新人提督と電の日々   作:七音

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 今回は微妙に二万字を越えちゃったので分割投稿です。


新人提督ととても長い一日・後編

 

 

 

 

 

 カラカラ、カラカラ、と。

 何か、滑車の回るような音がしていた。

 

 

「血圧百――の――、脈拍安――ません」

 

「――えますか、聞こえ――か!」

 

 

 光が移動している。

 いや、自分が仰向けに動いている。

 天井。

 見上げているのか。

 どうにも、ハッキリしない。

 

 

「司――さん、しっかり――下さい!! ――官さんっ!!」

 

 

 誰かの声。

 揺れる視界の端。白づくめの人影に混じり、見慣れた髪が。

 右手を強く握られていた。

 

 

(いなづま)

 

 

 どうして、君は、そこまで必死に呼びかける。

 どうして、君は、泣いている。

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 

 

「ぐ、ごほ、あ゛、ごふ」

 

「まずい、押――て!」

 

「輸血――、人――液を――」

 

 

 息苦しさに、身体が跳ねた。

 途端、喉を熱さが逆流し、体内に鋭い痛み。

 幾つもの手がまとわりついて、気持ち悪い。

 

 

「貴方はここま――す、――は我々――せて」

 

「司令官さ――あっ」

 

 

 衝撃を感じ、同時に温もりは離れていく。

 なんとか上体を起こすと、白い世界へ置き去りにされる彼女が、手を伸ばしていた。

 自分もそうしようとして、閉じる両開きのドアに遮られる。

 また、身体を押さえつけられた。

 

 

「麻酔は?」

 

「で――ます」

 

「気道――」

 

 

 移動している感覚が止まり、網膜を光に焼かれる。

 眩しいと思う暇もなく、口元に何かが覆いかぶさった。シャツの袖もまくられたように感じたが……感覚が鈍い。

 ただでさえ朧気だった思考は、霞のように――

 

 

(……かすみ?)

 

 

 ――頭の中に、しこりが生まれた。

 覚えがあった。

 誰かの名前だと、気がついた。

 

 そうだ。

 こんなことしている場合じゃない。

 あの子が帰ってきたら、すぐに直してもらえるよう、指示をだしておかなきゃ。

 それに、お腹も空かせてるはず。夕飯を用意してもらわなきゃ。

 あぁ、だけど。

 

 

(……ねむい……)

 

 

 言い知れぬ脱力感が全身を支配し、眠りに落ちていく。

 深く。

 深く。

 深く――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 煌々と照る照明に反比例するかのごとく、広い待合ロビーは、暗い空気で包まれていた。

 聞こえる音といえば、有機ELの微かな動作音のみ。

 唯一、長椅子に腰掛ける少女――電も、全く微動だにせず、虚ろにリノリウムを見つめるだけ。

 

 

(司令官、さん)

 

 

 散々に泣き明かしたのだろう。瞼は赤く腫れていた。

 時刻は二三○○。

 出撃していた艦隊が帰投してから、すでに一時間以上。

 そして、彼女を意気消沈させる原因。桐林提督の負傷からは、実に十一時間が経過しようとしている。

 

 

「はい、これ」

 

「……あ。満潮、ちゃん……」

 

 

 不意に、電の視界へ何かが侵入してくる。満潮が、自販機のお汁粉を差し出していた。

 五十五度で保温されていたスチール缶は、薄ら寒い室内で、とても熱く感じられる。

 

 

「まだ戻らないの。みんな心配してるわよ。司令官と……電のこと」

 

「………………」

 

 

 隣へ勢い良く座り込み、満潮はプルタブを開けながら問う。

 しかし電は答えず、ため息と小豆の甘い匂いが広がるだけだった。

 桐林提督が倒れたという知らせが、鎮守府を駆け巡ってからというもの、病棟にはひっきりなしに彼の統制人格が訪れている。

 

 全速力で真っ先に駆けつけた島風は、後を追ってきた雷と待合室をウロウロしているところを、天龍と龍田に引きずられて帰って行った。

 扶桑・山城と、妙高・那智・羽黒は連れ立って現れ、満潮と二言三言話した後、彼女を連れて立ち去る。自失している電に代わり、業務を引き継ぐためである。側には羽黒が残った。

 次いで、電話番から解放された鳳翔に、家事をしていたのか、エプロンをつけたままの古鷹、珍しくシャッキリした顔の加古、望月、初雪もやって来る。

 彼女たちは、後から来た龍驤、祥鳳、瑞鳳、千歳と入れ代わりに立ち去り、大井・北上の雷巡コンビと陽炎型、朝潮と川内型、球磨・多摩・木曾に利根・筑摩といった具合だ。

 遠征へと出ている長良型姉妹や白露型姉妹も、鎮守府にいればきっと駆けつけたことだろう。

 最後に、散歩中だったヨシフを連れていたため、暁と響が守衛に止められるという騒動も起こった。

 暁の「待て」で大人しく待っていたヨシフだが、帰っていく後ろ姿がやけに小さく見えたと、つぶらな瞳に威圧されていた守衛は語る。

 

 利用者の迷惑を考えて帰りはしたが、本当はここで待機していたかったのかも知れない。

 たとえ、「手術室に隕石でも降ってこない限り絶対に助かる」と、医師から断言されても。

 皆、電のように。

 

 

「ごめんなさい……。こんな時に、自分勝手なこと……」

 

「良いんじゃない。“こんな時”なんだから」

 

 

 電が頭を下げるも、満潮はさして気に留めていないのか、熱いお汁粉に悪戦苦闘していた。

 

 

「あっつ……。もう、なんでこんなに熱いのよ。……はぁ。早く帰ってきなさい、あのバカ。まだ返事聞いてないんだから」

 

「返事……?」

 

「あぁ、そういえば居なかったわね。大したことじゃ……そうだ。ついでだから、電に聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 

 

 覗き込むようにされた問いかけに、電が無言でうなずく。

 すると満潮は、お汁粉の熱さに顔をしかめた後、足を組み、眼だけで向き直る。

 

 

「司令官の、どこが良いの?」

 

「……ふぇ!? あ、あぁぁの、こ、こんな時に……」

 

「さっきも言ったけど、こんな時だから、よ。今なら、同調で盗み聞きされる心配もないし」

 

「そう、だけど……えと……」

 

 

 統制人格とは、能力者から魂を分け与えられた存在だけあり、常に霊的な繋がりを保っている。

 それを辿ることで感覚を同期するわけだが、増幅機器がなくともかなりの射程があった。本気を出せば、いつでも会話を盗み聞き、もっと直接的なことも可能なのである。

 彼がそうしないと、今までの付き合いで十分に分かっているが、恥ずかしさも手伝ってこういう話をしたことはない。

 しかし、無意識に会話を欲していたのか、彼女はつっかえながらも、向けられた質問に答える。

 

 

「司令官さん、は……。すごく、優しいから。電たちのこと、とても大切にしてくれるから。だから、その……」

 

「……この状況だと、否定のしようがないわね」

 

 

 苦笑いとも、自嘲とも取れる笑みを浮かべ、満潮は缶をわずかにあおった。

 普段であれば、「それって他に長所がない時に使う最後の美徳よね」などと、悪態をつける。

 しかし、実際に姉妹艦の命を救われ、結果として傷まで負った彼のことを笑えるほど、歪んではいない。

 ……むしろ、身に沁みる。入渠中、姉妹を三人も失った経験が刻まれている身としては。

 あの時、らしくない真似を――縋るような真似をしてしまったのも、この影響だろう。

 彼をもし褒めるなら、使い古された定型文こそが、一番似合うと思えた。

 

 

「あの……今度は、電が質問しても?」

 

「別にいいけど。っていうか、想像つくわ。どうして司令官に辛く当たるのか、でしょ」

 

 

 先んじて内容を言い当てると、電がまたうなずく。

 満潮自身、提督への態度が褒められたものではないのを自覚している。加えて、妹である霞と、曙も同じだと。

 そして、己がそうであるように、彼女たちにも理由があるのだと察しはついていたが、あえて語ることもせず、自分のことだけに留める。

 

 

「まぁ、曙とか霞とかがそうする理由は分からないけど、私は……。司令官が、私を見ていないから、ね」

 

「それは、どういう……」

 

「言葉通りよ。司令官は、私を通して別の“私”を見てる。桐生とかいう提督が沈めた、私を。時雨は何も言わないけど、多分あの子も同じ風に感じてるはずよ。私はそれが嫌」

 

 

 初めて出会った時。

 彼は満潮を見て、わずかに悲しそうな顔をした。

 それがどうにも気になって、彼女は先任の仲間たちに話を聞き、友人である桐生提督と、最後を共にした同名艦のことを知る。

 胸の中に、暗雲が立ちこめたような気分だった。

 

 

「ただの戦力として呼ばれたのなら。例え捨て駒としてでも、諦めがつくわ。軍艦なんだもの。

 けど、そうじゃなくて。他の誰かへの罪滅ぼしに呼ばれたんだとしたら。……そんなの、嫌よ」

 

 

 人間的な身体と心を得たとしても、本質は違う。

 あくまで戦いのために生み出された兵器。その本分を全うするためでなく、罪悪感の慰めに呼ばれた。

 もし、そうだったならば――

 

 

(馬鹿にするのも大概になさいよ)

 

 

 ――と、拳を握ってしまう。

 例え妹の恩人であっても、実際にこう言われたら軽蔑を禁じ得ない。

 この身は、敵を打ち砕くためにある。譲れない、意思を持つ軍艦としての誇りだった。

 が、あることに気づいた満潮は、「あっ」と声をあげて電へ詰め寄る。

 

 

「違うわよ!? 別に、そういう感情があるわけじゃなくてっ。変な意味なんてないから、勘違いしないでよね!?」

 

「は、はい……?」

 

 

 唐突な言い訳に理解が及ばず、電は首を傾げるしかなかった。

 よくよく発言を分解し、少しだけ曲解すると、「あの子じゃなくて私を見て」という告白にも取れるのだが、根が素直なため、言葉通りにしか受け取らなかったようだ。

 そんな彼女を見て、自身の拗ねた心持ちが恥ずかしくなったか、満潮は黙り込む。

 しばらく、沈黙が続いた。

 変化がもたらされたのは、お汁粉が飲みやすくなった頃。

 待合ロビーと屋外をつなぐ自動ドアが開き、歩み寄る二つの人影へと、電たちが振り返った時だった。

 

 

「本当に、まだ手術中なのね」

 

「ちっ。何してんのよ、とんだヤブ医者じゃない……!」

 

「曙、やめなさい」

 

「……ふんっ」

 

 

 影の主は、出撃から帰還したばかりの、叢雲と曙。

 手にはそれぞれ、ブランケットと菓子の箱を持っている。一旦宿舎へ戻ってから、病棟へ来たのだろう。

 彼女たちが悪い知らせを受け取ったのは、横須賀へ帰投してからである。

 幸か不幸か、帰りの道では深海棲艦との遭遇もなかったが、順調な航海では定期報告以外にすることもなく、引き換えに知らせを受けるのも遅くなってしまった。

 いつもなら必ず出迎えてくれるという提督が姿を見せず、それを不審に思った金剛と曙が整備主任へ問いかけ、ようやくだ。動揺を抑えるという意味合いもあったのかもしれない。

 

 

「身体の方は、大丈夫ですか?」

 

「平気よ。私たちは被弾していないから」

 

「わたしは精々、巻き上げ機の調整したくらいかな。ったく、保守点検なんて後でもいいのに」

 

 

 驚愕し、色を失った彼女たちは、一も二もなくドックを飛び出そうとするが、整備主任がそれを留めた。桐林提督からの厳命があったからである。

 みんなが帰ってきたら、すぐに直してあげて欲しい、と。

 麻酔で眠りにつく直前、うわ言のように呟かれたそれは、看護師と書記を通じて整備主任へと言付けられた。

 事の経緯まで説明されては、振り切って駆けつけることもできず、被害を受けた船は高速修復を。そうでないものも、歯がゆい思いをしながら整備点検を受ける。

 出撃組からこの二人がやって来られたのは、一番損耗が少なかったからであろう。それでも、二時間足らずで艦船の点検を終えるなど、尋常ではない速さなのだが。

 

 

「これ、使いなさい。どうせ、ずっと待っているつもりなんでしょう。冷えるわ」

 

「あ……。ありがとう」

 

 

 大きめのブランケットを電の肩にかぶせ、叢雲はその斜め前に腰を下ろす。

 対して曙は満潮の反対側へ陣取り、無造作に箱を差し出す。

 棒状に焼き上げたプレッツェルへチョコをまとわせた、一世紀近く愛される菓子である。

 

 

「ん」

 

「え? えっと……」

 

「んっ」

 

「い、いただきます……」

 

 

 仏頂面に押し切られ、電が箱から一本だけ貰い受ける。プリン味だった。

 お汁粉とプリン味のチョコ。

 ミスマッチな甘さで困惑していると、両隣の少女たちが会話を始める。

 

 

「曙。あんた、ご飯食べて来たんじゃないの?」

 

「食べたわよ。お腹いっぱいに。でも、なんか物足りないの。美味しかったはずなのに、なんか……味気ないのよ。それもこれも、全部クソ提督のせい――あ」

 

 

 ほぼ言い終えてから、慌てて口を覆う。

 口癖のようになっている、彼への罵り。

 いつもは周囲からたしなめられるが、しかし今は、隣の少女に悲しそうな表情をさせるだけ。

 あまりにもばつが悪くて、曙は菓子を三本まとめて咀嚼する。

 

 

「曙ちゃんは、司令官さんのこと、嫌いなの?」

 

「……嫌いというより、気に食わないだけ」

 

「どこが違うのよ、それ……」

 

「そうとしか言えないんだからしょうがないでしょっ。いきなり人を後方任務に行かせるから、嫌なこと思い出しちゃって……。それが抜けないのよ」

 

 

 叢雲からの呆れた視線に、思わず顔を背ける曙。脳裏をよぎるのは、過去の記憶――大戦の傷跡だった。

 かつて、姉妹艦である(おぼろ)(さざなみ)(うしお)と共に、第七駆逐隊へと所属した彼女。その戦史は、貧乏くじを引いてばかりと言える。

 スラバヤ沖海戦では、敵艦を病院船と誤認したまま臨検へと駆り出され、危うく轟沈しかけた。

 珊瑚海海戦では、日本海軍きっての損害率を不本意ながら保持する空母、翔鶴の護衛につくも、守りきれなかった。おまけに、この海戦では他にも多数の被害が発生し、全く関係のないことまで曙に非難が集中する。

 これを受けてミッドウェー海戦への参加は許されず、同型艦とは違い、輸送や海上護衛などの後方任務に従事させられたのだ。

 

 曙がこの艦隊で励起され、最初に行なったのも、同じ類の任務である。

 しっかりと練度を上げて、実戦で遅れをとらないようにとの配慮なのは理解できたし、後方支援の重要性も知っている。だが、やはり良い印象は持てなかった。

 そんな第一印象を引きずり、ひねくれた言葉を向け、その度に軽い自己嫌悪へ陥る。どうしようもなく、不器用な少女だった。

 

 

「叢雲はどうなのよ。クソて――ごほん、あいつに対して結構キツい言い方してなかった? いっつも自信満々にさ」

 

「私が? ……笑えないわ。自信なんて、これっぽっちもないわよ。今回の出撃でも、嫌というほど思い知らされた。所詮、旧型艦ね……」

 

 

 そして、ここにも不器用な少女がもう一人。

 南方作戦やミッドウェー、ソロモン諸島の戦いなどへ参加した駆逐艦である彼女だが、特に目覚ましい戦果をあげたという記録はない。

 その後、第二次ソロモン海戦で輸送船団を失ってから約二ヶ月後。サボ島沖海戦中、大破した古鷹、青葉の救援に向かい、帰らなかった。

 高飛車な口調でごまかしてはいるが、この事実を痛恨とし、彼女は自分自身に厳しくならざるを得ない。

 ただでさえ古い分類の駆逐艦。しゃかりきにならねば、性能限界で追いつけなくなってしまう。

 けれど、強気に自身を奮い立たせても結果が伴わず、後悔ばかり。こうして時々、弱音を吐かないとやっていけないのである。

 

 再び、重い沈黙が広がった。

 それをどうにかしようと、電が意を決して口を開こうとしたその時、病棟の入り口から足音がまた一つ。

 小さな影が、近づいてくる。

 

 

「霞、ちゃん」

 

「………………」

 

 

 彼女は返事をしない。静謐な表情を浮かべ、ゆっくりと歩いている。

 長椅子まで来ると、いくらか逡巡して、電の真正面へ腰を下ろす。

 隣り合った叢雲が声をかけた。

 

 

「もう直ったの。流石、主任さんの腕は確かね」

 

「おかげさまで、死に損なったわ」

 

「ちょっと」

 

「分かってるわ、叢雲。……分かってるわ」

 

 

 いつも通りといえば聞こえはいいが、この場においては不遜が過ぎる物言い。

 眉をしかめる叢雲だったが、重たい一言で文句をつけられなくなる。

 小さく深呼吸した霞は、背筋を伸ばし、電をまっすぐに見つめた。

 向けられる電は、わずかにたじろぐものの、なんとか受け止める。

 

 

「どうして、何も言わないの」

 

「……一番辛いのは、多分、霞ちゃんだから。……なのです」

 

「私が?」

 

 

 表情が崩れる。

 穏やかな湖面に見えたそれが、石を投げ込まれたように。

 

 

「なんでそうなるのよ。私は、なんとも思ってないわ。バカよね、私なんかを助けたって、良いことないでしょうに。そのせいでこんな怪我までして。ほんと、バカよ」

 

「霞っ、あんた、それが命の恩人への……!」

 

 

 心ない暴言に耐えられず、掴みかかろうとする満潮だったが、腰を上げようとしたところで肩に手を置かれる。

 軽く。なんの力も込められていないだろうに、それだけで動けなくなった。

 原因は、電。

 

 

「本当に? 霞ちゃんは本当に、心の底から、そう思ってるんですか?」

 

 

 先ほどまでと打って変わり、絶対の自信が込められていた。

 霞といえば、顔をうつむかせるだけで答えない。答えられるはずもない。

 

 

「もし違うなら、本当の気持ちを言葉で塗りつぶすようなこと、やめた方がいいのです。

 そんなことを続けてたら、いつか、嘘が本当になっちゃう。……そんな気が、します」

 

 

 真摯に語られる、その一言一言が。

 彼女の胸を深く突き刺しているのだから。

 

 

「……だったら、どうしろって言うの」

 

 

 ようやく絞り出せたセリフにも力がなく、霞は傷一つない手のひらを見つめた。

 誰かの血が重なったように思えて、キツく目を閉じる。

 

 

「私はただの駆逐艦。特別な存在じゃないし、目立つ能力もないわ。……貴方みたいに可愛げもない。

 こんな風に大事にされたって、何も返せない。今さら大切にされたって、どうしていいか、分からないのよ……」

 

 

 震える声は、揺れる感情を色濃く反映していた。

 思いも寄らぬ形で知らされた“司令官”の凶報が、霞の忘れ難い痛みを呼び起こしているのだ。

 一九四二年、七月五日。

 水上機母艦・千代田と、特設輸送艦として徴用された貨客船・あるぜんちな丸――後の航空母艦・海鷹(かいよう)を護衛し、キスカ島へ向かった霞は、濃霧の中、沖合に仮泊していた。

 しかしそこを、米潜水艦・グロウラーに襲撃され、第十八駆逐隊の司令駆逐艦だった彼女は大破。

 僚艦である不知火も同じく大破し、姉妹艦であった(あられ)は二本の魚雷を受け、目の前で轟沈した。無事だったのは陽炎のみである。

 そして、軍内部からの苛烈な批判により、霞へ座乗していた司令官が、責任を取るという形で自害したのだ。

 この後も彼女は悲運に見舞われ、陽炎と不知火、姉妹艦を続々と失い続け、沖縄への特攻――菊水(きくすい)作戦において、ついに命運を尽くこととなる。

 

 

「こんなはずじゃなかった……。こうならないために、私は……」

 

 

 当時の霞に、今のような意思はない。

 けれど、失態を演じた上で司令官を失ったという史実は、紛れもなく彼女を構成する一部分。

 切り離すことなんて出来ず、生まれて間もない心を固く縛り付けていた。だから、露悪な言葉で、真綿の想いを胸に秘める。望ましい環境にさえ反発する。

 いざという時、きちんと見捨ててもらえるように。

 

 

「お話中、失礼します」

 

 

 痛々しい心情の吐露が続く中、それを中断させるようなタイミングで、一人の少女がやって来る。

 入り口からではなくて、反対側。病棟内から姿を現したのは、濃厚な疲れを顔に乗せる書記であった。

 

 

「今さっき、手術が終わりました。提督の容体も安定しましたよ」

 

「ほ、本当ですかっ!? ……っ、良かったぁ……」

 

「はぁぁ、やっと? どんだけ時間かけてんのよぉ」

 

 

 彼女が放つ一言で、場の雰囲気は一転。

 電は涙ぐみながら立ち上がり、曙が両手を広げ、仰向けに長椅子へと倒れこむ。

 他の面々も、目に見えて表情が明るくなった。……ただ一人を除いて。

 

 

「意識はまだ戻っていませんが、すでに病室へ移されています。……お会いになりますか?」

 

「大丈夫なの、書記さん。こういう場合って、しばらくは無理なんじゃ?」

 

「普通ならそうなんですけど、皆さんでしたら。警備という名目で、私がどうにかします。それに、一度顔をご覧になった方が安心できるでしょうから」

 

 

 願ってもない申し出に、一足早く冷静さを取り戻した満潮が問う。

 常識的に考えれば、長時間にわたる手術を終えたばかりの患者に、肉親でもない存在が面会するなど、あり得ないからだ。

 しかし、書記が言う方法であれば……いや、それにしてもごり押しが必要だろうが、面目は立つかもしれない。

 そう判断し、今度は叢雲が、皆を促すように立ち上がる。

 

 

「なら、行くだけ行きましょうか。部屋は?」

 

「一○七号室です。深夜ですので、お静かに」

 

 

 唇の前へ人差し指を立てて、書記は悪戯じみたウィンク。珍しい茶目っ気に、叢雲は自然と微笑み返す。

 続く満潮が「ご苦労様」と短く労い、頭の後ろで手を組む曙は、「陸でも警備任務かぁ」とぼやいている。

 最後に電が深々と頭を下げ、後ろを気にしつつも、小走りに廊下を行く。

 霞だけが、動けずいる。

 

 

「過去を受け入れるも、過去に縛られるも、本人次第ですよ」

 

「え?」

 

 

 驚き、声のした方向を見上げる霞。

 電たちについて行ったはずの書記が、胸元から何かを引っ張り出していた。

 

 

「霞さん。確かに貴方は軍艦なのでしょう。けれど、その胸の内にある記憶は過去のもの。いわば前世の記憶。少し、そこから離れてみてはどうですか」

 

「離れ、る」

 

 

 ペンダント。

 少し厚みのあるハートに、錠前のような鍵穴。おそらく、中には写真が収められているのだろう。

 それを握りしめ、彼女は静かに目を細める。

 

 

「軍艦としての貴方ではなく、今、ここで生きている貴方は、どうしたいのか。

 こう考えれば、自分に何が返せるのかも、見えてくるのでは?

 ……なんて、部外者が偉そうに言ってみました。さぁ、霞さん」

 

 

 差し伸べられた手を、じっと見つめる霞。

 物言わぬ軍艦としての自分。使役される統制人格としての自分。霞という名の――少女としての自分。

 どれが本物なのか。どれを本物にするのか。

 今はまだ迷っている。

 けれど――

 

 

「確認、するだけ。どんな酷い寝顔してるのか。見に行くだけ、だから」

 

 

 ――それでも、霞は立ち上がる。

 書記の手を握り、頼りない足取りで歩き出す。

 向かう先に、答えがあるかもしれないと、夢想して。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 気がつくと、見知らぬ天井を見上げていた。

 鳥の声。

 差し込む光の眩しさから、今が昼間なのだと推測できる。

 身体が重い。

 空気が粘度を増して、のしかかって来ているように感じた。

 

 

「目、覚めた?」

 

 

 左耳に、優しい声が届く。

 顔と視線をわずかにずらせば、逆光の中に佇む満潮がいた。

 

 

「……みち、しお。ここは……」

 

「病室よ。あの戦いの後、司令官はフィードバックで倒れたの。覚えてない?」

 

「……あぁ……」

 

 

 言われて、ようやく記憶が蘇る。

 鼻血。吐血。慌てる書記さん、満潮、電の姿。

 痛みだけが、フィルターを通しているみたいに他人事で、現実感がない。

 

 

「……のど、かわいた……」

 

「悪いけど、まだ水は駄目。今はこれで我慢しなさい」

 

 

 しかし、喉を苛む渇きは如何ともし難く、それを率直に伝える。

 すると満潮は、清潔なガーゼに水を含ませ、唇へと押し当ててくれた。

 わずかな水気でも、本当に欲しているものなら、身体は勝手に吸収してくれるらしい。

 気分が落ち着いて来る。やっとしっかり喋れそうだ。

 

 

「ありがとう。もう、大丈夫だ」

 

「そう。気分は? 痛むところがあるなら言いなさい」

 

「……いや。なんだか、全体的に身体がダルいだけで、痛みは……ん?」

 

 

 言いながら自分の身体を確かめようとするのだが、両手に違和感を覚える。

 左手を少し持ち上げてみると、甲に管が繋がっていた。点滴……栄養剤か何かだろう。

 右手には、暖かさと柔らかさ。覚えのある感触に、首を向けてみれば――

 

 

「くぅ……すぅ……」

 

 

 ――手をつないだままに眠る、電がいた。

 ベッドに突っ伏して、自身の右腕をまくらにして。小さな左手が、こちらの手に乗せられている。

 

 

「ずっと、側にいてくれたのか。電も、満潮も」

 

「私は今来たのよ。赤城さんや加賀さん、あと金剛さんたちと入れ替わり」

 

「そっか。無事に帰ってたか」

 

「ええ。交戦もなく。まぁこの子たちは、帰ってきてからほぼずっと、だけどね」

 

「この子たち?」

 

 

 問い返すと、満潮はベッドをリクライニングさせてくれる。

 上半身が起き上がり、病室の全体が見渡せるようになると、意外にも多くの人影が室内にた。

 満潮の向こう側、窓側の椅子に曙。大股と大口を開き、天井を見上げて眠っている。いびきまでかいて、だらしない……。

 正面の壁には叢雲が寄りかかっている。彼女は腕を組み、うつらうつらと船を漕いでいた。立ったまま寝るとか加古みたいだ。でも、なんだか様になっている。

 そして、電に隠れるようにして、霞が。顔はむこうを向いているが、背中がゆっくり上下してるから、多分寝てる。

 

 

「良かった。指示を出した覚えはないけど、主任さん、ちゃんと直してくれたんだ。赤城たちにも礼を言わなきゃな」

 

「え。……もしかして、覚えてないの」

 

「何をだ?」

 

「……はぁぁ。無意識。処置無しね。手に負えないわ」

 

「な、なんだよ、変な顔して」

 

「分かんないならそれでいいわ。きっと言っても無駄だもの」

 

 

 呟いた言葉に、なぜか満潮は深〜いため息をつき、頭を抱えてしまう。

 どうして起き抜けでこんな反応されなきゃいけないんだ、おい。今の状態はよく知らないけど、多分まだ怪我人だぞ。いたわれ。

 そんなことを思いつつ、丁度良い位置にある電の頭を撫でていると、目を覚ましたのか、彼女はポケ~とした表情で身体を起こす。

 

 

「しれぃ、かん……さ、ん……?」

 

「ああ。おはよう、電」

 

 

 半開きの目を袖でグシグシ。

 まだ夢を見ているような顔つきのまま辺りを見回し、コテン、と首を傾げる。

 うん、可愛い。

 

 

「………………っっっ!? し、司令官さんっ!? 起きて大丈夫なんですか!? 痛いところありませんか!? あ、おはようございますです! お医者さん呼びますか!?」

 

「う、お、ぉ?」

 

 

 ――と笑ってたら、すごい勢いで詰め寄られた。

 つんのめり過ぎて、ベッドに登らんばかりである。

 

 

「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ、電」

 

「ふがっ。……ぅう、何よ、うっさいわねぇ……」

 

「……ん、あら。起きたのね」

 

「んぁ……。なにテンパってるのよ、いなづ――あ」

 

 

 あわあわした声につられて、残る三人も起き出す。

 それは良いのだが、まずは今にも泣きそうな電をなだめなくては。

 

 

「だ、大丈夫だから、満潮にも言ったけど、どこも痛くないし。安心してくれ。な」

 

「……はい。……はい。すん、はい……っ」

 

 

 できるだけ優しく、そう言って笑いかけると、彼女は目に涙をため、何度も何度もうなずく。

 随分と心配をかけていたようだ。でも、申し訳ない反面、身を案じてもらえる嬉しさもあった。

 まぁ、命が繋がってるんだから、当然っちゃあ当然なんだけど……それだけが理由じゃないと信じて、喜んでおこう。

 

 

「大丈夫って割りに、酷い顔してるわよ、クソ提督」

 

「よだれ垂らしてる子に言われたくないな。……そんなに酷いか?」

 

「うそっ……じゅる。あ、う、嘘じゃないんだからっ。本当に顔色悪……もういいっ」

 

 

 それに引きかえ、曙のふてぶてしさは変わらない。別の意味でホッとするよ。

 一応、心配はしてくれてる……んだよな? もしかして、曙にすら心配させるほど酷い……?

 不安で顔をさすっていたら、叢雲がどこからともなく大きめの手鏡を持ってくる。正面に立つ彼女が構えれば、その中には――

 

 

「うゎ、真っ白」

 

 

 ――漂白された男の顔が映し出された。

 土気色……というより、白磁のような色。

 まるで深海棲艦の統制人格みたいだ。少し気味が悪い。

 

 

「人工血液の色だそうよ。詳しい理屈は分からないけど、二~三週間で元に戻るらしいわ」

 

「なるほど。噂には聞いてたけど、これはビックリするな」

 

 

 叢雲の説明にピンときた。うろ覚えだが、ここ数年で開発されたものだったはず。

 代理ヘモグロビンだかなんだかを使っているため、見た目は濃い牛乳みたいな感じだが、どんな血液型の人にも使えるので凄いらしい。

 推理小説とかで有名なポンペイタイプにもOKだとか。その代わり精製は難しく、一デシリットルでウン十万かかるようだ。

 ……どのくらい使ったんだろう。あんまり治療費が掛かると、配給資源、減っちゃうんだよなぁ……。

 

 

「さて。起きたばかりで大変でしょうけど、話さなくちゃいけないことがあるわね」

 

 

 考え込んでいると、不意に叢雲が真面目な顔をする。

 姿勢を正し、気をつけのように直立不動となった彼女は、まっすぐこちらを見据えた。

 

 

「今回の作戦、失敗した原因は、索敵にほころびを作った私にある。どんな処罰でも受ける覚悟はできてるわ」

 

「ん? ちょ、ちょっと待った。処罰ってなんだ?」

 

「なんだはないでしょう。この失敗で資源は大量に無駄になったし、司令官の立場はより悪くなる。得たものなんて何一つない。責任の所在はハッキリすべきよ」

 

「それは分かってる。でも、なんで叢雲への処罰の話になるんだ」

 

「なんでって……本気で言っているの?」

 

「本気も何も、責任は司令官である自分が取るもんだ。部下へ失敗をなすりつけるなんて情けない真似、できるわけないだろう」

 

 

 訝しげに眉をひそめる叢雲。

 それが不思議で、自分も眉間にシワを寄せてしまう。

 

 

「君は気づいてたじゃないか、何かがおかしいって。大したことじゃないと判断したのは自分のミスだ。それに、得たものが無いっていうのも違う。

 少なくとも、対上位種との戦闘セオリーは実践可能だって証明できたし、敵が戦術的な行動をとることも確認できた。あとは……」

 

「……あとは?」

 

 

 言葉を詰まらせると、叢雲はおうむ返しに首を傾げる。

 う~ん……。勢いで言えると思ったけど、けっこう勇気がいるな……。

 いやいや、頑張れ自分。言葉にしなきゃ伝わらないんだから。

 

 

「……し、信頼関係を築くことも、できたと思う。普通の能力者と違う戦い方しか出来ない自分には、それが何より重要だ。

 だから、失敗じゃない。いやまぁ失敗だけど、完全な失敗じゃない。少なくとも、自分はこう考えてる。……なんか悪いか!?」

 

「なに逆ギレしてんのよ」

 

 

 うるさい、妙に恥ずかしいんだよ!

 脳内で霞へと反論しながら、くすぐったさを誤魔化すために窓へ視線を向ける。

 ……のだが、そこにも敵が待ち受けていた。

 椅子の背もたれを前に向け、其奴はアゴを乗せてニタニタ。

 

 

「ねぇねぇクソ提督。あんたさ、自分がすーーーっごい臭いセリフ言ったの、自覚してる?」

 

「うっ」

 

「みんなに聞かせたらなんて言うかなー? 龍田さん辺りはニコニコ聞いてくれそうだし、天龍さんなんか改造して自分で使いそうよねー?」

 

「お、おま、怪我人を脅す気かっ」

 

「さぁー? そんなつもりはないけどー? あー、なんだか肩が凝るなー。誰かに肩でも揉んでもらいながらプリン食べたいなー?」

 

「このっ……分かった。分かったから、変な尾ひれをつけて広めるなよ」

 

「お、珍しく素直じゃない。取引成立。早く退院して、体調戻しなさいよね。……楽しみにしといてあげるから」

 

 

 くっそぅ、楽しそうに笑いやがって……。ちょっと可愛いと思っちゃったのが悔しい。

 扶桑じゃあるまいし、その貧相さで肩が凝るわけないだろう、全く。

 っと、そう言えば、霞にも言わなきゃいけないことがあるな。

 

 

「霞も、済まなかったな。色々なことが重なったとはいえ、大怪我をさせてしまった。今度はもっとうまく運用してみせる。もし許してくれるなら、今後も力を貸してくれ」

 

「………………」

 

 

 さっきのツッコミ以外に声を聞けていない彼女へ、そう笑いかけるのだが、しかし反応は鈍い。

 聞こえなかったのか? と思うほどの沈黙の後、なぜか顔を伏せたと思えば――

 

 

「……違う。そうじゃない。そうじゃないでしょ……」

 

 

 ――肩を震わせ、何事かを呟いている。

 まさか、怒ってる? 怒らせるようなことは言ってないはずだけど……?

 不安に駆られ、様子を伺おうとした瞬間、霞は勢いよく立ち上がった。

 

 

「あんたは、どうして笑っていられるの。自分がどれだけバカなことをしたのか、まだ分からないの!?」

 

「か、霞ちゃん? いきなりどうし――」

 

「叢雲たちのことは良いわよっ。でもね、私なんかを助けるためにみんなを危険に晒して、あまつさえこんな怪我まで負って……。

 分からない? あんたの自己満足のせいで、この艦隊みんなが消滅してたかもしれないのよ!?

 私だけで済んだかもしれないのに、金剛さんも、赤城さんも、鳳翔さんたちもっ。……電だって。あんたが大切にしてる子、あんたを大切に想う子。全員、道連れに」

 

 

 電の制止すら意に介さず、叫び続ける彼女。

 ベッドを殴り、細腕で皆を指し示し、段々と落ち着きを取り戻して行く。

 

 

「あんたの命がみんなを支えてるのよ。優先すべきがどっちかなんて、考えなくてもわかるでしょ。だから、本当にみんなのことを大事に思うんだったら」

 

 

 だが、まだ瞳の奥に、激情がくすぶって見えた。

 怒っている。けれどそれは、外側にだけ向けられてはいないとも感じた。

 全身に力を込め、振り絞るように彼女は言う。

 

 

「今度は、ちゃんと見捨てなさい」

 

 

 この命に、守る意味などないと。

 誰も口を開こうとしない。電も、満潮も、曙も、叢雲も。ただただ、沈痛な面持ちでいる。その言葉に秘められた優しさに気づいているからだろう。

 能力者と統制人格は、一方的な運命共同体だと評したことがある。

 少し前ならいざ知らず、もし今、自分が命を落とすことがあれば。一気に六十隻近い感情持ちの傀儡艦が、鉄塊へ戻ることになる。うぬぼれでもなんでもなく、国家レベルの痛手だ。

 

 それを回避するにはどうすればいいのか。簡単だ。見捨てればいい。

 少しでも危険な状態になったら同調をカットし、玉砕を命じて高みの見物をすればいい。

 しょせん傀儡艦。いくらでも用意できるのだから。

 自分だって死にたくない。誰に言われるでもなく、理解していた。何度も考えたことだった。

 自己保存の本能。責められるいわれもないはず。

 キチンと理解し、この考えを噛み締めた上で、自分は――

 

 

「ずぇーったい、やだ」

 

「………………んなっ」

 

「司令官……さ、ん?」

 

 

 ――と、できるだけ憎たらしい顔で言い放つ。

 霞がギョッとし、あんぐり大口を開ける。

 電もドン引きしてるけど知らん。後で泣くから今はいい。

 

 

「そもそも、今回のこれは自分だって予想外だったんだ。最初から怪我するつもりも、命を投げ出すつもりもなかったよ。次はうまく調整するさ」

 

「そ、そういう問題じゃないんだったら! リスクのある選択をすること自体が問題で……」

 

「んなこと言われたら、鎮守府に引きこもって遠征長者になるしかないんですが。霞は輸送成金提督の使役艦って呼ばれたいのか?」

 

「うぐ。いや、それは……。って、話をすり替えようとしないで!」

 

「あ、あの、二人とも、落ち着いて欲しいのですっ」

 

 

 ワザとやっているふてぶてしい対応に、何度も何度もベッドを叩き、霞はにじり寄る。

 間に挟まれた電が可哀想なことになっているが、他三名は互いに顔を見合わせ、待ってくれていた。

 正直、ありがたい。ここは徹底的にやりあうべきなのだから。

 

 

「じゃああんたは、これから先も同じことをするって言うの。どんどん戦いは厳しくなるわよ。

 今までは運が良かっただけ。私みたいな状況は何度でも起こりえる。それでもあんたは――」

 

「当たり前だろ、そんなの」

 

 

 だから。

 なおも咎めようとする、優しすぎる少女へ向けて。

 己の意思を、言葉にして叩きつける。

 

 

「この命が、自分一人だけの物じゃないことなんて、電を呼んだ時から重々承知してる。

 でもな。命惜しさに誰かを見捨てて、それで胸を張って生きていけるほど、面の皮はあつくない。

 きっと罪悪感に潰され、おかしくなる。御免だよそんな人生。だから、最後まで諦めない。後悔したくないから。

 霞。君がどんなに言おうとも、この生き方は絶対に変えない。自分の艦隊にいる以上、嫌でも付き合ってもらうからな」

 

 

 したり顔に、彼女は酸欠の金魚が如く、口を開けては閉じを繰り返す。

 二の句を継げないのが悔しいのだろう。他の皆に視線で助けを求めるも――

 

 

「無駄よ、諦めなさい」

 

「そーそー。こんなのに呼ばれちゃったのが運の尽きってやつ」

 

「ふふ、そうね。加賀も言っていたでしょう。これが、私たちの司令官なのよ」

 

「……なのです!」

 

 

 ――返ってくるのは、仕方ない、という苦笑いばかり。電だけは満面の笑顔だ。

 ストンと、霞の表情が落ちる。

 そして、梅干しでも含んだようにしかめられたかと思ったら、顔を隠すようにうつむき、身体も震わせた。

 しばらくすると、大きなため息と共に背筋を伸ばし、彼女はサイドテールをかき上げる。

 

 

「あーもう! 本っ当に最悪! こんなにバカで、頑固で、スケベで、憎たらしいやつの尻拭いを、これからもしなくちゃいけないなんて!」

 

 

 可愛らしい唇から吐き出される、普段通りの毒舌。

 しかし、硬く握られていた拳は、いつの間にか解かれていて。

 

 

「こんなのが、私の司令官だなんて。……冗談じゃないわ」

 

 

 陽を受ける可憐な花が、そこに咲いていた。

 白や薄桃色の、小さな花弁をつける花。

 まるで……霞草のような。

 

 

「なに笑ってるのよ、気持ち悪いわねっ」

 

「いやいや。ようやくちゃんと呼んでもらった気がしてさ。司令官って」

 

「……! ……知らない! 帰るっ」

 

 

 きびすを返し、霞はズカズカとスライドドアの向こう側へ消えていく。

 もしかして、照れてるんだろうか。やっぱり根はいい子なんだ。信じていて良かった。

 なんとか認めてもらえたみたいだし、とにかく嬉しい。

 

 

「私も行くわ。ついでに、医者には報告しておくから。また後で会いましょう。司令官」

 

「わたしも。さぁって、プッリン、プッリンー♪」

 

「……前々から思っていたんだけど、いいの? 貴方が言うクソ提督の手作りプリンで喜んでも」

 

「はぁ? 良いも悪いも、プリンに罪はないし。親の因果が子に報い、とか酷いじゃない」

 

「一気に話のスケールが飛躍したように思えるんだけど、気のせいよね」

 

 

 霞の後に続く叢雲は、曙とおしゃべりしながら病室を立ち去り、最後に、微笑みと流し目を残す。

 そして、無言のまま満潮も帰ろうとしていたのだが、あることを思い出した自分は、その背中を呼び止める。

 

 

「……なぁ、満潮。あの時の質問に答えるよ」

 

「質問……あぁ、あれ。別に今じゃなくても――」

 

「知りたいんだ。君のこと」

 

「――へ」

 

「いや、君たちのことを」

 

 

 一瞬、驚いたような顔を見せたのは気になるものの、言葉を止めることはない。

 あの時はまだ、固まっていなかった気持ち。

 それが確かなものとなって、胸の中に生まれていた。

 

 

「人間は、この“力”について何も知らない。君たち――統制人格が、どういう存在なのかも。

 けど、自分なら。誰よりも君たちと深く言葉をかわし、触れ合える自分なら、何か見つけられるかもしれない。

 この世界にはきっと、自分にしか見えない景色がある。それはきっと、君たちと一緒じゃなきゃ行けない場所にあるんだ」

 

 

 子供の頃は感じていた、不思議な感覚。

 行ったことのない場所が恋しいと、心が訴えかける。

 見たことのない景色が朧気に浮かび、まぶたの裏で消えていく。

 成長するにつれ、忘れてしまった“何か”を、取り戻すために。

 

 

「だから自分は、君を呼んだ。それを手伝って欲しくて、君たちを呼ぶんだ。……納得してもらえたか」

 

 

 思いつくままに気持ちを伝えると、彼女は小さく肩を竦めた。

 

 

「まぁ、悪くないんじゃない。もう行くから」

 

 

 満潮の方からした質問だというのに、返事は素っ気ない。だが、その姿が完全に消える瞬間、唇が動く。

 見間違いでなければ、「ありがと」って言われた。

 霞のことだろう、多分。自分が倒れる直前に言いかけてたのはこれか。随分と素直になったもんだ。

 

 

「はぁ……。なんか、いっぱい喋ったら疲れたな。少し眠るよ」

 

「はい。お休みなさいです。じゃあ、電は外で……」

 

「あ、待ってくれ」

 

 

 気を遣ってくれる電を、自分はまた引き止める。

 今度は、少しだけ甘えるために。

 

 

「もうちょっとだけ、そばに居てくれないか。眠るまででいいから」

 

「……はい。電でよければ」

 

 

 上げかけていた腰を戻し、彼女は目を細める。

 こんなことを頼むのは、それこそ子供の頃以来だけど。

 誰かが見守ってくれている。そう思うだけで、とても安心できる。

 良い夢を、見られそうな気がした。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 結果として、作戦は成功をおさめた。辛うじて、と付けねばならないが。

 出撃させた艦隊は、半数しか戻ってこなかった。人的被害は出なかったものの、直すよりも廃艦にした方がいい船ばかり。

 その部品を使い、伊吹を最優先で修復してくれるようだが、彼女がどう思うか。

 無駄な気遣いかもしれないと分かっていても、こんな考えが頭から離れなかった。

 

 夜。

 ふと思い立ち、わたしは佐世保にいる伊吹へと同調してみる。それと気づかれぬよう、慎重に。

 歩いている。場所は鎮守府庁舎。どうやら修理は終えているらしい。

 時間のせいか、廊下にひと気はない。しばらくすると、どこからか賑やかな声が届く。

 行く先に見えたのは、少しだけ隙間の開いたドア。覗きこむ伊吹の視界で、酒盛りをする軍人たち。

 

「勝利だ」

「これで油田に手が出せる」

「他国にへつらわず済む」

「反撃できる」

「傀儡能力者」

「人類の新たな力」

「万歳、万歳、万歳」

 

 久しい美酒に酔う男たちは、少女の影に気づかない。そっと離れ、また歩き出す。

 今度は屋外。埠頭である。

 暗闇の中、係船柱へ腰掛ける青年がいた。確か、今回の戦いで全ての船を失った新人だ。

 背に立つもう一人の男性は、吉田二佐。

 彼らの話は、波にかき消されて聞くことも叶わない。しかしやがて、青年は波に負けないほど大きな声で、嗚咽を漏らし始めた。

 己の膝を殴り、使役していた船の名を叫びながら。繰り返し、謝りながら。

 

 二佐が夜空を見上げる。それにつられたか、伊吹も。

 流星群。

 数多の星が落ちていた。

 かざした手に、掴みきれないほどの、命の軌跡が。

 

 

 桐竹随想録、第六部 馬の緯度、末文より抜粋。

 

 

 

 

 




 余談ですが、霞草の花言葉は、
「切なる喜び」
「親切」
「感謝」
「清い心」
「無邪気」
「切なる願い」
「ありがとう」
 ……だそうです。

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