新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と面影の二婦・前編

 

 

 

 

 

 その日、吐噶喇(トカラ)列島は地獄に染まった。

 衛星により存在を示唆された、南西諸島沖の新たな油田。その調査のために佐世保を出発した艦隊が、全滅したのである。

 原因は、ツクモ艦の中に混じっていた空母に相当する艦種だ。奴らの爆撃を受け、全ての艦は無残に燃え尽きた。

 指揮をとっていた若過ぎる同僚――小林少年も重度の火傷を負い、皮膚を八割失った。心が、そうさせたのだという。

 再生医療の進歩で一命は取り留めたものの、「誰にも顔を見られたくない」と、彼は地下へこもるようになった。

 

 見舞いは空振りに終わり、家具の一切なくなった執務室で、わたしはフローリングへと直に腰を下ろす。

 失われたもの。得るはずだったもの。取り戻さねばならないもの。

 果たさねばならないもの。取り留めのない考えが頭をよぎり、霞のように消えてゆく。

 思い返すと、一滴たりとも涙を流していないことに気づいた。

 まだ十一歳の少年が、これから先の人生を暗澹と過さなければならなくなったというのに。

 わたしという男は、自分で思っていた以上に酷薄な人間らしい。自嘲が浮かぶ。

 

 彼女が声をかけてきたのは、そんな時だった。

 振り向いた先に、普段通りの衣装を纏う少女。だが、表情はいつになく真剣で。そして、決意に満ち満ちていた。

 彼女は言う。

 自分を――伊吹型重巡洋艦を、航空母艦に改造して欲しい、と。

 

 

 桐竹随想録、第六部 馬の緯度より抜粋。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「はぁあぁぁ……」

 

 

 体重を受け止めた椅子が軋む。

 ため息とともに放り投げた報告書は、半分だけ陽があたる執務机の上をわずかに滑り、落ちる寸前で止まった。

 

 

「お疲れのようですね」

 

「……芳しくない」

 

 

 コトリ。天井を見上げる視界の外で、何かが置かれる音。

 鼻腔をくすぐる甘い匂いに顔を下ろせば、湯呑みとみたらし団子の乗せられた小皿を配膳する赤城が、そこにいた。

 盆を抱える彼女は、机を挟んで真向かいに立ち、「拝見します」と一声。

 

 

「ここ一週間の戦果報告、ですか」

 

「五日連続で、休み無しに出撃し続けた結果がそれだ。ため息しか出ないよ」

 

 

 紙面には、計五回の出撃編成と会敵回数、与えた損害、被害内容などが網羅されている。

 青ヶ島へ簡易リレー装置を投下できた、最初の一回以外に共通しているのは、その結果。残り四回が途中撤退に終わっているということである。

 艦隊内演習を繰り返すこと数日。送り出す皆の練度を確かめた自分は、善は急げと陣容を整え、硫黄島への航路開拓を始めた。しかし今回の特務、思うようには進まなかったのだ。

 

 

「まさか、あれだけの選良種がゴロゴロしてるとは。おまけに旗艦種(フラッグシップ)まで……」

 

「ツクモ艦――いえ。深海棲艦の中でも、特に脅威度が高い艦、でしたね」

 

「ああ」

 

 

 深海棲艦にも艦種は存在し、駆逐艦、軽巡、重巡、戦艦、空母、潜水艦など、自分たちが使う艦船とほぼ同じ構成をしている。だが時折、そんな分類を無視するかの如く、飛び抜けて高い戦闘力を持つ個体が確認されていた。

 一般的に緑光を発する発光機関から、明確な敵意を剥き出しにする赤色を放つ艦――選良種。そして、より高位の存在と目される金色の光――旗艦種。

 青ヶ島を少し南下した海域で、自分は初めてこの旗艦種……しかも、一隻で戦況を左右すると言われる、戦艦ル級 旗艦種に遭遇したのだ。

 爆撃機のアウトレンジ攻撃や、甲標的による奇襲でも仕留めきれないタフさを兼ね備えるフラ・ル(フラッグシップ・ル級の略)の砲撃は、噂通り、鋭いの一言に尽きた。出撃させた六隻のうち、最低でも二隻が毎回中破させられてしまい、おかげで入渠ドックはフル回転である。

 

 

「あんにゃろう――じゃなくて女の子か。とにかく、ポンポンポンポン当ててきやがってぇ……。

 フィードバックであちこち打撲みたいになってるし、みんなも脱げちゃったし、散々だよ……」

 

「後者に関しては喜んでいらっしゃいませんか?」

 

「そんなわけないじゃないか。痛い思いをさせて、心苦しいだけだよ。うん。本当だよ?」

 

 

 別に、とねちく姉妹はやっぱり貧富の差があるなぁとか、妙高型は羽黒以外なぜか色気を感じなかったなぁとか、夕立はあれ下も脱げちゃったのかなぁとか、名取はたゆんたゆんだったなぁとか、長良はブルマだなんて分かってるなぁとか、祥鳳は背中綺麗だったなぁとか、龍驤と瑞鳳は見事な幼児体型だったなぁとか、不知火さん中破してようやく笑うなんてマジ男前とか、そんな感想を抱いたりはしてません。

 ええ本当に。団子うめぇ。これ、市販品じゃなくて手作りだな。モチモチ感が違う。

 

 

「念押しするところがまた怪しい……とは思いますが、良しとしましょう。みなさんの身を案じていたことは、よく分かっていますから」

 

「ん、助かる。しかし、中破撤退がこうも続くと、いよいよ、な……。また赤城の力を借りることになると思う。よろしく頼むぞ」

 

「お任せください。軽空母の皆さんより燃費は悪くても、継戦能力は高いはずです。私が道を切り開きましょう」

 

 

 少し半目に、糾弾するような素振りを見せた赤城だったが、ふっと肩の力を抜き、誇らしげにうなずく。

 二本目の団子を手に取りながら、自分はホッと一息である。二重の意味で。

 ただ硫黄島へたどり着くだけなら、キスカ島のように決死隊を送り込めば一回で終わるだろう。あっけなく中破させられる事が多かったが、逆に、戦艦の主砲を受けて中破に留められていたということでもある。

 死を厭わないなら、成功させる自信はあった。まぁ、そんなの論外だが。

 帰り道を考えると、大破してから即撤退なんて都合のいい真似もできない。撤退中に敵と遭遇することや、確実に帰投させられる確率を考えれば、中破進軍は個人的に厳禁なのである。

 キスカ島撤退作戦で一人の死者も出さなかった、かの木村昌福(まさとみ)中将もこう言っている。

 

 帰ろう。帰ればまた来られるから――と。

 

 強行上陸作戦に際して戦史を調べ、そこで初めて知った言葉だったが、ふと思い出すたび、自分の焦りを緩和してくれた。

 まだ時間はある。善は急げより、急がば回れの方が良い場合だってあるはず。

 幸か不幸か、“彼女たち”も来てくれたことだし、プランB……回転率を重視した現行計画から、確実性重視の二艦隊出撃へ、方向転換してしまおう。

 

 

「とはいえ、君一人に重荷を背負わせるわけにもいかないし、予定より早く支援物資も届くらしい。

 想定外の建造だけど……。今後のことも考えて、新しい正規空母を呼ぶつもりだ。高速建造も始めてもらってる」

 

「正規空母を、ですか。もしかして……?」

 

「うん。加賀(かが)を、さ。いつかは君たちと肩を並べて、桐林機動部隊、なんてやってみたいな。語呂が悪いか?」

 

「ふふっ、いいえ。そうなれば、きっと快進撃が始まりますよ。栄光の第一機動部隊、復活の日も近いですね」

 

 

 上品に笑って、赤城は少しばかり遠い目をする。まだ見ぬ同輩のことを思い描いているに違いない。

 航空母艦、加賀。

 第一機動部隊の主力を担った赤城と彼女は、前身を天城型巡洋戦艦二番艦、加賀型戦艦一番艦とし、ワシントン海軍軍縮条約やら関東大震災による事故など、数奇な運命を辿って空母へと転じた。そのため、名前の由来が空を飛べる瑞祥動物ではなく、赤城山、加賀国から取られている。

 そして、長門型を越える新鋭艦となるはずだった加賀は、近代化改装を経て、常用艦載機八十一・補用十二機、一万以上の航続距離を持つ、空母としても最有力の存在となった。

 正規空母二人のアウトレンジと、“彼女たち”の連携を持ってすれば、フラ・ルだって一溜まりもないだろう。

 ……実際のところ、他の子が来ちゃう可能性もなくはない……というかむしろ高い気もするんだけど、喜んでるみたいだし、水を差すのはやめとこう。頼んますよ、主任さん。

 

 

「はぁ。にしてもお茶がうまい。淹れるの上手になったな、赤城も」

 

「それはもちろん。鳳翔さん直伝ですから。お団子の方には、流石に手を出せませんでしたけれど」

 

「やっぱり鳳翔さんの手作りなんだ。ほんと、なんでも作ってくれて凄いよ、あの人も。どうだ、赤城も一本」

 

「ありがとうございます。実は、少しだけ口寂しかったんです」

 

 

 小皿を差し出すと、わりかし素直に好意を受け取ってくれる赤城。なんだかんだで女の子。甘い誘惑には弱いようだ。

 茶をすすり、ほろ苦さで葛餡の余韻を溶かしていく。

 鳳翔さんと電に貼ってもらった湿布のジワジワ感。小腹を満たしてくれる甘味。自分好みのぬるめな緑茶。

 あぁ、癒され……る?

 

 

「なぁ赤城。今なにか聞こえなかったか?」

 

「ふぁい――ん、はい? 私には何も」

 

「いや、確かに……」

 

 

 口元を手で覆う赤城から視線をそらし、自分は廊下へ続くドアを見やる。

 何の変哲もない木製のそれだが、わずかに意識を集中すると、近寄ってくる独特の気配があった。大湊で、ワクワクしていた千歳を感じ取った時と同じだ。

 しかし、伝わってくる感情は楽しげなものではなく、むき出しの対抗心が二つ、せめぎ合っている。

 ハッとなり時計を確かめれば、針は三時を指していた。

 

 

「あぁ、しまった……」

 

「提督? どうなさったんですか?」

 

「うん……。昨日、『楽しみにしててネ?』って言われたの忘れてた……。とりあえず、かなり騒がしくなるだろうから、自分の横に居た方がいいよ」

 

「はぁ……」

 

 

 小首を傾げながらも、パタパタ机を回り込む赤城。直後、廊下から牽制し合う少女たちの微かな声が。

 それは、執務室の前でピタリと止まり――

 

 

「お仕事中に失礼しマース! テートクぅ、待ちに待ったTea Timeの時間だヨー!」

 

「司令官さんっ、コーヒーをお持ちしたのですっ!!」

 

 

 ――バタン! と大きな音を立てて、ノックも無しに二つの影が駆け込んでくる。

 一方は、湯気の立つマグカップを丸いトレイに乗せた電。

 もう一人は、見覚えのない本格的な茶器セットを抱える、特徴的な格好をした少女。パっと見は茶袴の巫女服。しかし、巫女さんと呼ぶにはおかしな点が幾つもあった。

 

 

「ふっふ~ん。残念ですネー電。テートクはワタシとTea Timeのご予定なのデース。コーヒーはNo,thank youデスよー?」

 

「そんな事ないのです! 司令官さんはいつもこの時間にコーヒーを飲むんです! ミルクと砂糖をたっぷり入れた甘~いコーヒーを! 金剛さんの紅茶より、こっちの方が司令官さんは好きなのです!!」

 

「ほうほう、テートクはSweetなTeaがお好みでしたカー。いいことを聞きましタ。But! こんなCaseもあろうかと、Milk&Sugarもキチンと用意してありマス。引くわけにはいきまセーン!」

 

「むううううう」

 

「ふっふっふぅ」

 

「……意外と可愛らしいところがあるんですね、提督にも」

 

「男が可愛いって言われても嬉しくないよ。ただ苦いだけだと飲み辛いんだよ……」

 

 

 愛嬌と茶目っ気たっぷりな大きい瞳で、電と火花を散らす少女。

 彼女は袴ではなく、裾をフリルで飾ったミニスカートと、革のロングブーツで下半身を固めていた。絶対領域万歳。

 赤襟の白い上着は肩が大きく覗き、脇下と袖付け部分だけが繋がった、アニメでしか見たことのないデザイン。扶桑たちの衣装にも似ている。

 髪型も、背中にかかるほどの茶髪を、両サイドでシニヨンにしたような感じ。乗せているのは、測距儀を意匠としたカチューシャだろうか。

 

 

「ならば、ここはテートクご自身に決めてもらうデース! テートクはワタシを選んでくれますよネー?」

 

「司令官さん! 電のコーヒーの方がいいですよねっ?」

 

「ごめん。見ての通り、もう赤城が淹れてくれたお茶飲んでるから、ちょっと後にして」

 

「what!?」

 

「なのです!?」

 

 

 鳩が豆ガトリング砲を食らったような顔を見せるこの子は、桐生提督が使役する高速戦艦と同型艦船。金剛型の長女、金剛といった。

 旧日本海軍が発注した戦艦だが、生まれは英国、ヴィッカース社。その影響か、英語混じりの濃ゆい喋り方をするのが特徴である。

 それはそうと、「なのです」って驚き方はちょっとおかしくないかい電。

 

 

「まさかMiss赤城に抜け駆けされるとは……! 完全なDark Horseだったデース……!」

 

「あうぅ、コーヒー、もったいないのです……」

 

「いえ、あの、私はそのようなつもりは」

 

「こらこら、赤城を責めるな。誰も飲まないとは言ってないだろう。ちゃんと君たちのも飲むから」

 

「本当ですか? でも、勝手に持ってきて言うのも変ですけど、ご迷惑じゃあ……」

 

「そんなことないよ。せっかく手ずから淹れてくれたんだ。飲まなきゃバチが当たるって」

 

 

 正直いうと水っ腹になりそうで勘弁して欲しいが、そんなことはおくびにも出さず、自分は首を縦に振る。

 それに対し、電がホッとしたように微笑み、金剛は太陽のようなまぶしさを取り戻す。

 

 

「さぁっすがテートク、紳士の鏡ネー。じゃあじゃあ、さっそく紅茶の準備をするから、Be Waiting a Llittle!」

 

「紅茶……。あの、金剛さん。紅茶ってどうすれば美味しく淹れられるんですか?」

 

「Oh,興味ありますカ? 重要なPointは沢山ありますヨー。まずはやっぱり温度デス。ここは隣に給湯室があるから助かりマース」

 

 

 ヒールを鳴らして振り返り、執務室のソファーがある一角に陣取った彼女は、テキパキと紅茶を用意し始める。

 電も続き、物珍しそうに覗き込んで質問したりしている。満更でもないのか、説明する背中が得意げだ。

 赤城と顔を合わせ、二人、小さく苦笑い。仕事は休憩と相成った。

 

 

(やっぱり、似てるよなぁ)

 

 

 陶器の音に足を誘われながら、自分は記憶をふり返る。

 彼女との出会いは、遡ること三十二時間。建造終了の報告を受け出向いた、一番ドックでのこと――。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「ごめんなさい愛人にでもお妾さんにでも何にでもなりますから上に報告するのだけは勘弁してくださいあとできれば追加発注くださいどうぞよろしくお願い致しますぅー!!」

 

「土下座しながら人聞きの悪いこと言わないでくれませぇん!?」

 

 

 誰かに聞かれたら十中八九ヤバい勘違いをされそうなセリフに、思わず悲鳴をあげてしまった。

 普段と違って妙に静かなドック。

 すでに建造を終了しているのが要因だが、そんな中、赤毛の少女がコンクリートに三つ指をついている。もちろん、主任さんである。

 ここ最近、あんまり良くない噂が流れているし、勘弁して欲しいのはこっちだ。

 なんだって彼女は、朝も晩もうちの宿舎へ飯をたかりに来るのか。ときどき泊まってもいるようで、愛人という表現、シャレにならない。マジやめて。

 というこちらの焦りを察する余裕もないのか、主任さんはすごい勢いで足にすがりついてきた。

 

 

「ほんとに、本当にお願いしますぅー。助けると思ってぇー。重巡作ろうとしてたのに、いつの間にか勝手に資材使って戦艦四隻も作ってたとか、首切りじゃ済まないんですよーぅ。

 それとも人間の女の子には興味ありませんか? 彼氏いない歴=年齢ですけど、綺麗な身体ですよ? ピッチピチの十七歳と二十三ヶ月ですよ? お願いしますよ提督さぁーん!」

 

「あっ、ちょっ、やめて、よじ登るのはダメです、ズボン脱げるっ」

 

「あはは……。なんだか、大変だね。提督……」

 

「笑ってないで剥がすの手伝ってくれ時雨っ」

 

 

 引きつった笑いを浮かべて戻ってくる第一秘書に、ベルトを抑えながら助けを求める。

 仕方ない、といった感じで彼女が間に入ると、主任さんはようやく立ち上がり、それでもまだ「よよよ……」なんて弱々しいそぶり。

 そして、奇妙な寸劇を繰り広げる自分たちの背後には、発注していた重巡ではなく、金剛型戦艦が鎮座していた。

 前々から発注を続けていた最上型重巡洋艦四隻は、またしても予想外の建造結果に終わったのである。おそらく他のドックに残り三隻――比叡(ひえい)榛名(はるな)霧島(きりしま)もいるのだろう。

 どうしていつもこうなる。つーか来月誕生日なんですね。知らんかった。

 

 

「まぁ、愛人だなんだは忘れるとして。どうしてこんなことになっちゃったんですか?」

 

「それが分からないから困ってるんですよぅ。アタシだって軌道修正しようと頑張ったんです。

 工事中断して、遅れた分は気合いと睡眠時間で補おうって。でも、全っ然言うこと聞いてくれなくて……」

 

「ご覧の有様ですか」

 

「はいぃぃ」

 

「あぁ、困った……。資材どうなってる?」

 

 

 なんだか見覚えのあるハンカチで顔をおおい、さめざめと涙を流す主任さん。

 その背中をポンポンする時雨に問うと、必須アイテムであるクリップボードを見やる彼女。

 ついさっき、調べに行ってもらった結果が記載されているはずだった。

 

 

「ボーキサイト以外、予定よりも多めに減っているね。特に鋼材と燃料が酷いかな。出撃してた子たちの入渠と重なったから、ごっそり」

 

「で、そこからさらに重巡四隻分を差し引くと?」

 

「……ちょっと。ううん、けっこう厳しい。すぐに尽きるということはないだろうけど、この調子じゃ……」

 

 

 綺麗に整えられた眉が歪み、惨状を物語る。

 今までは、失敗とはいえ同じ重巡だったり、合計消費量的に問題はなかったのだが、四隻まとめて戦艦とは。

 効率良く遠征も回せるようになったし、取り戻そうとすれば数週間でどうにかなる損失ではある。が、予定外の資源消費は艦隊運用に大きく関わるのだ。無視していい問題じゃない。

 どう始末をつけようか、自分はあごを撫でて思案。

 すると、ハンカチで鼻をかんだ主任さんが、「あ、またやっちゃった」と呟きつつ、腰を九十度に曲げる。

 

 

「とんでもない事を仕出かしちゃったのは自覚してます。アタシ個人の裁量でどうにかできる範疇を越えてるのも。

 だけど、そこを曲げてお願いします! まだこのお仕事を続けたいんです。続けなきゃいけないんです。もう一度だけ、チャンスをください。そのためだったら……!!」

 

 

 彼女は懇願する。機会を与えてくれるなら、この身を捧げてもいいと。耳を疑いたくなるそれには、本気であることを伝える切実さが込められていた。

 出会って半年近く。仲良くさせてもらってはいたが、彼女のことで知っていることは少ない。

 年齢や好きな食べ物、嫌いな食べ物。艦船のプラモ作りが趣味なのは分かっているけれど、家族構成や、いつこの道を志したのか、どうしてこの仕事にこだわるのか。想像もつかなかった。

 しかし、のらりくらりとしていた彼女が、こうせざるを得ないほどの事情はあるようだ。自分も真剣に対応しなければ。

 

 

「主任さん。自分はわりと怒ってます」

 

「……っ。で、ですよ、ねー。できれば、い、痛くしないでもらえると……」

 

「そうじゃなくて。人をどんな外道だと思ってんですか。失礼な」

 

「え?」

 

 

 腕を組み、心外であることを顔でも伝えるのだが、主任さんはキョトンとするばかり。

 まぁ、世の中には、特権を振りかざして女性に手を出しまくる下衆提督も居るみたいだけど、そんな奴らと同類に思われてたなんて、結構ショックである。

 

 

「今、自分たちが硫黄島を目指しているのは知ってますよね」

 

「あ、はい。本当はいけないんでしょうけど、白露ちゃんとか村雨ちゃんが入渠してるうちに。珍しいですよねー。提督さんが演習以外でコテンパンにされるなんて」

 

「ですかねぇ。んで、自分なりに原因を考えた結果、打撃力不足という結論に至ってたんです」

 

「僕が出撃した時も、選良種や旗艦種にやられちゃったからね。爆撃や先制雷撃でダメージを与えていたのに、それを仕留めきれなかったり。

 深海棲艦の中で、上位種だけが持つ不可思議な力場発生能力……。僕たちにもああいう力があればよかったのに」

 

 

 悔しげな時雨につられ、自分も作戦時の光景を思い出す。

 黒と灰色で固められた敵統制人格。赤や金色を放つ彼女たちは、戦いのさなか、その本体に同色の妖気をまとわせる場合があった。

 こちらの砲撃が直撃すると思った瞬間。逆に、あちらが砲撃をする瞬間。なんらかの力場を発生させて砲弾や装甲に上乗せしている、というのが学者の言い分だ。

 物理的な攻撃・防御手段しか持ち得ない自分たちにとって、非常に厄介な相手。打ち破るには、それに匹敵するだけの大火力と、分厚い装甲を持つ艦船が必要だったのである。

 

 

「というわけで、実はもともと、戦艦の追加発注はする予定だったんです。金剛型四隻じゃなくて、伊勢型二隻でしたけど」

 

「……そ、それじゃあ?」

 

「頼まれなくても、提督はどうにかするつもりだった、というわけさ。こうやって使途不明金とかがごまかされていくんだね。なんだか、片棒を担がされてる気分だよ」

 

「そう言わないでくれ、これで最後だ。これはデカい貸しですよ? いつか必ず返してもらいますから、覚悟しておいてください」

 

 

 口では文句を言いつつ、サラサラと頼んでもいない発注書を書き出す時雨。多分、資源量を調べに行った時、ついでに持ってきたんだろう。担ぐ気満々だ。

 自分も肩をすくめ、悪どい笑みを浮かべてみせるのだが、主任さんは泣き笑い寸前の顔を隠すよう、再び頭を下げる。

 

 

「ありがとう、ございます」

 

 

 少し鼻声になっているあたり、電の言っていた「主任さん泣き虫説」は本当らしい。

 ま、今度やったら本気で責任とらせるつもりだけど。今からなんか考えておくか、お仕置き。

 

 

「さぁって! 後顧の憂いもなくなったことだし、励起、行ってみましょー! しますよね、提督さん?」

 

「現金だなぁ……。もちろん、やりますけどね」

 

「金剛、か。一体どんな姿になるんだろう。早く会ってみたいな」

 

 

 勢い良く赤毛が跳ね上がり、表情はハツラツと。それに後押しされ、帽子を直しながら金剛へ歩み寄る。

 ミッドウェーなど、同じ舞台で肩を並べたことがある時雨も、どこかウキウキしているようだ。物静かな彼女にしては珍しい。

 すでに増震機も設置済みらしく、主任さんが高速タイプで準備を整えた。感じ慣れた高周波を受けつつ、「OKですよー!」という言葉に従い、自分は右手を前へ。

 

 

「来い、金剛」

 

 

 生まれる光源。暖かな波の向こうから、まだおぼろげな人影。

 コツ、コツ、コツ――靴音が近づいてくる。段々と女性らしくまとまっていく形は、こちらに向けて右手を伸ばしていた。

 そして、重なった刹那、光の粒が弾ける。質量と可愛らしさを伴った少女が、ここに生まれたのである。

 

 

「………………」

 

 

 ――が、大きな瞳は微動だにせず、彼女は無言で佇むだけ。緊張感すら漂い、見守る二人も固唾を飲む。

 あ、あれ? おかしいな。いつもだったらこのタイミングで挨拶が始まるのに。

 もしかして引っ込み思案な子、とかか? なら、こっちから声をかけた方がいいんだろうか。

 だいたい統制人格のみんなから話しかけてくれたし、ちょっと慣れないけど、黙ってたってしょうがないな。うん。

 

 

「あぁっと……。君が、金剛だな。お初にお目にかかる。自分は――」

 

「……Unbelievable、デース」

 

「――は?」

 

 

 そう思って話しかけた途端、心地よく耳がくすぐられた。

 パッと手を離す彼女は、触れ合っていた手を見つめ、両手で握り込むように自身の胸へ。

 次いで、後ずさりながらクルクル回り、ミュージカルがごとく高らかに歌い上げる。

 

 

「ワタシは今、Destinyというものをヒシヒシと実感していマス!

 この出会いは運命。ならば、My Heartが感じる想いもまた必然。

 もう誰にも止められまセン。Life短しLoveせよ乙女! というわけで……」

 

 

 ぴたり。言葉と一緒に動きも区切られた。

 向けられていた背が振り返ると、あったのは満面の笑み。ブーツに包まれた脚へ、力が込められていく。

 あ。これ来るな。

 

 

「I Won't You My Darlingデース!!」

 

「ほっと」

 

「あれ? ――Ouch!」

 

 

 がばっ。ひらり。ずべしゃあ。

 あえて擬音で表現するならば、まさしくそんな感じの出来事が起きていた。

 腕を広げ、いきなり飛びかかってきた少女を、自分はサイドステップで華麗に回避。彼女は地面の上を滑っていく。

 二~三メートル進んで止まると、L字に上げられていた足がパタリ。つかの間、沈黙が広がった。破るのはもちろん、涙目で上体を起こす彼女である。

 

 

「ひ、ヒドい……。なんでDodgeするデスかぁ!? 生まれたてのLittle Emotionはコンクリに削られて傷だらけデース! 賠償としてHugを要求しマース!!」

 

「ゴメン、なんか反射的に。でも、初対面の女の子と抱き合うのは……。挨拶だってまだ済んでないし」

 

「oops,それは確かに。自己紹介を忘れるとはなんたるMiss Take」

 

 

 謝りながら助け起こすと、少女は服についたホコリをパタパタはたき、「改めましテ!」と胸を張った。

 

 

「ワタシの名前は金剛。英国で生まれた、帰国子女の高速戦艦、その現し身デース。

 持ち前の高速力を活かして、DarlingのためにBattle fieldを駆け巡りマース! 期待してネ?」

 

 

 指で銃を作り、少女が――金剛がウィンクで引き金を弾く。

 また妙にキャラの濃い子がきたなぁ。喋らなければ大和撫子なのに、口を開くと残念トークとか……あれ? 知り合いにそういう人がいたような……。

 ん~、まぁ今はいいか。それよりも聞きたいことがある。

 なんとなく射線上から身をそらしつつ、自分は思考を中断。彼女へ問いかける。

 

 

「ああ、期待してる。……んだけど、ダーリンって? ちょっといきなり過ぎないか?」

 

「そんなこと言われても、目と目が合ったその瞬間、LoveのFlowerが満開になることだってありますヨ? DarlingもそんなExperienceありませんカ?」

 

「ないとは言わないけどさ……」

 

 

 自分の初恋だってそうだった。うちへ遊びに来た姉の友人に一目惚れしちゃって、当時小学生だった自分は、気を引こうと色んなことをしたし。

 速攻で姉たちに勘付かれ、告白しなければならない状況へ追い込まれ、「ゴメンね、弟と同い年はちょっと」と袈裟斬りにされた、良い(?)思い出である。

 しかし、縁は異なもの。それがきっかけで家族ぐるみの付き合いが始まり、今でも交流があったりする。結婚式にも呼ばれ、美しい晴れ姿には涙したものだ。

 年を経るごとに太ましーくなるのには、別の意味で涙したが。小生意気な息子さん(11)に「デブ専なの?」とからかわれて言い訳するのがメンドイのなんの。

 ……いかん。また思考が横道にそれてるな。

 

 

「とにかく、その呼び方はやめてくれ。何も知らない人に聞かれたら誤解されるから」

 

「んー? “Darling”は気に入らないデスか? 仕方ないデスねー。なら、ちょっとだけplease Waiting。パパッとワタシたちに相応しいのを考えマース」

 

 

 気を取り直し、過程をすっ飛ばした呼び名を改めるよう要求するが、なんだかうまく伝わっていない気がした。

 未だに様子を伺っている二人は、「想像していたのとだいぶ違う……」とか「なーんか覚えがあるんですよねー。どこかで会ったことあるよーな」なんて顔をつっつき合わせている。

 奇遇ですね主任さん。やっぱし誰かに似てる気がするんだよなぁ。この会話のすれ違い感とか特に。ものすごく身近にいたような、でも面倒臭さもついてくるような……?

 と、頭を悩ませている間に代案を思いついたのか、金剛は人差し指をピンッと立てた。

 

 

「じゃあ、Honeyはどうでショー?」

 

「大して変わってない。却下」

 

「ムムム。だったら……Sweet Honey?」

 

「なお悪いわ。次!」

 

「Darlingはワガママデース……。ふーむ、むーん……。はっ。閃きました! 旦那様! 『ワタシの旦那様』で行きまショー! これでバッチリですよネ?」

 

「真面目に考える気ないだろ……。もういい、普通に提督とか司令官って呼んでくれ」

 

「エー。そんなのつまんないデース。ワタシからの愛情と将来設計を端的に表現できる、いい呼び方じゃないデスか。どこが不満なの? 何故にWhy?」

 

「いいから変えてくれっ。さもないと、今後どれだけ仲良くなっても、君だけは『おい』とか『そこの』としか呼ばないようにするぞ」

 

「Nooooo!? ちゃ、ちゃんとテートクって呼ぶから、だからそんな寂しいこと言わないでくだサイ!?

 テートクに嫌われたら生きていけまセン! 紅茶とスコーンしか喉を通らなくなって餓死してしまいマース!!

 あ、だけどワタシだけEspecialというのには惹かれてしまうカモ。あぁん悩ましいデス。テートクは罪な男デース……」

 

「ちゃんと飲み食いできてるじゃないか。というか君らは食べなくても死なない……はあぁぁ……」

 

 

 ムンクの叫びみたいな顔芸をする彼女は、ついさっき主任さんがそうしたように縋りついてくる。額をグリグリ押しつけられ、匂い付けでもされている気分だ。

 自分は深いため息をつきながら、今も感じる既視感の原因を探り当てつつあった。

 幾度となくあしらった覚えのある過剰な好意。無駄に触ろうとしてくる逆セクハラ。豊かすぎる表情の変化。

 間違いない。彼女は間違いなく、“あの人”に似ているのだ。

 

 

「分かった、分かりましたっ。兵藤さん! 兵藤さんに似てるんですよっ。ほら、下ネタ言わない代わりにラブ度がアップした感じで!」

 

「兵藤って……確か、提督の先輩、だよね。え? 下ネタ? 会ったことあるみんなが口を濁してたのは、それが理由だったんだ……」

 

 

 同じ結論に至ったのだろう。沈黙を保っていた主任さんが、頭上に電球でも浮かべたい顔付きで手を叩き、代弁してくれる。

 もはや知らぬ者はない、変人の代名詞。今朝方、気が早すぎるハロウィーンと称し、「トリック・オア・トリック!」と書かれた美魔女(笑)コス写真を送ってきた先輩の言動に、金剛のそれはとてもよく似ていた。

 放っておくと夢の中でも襲われそうだったので、段ボール一杯の賞味期限切れ寸前なお菓子詰め合わせを送り返すつもりだ。きっと涙を流して喜んでくれるはず。ニキビでも作るがいい。

 なんて心の中で悪態をつき、一人モソモソお菓子を頬張る先輩を想像していると、ようやく二人の存在に気づいた金剛。目をパチクリして彼女たちに向き直った。

 

 

「Oh,テートクに気を取られて気づきませんでしタ。そこにいる二人のGirlはどちら様デスか?」

 

「ん、僕? 僕は白露型駆逐艦、時雨。これからよろしくね、金剛」

 

「ほうほう、Youが。なんとなーく覚えてマス。また一緒に海を行く日が楽しみデース!」

 

「うん、今度は勝利をつかもう。一緒に。こちらは整備主任さん。君を建造してくれた人だよ」

 

「やー、ホントは手違ゲッホゴッホよろしくねー。改装や改修、なんでもしてあげるからね」

 

「ハイ! 今後ともよろしくデース! ワタシを作ってくれたということはMotherも同然っ。頼りにさせてもらいマ……はっ。

 となると、呼んでくれたテートクはFatherデスか? もしかしてワタシ、Daddyに恋するいけない娘なのデスかぁ!? それはちょっと困りマース!!」

 

「この年で父親扱いは勘弁してくれ……。まだ二十代前半だよ自分……」

 

「アタシも未成年でお母さんはちょっと……。あ、提督さんが嫌ってわけじゃないんですけど、ほら、電ちゃん的に考えて」

 

「イナヅマ? ……ピンと来ましタ。早速Rival出現の予感デース。詳しいことを教えてくだサイ」

 

「えっ。それは、えっと、なんて説明すれば……。後でじゃダメ?」

 

「今さっきなんでもしてくれるって言ったじゃないですカ! さぁキリキリ吐くデース!」

 

 

 やたらとハイテンションな帰国子女は、恐ろしい勘を働かせて主任さんへと詰め寄る。

 冷や汗の伝うその顔に、「助けてもらえません?」と書いてあった。が、自分はあえて無視。

 こうなったのは彼女のせいでもあるのだ。ここで罰を受けといてもらおう。

 

 

「なんだか、一段と賑やかになりそうだね」

 

「……だな。迷惑をかけるけど、金剛のこと頼むよ。自分、御しきれる自信がまだない……」

 

「きっと大丈夫さ。正面から向き合うことをやめなければ、練度もすぐに上がって、心から信頼できるようになるよ。僕がついてるから、頑張ろう? 提督」

 

 

 いつの間にか隣に立っていた時雨が、肩を叩いて励ましてくれた。しかしやはり、不安は拭えない。

 目の前で、主任さんを逃がさぬよう「HeyHeyHey!」と高速反復横跳びする姿を見せつけられたら、誰だってそう思うだろう。

 スゲェよ。残像が見えるよ。時雨も思わず「大丈夫、だと、いいな……」って苦笑いだよ。

 あぁ、どうしよう。先輩が増えちゃった。

 

 

 

 

 


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