新人提督と電の日々   作:七音

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今日は休みなので早めに投稿。
全部合わせると四万字を越えますので、今回は三分割です。


新人提督と電の出会い・前編

 

 

 

 

 

「へ? 電との馴れ初めを聞きたい?」

 

「はい、是非っ!」

 

 

 怪訝な顔をする自分と対照的に、ちゃぶ台の向こう側で座る三人の少女――青葉、衣笠、那珂は、期待に満ち溢れた顔をしていた。

 

 

「……なんでそんなこと話さなくちゃいけないのさ。できれば遠慮したいんだけど」

 

「えーっ、どうしてですか? いいじゃありませんか、恥ずかしがらないでくださいよー」

 

「そうだよ。減るもんじゃないんだし、聞かせて聞かせて」

 

「そうだそうだー。那珂ちゃんたちには知る権利があるもーん。情報開示請求だぁー!」

 

「いや無いだろ、そんな権利」

 

 

 霞が大破し、自分自身も傷を負った苦い出撃から三日後。

 体調は意外なほど早く戻り、もう仕事に戻っても良さそうなのだが、みんなから「せめてあと一日」と懇願され、宿舎の食堂 兼 くつろぎスペースにて、三時のおやつである栗きんとんを突っついていた時のことである。

 わらわらと集まってきたこの三人は、雑談もそこそこに奇妙な要求を突きつけてきたのだ。

 

 

「というかいきなり過ぎるよ。そんな女子高生の恋バナ的なテンションを押しつけられても……。ねぇ、加賀さん」

 

「それは、私が彼女たちより年長に見えるという意味でしょうか。それと、加賀です。“さん”は必要ありません」

 

「いやいやいやそんなつもりは毛頭ございませんですよ加賀様!?」

 

「ですから、呼び捨てで結構ですので。……お茶が入りました」

 

 

 なんの気なしに、お茶汲みをしてくれる加賀へ同意を求めるのだが、向けられた冷たい眼光に冷や汗グッショリである。

 どうやら彼女なりの冗談……みたいだけど、表情があんまり動かないせいか、心臓に悪い。

 

 

「で、どうしたんだ本当に。こんなことを聞いて来るなんて」

 

「それはもちろん、今回の一件で、司令官の人となりが気になったからですよ!」

 

 

 メモ帳とペンを手に、青葉が胸を張る。まるで取材さながらだ。

 

 

「前々から思っていたんですが、司令官は私たちを人間として扱ってくださいます。それは嬉しいんですけど、その根幹たる理由は一体どこにあるのかなーと、疑問に思いまして」

 

「ぶっちゃけ、電ちゃんが原因なのは予想がつくんだけどー、そこに至るまでの過程が重要だと那珂ちゃん思うの!」

 

「うんうん。いくら電ちゃんでも、最初から誰彼構わず心を開くわけないでしょ。そこら辺のことを知りたいなー」

 

 

 青葉を中心として、まさしく女子高生みたいにキャピキャピする那珂と衣笠。

 いつの間に仲良くなったんだろう。

 良いことだとは思うけど、しかし、なんだか恥ずかしい。

 

 

「まぁ確かに、電とも最初はギクシャクしまくってたからなぁ。でも、大して面白くないだろうし、加賀も興味ないだろうしさ。また今度に……」

 

「いえ。赤城さんから全幅の信頼を寄せられている方が、どのようにして今のような信念を持つに至ったか。興味があります」

 

「……左様で」

 

 

 判断基準は赤城ですか。君も大概だよね加賀。というか、信念なんて御大層なもの、持ってないんだけどな……。

 ちなみに、彼女の無二の戦友であるところの赤城は、今日も早くから工廠へと出向き、航空機開発の手伝いをしている。本来ならまだ休ませるべきなのだが、どうしてもと頭を下げられ、仕方なくだ。

 何やら、先日の出撃に思うところがあるらしい。根を詰めないか心配である。

 こうなると、真っ先に手伝いを申し出そうな加賀が、なんでここにいるのかという疑問も生じるのだが、答えは簡単。

 赤城に「提督のお世話をお願いね」と、他の誰にも使わない、砕けた口調で頼まれたからだった。

 二度目だけど、本当に大概だよね。

 

 

「Hey,皆の衆ー。何してるデスかー? ワタシも混ぜてくっだサーイ!」

 

「どゎ!? あ、危なっ」

 

 

 ――と、苦笑いしつつお茶をすすろうとしていたら、突如として背中に感じる重さ。金剛が背後から抱きついていた。あっぶねぇ、お茶こぼすかと……。

 なんか、退院してからずっとこんなだな。隙あらばスキンシップを計ろうとするというか、やたら側に居たがるというか。

 本当なら叱りつけたいとこだけど、でも、もうちょっとだけこのままで居よう。背中があったか柔らか。さすがは戦艦級である。

 

 

「金剛さん。提督の身体へ負担をかけるのは控えてください。手術の疲労は残っているはずなのですから」

 

「Oh,それもそーデスね。Sorryテートク。迷惑でしたカ?」

 

「迷惑ではないけど……ちょっと重いかな」

 

「お、重っ!? Ladyに向かって失礼デース! そんなことを言うBadなMouthは、こうしちゃいマース!」

 

「い、いふぁい、いふぁいっへっ」

 

「 お 二 人 共 」

 

『ゴメンナサイ』

 

 

 あれ。なんで自分まで怒られてんの?

 悪いのはほっぺた引っ張ってきた金剛のはずなのに。

 不公平だ……。

 

 

「金剛さん一人なんだ? めずらしいねー。いつもは比叡さんが、アイドルの追っかけみたいに四六時中張り付いてるのに」

 

「それがデスね。今日は比叡、何か集まりがあるらしいのデス。メンバーは……Miss山城と筑摩、あとは千代田だったはずネ。榛名たちも買い出しの手伝いに行ってマスし」

 

「うわー。なんの集まりか、それだけで分かっちゃったよ私……」

 

 

 那珂からの質問に、金剛が隣へと正座しながら答える。

 上げられた四人の共通する点と言えば、それはもちろん、The 姉大好きなこと。

 おそらく彼女たち、誰かの部屋に集まって「私の姉は」うんぬん語り合っているのだろう。

 衣笠が若干引いているのも頷ける。

 

 余談だが、買い物にはいつも大人数で出かけており、そのメンバーは鳳翔さんと雷電姉妹――ではなく、今日は珍しい暁&電の長女末っ子コンビだが、雷か電のどちらかを核に、バーゲンの人混み突破班、数量限定品の数合わせ班、荷物持ち班の三班に分かれて行動しているそうな。

 時折、統制人格の身体能力を持ってしても、品物を確保できないことまである模様。

 げにも恐ろしきは、値下げ品に賭ける熟年主婦たちの情念か。

 

 

「デ、なんのお話してたデスか? ワタシもJoinしてOK? テートクとTwo Shotになれないのは残念だケド、一人は寂しいネ」

 

「当ったり前だよー! むしろ金剛さんは聞いておいた方がいいと思うな、ラブバトル的な意味でっ。実はね……」

 

「ほうほう、なるホドー。つまり、何故にテートクは優しいのカ、そのRootsを探るんデスね? 俄然興味が湧いて来ましタっ。ぜひ聞かせてくだサイ!」

 

 

 耳打ちされ、瞳をキラキラ輝かせる金剛。

 他のみんなも一様に前のめり。加賀ですら、眼で話を催促してくる。

 これは……断れそうにもないな。致し方ない。聞かせてあげるとしよう。

 

 

「分かった分かった。どうせやることもないし、話すよ。ただし、つまらなくても苦情は受け付けないからな」

 

「とんでもない! 情報に貴賎はありません。どう活かすかは受け手次第なんですからっ。ではでは、自分語りをよろしくお願いします、司令官!」

 

 

 いつ買ったのか、テーブルの上にはICレコーダーまで置かれた。この時代、超高級品である。

 用意周到な青葉に苦笑いを向け、自分は記憶を遡る。

 まだ、一人称が“俺”だった、懐かしい頃を。

 

 

「あれは、そうだな。鎮守府内に植えられてる桜が、まだつぼみだった頃か……」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 午前九時。昔風に言えば、○九○○。

 世の企業が業務を開始しているだろう今、俺は――じゃなくて。自分は、激しく苛立っていた。

 暑くもなく、寒くもなく。過ごしやすい空気を、怒り肩で切り裂いていく。

 ドックへと続いたコンクリートが、大きな靴音を立てていた。

 

 

「ねぇ~新人くぅ~ん。そんなに怒らないでおくれよ~う。ちょっとしたお茶目じゃないか~」

 

 

 そんな音に紛れることなく、粘っこくまとわりついて来る声が一つ。

 できる限り無視していたけれど、いい加減に我慢も限界。

 ぐるぐる周囲を回っていた音源が、横へ並んだタイミングで怒りをぶちまける。

 

 

「怒るに決まってるじゃないですか!? 人のことおちょくってるんすか!?」

 

「いやだな~、そんなつもりないってば。緊張して身体の一部を固~くしているだろう新人君を和ませようとした、私なりの気遣いだったんだよ?」

 

「変な言い方しないでください! っていうか、それがどうして、顔まで包む肌色の全身タイツエプロン姿になるんですか!? トラウマんなるわぁ!!」

 

 

 想像して欲しい。

 朝。鎮守府から与えられた、一人で住むには大きな能力者専用宿舎。

 寮などの煩わしい規則に縛られない代わり、家事なども一人でこなさなければならないそこで響く、包丁がまな板を叩く音。

 寝ぼけた頭で、「噂に聞く能力者への押しかけ女房か?」などと考え、念のためテーザー銃を手に向かったキッチンにて、「お・は・よ♪」と振り返る、エプロン姿ののっぺらぼう。

 もちろん撃った。ニュルリと回避された。

 酷いと思われるかもしれないが、むしろ憲兵隊へ通報しなかったのを褒めて欲しいくらいだ。

 

 

「何を言うんだいっ。私にだって恥じらいはある。婚前の乙女が、殿方にあんな姿を晒すんだ。顔くらい隠したくもなるさっ」

 

「もっと別に隠すもんあるでしょうがぁああっ! その……っ、あ、えっと、ぼ、ボディラインとか……」

 

「ん? むっふふ、照れちゃってまぁ。可愛いねぇ新人君は」

 

 

 うっかり思い出してしまったピッチピチのS字ラインに口ごもると、彼女は――自分の教導官である兵藤凛先輩は、猫のような笑みを浮かべて軽く肘打ち。

 その瞬間に香る石鹸の匂いがまた、女慣れしていない童貞の心をくすぐるのである。

 悔しいが、白い軍服に着替えたこの人、黙ってさえいれば極上の美人なのだ。

 後ろで束ねた、太ももにかかるほど長い漆黒の髪。しなやかな身のこなしが生み出す曲線美は、連れ立って歩いているだけで、男の自尊心をかつてない充足感で満たすだろう。

 ……喋らなければ。

 性質が悪い。本っ当にそう思う。

 

 

「ほら。とかやってるうちに着いちゃった。お仕事モードに入ろう。あれが、君へあてがわれた船だ」

 

 

 そんな人が不意に前方を指差し、つられて顔が前を向く。

 鎮座しているのは、人類が戦のために作り上げた、飾り気のない鋼の塊。

 ――軍艦。

 

 

「特Ⅲ型駆逐艦四番艦・電。

 キスカ、ソロモン、ニューギニア、アッツ島など、各戦域を転戦した船さ。これを励起できるかどうかによって、君の未来が決まる。

 といっても、事前検査で合格ラインには達しているから、通過儀礼のようなものだね」

 

「これが、俺の……」

 

「こら。曲がりなりにも軍人なんだ。言葉遣いには気を付けなさいと言っているだろう。特に市井の出は軽く見られる。小さなことに気を配りなさい」

 

「あ、はい。すみません……。でも……」

 

「なんだい」

 

 

 雰囲気をガラリと変えた先輩は、後ろ手に手を組みながらつま先をこちらへ。

 自信に溢れた立ち姿と比べ、こちらの心持ちは暗い。

 

 

「自分は、本当に傀儡能力者なんでしょうか」

 

「不安かい」

 

「……はい」

 

 

 この鎮守府に住まわされるようになってから、常に背中へ張り付いている疑問だった。

 先ほど先輩が言ったように、自分は市井の出。関東の、都会と田舎の境目みたいな、微妙な町で生まれた。

 父と母に祖父母、姉が二人に弟二人の大家族で、大学だけはなんとか出させてもらったが、卒業と同時に実家へ戻り、家業である養鶏場を継ぐ予定だった。

 それが一変したのは、一年の浪人と、一年の留年を経た卒業を間近に控え、最後の思い出にと、生まれて初めて神奈川県くんだりまで出かけた、あの日。

 

 

「まぁ、分らなくはないけどね。私自身、最初は信じられなかったものさ。

 だけどこれが、君の力を証明してくれる。あの日、君が駅に届けてくれた、このコンパスがね」

 

 

 先輩が懐から取り出し、握らせてくれたのは、懐中時計に似た古いコンパス。

 お忍びで街へ出かけた先輩が落とした、父の形見とのことだった。

 友人たちと一緒に拾い上げたそれは、自分の手の上でだけ、意思を持ったかのように針を暴れさせたのだ。今もそうである。

 

 一世紀以上に渡る経済戦争と、足を引っ張り合う泥沼の技術開発、大災害による完全環境計画都市の失敗・人材喪失を乗り越え、やっと宇宙への道を手に入れようとしていた人類。

 だが、それを大地へと縛り付ける存在――ツクモ艦が現れたことで、かつてない存亡の危機を迎えた。

 今では使う者も少なくなったネットに沈む映像には、光学兵器を満載した近代戦闘艦すら飲み込む、イナゴの如き“天敵”の存在が残っている。

 効かなかったわけではない。初期はむしろ優勢だった。しかし、優勢すぎる戦いが何年も続けば、どうだろう。

 疲弊し、慢心し。ヒューマンエラーは続出。無人兵器を規制する条約が足枷となり、人類は段々と追い詰められていく。

 最初から劣勢だったなら、また違ったはずだ。

 お湯に投げ込まれたカエルは、慌ててその中から逃げ出すが、水から火にかけると、死ぬまで茹でられてしまう。

 ジワリ、ジワリ。温度が上がってきていた。

 

 そんな中、現れたのが傀儡能力者。科学が霊魂すらを解析しようとする時代に生まれた、特殊な才能に恵まれたものたち。

 彼らは、二十一世紀が夢の時代とされていた頃に作られた、古い船へ魂を与え、統制人格という人型端末を励起。それを介し、己が手足として操ることが出来た。

 この存在のおかげで、人類はなんとか人らしい生活を維持している。

 

 

「検査には引っかからなかったのに、コンパスには反応するなんて……。どうしてなんでしょうか」

 

「分からない。その検査方法も、先達の方々から得たデータを元にしているだけだしね。

 発現する条件は不明。能力者同士の共通点も皆無。

 曖昧なものを、曖昧なままに使うしかないこの状況は、とても褒められたものじゃないよ」

 

 

 政府は能力者の数を確保しようと、躍起になったらしい。

 その際、不幸な行き違いで魔女狩りに遭った能力者も居たそうだが、とにかく、今は国民全員の義務となった適性検査により、確率は低いものの、年に数人は新たな人材が発見されている。

 けれど、自分が引っかかったのは、偶発的な事故のようなもの。

 傀儡能力者が長年身に付けた器物は、時に、能力者が持つ特定の波長へと反応するようになる。

 自分にとって試金石となったのが、能力者である先輩が大切にしていた、このコンパスというわけだ。人生、何が起こるか分からない。

 

 

「申し訳ありません。遅れてしまったみたいですね」

 

 

 ――と、回り続ける針を感慨深く眺めていたら、こちらへ近づいてくる急ぎ足の人物に気付いた。

 よく手入れされているのだろう、先輩ほどではないが、長い黒髪。小脇にノート型パソコンを抱え、メガネをかけるその少女は、白い生地に二色のラインが入ったセーラー服を着ている。

 確かあれは、まだ学習過程にいる軍属の女性が着る物。彼女が、初励起のガイド役を勤めてくれる技師なのか? ずいぶん若い……。

 

 

「おや、今回の担当は君かい。珍しいね」

 

「他に手の空いている者が居なかったものですから。……準備の方は?」

 

「へ。……あっ、だ、大丈夫ですっ。よろしくお願いします! 自分は――」

 

「失礼。すでに存じ上げていますから、挨拶は結構です。私のことも、ただ書記とお呼びください。早速開始しましょう」

 

「……そうですね……」

 

 

 先輩とのやりとりで、自分の予想が当たっていることは分かったのだが、対する反応はスルーに近い。

 なんだろうこれ。微妙に、いやかなり傷ついたぞ。

 どうしてこんな反応されなきゃ……ああ、そっか。傀儡能力者の側に控える技師や文官・秘書官などは、往々にして“そういう関係”になる。それを警戒してるんだろう、多分。

 まぁ、先輩がおかしいだけで、普通の女の子にモテるなんて思ってなかったし、割り切ろう。

 ……悲しいけど。

 

 

「ドンマイ新人君。ま、彼女は訳有りだ。気にしない方がいいよ。後でたっぷりねっとり慰めてあげるから、今は励起に集中するといい」

 

「そうします。あ、慰めるのは結構ですんで」

 

「うっはっはっはっは。冷たいな~、ホントは嬉しいくせに~」

 

「兵藤提督。邪魔になりますので下がっていただけますか?」

 

「はい。ごめんなさい」

 

 

 書記さんが、用意してあった作業台にPCを置きつつ、言葉で先輩を蹴散らしてくれる。

 辛辣な物言いだが、二人の顔を見るに、それを許されるくらいには親しいようだ。

 

 

「改めて手順の確認を。まず、励起対象艦に取り付けられた増震機が起動。

 これにより船体の霊子浸透圧が上昇し、数分で励起可能領域に到達します。

 最適な値となった時点で、能力者である貴方が分御霊を行うことにより、傀儡艦が励起されます」

 

「分御霊……。あの、なんかコツとか……?」

 

「感覚的なものだからねぇ。しかし、深く考える必要もないさ。君が相応しい存在であるなら、“彼女”はおのずと応えてくれる」

 

 

 駆逐艦へ向き直りながら、先輩は言う。

 霊子係数という、常に変動する数列で表され、ある程度なら干渉も出来るが、根源は未だ解明されていない、魂という概念。

 それを扱えるかは、本人の素養による。ぶっつけ本番なのは不安だけど、やるっきゃない。

 

 

「では、開始してもよろしいでしょうか」

 

「……っ。お願い、します」

 

「了解しました。起動信号を送ります」

 

 

 うなずき返すと、駆逐艦の船体から、重苦しい作動音が響いて来た。空気の震えも感じる。

 確か教本には、この霊的な振動によって、統制人格の励起がサポートされると書いてあった。

 また、統制人格は大型の古い機械にしか宿らない。励起する物体に一定以上の大きさがないと、振動が分散されずに反響しあい、耐えきれなくなって結合崩壊を起こすそうだ。

 そして、これだけ大掛かりな補助があっても、艦船を励起できる能力者は少ない。

 多くの能力強度が足らない者たちは、使役妖精――俗称・妖精さんを統制人格の代わりに励起し、整備などの技術職に就くこととなる。

 目の前にある駆逐艦の励起に失敗すれば、自分も。

 

 出来るのだろうか。

 “俺”なんかに。

 

 

「ほらほら、緊張しない。もし駄目だったとしても、私のとこで養ってあげるから。生活費とかは身体で払ってくれれば良いし。気を楽に、ね」

 

「よしっ、ありがとうございます先輩っ。何が何でも成功させます!」

 

「あれ、なんでぇ!? そこは失敗してもいいかなーって思うところじゃないかい!?」

 

「くすっ」

 

 

 なんでもヒトデもあるか。愛人契約なんてまっぴら御免です。

 と、脳内で突っ込みながら、顔には笑みが浮かんでいた。書記さんも小さく吹き出している。

 いつも通りすぎる先輩のおかげで、不安は吹っ飛んでしまった。

 機械のはじき出した数値が信じられなくても、もうどうでも良いや。

 失敗したら土下座でもしてやり直させてもらって、それでダメなら本当に先輩のとこで世話してもらおう。

 童貞は死守するが。

 

 

「霊子浸透圧、励起可能領域に達しました。励起をお願いします」

 

 

 覚悟が決まると、タイミング良く書記さんがGOサインを出してくれる。

 そういえば、どんな風に呼びかけるか考えてなかった。

 色々あるだろうけど……。別に気取る必要もない。

 思うまま、軽く右手を差し出す。

 

 

「来い。電!」

 

 

 名を呼んだ瞬間、少し高い位置に、光が生まれた。

 空間そのものを揺らめかせるような、優しい光。

 それはやがて、人の形を象って降りてくる。

 両腕らしきものをわずかに広げ、ゆっくりと、引き寄せられるように。

 

 

(……あ)

 

 

 細い左腕が差し伸べられた。

 求められていると、直感した。

 何を? 分からない。

 でも、こうするべきだとなぜか理解できて、右手をさらに上へ。

 光の塊と、指先が触れる。

 

 

「うぉ!?」

 

 

 “何か”が降ってきた。

 とっさに受け止めると、未体験な小ささが腕の中に収まっていた。

 モゾモゾと動くそれを確かめてみれば、幼い少女がそこに。

 

 

「君、が……電?」

 

 

 こちらを見上げる少女と、目が合う。ガラス細工のような、美しい双眸に見つめられる。

 長い茶髪をクリップで後ろに留め、よくあるセーラー服を着た少女。

 この子が笑ったら、どんなに愛らしいか。あり得ないと知っていても、そう思ってしまう造型だった。

 いや。応えてくれないからこその愛くるしさなのだろう。

 誰かがミロのヴィーナスを語ったように、存在しない腕が想像力を掻き立てる。返されない声を期待して、夢想する。

 だから、この子が人形であることを残念に思って――

 

 

「……ぁ。ご、ごめんなさいなのです!」

 

「――へ」

 

 

 桜の花びらを思わせる唇が、慌てた声に震える。

 驚いたように目をむき、頬を染めながら逃げ出そうとする少女を、止めることは出来ない。

 思考が完全に麻痺していた。

 

 

「えっと、えっと……。い、電です。どうか、よろしくお願いいたしますっ」

 

 

 モジモジ。何度か指をこすり合わせたあと、身体の前で重ね合わせ、ペコリとお辞儀。

 緊張が伺える上目遣いは、入学したての新入生といったところ。

 可愛い。想像していた何十倍も、可愛い。

 

 

「あ、あの……? あなたが、司令官さん……なんですよね?」

 

「………………しゃ」

 

「しゃ?」

 

「しゃべったぁああぁぁあああっっっ!?」

 

「はにゃーっ!?」

 

 

 ――という、素直すぎる感想が脳裏をよぎってから、腰を抜かすほどの驚愕がこみ上げた。

 なんで、どうして彼女は喋っている。

 喋るだけならまだいい。尻餅をついたこちらへ向けられる視線には、明らかな狼狽が見える。

 教えられていた事と違う。あまりに違う。

 彼女のどこが、傀儡なんだ!?

 

 

「どどどどっっどどっどどどういうことっすか先輩っ。な、なんで喋って、しゃべ、しゃべー!?」

 

「落ち着きなさいっ!! いいかい新人君、今はとにかく落ち着いて。私に任せるんだ、いいね」

 

 

 しどろもどろな自分を叱りつける先輩の顔は、油断なき軍人のそれに変わっていた。

 見れば、書記さんもあの少女に注視している。警戒しているのか、視線は鋭い。

 それも当然だ。ごく一部の例外を除いて、統制人格は傀儡能力者の操り人形なのだから。

 自ら喋ることもなければ、自ら動くこともない。何かにぶつかって転んだとして、「立て」と指示を送らなければ、永遠に倒れたまま。

 少なくとも自分はそう教えられた。何度も何度も、辟易するくらい。なのに……。

 

 

「初めまして、になるね。私の名は兵藤凛。彼の先達に当たる。……よろしく」

 

「は、はい。よろしくお願いしますっ。……それで、その……」

 

「なんだい? 聞きたいことがあるなら、遠慮なく言ってごらん」

 

 

 片膝をつく先輩と対話する少女は、どう見ても“意思”を宿している。

 どうなってる。あり得ない。訳が分からない。

 これは夢か? 励起に失敗した自分が、現実逃避でもしているんじゃ……。

 

 

「司令官さんは、どうして驚いているんですか? 電、どこか変、ですか?」

 

「いいや。どこもおかしくなんてないさ。電ちゃん……と、呼んでも?」

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとう。彼は、あれだ。電ちゃんがあまりにも可愛らしくて柔らかくて、ビックリしただけだよ、きっと」

 

「はゎ。か、可愛いなんて、あの……。そんなこと、ない、のです……」

 

「っちょ、先輩、何を言って! 前半は同意しますけど、後半を同意したら変態じゃないですか!」

 

 

 思わず反論が口をつき、本当に現実逃避しそうだった意識が引き戻された。立ち上がって、ケツについた埃も払う。

 なんとか正気には戻ったけど……。これからどうするんだろう。

 予定では、海へ出て各挙動の確認をし、それで今日は終わるはずだった。でも、こんな状態ではそうもいかない。

 

 

「さて。不躾な質問で悪いのだけど、電ちゃん。君は、自分がどういう存在か、理解しているかい」

 

「……えと。電は、暁型駆逐艦、四番艦の現し身で。司令官さんの命令に従うために、ここに居ます。それ以外は、よく分からないのです……」

 

「なるほど、ね。ああいや、それだけ分かっていれば十分だよ。さ、立ち話もなんだし、場所を変えよう……と、思ったけど、その前に。ちゃんと挨拶はしておくべきだね、新人君?」

 

「あ、そ、そうですかね――ってうぉ゛ぅ!?」

 

 

 けれど、先輩には何か考えでもあるのだろう、幾つかの質問が続く。

 その終わりにチョイチョイと指で呼ばれたのだが、まつ毛の本数を数えられるくらいに急接近され、変な声が出てしまった。

 逃げられないように、肩もガッシリ掴まれている。

 

 

「君も分かってるだろうけど、これは異常事態だ。私は上に報告する。書記君を側につけるから、あの子をよく観察するんだ」

 

 

 いつもの冗談と違った、冷静沈着な上官からの命令。

 一も二もなくうなずき返し、離れる頃には優しい微笑み。

 作り笑いだと思った。

 警戒を解き、油断させるための仮面。女って、怖い。

 

 

「ほら、握手握手。コミュニケーションの第一歩だよ」

 

 

 手を引かれ、今度は右手同士が触れ合う。

 また、別の恐怖を感じた。

 うっかり力を込め過ぎれば、そのまま砕けてしまいそうな細さ。

 ただ触れただけで傷つきそうな、柔らかさ。

 

 

「いきなり大声を出したりして、ごめん。これからよろしくな。電……ちゃん」

 

「はい。改めまして、よろしくお願いいたします」

 

 

 朗らかな笑みが返され、指におずおずと力が入る。

 さっきの言葉、取り消さないといけない。

 確かに自分は驚いていた。

 今、置かれているこの状況と、出会ったばかりの、温もりに。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「……という感じだったな、電との初対面は」

 

 

 回想を一旦そこで区切り、すっかり冷めたお茶で口を湿らせる。

 ちなみに、先輩のセクハラ発言は省いていた。

 あんな事を女の子の前で言えるほど、まだ振り切れていない。

 

 

「なるほどなるほどー。やっぱり司令官も最初は驚いたんですねー」

 

「そりゃあな。あれに匹敵するインパクトは……今のところ、島風と金剛くらいだな、うん」

 

「ワタシですカ? そんなにStrangeなことをした覚えはないデスけど……」

 

「初対面で告白したんだよね、金剛さん。それって十分変わってると思うよ。島風ちゃんの格好もアレだけど」

 

 

 腕組みする衣笠に、自分も含めた残り四人で首を縦に振る。

 もうすでに日常と化しているが、やっぱり島風の格好はインパクトあり過ぎだよ。

 まぁ、そのおかげで耐性も出来ていたし、先日の出撃でのお色気シーンにも耐えられたんだろうけど。

 先輩と出会う前の自分だったら、キョドってなんにも出来なくなってたんだろうなぁ……。

 なんて思いつつ紐パンを思い出していると、今度は那珂が胸を張る。

 

 

「でもでも、那珂ちゃんの時だってビックリしたでしょ? なんてったって、こーんなに可愛い女の子と握手しちゃってたんだしっ。キャハ☆」

 

「ごめん。直前に夜戦夜戦うるさい川内を呼んでたから、あんまり印象に残ってないや。あ、もちろん今は頼りにしてるぞ。安心して遠征任せられるし」

 

「ガーン!? そ、そんな……。うぅぅ、いいもんいいもん。しっかり地方巡業こなして、一歩ずつトップアイドルへの階段を登って行くんだから! 那珂ちゃん負けない!!」

 

「立ち直り早いですねー」

 

 

 背中に暗雲を背負い、畳へ手をつく自称アイドルだったが、すぐさま瞳に活力を宿し、ワザとらしい愛され系ガッツポーズ。

 なんというか、くじけないことに関しては天才的だな。那珂だけじゃなくて川内もか。未だに夜戦したいって言ってるの、あの子だけだし。

 出来るだけリスクは避けたいから、出撃は昼間に限定してるけど……。いつかは夜闇に紛れ、深海棲艦と砲火を交える可能性だってある。

 当時は世界最強と称された第二水雷戦隊――通称二水戦の旗艦、神通も居てくれるが、キチンと準備はしておくべきか。

 夜戦用の装備も用意して、訓練も……。

 

 

「ともかく。その日から、提督の栄達が始まったわけですか」

 

「ん? いや、そう上手くはいかなかったよ。次の日から、早速訓練が始まったんだけど……」

 

 

 横道へ逸れた思考を、加賀の声が元に戻す。

 次に語るべきは、自分が軍人であろうと決意したきっかけ。

 おそらく、青葉の望む答えとなるだろう、拙い日々である。

 

 

 

 

 


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