新人提督と電の日々   作:七音

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「Attention Please! いきなりGerolsteinerな描写がありマース。お食事中な方はBe Curefulデース!」
「おぉ~、CAさんみたいですよお姉さまっ。格好良いですっ」
「でも、ゲロルシュタイナーな描写って、一体なんでしょうか? お水?」
「まぁアレです。カタカナにした時の頭二文字だけ抜き取れば分かるでしょう。とにかく、そういうことでよろしくお願いしますね」


新人提督と生け贄の羊

 

 

 

 

 あれはなんだ。なんだったんだ。

 わたしは何を見た。なぜわたしにだけ。

 お前たちはなんなんだ。伊吹、きみは――

 

(以降、判別不能)

 

 

 桐竹随想録、その元となった手記より抜粋。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ゆらゆら、ゆらゆら、と。

 世界は拠り所なく彷徨っていた。

 上下の感覚もあやふやに、水平線は右へ傾き、左へ傾き。

 地震に揺られているが如く、平衡感覚は乱れ、立っているのがやっとの状態。

 そんな中、自分は――

 

 

「新人君はいこれっ。新しいエチケット袋!」

 

「あ、ありがとうございまおろろろろろろろろ」

 

「よーしよーし。スッキリするまで出しちゃおうねー」

 

『おいバカやめろ、吐いてるとこカメラに映ってんだよ! 俺まで気持ち悪くなるだおろろろろろろろろ』

 

 

 ――堪えきれず、胃の中身を盛大にぶちまけた。

 膝をつき、背中をさすってくれる先輩の優しさも手伝って、エチケット袋はみるみる重くなって行く。

 そんな光景を直視した為か、視界の端に置かれたPCの中では、棒人間がorzの体勢で虹色の液体を吐き出している。

 芸が細かいなぁ……。おえっぷ。

 

 

「大丈夫かい? まさか君が飛行機に弱いとはね……」

 

「自分でも、ビックリです……。艦載機制御のときは、全然へっちゃらだったんですけおろろろろろろろろ」

 

 

 横須賀を飛び立って早二時間。ここは、佐世保鎮守府の埠頭近くにある緊急用ヘリポート。

 本来はヘリコプター専用の発着場だが、垂直離着陸(VTOL)機能で無理やり着陸している。移動の手間も省けて一石二鳥なのだ。

 しかし、一番の問題は自分の体調。

 すでにジェット機を降りた今でも、まだ空を飛んでいるような感覚が、三半規管を襲っている。つまりは、酔ってしまったのである。

 酒も飲んでないのに吐いたの、何年ぶりだろう……。

 

 

「――ぶぁ、はぁ、ふぅ……。ちょっとだけ、楽になりました……」

 

「ん。それは良かった。間桐提督、さっきから静かですけど、大丈夫ですか?」

 

『ウルセェ……。片付けてんだからほっとけやボケが……』

 

 

 画面の中に、同じポーズのまま雑巾掛けをする棒人間。

 意外と律儀……というか、神経質? 貰いゲロするあたり、繊細なのかもしれない。

 

 

「ホント、すみません……。せっかく出迎えてくれたのに、こんな……」

 

「いやいや、気にすることはないさ新人君。まぁ、開口一番のネタを言う前に潰されたのは悔しいけど、こればっかりは体質だ。仕方ないよ。

 それに、君の体液ならどんなものでも喜んで受け止めるさ! たとえそれがナイアガラ・ストマック汁でもね!」

 

「それはそれで怖いからやめてもらえます……?」

 

 

 肩を借りてなんとか立ち上がると、先輩は爽やか笑顔でそんなことを言う。

 どうしてこんなに好かれてるんだ? 自分だったら御免こうむるわ……。

 とは思うものの、疑問を口に出す元気もなく、身体を支えられて格納庫へ。

 

 

「何はともあれ。佐世保へようこそ、桐林提督。

 早速、現在の状況を把握して欲しいところなんだけれど……。

 まだ辛そうだね。少し横になろうか。はーい楽にしてー。あ、仰向けは駄目だよー」

 

「子供扱い、しないで下さい……。うぷっ」

 

 

 おそらくはこれも緊急用だろう、ストレッチャーに横たわり、雑多な庫内を斜めに見やる。

 近くの木箱にPCが置かれ、最後に先輩が、どこからともなくウェットティッシュを差し出してくれた。

 ちなみに、棒人間さんはまだ掃除中。よっぽど派手にぶちまけたらしい。

 

 

「さて。そのままでいいから聞いて欲しい。現在時刻、一四三五。すでに対偽島作戦は始動しており、桐ヶ森提督と桐谷提督が威力偵察に赴いている。

 第一次防衛線は、沖縄から二百マイル東の地点にある島――南大東島。そこへ佐世保の通常艦隊が向かっているよ。

 第二次防衛線は高知の足摺岬から南に百七十マイルの地点。鹿屋(かのや)・岩川両基地から出発する傀儡航空部隊が、呉の援軍と共に空爆を予定しているんだ」

 

『ケッ。雑魚共の空爆がなんの役に立つんだかな』

 

「おや、お片づけは終わったんですか大佐。駄目ですよー、いい歳して粗相なんかしちゃ」

 

『その言い方だと漏らしたみてぇじゃねぇか! ってぇか誰のせいだと思ってんだクソがぁああっ!?』

 

 

 濡れ雑巾を投げつけ、地団駄で地面をひび割れさせる間桐提督の棒人間。前もそうだったが、やはり実害はないので、見ている分には楽しい。

 この時代、空軍の影は非常に薄くなっていた。

 それというのも、傀儡艦に空母という艦種が存在し、一人の人間が數十機の編隊を制御、統制できるからである。

 人間が生身で乗る航空機と、遠隔操作で操る航空機。失うものの大きさは、比べるべくもないだろう。

 他国はどうだか知らないが、日本の空軍は解体寸前まで縮小され、国土上限定の足として存在を許されている。

 あまりに人員が少なくなってしまったためか、七割が能力強度の低い能力者で構成されていた。生身で航空機を操縦できる人間は、もはや全国で十に満たない。

 自分をここへ連れてきてくれた彼も、その数少ない一人。傀儡能力者が、空軍のお株を奪ってしまったのである。

 しかし、空の男たちはこの程度で腐らなかったようだ。

 

 

「復活の芙蓉部隊……。噂に聞く、空の侍ですか」

 

「うん。いやはや、彼らは凄いよ。割り当てられたわずかな燃料を遣り繰りし、かつての芙蓉部隊と同じく、飛ばない飛行訓練に努めた。

 それに、長く経験を積んだ使役妖精は、見えないまでも能力者をサポートしてくれる。桐ヶ森提督が使う航空機の一部は、彼らが育て上げたんだよ」

 

 

 制御の完全移譲が可能な航空機は、たとえ励起された後でも使用者を選ばない。

 そして、より長く、より多くの時間を空で過ごした妖精さんなら、限界を越えた性能を発揮できる――成長するのである。

 増幅機器も与えられず、鳥籠のような安全領域のみの飛行でも、彼らはたゆまぬ訓練を積み重ね、ついには“桐”のお眼鏡に適う、特殊機能を持つ傀儡航空機を産み出したのだ。

 

 彗星一二戊型。

 エンジンをアツタ三二型に換装し、偵察員席後方へと二十mm機銃を追加した、夜間戦闘機である。

 本来、こういった戦闘機が真価を発揮するためには、熟練したパイロットが必要となる。その代わりを務めるのが、先ほどの成長した妖精さんというわけだ。

 かつて、第五航空艦隊の司令部が置かれたのが鹿屋基地であり、岩川基地は芙蓉部隊――彗星を駆る夜襲専門部隊の拠点となっていた場所。

 数奇な運命の中で、かの戦闘飛行隊も、新たな時代に復活を遂げているのだった。

 

 

「そして、最終防衛線が宿毛湾泊地。

 “ひかり”に増幅機器と中継機を持ち込んで、傀儡艦と現代艦の混成部隊を指揮しつつ、敵を待ち構えている。

 吉田のお爺さまが守る、まさしく最後の砦だね」

 

「増幅機器を? ……あ、そっか。傀儡艦じゃないんだから、問題ないんですよね」

 

 

 傀儡艦に増幅機器を持ち込むなんて、普通なら自殺行為……というか、出撃すらできないが、“ひかり”は通常の船。最新鋭の装備を搭載可能だ。

 旧時代の船が守り、新時代の船が道を切り開く。

 あの時代を生き抜いた中将だからこそできる、傀儡制御と通常戦闘指揮の両立。これで駄目なら、人類は為す術を失うだろう。

 

 

「でも、こんなに戦力を集中させてしまって、大丈夫なんでしょうか。十年前みたいなことには……」

 

 

 しかし、気がかりなことも出てきた。

 “桐”を四人。中将と“ひかり”。おまけに芙蓉部隊。

 まさしく総力戦といった様相を呈しているが、あまり好ましいことではない。

 戦力を一箇所に集中すれば、その分、他方面への対処は難しくなる。十年前の大侵攻では、それが原因で甚大な被害が出た。

 用心しておいた方が良いのでは……? なんて思っていると、先輩は「ふふん」と得意気な顔で補足してくれた。

 

 

「問題ないさ。大湊は中将の感情持ちである四航戦――伊勢(いせ)日向(ひゅうが)が守っているし、舞鶴には雰囲気ブサメンが居るからね。

 特に後者は、桐谷提督に匹敵する艦船保有数を生かして、各方面に部隊を配置。

 いざという時は防衛戦に徹するらしい。まぁ、腕は信じて良いんじゃないかな」

 

「雰囲……え? なんですかその造語。というか誰のことですか」

 

 

 歴戦の航空戦艦に安心したと思ったら、変な言葉が耳に入って首を捻る。

 雰囲気イケメンっていうのは聞いたことあるけど、その逆?

 

 

「梁島提督。聞いたことないかい。海上護衛を専門にこなす、鉄壁の二つ名持ちだよ」

 

「ああ……。提督カレンダーに毎年出てる人ですよね。すんごい男前でしたけど……」

 

 

 海軍の広報部が作る能力者グッズの一つ。提督カレンダー。

 隔月刊・艦娘と同じ部署が担当なだけあって、多種多様なイケメン&美女提督の、あられもない姿を捉えている一品だ。

 それに、顔を晒すだけあって、男の自分でも羨ましいくらいの美形だった。

 実力も折り紙付きのはずだが、しかし、苛立ちの鼻息を「むんすっ」と蒸かす先輩。

 

 

「はっ。どんなに顔面が整っていようが、醸し出す雰囲気のせいで近寄りたくもなくなるんだ。だから雰囲気ブサメンなんだよ。

 たぶん君は会うこともないだろうけど、むしろ会わない方がいい。不愉快になるだけさ」

 

『そういや、そんな野郎も居たっけか。何回か演習もしたはずが……覚えてねぇってことは雑魚だったんだろ。何が鉄壁だかな』

 

「うーん……。先輩は出ないんですか?」

 

「残念ながら、私もやなっしーと同じで後方の守護。佐世鎮にお留守番さ。

 全く、自分のオールマイティーさが恨めしいよ。対みたいに扱われちゃって、あーやだやだ」

 

 

 よっぽど嫌いなのだろう。手のひらを空に向け、アメリカンなやれやれポーズ。

 自分が聞いた話では、今まで護衛対象に損害を負わせたことが微塵もなく、AI関係の博士号まで持つ智将……らしい。間桐提督との相性は最悪だ。

 確か、大侵攻に対抗する桐竹氏を送り出したとかで、ドキュメンタリー番組の主役になってたのを、テレビで見た覚えがある。誰が見ても嫌々だと分かる顔で通したのは、ある意味すごかった。

 軍人という言葉が服を着て歩いているような、そんな印象だったけど、だからってこんな……。

 

 

「間桐提督はアレですけど、先輩がそんな風に言うなんて珍しいですね。何かあったんですか?」

 

「………………」

 

『オイ、アレってなんだ。どういう意味だこのロリコン。……無視すんじゃねぇ!』

 

 

 湯気を立てる棒人間はさておき、発した質問に、先輩は表情を消してしまう。

 一瞬だけ垣間見えたのは、哀れみだろうか。それとも後悔?

 もしかして自分は、先輩の隠れた傷をえぐろうとしているんじゃ――

 

 

「気になる? 気になっちゃう? 気にしてくれるんだ? うっれしいなぁ、これはフラグが立ったのかな! お姉さん張り切っちゃうぞう!」

 

「あ、もう答えなくていいです……」

 

『……ケッ、くだらねぇ』

 

 

 ――という心配も、ウキウキ笑顔と妙なポージングで爆破された。

 ただ単に馬が合わないだけか。先輩と梁島提督とじゃ、きっと性格は水と油だもんなぁ。

 はぐらかされた気もするけど、個人的な疑問は後回しにしよう。

 だいぶ気分も良くなったので、「よっ」と勢いをつけて起き上がり、ついでに質問も仕切り直す。

 

 

「それで、自分がここへ呼ばれた理由はなんなんでしょう。こんなに急がせたってことは、重要なことなんですよね」

 

「もちろん。じゃ、そろそろ移動しようか」

 

 

 PCを抱える先輩にうながされ、お馴染みの移動用カートに乗り込む。

 格納庫を出て向かう先は、ドックのようだ。

 ちなみに、PCは後部座席の真ん中でシートベルトを着けている。中の棒人間も。

 ここまで来ると職人技だ……。何パターンあるんだ棒人間アニメーション……。

 

 

「桐生提督が残した記録映像は覚えているかい」

 

「……はい。キスカ・タイプ、ですね」

 

 

 打って変わり、低いトーンの問いかけ。

 顔を引き締めながら答えれば、一つ頷きが返される。

 

 

「あれに映っていた巨大な人影。

 我々は、あれが深海棲艦側の統制人格であると判断し、その巨体から、本体である艦船も相当な大きさだろうと推測した。

 対抗するには、最低でもビッグセブンの大口径砲が必要となる」

 

「でしょうね……。それでも撃ち抜けるかどうか……」

 

「ま、やりようはあるさ。同調率を犠牲にして、最新型の成形炸薬弾でも使えばいい。もっとも、かなりの大型弾頭が必要だろうけど。

 そこで、吉田のお爺さまからのお達しさ。君にも長門型を励起してもらう。かねてからの約束を果たす意味でもね」

 

「約束……。あっ、そういえばそんな約束してましたっけ」

 

 

 いやー、いけない。すっかり忘れてた。

 あんな煽られ方されて、間桐提督の鼻を明かすのが、作戦の主目的になっちゃってたような。

 全裸逆立ちは嫌だったし。そもそも逆立ちができないし。

 

 

『オイ、どういうことだテメェ。こちとらこの状況で、必死こいて改装作業続けさせてんだぞ。つーかなんでたどり着くんだよ! 空気読めや!』

 

「どうして任務を果たしたのにキレられなきゃいけないんですか!?」

 

 

 ポリポリ頭をかいていると、後ろから「ピィーッ」と効果音入りのツッコミが。

 こちらも反論するが、怒りマークをつけた棒人間は、髪型をモヒカンにして腕を振り回している。

 ……怒髪天を衝く、を表しているんだろうか? 先輩は大笑いだ。

 

 

「はっはっは、本当に捻くれてますねー、間桐提督も。……あの談合が終わった直後から用意してたくせに」

 

『ウブォラァァアアアッ!!!!!! 有ること無いこと言ってんじゃネェぞゴラァアア!?』

 

 

 あ。スーパーサ○ヤ人になった。

 古典アニメなのに、よく知ってるなぁ。

 ちょっと親近感が湧いてきたぞ。

 

 

「ええっと……。実は良い人?」

 

「そうなんだよ新人君。でもこの人は凝り性でねぇー。

 いざ改装作業を始めたら、これじゃあバランスが悪い、あの野郎がヨンロク単を使えるわけがねぇ、とか言い出してね?

 整備班と実際の指示出しする私はてんやわんやさ」

 

『アァン? ったりめぇだろうが。この俺が用意する長門型だぞ? 最高の一品に仕上げねぇでどうすんだ。

 それに、四十六cm単装砲は狙撃砲。感情持ちの照準に頼ってる野郎が撃っても当たるわけがねぇ。だったら別のモン載せなきゃならんだろうが』

 

「別の物?」

 

 

 話と共に、カートは進む。

 艤装作業を行うための大型クレーンと、乾ドックでそれを受けていただろう、大型艦船が遠目に見えた。

 

 

「さぁ、見えてきたよ。あれが……」

 

 

 先輩がアゴで示す間にも、その影はどんどん大きくなっていく。

 ここまでくれば間違え様がない。

 排水量、約三万九千。二百二十九・九四mの全長は、姉妹艦よりも○・四四mだけ長く、速力は二十五・三ノット。

 八八艦隊計画の第一陣として完成し、イギリスのネルソン級戦艦一番艦ネルソン、同二番艦ロドニー。アメリカのコロラド級戦艦一番艦コロラド、同二番艦メリーランド、三番艦ウエストバージニアと並ぶ、四十一cm砲を装備する七隻のうちの一隻。

 ――戦艦、長門。

 だが、記録写真に残るその姿と、ここにいる彼女とでは、ほんの少し差異が見受けられた。

 通常であれば、連装砲として二つの砲身が並べられているはずが、三つ。

 

 

「……あれ? あの砲塔って……」

 

「気づいたね。そう、あれが、私と間桐提督が組んで開発した新兵装」

 

『試製 四十一cm三連装砲だ』

 

 

 カートを降り、その威容を間近で確認できるようになると、鳥肌が立つような感覚に襲われた。

 なんだ、この高揚感。格好良いってだけじゃない。

 今、目の前にあるコレが、自分の手で息衝くようになる。

 鉄のパイプを血管に。オイルを血液に。変速機を心臓にして、命を帯びるのか。

 ……ゾクゾクする。

 

 

『もともと、戦時中に開発計画があったモンだが、まぁ面倒臭ぇ理由で頓挫した。それを俺が解析して完成させた代物だ。これで、素の火力ならタ級に匹敵するはずだ』

 

「実際に図面をひいたのは私なんだけどね。

 いやぁ、間桐提督はエンジニアとしても一流なんだけど、如何せん字が汚くってねー。

 仕方なーく私が解読して、試作にこぎ着けたというわけさ」

 

『ウルッセェな。俺が読めりゃ良いんだよ』

 

「そのせいで誰も作れなかったんですよ? 全く、PCで書いちゃえば良いでしょうに」

 

『ハッ、設計図ってぇのは手書きだから良いんだ。これだからロマンの分からねぇ女は』

 

「あはは……。ん? じゃあ、あの手紙は一体?」

 

『あれは俺の秘書官に打たせたんだよ。改修で忙しかったからな』

 

 

 苦笑いしつつ、自分はウズウズする気分を抑えきれないでいた。

 間桐提督の言う言葉が、妙にしっくり来るのだ。

 浪漫。

 あの戦艦・長門に積まれた試作兵装。

 あぁ、男だったら、これで浪漫を感じずにいられるもんか。

 それが顔に出てしまったのか、先輩はまたクスリと微笑み、棒人間が映り込むPCへ、外付けのアンテナなどを装着し始める。

 

 

「さてさて、話はこのくらいにして。さっそく励起と行こう、新人君。間桐提督、記録をお願いします」

 

『おう』

 

「はい。……はい? え、なんで間桐提督が……」

 

『アァン? 馬鹿か。俺の長門が励起されんだ、見届けねぇでどうすんだよ。

 それに、まだテメェの能力を信用したわけじゃねぇ。

 マジで最初っから感情持ちとして励起されんのか、確認させてもらう』

 

「はぁ……。まぁ、良いですけど」

 

 

 PCの中に居ながらPCをいじるという、ややこしい事をする間桐提督@棒人間。

 手放しで見学モードに入った先輩によれば、「ちゃんと資格持ってるから安心していいよー」とのこと。

 本当に優秀なんだ……。見た目が棒人間だから、正直、侮ってる部分もあったんだけど、普通に尊敬しそうで嫌だ。なんか悔しい。

 

 

『数値正常。いつでも行けんぞ、さっさとやれや』

 

「了解。……ふぅ……」

 

 

 気だるそうな声を背に、深呼吸しながら長門へ近づく。

 いつもと変わらず。力まず、焦らず。

 心を落ち着けて……と精神統一しているところに、今度は切実な祈りが聞こえてきた。

 

 

『貧乳になれ……。貧乳になれ……っ。いや、貧乳じゃなくてもせめて普通に収まれ……!』

 

「間桐提督。こっそり励起した長門がまた貧しかったからって、呪っちゃダメですよ。

 大きさなんて関係ないじゃありませんか。おっぱいは大きさより、色と形と感度です」

 

『ウルセェ黙れバーカ! パッド戦士が偉そうに言うな! バレてねぇとでも思ってんのかァ!? ニセ乳は去れ!』

 

「あっ、い、言いましたね!? よりにもよって新人君の前でっ。こんのモヤシ! ミミズ文字! 素人童貞!」

 

 

 ……祈り? 違うよ絶対。子供の喧嘩じゃねぇか。

 というか、パッド使ってたんですか先輩。どういうことだ、この裏切られた気分は……。

 何やら疲労を感じてしまうが、ここでやめるわけにもいかない。

 自分はゆっくりと右手を上げ、それを翻しながら、呼びかける。

 

 

「来い――長門!」

 

 

 数歩先で光の粒が凝縮し始めた。

 陽光にも負けないそれは、無いはずの重みを感じさせる足取り。

 一つ。また一つと、鮮烈な集合体は大きくなっていく。

 象られた胴体が丸みを帯び、形成される五体のうち、右手がこちらへ。

 ようやく指となり出したそれを、しっかりと握りしめた、まさにその刹那。

 光が、爆発する――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ――爆砕音。

 

 双胴船の胴体は、大きく抉られていた。魚雷が役目を果たし終えたようだ。

 桐谷は「ふむ」と漏らし、口元に満足げな笑みを浮かべる。

 

 

「効いている。いや、むしろ効きすぎるくらいですか」

 

 

 戦闘を開始してしばらく。

 他に随伴艦の姿もなく、易々と側面をとった桐谷の駆逐艦は、見事に酸素魚雷を命中させた。

 現在、双胴船から見て右舷で、睦月型八隻と鈴谷(すずや)熊野(くまの)が砲戦を。左舷で吹雪型六隻が雷撃戦を展開している。同航戦だ。残る最上・三隈は桐ヶ森艦隊の直衛である。

 普通ならこのような、対角線上の展開はしないが、あまりに船体が大きいため、砲も魚雷も外しようがないと、桐谷は判断した。

 それを証明するように、右舷には無数の風穴。左舷には洞窟が幾つも穿たれている。まるで、装甲など施されていないようだった。

 

 

「しかし、これでは意味がない……」

 

 

 だが、続く声は苦々しい。

 普通なら爆発・炎上するか、浸水により転覆しかねない損害を負っても、双胴船はひたすら進み続けている。

 この異常事態を可能としているのは、双胴船の持つ特殊機構――互い違いの船首に隠れる、捕食部位だった。

 

 

「捕食による自己修復能力。……なんて出鱈目な。突破口がまるで見えません。このままではジリ貧だ」

 

 

 一見するとごく普通なそこは、まるでヤゴのように開口し、中から文字通りの触手が顔を出す。

 それに囚われた船は、双胴船の内部へと引きずり込まれ、咀嚼される。溜め込んだ鋼材を使うのか、船体に開いた穴はみるみる塞がっていく。

 すでに、弥生、水無月、東雲(しののめ)薄雲(うすぐも)白雲(しらくも)浦波(うらなみ)が取り込まれた。さすがの桐谷でも、このような行動は予想できず、対応が遅れてしまったのだ。

 痛恨の極みである。

 

 

『言ってる事と口調が一致してないわよ。ちょっとは焦りなさい、よっ』

 

 

 一方、空でも壮絶な格闘戦が行われていた。

 百機を越えるだろう敵艦載機に対し、桐ヶ森が操るは、零式艦戦六二型・爆戦と、局地戦闘機――陸から発進する、航続距離の短い防空用戦闘機・紫電を改良、着艦フックなどを追加した艦戦・紫電改二である。

 飛龍改、蒼龍改の搭載数がそれぞれ七十三であり、飛鷹型改の二隻が六十六で、合計二百七十八機。内訳は爆戦が七十二、紫電改二が百五十四。残る四十四機は艦偵だ。

 

 

「そちらから攻撃するのは無理ですか」

 

『拮抗させてるだけでもありがたいと思いなさい。

 威力偵察だから二軍の艦載機しか積んでないのよ、こっちは。

 こんな事なら芙蓉隊を積んでくれば良かったわ……!』

 

 

 総数では大幅に上回るものの、実際に飛び立っているのは三割程度。強化型の敵機が多く混じる中、制空権は拮抗していた。

 比較的、足の遅い爆戦を敵機が狙う。

 食い止めようと紫電改二で追い払うが、強化型が後ろを取ろうとねじり込み、それを回避するため紫電改二も軌道を変える。

 開いた場所にまた敵機がなだれ込み、あわや撃墜と思われた爆戦だが、主翼を水平線と垂直になるまで旋回させ、あえて失速。

 敵機が追い越したところで状態を回復させ、正確無比な射撃で黙らせる。

 相手の制御系は四つあるのに対し、たった一人の少女が、視界も利かない夜闇で孤軍奮闘しているのだ。称賛に値する手腕であろう。

 

 

「浮遊物からの砲撃、第四波、来ます」

 

「……受けておきますか、一度」

 

 

 調整士からの知らせに、桐谷が予測思考を切る。

 あの浮遊物は、砲撃する際に開口部を対象へ向ける。回避は簡単だった。

 が、その火力については未知数。後続のためにも、把握しておかなければ。

 

 駆逐艦たちに向け、大口が開かれた。

 内側から伸びる無数の砲身は、多段階に伸長。生物のように狙いを定める。

 一瞬の沈黙。

 直後、怒音と共に呪いが打ち出された。

 

 

「着弾を確認。深雪(みゆき)、吹雪、如月(きさらぎ)に至近弾。深雪は大破、如月・吹雪は中破です。三隻とも、航行はまだ可能かと思われます」

 

「精度はそれほど高くはない。けれど威力は戦艦・旗艦種並みですね。おまけに艦載機も制御しますか」

 

 

 砲撃の反動か、大きく後退する浮遊物。

 もしかすれば、アレは傀儡艦における、航空戦艦と同じ役割を持っているのかも知れない。

 とはいえ、宙に浮いているというだけで、回避力は段違いだ。

 船が二次元方向にしか回避運動を取れないのに対し、アレは三次元に動ける。

 まして、撃ち上げるしかない高低差が命中率を下げている今、為す術がない。

 

 

『隙あり!』

 

 

 そんな状況でも動くのが、桐ヶ森である。

 反動で姿勢制御が乱れたと判断した彼女は、一斉に爆戦を浮遊物の一つへ向かわせる。

 だが、急だったため高度が取れない。爆撃は不可能。ではどうするのか。

 

 

『まさか実戦でやるとは思ってなかったけど……。これでも喰らいなさい!』

 

 

 浮遊物と水平に飛ぶ爆戦たちが、突如として錐揉み飛行を開始する。

 複数方向から、空中分解寸前まで加速するそれらを、もちろん敵機は落とそうとするが、紫電改二でうまく阻む。

 やがて、浮遊物と爆戦がすれ違うわずか手前で、二百五十kg爆弾が切り離される。

 慣性の法則に従い、爆弾は放物線を描いて斜めに飛び、“横から”浮遊物へ直撃した。

 

 ――閃光が、十四発。

 

 

「おぉぉ、凄いですね。反跳爆撃ならぬ、錐揉み爆撃ですか。こんな曲芸飛行、初めて見ました」

 

『当ったり前でしょ。私、天才だもの。……ま、落下エネルギーが無いから、外殻を削るのが限界でしょうし、ちょっと気持ち悪くなるのが難点だけど』

 

 

 艦載機の軌道を、実体験と勘違いする三半規管に苦労しながら、桐ヶ森は不敵に笑う。

 今は爆煙で隠れてしまっているが、間違いなく十四発、直撃させた。

 落とせはしなくても、少なくないダメージを与えているはず。

 

 

『……嘘でしょ、無傷!?』

 

「いよいよもって、手詰まりですね。まるで空飛ぶ要塞だ……』

 

 

 ――だった。

 爆煙が内側から払われる。

 ヘコみすら見受けられない浮遊物が、新たに艦載機を吐き出したのだ。

 この場で打てる手は、もう全て打った。

 浮遊物には歯が立たない。まだ双胴船への爆撃は試していないが、上を抑えられては有効打にならないだろう。

 桐谷は決断する。

 

 

「戦艦でもあればまだ選択肢はありましたが、致し方ありません。撤退しましょう。桐ヶ森さん、お先にどうぞ」

 

『ちょっと、待ちなさいよっ。まだやれる事が……!』

 

 

 撤退という単語に、桐ヶ森が「嫌だ」と言わんばかりの反応を見せた。

 彼女にとって、戦闘からの撤退は初めての経験である。

 今まで彼女は、目の前に立ちふさがる敵を、ことごとく粉砕して来た。それが“飛燕”の誇りであり、実績だ。

 しかし、敵に背後を見せたくないという理由で、自らの船を沈ませるほど、馬鹿でもない。理由は他にあった。

 

 

「ありますか? まさか、わたしの傀儡艦に感傷でも?」

 

 

 けれど、桐谷がそれを嗤う。そんな些細なことで、と。

 そう。些細なことだ、この男には。そして、自分の考えは間違っていないと、確信している。

 桐ヶ森も頭では理解していた。だから、沈黙は三秒だけ。

 

 

『やっぱり私、アンタのこと好きになれないわ。腕は認めるけど、アンタには欠けているものが多過ぎる』

 

「これは手厳しい。わたしは貴方のこと、好きですよ。その内に秘めた甘さ、失くした物を見ているようで、とても懐かしい」

 

『……桐ヶ森、撤退するわ。しんがりは任せる。武運を』

 

 

 話すだけ無駄だと悟った桐ヶ森が、早々に船を転針させる。

 撤退を援護するため、艦載機の制御は続けるが、最終的に全て使い潰す。そのための二軍だ。

 あとは、敵の索敵範囲から逃れるだけの時間を、桐谷が稼げばいい。

 

 

「さて。最後の大仕事です。投薬、Aの三からCの一。Eの六も追加してください」

 

「はい」

 

 

 気を取り直し、脳を活性化させるための薬物を投与。桐谷は思考に没入する。

 他の“桐”と違い、彼は傀儡艦と完全同調することがない。

 指示は全て第一強度で行われる。つまり、常に相手の行動を読み、先手を打つ必要があるのだ。

 思考を加速させる薬物は、この時代でも完全に悪影響を排除できなかった。

 使うたびに寿命を縮める代物だが、これも些細なこと。

 

 

(……浮遊物を黙らせなければ、話になりませんか。有効なのは……)

 

 

 まず、捕食しようと伸ばされる、双胴船の触手を無視。駆逐艦の全砲門と、重巡の対空兵装をフル稼働させる。

 当たるわけは無いのだが、当たれば嫌なのは確か。

 敵機の足並みは乱れ、独立して動いていた桐ヶ森の艦載機と組み合わさり、ほんのわずかだが、自由に動ける空白が生まれた。

 そこへ侵入するのは、待機していた鈴谷・熊野の瑞雲、二十機。

 不穏な気配を察したか、浮遊物四基が砲で応戦するも、先に言ったとおり精度は低い。

 悠々と、五機ずつに別れた瑞雲のグループは近づき、そのまま開口部へと――特攻した。

 鋼の悲鳴が、周囲に轟く。

 

 

「敵艦載機制御、乱れています」

 

「うん。上手く行きました。準備は」

 

「受信装置は、取り込まれても数分は機能するようです。いつでも」

 

「よろしい」

 

 

 航空戦と同時に、駆逐艦たちもまた動いていた。

 双胴船の進路を塞ぐようにして、行き足だけで動いている。

 このままでは追いつかれ、また捕食されてしまうだろう。

 だが、そうしてもらわねば困るのだ、むしろ。

 

 

「……よし、食いついた」

 

 

 数分後。微速で進む双胴船の前方艦首が稼働する。

 喫水線辺りで、横にいびつな線が生じ、得体の知れない……煙のような物を吐き出しながら、縦に大きく開かれる。

 更に、上顎に当たる部分が左右へと割れ、内側から触手が現れた。

 植物の蔦にも見えるそれは、最も近くにいた駆逐艦・深雪の船体へ伸び、一瞬で絡め取る。

 三千tはあろう駆逐艦が、持ち上がった。

 ひしゃげるほどの力を加えられ、こちらでも鋼の悲鳴が響く。肉食動物の牙に掛かった、哀れな獲物のようだった。

 

 

「では、これにてお別れです、深雪。あなたの挺身、忘れませんよ。自爆装置、起動」

 

「了解。起動信号、送ります」

 

 

 双胴船が深雪を捕食する。それを見届けて、桐谷は調整士へ命令を下した。

 彼女も慣れた様子で従い、深雪に近い熊野の中継器から、二十四文字の解除コードが電気信号として発せられる。

 受け取った深雪は、わずかな時間を置いて爆散した。

 残っていた燃料、魚雷、弾薬まで誘爆し、双胴船の艦首が吹き飛ぶ。

 

 

「残念、毒入りですよ。悪食といえど、これは堪えましたか」

 

 

 黒煙を上げる双胴船に、桐谷は満足そうに皮肉を放つ。

 彼が傀儡艦と完全同調しない理由は、この特攻戦法にある。

 無機物と魂をつなげる異能――傀儡能力。発動中に自爆などすれば、能力者にも大きなダメージが残る。

 それを防ぐには、動かすのがやっとの、最低限の同調率を維持した上で、自爆させる必要があった。

 全ては、最小のリスクで最大の成果をあげるため。

 事実、双胴船の速度は極端に遅くなった。再生速度も、目に見えて遅延している。

 浮遊物は双胴船から離れようとしない。この特攻戦法を繰り返せば、かなりの時間が稼げるだろう。

 

 

「桐ヶ森さんの撤退。第二次防衛線への戦力配置。そして、桐林殿と間桐殿の出撃準備。

 この時間は貴重な物だ。稼げるだけ稼がせてもらいますよ。……しかし……」

 

「どうかいたしましたか?」

 

「……いいえ。次、如月。接舷して自爆させます。いざ、さらば」

 

「はい」

 

 

 今度は如月の自爆を命じる桐谷だったが、冷徹な思考の裏に、一つの疑問が生まれていた。

 

 

(なぜだ。なぜ砲撃してこない。相手にする価値すらない、ということですか?)

 

 

 双胴船にとって、あの捕食行動がどのような意味をもつのか。

 それはまだ不明だが、もし攻撃的な意味を持つなら、なぜ砲を使わないのだろうか。

 見たところ、乱雑に生える砲塔は、どれも戦艦クラス。しかもあの数だ。弾幕を張ることだって出来たはず。

 なのに、あの船は砲撃を行わない。

 激しい戦闘が繰り広げられているにも関わらず、祈りを捧げる双子もまた、微動だにしない。

 不可解だ。

 

 

「……怖い、ですねぇ」

 

 

 理知の及ばない存在に、桐谷は笑顔を浮かべる。

 本気で恐れていた。

 もっと笑わなくては、と思うほど、恐れていた。

 異常さの塊である双胴船もそうだが、それとは別。

 あの双子を振り向かせたい、と。

 こう思い始めた己自身を、恐れていた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 そこは、まるで映画館のようであった。

 戦場の光景が映る、昔ながらのスクリーン。肘がぶつかり合いそうな狭い席。カラカラと回転する映写機の音。

 旧世代を思わせる作りだが、よくよく見れば、おかしいところが幾つもある。

 まず壁がない。いくら暗いとはいえ、スクリーンの反射で確認できるはずなのに。

 次に、天井がない。恐ろしく天井が高いのだと考えれば、納得できないことはないが、妙だ。

 そして、床がない。席を固定するボルトが打ち込んであるはずの足場も、見当たらない。座席は宙に浮いているようだった。

 あるのは、無限に続く客席と、覗き込めば引き摺り込まれそうな、闇である。

 まともな感性を持っている人間なら、誰もが不安を覚えて然るべき、深淵。

 

 

『相変わらずですね、あの人も』

 

 

 しかし、不意に発せられた声からは、そのような感情を探り当てられない。

 スクリーンの真正面……最も迫力を味わえる位置に、おぼろげな人影があった。

 判然としない暗がりに佇む、白い服の人影が。

 声から判断するに、まだ青年と思しき声の主は、誰かから話しかけられたように後ろを振り向く。

 

 

『はい? あ、いえ。親しいと言えるほどでは。……なんと言いますか。あの人は、根幹に拒絶が根付いているような……』

 

 

 問い掛けだったのか、青年は言いながら思案する。

 と、また別な方向に顔を向け、うなずく。

 

 

『ええ、そんな感じですね。笑顔の仮面を被り、寄って来た肉壁で己を守る。ある意味、人間の見本でしょう』

 

 

 腕を組み、青年が何度も首を振る。

 人間という生き物は、社会性を持つことで繁栄した生物だ。

 地球の覇権を手にしたのも、ただ他の生き物より賢く、器用だったからではない。

 群れることによって数を増やし、増大した数によって己を守ることで、より多くの進化する機会を得たため――とも言える。

 そうであるならば、青年の言う“人間の見本”という言い方は、正しい。

 つい先ほどまで、スクリーンの上で戦っていた男を、表現する言葉としてなら。

 

 

『理由……。又聞きでも? 確か……』

 

 

 また、別の方向を向く青年。

 最初が背後で、次が右だとしたら、今回は左である。

 何もかもが不確定で、ハッキリしない。

 

 

『若い頃、兄と慕っていた分家の人間が、首をくくっているのを見つけてしまったそうで。

 それ以来、笑顔が張り付いてしまった……という噂です。眉唾ですね、そんなタマじゃ無いでしょう』

 

 

 肩を竦めるような口振りだったが、何やら付近の“闇”がざわめく。

 とたん青年は、敬愛する先達たちから窘められたように、不貞腐れる。

 

 

『……まぁ、そうですけど。でもですね? よほどの馬鹿でない限り、すぐに気づきますよ? それくらい露骨なんですから』

 

 

 また、“闇”がざわめく。

 すると今度は、硬い意思を滲ませる声が答えた。

 

 

『無理です。今の僕では“まだ”敵わない。分霊とはいえ、“彼”にすらボロ負けでしたから』

 

 

 ついさっき、人間の見本と評した男とは、違う人物を指しているのだろう。

 青年は自嘲し、肩を揺らす。

 そして、客席の手すりへと力を込め――

 

 

『約束は果たします。そのためにはもっと“深化”しないと。……ええ。もっと、もっと、もっと、もっと、もっと……』

 

 

 ――ゆっくりと、立ち上がった。

 闇に足をうずめながら、しっかりと。

 その瞳には、スクリーンの反射像が映り込む。

 砕け散り、沈みゆく軍艦たちが。

 

 

 

 

 

『神は、乗り越えられる者にのみ、試練を給う。

 貴方の前に立ちふさがるのは、僕だ。

 この程度、屁でもありませんよね? ……桐林提督』

 

 

 

 

 




『……神は死んだ。お前が殺した! 呪ってやるぞ桐林ぃいいっ!!』
「なぁ、提督。先ほどから騒がしいアレは、一体なんだ?」
「言ってることは物騒だけど、どう聞いても声が泣いてるわよねぇ」
「はっはっは。気にすることないさ、きっと羨ましいだけだから。あっはっはっはっは!」
「ひどいドヤ顔だよ新人君。それにしてもヘソだしルックとは……。どぅへへへへ……」

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