだしなぁ。

 専用の冷蔵庫も新しく買ったし、材料も問屋さんからまとめて仕入れて割安になった(主任さんのコネである)から、そんなに負担でもなくなったんだけど。

 

 

「嬉しいものなんですよ、そういうことが。日頃の感謝も込めて、真剣にやらせて頂きます。さ、提督。お手を」

 

「あの……わ、私もした方が、いいですよね? 肩とか……」

 

 

 返事をする間もなく両手を取られ、ついでに肩へ手が置かれる。

 ……なんだろうこれ。美女(羽黒はまだ美少女だろうか?)三人にかしずかれてマッサージって、ハーレムみたいだ。

 自分がモテてるって勘違いしそうで怖いな……。

 

 

「ところで、司令官さん……。どうして那智姉さんにだけ、敬語で話すんですか……?」

 

「確かにそうですね。那智、あなた提督に何かしたの?」

 

「心当たりはないな。むしろ私自身、気になっていた。何故だ。わりと壁を感じていたりするのだが……」

 

 

 無表情に手をコシコシしながら、那智さんが寂しそうに言う。

 参ったな、変に勘ぐらせちゃってたか。

 

 

「ごめん、そういうつもりじゃないんだ。ただ、那智さんってうちの姉に言動が似てるから……」

 

「お姉様に、ですか」

 

「うん。喋り方なんてもうウリ二つなんだ。そのせいなのか、弟の性なのか……どうしても呼び捨てに抵抗があって」

 

「なるほど、そういうわけか。理解した。隔意がないのであれば、問題ない」

 

「私も、分かります……。お姉さんって、大事な存在……ですよね」

 

「あ~……ウン、ソウダネ……」

 

 

 頭の上から降ってくる羽黒の声に、自分は虚ろな笑い。

 大事なこたぁ大事だけど、むしろ怖いんだよあの二人。昔はヤンチャしてたし。

 嫁に行った先でも、旦那さんを尻に敷いて圧縮布団みたくしてるっぽいから、会う機会の減ってしまうこの仕事、実は天国だったり。

 というより――

 

 

「あぁ……。なんだこれ、すっごい気持ちいい……。あ、もうちょっと強く……」

 

「はい、提督」

 

「このくらいか」

 

「んっしょ……」

 

 

 ――現在進行形で昇天しそうだ。

 妙高と那智さん。二人の手が、女性特有の柔らかさと熱を持って、指の筋肉を解してくれる。

 羽黒の肩揉みなんて、弱過ぎて単にさすられている程度なのに、なぜだか心地いい。

 提督やってて良かった……! 危ないお店で諭吉さん何十枚出しても、なかなか経験できないぞこれ……!

 

 

「それにしても、不思議なものだ。ここからあのような味が作られるとは。あのほろ苦いトロトロ。癖になる」

 

「ええ。それに殿方のって、とても大きいんですね。ゴツゴツしていますし……」

 

「んっ……本当、カチカチ……です……」

 

「そうかな。平均的なサイズだと思うんだけど」

 

 

 こちらの手のひらを眺めながら、姉妹は物珍しそうな顔つき。羽黒は力がないだけだと思うけども。

 女性のそれと比べれば、そりゃあデカイしゴツゴツもしているだろう。体力を落とさないよう、最低限のトレーニングも提督には必須だし。

 しかし、よくよく考えれば、彼女達に共感もできる。

 人間の手は色んなものを作り出す。料理、お菓子、編みぐるみ、道具、武器、そして艦船。

 よくもまぁ、こんなにたくさん作り上げたものだ。そのおかげで楽ができるんだし、自分だけに限っていえばマッサージ天国である。先人には頭が上がらない。

 ありがとう。心からありがとう。自分は今、とっても幸せです。

 

 

「うぁあ……それにしても気持ち良す――」

 

「ちょっと! 何してるのよ司令官っ!!!!!!」

 

「――ぎ?」

 

「きゃう!?」

 

 

 バダンッ、と壊すような勢いで開かれる扉。

 ビックリして反射的に顔を向ける(悲鳴は羽黒)と、そこには頬を真っ赤に染める、雷と電が。手には封筒が握られている。

 

 

「い、電というものがありながら、しかもこんな真っ昼間から妙高たちに、そんな……。ここ、このエッチぃ!」

 

「へ……? あっ、いや違う。違うぞ、誤解だ! ちょっとマッサージしてもらってただけで……!」

 

「なんだ、どうした」

 

「あら、雷さんに電さん。どうしたのですか?」

 

 

 ひょっこり、机の影から頭を出すのんきな二人とうって変わり、自分は焦っていた。

 殿方、大きい、ゴツゴツ、カチカチ、サイズ。

 思い返してみれば、会話の内容が怪しいったらありゃしない。おそらく、連絡を届けにきたけど変な声が聞こえてきて、図らずも盗み聞きしてしまったのだろう。

 っていうかこのタイミングじゃ、マッサージだっていかがわしい意味にしか聞こえねぇよっ。バカか自分っ。

 

 

「い、いいのです。司令官さんも、お、男の人、ですから……。電は……き、気にしてないの、です……。っ、失礼しますです!」

 

 

 案の定、勘違いを加速させた電がその場から逃げ出す。しかも涙目で。

 よくない。よくないぞこれは……っ。

 早急に誤解をとかなければ、今後の任務と生活に支障が出るうえ、社会的地位がストップ安だ!

 

 

「待ってくれ電ぁ! 誤解なんだぁぁあああっ!!」

 

「あっ! こら、逃げちゃダメでしょ司令か~ん! お説教~!」

 

「……ああ。まずいですわね。雷さん、お待ちにっ」

 

「なぁ羽黒。エッチとはなんだ。なぜ唐突にアルファベットが? 何かの隠語か?」

 

「えっ!? ぁ、あの、それは……み、妙高姉さん、待ってぇ!」

 

「おい、その反応は知っているな。なぜ逃げる。エッチとはなんだ。おい羽黒」

 

 

 追いかける自分に続き、みんなも部屋を飛び出してくる。

 が、頭の中は電への言い訳で満載であり、そのことに全く気づいてはいなかった。

 のちに、また追いかけっこをしていた島風達が「提督も追いかけっこですか? 負けませんよ!」と参加し、「おいテメェ、なに電を泣かせてやがんだ!」と怒る天龍田姉妹に追いかけられ、騒々しさを注意するために出てきた響と書記さん、ついでに「なんか面白そう」とほざいた主任さんまでをも巻き込む、長い長い、逃・追走劇の、始まりだ。

 

 

 

 

 

「……よし、書けた! 私の考えた最高の近代化改修案っ。これでもっと派手に撃ちまくれるわよぉ! ねぇ司令、これ読んで――って誰もいない!? あれぇ!?」

 

 

 

 

 




「次回! 満を待して、艦隊のアイドルが登場だよ~! みんな、待っててね~☆」
「せっかくの夜戦だったのにどうして呼んでくれないの!? 夜戦夜戦夜戦夜戦や~せ~ん~!!」
「あの……二人とも、落ち着いて……?」

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