新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と第一戦隊の戦果

 

 

 

 

 

 西陽の入りこむ執務室で、椅子に腰掛ける一人の男がいた。

 年の頃は壮年。偉丈夫でありながら顔立ちは整い、俳優と言われても納得ができる眉目秀麗な男。

 しかし、眉間に刻まれる深いシワと鋭利な目つきが、異様な迫力を持って、こう印象付ける。

 ――まるで抜き身の刀。

 触れるもの全てを血塗れにし、なお鞘に納まらぬ妖刀である、と。

 

 

「……ふん」

 

 

 そんな男が実につまらなそうに、持っていた書類を机へ放り投げる。

 けれど直後、男を知るものが見ていれば驚くだろうほど、明確に口角を釣り上げた。

 

 

「励起した統制人格、全てが感情を宿す、か。異常だな」

 

 

 記されていたのは、とある新人提督と、その使役艦船の情報。

 彼が励起・使役している船は六隻。通常、新しく統制人格を励起した提督は、“それ”の使い勝手を確かめるのに数日以上を必要とする。

 慣れれば時間を短縮することも可能だが、それでも三日は様子を見た方が良い。

 でなければ、いざ戦場に出た時、思いもよらぬ不具合への対処で思考を妨げられ、轟沈の憂き目を見るやもしれないのだから。

 だが――

 

 

(己が意志を持つというだけで、この戦果)

 

 

 ――その新人は、励起したてと言っていい状態の艦を五隻も追加した状態で、鎮守府正面海域における近海警備の任務中、遭遇戦二回を完全勝利で治めた。

 快挙とまではいかないものの、目に付く戦果だ。

 横須賀、呉、佐世保、舞鶴、その他を含む鎮守府にも、いわゆるエース級――主戦力である艦隊を指揮する提督が存在する。

 尋常ではない数の艦船を同時使役する者、逆に少数の高速船を縦横無尽に操る者、多数の戦艦を並べての狙撃をやってのける者、艦上爆撃機による命中率が九割五分を越える者……。

 彼らほどの才覚があるのなら、納得できる。事実、その者達は最初から絵物語のごとき戦果を上げた。

 しかし、そうは思えない。

 

 

「トンビが鷹を生む……いいや、金の卵を産むニワトリか」

 

 

 基礎訓練を受けただけの一般人。軍人とは呼べない軍人。褒められるところなど人柄程度。

 そんな評判が絶えず、“あれ”からの報告もまた同じ。あの新人を助けているのは間違いなく、心宿さぬはずの傀儡達だ。

 人ならざるモノに愛され、また、愛する者。その様はまるで――

 

 

「――第二の、桐竹源十郎」

 

 

 ごく一部の者しか、本当の意味を知り得ない名を呟き、男は椅子を軋ませる。

 ゆるり、回転した背中の向こうには、ガラス越しの赤い水平線。

 その先で例の新人は、精神を統制人格とつなぎ、今日も南西諸島沖警備の任に就いているはず。

 

 

「私達は、何だ。お前達は、何だ」

 

 

 問いかけに答えるものはなく、男は己が影を見つめ、無意識の内に首元を探る。

 古びた真鍮のロケットが下げられていた。

 所々が傷つき、薬剤を使っても落ちないだろう汚れが染み付いたそれの中で、時を留めているのは――

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

『……よし、あれで最後だ、食い尽くせ足柄!』

 

「了解よ! 全砲塔、弾幕を張りなさいな! 撃て、撃てぇええっ!!」

 

 

 夕闇の中、白い長手袋に包まれた腕が、タクトに代わって振るわれた。

 轟音の多重奏。

 すでに単艦となっていた敵、重雷装巡洋艦へ、二十・三cmと十二cm、計十六門から砲火の雨が降りそそぐ。

 空白が数秒。

 そして、雷火のごとき閃光を見る。

 

 

《うっわー、発射管にでも直撃しちゃったみたい。ひさーん》

 

《重雷装巡洋艦、撃破確認、なのです》

 

 

 聴覚に流れこむ、島風と電の声。

 視点をザッピングしてみると、煙をあげて沈む敵艦の様子が見てとれた。

 

 

『あっちゃあ……。これじゃ、解放されても資材行き確定だなぁ……。ま、今はそっちの方がありがたいか』

 

「ちょっとやり過ぎちゃったかしら」

 

 

 淑やかな口調と裏腹に、足柄はふん反りかえっている。

 口へ手を添えたりしたら、「おーっほっほっほ!」という幻聴が聞こえてきそうだ。

 実際にしてるのは見たことないけど、それに見合うだけの活躍はしてくれたし、何より似合いそうでもあった。

 

 

『必要ないとは思うけど、確認しておこう。各艦、被害を報告せよ』

 

 

 同調深度を浅く、分割画面のような状態でみんなに語りかける。

 見る限りでは、誰も大きな傷を負ってはいない。それを、次々にあがる報告が裏付けてくれた。

 

 

《こちら暁。目立った被害はないわ》

 

《同じく雷、大丈夫よ。でも、響がちょっとだけ貰っちゃったみたい》

 

《うん、不覚だよ。小破にもなってないけど、どうせなら、また無傷で勝利を飾りたかったな》

 

《だけど、無事で良かったのです。司令官さん、帰ったら治してあげてもらえますか?》

 

『ああ、もちろん』

 

 

 響への同調を深くしてみると、確かに痛みの信号があった。

 しかしこの程度なら、高速修復剤なしでも今日中に治してもらえそうだ。

 本当に、大きな被害が出なくて助かった。

 

 

《島風、かすり傷一つありませーん! 全弾かわしちゃったの、見てくれてたよね?》

 

『ああ、島風を信じて良かった。ありがとう』

 

《えへへ、でしょでしょ? どーいたしまして、提督!》

 

 

 それというのも、彼女、島風が囮を買って出てくれたおかげだ。最初は反対してしまったが、任せて正解だった。まさか、攻撃を全て回避してみせるとは……恐れ入る。人が乗っていたら、とっくに胃の中身は空っぽだったろう。

 チェックも兼ねてまた同調してみれば、ぴょんぴょん飛び跳ねる視界に、同じく跳ねて喜ぶ連装砲ちゃんがいた。なぜか島風の兵装は、独立した変な生物(ナマモノ?)として顕現するのだ。……わりと可愛い。

 

 

「旗艦なんだから把握してると思うけど、足柄、被害なんてこれっぽっちも無いわ」

 

 

 最後に、自信満々な足柄。

 旗艦とは、艦隊司令官が乗りこみ、その階級を示す旗を掲げた船のことだが、傀儡能力者の場合、またしても意味合いが変わってくる。

 鎮守府の増幅機器は、あくまで距離を拡大するもの。しかし、複数艦を使役する場合、これだけを使って同調を切り替えようとすると、かなりのタイムラグが生じてしまう。

 それを回避するため、中継器を搭載した艦を旗艦と呼ぶのだ。他艦への同調はこれを通して行われるので、都合、旗艦とは常時同調しているのである。

 ちなみに、一つの中継器で使役できるのは、旗艦をふくめ六隻まで。

 普通の艦隊と違い、負荷が命に関わる場合もある能力者にとって、船の数は重要な項目であり、また、六隻で艦隊と呼べる戦力を揃えることが、損耗を未然に防ぐための編成指針になっているのだ(そう言った意味で自分は少し危ない)。

 

 

《周囲に艦影なし。敵ツクモ艦、掃討完了なのです!》

 

『終わったか……。やっと安定してきた感じだな』

 

「でも、ある意味では当然の結果よねっ。だって私、足柄が居るんだもの!」

 

 

 電の報告に、足柄は「大勝利ぃ!!」とダブルピース。

 中継器を使っているからか、自分の視点は少し上を俯瞰しており、その笑顔がよく見える。

 見た目こそ電達よりも年上な彼女(自分とは同年代かちょい上くらい)だったが、何というか……いろんな意味でテンションが高いのが特徴だった。すでに一戦していたというのに、全く衰えないあたり凄い。

 今日の戦果は、駆逐艦イ級二隻、ロ級一隻、ハ級二隻。軽巡洋艦ホ級、ヘ級。重雷装巡洋艦チ級の計八隻(ツクモ艦はいろは歌になぞらえて等級分けされている)。

 雷や足柄達で運を使いきったからか、先日の出撃に続いて、無傷で解放された艦は無し。けれど、先に言ったように問題はなかった。

 なぜなら……。

 

 

「ねぇ司令。この前の出撃と合わせて、これだけの資材があればいけるかしら?」

 

『ん……。配給も加えれば、かなり余裕がでる。新しく造船用ドックも解放されたし、君の姉妹もまとめて呼べるぞ』

 

 

 足柄の姉妹艦である、残りの妙高型三隻を建造するための資材を集めていたからだ。

 正直、運用する側としては、重巡四隻に駆逐艦五隻はちょっとバランスが悪いとも思う。

 けれど、このまま艦船が増えていったなら、新たに第二艦隊を編成し、同時出撃する可能性も出てくる。先を見据えて戦力を用意しておくのも、重要だ。

 現在建造中の二隻(今度こそ天龍・龍田……だと嬉しい)はもうすぐ竣工。今回も高速建造剤は使わない予定だし、妙高達を呼ぶまでに新しく解放艦を励起できれば、いうことないんだが。

 

 

「ごめんなさいね、新参者がこんなワガママ……。無理、させちゃってない?」

 

 

 ――と、そんな風に考え込んでいたら、珍しくしおらしい声。

 さすがの彼女も思うところがあるらしく、毛先をいじりながら神妙な顔だ。

 こうしていると普通に美人だから困る。そうじゃなくたって、自分の言うことは変わらないと思うけど。……多分。

 

 

『気にしないで。家族と一緒にいたいと思うのは当然なんだから。女の子のお願いに応えるのも、男の甲斐性さ』

 

「……ありがと、司令。なら、それに見合った活躍しないとねっ。次の出撃も、戦果と勝利の報告を期待しててね!」

 

『ああ。頼りにしてるよ』

 

 

 赤い光に静かな微笑みを消して、はしゃいで見せる足柄。

 まだ仲間となって日は浅いが、この明るさは彼女の大きな魅力と言えるだろう。

 

 

《お~、言うわね司令官。なら私もワガママ言っちゃおうかな~?》

 

《……暁、新しいまくらが欲しいです。今のは柔らかすぎて寝づらいわ》

 

《さっそくかい。確かに、そろそろ来客用のじゃなくて専用の湯飲みとかあれば嬉しいけど》

 

《あっ、みんなズルいー! 私も連装砲ちゃんにさすグリスとか欲しいー!》

 

『え』

 

 

 ……あれ。格好つけてたらなんか雲行きが怪しくなってきたぞ。

 いや、まだ階級上がってないし、給料据え置きだからあんまり余裕はないんですよ。

 ああでも、見栄を張った手前、訂正するのも……。

 

 

《もう、ダメなのです、司令官さんを困らせちゃ。ご褒美が無くなっちゃいますよ?》

 

 

 こちらの顔が見えないのをいいことに、酷く情けない顔をしてアワアワしていたら、何とも頼もしい天の助け。まるで子供達を優しく叱るお母さんである。

 途端、お子様たちは「それは困る!」と声を揃えて大慌てだ。

 

 

《せっかく頑張ったのにご褒美なしなんて、司令官はそんなヒドいことしないよね!?》

 

《そうよ! 暁達には司令官からのご褒美を受けとる権利が……! むしろ独り占めしたいのに……!》

 

《それは欲張りすぎだよ。でも、今回は諦めるから、ご褒美無しだけは勘弁してほしいな……》

 

《うぅぅ、ごめんね連装砲ちゃん、私のためにグリスは諦めて……。ご褒美欲しいの……》

 

「あ、あのぉ、私もいいのよね? 今回も最多撃破だし、MVPってやつなんだし、ね? ね? ね?」

 

 

 ……何なんだろう。肝心なご褒美の内容が隠れているというだけで、このいかがわしさ。

 まぁ、それだけ気に入ってもらえたという証拠か? 元は艦船でも、やっぱり女の子なんだなぁ。

 

 

『安心しろみんな。ちゃんと全員分の準備はしておくから……お』

 

 

 なだめるように声をかけていたら、視界の端に柔らかな光源を見取る。

 中継器で繋がっている皆は、得た情報を能力者を介して共有するため、ほぼ同じ光景が目に焼きつく。

 夕陽に輝く水面から浮き上がる、光の粒。その位置は、自分達が撃破した敵艦の沈んだ場所。

 ブクブクと気泡が湧き立ち、やがて、潜水艦が浮上するように、浮かんでいるのがやっとな状態の船が姿を現した。

 ……煙突が四本。あれは……。

 

 

『もしかして、川内(せんだい)型か? でも……どれだ?』

 

 

 川内型。

 排水量五五○○t級の軽巡洋艦、最終タイプとして設計された船で、他の五五○○t級と違い、煙突が四本あるのが特徴だ。

 昔の条約絡みで、建造は川内・神通(じんつう)那珂(なか)の三隻まで。

 さらに、その三隻を見分けられる特徴が艦首にあるのだが、見る影も無いほどボッコボコ。おまけに、逆光になってるからディテールも潰れてよく分からない。

 

 

『う~ん……? 川内……いや、神通かな。それとも……』

 

《あの、司令官さん。多分ですけど、あれは神通さんか那珂さんだと思うのです》

 

「あら、どうして分かるの?」

 

《なんというか、ものすごくシンパシーを感じるのです。こう、ごっつんこ的に》

 

《あ~……そういえば電もやってたわよね……。まぁ私もやってるんだけどさ。若葉に会えたら謝らないと》

 

《……美保関、か。難儀だね》

 

《なにそのシンパシー。物騒にもほどがあるわ》

 

 

 本当に縁起でもないよおい。思わず無言で暁に同意してしまう。

 

 

《え? なになにどういうこと? ねぇ提督ぅ!》

 

『はいはい、すぐ教えるから。――っん』

 

《――おぉお、なるほどー》

 

 

 一人だけキョロキョロし、むすっとした顔の島風。

 なんか、島風だけ分かってないみたいだな。統制人格の持つ知識はかなりマチマチっぽい(電が料理を得意とするのもそのせいらしい)し、情報を送っておこう。

 美保関事件とは、島根県美保関沖での夜間無灯火訓練中におきた、四隻が絡む壮絶な衝突事故である。大勢の死者が出たとも聞く。

 というか、旧日本海軍の船は結構な確率でごっつんこしているのだ。勉強して驚いた。今とは環境が全然違うし、仕方ない部分も多いのだろうけど。

 ちなみに、雷、電がごっつんこした事件と、美保関事件は全て別物である。

 

 

『ま、それはさておき。待機してる曳航部隊に回収してもらおう。こっちから連絡しておく。

 みんなも補給が必要だろうし、交代の班が来たら補給艦隊へ向かってくれ』

 

「了解よ。今日で任務も終わり、やっと帰れるわぁ!」

 

《なのです。あ、そういえば司令官さん、今日のお夕飯は?》

 

『ん? まだだけど……』

 

《ちゃんと食べないとダメなのですよ? お野菜も食べて、バランスよく……》

 

『分かってる分かってる、ちゃんと合間を縫って食べに戻ってるから。心配しないで』

 

 

 こういった任務の性質上、終了までにはかなりの時間が掛かる。

 その間、自分は一人暮らしをすることになるわけだが、電はとにかく心配しどおしなのだ。「ちゃんと朝ごはんも食べてくださいね」とか、「夜更かししてはダメなのですよ」とか。

 気分は単身赴任で離ればなれになっている夫婦である。置いてかれるのが自分なのはアレだけど、堪能した。

 

 

《相変わらず、電は甲斐甲斐しいわね~。はぁ、私も早く帰って料理の練習したいな~》

 

《うん。書記さんと一緒にでも、お茶が飲みたいよ》

 

《お腹は空かないけど、味覚への刺激が恋しいわ。甘いものが欲しいです》

 

《あ、分かる! いっぱい動いたあとに甘いもの食べると、元気出るよねっ》

 

「そうそうっ。一度あの満足感を知ってしまったら、もう戻れないわよね? あぁ、思い出すだけでもう……! 焦れったいわ……!」

 

 

 しかし、遠出している皆としては、食事できないという事実の方が重いらしい。

 確かに、燃料を補給すれば空腹を感じずに済んでも、食べられないのは辛いだろう。もし自分がそうなったらと思うだけで辛い。

 帰って来たら、ご馳走で迎えてあげることにするか。と言っても卵料理限定だけど。

 だから足柄さん。変な言い方しながらクネクネするのやめて下さい。目がギラついてて怖いです。

 

 

《あ、ねぇねぇ、交代の船来たよー》

 

 

 そんなことを思っていたら、いつの間にか一人で哨戒していたらしい島風から報告が。

 視点を移せば、遠目に艦影が見える。見慣れた編隊……夜間警備の班だ。

 

 

『それじゃあ、自分もそろそろ休憩させてもらうよ。みんな、ご苦労だった』

 

《はいです。司令官さん、ゆっくり休んでください》

 

 

 代表して電が返事をし、他の子も笑顔を見せてくれた。

 見えないだろうけど、それでも自然に微笑み返しながら、自分は彼女達との繋がりを薄くして行く。

 世界が細くなり、閉じる――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

 頭部を覆っていた装具が油圧によって上昇し、腕を籠手から引き抜く。

 久方ぶりの開放感だ。汗をかいたわけではないけど、肌が空気に触れること自体が心地いい。

 しばらく使っていなかったせいか、視界がボヤけ、身体もずいぶんと強張っていた。最先端の低反発素材で作られているとはいえ、半日近く身を預けていれば、無理もないか。

 何度か目をしばたいて確かめると、むき出しのコンクリートで四方を塞がれた室内が見えた。地面には無数のケーブルが走っており、それは自分の座る増幅機器へつながっている。

 

 

「お疲れ様です」

 

 

 ふと、手拭いが差し出された。書記さんだ。

 彼女は増幅機器の出力調整士も兼任しているのである。

 

 

「ありがとうございます。……あ゛~、冷たくて気持ちいい~」

 

 

 湿った感触。わざわざ濡らしておいてくれたらしい。

 あまりに気持ち良くて顔まで拭ってしまうと、クスリ、小さく笑われてしまう。

 

 

「やっぱり、みなさん同じ反応をなされるんですね。お加減はいかがですか?」

 

「ええ、大丈夫です。ちょっと身体が固まっちゃってますけど、少し動けばなんとか」

 

「そうですか」

 

 

 ホッと、安心したような顔。

 仕事だからであろうが、可愛らしい女の子に気遣われるのは嬉しいもの。勝手に笑顔を作ってしまう。

 連れ立って地下にある調整室を抜ければ、長い廊下の窓に、暗がりへ落ちた鎮守府の景色が見えた。

 

 

「みんなの帰りは、いつぐらいになるでしょうか」

 

「そうですね……。今日一日は沖で待機を続けるはずですから、明朝に向こうを出発して、早くとも明日の夕方以降になるかと思われます」

 

「ふむ、そうなりますか……」

 

 

 傀儡能力者は、統制人格に指示を出す必要性から、任務中は不足の事態に即応できるよう、付近の仮眠室で待機していなければならない。

 もちろん、食事やら何やらの生理現象は止められないので、その時ばかりは例外(最悪の場合はゼリーとオムツ)だが、基本的に能力者というお仕事は、時間的拘束がブラックを通り越してダークネスなのだ。

 けれど、それももうすぐ終わり。明日の朝、後任へ引きついだら解放されるし……あれの準備は明日の昼前だな。

 材料は用意してあるし、あとは作るだけ。みんなの喜ぶ顔が目に浮かぶ。

 

 

「あの、提督? 一つお聞きしたいのですが、先ほど仰っていたご褒美って……」

 

「え? あぁ、プリンですよ。あれ以来、みんなハマっちゃったみたいです」

 

 

 そう、あの妙にいかがわしい会話で乱舞していたご褒美とは、プリンのこと。

 一週間以上前になってしまうが、初めて足柄と島風を呼んだ日、すっかり拗ねてしまった足柄へのご機嫌取りも兼ねて作ったプリンは、その場にいた女子八人(書記さんと主任さん含む)に大好評だったのである。

 大きめのバットに流し込んで加熱し、焼きあがったら好きな分だけを取り分けるあったかいプリンだったのだが、甘味とはこれすなわち、女性の活力源。あっという間になくなってしまった。自分が食べる分まで。……食べたかったなぁ……。

 

 

「え、ぇぇと、ですね。提督……。そ、の……」

 

「はい? ……おぉ、そっか。書記さんもどうですか? みんなが帰ってきたら、ご一緒に」

 

「よろしいんですか!?」

 

 

 ちょっと俯き加減に、人差し指同士をツンツンしていた書記さんは、自分の誘いを聞いたとたん満面の笑みを咲かせる。

 年頃の少女らしい屈託のなさだ。微笑ましい。妹がいれば、こんな感じなのだろうか。

 姉達にこの十分の一でも愛らしさがあれば……。剛毅だもんなぁ、あの二人……。

 

 

「もちろん。日頃からお世話になってますしね。ご遠慮なく」

 

「はいっ、ぜひ! あ、着きましたね。中へどうぞ、すぐに軽食をお持ちしますので」

 

「ああ、お願いします」

 

 

 仮眠室の前に差し掛かると、そう言って彼女は小走り。揺らめくスカートに上機嫌さが伺えた。

 これは気合を入れて作らねばなるまい。時間もあるし、冷やして生クリームでも用意しておこう。ついでに量も。

 

 

「よっこいせ、っと」

 

 

 扉を開け、上着を脱ぎながらベッドに腰掛ける。こちらも高級品らしいが、布団で育った人間には少し違和感がある。

 しかし、まくらへ頭を乗せると、簡単にリラックスできてしまう。椅子に座るのとでは雲泥の差だ。

 

 

「次は、どうするかな」

 

 

 天龍達が来てくれれば、晴れて艦隊を組むことになる。さらに妙高型の三人が加われば、二つの艦隊に分ける必要もある、か。

 実戦へ出る前に、可能なら演習をしておきたいところだ。

 普通の提督なら、全ての行動を決めなければいけない代わりに、全てを決められる。

 対して自分は、多くのことを彼女達に任せられる代わり、その性格を考慮して編成・指揮を執らなければいけない。

 

 

「足柄はトリガーハッピー気味だけど、砲撃の精度は確かだ……。島風は速過ぎるから単独行動を前提にして、周囲がフォローした方のが活きるか……?」

 

 

 天龍達のデータはあるが、それで全部が分かるわけではない。妙高姉妹も同様。

 実際に相対して、初めて理解できることがこの世には多い。全ては実際に同調し、海に出てからだ。

 だが、考えておいて損もないだろうと、自分は思考を続ける。

 

 

「新しい駆逐艦も居てくれれば、助かる、な……。でも、あんまり、多すぎても……燃料と、弾薬と……食費……が……」

 

 

 そうこうしている内に、まぶたが重くなってきた。やはり、疲れているらしい。

 でもダメだ。もうすぐ書記さんがおにぎりでも持ってきてくれる。

 

 

「……そうだよ……少しでも、食べとか、ないと……。いなづまが、しんぱい……」

 

 

 ――と、頭では分かっているのに、視界はどんどん狭まって。

 柔らかく身体が沈んでいき、呼吸は深く、脳にも霞が掛かりだす。

 眠い。このまどろみが心地よくて仕方ない。

 けど、起きていなきゃ。書記さんを待ってないとダメだ。

 たべたら、ふろにも、はいって。

 それから。それから――

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「提督、お待たせしまし――あ」

 

 

 少女が仮眠室のドアを開けた時、彼はすでに眠りへと落ちていた。

 だらしなく片腕がこぼれ、床には上着まで。

 

 

「ふふ」

 

 

 しょうがない、といった様子の苦笑い。

 近くのテーブルへ盆を置き、少女はベッドに近づく。

 穏やかな寝息。

 ときおり、「天……ぷら」やら「龍田……揚げ」など、寝言まで言っている。

 

 

「揚げ物……? お腹空いてたのに、寝ちゃったんですか……?」

 

 

 堪えきれず、しかし、起こさないよう微かな声でつぶやく。

 まずは、シワになる前に上着を回収。軽くホコリを払ってハンガーへ。それから、はみ出していた腕をちゃんと乗せる。

 寝顔は穏やか。こうしてみると、まだあどけなさが残っているようにも。

 何の気なしに、彼の前髪を整えてみる。

 くすぐったいのか、わずかに身じろぎ。

 その仕草が“あの人”にそっくりで、少女は意識せず、泣き笑いのような表情を浮かべてしまった。

 

 

「ぜんぜん、似てないのに」

 

 

 顔立ちはもとより、背格好も、年齢も。

 共通点なんて、傀儡能力者であることを除けば、どれだけ残っているだろうか。

 ……いや、あった。

 まだ、似ていた部分がある。あの人も、昔は――

 

 

「……っ」

 

 

 不意に胸を締めつける思い出。

 苦しくて、少女は胸元に手を置く。服の下には、古くも隅々まで手入れの行き届いたロケット。

 その中で、笑っている。

 彼と、彼の統制人格と、同じように。

 互いを思いやり、支え合い、戦い抜いた、“あの子”がいる。

 

 

「私は、どうすればよかったの……。これが、貴方の望んでいたことだったの……?」

 

 

 答えを求めてはいなかった。自分のすべき事も分かっている。そして、行きつく結末も。

 けれど、そのことが無性に寂しくて。

 安らかに眠る彼へ、少女はおずおずと手を伸ばし――

 

 

「……――ちゃん……」

 

 

 ――ただそれだけで、何も、しない。

 夜が、静かに更けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こぼれ話 露出“強”な女の子が近辺をうろつくことによる弊害》

 

 

 

 

 

 最近、女性職員の目が痛い。

 敷地内を歩けばヒソヒソ話が聞こえ、物陰からいかがわしい存在でも見るかのごとく鋭い視線が投げかけられる。

 心当たりはあった。ほぼ間違いなく「原因はこれだ」と言い切れる自信もあった。

 それは――

 

 

「提督ぅー! 提督宛てに連絡が来てたよー!」

 

 

 ――今、手紙片手に勢いよく執務室へ入ってきた、こやつのせいである。

 ハレンチな改造セーラー。頭にはウサ耳っぽく立っている黒くて大きなリボン。スラッとした脚を包む紅白の縞々オーバーニーソックス。

 今日も元気ハツラツな露出“強”少女、島風だ。

 

 

「ありがとう、島風」

 

「どーいたしまして。ねぇねぇ提督、ちょっと執務室に居てもいいですか?」

 

「ん? そりゃあ構わないけど、何でだ?」

 

 

 現在、ここには自分と島風しかいない。

 電は雷と買い物に行ってくれてるし、足柄は書記さんのところ。他の子達もそれぞれに余暇を過ごしているはず。

 なのに、何でわざわざ仕事場に……?

 

 

「だってぇ、暁がまた服を着せようとするんだもん。ここなら、お仕事の邪魔になるからって入って来ないかなーと」

 

「あぁ、なるほど……。またやってるのか……」

 

 

 もはや恒例である。

 暁の「隠しなさいったら!」から始まって、島風の「やだよー!」で逃げ切られる追いかけっこ。

 最近では横須賀鎮守府の名物になりつつある。なぜかと言えば、それは彼女の服装が原因だ。

 いろいろと無防備な少女が所狭しと走り回り、スカートをヒラッヒラさせる。名もなき一般男性職員には、良い目の保養になっているらしい。

 気持ちは分からなくもないが……。

 

 

「なぁ島風。どうして普通の服を着ようとしないんだ? 別にその衣装、肌と同化してるわけじゃないんだろう」

 

「え、そうだけど。普通に脱げるし、別の服にも着替えられるよ?」

 

「ならどうして? 個人的にはもうちょっと厚着して欲しいんだけど……」

 

 

 少し前の自分は、「もっと見たい」「ガン見したい」と思いながら直視できずに悶々していたが、今は心から「お願い隠して」と思っていた。

 美人は三日で飽き、不細工には三日で慣れる。

 そして、無駄にドキドキさせられた肌色成分も、三日あれば日常になるのだ。ちょっと寂しい。

 んが、そのせいで詳しい事情を知らない女性達から「小さい子にあんな格好させて……」とか「ほら、いつも周りに若い女の子をはべらせてる……」なんて侮蔑の視線を向けられるのはひっじょーに辛いのである。

 あと、脱げるのは分かったから裾をめくるの止めなさい。お腹丸見えだぞ。……元々か?

 

 

「んー、でも、破けたりしてもすぐに直るし、便利だよ? 他の服だと破れたままだもん」

 

「まぁ、そうなんだろうけどさ。なんていうか……こう……」

 

「それに、私達が呼ばれた時に着てる服は、呼んだ人のしんそーしんりに影響されるって、こないだ書記さんが言ってたでしょ?

 提督が選んでくれたってことだし、私、気に入ってるよっ。それとも似合ってない?」

 

「うぐ」

 

 

 それを言われると、もう反論できない。

 艦を励起した際に顕現する統制人格の容姿・衣装などは、傀儡能力者の嗜好や原体験に基づいて構成されると言われている。

 電のドンピシャっぷりもそのせいだと思えば大いに納得できるが、こんな露出“強”な願望があるだなんて、にわかに認めたくない。書記さんちょっと困った顔で距離を取ろうとしてたんだぞ? 傷ついたわ。

 というこちらの苦悩を知ってか知らずか、島風はその場でクルリと一回転。

 ……確かに可愛いんだよなぁ(クッソ重力仕事休めよ!)これ以上この子に似合う格好はないと思える(もうちょっと、後一声、吹けよカミカゼェ!)

 

「……いや、似合ってるよ、凄く」

 

「えへへー。だよねっ」

 

 

 すこぶる上機嫌に、島風は他の机から椅子を引っ張り、そばへ座り込む。

 どこからともなく連装砲ちゃんも現れ、彼女の腕の中に。

 ……はぁ。性癖に対しての偏見は、甘んじて受けるしかないようだ。

 あれだ、いざという時に女性の肌を見ても、あんまり動揺せずに済みそうだしな。予行演習だと思っておこう。

 

 

「司令、失礼します。申請とか片付けてきたわよ……って、あら、島風」

 

「あ。やっほー」

 

 

 ようやく落ち着いたかと思いきや、今度は足柄が入室。彼女も手に書類を持っている。

 驚くなかれ、何と足柄さん、書類仕事がメッチャ早いのだ。字もすごく綺麗だし。

 遠目からみるとOLさんっぽいなーとは思っていたけど、これは嬉しい誤算だった。

 

 

「姿が見えない思ったら、ここに居たのね。書記さんと響が心配してたわよ? また逃げ回った先で何かひっくり返すんじゃないかって」

 

「むぅ、私だって好きで逃げてるわけじゃないもん」

 

「まぁまぁ。ご苦労様、足柄。冷蔵庫にプリ――」

 

「プリンよね!? 食べていいのよねっ!?」

 

「あ、はい、どうぞ」

 

 

 やや食い気味に反応した足柄は、一目散に備え付けの小型冷蔵庫へ飛びつく。さすがは飢えた狼。貪欲である。

 英国での観艦式の際、無駄を省いた日本的設計から彼女はこう称されたのだ。向こうの人の感覚では、皮肉っていたらしい。

 こんな風に冷蔵庫をあさる姿を見せられると、なまじ当たっているような気がして空しい。

 

 

「あっ、ズルいー! 私もプリン食べたいー!」

 

「こぉら、ダメ。あれは仕事を手伝ってくれたお礼なんだから」

 

「そうよ? むしろこのために書類仕事してるようなものなんだし。頑張った自分へのご・ほ・う・び♪

 あむ……ん~♪ この滑らかな舌触り、ほどよい甘さと芳醇な香り! 素晴らしいわ、みなぎって来たわ!

 ねぇ、お代わりしても良いかしらっ?」

 

「いや、遠慮してもらえると助かるかなぁ……」

 

「う~……! プリン……!」

 

 

 足柄さん、マイスプーンを片手に、小分けされたプリンを構えて晴れやかスマイル。

 どうしよう。微妙に言動がうっとうしい。

 無言で文字書いてる時とかすっごく様になってるのに、なんでしゃべると残念なのさ。

 

 

「ねーぇー、てーいーとーくぅー」

 

「はいはい。何を言ってもダメなものはダメだぉう゛!?」

 

 

 駄々をこねる島風へ振り向いたら、潤んだ瞳がどアップに。

 ち、近い、近いよ島風さんっ。というかなんで艦船のはずなのにフローラルな香りがするんですかっ?

 

 

「だ、だから、ダメだって。見境なくご褒美あげてたら、示しがつかない……」

 

 

 じー。

 と、見つめる島風。……喉が乾く。

 

 

「材料買うのだって、お金が掛かるんだし……。砂糖とかバニラエッセンス、メチャクチャ高かったし……」

 

 

 じぃー。

 と、見つめる島風+連装砲ちゃん。汗が、出てきた。

 

 

「く、うぅ……」

 

 

 じぃぃぃー。

 と、見つめる島風+連装砲ちゃん(x3)。

 ……もう無理だっ。つぶらな瞳で見つめないでくれ連装砲ちゃんっ!!

 

 

「分かった、分かったから! 一個だけだからな……」

 

「ホント!? やたっ、提督大好きー!」

 

 

 耳元で告白されたと思ったら、もうその姿は冷蔵庫の前に。

 速い。速すぎる。どんだけ好きになったんだプリンのこと。

 ……あ。女の子に大好きって言われたの、何年ぶりだろう。いや、下手すれば何十年? 電にも言ってもらったことないな、そういえば。

 なぜだ。嬉しいのに悲しい、悲しいのに嬉しい。愛って何だ。

 

 ……なんて、微妙に錯乱しつつも、自分は舌鼓を打つ二人を眺める。

 その楽しげな笑顔は、きっと、お金を出しても買えっこない物なのだろう。

 戦いのために生み出された彼女達が、ひと時とはいえ、自分の作ったお菓子に喜び、はしゃいでくれる。

 こう思えば、女の武器に屈してしまったことすら誇らしい。誇らしいとも、本当に。

 

 だけど。

 あぁ、だけど――

 

 

 

 

 

「また、作らないとな……。給料日は、まだか……っ」

 

 

 

 

 


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