新人提督と電の日々   作:七音

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今回は合わせても二万字いかなかったのでまとめて投稿です。


新人提督ととても長い一日・前編

 

 

 

 

 

 艤装を一新した伊吹との日々は、何もかもが手探りの毎日だった。

 搭載できる艦載機を手当たり次第に開発しては失敗。せっかく完成した機体も発艦失敗で台無しに。

 ようやく飛び立てた時は、本当に鳥になった気分だった。着艦でまた駄目にしたが。

 大人しく彼女へ同調、技能を体得しようとしても、バレルロールやらインメルマンターンやら木の葉落としやらで、胃の中身をぶちまけてしまう。

 無様な姿に、しかし諦められるはずがない。

 

 吉田二佐は、彼を可愛がっていた。実の孫でもあるかのように。

 国防を志す御子息を失った二佐にとって、彼は守るべき、尊い存在だったのだろう。

 任せるべきではなかった。自分が傷を負うはずだった。どうすれば贖える。

 そう言って、一緒に撮った写真を眺め……。見ていられない。

 

 少年兵呼ばわりされ、ただでさえ強かった風当たりも、より厳しいものになった。

 今後、年若い能力者が現れたとして、彼らを教育することすら危ぶまれている。

 本音を言えば賛成だ。

 子供を戦わせなければ生き残れないのなら、大人に生きる意味などない。彼らを守ることこそが、そうされて来たわたしたちの、果たすべき責務。

 だが、多くの人は戦うことすら選べない。ただ傍観し、やり場のない感情の矛先を求め、そして、互いに首を絞め合う。

 この世は、どうしようもないほど、悪意に満ち満ちている。

 

 

「……大丈夫、ですか?」

 

 

 気遣う声にハッとして、なんて事ないと、演習海域にいる彼女へ返す。

 自分の物ではない瞳で天を睨めば、抜けるような青空が、全てを等しく見下ろしていた。

 

 

 桐竹随想録、第六部 馬の緯度より抜粋。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 日がすでに登っているはずの空は、暗い。

 風はさほど吹いていないが、白浪の音がやけに響き、時期もあいまって寒々しさを演出する。

 青ヶ島を下って一時間。安全領域を出てからを含めれば、約六時間。

 もうすぐ昼に差し掛かろうとしている海は、嵐の前の静けさを湛えていた。

 そんな中――

 

 

『え~……あ~……ほ、本日はお日柄も良く……』

 

「……曇天に見えますけれど」

 

《今にも降りそうよね。眼、腐ってるんじゃないの》

 

《って言うか話しかけないで欲しいんだけど。仕事中なんだから黙ってなさいよ、クソ提督》

 

 

 ――自分は、三人の女性にフルボッコされていたりする。

 

 

『いやですね、分かってるんですよ加賀さん。ほら、重っ苦しい空気を和ませるためのお約束的な。ね?』

 

「あまり必要性は感じませんが。それと、提督。私のことは呼び捨てで構いませんので。赤城さんと同じように」

 

『う、うん。努力しま――するよ……』

 

 

 飛行甲板の端に立ち、油断なく水平線を見やる、赤城と似た服装の女性。

 白い上着や胸当て、和弓と飛行甲板(左肩にある)を揃いとし、それら以外の色を逆転させた、青いスカートと黒のニーハイで身を固める彼女は、名を加賀という。左で結われる短めのサイドポニーが、風に揺れていた。

 赤城のように微笑んでくれれば、自分としてもこわごわ接する必要はなくなるのだが、そうさせないほど表情の変化に乏しく、物言いも堅苦しいため、近寄りがたい印象を放つ。

 笑ったら可愛いと思うんだけどなぁ……。

 

 

《どうせ努力するんなら、真面目に仕事して欲しいんだけど。気が散るわ》

 

《ホントよ。そんな風にペチャクチャ喋ってたから、硫黄島まで行けなかったんじゃないの?》

 

『ごもっともな意見だけどさ。君ら、もうちょっと言い方どうにかなんない?』

 

 

 加賀さん――もとい、加賀へ続き、辛辣な言葉を浴びせてくる二人。

 発言順に縦となり先導する彼女たちは、特型駆逐艦である。

 

 まずは、灰色の髪を右向きのサイドポニーとする少女。朝潮型駆逐艦十番艦・(かすみ)

 半袖のシャツにサスペンダースカート。左右の手に魚雷発射管と連装砲。背中には機関部を背負っているのだが、その形はランドセルにも見えた。

 顔立ちや振る舞いが大人びているため、少しアンバランスな感じである。

 

 次に、綾波型駆逐艦八番艦・(あけぼの)

 よく見かける紺と白のセーラー服を来て、両腿に発射管、背中に機関部、両手で大きな連装砲を抱えている。長い黒髪は鈴のついた花飾りで留められ、霞と同じようにされていた。なんなんだろうか、このサイド推し。嫌いじゃないけどさ。

 ともあれ、髪型は同じでも、素直すぎる口汚なさは子供っぽく感じられ、小学生が無理して背伸びしているようにしか思えない。

 まぁ、それは他のセーラー服を着てる駆逐艦たちも同じなのだが。特に暁とか。

 

 この子たちに共通するのは、特型駆逐艦である事ともう一つ。やけにつっけんどんな態度である。

 美少女から蔑まれるとか、極々一部の業界ではご褒美なのだろうが、ドMじゃない自分にとっては気を揉む要因でしかなかった。

 これならまだ、表面上は繕ってくれる大井の方がよっぽど可愛いよ……。

 

 

《言い方ってなに。まさか、司令官さん♪ とでも呼んで欲しいの? 冗談にもならないったら》

 

『あのなぁ霞。自分が言いたいのはそういうことじゃなくてだな、もっと協調性を……』

 

《あーもうっ。とにかく、そういうのは後にして。どうしてもって言うなら曙にでも頼みなさいよ》

 

《はぁ!? なんでわたしまで巻き込むのっ? こんな奴と同調しなきゃならないってだけで嫌なのにっ。

 ぁぁあサブイボ立ってきたっ。わたしへの同調率、最低限にして絶対上げないでよね、このクソ提督!》

 

『……ぉ、お前らぁ……っ』

 

 

 ふっざけんなよこのクソガキ共。お望みとあらば無理やり身体制御権を奪って、その平たい胸揉みしだいたろか。

 ……という本音をなんとか、本当になんとかして飲み込み、自分は頬を引きつらせる。

 ムカついていた。

 今まで励起したのが素直な子ばかりだった事もあるだろうが、それにしたってこの嫌われようは酷い。

 性格の不一致とか、単に気に食わないとか反りが合わないとか、感情持ちならそんな理由もあるだろうけど……。

 

 

《落ち着きなさい。仲良し小好しがしたいなら、後で他の子とすれば良いでしょ? いつ戦闘になるか分からないんだから、集中させて》

 

 

 どうにかならんものかと、ぶり返す怒りを鎮めていたら、今度は艦隊の後方から声が飛んで来る。

 にべもない、白のワンピースセーラーを着る少女は、特型駆逐艦シリーズの始まり――吹雪型五番艦・叢雲(むらくも)

 左腕に発射管。背中の機関部からアームで繋がる二基の連装砲に、アンテナを模した……長槍? だかなんだかを右手で構えていた。

 薄い水色のロングヘアーの上にも、天龍と同じアンテナっぽい物が浮遊しているのだが、組み合わせて使用するらしい。

 連動する小型の二二号対水上電探で、近海を見張るのが仕事だ。特に、巡航速度で移動中だと発見しづらい、潜水艦などを警戒してもらっている。

 それなのに横で諍いを起こされれば、気が散ってしまうのも当然。霞と曙のことは後にしよう。

 

 

『……分かった。すまん、騒がせた』

 

《別に、謝らなくてもいいわ。電探に感があれば知らせるから、大人しくしてなさい》

 

『はーい……』

 

《返事は短く!》

 

『……はい。加賀さ――ん゛ん゛。加賀、後は頼む』

 

「承りました」

 

 

 前の二人と違い、後方を守る彼女は、つっけんどんというよりクールで自信家な性格だった。

 今みたいに注意されることも多く、やはりノーマルな自分にはちょっとキツい。

 自業自得なことも多いけど。

 

 

『……やっぱ無理だぁ、とりつく島もない。どうすりゃいいのさぁ……』

 

《諦めるにはまだ早いデース。

 ちょっとやそっとでOpenするほど、乙女のHeartは甘くないんデスから。

 Never Give Up! 無視されないだけマシだと思って、前向きに行きまショー!》

 

《そうですよ、提督。榛名でよければお相手しますから、元気を出してください》

 

『金剛は最初から全開だった気がするんですけどね』

 

 

 あまりの辛さに泣きつくと、加賀の両脇で並ぶ高速戦艦姉妹が慰めてくれた。

 右を行くのが、前方へと向けられる三十五・六cm連装砲の砲身に腰掛け、足をぶらぶらさせる金剛。左が艦首で黒髪をなびかせる榛名である。

 二人は全く同じ艤装を召喚しており、腰回りに固定具を装着。左右へ伸びる連装砲四基が、高さを変えて対称に配置されていた。

 

 

『ありがとう、二人とも。しっかし、大井の忠告は的確だったみたいだな……』

 

《忠告、ですか。どんな内容だったんですか?》

 

『誰とでも仲良くなれるなんて勘違いしてたら、いつか痛い目みますからね……って。

 無条件の好意を期待してる部分が、自分の中にあったんじゃないかな、と』

 

《フゥム。人類と深海棲艦というExampleがありマスから、否定し難い真理ネー。でも、しょうがない部分もあるんじゃないデスか?

 ワタシたちは傀儡艦。その名の通り、能力者の意に添うのが普通みたいデスし。まぁ? それとワタシのテートクへのLoveは一切関係ありまセンけどネ!》

 

『うんうん、ありがとうな。程よく邪険にされた後だと癒されるよ……』

 

《You're Welcome.テートクのためなら、いくらでもI Love Youって言ってあげマース!》

 

 

 暗に「そうじゃない時は癒されない。むしろ疲れる」と言っているのだが、金剛は全く気付かない。意に介してないだけか?

 しかし、様子見に話しかけても一言くらいしか返してもらえず、必死に和ませようとしたってけんもほろろなギスギス艦隊では、この笑顔が本当に貴重だった。好感度ジワジワ上がってるよー。

 なんてバカなことを考えていたら、「I Love You,I Won't You,I Need Youデース!」と騒ぐ姉を微笑ましく見守っていた榛名が、今度は心配そうな顔でつぶやく。

 

 

《……あの、提督。差し出がましいかも知れませんが、三人のこと、嫌わないで頂けますか?

 きっと、あの子たちなりの想いがあって、素直になれないだけのはずですから》

 

『だと嬉しいんだけど……。この編成も、ついでに信頼関係を築ければって考えたものだし。ま、気長に行くさ』

 

《はい。時間は掛かるかも知れませんが、絶対に通じ合えます。私にもお手伝いさせてくださいね》

 

 

 ホッと胸へ手を置く彼女に、確かな頼りがいを感じつつ、自分は灰色と暗い青の視界に目をやる。

 水平線の手前に、海を進むもう一つの我が艦隊が見えた。

 自分が同調するこの艦隊は、数km程度の距離をおく、赤城を旗艦とした輪形陣――第一艦隊の支援を行う部隊である。

 中央に赤城。前方二隻は足柄、衣笠の重巡二隻。左右を比叡、霧島が固め、進路を探る甲標的母艦・千代田がしんがりを務めていた。

 基本的に彼女たちは戦わず、甲標的の限界速度に近い速力十八ノットで、水偵や艦戦に索敵させながらひたすら進む。

 それを守るのが、加賀を旗艦とする機動部隊。

 赤城たちからの索敵情報を元に、膨大な搭載数を誇る加賀がアウトレンジ攻撃で接近すらさせない(上空には彗星二十機が待機中で、索敵もしてもらっている)。

 万が一もらした場合は、高速戦艦の砲撃と駆逐艦の雷撃、さらに第一艦隊で仕留めるという戦法だ。

 

 

《……フゥ。やっぱり一日一回はLoveを伝えないと落ち着かないデース。スッキリしましタ。

 にしても、Miss加賀が張り切りすぎて、ちょっと手持ち無沙汰ネー。

 良いことなんでしょうケド、テートクに格好良いところは見せられないし、残念デス》

 

『じゃあその一仕事終えたみたいな顔はなんだ。……実際、これ以上ないほど上手く行ってるぞ、今回は』

 

 

 今のところ、会敵回数は二。そのどちらもが、選良種軽巡を旗艦とする水雷戦隊だった。

 主砲は六・一inch砲でありながら、重巡の装甲をたやすく破り、下手を打てば戦艦ですら危機に陥る相手。ところが、損耗は加賀の艦爆が数機のみ。一方的に殲滅したと言える。

 戦争は数。

 基本にして結論であるこの言葉を実感させられる、見事な艦載機制御だった。自分が彼女の域へ達するには、相当の時間が掛かるだろう。

 もっとも、金剛は出番がなくて退屈してしまったらしく、アヒル口でブーたれている。

 

 

《ひょっとしたら、このまま戦わずに済むかも……なんて、希望的観測ですね。いつでも前へ出られるよう、備えは怠りません。気持ち的に、ですが》

 

『ああ、よろしく頼む。金剛もそんな所に座ってないで、いざという時、キチンと動けるようにな』

 

《ハーイ。……っと、伸ばしたら叢雲にThunderを落とされそうネー。Knock on Woodデース》

 

『ん? ノック・オン・ウッド?』

 

《西洋のおまじないですね。厄除けに木を触りながら言うらしいですよ》

 

『あぁ。くわばらくわばら、ってことか。なるほど』

 

 

 雑学に感心しつつ、自分は、スカートを押さえて飛び降りる金剛を観察してしまう。

 絶妙なひるがえり具合につい反応する、さもしい男の性である。

 あり得ないことだけど、もし、電よりも先に彼女と出会っていたら、今頃どうなってただろうなぁ……。

 

 

「お話中失礼します。提督、連続同調時間が規定を越えます。食事時でもありますし、そろそろ休まれてはいかがですか」

 

「あ、書記さん。そうですね……。千代田たちの方は?」

 

「変わりありません。甲標的を使い回しつつ、針路の計測も滞りなく。問題があるとすれば、千代田さ――失礼。千代田、比叡両艦が、『千歳お姉に会いたい』『お姉さまと並走したい』とブツブツ言っているくらいでしょうか」

 

「あの二人は、ったくもう」

 

 

 今度は直接に耳朶を打つ声。平坦にも聞こえるけれど、その裏で彼女は苦笑いしていると思われた。

 まだ瘴気を放ってるのか、姉好きーズ……。

 赤城ですら辟易してたから、こうして第二艦隊の方へ逃げて来たっていうのに。

 この分だと、しばらく戻れなさそうである。というより戻りたくない。

 あんまり長く同調を続けても疲労が抜けにくくなるし、休憩を入れるか。

 

 

「それじゃあ、ちょっと上がらせてもらいます。一時間で戻りますから」

 

「分かりました。何かありましたら、すぐにでも報告を入れますので」

 

「お願いします」

 

 

 返事をすると、同調機器の低い駆動音に混じり、キーボードをタップする音。解除前の予備操作だ。

 自分と書記さんの会話は機械的に聞こえてるはずだけど、つながりが途切れる前に、一声掛けておこう。

 

 

『そういうわけで、少し席を外すよ。金剛、しっかりな。榛名、みんなのサポートを頼む』

 

《エー。もう行っちゃうんデスかー。もっとお話したいデース……。ついでに紅茶が飲みたいネー……》

 

《お任せください。金剛姉さま、辛抱しましょう? きっと帰ったら、提督がお茶の相手してくれますから》

 

《うぅぅ……。会えない時間がLoveを育てると信じて、ワタシはお仕事に勤しむデース……。See you later,テートク……》

 

『……まぁ、がんばって』

 

 

 明言してしまうと後が怖いので、とりあえずお茶を濁す。

 このまま戻っても良いんだけど……。いや、やっぱ残り四人にも挨拶だけ。

 

 

『叢雲、霞、曙。聞いての通りだ。くれぐれも気をつけてな』

 

《私を誰だと思ってるの。余計な心配しないで》

 

《そうね。いちいち断らないでさっさと行ったら?》

 

《どうせだからそのまんま戻ってこなくてもいいわよ。クソ提督の指揮なんかなくても、わたしならやれるんだから》

 

『……曙。君だけプリンお代わり禁止な。加賀、索敵は厳に』

 

《へ。……んなっ!? ま、待ちなさいよクソ提と――》

 

「心得ています。二の舞は演じません」

 

《あ、待て、わたしのプリーン!》

 

 

 吠え面をかく曙に溜飲を下げながら、自分は意識を拡散させ、同調率も下げていく。

 白浪の音が。潮風の感触が。

 そして、仲間たちの気配が、遠ざかっていく――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「――はぁ。あ゛ー、肩が凝る……」

 

 

 装具から身体が解放されると、見慣れた調整室の壁が目に入った。

 空調が効いているため寒くはないのだが、しかし、打ちっぱなしのコンクリートは見た目にも寒々しい。

 

 

「お疲れ様、なのです。司令官さん」

 

「ありがとう……って、電? あれ、ずっとそこにいたのか」

 

 

 肩を回してほぐしていたら、横合いから濡れタオルが差し出される。そこでようやく彼女に気づいた。

 今日の第一秘書で、書類仕事を任せといたはずなんだけど……。

 

 

「いま来た所なのです。頼まれたお仕事は終わっちゃいましたから、様子を見に」

 

「もう? 凄いな、こんなに早く」

 

「あ、いえ。昨日の秘書官が妙高さんでしたから、今日の分も半分くらい終わってて」

 

「そっか。このままだと頭が上がらなくなりそうだなぁ……。よっと」

 

 

 機器から降り、低い位置にある電の頭をなんとなく撫でる。

 くすぐったそうに、それでいて嬉しそうな表情。

 間違いなく、この子が初めての船だったから、自分は皆と仲良くしたいって思えるんだろう。

 早く打ち解けられればいいのだが。あの三人とも。

 

 

「それじゃ、書記さん。いったん失礼します。些細な変化でも、遠慮なく呼び出してください」

 

「はい。どうぞごゆっくり」

 

 

 複数のモニターを前とする背中にも声をかけるのだが、彼女はそれから視線をそらすことなく、注視し続けていた。

 全部で三十個ほどある画面には、中継器から得られる十二隻の情報が表示されている。

 戦闘ともなれば、ここに艦載機などの映像が加わるため、それらを全て把握し、状況に即した報告を上げるのは至難の技。

 軽く見られがちな仕事だが、彼女たちのサポートなくして、ほとんどの能力者は戦えない。そんな中でも指折りと評される人が、留守を守ってくれるのだ。心強い限り。

 

 

「さ、行こう電。今のうちに昼メシ食べておかないと」

 

「なのです。鳳翔さんのお弁当、ですよね?」

 

「ああ。出撃がある時は特別豪勢なはずだから、楽しみ――お」

 

 

 期待に胸を膨らませながら、自分は両開きのドアを開けようと手を掛ける。しかし、触れようとした直前、ドアが一人でに動き出した。

 その隙間から姿を見せるのは、明るい茶髪を頭の上でお団子二つにし、余った分をツインテールのように揺らす少女。

 霞と同じ服装だが、首元は緑色のリボンで飾り、手には風呂敷包みを持つ。

 

 

「満潮」

 

「……どーも」

 

 

 驚いたのか、一瞬、呆気に取られたような顔を見せるも、すぐに冷めた表情へ戻ってしまう彼女。 

 名は、朝潮型駆逐艦三番艦・満潮。

 第二秘書を勤めているこの子もまた、友好的とは言えない態度を示す統制人格の一人である。

 電がここに居るんだから、電話番でもしてるはずなのに。

 

 

「一体どうした、こんな所まで。急用か?」

 

「……とりあえず、移動しましょ。ここじゃ迷惑になるわ」

 

「……です、ね。司令官さん」

 

「あ、あぁ」

 

 

 電にうながされ、とりあえずドアをくぐって、仮眠室への緩やかな階段を上っていく。

 スタスタと前を行く背中からは、拒絶されるような感覚を覚えてしまうが、しかし、それではいけない。

 どう話しかけようか、揺れる茶髪を眺め考えていると――

 

 

「はい、これ」

 

「……ん? これは……」

 

「お弁当。宿舎の下駄箱に置き忘れてったのよ。鳳翔さんが届けに来たわ」

 

「あっ」

 

 

 ――後ろ手に、包みを押し付けられた。

 しまった。靴を履く時にいったん置いて、そのまま出て来ちゃったのか。

 ってことは、いま電話番してくれるの、鳳翔さんだよな。ウッカリしてた……。

 

 

「すまん、出撃のことで頭がいっぱいで……」

 

「別に。一応、私も秘書官ですから。言い訳する相手も違うし」

 

「そうだな。戻ったらお礼を言っておく。満潮も、ありがとう」

 

「……ふん」

 

 

 素っ気ない声は、照れているからか、本当に興味がないからか。後ろ姿だけでは読み取れなかった。

 それを気まずく思ったのかもしれない。階段を登り切った所で、電が横へ並ぶ。

 

 

「そ、そういえば、ご飯まだですよね? 鳳翔さん、いつも電たちの分まで詰めてくれてますから、一緒に食べませんか?」

 

「ふーん、道理で大きいと。でも遠慮するわ。せっかくだけど」

 

「え。どうしてだ? 鳳翔さんの料理が気に入らない……わけないよな」

 

「当たり前でしょ。そんな気分じゃないだけ。それに、電話番させとけないもの。執務室へ戻るから」

 

 

 会話しながら歩き続け、やっと仮眠室の前に来た所で、満潮は一度振り返る。

 ごくごく平素通りな表情。嘘ではないと思えた。……いや、普通なら、そう思えるだろう。

 だから、それを崩したくなった自分は、また背を向けようとする彼女に向かい――

 

 

「そうか……。残念だな。美味そうなハンバーグとか入ってるのに」

 

「むっ」

 

 

 ――二段重ねになった弁当箱の蓋を開け、精神攻撃をしかけてみた。

 ピタリ、足が止まる。……ビンゴだ。

 

 

「それに唐揚げか。……ん、鶏じゃない。あぁ、カワハギか。昨日、天龍と木曾が釣ってきた奴だな。後は、ニラ玉、黒豆、飾り蒲鉾……」

 

「他にもいっぱい入ってるのです。電も、これくらい作れるようになりたいな……」

 

「ぐ、う……っ。こ、こんなこと、でぇ……」

 

 

 プルプル震え出す小さな背中。

 おぅおぅ効いとる効いとる。

 口では嫌がっても胃袋は正直よなぁ。

 早く素直になった方が身のためだぞぉ?

 

 

「どうしても……って言うなら。一緒に食べてあげないことも、ないけど」

 

「……ぷっ」

 

「な、何よ!? 言いたいことがあるならハッキリしなさいよっ!」

 

「いやいやいや、なんでもない。そうだな、一緒に食べてくれ。どうしても、満潮と一緒に昼を食べたい」

 

「ふんっ。しょうがないわね。可哀想だから付き合ってあげるわ、ったく。……意味分かんない……」

 

 

 ここが妥協点なのだと判断し、自分は素直に頼みこむ。

 ブツクサ言いながらも、振り返る視線はオカズに釘付けで、なんとも微笑ましい。こんな表情、励起した初日の夕飯以来である。

 やはり、一度あの味を知ってしまったら、鳳翔さんの手料理を断るなんて無理に決まってるのだ。

 

 

「くすっ。それじゃあ、お茶を淹れてきますね」

 

「頼むよ。三人分、な?」

 

「はいっ」

 

 

 楽しそうに、今にもスキップしそうな様子で、電が駆けていく。

 それを見送ってから、自分と満潮は仮眠室へ。

 

 

「さぁて、食べる準備だけしとくか。おぉっ、今日は炊き込み御飯かっ」

 

 

 備え付けのテーブルを部屋の中央に移動させ、衣替えした黒い上着(白は春夏物とされている。昔は夏服だったとか)をベッドに放り出し、いそいそと中身を確かめる。

 三段の重箱になっており、一番上がオカズ。色取り取りでバランスも良い。

 二段目がご飯物。本日は、ゴボウとニンジンにキノコの炊き込み御飯である。生姜も入ってるだろうか。やたらとテンションを上げてくれるこの香り、たまらん。

 三段目は変則的な使い方で、取り皿や箸、小さなしゃもじなどが格納されている。傷にならないよう、内側はポリウレタンの緩衝材で仕切られていた。音も鳴らない見事な配慮である。

 

 

「……ねぇ、司令官。食べる前に、一つ聞いておきたいんだけど」

 

「ん~? なんだ~?」

 

「なんで、そうまでして構うのよ」

 

「そりゃもちろん、親睦を深めたいからだよ。連携を密にし、事故を防ぐためには、信頼関係が重要だしな」

 

「私が聞きたいのは……ううん、今のは聞き方が悪いか」

 

 

 鼻歌交じりに皿などを並べていたのだが、その合間に投げられた言葉は、存外、重い意味を含んでいたようだった。

 振り返ろうとするも、先んじて満潮は場所を移動し、簡易ベッドへ腰掛ける。

 

 

「一回しか言わないし、安易に答えて欲しくないから、ちゃんと考えて。いい?」

 

「……分かった」

 

 

 手を止め、足を組む彼女と向き合う。

 大きな瞳と数秒見つめ合い、静かに告げられた言葉は――

 

 

「どうして、私を呼んだの」

 

 

 ――あまりに短く、答えるための要素が足りなかった。

 

 

「ごめん、質問の意味がよく分からないんだけど?」

 

「バカ。考えなさいって言ったでしょ」

 

 

 反射的に、質問を質問で返してしまう。

 けれど、それ以上は何も言わないつもりか、そっぽを向く満潮。

 

 どうして呼んだのか。

 お昼を食べに……ではない。それにはもう答えた。なら、この艦隊へということになる。

 彼女を励起した理由。

 更なる戦力の増強は、来たるべき決戦のための急務だし、撤退時に回収した解放艦が勿体無かったのもある。

 しかし、これらは彼女が求めている物とは違う気がした。

 戦況とか、懐事情とか、そういうことじゃなくて。より個人的で、もっと別の、深い何か。

 

 

(普通に考えれば、十分だ。もう五十を越えた。これ以上は遊軍を増やすだけ。それを押しても統制人格を呼び続ける理由……)

 

 

 もっと呼びたい、という欲求があった。

 だが、焦燥感に煽られてではない。あの日、電が救ってくれたから。もっと違う理由が自分の中に生まれているのだ。

 けれど、それを言葉にしようとしても、気付いたばかりなせいか、うまく形になってくれない。

 難しい理由じゃないと思う。きっと、とても単純で、ありふれた……。

 

 そんな風に考え込んでいた時、ジィィ、というかすかな音が聞こえた。

 何か、スピーカーのスイッチが入った時のような――。

 

 

『緊急、緊急! 桐林提督、至急調整室へお戻り下さい! 繰り返します、緊急事態発生! 戦闘指揮の要あり!』

 

「――っ。すまん、後で答える!!」

 

「あ、ちょっとっ」

 

 

 反射的に身体が動き出す。

 上着も忘れて仮眠室を飛び出し、廊下を駆け、下り階段――その脇にあるスロープを降りていく。

 蹴破る勢いのまま調整室へ突っ込むと、緊迫した背中が出迎える。

 

 

「状況は!?」

 

「良くありません。第一艦隊の南東から、考えられない速度で敵艦が接近中です。おそらく、五十ノットは出ているかと」

 

「五十!? どうなって――そうか、例の異常海流を利用してるな……っ」

 

 

 座席へ身を投げ出し、手すりに据えられた籠手を外して順に装着。元あった位置へ戻すと、上部から装具が降りてくる。

 肩に重み。頭の上半分が覆われ、視界を塞がれた。

 

 

「よし、書記さん!」

 

「了解。同調強度、上げ。第一艦隊旗艦・赤城に繋ぎます」

 

 

 焦る意識を平坦に、小さく、細かく。

 息を吐き切ったところで、浮遊感を覚えた。サナギから抜け出るようにも思えるそれにゾクリとしながら、空と海の間を駆ける。

 数秒と経たないうちに、自分は甲板上で険しい顔を見せる少女と感覚を重ねていた。

 すでに弓を構え、発艦の準備をしているようだ。

 

 

『赤城、報告!』

 

「はいっ。数分ほど前、衣笠さんの水偵が敵影を発見しました。しかし、あまりにも速度が速く……」

 

《これはちょっとマズいと思うな~。

 今も追わせてるんだけど、エリ戦を中心にエリ重が三隻、普通の駆逐二隻が猛スピードで迫ってきてる。

 あと十分もしないで目視できちゃうかも知れないよ?》

 

 

 赤城を補足するのは、両手に連装砲を構え、左太ももにもそれをくくりつける重巡洋艦、衣笠。潮風に吹かれるセーラー服とツインテールが、その表情と同じく慌ただしい。

 この分だと、上空に待機させてある加賀の一次攻撃隊でも、一回では仕留めきれないだろう。

 こちらから接敵して、迎え撃つ。

 

 

『足柄、衣笠、それに高速戦艦四姉妹。君たちの出番だ。いけるな』

 

《当たり前よ! 戦場が、勝利が私を呼んでいるわっ!!》

 

《気合入ってるねー。あ、もちろんこっちも大丈夫だよっ。利根ちゃんから着弾観測のコツ教えてもらったし、衣笠さんにお任せ!》

 

 

 烈火の如く吼える足柄と、気楽に胸を張る衣笠。

 二人とも気力に満ちているように感じられるが、後者に限っては少し違うようにも思えた。

 わずかな震え。決して深くはない同調からでも、初陣を迎える彼女の動悸が伝わる。

 気分をほぐしてあげたいところだが、しかし時間もない。自分が補佐しよう。

 

 

《フッ。ようやくワタシたちの出番ネー! Follow Me!! Miss足柄&衣笠も、ついて来てくださいネー! テートクに格好良いところを見せるデース!!!!!!》

 

《姉さま、そんなにボイラーを蒸かしては、後に響いてしまいますよ? 演習の時のように、確実に行きましょう》

 

《やっと、やっと、やっとこさ、金剛お姉さまと砲を並べられるんですねっ。テンション上がってきましたぁ! 今宵の虎徹は鉄と油に飢えてますよー!!》

 

《昼間ですし、三十五・六cm砲ですし、ギトギトしそうですけどね。

 ……ふむ。衣笠さんの水偵からの情報では、戦艦ル級の砲戦特化タイプですか。

 撃たれる前に仕留めないと厳しいですね》

 

 

 それにひきかえ、戦艦四人は余裕を崩さない。

 特に比叡と霧島は、背中でXの字に展開する四基の連装砲を、今か今かと律動させている。

 加賀もそうだが、励起して間もないはずの彼女たち、即時実戦投入ができるほど練度が高かった。

 熟練の能力者であれば、励起当初から練度の底上げも可能らしいが、おそらくそれとは違う。大戦での様々な実戦経験が影響しているのだろう。

 青葉にチート呼ばわりされるわけだ。

 

 

『これより金剛を臨時の旗艦とし、比叡、榛名、霧島、足柄、衣笠で隊を再編する。各艦、水偵を発艦させよ。多方向からの着弾観測で精度を上げるぞ。千代田は……正気に戻ってるか?』

 

《ちょっと提督、それどういう意味? こんな状況でボケっとするほどバカじゃないってば。お姉に怒られちゃうもん》

 

 

 どうあっても判断基準は変わらず千歳なんですね。

 ブレないよなこの子も。

 

 

『なら良いんだ。甲標的をみんなと並走させてくれ。いざという時は雷撃への盾にする。あの速度では誰も当てられん』

 

《うん、分かった。……ごめんね妖精さん。でも貴方たち不死身だし、頼らせてね……》

 

 

 改造時に増設された艤装――両ふくらはぎの甲標的カーゴを撫で、千代田はつぶやく。

 傀儡艦の兵装や艦載機などは、この妖精さんという存在が操っていると前に言ったが、彼女たち、なんと不死身なのである。いや本当に。

 爆発に巻き込まれても焦げるだけ。航空機が撃ち落とされてもパラシュートで落ちてくる。コンテナで挟まれたとして、マンガ的に薄っぺらくなり、三秒後には元通りになるという。見えないから伝聞だけど。

 彼女たちが宿るのは、統制人格を励起するほどの霊的増震に耐えきれない、比較的小さな機械のみ。

 より強い存在であるはずの統制人格は戦闘で傷を負うのに、下位とされる妖精さんは絶対無敵。この差はどこから生まれるんだろうか。摩訶不思議だ。

 

 

『本当になんなんだろうな、妖精さんって。……ごほん。

 加賀、第一次攻撃隊を目標へ。同時に第二次隊も編成、可能な限り発艦させよ。

 赤城は……もうやってたな。そのまま続けてくれ』

 

「承知しました。赤城さん、行きましょう」

 

「ええ。一航戦の誇り、お目にかけます!」

 

 

 加賀と赤城。対になる色をまとう彼女たちは、寸分の狂いもなく、同じ動作で弓を弾いた。

 相手に空母がいないから、今回上げるのは艦爆と艦攻だけで大丈夫。問題は発艦速度。接敵するまでに上げられるのは、露天駐機でもせいぜい数機。初手は加賀の彗星二十機のみとなる。

 凄まじい技量を持つ彼女でも、相対速度がこれでは至難の技。なら、金剛たちで深海棲艦を足止め。その間に攻撃隊を準備し、第二次攻撃で仕留めるのが定石だろう。

 もちろん、その前に金剛たちが仕留めてしまう可能性もある。むしろこっちを狙うべきか。

 奴らの使っている異常海流、どこまで近づいているかは分からないが、落ち着いて対処すれば勝てる相手だ。

 

 

《ちょ、ちょっと、わたしたちは!? わたしにもなんか出番よこしなさいよクソ提督っ》

 

『言われなくても今から指示するよ。曙、霞、叢雲は加賀を護衛しつつ、赤城、千代田へ合流。そのまま警戒を』

 

《ま、妥当よね。ところで、指揮なんていらないんじゃなかったの、曙》

 

《うっさいわね、プリンのためよっ。プ・リ・ン! 霞だってホントは好きなんでしょ?》

 

《別に。たかがオヤツの一つや二つで、騒ぎ過ぎ》

 

『ほう、そうかそうか。じゃ、霞の分も他に回すか。プリンも美味しく食べてもらった方が嬉しいだろうしな』

 

《た、食べないとは言ってないわよこのカス! なに勝手なこと言ってんのよ!?》

 

《貴方たち、戦闘用意しなきゃいけないって分かってる? 全くもう――ん?》

 

 

 迫る危機を物ともせず、口の悪いお子様二人と騒いでいたら、ふと叢雲が右舷を振り向く。

 甲板から手すりなどを伝い、艦橋の上部へ八艘飛びして見せる彼女は、アンテナを構えて瞑目する。

 荒れる風で、髪とスカートがはためいた。

 

 

『どうした叢雲。電探に影でもあったか』

 

《……いいえ、そうじゃない……はずだけど。何、この感覚。何もないのに……?》

 

 

 同調を深め、電探の情報を引き出してみても、やはり反応はない。穏やかな海をのものだ。

 しかし、叢雲は確かに何かを感じ取っているらしく、眉間へシワがよる。黒いストッキングで包まれる足も落ち着かない。

 彼女も初出撃。逸る気持ちが勘違いさせた? なくはないだろうが……。気になるな……。

 

 

「提督。第一次攻撃隊が目標を視認しました。これより、急降下爆撃を敢行します。編成中の機をお預けしても?」

 

『あ、あぁ。任せろ。お手並み拝見といこうか』

 

「ご安心を。みんな優秀な子たちですから」

 

 

 暗い海を注視していたが、抑揚のない加賀の声に引き戻される。叢雲はまだ索敵してるみたいだし、大丈夫だろう。

 今はそれよりも、確実に近寄って来ている深海棲艦の方へ集中しなければ。

 第二中継器を介し、加賀との同調率を高く。

 すでに空を舞っていた天山六機の操作を預かると、脳に軽くない負荷を感じた。

 速度、高度、機動。維持するために必要なルーチンを意識外で走らせ、金剛隊へも注意を怠らないようにする。

 

 

(ようやく並列思考にも慣れて来たな。あとは複雑なルーチンを、コンフリクトさせないで組めるようになれば、いつか先輩とも互角に

 

 

 

 

 

 見――タ。

 

 

 

 

 

「うぐぁ!?」

 

「提督? ど、どうなさい――え、これは、第二艦隊の反応が……っ」

 

 

 側頭部への衝撃。

 鈍器が掠めたような痛みに、思考を乱された。

 天山は落とさずに済んだけど、なんだ、一体……!?

 

 

《あ、あれっ? なんか、彗星が落っこちて来てるんですけどー!?》

 

「いけない、間に合って……!」

 

 

 奥歯を噛み締めて耐える自分を他所に、衣笠は大慌てで空を指差す。

 まるで操縦者を失ったかの如く、二十機の彗星が失速しようとしていた。

 それを察知した赤城は、一呼吸で四本の矢(分裂して数は五倍に)を放つという離れ業で制御権を拾う。

 

 

『ぐ、っ……。よくやった、赤、城……』

 

「いえ。独断専行、申し訳ありません。ですがこれは? 加賀さんに何か?」

 

『分か、らん、いきなり、同調が弾かれた。くそ、グラグラする……っ』

 

 

 攻撃しようとしていた彗星が落ちたということは、加賀が制御を放棄した?

 そんなバカな。彼女に限って、あり得ない。

 しかし実際、第二艦隊へ同調しようとしても出来なくなっている。何かが、起きたんだ。

 

 

《Shit,今の砲撃音、十六inch砲ネ! しかも三連発……!》

 

《データによれば、ル級に積まれているのは旗艦種でも連装砲までのはず。ということは……》

 

《ちょ、それってマズいんじゃ? 曙ちゃんたちじゃ歯が立たないですよ、司令っ》

 

 

 揺れる視覚情報の中で、金剛たちも目を厳しく。自分には聞こえなかったが、あの瞬間に砲音があったようだ。

 十六inch。それは長門型の四十一cm砲に相当し、駆逐艦や空母が直撃を受ければ、一巻の終わりとなってしまう大火力。

 これを装備している深海棲艦は戦艦のみ。そして霧島の言うとおり、最も出現率が高いル級は、サイズのいかんは問わず、連装砲を載せる艦しか確認されていない。

 最悪の事態が脳裏に浮かぶ。

 

 

「書記、さん、同調の切り替え、は?」

 

「こちらからの信号に応答はありません。発っせられているはずの信号も途絶えています。なんらかの理由で、中継器がダウンしてしまったものと……」

 

 

 勤めて冷静を保つ少女の言葉で、悪夢は現実へと侵食を始めた。

 加賀の中継器は艦橋に置いてあった。それが機能停止したということは、即ち、艦橋に被害を被ったということ。

 人員を配して操船するわけではないから、極端な話、艦橋をもぎ取られても傀儡艦は動く。だが、間違いなくダメージを負っているだろう。特に精緻な艦載機制御を求められる空母にとって、これは痛い。

 加えて、連携も取りづらくなった。第一中継器の影響下にある六隻は大丈夫だが、金剛・榛名の両名は、昔ながらの有視界戦闘を強いられる。

 たった一撃で、ここまで追い込まれるとは……っ。

 

 

《来たわよ! 速度は落ちてるけど、確かにエリ・ルだわ。この間の借りは返すんだから! ……けど、霞たちは……っ》

 

《あわわ……。ど、どうするの? 加賀さんたち助けないとっ、でも、こっちだって無視できないし……》

 

《く……。提督、ご指示を!》

 

『待、て。今、加賀たちの状態を、確認する、から』

 

 

 追い打ちをかける足柄、衣笠、榛名の声に、自分は状況を把握しようと思考を巡らせる。すぐに、加賀から預かった天山を思い出した。

 内一機のルーチンを変更、機首を反転させて、第二艦隊の方向へ。

 

 

『……嘘だろ。霞っ!?』

 

 

 焦る視界に飛び込んで来たのは、予想に反してほぼ無傷の加賀、曙、叢雲。

 そして、船体の中央部から、真っ黒な黒煙を上げる駆逐艦――霞の姿だった。

 大破、している。

 

 

『どこだ……。敵はどこに居る……!』

 

 

 死に体となった彼女の付近へ、更に発生する水柱。

 砲撃音は左から聞こえる。さっき叢雲が注意していた方角だ。

 旋回すると、恐ろしい速度――先ほどのル級と同じ速さで接近する、灰色の艦隊が見えた。

 五隻による輪形陣。中央は、まるで山椒魚の頭にも見える密閉ドームを備えた、空母ヲ級。左右と後方を軽母ヌ級三隻が固めている。

 だが、最も威圧感を放っているのは先頭の深海棲艦。

 

 もともと、敵戦艦は歪な装甲のせいで大きく見えるのだが、見慣れたそれよりも一回り大きい。

 歯軋りする十六inch三連装砲塔のそばに、金色をまとう、白過ぎる肌の少女。

 戦艦タ級、旗艦種。

 確認されている深海棲艦のなかで、最恐の存在が、そこに居た。

 

 

『待ち伏せ、された?』

 

 

 二つの敵艦隊と遭遇する。稀にではあるが、起こりうることだ。

 けれど、この状況はそれだけで説明できない。

 囮を使って主力をおびき寄せ、守りの手薄になった相手を本命が叩く。

 基本中の基本だが、今まで、深海棲艦は全くと言っていいほど用いなかった、戦術という概念。

 

 戦争が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こぼれ話 君が待つと言ったから》

 

 

 

 

 

「――以上で、報告を終わります。何か御不明な点はありますでしょうか?」

 

「いや、問題ない。お疲れ、朝潮」

 

 

 執務机の向こう側で、直立不動に報告を上げる、サスペンダースカートの少女。

 長い黒髪を艶めかせる彼女へ、自分は労いの言葉をかけた。

 

 

「青葉にも取材を受けてたけど、どうだった? 初の海上護衛任務は」

 

「はい。交戦はありませんでしたが、例えあったとしても、近代化改修の恩恵がありますから。問題なく遂行できたかと。これも、司令官の御配慮の賜物です。感謝します!」

 

「大仰だなぁ、君は。確かに公私の区別はつけなくちゃいけないけど、あんまり気を張りすぎるなよ」

 

「はいっ。肝に命じますっ」

 

「ははは……」

 

 

 分かってんだかないんだか。アームウォーマーとニーハイ(色は黒)に包まれた四肢をキビキビと、敬礼して返す朝潮に、思わず笑みがこぼれてしまう。

 朝潮型駆逐艦ネームシップである彼女は、もうとにかくキッチリキッカリした言動で、学級委員長という表現がピッタリ合う少女だった。軍艦としてはちょうどいい感じか?

 この素直さが、満潮や霞に欠片でもあれば……。

 

 

「さて、朝潮の業務はこれで終わりだ。今日はもう宿舎に帰って、ゆっくり休養をとってくれ」

 

「了解しました。……と、ところで、司令官」

 

「ん。どうした」

 

 

 いっそう背筋を伸ばし、そのまま退室するかと思いきや、彼女は敬礼を解いてモジモジしだす。

 そんなに付き合いは長いわけじゃないけど、珍しい気がする。

 

 

「あの、任務から帰投した統制人格は、その……。ぉ、お代わり、できるというのは、本当なのでしょうか」

 

「お代わり……ああ、プリンか。食べ尽くそうとしない限りは構わないぞ。気に入ったのか?」

 

「はいっ。とても美味だと思います! あれを食べられるなら――あ、いえっ。違いましたっ。司令官の御命令なら、どんなことにも従う所存です!

 戦えと言うなら死力を以って戦います。輸送しろと言うなら地球の裏側にでも行ってみせます。そしてお代わりしろと言うなら何度でも!」

 

「そんなこと言った覚えないんだけどな」

 

 

 ……というツッコミは、目を輝かせる朝潮に届かなかったようだ。

 こんなに喜ばれているなんて思わなかった。作った側としては嬉しい限りである。

 ちょっとルール違反だけど、ご褒美あげたくなるな。

 

 

「……よし。素直な朝潮には特別だ。待っててくれ」

 

「あ、はい。さっそくご命令ですねっ。この朝潮、いつまでも待つ覚悟です!」

 

「だから大袈裟だってば」

 

 

 気をつけする彼女を背に、備え付けの小型冷蔵庫へ。

 ぎゅうぎゅう詰めのプリン(ちょっと異様だ)から適当に一つを取り出し、使い捨てのスプーンも用意。

 期待に胸を膨らませる少女の側へと舞い戻る。

 

 

「ほら、食べていいぞ。初遠征、初旗艦の特別褒賞だ」

 

「……よ、よろしいんですか?」

 

「もちろん。他のみんなには秘密だからな?」

 

「はい! 口が裂けても言いません、最高軍事機密ですっ。では、頂きますっ」

 

 

 少しだけ後ろめたいような顔をする朝潮だったが、冗談めかして笑いかけると、スプーン片手にまた敬礼。

 口振りは真剣そのものなのに、もう満面の笑みを浮かべているのが可愛い。頭ワシャワシャしたい。ドS姉妹艦二人へ、爪の垢でも煎じて飲ませたいよ。 

 ……あ、そうだ。

 

 

「朝潮、少し待て」

 

「はぇ?」

 

 

 ちょっとしたイタズラを思いつき、今まさにプリンを口へ運ぼうとしていた彼女を止める。

 あの二人にこんなことしたら、罵詈雑言と敵意の熱視線で胃に穴が空くだろうけど、この子は大丈夫だろう。

 

 

「司令官? 一体どうし――」

 

「待て、だ。朝潮。待て」

 

「は、はい……」

 

 

 普段のキリッとした表情から一転、オドオドした様子でスプーンを迷わせる朝潮。

 何をさせたいかと言えば、犬によくやる「待て」と「よし」である。

 ヨシフにやっても全っ然いうこと聞いてくれないし、最近ますますデカくなり始めて怖いし、一度やってみたかったのだ。

 いや、朝潮を犬扱いしているわけじゃないのだが、なんとなくお手とかおかわりもやってくれそうな感じがして……って、誰に言い訳してんだろうか。

 

 

「……っ」

 

 

 そうこうしている間に、三分が経ち――

 

 

「……ぅ……く……」

 

 

 五分が過ぎ――

 

 

「し、司令、官……。これは、新しい拷問、なのでしょうか……っ? 私、何か粗相を……?」

 

「おやおやー。いつまでも待つというのは口だけだったのかー?」

 

「そ、そのようなことはっ! しかしこれでは、せっかくのプリンが……っ」

 

 

 ――十分が経過する頃には、全身を震わせ、縋るような涙目で見上げて来た。

 やっべ。超楽しくなってきた。シナっとした幻の犬耳と犬尻尾が見える。あぁいかん、キューンって鳴き声まで聞こえる。重症だな自分。

 けど、これ以上我慢させるのも可哀想か。最後にもう一発イジメて終わりにしてあげよう。

 

 

「ふっふっふ、仕方ない。ではこうしよう。自分が何をしたいのか。何が欲しいのか。素直に言えたら食べてもいいぞ。さぁ」

 

「……っ! わ、私は……っ!」

 

 

 誰かに見られていたら、間違いなく憲兵隊直行なゲス微笑を浮かべつつ、自分は全力でセクハラしてみる。

 いつもなら絶対こんなことしないが、ドS姉妹艦+αによるストレスと、真面目な子を見ると妙に弄りたくなる、男子特有の性質が掛け合わさって止まらない。

 朝潮はといえば、何をどう言ったら許可してもらえるのか、わずかに逡巡。顔をうつむかせた。

 そして――

 

 

「……た、食べたい、です。司令官のくれたプリンを、余すところ無く味わいたい、ですっ。もう我慢できませんっ、司令官、お願いします、もう……っ」

 

「うん。よく出来ました。食べてよし」

 

「は、はいっ! 今度こそ頂きますっ!!」

 

 

 ――再び上げられた彼女の頬はなぜか上気し、潤んだ瞳と濡れた唇が、背格好に似つかわしくない色気を放つ。

 それを見れたことで、自分の中に住まうセクハラ親父は満足してくれたのだろう。晴れやかな気持ちで許可を出せた。

 朝潮は律儀に挨拶をしてから、「はむ」とスプーンを頬張る。

 じわ~、と広がっていく笑顔。足を踏み鳴らしてジタバタするのは歓喜の表現か。幻の尻尾が千切れんばかりに振り回される。モフりたい。

 

 

「どうだ、美味しいか?」

 

「――っ! 最高です! 我慢した分、いつも以上に美味しく感じられます! 司令官はこれを狙っていたんですね、感服しました!!」

 

「あ、ちが、ただの意地悪――そうだろうそうだろう。まぁ、たまにだから効果的だっただけだし、普段は我慢しなくてもいいからな。遠慮なく食べるといいよ」

 

「はいっ! っん、朝潮は、はぐ、この艦隊に呼ばれて、あむ、幸せですっ!!」

 

「そ、そうかー。自分も嬉しいぞー。あっはっは……は?」

 

 

 引っ込みがつかなくなり、適当なことを言って誤魔化していたら、プリンをパクつく朝潮の背後――廊下への扉が開いているのに気づいた。

 隙間からこちらを覗く、地獄の底を思わせる、絶対零度の瞳が上下に二対。髪の色から察するに、満潮と霞。

 物言いたげなそれは、わざわざ艤装を召喚したらしい彼女たちの思念によって、呪殺の魔眼と化す。

 

 

《私、なんでこんな艦隊に配備されたのかしら》

 

《セクハラしかできない男って惨めよね。◯ねば良いのに》

 

 

 音もなく閉じていく扉。滴る冷や汗。朝潮の上機嫌な鼻歌。

 得たものは、純真無垢な信頼への後ろめたさ。そして失った、二人の少女からの人間的な信頼。

 一時の衝動に流された代償は、とても、とても大きかったようだ。

 

 ヤバい。

 どうしよう。

 ……助けて比叡もん!

 

 

 

 

 

「ひぇっぷし! ……ぐす、あれぇ? 風邪でも引いたかなぁ」

 

「Oh,それはいけまセン。ちゃーんと肩まで浸かって、百数えないとダメですヨー?」

 

「くっ、メガネが曇って何も見えない……っ。やはり、早急に対策を立てないと……!」

 

「もう、霧島ったら。ほら、湯船はこっちですよ」

 

 

 

 

 




「み、満潮ちゃん? あの、司令官さん、どうしたんですか? すごい勢いで……」
「ちょうど良かった、ご飯食べてる場合じゃないわっ! 私たちも行くわよ、電!!」
「えっ。は、はわわっ、お茶が、お茶が零れちゃうのですー!?」


※エリ戦ル級の装備が十六inch連装砲になっているのは、タ級との差別化をはかる仕様です。

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