新人提督と電の日々   作:七音

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異聞 新人提督たちのとある一日 艦隊これくしょん - Alter Nova - 後編

 

 

 

「くぅ……っ。大戦艦コンゴウともあろう者が、何故このような屈辱を……」

 

「はいそこ! 焦げやすいんですから、フライパンから目を逸らしちゃだめ!」

 

「ふっ。怒られちゃったわねぇ、大戦艦様が?」

 

「姉さまもですっ!」

 

 

 またしても場所を移し、今度は時間も過ぎ去って。

 ジュージューと香ばしい音と香りが満ちるここは、我が艦隊の宿舎。ダイニングルームである。

 現在時刻、一九○○。

 背後にあるキッチンで、コンゴウ、オイゲン、ビスマルク。それにレーベとマックス、マヤの六人が、夕食の準備を進めていた。

 

 

「うぅぅ、なんでマヤまでぇぇ」

 

「連帯責任よ。自業自得と思いなさい、マヤ」

 

「そうだよ、まったくもう……。うん、良いね。美味しく出来てるよ」

 

「え、ホント!? ぃやた~!!」

 

 

 ドックで教育と言ったが、あれは言葉通りの意味であり、騒動の原因である二人+αは今、お料理教室の真っ最中なのだ。

 さすがに、他所の子をお仕置きなんて出来ないし、ちょうどいいだろう。

 メニューはドイツ料理で、アイントプフ、フィンケン……なんたらかんたらに、アイスバイン。

 日本風に説明すると……。味噌汁的なごった煮スープ、カレイのムニエル、塩漬け肉の野菜と香辛料煮込み、らしい。

 レーベたちが作ってるのが最後のやつで、オイゲンはムニエルの指導をしながら一人でスープ作り。超いい匂いです。

 人生ゲームで借金地獄中な兵藤さんもご満悦だった。

 

 

「う~ん、いい匂~い。私、もうお腹ペコペコだよ~」

 

「ですよね。なぁオイゲン、味見とかしちゃダメか?」

 

「だ、め、です! ……って言いたいとこなんですけど、ちょうどこっちも煮えたみたいなので、してみますか?」

 

「お? ホントかっ、するする!」

 

「あっ、ズルいよキミ! 私も~」

 

 

 なぜだかポコポコ生まれる子供で満杯の駒を放り出し、自分は兵藤さんとキッチンを覗き込む。

 すると、真っ白な三角巾+エプロンをつけるオイゲンが、すぐに小皿を用意してくれた。

 レンズ豆やニンジン、ジャガイモとかが、トマトベースのスープで煮込まれているようだ。

 

 

「はい、どうぞっ」

 

「ん、ありがとう。……おっ! うんまっ!」

 

 

 一口すすると、野菜の旨味がいっぱいに広がっていく。

 初めて食べるはずなのに、どこか懐かしい味だった。

 オイゲンもホッと一息。お玉を両手で持って、安心の笑みを浮かべる。

 

 

「良かったぁ。実は新しいレシピを試してみたんですけど、ちょうどよかったみたい」

 

「うん、ホント美味い。オイゲンは料理上手だなー」

 

「えっへへ……。Dankeですっ。凛姉さまもどうぞっ!」

 

「わ、ありがとー。……ん~♪」

 

 

 褒めてあげようと頭をポンポンすれば、くすぐったそうに目が細められた。嬉しそうだ。

 彼女は小皿を受け取り、得意げな顔で今度は兵藤さんへと。また一つ笑顔が生まれた。

 

 

「ねぇ提督、こっちも味見してみないかい?」

 

「いいのか? んじゃ、お言葉に甘えて……おー、こっちも美味い」

 

 

 それを横から見ていたレーベも、まな板に乗った骨付き肉の端っこを切り落とし、フォークに刺して運んでくれる。

 遠慮せずにパクッと一口。柔らかく煮上がった豚肉が口の中で解け、もう堪らない。

 

 

「これだけ料理が上手いなら、レーベもマックスも、いいお嫁さんになれるなー」

 

「……っ、料理中ですから。あまり髪に、触らないで」

 

「僕たち、もう子供じゃないよ」

 

 

 上機嫌さが手伝って、少し乱暴に二人を撫でてしまうのだが、顔は迷惑そうな口振りと裏腹だ。

 室内だから帽子を被っていないし、細く滑らかな髪が指へ絡む。撫で心地も最高である。

 

 

「じぃ~」

 

 

 ふと、視線を感じた。横へ視線をずらせば、そこには指をくわえるマヤが。

 彼女もエプロンをつけており、名札には達筆な「 弟 子 」という文字が踊っている。

 端に小さく、「書き手 兵藤凛」と作者名まで。細かい。

 

 

「……ん? どうした」

 

「じぃぃぃ~」

 

「な、なんだよ。マヤも食べたいのか? だったらマックスに――」

 

「……それ作ったの、マヤなのに」

 

 

 ぷく~、と膨れ出すほっぺた。顔には「不満です」と書いてあった。

 ……あぁ、なるほど。褒めて欲しいのか。

 作ってもらったのも、美味しかったのも確かだし、ちゃんと褒めてあげなきゃな。

 

 

「上手にできたな。偉いぞ、マヤ」

 

「あ……。にへへへ~、マヤはやれば出来る子なんだも~ん。このくらい当然だよ~大佐く~ん」

 

「調子良いなぁ、全く」

 

「良いじゃない、レーベ。これでやる気を出してくれるなら」

 

「ふふっ、だね?」

 

 

 あんまり馴れ馴れしいのもアレかなー、と考え、オイゲンの時みたく、頭をポンポン。

 それでもマヤは、これでもかと胸を張って得意満面だ。

 格好や言動とあいまって、近所に住む姪っ子のような感じである。

 

 

「……おい。おいっ、プリンツ・オイゲン! これはいつまで焼いていれば良いんだ!?」

 

「ちょっと、黙ってなさいよコンゴウ。集中できないじゃない……っ」

 

 

 和やかな空気が漂い、夕食への期待が高まる一方。

 広々としたキッチンの一角では、修羅場が繰り広げられていた。

 コンゴウとビスマルク――「あぷれんてぃす」と「Schüler」の二人だ。

 ちなみに書き手はレーベ&マックス。意味はだいたい弟子と同じである。

 

 

「へ? ……わぁあっ、だめだめだめっ、キツネ色になったらひっくり返してって言ったのにぃ!?」

 

「焼き目が下に来ているのに、どうやって見ろと言うのだっ」

 

「菜箸とかでちょっと持ち上げれば見れると思うよ、コンゴウちゃん」

 

「む」

 

 

 もうもうと立ち始めた煙に気づき、大急ぎでオイゲンがヘルプに入る。

 反論しようとしたコンゴウだったが、冷静な兵藤さんのツッコミに封じられてしまった。

 マニュアルにない事は一切できない。典型的メシマズさんの兆候だ。早くなんとかしないと……。手遅れだろうか?

 

 

「……はふぅ。危なかなった……。ちょっと焦げちゃいましたけど」

 

「あ~らあら、もっと臨機応変に対応しなきゃダメじゃない、ワタシみたいに。ホッと」

 

「く……。味付けだけは破滅的な癖に……っ。やはり私は料理は好かん!」

 

「だ、大丈夫ですよ、これはコツを掴むためのお試し用で、材料も多めに用意してますから、ね? ね?」

 

 

 網を敷いたバットにムニエルを退避させ、一息つくオイゲン。

 そして、意外にも手際は良いビスマルクが、華麗にフライ返しを操る。コンゴウの言葉も負け惜しみにしか聞こえない。

 ずいぶん機嫌を損ねちゃったみたいだけど……勿体無いよな……。うん。

 思い立ったら即実行。焦げかけたムニエルを前に、自分はコンゴウが握りしめる菜箸を取り上げ、安全な部分を食べてみる。

 

 

「あ、おい貴様、何を」

 

「……うん。確かに焦げてるけど、美味しいぞ、コンゴウ」

 

「む? ……そ、そうか。ふっ、そうかそうか」

 

 

 キョトン、と目をしばたく彼女だったが、言葉の意味を咀嚼するにつれて、ニヤニヤ自信ありげな顔へ。

 外見のツンケンさと真逆で、存外扱いやすいなこの子。

 でもまぁ、オイゲンが下拵えをしただけあり、本当に美味しいのだ。嘘は言ってない。

 料理を好きになってもらうには、まず自信をつけてもらわないと。

 

 

「ちょっと、どういう事よ提督。アナタねぇ、自分の船じゃなくて他所の船を褒めるの!? ……ホラ、ワタシのも食べなさいっ、そして美味しいって言いなさい!」

 

「待て待て待て! 火傷するっ、じかは火傷するっていうかデカいっつの!」

 

 

 ――が、今度はビスマルクの機嫌が直滑降。

 パチパチと美味しそうな音を立てるフライパンを、熱気も冷めやらぬ内にズイッと。

 あっつ!? バターが跳ねて熱いっす!?

 

 

「はっはっは、無理強いはよせビスマルク。こいつは客観的な立場で感想を述べたまでだ。この私が作った……なんだったか」

 

「フィンケンヴェルダーショレ、だよ」

 

「ん、すまないレーベレヒト。私が作った……そのなんとかは美味い、とな。はっはっはっはっは!」

 

「ぐぬぬぬぬ……。地球外生命しか生み出せない癖に……っ」

 

「んもうっ! 群像さんたち、もうそろそろ来ちゃうんですよ? キッチンで遊んじゃだめです!」

 

 

 すっかり立場を逆転させ、高笑いのコンゴウにビスマルクは歯を噛みしめる。

 オイゲンがプンスカ怒っていても、全く気にならない様子だ。

 と、そんな時、家に鳴り響く「ピンポーン」というチャイム音。

 

 

「お、噂をすれば」

 

「あわわ、もう来ちゃった。ビスマルク姉さま、コンゴウさん、大急ぎで人数分用意しましょう! 私も手伝います!」

 

「ふっ、任せるがいい。華麗にソテーしてやろう。カレイだけにな」

 

「負けないわよ……。絶対ワタシの方が美味しく作れるんだからっ」

 

「じゃあ、僕たちはおもてなしだね」

 

「マヤ、お皿を」

 

「はいは~い」

 

「出迎えは私たちがするよ。行こっか」

 

 

 にわかに慌ただしさを増すキッチンから離れ、自分は玄関へ向かう兵藤さんの背中を追う。

 下駄箱の所で立ち止まり、「どうぞー」と一声かければ、千早艦隊の皆が顔を覗かせた。

 

 

「こんばんは。お招きありがとうございます、大佐」

 

「いらっしゃい、みんな。急な誘いで、迷惑じゃなかったかな」

 

「いつものことですから。あぁ、僧はいつも通り、仕事で来られないようなので……」

 

「うん。後で私が届けに行くから、心配しないで」

 

「助かります、兵藤さん」

 

 

 まずは群像くんが脱帽して挨拶を。

 続いて、「チィーッス」「おっじゃましまーす」「失礼します」「しまーす!」という声たちと共に、杏平くん、いおりちゃん、八月一日さん、蒔絵ちゃんが靴を脱ぐ。

 織部軍医の姿だけが見えないのだが、これもいつもの事らしい。

 あとは統制人格の子たちを迎え入れるだけ……なんだけど。

 

 

「あれ、ヒュウガはどうした?」

 

「拘束して医務室に置いてきた。アレが居ると、ゆっくり食事することは不可能だ」

 

「まったく災難よ。出撃してないのに疲れちゃったわ、お腹ペコペコ」

 

「まぁ、奴の口には四○一の靴下を突っ込んできたんだ。ある意味、最高のご馳走だろうさ」

 

「キリシマ。その表現は嫌。凄く嫌」

 

「……なんと言うか、お疲れ様」

 

 

 一人欠けている理由を問いかけてみたら、ハルナはやれやれ顔で肩をすくめ、酷く疲れたタカオ&キリシマが、彼女に続いて説明してくれた。

 白衣の上から亀甲縛りにされ、悶えつつも靴下をジュルジュル味わう“ド”変態が脳裏に浮かぶ。イオナちゃんの渋い顔も納得である。

 それはさておき、気落ちするイオナちゃんを慰めながらダイニングへ戻ると、人生ゲームの盤は片付けられ、すでに食事の準備が完了していた。

 各々の席に並べられたメインの皿と、小さな鍋へ小分けされたアイントプフにボールサラダ。ライ麦パンの入ったバケットも用意してあり、なんとも言えないワクワク感が。

 食卓の前で背筋を伸ばすマックスは、客人を前に恭しく一礼する。

 

 

「いらっしゃいませ。本日は、牛肉のソーセージとレンズ豆などを使ったアイントプフ。フィンケンヴェルダーショレ。アイスバインに、ザワークラウトと茹でたジャガイモを添えてお出しします。……諸事情で魚料理は遅れそうですが」

 

「ぅおっほー! 本格的だなー。んじゃ早速……」

 

「こら杏平、みんなが席に着くまで待ってなさいってば!」

 

「美味しそう……。レーベさん、後でレシピを教えてもらえますか?」

 

「良いよ、静。ドイツ語で大丈夫かな。まだ日本語を書くのは苦手で……」

 

「わたしドイツ語も読めるよー! 手伝うー!」

 

 

 小鍋の蓋を開け、さっそく食べようとする杏平くんに、彼を止めようとするいおりちゃん。

 八月一日さんは腰を下ろしてレーベと談笑し、キリシマを抱いた蒔絵ちゃんが、ピルケースを持つ手を大きく挙げる。例のお薬だろう。

 勝手知ったるなんとやら……なのかも知れない。みんな、それぞれに楽しんでいるようだ。

 

 

「……ちょっと四○一。そこどきなさいよ。私が座れないじゃない」

 

「どうして? 群像の隣は、まだ反対側が空いてる」

 

「そうだけど……なんとなくよっ。ジャンケンしなさい、ジャンケン!」

 

「タカオ、そんな事で騒がないでくれ。ほら、座ろう」

 

「ニンジン……。いや、せっかく用意してもらった食事、選り好みなど失礼だ。大丈夫、ちゃんと食べる」

 

「ハルナ、まだニンジンはダメか? 美味いと思うんだが……」

 

 

 局所的に紛争が発生しそうではあったのだが、艦長さんが上手く治めて沈静化。

 子供舌だったらしく、少し難しい顔をするハルナも席に着き、もうあとは食べ始まるだけ。

 ……と言ったところで、肘が察知するツンツンされる感覚。エプロンを外したマヤだ。

 

 

「ねーねー、大佐くん」

 

「ん? ……あ、そっか。群像くん、このアイスバイン、誰が作ったと思う?」

 

「え……。ま、まかさこれ、こここコンゴウもしくはビスマルクが……っ」

 

「いや違うから落ち着いて! “か”と“さ”が入れ替わってるから!」

 

 

 彼女を椅子へ促しながら、群像くんに質問を投げてみるのだけれど、反応は斜め上だった。

 おいおい。すでにトラウマとして刻み込まれてるのかよ。群像くんがここまで動揺するとか、相当だぞきっと。

 というか、他のみんなも顔が硬直してる。……被害は甚大?

 

 

「マヤが作ったんだよ、レーベたちの監督で。味は保証する」

 

「……そうでしたか。安心しました」

 

「良かったわ……。危うく、艦長の分を奪って食べる覚悟を決めるところよ……」

 

「うん……。意識を失うのは嫌だけど、群像に死なれるより、ずっと良いから……」

 

「……そんなにヒドいの?」

 

 

 どう表現すれば良いのか……。地獄に仏を見たような? そんな顔付きでうなずく面々。

 メシマズを呼び出さずに済んでる自分って、もしかしなくても、すんごい幸せ者なんだね……。

 向こうへ戻ったら、いつにも増してお礼を言っておこう。鳳翔さんとかに。

 

 

「あのーっ、提督、ごめんなさーいっ。お魚はもうちょっと時間かかりそうなので、順番が変になっちゃいますけど、先に食べ始まっちゃって下さーい!」

 

「え。待たなくていいのかー?」

 

「だいじょぶでーすっ! はいコンゴウさん、そこでひっくり返してっ!」

 

「いいのかな……」

 

 

 沈痛な雰囲気が漂う中、キッチンからオイゲンが呼びかけてくる。

 一緒に食べた方が……と思って呟くと、兵藤さんは安心させるように微笑む。

 

 

「平気だよ、いつもこんな感じだったし。せっかくのお料理を冷めてから食べる方が、ずうっと失礼だと思うよ?」

 

「……それもそうですね。では」

 

 

 言われてみれば、それも納得。適当に腰を下ろし、隣へレーベたちが座るのを待つ。

 真正面に群像くんは居るが、上座も下座も関係のない、ただ寛ぐための食卓。

 辛抱堪らん、なんて言いたげな顔を見回してから、自分は両手を合わせ――

 

 

「いただきます!」

 

『いただきます』

 

 

 ――待ち望まれた音頭を取る。

 即座に十二人分の声が返り、和やかな食事会は、こうして始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 んが、しかし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁあああん、なんで、なんで忘れちゃうのよおぉぉ、提督のばかあぁぁ」

 

「そうよぉぉおおおっ、なんで私の気持ちに気付いてくれないのぉぉぉ」

 

「ふふふ、ふふっ、そうさ、どうせ私はメシマズさ。気を遣って、美味しいだのなんだのと言っているだけなんだ。何もかも嘘なんだ。どうせ、どうせ、どうせぇ……っ」

 

「にゃはははー! しぇかいがぐりゅぐりゅー! めりーごーりゃんどー!」

 

「抱きつくなビスマルクっ、鼻水が服につくっ。タカオ、群像くんはあっちだあっち! 足を離せっ。

 コンゴウも落ち着け! 本当に美味しかったから、な? そのミニピアノはどこから持ってきたんだマヤ!

 ああもうっ、誰だ酒なんか飲ました奴は!?」

 

「わらひらよ~。ひっく、おいひぃものは~、みんらで分けらいとにぇ~」

 

「アンタかよ兵藤さぁん!!」

 

 

 三時間後。

 ビスマルク、コンゴウ、オイゲンを加え、総勢十六名がごった返すダイニングルームは、なぜか地獄絵図と化していた。

 アルコールの匂いを漂わせたビスマルクとタカオがむせび泣き、日本酒の一升瓶を抱えるコンゴウが床にあぐらをかいている。

 マヤはその横でメチャクチャに鍵盤を叩き、群像くんも真っ赤な顔でダウン。菩薩みたいなイオナちゃんの膝枕へ突っ伏している。たぶん、被害者なのだろう。

 別の一角では対戦ゲーム大会が開催中で、杏平くん、ハルナ、いおりちゃんと八月一日さんが死闘を演じている。あ、杏平くん死んだ。八月一日さんすっげぇ強い。

 つーか、どいつもこいつも顔赤いぞ。未成年だろお前らも。飲酒しちゃいけません!

 

 

「ね~え~、キミも()もうよぉ~。お姉ひゃんが注いれあげる、ひっく、からぁ~」

 

「片付けの邪魔しないでくださいっ。ほらどいて!」

 

「あぁん、いけずぅ。どぉしてもだめぇ? はぁぁ、おひゃけのせいで熱いなぁ~。ボタン外しちゃおっかなぁ~?」

 

「そんなんで喜ぶとでも思ってんですか。出直して来てくださいパッド戦士さん」

 

「にゃ!? にゃんれ知ってるのぉ!? あっ、ボトル取っちゃやらぁ!」

 

「これは没収ですっ」

 

 

 だからこうして、理性を残した自分たちが、場の収集に当たっているのだった。

 中途半端に色気を漂わせる先輩――じゃなくて、兵藤さんが抱える瓶も取り上げる。

 煙いような独特の香気からして、本物のスコッチ・ウィスキー。

 軍に入る直前、一回だけ親父と差し向かいで飲んだ、“取って置き”と同じ香り。間違いない。

 こんなバカ高い物を浴びるように……。勿体ねぇぇぇ……。

 

 

「レーベ、杏平くんたちは?」

 

「缶ジュースと間違って、カクテルを開けちゃったみたいだ。半分寝ながらゲームしてる。いつもは提督が管理してるから、こんなこと滅多に起きないんだけど……」

 

「マジかぁ……。マックス、客間ってまだ空きあったっけ」

 

「問題ないわ。男女に分けて放り込んでも余裕がありますから。それと、刑部主任たちはすでにお休みです」

 

「そっか。なら安心だな」

 

 

 よく見れば、蒔絵ちゃんとキリシマの姿はない。キリシマはおそらく、枕代わりをしているんだろう。

 どんなに頭が良くたって、身体はまだ子供。おねむの時間は早いらしい。

 唯一の和みポイントにホッとしていると、千早艦隊でただ一人、しらふを維持したイオナちゃんが、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 

「大佐。いつもの事だけど、迷惑をかけて、ごめんなさい」

 

「気にしなくていいさ。いつもの事、なんだろ?」

 

「そうそう。楽しかったからだいじょぶだいじょぶ! あ、提督。そこのお皿も取ってもらえます?」

 

「あいよー」

 

「……ありがとう」

 

 

 しかし、オイゲンの言う通り。楽しかったことに変わりはない。

 自分にとってはだが、初めて食卓を囲んだとは思えないほど、騒がしく、心地よいひとときだった。

 そんな気持ちを込めて笑いかければ、イオナちゃんも同じように笑ってくれる。

 群像くんは相変わらず、「うーん……」と唸ってるけど。兵藤さんは不貞寝だ。

 

 

(考えてみりゃ、同僚とどんちゃん騒ぎしたのって、これが初めてか)

 

 

 感情持ちの励起。“桐”の襲名。キスカ島に偽島作戦と、軍人としては名を上げちゃったが、気の許せる相手は少ない。

 仲間も、先輩たちも居るけど……。同じ視線で戦う、戦友は居なかった。

 “こっち”の自分にはそれが居るんだ。羨ましいな、そこだけは。

 いや、あともう一つ。セクハラしても許される環境作りとかも。超羨ましいっす。

 ……なんてバカなことを考えつつ、後片付けは進んでいく。

 皿を洗って、残った料理を織部軍医への折詰に。ゲーム機やら何やらもしまい込み、ようやく一段落だ。

 

 

「はいっ、お片付け終了ですっ。お疲れ様でしたー」

 

「お疲れさま」

 

「お疲れさまでした」

 

「ホントお疲れ……」

 

 

 ぱん、とオイゲンが柏手を打ち、駆逐艦'sも解放感で肩から力を抜く。

 最後の方は妙に静かだったが、それも当然。酔っ払いたちは床やテーブルで眠りについている。

 そうじゃなきゃ、ゲーム機とか酒瓶を片付ける時、全力で野次られただろうし。

 

 

「後はみんなを部屋に運ぶだけだね。僕たちが凛さんを」

 

「提督はビスマルクをお願いします。イオナ、行きましょう」

 

「うん。群像、起きて」

 

「了解……つっても、女の子の部屋に一人で入るのはダメだし。オイゲン、着いてきてくれるか」

 

「Ja! お供いたします! なんちゃって」

 

 

 めいめいに最後の仕事を見つけ、眠りこける人々を運び始める。

 レーベとマックスが二人掛かりで、「おひゃけにょむにょお……」とダレる兵藤さんを。イオナちゃんが群像くんを揺り起こし、肩を貸していた。

 ちょっと心配なのは、寝呆ける彼の漏らした「コトノ」という言葉に、イオナちゃんが歩みを止めて暗黒闘気を放出し始めたことだ。

 語感と反応からして、女の子の名前か。修羅場にならないことを祈ろう。

 ちなみに、寝ていたはずのタカオさん。遠ざかる群像くんの気配に釣られ、「がん゛ぢょお゛ぉ……」と貞○のごとく追いかけている。……ノーコメント!

 

 

「ほらほら、しっかりしろビスマルク。部屋に戻るぞー」

 

「ん゛ん゛~。……や」

 

 

 ホラーな絵面を脇へ置き、自分はビスマルクの肩を揺らす。

 なんだかんだで、コンゴウ+マヤと仲良く床に並んでいた彼女だが、酒精を帯びた声でむずがった。まんま子供である。

 外見はバリキャリ女軍人風なんだけどなぁ。

 

 

「や、って……。じゃあここで寝るつもりか?」

 

「ゔ~。……それも、や」

 

「ビスマルク姉さま、わがまま言っちゃダメですよ。ちゃんとベッドで寝ましょう、ね?」

 

「や゛~だぁ……」

 

 

 オイゲンの呼びかけに身体を起こすも、ビスマルクはイヤイヤするばかり。

 頬は赤く、青い瞳が涙で濡れ、唇まで艶やかさを増している。

 こんの酔っ払いめぇ……。すっげぇ可愛いけど、面倒臭ぇぞこれ……。猫みたく首根っこを掴むわけにもいかないし、どうしたもんか?

 と、頭を悩ませていたら、不意に彼女は、上目遣いでこちらを見上げ――

 

 

「だっこ、して」

 

「………………コファッ」

 

「ぅわあっ!? だいじょぶですか提督ぅ!?」

 

 

 ――夢見る乙女的な眼差しで、両腕を広げた。

 銃弾が心臓を貫いたような衝撃に、思わず膝をつく。

 やばい。やばい。やばい。今のは凄くやばい。

 これが技術大国ドイツの艦娘か……っ。侮れん……!

 

 

「だ、大丈夫、だ。ちょっくら、理性のバイタルパートにヒビが入っただけ、だから。ひっ、ひっ、ふぅ。ひっ、ひっ、ふぅ。落ち着けー、落ち着け自分ー」

 

「それって致命傷なんじゃあ……。あと、この場合ラマーズ法に意味あります?」

 

「ね~……。だっこ……」

 

 

 目を丸くしながら、えづく背中をさすってくれるオイゲン。幼児化し、軍服の袖を掴んで放さないビスマルク。

 減っていく正気度を自覚しつつ、自分は気合いで煩悩を振り払う。

 早いとこやるべき事を片付けて、水風呂にでも入って邪念を清めなければっ。

 色即是空、空即是色ぃ!!

 

 

「じゃあ……。い、行くぞ?」

 

「……ん」

 

 

 改めて声をかけると、ビスマルクはまた腕を広げ、軽く目を閉じる。

 ともすれば、そのままキスでもなんでも出来そうな状態だが、「姉さま可愛い」と呟くオイゲンの存在が歯止めとなり、細い肩と膝裏へ手を回す。

 人生初のお姫様抱っこ。こんな形で消費するとは予想してなかった。

 想像より、ずっと軽かった。

 

 

「オイゲン、先導よろしく。自分、前を見る余裕がない」

 

「りょ、了解です。お任せくださいっ」

 

「てぃと、く……。もっ、と……。つょ、く……」

 

 

 拡大していくヒビ割れの音を脳内に響かせ、明かりの灯っていく廊下を歩く。

 肩にはビスマルクの頭が乗っていて、吐息が首筋をくすぐる。

 手の平と直接触れ合う体温が生々しく、微かな寝言とのシナジーで拷問に近い。何をだ。何を強くすりゃ良いんだ。抱きしめる力か? 勘弁してくださいよホントに!?

 ……よし。何か別のことを考えよう。

 火照ったコンゴウのうなじとか、兵藤さんの谷間に見えたホクロとか、足へ縋りつくタカオのパフパフとか――って結局そっち系じゃねえか! いい加減にしろ自分のバカ!!

 

 

「はい、着きました。提督、姉さまの足とかぶつけないように、注意してください」

 

「OK。……っと、よし。ビスマルク、着いたぞ」

 

「……すぅ……んん……」

 

 

 そうこうしている内に、とある部屋の前へ来ていた。

 身体の向きを調整しながら、ドイツ国旗や黒猫の写真が飾られる室内に。どうやら一人部屋らしい。

 オイゲンがシーツをめくってくれたので、ビスマルクをベッドの上へ。シーツをかけ直すために一旦離れようとする。

 

 

「……ん? あれ」

 

「どうかしました?」

 

「いや、上着を離してくれない……。だぁ、無理かこりゃ」

 

 

 ――のだが、引っかかったように、身体は動けなくなっていた。

 首元を引っ張られる感覚。襟をガッチリ掴まれてしまっている。

 どうにも離してくれそうになく、上着のボタンを外し、そのままシーツ代わりに被せると、ビスマルクは満足そうに大きく呼吸。

 ついでに、満面の笑みで「Liebe Leute……」と言い残してから、ようやく深い眠りへついたようだ。意味は分からないが、妙に幸せそうな顔だ。

 ……全く。手間のかかる子だこと。

 

 

「さて。後は頼んでも平気か?」

 

「もちろんです。姉さまの寝顔を全力で堪能――もとい! 寝ゲロルシュタイナーとかしないよう、全力で見守ります!」

 

「寝ゲロルシュタイナーって……」

 

 

 涙の跡を指で拭い、立ち上がってオイゲンにそう頼むのだが、敬礼と合わせて返ってくるのは、金剛に対する比叡みたいな返事。

 なんというか、ビスマルクさえ居れば他に何も要らない、みたいな感じである。

 

 

「オイゲンは……大丈夫そうだな。安心した」

 

「はい? それはそうですよ、お酒一滴も飲んでませんし。本当はビールをグイッと行きたかったですけど、おもてなしする側なので、我慢しましたっ」

 

「いやいや、そっちでなくて。ていうか君、見た目十代半ばなのに酒飲みなのか」

 

「当然です! ゲルマン人にとって、ビールはお水の代わりですからっ」

 

「……左様で」

 

 

 ゆさり。たわわな胸部装甲を弾ませつつ、オイゲンは胸を張った。

 レーベみたく、忘れられた事にショックを受けていないかが心配だったんだけど、この分なら平気だろう。

 本場のビール。いつか飲んでみたいもんだ。

 

 

「んじゃ、そろそろ行くよ。杏平くんをレーベに任せるわけにはいかないしな。お休み、オイゲン。それにビスマルクも」

 

「はい。お休みなさい、提督」

 

 

 苦笑いのまま、オイゲンの頭をポンポン。

 人懐こい声を背に受けながら、自分は部屋を後にする。

 あとは、杏平くんを群像くんと同じ部屋に放り込んで、コンゴウといおりちゃんたちも運ばな――

 

 

「え」

 

 

 とすん。

 背中へ軽い衝撃と、柔らかさを感じた。

 腹にも腕が回されている。

 オイゲンに、抱きしめられてる? なん、で?

 

 

「お、オイゲン?」

 

「だいじょぶなわけ、ないじゃないですか」

 

 

 辛うじて見える、ツーテールの端っこへ問いかけると、震える声が聞こえてきた。

 折れそうなほど細い指が、シャツの前を握り締める。

 

 

「全然、平気なんかじゃないです。ホントは、凄くさみしいです。ビスマルク姉さまだって、だからあんな風に……」

 

 

 額を背中へ擦り付けるオイゲンは、とても静かに、悲しげに言う。

 統制人格には、人間の毒が効かない。それはアルコールにも適応され、その気になれば一瞬で酔いから覚める事だってできる。

 けれど、ビスマルクはそうしようとしなかった。

 酔っていなければ、忘れられていると実感してしまうから、だろうか。それとも、素直になれないから? ……分からない。

 レーベも、マックスも。最初は呆然とするほど衝撃を受けていた。オイゲンだってそうだったはずなのに。

 今までの明るい笑顔は、きっと、安心させようとしていたんだ。他でもない、彼女自身を。

 

 

「あ、あの……っ。オイ、ゲン。あの、な……」

 

「もうちょっと、だけ。もう少しだけ、このままで居させて。……くれますか」

 

 

 知らぬ間に傷つけてしまっていた事を謝りたくて、後ろを振り返ろうとするけれど。

 オイゲンの腕は、ますます強く絡みつく。されるがままに、待つしかなかった。

 ……だが。だがしかし。

 出来ることなら、即急に開放してほしい。

 何故か? 背中へ押し付けられてるのは、額だけではないからである。

 要するにおっぱいです。

 

 不埒なことを考えてる場合じゃないのも、十二分に理解している。しかし、しかしだ。

 もしも同じ状況へ陥ったとして、この感触に惑わされない男が居るだろうか?

 ぷにゅりぷにゅぷにゅ。

 押しつぶされてなお、激しく自己主張する二つの果実に、抗える男が居るだろうか? いいや居ない! 居て堪るか!!

 だからこそお願いします。可及的速やかに、押し倒したくなる前に離して頂きたいっ!! 上着脱いだせいで余計にやっこく感じるんですよぉ!?

 ぬぁぁぁ理性のバイタルパートがぁぁあぁぁぁああっ!!!!!!

 

 

「……えいっ」

 

「どぅおぉ!? んごっ」

 

 

 自制心の悲鳴が最高潮に達した、まさにその時。今度は思いっきり、背中を突き飛ばされた。

 壁へ顔面を強打し、まぶたの裏には星が散る。

 バタンッ、という音に涙目で振り返れば、扉は固く閉ざされ……。流石にこれは、怒っていいよなぁ?

 

 

「いったぁ……。いきなり何すんだ!?」

 

「エッチなこと考えてた罰ですー。そのくらい、顔を見なくたって分かるんですからねっ。早く手伝いに行っちゃって下さい!」

 

「うぐっ」

 

 

 ビスマルクを起こさぬよう、できる限り抑えた声で文句をつけるのだが、扉越しにもオイゲンのプンプン顏が見える。

 んなこと言われたって、あんな露骨に“当ててんのよ”されたら、誰だってそういうこと考えるに決まってるじゃないかっ。だって男の子なんだも(略)。

 ……まぁ、こんな言い訳を直接言える訳もなく。ネームプレートの下がったドアを恨めしく見つめ、「お休みっ」と捨て台詞を吐き、自分はその場を逃げ去った。

 

 

「お休みなさい。……私の、Admiralさん」

 

 

 去り際に、またドアが開いて。小さく呼ばれた気もしたけれど。

 どう返していいか分からず、気付かないふり。

 しかし、気付いてあげないのも正解だったんじゃないか……と、なんとなく思うのだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「はあ゛あ゛ぁぁぁ……。今日はなんて日だ……」

 

 

 布団の上に仰向けとなり、大きなため息をつく。

 ビスマルクの部屋から戻った自分は、同じく戻ってきたレーベやマックス、イオナちゃんと協力し、生きる屍となったみんなを部屋へ送り届けた。

 それからシャワーで軽く汗を流し、歯を磨いたりなんだりして自室に戻り――という具合である。

 

 

(疲れた……。でも、楽しかったな)

 

 

 フカフカな敷き布団が受け止める身体には、重い疲労感が残っていた。

 朝から硫黄島基地を行ったり来たり。千早艦隊の皆に振り回され、自分の艦隊にも振り回されて、最後にどんちゃん騒ぎの後始末。

 疲れて当然だが、しかし、どこか満足感も覚えている。

 初対面の人々ばかりだったけれど、向けられる感情に偽りを感じられなくて、いつの間にか、気を許していたような。

 こんな生活も……。こんな人生も、悪くない。心からそう感じた。

 

 

(……けどやっぱり。“みんな”に会いたい)

 

 

 それでも。……いや、だからこそ。

 “こっち”に長居してはならないと、確信もしている。自分の正しい居場所は、ここじゃない。

 何が理由で、どんな理屈でこうしているのかなんて、分かりっこないけれど。

 ここに相応しいのは、ここで生きてきた“もう一人の自分”だけ。

 きっと待っていてくれるだろうみんなの為にも、どうにかして戻らなくては。

 

 

「……んぁ?」

 

 

 見覚えがあるようで無い天井を見つめていると、ドアがノックされた。

 誰だ? と問いかける前に、その向こうからはボーイッシュな声が聞こえてくる。

 

 

「提督。僕だけど……まだ起きているかい?」

 

「レーベ? 起きてるけど……。あ、ちょっと待って」

 

 

 反射的にドアを開けようとし、はたと思い留まる。

 いくら気を許したと言ったって、Tシャツとトランクス姿ではまずい。ズボンくらい履かないと。

 自分だったらここに置くかな……という所を探すと、薄手のスラックスがすぐに見つかったので、それを履いて今度こそドアを開けた。

 

 

「どうした、こんな遅く」

 

「うん、ごめんね。ちょっと、お願いがあって、さ」

 

 

 両手を後ろへ回すレーベは、気恥ずかしそうに膝をこすり合わせていた。

 裾丈はさっきまでと同じだが、明るい水色のパジャマ姿。瞳の色と合わせてあり、可愛らしいデザインである。

 っていうか、初対面から思ってたんだけどさ。スカートとかズボンとか履き忘れてませんか? 太ももが無防備で嬉しすぎゴフッゴフ心配なんですけども。

 

 

「あ、あの、さ……。こんなこと言うのは、凄く子供っぽいって分かってるし、迷惑だと思うんだけど……」

 

 

 少しだけうつむき、上目遣いにレーベが続ける。

 手に持っていたのは、小さな枕。身体の前で抱き直し、ほんのり赤みを帯びた顔が隠れた。

 ……こ、この反応。まさか……。

 

 

「き、今日だけ……。一緒に寝ても、良いかな」

 

 

 あぁぁやっぱりぃぃいっ!

 ちょこっとだけ傾げられた小首があざといよレーベさぁぁん!?

 折角バイタルパートのヒビを補修し終わったとこなのにぃ……。

 くそぅ、また断るのに全力を出さないと……っ!!

 

 

「あのなレーベ。日本には、『男女七歳にして席を同じくせず』ということわざがあってだな……」

 

「それ、孔子だよ。古い中国のことわざ。正しくは、男女七歳(しちさい)にして席を(おな)じゅうせず。いつも丹陽から訂正されてるよね?」

 

「あ、そうだっけ?」

 

 

 大人ぶって諭そうとしたが、的確な突っ込みに阻まれてしまう。

 マジで知らんかったです。無知でごめんなさい。

 まぁ、それはそれ。ここで負けるわけにはいかないのだ。

 

 

「とにかくっ! そういう訳だから。一緒に寝るっていうのはダメだ。そんな気はなくても、男と女なんだし。間違いが起きたら困るだろ?」

 

「間違い、なのかな」

 

「へ」

 

「……どうしても、ダメ?」

 

 

 何やら、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするも、ズイッと詰め寄る少女に聞けなくなる。

 しっとりと、まだ水気を帯びる髪。爽やかな石鹸の香りが、かすかに漂っていた。

 固まりかけだった理性のバイタルパートは、耐震偽造建築のごとくに、いとも容易くグラグラと。

 どうすればうまく断れるのか。八方丸く収まるのか。いくら考えても答えは出てこない。

 重苦しい沈黙に、レーベの表情はだんだん曇り。

 やがて、目の端には煌めく雫が浮かび始め……。

 

 

「分かった、分かったからっ! そんな顔をしないでくれよ……。今晩だけ、だぞ?」

 

「ホントっ? ……Danke,提督」

 

 

 最終的には、押し切られてしまった。涙は女の最終兵器とよく聞くが、痛いほど実感できる。これは無理だわ……。

 ドッと疲れが押し寄せ、ドアを閉めながらため息をつく自分と違い、上機嫌となったレーベさん。さっさか布団の上へ。

 抱えていた枕を並べ、ポンポンしてはにっこり笑い、ちょこねんと女の子座りしている。

 あぁ。なんでこう、ジワジワ責められると弱いんだよ自分。YES・NO枕だったら確実にYESが表に来てるシチュだぞ? ちゃんと断んなきゃダメなのに……。

 おまけに布団。なんで二人が入っても余裕があるサイズなんだ。一人でギリギリなら別のを用意するとか出来たのにっ。もう一つの布団で寝る気満々ですよこの子っ!?

 頼む、朝まで持ってくれ、理性のバイタルパート……!

 

 

「じゃあ、もう遅いし早く寝る――ん? また?」

 

 

 対抗策として、群像くんx杏平くんx織部軍医の、泥沼モーホー三角関係を想像。

 押し寄せる吐き気を堪えていたら、また背後からノック音が。

 

 

「マックスです。……少し、いいですか」

 

 

 ドアの向こうから聞こえてくる、キリリとした声。……嫌な予感がヒシヒシとするけれど、開けないわけにもいかない。

 恐る恐る、顔が見えるくらいにノブを回せば、そこにはもちろん、マックスが立っていた。

 レーベと同じく、瞳の色――赤茶色に合わせた、裾丈の短いパジャマ姿だ。ナイトキャップまで被っている。

 

 

「どうした、マックス。こんな遅く……」

 

「……ごめんなさい。迷惑なのは分かっているのだけれど……。どうしても、話をしたくて」

 

 

 警戒心が顔に出ていたのか、彼女の言葉尻は弱々しい。

 突き放すのも可哀想だし、かといって引き延ばすのも悪手。

 となれば、核心を突く以外に選択肢はなかった。

 

 

「もしかして、だけどさ。勘違いだったらすっごく失礼だと思うんだけど……。一緒に寝たい、とか?」

 

「……っ!? そ、それは……ぁの………………迷惑、かしら」

 

 

 ピクン。身体を硬直させたマックスは、後手に隠していた枕を取り落とす。

 慌ててそれを拾い、恥ずかしそうに見上げてくる顔は、やはり真っ赤に染まって。

 なんてことだ……。モテ過ぎだろ“こっちの自分”……。呪われてしまえ――あ、いや。むしろこの場合は僥倖かも?

 

 

「いや、良いよ。むしろ助かる。これで間違いを犯す可能性が下がった。さ、おいで」

 

「……貴方、それはどういう意味? とても失礼なことを言われて――レーベ?」

 

「や、やぁ……」

 

 

 妙案を閃き、自分は快くマックスを迎え入れる。

 ちょっと不機嫌に、しかし迷いなく部屋へ踏み入った彼女は、布団に座るレーベと驚きの視線を重ねた。なんだか気まずそうな雰囲気だけど知りません。

 いやはや。なんとも都合良く、布団も三人で寝られるサイズ。

 二人っきりなら危ないけど、第三者が居れば手を出さずに済むし、これで問題無い! 初体験が3(ピー)とか論外だしね!

 自分って天才っ。あっはっはっはっは! さー寝よ寝よー。

 

 

「えっと……。あれ、自分どこで寝よう。真ん中はいかんよな、真ん中は」

 

「い、良いんじゃないかな、真ん中でっ。ね? マックス」

 

「そ、そうね。私たちはお願いしている立場なのだし、貴方は一番良い場所で寝るべきだわ」

 

「いやでも――」

 

『良いから!』

 

「はい」

 

 

 そそくさ布団へ潜り込もうとし、できるだけ女子との接触面を少なくしようと試みたが、駆逐艦'sのタッグに失敗した。

 仕方ないので、一番最初に真ん中へ陣取り、レーベが左隣、マックスが右隣へと。

 横になって布団をかぶり、「消灯」と大きめな声で呟くと、音声認識システムが灯りを消してくれる。

 あー。これでようやく眠れる……。

 

 

(……わけ無いじゃん!? よく考えろよバカか自分!?)

 

 

 右手にはクール系美少女、左手には素直系僕っ娘が寝てるとか、どういう状況!?

 吐息や身動きが生々しくて、とてもじゃないけど寝れる気がしませんよ!?

 つーか、年頃の婦女子と同衾するもの初めてなんですが!?

 うがぁぁぁ!! 浸水が広がっていくぅぅぅ!!!!!!

 

 

「お布団で寝るのって、なんだか変な感じだね」

 

「ええ。天井が高く感じるわ」

 

 

 ドキバクな心臓の音が聞こえるわけもなく、緊張を強いる原因たちは、両の鼓膜を揺さぶってくる。

 このままではマズいと判断した自分は、気を紛らわすために会話へと参加した。

 

 

「や、やっぱり二人は、ベッドの方が好きだったりするか?」

 

「ん~……。どうかな。ベッドも嫌いじゃないけど……」

 

「安眠できるなら、どちらでも良いかと。布団も、悪くはないと思いますが」

 

「……まぁ、自分だってこだわりは無いけどさ。でも、枕が変わると寝れなくなるってよく言うな」

 

「確かに。眠りの質は、半分が枕で決まるそうです」

 

「うんうん。僕はやっぱり、フカフカなのが好きだな」

 

「そうか? 自分は蕎麦殻派なんだけど……」

 

 

 思いの外、寝物語は弾む。

 枕の話に始まり、夕食の感想や群像くんたちの騒ぎ様。食べてみたい料理など、題目が尽きない。

 しかし、不意に途切れたあと、部屋には静寂が訪れる。

 居心地が悪いようでいて、壊すのを憚られるような、奇妙な静かさ。

 あれほど浮ついていたのに、いつの間にか眠ってしまいそうな、不思議な感覚。

 

 

「……ねぇ、提督」

 

 

 それを破るのは、レーベのささやき声だった。

 

 

「今日一日、色んな事があったけど……。僕たちの事、まだ思い出せない?」

 

「………………」

 

 

 どう答えようかと、天井を見上げて少し迷い。

 結局、思ったままを口にする。

 

 

「正直に言えば、まだ実感が湧かない。自分がここで暮らして、ここで戦っていたという実感が。まるで、夢でも見ているみたいだ」

 

「そんなはずありませんっ。私はここに居る。私たちはここに居るわ。夢なんかじゃ……っ」

 

 

 よほど心外な答えだったのか、マックスは身を起こし、切実な表情を見せた。

 クール系かと思いきや、中身は案外、熱くなりやすいようだ。

 少なくとも、こんな表情を見せてくれる程度には、想われている。嬉しく感じるのだが、更に言い募ろうとする彼女を、自分は手で制する。

 

 

「まだ途中。最後まで聞いてくれ」

 

「……すみません」

 

 

 先走ってしまったと悟り、バツが悪い様子で枕へ墜落するマックス。

 なんだかおかしくて、小さく笑ってしまう。

 

 

「夢みたいではあるんだけど……。でも、確信できた事もあるんだ」

 

「それは、何? ……って、聞いてもいいのかな」

 

 

 今度はレーベが身を起こし、自信無さげに問いかけてくる。

 不安そうに揺れる前髪の高さが丁度よくて、左手でそれをすくい上げた。

 

 

「君たちが、自分の船だってこと。自分はみんなを信じていた。君たちも信じてくれている。

 たとえ覚えてはいなくても、自分たちは確かに仲間だった。一緒に過ごして、そう感じたんだ。

 ……勘違いじゃないと、嬉しいんだけど」

 

 

 似たようなことを、“みんな”へ何度も言っているはすだが、どうにも慣れず、照れ笑いでごまかす。

 彼女たちには、どう映ったのだろうか。気になるけれど、気にしないことにする。

 窓から差し込む月光が。

 見下ろす笑顔と、並んだ笑顔。二つを照らしていたから。

 

 

「うん。勘違いなんかじゃ、ないよ。僕たちは、提督の船で……」

 

「私たちは、貴方を信じています。勘違いなんかじゃ、ないです」

 

「……そっか」

 

 

 言葉にされて、なお恥ずかしくなってきた。

 素知らぬ顔で目を閉じても、もう静寂を感じる事は無い。

 距離は変わってないはずなのに、二人の呼吸が、より近づいたように思える。

 

 

「……ぃしょ」

 

「お、おい、レーベ? 何を……」

 

 

 ……いや、物理的に近づいてる?

 なぜかレーベは布団の中に潜り込み、こちらの左腕を押し上げながら元の位置へ。

 頭が二の腕に乗り上げ、強制腕枕状態だ。

 小悪魔は「えへへ」と微笑む。

 

 

「いつもはこんな事しないけど……たまには、良いよね。提督だって嫌じゃないでしょ」

 

「……嫌だって言ったらどくのか?」

 

「んーん、どかない」

 

「おぉい」

 

「えへへ……」

 

 

 自信たっぷりな小悪魔が、また笑う。腕枕へ頬をこすりつけて、満足そうである。

 こんな顔されたら、嫌だなんて言えるはずもない。反対側のマックスとも、苦笑いを浮かべ合う。

 

 

「……ね、提督……」

 

「ん……?」

 

「僕、さ……。ずっと、遠慮してた……の、かも……」

 

 

 眠気を覚え始めた脳に、同じく眠そうなレーベの声。

 うつらうつらと、まぶたを何度も閉じながら、彼女はささめく。

 

 

「記憶を、無くしても……。提督はやっぱり……提督、で……。僕は、提督の船、で……。それがとても……嬉し、くて……」

 

 

 嫌でも共感してしまいそうな、強い実感の込められた響き。

 胸板へ乗せられた手が、くすぐったさを加速させる。

 

 

「だから、ね……? もう、ヴェールヌイに遠慮するの……やめようって、思うんだ……」

 

「え。ヴェールヌイ?」

 

 

 変な気分になるのを我慢してたところへ、予想もしてなかった名前が飛び込んで来た。

 思わず問い返すけれど、レーベはとろけた笑みを浮かべるのみ。

 

 

「僕……負け、ない……か……ら……。すぅ……」

 

「あ、おいレーベ……。寝ちゃったよ……」

 

 

 そしてそのまま、彼女は完全に寝入ってしまった。穏やかな寝息を感じる。

 今のって……どう控えめに考えても、告白だよな。え、マジで?

 おいおいどうすんだよ、知らん内に“こっちの自分”へのフラグ立てちゃったのか?

 そりゃあ、自分にとっての“あの子”が、“こっち”では響――ヴェールヌイなんだとしたら、特別大事にしているだろう。

 だろうけどもっ……嘘だろ? ぼっくり……じゃないビックリし過ぎて、嬉しいんだけど素直に喜べない!?

 

 

(な、なぁマックス。どう、どうしよう。今の――痛っ!)

 

(私に聞かないで)

 

 

 しどろもどろに対面へ顔を向けても、右手をつねられるだけ。

 なして君まで拗ねた顔しとるですか?

 ムスッとジト目で睨まれても、困ってるのはこっちなんですよ?

 

 

(……ふぅ。いいわ。レーベがそのつもりなら、こちらにも考えがあります)

 

(あ、ちょっとぉ!?)

 

 

 すがるつもりで見つめていたら、マックスまで布団へ潜り込み、右腕でも強制腕枕が発生してしまう。

 彼女の手はお腹のあたりに乗せられ、どこにも逃げ場が無くなった。

 

 

(……マックスさん。あの、これじゃ身動きが取れない……)

 

(レーベは良くて、私はダメなんですか)

 

(そうじゃないよ!? そうじゃないけどもさ!?)

 

(なら黙って。……私にだって、意地くらい、あるんですから)

 

 

 若干、赤く染まったようにも見えるほっぺたを押し付け、ムッツリまぶたを閉じるマックス。

 身体の密着度も増し、寝ぼけたレーベは足まで絡めてきた。

 なんだこの状況。なんだこの状況? 何をどうしろってんだ今の自分にっ?

 こういうのも両手に花って言うんですか!? 確かに左右から良い匂いが薫るんですけどねぇー!?

 

 

(早いとこ眠りについてくれ自分……っ。もしくは早く目覚めてくれ自分っ。バイタルパートのHPはもうゼロなのよ! 誰か何とかしてくれぇぇえええっ!!)

 

 

 全身をかつてないほど緊張させつつ、天に向かって邪念を迸らせる。

 しかし、満月はニヤニヤと見下ろすばかり。

 悩ましい夜が、亀の歩みで更けていく……。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「失礼します……なのです」

 

 

 控えめなノックの後、これまた控えめに呼びかけながら、電は静かに仮眠室のドアを開けた。

 

 

「司令官さ――あ」

 

「ぐー……。くかー……」

 

 

 朝日の差し込む、こじんまりした部屋。

 真っ先に目に入ったのは、壁に沿うベッドで眠りこける、提督の姿だ。

 よほど疲れていたのか、両腕を投げ出し、高いびきをかいている。

 電はクスリと笑い、備え付けの椅子へ腰掛けると、その寝顔を眺め始めた。

 

 

(少し前まで、毎日寝顔を見てたのに……)

 

 

 思い出してしまうのは、まだ二人きりだった、あの頃。

 寝起きは良い提督だったが、ときどき夜更かしをして寝坊するため、毎日起こしに行くのは欠かせない。

 現在でも、その日の秘書官が行う、最初の仕事と認識されているくらいだ。

 ほんの半年ほど前まで、それは電だけの。電だけに許された、特権(おしごと)だった。

 

 

(まだ、誰も来ない……ですよね?)

 

 

 キョロキョロ辺りを見回し、ついでに廊下まで確かめて、なんとなくドアの鍵を掛ける。

 徐々に鼓動が高まり始め、それを落ち着かせようと、椅子へ座り三十秒。

 我慢しきれないほど顔は熱く、緊張で小刻みに震えつつも、ベッドに身を乗り出す。

 

 

(……っ)

 

 

 何をしようとしているのか。彼女自身、分かっていない。

 ただ、なんとなく。

 なんとなく、彼の顔を近くで見たくなったのだ。

 理由なんてどうでも良い。……ような、気がする。

 

 

(あ、まつ毛が抜けちゃってる、のです)

 

 

 それなのに何故、こんなに息苦しいのだろう。

 喉が渇き、頬が熱くて。

 触れたくて、仕方ないのだろう。

 

 

「……司令官、さん……。寝てます、か?」

 

 

 答えは無い。

 寝ている提督からも。小さな胸を苛む衝動にも。

 無理やり見つけるのなら、戦いのせいだ。

 大きく、辛く、悲しい……戦争の。

 耳の奥に残る、祈るような彼の、声のせいだ。

 

 

(でも、こんなこと……。ダメ……なの、に……)

 

 

 こんなことって、なんだろう。

 あと十cm。

 ダメって、なんでだろう。

 五cm。

 ベッドが、軋む。

 一cm。

 

 

「――やめてくれ、レーベ……。耳は――」

 

「ひぅ!? ごめんなひゃいっ!?」

 

 

 ズザザザッ、と。電は超反応で距離を取る。

 理由は分からないまでも、なんとなーく後ろめたい気分が、謝罪の言葉まで引き出した。

 が、「やめろ」と言ったはずの提督は、どうしてだか起きてこない。

 

 

「……あれ? 寝言、なのです、か……?」

 

 

 見れば、まだ夢の中に居るようだった。

 先ほどまでと違っているのは、何やら嬉しそうに苦しんでいる表情だ。

 嬉しいのに苦しいという例えも変だが、そう見えるのである。ほんのりイラっとするのは何故であろうか。

 ともかく、彼は何某かの寝言を喋り続けている。

 それが妙に気になって、電は耳を側立てようとまた顔を近づけ――

 

 

「……総員退艦っ、理性が沈む――んゴッ!?」

 

「いひゃう!?」

 

 

 ――急に起き上がってきた提督と、額を正面衝突させてしまう。

 ゴイン、という鈍い音がした。

 直前に不穏な単語も聞こえたと思うのだが、久方ぶりのごっつんこで記憶が飛んでいる。

 

 

「うぉぉおぉ、な、何事だ……。頭が割れるように痛い……」

 

「そ、それは電のセリフ、なのですぅ……」

 

「……電。……電? えっ、あっ、ごめん!? 大丈夫かっ」

 

 

 ベッドの上と、仮眠室の床。二箇所で同じように頭を抱える二人。

 涙目なのも同じだが、一足早く復活したらしい彼は、飛び起きてへたり込む電の側に。

 気遣う指が赤くなった額と髪を撫で、くすぐったい。

 

 

「あぁぁ、こんなに赤く……。でも、なんでこんな事に? 自分、普通に寝てたと思うんだけど……」

 

「そ、それはっ……えと……ね、寝言が、あの、気になって……」

 

「あ、なるほど。ホントにごめん。

 何か、凄く変わった夢を見てたような気がして。よくは思い出せないんだけどさ。

 ものすっごく危なかったような、惜しかったような――ん? 電?」

 

 

 顔の前で手を合わせ、必死に謝り通す提督。

 しかし、ふと何かに気付いたようで、首をかしげる。

 なんだろう? と電も。

 

 

「……なぁ、電。今って何時?」

 

「え? えっとですね……。○七○○、なのです」

 

 

 冷や汗をかきながらの問いに、彼の背後にある壁掛け時計を見てそう答える。

 細かな情報を付け加えると、双胴棲姫との戦いからは丸一日が経過し、出撃していた艦隊も全てが佐世保へ帰投していた。

 横須賀からの資材運搬まで手配済みであり、それを使った高速修復の真っ最中でもあった。書記を務める少女の、先見の明である。

 ……そういえば、彼の居場所を彼女に質問した際、「仮眠室でお休み中です……」と、少しばかり落ち込んでいた。これも何故だろう。

 電が首をひねっていると、彼はおもむろに頭を抱え出す。

 

 

「嘘だろ……。君がここに居るって事は、丸一日近く寝てたのか? なんで起こしてくれないんだ書記さん!?

 帰ってくるまでにプリンとか御飯とか作りたいって……言ってねぇよ自分のバカぁ……すみませんでした書記さん……」

 

 

 天を仰いで憤るも、途中で己の失策に気づき、提督はベッドへ倒れこむ。

 この二人はあずかり知らぬ事だが、書記の少女も、繰り返し起こそうとしたのだ。

 しかし、どんなに揺さぶっても、どんなに声をかけても、「あっ、あんな所に中破した扶桑さんたちが!」と嘘をついても、全く微動だにしなかったのである。

 心配になり医者を呼んでみたけれど、診断結果は“ただ寝てるだけ”。

 仕方なく、テコでも起きそうにない彼を放り出し、起きたら使うであろう食材の手配に回った。負けた気分だった。

 

 そんなわけで、この場に居ない書記の少女は、地味に落ち込んでいたりする。電が来た途端に起きたと知れば、ますます塞ぎ込んでしまうやも……。

 だが、上で言ったように、この二人にはあずかり知らぬ事。

 目の前で黄昏れる提督を慰めるべく、電は慌てて言葉をかける。

 

 

「あのっ、大丈夫なのですっ。電は、一番最初に修理が終わったから、様子を見に来ただけで。他のみんなはまだドックに……」

 

「……そうか。まだ時間はあるんだな? よしっ、急いで準備しよう! あれ、上着どこ行った……もういいやっ。行くぞ電!」

 

「はわっ、し、司令官さんっ!?」

 

 

 そのおかげか、提督は目に力を取り戻し、すっくと立ち上がった。

 キビキビした動作で身支度を整え――ようとして早速つまずき、時間を惜しんだ彼は、そのままの格好で部屋を飛び出す。呆然とする電の手を取って。

 訳も分からず走るハメになった彼女は、けれど、いつの間にか笑顔を浮かべ、見慣れた背中を追いかける。

 あぁ。やっと帰って来たんだ、と。平穏を実感しながら。

 

 

(……でも、レーベって“誰”のことなのかな……。後で聞いてみよう、なのです)

 

 

 そして、奇妙な引っ掛かりを覚えた、“名前”と直感する単語の正体を、いつか問いかけてみようと。弾む心に決めながら。

 これがのちに、上着へ入れっ放しだった財布の行方と共に、大きな波乱を起こすのだが……。

 ここでは、語らないでおこう。

 

 更に、彼女たちのあずかり知らぬ事実が、もう一つ。

 横須賀鎮守府。桐林艦隊の物置小屋にて。

 そこでは人知れず、四つの“ある物”が新規に置かれていた。

 黒に近い灰色と、迷彩柄。加えて、「Z1」「Z3」と刺繍された、見覚えのないはずの、軍帽が。

 彼らがこれに気づくのも、まだ先のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちょっと、コンゴウ。何よこの……深海からの物体Zは?」

 

「失礼な表現をするな、タカオ。なに、先日の成功を受けて、料理に目覚めてな。

 さぁ、食すがいい! ウェールズ直伝のイギリス料理だ! 試食したマヤはこんなにも喜んでいるぞ!!」

 

「カーニバルダヨーカーニバルダヨーカーニバルダヨー」

 

「お、おい。壊れているように見えるのは私だけか? おいっ!?」

 

「これが、メシマズ……。人間関係を最も効率よく破壊する、最終兵器……。タグ添付、分類、記……録……。あ、もうしてあった……ぐふっ」

 

「……意識が……きゅ~そく……せんこ~……」

 

 

 

 

 




 設定がよく分からなかった方への解説ー!
 今回のお話は、完全なif世界での出来事です。
 もしも、筆者的艦これ世界とアニメ版アルペジオ世界が融合したら。
 もしも、アルペジオ側の主人公である千早群像が、体制側に残る事を強いられていたら。
 もしも、新人君と同じ特異性を持つ能力者がもう一人居たら。
 こんな感じで再構成した世界の一部分を、なぜか垣間見てしまった……という形です。深海からの物体Zが原因じゃないですかね?
 ちなみに、この世界での新人君――大佐くんは、桐生提督ポジだったり。
 しばらくしたらアボーンして、裏からちょっかいを掛けるようになるでしょう。
 ドイツ艦たちの本登場は第四章となりますので、今後に御期待下さい。



「ん~? あれー、どうしたの? こんなとこで座り込んじゃって……あぁ! その子……」
「あっ、那珂さん。ご、ごきげんよう。あの、どうしましょう? このままだと、お仕事がちゃんとできないです……」
「むむむむむ……。これは由々しき問題だね……。よっし、那珂ちゃんにドンと任せちゃって! 絶対なんとかしてあげるから!」

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