新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と“桐”の集結・前編

 

 

 

 

 

 冬。

 わたしの得た力に傀儡能力という名がつけられ、一ヶ月が経とうとしている。

 同僚は五人となり、彼女と同じ存在――統制人格もその三倍に。

 彼女たちを通じて操る傀儡艦は、驚異的な性能によって敵を打ち砕いていく。

 当時と比べ物にならないほど進化した護衛艦に並ぶ戦果を、旧世代の遺物があげるのだ。誰もが感嘆し、恐れた。

 数の暴利で人類を閉じ込める敵性勢力――ツクモ。条理にそぐわない存在として、根源を同じくするモノではないか、という意見が多かったからだ。

 

 けれど、わたしたちはこの力を頼るしかない。

 若い命が散って行った。宇宙(そら)への足がかりは途絶え、自殺者も後を絶たない。希望が必要だ。明るい道行きが。

 “人”の身代わりとして挺身する“人形”。

 知らしめるか、議論はまだ続いている。物言わぬヒトカタたちを無視して。

 

 そんなある日。

 わたしは執務をこなすため、与えられた一室へおもむく。

 扉を開ければ、整然とした室内で彼女が立ち尽くしていた。挨拶もせず、細い背中へ名を呼びかける。

 返事は得られないと知りながら。呼び留めるように。

 

 

「……あ、はい。なんでしょうか。何か御用ですか?」

 

 

 腰が抜けた。

 振り向いていた。

 小首をかしげる“あの子”が、そこに居た。

 

 

 桐竹随想録、第五部 雪に萌ゆる、冒頭より抜粋。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「うっわぁ、すごっ。司令、ねぇ司令っ、凄く速いわね!」

 

 

 カタン、カタン――と、わずかに感じる揺れの中、窓へ背を向けたソファーで少女が膝立ちとなり、ガラスにへばり付いてはしゃいでいる。

 黄色いリボンでくくられたツインテールを弾ませる彼女は、年恰好と合わさって、修学旅行中の女子学生にも見えた。

 

 

「そうだな。興奮するのも分かるんだけど、ちょっと行儀が悪いぞ?」

 

「いいじゃない、電車に乗るのなんて生まれて初めてなんだからっ。景色も綺麗……」

 

 

 一瞬だけブーたれた顔をするも、すぐに笑顔を振りまく少女――陽炎。思わず隣で微笑んでしまう。

 自分たち二人は今、大湊警備府へ向かう時にも使用した、専用列車に乗っている。六両編成の中央前部、広々としたラウンジカーが現在位置だ。

 丸ごと一車両を改装してあるここは、分厚い防弾ガラスと並列した長い座席を片側に、対面は回転椅子とテーブルの据えられる、豪奢な造りだった。

 前は楽しむ余裕なんてなかったが、こうしていると旅行気分である。

 

 

「でも、けっこう静かな物なのね、電車って。もっと揺れるかと思ってたから、なんだか拍子抜け」

 

「そりゃあ高級車だからな。普通のと比べたら乗り心地は段違いさ。自分が初めて乗った時なんか感動したよ。椅子なんてほら、ふっかふかだし」

 

「へぇー。普通のはこうじゃないんだ。長く乗ったらお尻痛くなっちゃいそう……。はー。にしても楽しみだなー。どんなとこなんだろう、舞鶴って」

 

 

 しみじみとため息をついた陽炎は、キチンと座り直して目を閉じる。どうやら、旅の終着駅に思いを馳せているようだ。

 

 

「里帰りみたいなものだし、やっぱり感慨深いか」

 

「そりゃあもちろん。響ちゃんや島風ちゃんも一緒できたらよかったのに、残念だわ。お仕事じゃあ観光も無理そうね」

 

「だな……。本当にありがとう、急な出張に付き合ってくれて。正直助かる。いきなり過ぎて、一人じゃ心細かったから」

 

「ああ、お礼なんていいのよー。司令の精神的なサポートも、秘書官の務めだもん。それに、昔の私が産まれた場所を感じられれば、それで十分」

 

 

 少しだけ照れた様子で、ヒラヒラ手を振る彼女。広すぎるように感じた車内も、旅の道連れがいれば全然違った。これなら本調子で臨めそうだ。

 昼前に横須賀を出発した特急列車は、時も遥けき西の宮処、京都を目指していた。終着駅は舞鶴市。約五時間の道程である。

 目的は、舞鶴鎮守府で行われる“桐”の談合。

 かつて、桐竹源十郎氏が属したこの鎮守府。“桐”を冠する能力者にとって重要な場所とされており、例の大侵攻を経て、最も防御の硬い要塞と化していた。

 それだけでなく、戦時から海軍工廠(こうしょう)も敷かれ、多数の駆逐艦を送り出した実績があった。ここにいる陽炎は横須賀生まれだが、大元である艦船は京都出身。彼女にとってはもう一つの故郷でもあるのだ。

 名前が出た二人も同じだけれど、あまりに急な呼び出しで通常任務との折り合いがつかず、二人旅になってしまった。せめてお土産だけでも買ってあげたいな……。

 なんて思っていると、それを酌んだのか偶然か。陽炎の方から話題を振ってくれる。

 

 

「それより、お土産どうする? 定番の八つ橋かな。和紙とかも有名よね」

 

「うーん。千枚漬けとかもいいんじゃないか。あとは何があるだろ……。前持って調べておけたら良かったんだけど」

 

「急だったもんねー。電話一本で即日舞鶴まで呼び出すとか、なに考えてんのかしら」

 

「さぁ……? きっと理由はあるはず……と思わなきゃ、やってらんないよ。こんなブラックな仕事」

 

 

 おそらく、深海棲艦への対抗手段を論じるんだろう談合の連絡は、普段通り執務をこなし始めた午前十時。単身、呉へ赴いている吉田中将からの直通電話で知らされた。

 すでに列車も横須賀に到着しているという無茶な日程だったが、逆らうなんて選択肢はない。大慌てで準備を整え、後を書記さんたちに託し、不測の事態にも備えるべく、自分は陽炎に同行を頼んだ。

 最近は色々と物騒なので、いざという時に統制人格が居てくれれば助かるのである。中将の勧めも大きい。ま、護衛を務める兵士たちも派遣されているから、矢面に立つことはないだろう。

 

 

「あれー。そんなこと言ってもいいのー?」

 

「ん。どういう意味だ。ってこら、突っつくな」

 

 

 何やら意地の悪い笑みを浮かべる陽炎が、脇腹にイタズラしてくる。

 身をよじりながら半眼を向ければ、今度は自信あり気な顔。

 

 

「だって、司令がこの仕事してなかったら、こーんな可愛い女の子たちに囲まれる生活なんて出来なかったのよ? 辛いかもしれないけど、そのぶん恵まれてるんだから頑張らなきゃ!」

 

「自分で自分を可愛いというか。否定はしないけども……」

 

 

 小憎らしいことに、本当に可愛いとしか言い様のない笑顔を浮かべ、自身を指差す陽炎。

 うん。恵まれてはいる。いるんだけど、それはそれでまた辛い問題を引き起こすんだよ……。

 

 

「それなんだけどな。実は近々、同じ間取りの離れでも作ってもらって、自分はそっちで寝起きしようかなって考えてるんだ。ご飯の時だけ宿舎に来てさ」

 

「え、そうなの? でも、なんで急に……」

 

「……川内が、うるさいんだ」

 

「あー、なるほど……」

 

 

 どんより。闇に包まれるラウンジカー。タイミング良くトンネルへ入ってしまったらしい。

 元から夜戦夜戦とうるさかったが、少し前に夜通し戦術研究をしてからというもの、その要求はエスカレートしていた。

 寝ようと思っていたら部屋に侵入してきて「次の夜戦はいつ?」。鍵をかけたら合鍵使って「夜戦は?」。タンスとかで物理的に塞いだらベランダをよじ登り「ねぇ夜戦~」。雨戸を締め切っても屋根裏から「や~せ~ん~!」。いつの間にか、床の間へ【夜戦主義】なる掛け軸まで飾られていた始末。

 まだ夜間演習でごまかせてるからいいけど、もうノイローゼになりそう。一人の時間が欲しい。切実に。

 

 

「き、気持ちは分かるけど、元気だしていこうよ? ほら、トンネル抜けたし、もっと明るいお話ししよう?」

 

「……そうだな。じゃあ、黒潮と龍驤のキャラ被り問題についてでも話すか……」

 

「深刻な事案よね……。龍驤ちゃんは特徴的なシルエットっていう個性があるからいいけど、黒潮はごく普通の駆逐艦だし……って別な意味で暗くなっちゃうわよ! もっと別の話題ー!」

 

「ダメか? なら、最近すっかり遠征旗艦が板についた祥鳳の今後については?」

 

「だから暗くなるってば! あの人、『いつになったら提督の指揮下で戦えるんでしょう』って悩んでるし、そろそろ実戦に連れてってあげて! できれば私たちもっ。はい次っ」

 

「分かっているんだけど、なかなかタイミングがなぁ……。それじゃあ、不知火の冷たく突き放すような口調がクセになってきた件について」

 

「そんなの知るかー!」

 

 

 ズバズバ話を切って捨てる陽炎と、突っ込まれるのを理解しながら話題を探す自分。二人を乗せて、列車は京都へ近づいて行く。

 そこで待つ“桐”たちとの出会いは、一体なにをもたらしてくれるのか。

 首をひねりつつも、漠然と、こんな事を思っていた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 一般人が利用する区画と断絶された、地下の専用プラットホームは、ガランとした広い空間で列車を迎えた。

 広告も何もない。色といえば、壁の白さと黄色い警告線。前後車両に詰めていた、茶褐色をまとう兵士たちだけ。

 安全確保に数分待ったあと、ようやく東舞鶴駅の土――コンクリートを踏みしめる。

 

 

「んーっ! やっと着いたぁ。けっこう快適な旅だったわね、司令」

 

 

 先んじて飛び出した陽炎が、大きく背伸びをし、振り返った。

 自分と違って疲れなど一切見せない……いや、実際ないのだろう。彼女は元気一杯だ。

 

 

「君はそうだったろうな、君は。あぁ、トイレが間に合って良かった。足痛い」

 

「う。ゴメンって謝ってるじゃない。日差しと揺れが気持ち良くて、つい……。寝心地も悪くなかったし……」

 

「だからって三時間も膝枕させられたんじゃ堪らないよ、まったく」

 

 

 嫌味ったらしく片足をさすりながら追うと、申し訳なさ半分、恥ずかしさ半分といった表情があった。

 あれからしばらく会話に花を咲かせていた自分たちだが、途中から陽炎の反応は薄くなり、そのうち、うつらうつらと眠ってしまったのである。

 はしゃぎ疲れて寝るとか子供っぽいなー、なんて笑っていたら、身体が倒れこみ寄りかかられる体勢に。耳をくすぐる寝息でドキッとさせられたのも束の間、今度はズルズル下がって膝の上へ。

 軽いとはいえ、人の頭が何時間も乗っかっていれば疲れるのは当然。しかも途中でトイレに行きたくなり……。決壊しなくて助かった。よく頑張った膀胱。もう無茶はさせないからな。

 

 

「仕方ないでしょ、寝ちゃったものはっ。嫌なら落っことせばよかったのよ」

 

「それは……起こすのも可哀想かな、と思ってだな……」

 

「なら私のせいじゃありませんー。それより、寝てる間に変なことしてないでしょうね? もしイタズラなんかしてたら、電ちゃんと鳳翔さんと龍田さんに言いつけちゃうわよっ」

 

 

 内心で自分を労っていると、鼻先へ人差し指を突きつけられる。どんな目で見られてたんだ自分は。いくらなんでもそこまで下衆じゃない。

 というか、その三人に逆らえないの、やっぱりバレてるのか……。まぁ、後ろめたいことは無いし、ここでちゃんと宣言しておこう。

 

 

「陽炎。確かに君の寝顔はイタズラしたくなるくらい可愛かった。だが安心しろ。

 意識のない女の子を襲ったりなんかしないし、何より、そういうことは嫁さんにする子とだけって誓いを立ててる。

 どこをどう間違っても、君とそんな関係になることはあり得ないから、大丈夫だ!」

 

「………………うーん?」

 

 

 手を腰だめに、満面の笑みでそう言い放つ。

 すると、伸ばした指先を迷わせ、なんとも言えない微妙な目つきで考えこむ陽炎。

 ややあって、一つ大きくうなずいた彼女は――

 

 

「そっか、っ。安心した、わっ。司令ったら意外と硬派なの、ねっ!」

 

「痛、痛い、痛いって! スネを蹴るなスネをっ。なにすんだっ」

 

「あははー。ゴメーン。急に八つ当たりしたくなったのー。だから大人しく蹴られて?」

 

「嫌に決まってるだろ!?」

 

 

 ――笑いながら怒るという器用な真似をしつつ、革靴で攻撃をしかけてきた。

 なんなんだよもう……。そっちから嫌がったくせして、実際に否定すると怒り出すとか、女の子って面倒くさい……。

 

 

『――れ――』

 

「……ん? 司令、今の聞こえた?」

 

「は? いいや、何も。どうかしたか」

 

「うん……。なんだか、変な声が聞こえた気がして……。ほらまたっ」

 

 

 そんな風に、仕事前の最後の一服としてふざけていたのだが、陽炎が急に気を配りだす。

 言われて耳を澄ますと、かすかに『――れだぁ』という、しゃがれた女性の声。ザワつく兵士たちも、見るかぎり全員男性だ。彼らじゃない。

 秋が近づいているとはいえ、まだ夏。そこかしこに人は居るのに殺風景なホームが、おどろおどろしい雰囲気を演出した。

 

 

「なんだ? この、地の底から響いてくるような声は……っ」

 

「っていうか、ホントに下の方から聞こえてきてるような……?」

 

 

 知らず、互いをカバーしようと背中を合わせる。けれど、またも彼女の言うとおり、声は先ほどより近く、足元へ発生源が現れたように。

 錆びついた動きで、今度は顔を見合わせた。見たくないものを、それでも確かめずにはいられず、ゆっくり視線を落とせば――

 

 

『――まるで長年連れ添った友達以上恋人未満な幼馴染同士みたいにラブコメってるのは、だぁれだぁぁあああっっっ!!!!!!』

 

「ぎゃああっ!? 何してんすか先輩ぃっ!?」

 

「ひぃぃいいいっ!? でたぁぁあああっ!!」

 

 

 ――ボイスチェンジャー片手に、般若の形相をする先輩が寝そべっていた。一体いつ、どうやってこんなとこに滑りこんだんだよ、この人はっ。

 あと、さり気なくこっち見てる陸軍歩兵ども。「よくぞ言ってくれた!」的な顔してんじゃねぇ。仕事しろ。不審者がいるぞ。

 

 

「やぁやぁ、久しぶりだねお二人さん。新人君を迎えに来たはずが、まさか陽炎ちゃんにまで会えるとは。嬉しい誤算だ。相変わらず可愛いね、スパッツに浮かぶパンティーラインが良い感じだよ!」

 

「やだっ。もぅ、なんなのー!? なんで兵藤さんがここにいるのよ司令ー! またスカートめくられるのはいやーーー!!」

 

「おい、落ち着けってば。大丈夫だから、自分が手出しはさせないから、な」

 

「うーんこの反応。流石に傷つく。でも泣き顔がまたそそる」

 

 

 やめてくださいよ本当に。陽炎、背中にピッタリくっついて震えてるんですよ。

 あなたが横須賀へ呼び戻されてた頃、一日三回はスカートめくりされたのがトラウマになっているんですよ。いい加減にしてください。

 

 

「どっこいしょ。あ、どっこいしょって言っちゃった……。まぁいいか。何はともあれ、舞鶴へようこそ、新人君」

 

「……どうも」

 

 

 年寄りくさく立ち上がった先輩――兵藤提督は、軍服の埃を払い、握手を求めてくる。

 いやーな感じはしたけれど、ひとまずその手を取り、目礼……あぁぁぁ指が嫌らしくまとわり付いてくるぅぅぅ。

 

 

「うひぃ……っ、で、先輩。陽炎も言ってましたけど、どうしてここに? 佐世保にいたはずじゃ……」

 

「それはもちろん、新人君に会いたかったからさ。何ヶ月もご無沙汰だろう? 身体が疼いてしまってね。佐世保へ属する“桐”の御二方に無理を言って、会議に同行させてもらったのさ」

 

 

 “桐”の御二方……というと、“梵鐘”の桐谷(きりたに)少将と、“千里”の間桐大佐か。確か舞鶴に“桐”はいないし、残る“飛燕”の桐ヶ森大佐は呉の所属だから、うん。間違いない。

 しっかし、明らかな上官へも普通にゴリ押しできるとか、謎の発言力もってるよな、この人。疼くだのなんだのにはツッコミませんから。

 

 

「いやはや。おかげで陽炎ちゃんの魅力的な太ももを見上げることが出来たし、今日はツいてる。私の足も君みたくスラーっとしてたらなぁ」

 

「兵藤さんに褒められたって嬉しくありませんーっ。これ以上近寄らないでくださいーっ」

 

 

 ヒョコッと顔を出し、最後の「いーっ」で子供のように歯を見せる陽炎。そんな姿も可愛いのか、先輩はニヒニヒ笑っていた。

 

 

「おうふ、嫌われてしまったよ新人君っ。さぁ、傷心なお姉さんの肌を厳つい指で慰めておくれっ」

 

「むしろ喜んでませんか先輩は。嫌ですよ、離してください……離し……ええい離せぇ!」

 

「あんっ! そんな乱暴にぃ!」

 

 

 調子づかせるのもアレなので、服の内側へ導かれそうだった手を引き剥がそうとするのだが、やけに硬くて本気を出す。

 声だけ聞くと勘違いされそうなんで、悩ましく喘がないで頂きたい。また見られてるよ……。「お前らさっさと行けよ」って顔されてる……。

 

 

「……っと、いけない。嬉しくてついはしゃぎ過ぎてしまった。時間もないし、早いとこ移動しよう。新人君、着いておいで」

 

「あ、はい。行くぞ陽炎」

 

「ちょ、え? ま、待ってよ司令っ」

 

 

 崩れきった表情から一転。先輩は颯爽とドアに向かって歩き出す。

 あまりの豹変ぶりに驚いてしまうも、慌てて揺れる黒髪を追う。

 狭い通路。地上へ伸びる階段を登りながら、ふとある事に気づいた。

 

 

「ところで、時間がないってどういうことですか? 今日はこの後、ホテルで休むだけのはずじゃあ」

 

「ああ。騙して悪いんだけれど、これからすぐ仕事さ。ここを出発した後、予定していたのとは違うホテルへ向かい、そこにある重構造会議室で、さっそく談合が執り行われるんだ」

 

「いきなり、ですね。どうしてこんな?」

 

「敵を騙すにはまず味方から、ってね。出る時にも欺瞞車を使うし、念には念を、というところかな」

 

 

 こんな風に情報戦をする必要がある敵……。ここ数カ月で急激に勢力を拡大したという、反体制組織のことだろうか。

 犯行予告でも出された? まさか、自分が狙われている? 中将が統制人格を連れてくるよう言ったのは、そのせい……?

 

 

「安心していいよ、新人君。事態はさほど深刻じゃない。本当に念のためさ。石橋を叩きまくってぶち壊し、別の橋をかけて進むようなものだけど」

 

「……二度手間ってレベルじゃないですよ、それ」

 

「ホント。壊すだけもったいないわ。でも、そのくらいの用心は必要、か……」

 

 

 知らず、身構えてしまった自分へ、先輩は振り返らずにそう言い切る。おかげで苦笑いを浮かべてしまった。

 後ろに続く陽炎も、少しだけ緊張をほぐしつつ、観光気分は拭うことに成功したようだ。

 人間同士で争うなんて、骨折り損以外の何物でもない。どうにかして、内側の脅威を排除できれば良いのだが。

 

 程なく階段を登り終え、駐車場に出る。緊急用の通路でもあるためか、動線に無駄がない。

 先輩は迷うことなく進み、黒いワンボックスカーへ。見た目は普通の大型車でも、完全防弾仕様、対戦車砲の直撃にも耐える代物だ。当たりどころが悪いとひっくり返るみたいだけど。

 

 

「さぁ、乗って。乗り心地は保証しないけど、安全運転は保証しよう」

 

「はい……ん? まさか、先輩が運転するんですか?」

 

「そうだよ。本当は出迎えも送迎も舞鶴の士官がする予定だったんだけど、ほら、一刻も早く会いたいじゃないか。一時間ほど背後十センチに張り付いてお願いしたら、快く代わってくれたよ」

 

「本当に何してんだあんたは……」

 

「うふふ。そう言われるのが楽しみなのさ♪」

 

 

 名もなき青年士官さん、心中お察しします。

 こんなのに一時間もストーキングされるとか、さぞかしお辛かったことでしょう。誠に申し訳ございません。

 と、心の中で土下座しながらスライドドアを開く。自分は運転席の真後ろ、陽炎が隣へ陣取り、最後に先輩が乗りこむ。

 

 

「さぁて、シートベルトは締めたかな。でわでわ、出発いたしまーす」

 

 

 ルームミラー越しにうなずいたのを確認してから、周囲の兵士たちへ合図。流れるように車は発進した。

 スロープを上り、一般車も混じる公道へ。

 

 

「わー。おんなじ車って漢字ついてるけど、全然違う。なんだか、ダイレクトに振動が伝わってくるというか……。それに、鎮守府の夜とも……」

 

 

 特殊フィルムを通して見る明かりの群れに、陽炎がつぶやく。

 北海道へ行った六人と電・島風に続いて、街へ出たのは彼女で九人目。しかし、街灯のともる時間は初めてだ。

 遠いビルの小さな窓、一つ一つに光が宿っている。今の時代、郊外へ行くほど人口の明かりは乏しくなるが、都市の中心や駅近くでは、未だに煌々と灯されていた。

 その目には、どんな風に映っているのだろうか。

 

 

「陽炎たちが遠征で持ち帰ってくれる資源も、この明るさの一部になってるはずだ。これは、君が運んだ光だよ」

 

「……ふふ。なぁに? 突然ロマンチックなこと言っちゃって。もしかして口説いてるの?」

 

「んなっ。ち、違うっ! 自分は、輸送任務の重要性をだなっ」

 

「はいはい。分かってるわよ、じょーだんじょーだん。……さーんきゅ」

 

 

 窓を見つめる後ろ姿から聞こえた、小さい声。ガラスには夜景だけでなく、柔らかい表情も。言葉を続ける必要はなくなったようだ。

 かつて吉田中将に言われたが、良くも悪くも、全ての事柄に慣れは発生する。時には意義を見失うことすら。今回の出張で、それを再確認してくれたなら良いのだけれど。

 

 

「お客さ〜ん。後部座席でイチャイチャするのは禁止ですよ~。出張中に秘書と浮気とか、奥さんに刺されますよ~っと。はい、着きました~」

 

「誰がイチャついて……はぁ!? 着いたぁ!?」

 

「えぇ、もう終わりなの? まだ十分も経ってないのに」

 

 

 うろたえる自分と残念そうな陽炎をよそに、ジト目の先輩は、車をとあるビジネスホテルへ。

 駅からほとんど離れていない。目と鼻の先と言っていい距離だ。

 まさかこんな場所で、人類の存亡がかかっているかもしれない会議を?

 

 

「ふっふっふ。驚いてるね新人君。灯台下暗し、とよく言うだろう。なりはビジネスホテルでも、ここは軍の所有する物件の一つさ。従業員も全て肝入り。立地条件がいいからけっこう儲かってるらしいね」

 

 

 スロープを長く下りつつ、得意げな説明がされる。

 手広くやってるんだな、海軍も。いや、月刊艦娘なんて出してるくらいだし、ある意味当然っちゃ当然なのかも。

 しばらくすると、点々とした明かりの中、車が緩やかに停車した。待ち構えていた兵士によってドアが開かれ、顔つきを凛々しくした陽炎が先行。「いいわよ司令」という声で自分も続く。少し遅れ、キーを任せた先輩が横に並ぶ。

 

 

「開始予定時刻まで残り十五分。心の準備くらいはできそうだね。さ、入ろう」

 

「分かりました。……うおっ」

 

「うわぁ、素敵!」

 

 

 先輩のうやうやしいエスコート。開かれた鉄扉の向こう側は、意外にも煌びやかな世界が広がっていた。

 真っ赤な絨毯。一定感覚で置かれた花瓶。天井も高く、大理石の壁が、何十人も同時にすれ違える広さの通路が続いている。

 陽炎は目を輝かせてるけど、ビジネスホテルの定義が崩れそうだ……。

 

 

「はー。テレビで見たリゾート施設みたい」

 

「上部構造と隔絶されてるから、一般の人は存在すら知らないんだけどね。聞いた話ではシェルターとしても使えるらしい。

 この壁、見た目は大理石だけど超硬セラミックスだよ? それが床や天井にまで。信じられるかい?」

 

「一等地に豪邸が何軒も建てられそうですね……。幾らかかってんだ、これ……」

 

 

 くるくる回って観察するツインテ娘に、先輩は肩をすくめて見せた。

 超硬セラミックスとは、まだ人類が宇宙開発などへ専念できていた時代に誕生した特殊合成物質である。硬度・靭性・耐熱性に優れ、スペースシャトルでも使われる予定だったとか。

 有事に備えるのも重要だが、しかし、飾り立てるのは無駄ではないかと思う。多分、使うのは官僚や要人だけなんだろうけど……。

 いや、ここまで防備を固めた場所で会議するなら、安心できる。今はそれを喜ぼう。余計なことを考えている暇なんてない。

 

 

「ここだよ、新人君」

 

 

 通路を進み、何度か角を曲がると、脇に警備が立つ、木目調のドアへ辿りつく。

 重厚感を漂わせる両開きだ。ノブ近くには生体認証を行うパネルが設けられている。

 

 

「私が付いてあげられるのはここまで。すでに“桐”の御三方と吉田中将がお待ちだ。粗相のないように」

 

「はい……」

 

「あ、あの、兵藤さん。私はどうすれば?」

 

「一緒に中へ。君は新人君の力の証明だからね。……一応、断っておくよ。

 この中で統制人格は“物”として扱われる。理解して欲しいとは言わないけれど、彼のためだ。我慢しておくれ」

 

「……大丈夫です。みんなの代表として、恥ずかしい真似はできませんから」

 

 

 今更ながら、緊張してくる。陽炎も同じなのか、背筋を正す姿に張り詰めた空気を感じた。

 拳を握り、また開く。

 なんど繰り返しても、かすかに指が震えてしまう。

 

 “梵鐘”の桐谷。運用コストの高い戦艦や空母などをほとんど使用せず、重巡・軽巡・駆逐艦を主とした、質より量の体現者。

 “千里”の間桐。戦艦――特に長門型二番艦・陸奥(むつ)を重用し、独自開発した、四十五口径 四十六cm単装砲での狙撃を得意とする自由人。

 そして“飛燕”の桐ヶ森。航空母艦・飛龍(ひりゅう)蒼龍(そうりゅう)を軸とする機動部隊を指揮し、艦載機制御にかけては世界有数の実力を持つ少女。

 

 データとしてしか知らないが、統制人格に頼りきりな自分とは根本から違う。肩を並べられているだなんて、お世辞にも言えない強者たちだ。

 言葉から察するに、統制人格を同行するよう求められたのは、自分の特異性を彼らに認識させるためでもあったようだが、砕けた対応は先輩相手だから許されること。他の提督には不敬にあたる。発言も許されるかどうか。

 ……胃が重たい。

 

 

「じゃあ、私は行くよ。他にやらねばならない事があるから……っと、最後に一つ。新人君」

 

 

 きびすを返し、歩き出そうとした先輩だったが、何かを思い出したように立ち止まり、こちらへ向きを戻す。

 いつになく……違う。数か月前まで、ほぼ毎日見せられていた真剣な眼差しのまま、小さく拳を握り――

 

 

「気をしっかり持て。気持ちで負けたら、呑まれるぞ」

 

 

 ――トン、と。軽く胸を叩かれる。

 布地に阻まれて届かないはずの体温まで、衝撃として身体へ広がった。

 

 

「君は一端の戦士になった。誰がなんと言おうと、それだけは私が保証する。胸を張りなさい」

 

「……はいっ。ありがとうございます!」

 

「ん、いい顔になった。また後で」

 

 

 穏やかな笑みを残し、今度こそ、先輩の背中が小さくなっていく。

 ああ、これだ。普段はバカみたいな言動ばっかりしてるけど、ちゃんと見てくれて、支えてくれる。

 これがあるから、嫌いになれないんだ。目指したくなるんだ。

 

 

「いい先輩よね、兵藤さん。変態さんじゃなければ、もっと素敵な人なのに」

 

「うん。全く、肝心なところで残念なんだよなぁ。……さぁ、行こう!」

 

「了解よ!」

 

 

 気合い十分。自分たちは頷きあい、正面に扉を迎える。

 よく考えたら、警備の人に一部始終を見られていたわけだが、そんなことは気にしない。

 足を一歩前へ。冷たい液晶パネルに右手を置くと、何やら光が投射され、数秒後に電子音。ロックが解除された。おそらく、内部の人間にも伝わったはず。

 一度だけ深呼吸を。

 そして、腹に力を込め、重いドアノブをひねった。

 

 

「失礼いたします! 横須賀鎮守府所属、桐林。招致により参上いたしま――」

 

「ざっけんじゃないわよこのニートッ!!」

 

「――ごめんなさいっ、けど働いてるから自分はニートじゃ……あれ?」

 

 

 しかし、唐突な罵声で出鼻をくじかれ、反射的に謝ってしまう。

 少女の声だ。白い軍服にスカート姿の金髪少女が、中央に置かれた会議卓(数字のゼロみたいな形をしている)を叩いていた。

 が、鋭い視線の先にあったのは、小型立体映像投射機。やたら表現力豊かな棒人間がアニメーションしているだけ。

 

 

『ヒーッヒッヒ、馬脚を露わしたなぁ。ニートってぇのは、就労意欲を持たねぇクズに使う言葉だ。キチンと働いて納税までしてる俺様にゃ当てはまらねぇんだよ。バーカバーカバーカ』

 

「んぁぁあああっ! 人の揚げ足取りばっかしてる根暗野郎には、ニートの呼び名がお似合いだって言ってんのよガリチビッ!!」

 

『ァんだとこのプリン頭ぁ!? (ピー)すぞゴラァ!!』

 

「やってみれば? 彼女いない歴=年齢のくせにっ」

 

「まぁまぁ、落ち着いて。いつもの事じゃありませんか。それより桐ヶ森さん、テーブルに足を乗せてはいけません。下着見えてます」

 

「見せパンだから別に良いのよっ。ありがたく拝んどきなさいっ」

 

 

 わざわざ椅子へ登り、ズダン、と机を踏みつける少女。対して、様々な大人のおもちゃを構える棒人間。その中間。自分から一番遠い位置に席を置く吉田中将は、我関せずと葉巻をふかす。

 止めるもの無しと思いきや、投射機の奥隣に座る巌のような大男が二人をなだめた。しかし、耳へ届いたのは天使のごときボーイソプラノ。まさか、あのドカベンが声の主なんだろうか。

 女の子が桐ヶ森大佐として、ドカベンっぽい人が桐谷少将、棒人間は間桐大佐?

 なんで喧嘩してんだあの二人。止めましょうよ中将。というか拝んでもいいんですか? ここからじゃ位置的に見えないんですが。

 

 

「あのー。き、桐林、なんですけど。もう来てるんですけどー。……ダメだ、聞こえてない……」

 

 

 意を決して声をかけるも、こちらへの反応はなく、罵り合いはまさにたけなわ。

 たった二人の喧々囂々(けんけんごうごう)たる様を、自分と陽炎は、棒立ちで見つめ続けるのだった。

 

 

 

 

 

「……ねぇ司令。なにこの状況?」

 

「自分が聞きたいよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《こぼれ話 柔らかいトゲ》

 

 

 

 

 

「うぅぅ、どこに行っちゃったのよぉ……」

 

 

 まだ日が高い横須賀鎮守府。

 遠征任務後の休暇を満喫しているはずの暁は、とても焦っていた。

 キョロキョロと、歩き慣れた散歩コースで何かを探す彼女。その顔は今にも泣き出しそうで、親とはぐれてしまった子供のように見える。

 今なら不審人物が声をかけても、少しだけ善人を装えば頼ってもらえるかもしれない。というより、普通の大人であれば、思わず手を差し伸べたくなってしまうほどの心細さが、全身から発せられていた。

 そして、そんな背中に近寄る一つの影。だんだんと大きくなる靴音に、しかし彼女は全く気づかず――

 

 

「……どうしたの? 何か、探してる?」

 

「ひゃあっ!?」

 

 

 ――静かな声にも、大きく反応してしまう。

 つんのめり、体勢を立て直しながら振り向く暁の前には、白地に水浅葱(みずあさぎ)のセーラー服を着る少女が立っていた。

 

 

「ゆ、ゆゆゆ由良(ゆら)……さん。おおお、おどかさないで……」

 

「ごめんなさい、ビックリさせるつもりはなかったの。ただ、すごく困ってるような雰囲気だったから」

 

 

 統制人格にも珍しい、薄桃色の髪をリボンで束ね、左側にサイドポニーとしている少女は、数日前励起されたばかりの、長良型軽巡洋艦四番艦・由良といった。

 謝りながら腰を低くし、視線の高さを合わせる彼女に対して、暁は迷いをみせつつも、困りごとの内容を話し出す。

 

 

「……ヨシフが、一人で走って行っちゃったの。さっきからずっと探してるん……ですけど。見つからなくて……」

 

 

 途中で敬語が崩れそうになるのを持ち堪えながら、指同士を絡ませる暁。

 普段は響と二人で行う散歩だが、今日は一人だった。それというのも、提督が急な任務で京都へ赴いてしまい、彼と秘書官が済ませるはずだった仕事の穴埋めへ、駆り出されてしまったからである。

 ちょうど前日に帰ってきたばかりの彼女は、仕事へ携わることを止められていた。ならばせめてと、いつも通りの日課をこなそうとする。しかし、なぜか今日に限ってヨシフは元気一杯であり、制止を振り切って散歩コースに消えてしまったのだ。

 どこかに迷い込んではいないか。変な人にさらわれてはいないか。気が気でない様子である。

 由良としても、放っておくわけにはいかなかった。

 

 

「そう……。ね、暁ちゃん。もし良かったら、わたしも一緒に探していいかな」

 

「えっ。あ、だけど、迷惑になる……りますし、その……」

 

「気にしないで。お散歩中だったんだけど、少し退屈してたの。一人よりも二人で呼んだ方が、早く見つかるかもしれないでしょう?」

 

 

 気を遣っているのか、一度は遠慮してしまう暁に、由良は微笑む。

 また何かを言おうとする彼女だったが、しばらくして小さく頷いた。

 そうして、ヨシフの名を呼びながら歩き出す二人。けれど、間には奇妙な距離感が。

 

 

(もしかしてわたし、嫌われてるのかな……)

 

 

 同じ統制人格とはいえ、出会ってすぐに打ち解けられるわけではない。なまじ感情が芽生えているせいか、人間のように相性というものがある。

 宿舎内で暁と顔を合わせることも少なくない由良は、彼女の態度からそう感じていた。

 レディーを自称するだけあって礼儀正しく、きちんと挨拶などは交わしてくれる。しかし、どうにもわだかまりが残ってしまう。

 出来ることなら、この機会に改善しておきたい……のだが、いざ二人きりになると、どうしていいか分からない。気まずい雰囲気に、だんだんと呼ぶ回数を減らしてしまう由良だった。

 

 

「――ぉいっ」

 

「あ、この声……」

 

「どうかした……ました?」

 

 

 そんな時、背後から聞き覚えのある声が届く。

 天の助けとばかりに、内心喜びつつ(表面上は淑やかに)振り返ると、思った通りの人物が駆け寄ってくる。

 

 

「おぉーいっ! 由良ちゃーんっ、暁ちゃーん! 何してるのー?」

 

 

 巫女を思わせる配色のセーラー服に、真っ白なハチマキ。ショートカットの黒髪を風に乗せる彼女は、長良。長良型軽巡のネームシップだ。

 姉妹艦なのに標準服装が違うのは、おそらく全六隻の長良型軽巡のうち、前半三隻が、旧日本海軍の軍備増強計画である、八八艦隊整備計画第一段階・八四艦隊案で。由良からの後半三隻が第二段階、八六艦隊案により計画されたことが影響していると思われた。

 ちなみに、残る五番艦・鬼怒(きぬ)、六番艦・阿武隈(あぶくま)は今回、建造を見送られている。少し寂しい気もした由良だが、提督直々に「落ち着いたら必ず呼ぶ。待っていてくれ」と約束もしてくれた。今は置いておこう。

 

 

「おっはようっ……というより、こんにちは、だよね?」

 

「うん、そうかも。こんにちは」

 

「長良さん、ご機嫌ようです」

 

「おぉー。さすがは“先輩”、挨拶が上品」

 

「当然よ、この艦隊では電に続く“先輩”だものっ」

 

 

 ふふふーん。と胸を張る暁に、二人はそろって笑みを浮かべる。

 自慢げにしなければ完璧なレディーなのだが、可愛らしいので特に問題もない。

 

 

「それで、由良たちは何してたの? こんなとこで」

 

「ヨシフちゃんがいなくなっちゃったみたい。ついそこで偶然会ったから、手伝おうかなって。あなたはランニング?」

 

「うんっ。司令官がいきなり出張しちゃったから、ワタシたちの演習パーになっちゃったでしょ。他に出来ることもないし、どうせなら少しでも鍛えておこうと」

 

 

 言いながら、もも上げ運動を続ける彼女。

 本来ならばすでに海の上で、模擬弾や魚雷(こちらは本物。炸薬代わりに水を入れ、あとで回収する)を発射している頃だったが、先に述べた通り、その指揮を執る提督は留守。演習は急遽中止となってしまった。

 戦闘行動自体は彼女たちだけでも行えるが、通常は能力者が艦のクセを把握するためという意味合いが強いからだ。燃料も節約しなければならない。

 

 

「な、長良ちゃん、待ってぇ……。走るの、早いぃ……」

 

「もう、遅いよ名取(なとり)。そんなんじゃ実戦で回避運動とれないよ?」

 

「だってぇ……。艤装も出して、ないんじゃ……。疲れちゃうよぅ……」

 

 

 そこへまた、長良の後を追い少女がやって来た。

 見事な女の子走りをする彼女――三番艦・名取は、大きく肩を上下させ、膝に手をついて息を整える。長良と同じくショートカットだが、色は茶髪。ハチマキではなくカチューシャをつけていた。

 長良型の統制人格は姉妹という感覚が薄いらしく、どちらかと言えば友人同士の関係に近い。現に、「あうぅ」と喘ぐ名取を支える長良は、まるで昔馴染みのそれだ。

 

 

「んー。仕方ないっか。ちょっと歩いて休憩しよ。ついでにヨシフちゃん探せるし」

 

「長良さん、いいのっ?」

 

「もっちろん。任せといて!」

 

「ふぇ? ヨシフちゃんって、あのワンちゃんですか……? 何があったんですか……?」

 

「……二人とも、ありがと」

 

 

 ぺこり。帽子をおさえながら、暁が素直に頭を下げる。名取は、わけも分からないまま周囲に流されていたが、途中で説明を受けると快く協力を約束。合計四名の捜索隊が歩き出す。

 しかし由良は、長良たちへは素直に感謝を告げたのに、自分へはただ頷くだけ、という態度の差をみて、「やっぱり距離を置かれてる……?」と少し落ち込む。

 一体何が原因なのだろう。どうすれば、あんな風に笑顔を向けてもらえるのだろう。こうも対応が違ってくると、気になって仕方ない。

 が、今はそれよりもヨシフだ。サイドポニーを軽く揺らし、探索に集中する。

 

 

「ヨシフちゃ~……あ、そういえば」

 

「ん? 由良、どうかした?」

 

 

 ……いや、集中しようとしたのだが、ふと、ある疑問が湧いてしまった。

 反応したのがちょうど源泉――長良であったため、どうしようかと一瞬迷ったものの、聞いてみることにした。

 

 

「さっき、鍛えておこうって言っていたでしょう? わたしたち、鍛えても意味あるのかな……と思っちゃって」

 

「あぁ……。たぶん無いんじゃない? この身体、成長も老化もしないみたいだし。船の方からは影響受ける……のは、なんとなく分かるけど」

 

「……えっ、ないのっ? わ、わたし、少しでも強くなれるならって頑張ってたのにぃ……」

 

「あはは。たぶんだよ、たぶん。ひょっとしたら……もしかして……万が一くらいの確率で、影響があるかもしれないしさ?

 それに、汗をかくのってすっごく気持ちいいじゃないっ。怠けるよりは適度に運動して、精神的なコンディションも維持した方が良いはず! ヨシフや~い!」

 

「そうかもしれないけどぉ……。うぅ、ヨシフちゃあぁん……。どこぉ……」

 

 

 ガックリする名取と対象的に、長良はますます声を響かせる。

 内向的な少女と、引っ張っていく快活な少女。でこぼこコンビとしては鉄板の組み合わせだ。ここへ冷静なツッコミ役が加われば完璧だけれど、その枠を埋める“彼女”も、唐突な余暇を自分なりに楽しんでいることだろう。

 感情持ちの統制人格とは、意思を持つがゆえに数値以上のポテンシャルを発揮できるが、逆にスペック通りの性能すら発揮できなくなる場合もあった。長良の意見は非常に大切なことである。

 ともあれ、探索隊は緩やかに進み続ける。しかし目標は一向に発見できず、いつの間にか、宿舎の前に戻ってきてしまった。

 

 

「戻って来ちゃいましたね……。どうしましょう? ヨシフちゃん、迷子になってるんじゃ……」

 

「……っ、もう一度探してくるわっ」

 

「ストップ! 暁ちゃん待った! 何か、庭の方から聞こえてこない?」

 

 

 顔に焦りを浮かべ、来た道を戻ろうとする暁を、すんでのところで長良が引き止める。

 よくよく耳を澄ませば、確かに何かが聞こえてきた。

 誰かと喋っているような少女の声と、もう一つ。わん、わん――という、覚えのある声。

 

 

「これ、ヨシフの鳴き声?」

 

「行ってみましょうっ」

 

 

 由良が促し、宿舎を回り込んでテラス席のある側へ。

 よく日の当たるそこでは、長良・名取と同じ服をまとい、長い黒髪をツインテールにした少女が、小型犬と呼ぶには少々大きくなり始めた柴犬と戯れていた。噂をすれば影が差す。“彼女”が例のツッコミ役である。

 暁たちの存在に気づいたからか、満面の笑みとボールを隠し、影の主はそそくさと立ち上がった。

 

 

「あ、あら、みんな。……と、暁? どうしたのよ、そんなに慌てて」

 

「……あの、五十鈴ちゃん。ヨシフちゃん、が、その……」

 

「この子が何? 少し前に玄関でお座りしていたけど。あぁ、リードがなんだか汚れてたから、鳳翔さんに頼んで洗ってもらってるわ。新しいのも出してあるから」

 

「もしかして、それからずっと遊んでたとか」

 

「何よ長良、いけない? しょうがないじゃない、ボールくわえて見上げてくるんだもの……。反則よ、反則……」

 

 

 五十鈴と呼ばれた少女――長良型軽巡二番艦の統制人格である彼女が、つり目がちな目を恥ずかしそうに細める。

 ハッハッハ、と息も荒く尻尾を振りまくるヨシフが、ニーハイで包まれた脚にすり寄っていた。

 どうやら、暁が気を揉んでいた間、その元凶は美少女と遊び呆けていたらしい。

 胸にふつふつと、熱い何かがこみ上げた。分かりやすく表現すると……イラっとした。

 

 

「もう、ダメでしょヨシフ。一人で勝手に行っちゃ! 心配したんだからっ。悪い子!」

 

 

 しゃがみ込み、指をさして叱りつける小さなレディー。

 滅多に怒らない主人から強く言われ、ヨシフはきゅーんと鼻を鳴らす。

 そして、ついさっきまで甘やかしてくれた五十鈴の足にすがりつき、助けを求める。

 

 

「やだ、靴下が汚れちゃうじゃない。こら、ダメッ。まったく、仕方ないわね」

 

「……むうっ」

 

 

 迷惑そうな口ぶりと、そこに込められた温度とは、北極 対 ハワイほどに差があった。

 ヨシフは優しく抱きかかえられ、後頭部を胸にうずめながら、五十鈴の顔に鼻を寄せている。

 暁の頬が、七輪で焼かれた餅のように膨らむ。

 どういうことだあの幸せそうな顔は。生まれてまだ一年も経っていないだろうに、もう思春期なのか。胸か。バルジの大きさかこの浮気者。

 五十鈴も五十鈴である。普段はツンケンした言動が多いくせに、甘えられればデレデレだなんて、見た目通りのツンデレすぎる。ヨシフもそれでメロメロになったに違いない。

 初めて味わう寝取られ感が、淑女としての自尊心をくすぐり――

 

 

「………………はぁ。なんだか、ドッと疲れちゃったわ……」

 

「え、えーと。少し休もう? ほら、ここ座って。迷子じゃなくて、良かったね」

 

「……ん……」

 

 

 ――唐突に馬鹿らしくなって、怒りをため息に消す。

 なんだかんだでまだ子供。あんまり叱りつけるのは良くない。ここは、“大人”である自分が我慢すべきだと、暁は判断した。

 が、鬱屈した気持ちは肩を重くし、由良に導かれてテラスの椅子に座るのがやっとだ。

 そんな様子を知ってか知らずか、はたまたオスの本能か。「五十鈴ばっかりズルいよー!」「わ、わたしも……」と寄ってきた二人に撫で回されてご満悦なヨシフ。疲れも倍増しよう。

 とりあえず慰める由良だったが、やはり反応は鈍い。それ以上かけられる言葉も思いつかず、ボールを投げて遊ぶ姉妹たちを、ただ眺める。

 

 

「由良さん」

 

「……あ。なぁに?」

 

 

 すると、意外にも暁の方から声が掛かった。

 不意をつかれ、わずかばかり反応が遅れてしまったが、シャンと背筋を伸ばし、そちらに向き直る。

 彼女はそっぽを向き、何かを言おうとしては止めるを繰り返してから、やっと上目遣いに視線を投げ――

 

 

「さ、探すの手伝ってくれて、どうも、ありがとう。……言い忘れてた、から」

 

 

 ――消え入るような、感謝を口にした。

 あんぐり。思わずポカンとしてしまう。

 それで気を悪くしたか、ようやく正面を向いた顔は、また膨れてしまっている。

 

 

「な、なによっ。お礼くらいちゃんと言えるしっ」

 

「ごめんなさい、そうじゃないの。ビックリしちゃったから。てっきり、暁ちゃんには嫌われてると……」

 

 

 クスリと笑って、今まで言えなかったことも、ついでに吐き出してしまう由良。

 今度は暁がポカンとし、けれど、浮かぶのは真逆の表情だった。

 

 

「そんなこと、ないわ。……でも、少しだけ、話しかけ辛くて」

 

 

 目を閉じた彼女は、遠く聞こえる笑い声へ耳を傾ける。

 一呼吸おいて、静かに由良を見据える瞳。

 

 

「……由良さんと同じ。嫌われてるって、思ってたから。ううん、恨まれてるんじゃないかって、思ってた」

 

「恨む……。それは、ガダルカナルでのこと……よね」

 

 

 かすかに。だがしっかりと、暁がうなずく。

 はるか昔、第一次上海事変や、ミッドウェー海戦にも参加した歴戦の軽巡洋艦・由良は、一九四二年、ソロモン諸島西部に位置する、ショートランド泊地へと活動の場を移すことになる。

 幾度かの輸送任務をこなしたのち、彼女は四隻の駆逐艦を伴い、同じくソロモン諸島に存在するガダルカナル島の敵軍を攻撃するため出撃。そして、帰らなかった。

 敵の飛行場を占拠し、艦も二隻撃破したという報告を受けて島に接近したが、それは全くの誤報であり、飛来した敵爆撃機によって大破。味方の雷撃処分によって没したためである。

 この報を送ったのが、数時間前に出撃した第六駆逐隊――横須賀で修理を受けていた響、トラック諸島方面で護衛任務に就ていた電を除き、白露を臨時編入させた暁と雷だったのだ。

 

 

(ああ、そっか。そうだったんだ)

 

 

 ようやくつかえが取れた気がした。

 どうしても気になって仕方ない、胸に刺さった柔らかいトゲが。

 自然と、由良のまなじりは下がっていく。

 

 

「またビックリ。本当に同じようなこと考えてたなんて」

 

「え?」

 

「わたしもね、暁ちゃんたちのこと、少し気にかかってたの。わたしが沈んじゃって、気に病んでないかな。重荷になったりしてないかな……。

 この意識が目覚めた時、最初に感じたのは、生まれ出た喜びだったけれど。二番目に感じたのは、そんな気持ちだったから」

 

 

 直接的な原因は彼女たちではないし、間接的な理由としてあげれば、誤報に至る経緯も含めて、枚挙にいとまが無い。

 加えて、艦の現し身となった今だからこそ、分かることがある。

 統制人格の心には、船に宿る記憶だけでなく、乗っていた人間たちの想いも影響するのだ。

 戦争という悪意の坩堝(るつぼ)で散った命。怒りや憎しみを遺しそうであるが、しかし、長い時を経て風化せずに宿ったのは、激情ではなかった。

 その中の一つが、「仲間を死地へ追いやってしまった」という想い。

 また別の一つが、「自分が死ぬことで、誰かを悲しませてしまっただろう」という想い。

 ――後悔。

 きっと海へ沈んだまま、静かに積もるだけだったそれが、奇しくも交わり、解けた。

 だから由良は笑う。

 気にしなくていい、と。忘れないでいてくれたなら十分だ、と。

 

 

「……へっちゃらよ。こう見えても強いんだから。それに」

 

 

 言葉にはしなかったが、何か伝わるものはあったのだろう。

 答える暁の顔は、頼もしさに満ちていた。

 

 

「もう、あんなことにはならないわ。由良さんたちの初出撃には、旗艦としてついていけるようにお願いしてあるから。だから、もう二度と」

 

 

 ――二度と、沈ませない。

 

 やはり、言葉にはなっていなかった。

 だが、由良にはハッキリと聞こえた。……聞こえたことにする。

 

 

「うん。今は暁ちゃんの方が、頼りになる先輩さんだもの。ねっ」

 

「……ぇへへ。当然よっ!」

 

 

 静かに微笑む由良と、自信満々に胸を張る暁。二人は並んで、ヨシフと遊ぶ長良たちを見守る。

 遠征の都合でまだ会えてはいないが、由良を雷撃処分した夕立、最後を看取った五月雨。暁と同じ立場だった雷・白露も、この艦隊には属している。

 早く話してみたい。

 多かれ少なかれ、彼女たちも、同じものを抱えているだろうから。

 目を見て、名を呼んで。……友達になりたい。今、隣にいる彼女と同じように。由良は、心からそう思った。

 

 

「そ、それじゃあ、いきます……! ヨシフちゃん、取ってきてぇ……えいっ!」

 

「おっ。凄いヨシフ、いいスタートだよっ。……でもまだ遅い、全っ然遅い! ワタシの足について来れるっ?」

 

「……って長良ぁ!? 貴方が取りに行ってどうするの!?」

 

 

 ついでにもう一つ。

 早く戦いが終わり、ここにある束の間の幸せを、日常と出来ますように。

 そう、願った。

 

 

 

 

 




「ここで豆知識です。わたしたち、九三式酸素魚雷を『きゅうじゅうさんしき』って呼んじゃう時がありますけど、正確には『きゅうさんしき』なんです。漢字の『十』がつかない限りこういう読み方ですから、覚えておいて下さいね」
「まぁ、あたしの名前に濁点つけたくなっちゃうのと同じ感覚だよねー。ほら、苗字っぽいし」
「ですねー(わたしの前で間違える人がいたら許しませんけど)」

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