新人提督と電の日々   作:七音

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新人提督と電の初出撃

 

 

 

 

 

「いただきます」

 

「どうぞなのです」

 

 

 漆塗りの箸を持つ手を合わせると、律儀に言葉が返される。

 こうして「いただきます」を言うのは、もう何度目だろうか。なのに未だ慣れず、少しむず痒い。

 しかも目前には、セーラー服の上から割烹着(もちろん頭には三角巾)を着るという個人的に“ど”ストライクな格好の女の子。

 可愛すぎて直視できん。嘘です本当はガン見した上で押し倒したい。

 そんな劣情を誤魔化すため、自分はちゃぶ台(前任者が残していった物。他にもいろいろある。布団は流石に買い替えたけど)に乗った味噌汁の椀を。

 

 

「ん、相変わらず美味い。というかいつもより美味い? 出汁でも変えた?」

 

「分かりますか? 書記さんからいい鰹節をいただいたので、さっそく使ってみました。気に入ってもらえて良かったのです」

 

「なるほど。だけど、いい素材を使ってもダメにする人はしちゃうしね。やっぱり腕が良いんだよ」

 

「えへへ。どうも、なのです」

 

 

 少女は照れ臭そうに、もみあげを指でくるくる。

 あぁ、可愛い……。本当にこの娘は艦船なのだろうか。

 白いご飯、油揚げとネギの味噌汁、アジの開き、お新香。

 彼女が作ってくれた朝食は、このご時世、かなり豪勢な食事だ。女の子の手料理にあやかれるだけで、もうこれ以上ない贅沢だけど。

 ほんの一ヶ月前までは女の子と手を繋いだことすら、小学生まで遡らなければいけないほど昔だったのに。うん、本当に幸せだ……って、和んでどうする自分。

 

 

「ごめんな、今日は初めての実戦訓練だっていうのに、いつもみたく朝からこんなことさせちゃって……」

 

「あ、いえっ。気にしないで欲しいのです。司令官さんのお役に立つのが、呼び出していただいた(いなづま)の役目なのですから! それに、普段通りにしていた方が落ち着くので……」

 

 

 いなづまと名乗る少女は、両手を顔の前で振ったあと、誇らしげな笑顔を見せる。

 しがない新人少佐なのに、ただ呼び起こしただけでこうも信頼してくれるのだから、何というか……。

 嬉しいのは確かなんだけど、なんて言えばいいんだろうか、このモヤっとした感情。

 

 

「何で自分は、君一人しか呼べないんだろう」

 

「……? 司令官さん?」

 

「他の提督は最初から何人も呼び起こしてるんだろう? しかも空母とか戦艦とかまで」

 

「……らしい、ですね。噂では」

 

「でも、自分は何度試しても呼び出せなかった。偶然適性が見つかっただけの元一般人な提督じゃ、これが限界なのかな……」

 

 

 提督。

 艦隊総司令官、または海軍将官を意味する単語には、現在、もう一つの意味が付け加えられている。

 軍艦などの無機物に宿る魂を励起し、乗組員を必要としない無人艦隊を指揮する、傀儡能力者。

 数十年前、海と空の支配権を奪われた頃から出現し始めたこの能力者は、安全な航路を取り戻すため、ほぼ強制的に軍へと徴兵されるのだ(当然、見返りはある)。

 現状、日本にいる提督はようやく三桁を越す程度。自分は当然、その序列の中で最下位だ。実力、使役艦船数、双方で。

 訓練を始めて早三週間。用意されていた建造済みの艦を励起しようとしても、一向に統制人格は現れてくれず、こうして単艦での実戦訓練を迎えてしまった。

 本当なら艦隊を組めるようになるまで待って欲しいところだが、うまい飯を食わせてもらっている上に給金までとんでもない額が出ている。上のごり押しを退けられるはずもない。

 

 

「やはり、電では……駆逐艦一隻だけではご不満、ですよね」

 

 

 白米を咀嚼しながら天井のシミを見つめていると、先と打って変わり、寂しそうな声が。

 電は、その声と同じ表情でこちらを見つめていた。

 阿呆か。初陣前の子を不安がらせてどうすんだ自分は。

 

 

「違う、そうじゃないんだ。思い出すだけでムカつくけど、先輩方との演習で小突き回されて、電も分かってるだろう。

 基本、戦いは数だ。せめてもう一人仲間が居てくれれば、被弾する確率を大幅に下げられるし、取れる行動の選択肢だって増えるのに……。

 自分が不甲斐ないせいで、電には余計な負担を強いてる。強いることになる。それが申し訳なくてさ」

 

 

 ……そうか。自分で自分が情けなかったんだ。

 彼女の向けてくれる信頼に応えられる自信がないから。相応しい実績がないから、後ろめたく感じてるんだ。

 幸いというか、自分の受けた訓練は通常の艦艇戦と違うものだし、短い訓練期間でもそれなりになっていると思う。

 けど、確信は持てない。

 ミスをして、この子を砲弾の雨にさらしてしまうのが怖いと、そう考えてる。

 必要があるなら艦を使い捨てるという選択も必要な提督としては、致命的だろう。

 

 

「大丈夫なのです!」

 

 

 けれど、そんなどうしようもない男へ、電はまた笑いかけてくれる。

 まっすぐに、見つめてくれる。

 

 

「電は、司令官さんのことを信じています。いつかきっと、貴方は有賀中将のような立派な方になれるって。

 なるべくなら、戦いたくはないですけど。でも、司令官さんが望むのなら頑張れます。

 敵さんには誰も乗っていないのですし、いざとなったら艦首をぶつけてでも! 電の本気を見るのです!」

 

 

 胸の前で拳をグッとにぎり、彼女は前のめりに意気込む。

 有賀中将。かの戦艦大和、最後の艦長。確か彼も、電の艦長を務めたことがあった。でも、あんな偉人と並び立てるようになるだなんて、過大評価も甚だしい。絶対無理だ。

 と、頭の中では反論しているのに、自分の顔は勝手に緩んでしまう。

 この子は、いろいろと反則だ。そうまで言われて、奮い立たぬ男が居ようものか。

 

 

「……ありがとう、電。なら、頑張らなくちゃな。一緒に」

 

「はいっ。あ、でもでも、タバコはダメですよ? 悪いところまで真似てはいけないのです」

 

「はいはい、分かってる。憧れはするけど、二階級特進も勘弁だ。……な、電」

 

「なんでしょう。お代わりですか?」

 

「ん、それもあるんだけど……」

 

 

 ついでとばかりに言葉を付け加えようとしたのだが、無垢な気づかいに出鼻をくじかれる。

 しかし、いい機会が次にいつ巡ってくるのか分からないのだから、ここで止まってしまってはダメだ。

 ちゃんと自分の気持ちを伝えておこう。

 

 

「やっぱりさ、一緒にご飯、食べないか?」

 

「え?」

 

 

 おひつからご飯をよそっていた電は、その言葉に目をクリッとさせて動きを止める。

 

 

「あの、でも……電達は、基本的に艦の状態さえ維持していただければ、食べる必要は……」

 

「けど、食事自体はできるんだろう。毎朝隠れて牛乳飲んでるみたいだし」

 

「はうっ!? そ、そそそそんなことはぁぁ……」

 

 

 今度はしゃもじでご飯をペチペチ。泳いだ視線がまた可愛い。

 電は背がだいぶ低い。常日頃から、鎮守府に務めている背の高い女性職員をキラキラした眼差しで見ているあたり、憧れでもあるんだと思う。

 よく「足長いなぁ」とか「背高いなぁ」とか呟いてるし。成長とかできるのか? まぁ、してもしなくても電なのは変わらないか。

 それはさておき、ご飯が山のようになってるからそろそろよしなさい。

 

 

「必要があるかないかじゃなくて、そうしたいと思うか思わないか、で考えて欲しいんだ。自分は、電と一緒にご飯が食べたい。

 今日から文字通り、運命を共にするんだ。共に戦い、共に傷つく。敗北の痛みを分け合い、勝利の喜びを分かち合う。

 だから、美味しいものを食べたり、誰かと一緒に食事する楽しさも、君に感じて欲しいんだよ。……ダメか?」

 

「………………」

 

 

 最初の一週間は、引越しやら着任やらで、もうとにかく目まぐるしく、電のことを気にかける余裕がなかった。

 次の一週間は、慣れない訓練で体力的に気を回せず、彼女が食事らしい食事をしていないのに気づいたのはつい最近だ。

 周囲の人たちもそれを当然とし、本人にも「もう済ませました」などと誤魔化されてしまったため、ずいぶんと放ったらかしにしてしまった。それを謝っても、「食事する必要はありませんから」と、世話だけを焼いてくれる。

 しかし、美味しいものを美味しいと感じることができるのなら、勿体無いではないか。

 せっかく人に似た心と身体を得られたのだから、もっと生を謳歌して欲しい。少なくとも、自分はそう思うのである。

 

 

「司令官さんは、本当に変わった人、なのです」

 

 

 ふと、ため息。

 差し出される大盛り茶碗の向こうには、はにかんだような微笑みが。

 

 

「分かりました。司令官さんがそういうなら、次から電の分も用意させて貰います。今日の夕飯、一緒に食べましょう」

 

「ああ、そうしよう。明日の朝は自分も一品作るからさ。卵焼きには自信があるんだぞ?」

 

「はい。楽しみなのです」

 

 

 漬物と一緒にご飯をかき込みながら、自分達は約束を交わす。

 これで、無事に訓練を終えなければならない理由が一つ増えた。

 訓練と称されているだけあって、今回は目視できる範囲に先輩の艦が居てくれるが、手助けはしてくれない。

 運が悪ければそのまま撃沈。残骸は回収されて次艦のための物資に回されてしまう。

 

 ――絶対に、そうはさせるものか。

 

 胸の内で、静かに決意を改める。

 必ずこの子を。電を、無事に帰らせるんだ。

 

 

「あ。司令官さん、ご飯粒ついてるのです」

 

「お、おう……。あり、がとう……」

 

 

 ひょい、ぱく。

 と、こんな擬音がピッタリな、自然な動作。照れ臭くて思わず顔を背けてしまう。電は不思議そうに小首をかしげ口をもにゅもにゅ。

 もうなんなんだこの著しく男心をくすぐる存在。嫁にするぞ。

 本当に、どこまで行っても締まらないというか……。

 けど、この方が自分達らしいのかも……だなんて、思うのであった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 潮風が肌を撫でていく。

 降り注ぐ陽光の暖かさ、爆ぜる水飛沫。

 大海原を邁進する喜びは、しかし、自分の身体が直接感じているものではない。

 

 

『やっぱり、海はいいな。これだけでも提督になった甲斐があると思えるよ』

 

「なのです。鎮守府の訓練海域も嫌いじゃないですけど、正面海域に出ると水平線がよく見えます。視界良好、なのです」

 

 

 視界を細い腕が移動し、日の光を遮るように額へ添えられた。

 これは、電を介して感じているもの。

 増幅機器に繋がれた自分の身体は今も鎮守府にあり、本体である艦と同化、霊体として具現する彼女を通じ、航海しているのだ。

 傀儡能力者が持つ、同調技能の賜物である。

 

 

『兵装の状態は』

 

「はい。五十口径十二・七cm連装砲三基六門、十三mm単装機銃二挺、六十一cm三連装魚雷発射管三基、全て問題ありません」

 

 

 言いながら、電は腕を伸ばしたり自身の体を確かめたりしている。

 いつものセーラー服には、奇妙な部品が新たに付属していた。

 胴の両脇に、ミニチュアサイズの魚雷発射管を模した物体。背中には同じサイズの機関部と連装砲らしきもの。

 電の体についたそれが動くたび、本体の連装砲やら何やらが駆動する。視界には映っていないのだが、確かに動いていると分かる。

 やはり奇妙だ。自分が兵器と一体化している感覚は。

 

 

『自分が生まれる前までは、海も空も平和だったんだよな……』

 

 

 今までは訓練弾が装填されていた砲には、実弾が込められている。その事実がやけに重く感じる。

 目の前にある穏やかな海からは想像もつかないが、この水面の遥か下方。潜水艦ですら圧壊するほどの深さから、奴等はやってくるらしい。

 条理を超えた敵性勢力――ツクモ。

 軍艦などに似ていながら乗員はおらず、まるで船自体が意思を持ったかのように振る舞う彼等は、長い時間をかけて魂を宿した器物“付喪神”からその名を取った。

 外見的に、いっそ宇宙人とでも言った方が分かりやすいのでは、と自分は思うが、あまり明確に定義すると色々な問題(どんな時代も迷惑な団体は居るのである)が出てくるようで、宗教的にまずい神を取り除いた“ツクモ”という仮呼称が、いつの間にやら正式名称に格上げされたのだ。……と聞いた。

 

 

『でもまぁ、そのおかげで自分は就職できたし、電とも出会えたんだから、悪いことばかりじゃないか』

 

「あ……。ダメですよ司令官さん、そんな言い方。誰かに聞かれたりしたら、反逆罪で捕まっちゃうのです」

 

『っと、そうだった』

 

 

 いつまでも学生気分じゃダメだ。今の自分は曲がりなりにも軍人。

 敵を侮ることも、恐れることもしてはならない。ましてやその功罪を量るなど、越権行為だ。

 そういうことを考えるのは、内地のお偉方に任せよう。

 今は、いつ遭遇するかも分からない敵に気を配らなければ。

 

 

「はぁ~。お日様と風が気持ちいいのです~」

 

 

 ――と、思うのだけども。

 やけにご機嫌な電の声で、緊張感は綿飴みたいに溶けていく 。

 普段は人の姿をしているから忘れがちだが、彼女も艦船。海に出て航海するのが本領なのだろう。嬉しいという気持ちが強く伝わってくる。

 それにしては、いつもより喜んでいる気もするけど。……いやいやダメだってぇの。気を引き締めろっ!

 

 

『ええと、このあとの巡回航路はどうなってるんだっけ』

 

「確か、もうしばらく進むと、大きな島と岩場が見えてくるはずです。そこをぐるっと迂回しながら手前の沿岸を進みつつ回頭、鎮守府へ帰投する予定なのです」

 

『そうか……。何事もなければ……訓練としては失敗でも、有難いんだが』

 

 

 完全同調をしてからは間もないが、海に出てからはだいぶ時間が経っているため、安全領域である五十海里はとうに超えている。

 敵は排他的経済水域を大きく蝕んでいるのだが、なぜか陸地には一切近づこうとせず、戦闘行動中に逃げ込むような場合でない限り、ある程度の大きさを持つ陸地から九二六○○メートルは基本的に安全なのだ。漁業や魚の養殖なども、この海域内で行われている。

 しかし、以前と比べれば規模の大幅縮小はやむおえず、生活のために安全領域を出てしまう漁船も多い。他の産業も、海外からの輸入に頼ることが出来なくなり、発展の停滞を強いられていた。

 もともと国内自給率を高めようとする世論が大きくなっていたためか、食糧事情については飢えることなく済んでいるのだが、やはり質素になっているらしい。

 この時代に生まれた人間としては、話に聞く以前の贅沢ぶりの方が異常に思えるけれど。

 それにしても……。

 

 

『あれが岩場か……。いやな感じだな』

 

 

 十分と経たないうちに島影が見えてきた。が、その手前にポツリポツリと隆起した岩礁が多くあるのだ。

 それぞれの間隔はかなり離れていて、無理をすれば電でも通過できそうだが、まぁ、する必要はないか。

 それより、何カ所かに見える、船体が隠れてしまいそうなほど岩が密集している地帯が嫌だ。

 あの大きさの島だと、安全領域は無いに等しい。こんな場所で不意打ちでもされたら厄介にもほどがあ――

 

 

『――ってさっそく来たぞおい!?』

 

「え。あっ、敵艦発見、十一時の方向なのです!」

 

 

 岩陰から、ヌルリと這い出てくる艦影。歯を剥いてこちらを睨む、緑の単眼。

 本当に生きているみたいだ。艦首だけを切り取って見れば、まさしく地球外生命体である。いや、紛れもなく地球産なのだが。残骸の成分的に。

 多分あれは、駆逐艦。等級は……ダメだ、分からない。

 とりあえずT字にはなっていないし、待ち伏せされていたわけではないようだ。

 

 

『電、戦闘準備。並びに面舵四十』

 

「はいです」

 

 

 砲塔を回しつつ、岩場を離れるように進路を右へ。

 こちらを追ってか、敵艦は同航戦の構えを見せている。

 怒音。

 単装砲が向けられ、闇雲に放たれた。

 記憶にある資料を頼るなら、敵駆逐艦砲塔は五インチ相当。有効射程には程遠いが、時折、かすめるように上がる水柱が、精神に重圧を課す。

 

 

「……っ」

 

『怖いか、電』

 

「……ちょっと、だけ」

 

 

 かすかな震え。ぎゅう、となる胸の痛み。無理もない。自分もそうなのだから。

 直接相対して分かったことが一つある。あれは、おぞましいものだ。

 冷たい鋼鉄から放たれる、混じりっ気のない敵意。色んなものが混ざりすぎて、混沌とした怨念の吐息。

 相手が単艦で助かったのかもしれない。慣れない内にこんなものを浴びせられては、心が凍ってしまったことだろう。

 戦地に赴かないはずの提督に戦死者が出るのには、これが関わっているのか。「気をしっかり持て」と言われるわけだ。

 とにかく、これでハッキリした。自分はあれを倒さなければいけない。そうすることが人としての責務だと、実感した。

 けれど――

 

 

『大丈夫だ、電』

 

 

 ――そんなの、後回しだ。

 自分が今したいのは、この身に代わり単身で戦場へ赴いている少女に、寄り添うこと。

 戦意を奮い立たせるのなんて、その後でいい。

 

 

『その場に居ない人間が言っても説得力はないかもしれないけど、自分達は心で繋がってる。

 君の痛みも、恐れも、ちゃんと感じてる。一緒に乗り越えよう。心だけでも、側にいるから』

 

「司令官さん……」

 

 

 なかなかに小っ恥ずかしいセリフだが、戦場というシチュエーションが手伝ってか、すんなり口にすることができた。

 電の身体からも、適度に緊張が抜けていく。

 

 

「ありがとうございます。ちょっと、身体が軽くなったみたい」

 

『なら良かった。……さぁ、行くぞ』

 

「はいっ」

 

 

 そうこうしている内に、敵艦との距離が詰まってきていた。

 初めての実戦。絶対勝てる自信なんて無いが、この子を無事に帰投させるのだけは確定している。

 最悪、逃げるという選択肢もあるが……ここは一つ、完全勝利を目指そう。そのくらい出来なくては、提督の名がすたる。

 有効射程まであと少し。

 電本体の連装砲が微妙に角度を調整。必中のために合図を待つ。

 まだだ、もっと引きつけろ。

 もっと、もっと、もっと――今。

 

 

『砲撃開始!』

 

「なのです!」

 

 

 轟音、轟音、轟音。三基の連装砲が火を吹く。

 ――戦闘、開始だ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「その後、電は見事な砲雷撃戦を繰り広げ、最終的に無傷で敵駆逐艦を撃沈せしめました。

 ……と、ここまでは良かったものの、勝利に浮かれて前方に飛び石の岩礁があることに気づかず、速度を緩めるのを忘れ衝突。

 小破となり、完全勝利とは言えない結果で終わりました」

 

 

 忙しなく羽ペンを動かしながら、メガネをかけた少女が、古臭い黒電話に報告をあげる。

 思考分割を駆使しているため、言葉の内容と筆記内容はまるで別物だ。

 

 

『締まらんな。だが、初陣にしては上出来か。解放された艦船は回収できたのだろう』

 

「はい。整備を終えれば、正式に彼の部隊へ配備されます」

 

 

 受話器から聞こえる、壮年の男性と思しき厳つい声へ、少女は流暢に用意していた答えを発する。

 今回、敵が依り代としていたのは、電と同じ型の駆逐艦の模倣であった。

 通例として、依り代から解放された艦船は、模していた艦船への改装・整備が行われ、解放した艦隊の司令官の元へ配属される。

 とはいえ、船体自体は無傷で解放されることがほとんどのため、実際に行うのは正規兵装の追加と、内部の掃除くらいである。

 

 そこから先は、その司令官の自由。

 新たに統制人格を励起するか、解体して資材に回すか。はたまた、内地への支援物資とするか。

 鉱物資源に乏しく、強制的な半鎖国状態に置かれ、物資の輸出入が難しい状態にあるこの国では、どこからともなく現れ、貴重な鉄資源を供給してくれる敵が、工業の生命線でもあった。

 

 もっとも、彼等――もしくは彼女等がどこからやって来るのか、正確には分かっていない。

 海底山脈の資源を利用し、人の兵器を模倣しているのだと学者達は唱えているが、どこまで当たっているやら。

 深海から無傷で浮上してくる技術など、こちらが模倣したいくらいなのに、一度浮上すれば普通の艦船と同じになってしまうあたり、なんとも。

 

 

『……で、今は』

 

「高速修復剤で電の状態は良好です。その後彼は、何やら『コツを掴んだ』と、連れ立って艦の励起に向かいました。まだ整備は終わっていないと申したのですが、聞こえていなかったようで」

 

 

 呆れ果てたような口ぶりと、刻まれる表情とはやはり裏腹だ。

 それもそのはず、確信を得たような凛々しい表情をする彼と、おでこに大きなバッテン印をつけた電は、傍から見れば兄の後をついて回る妹のようにしか見えなかったのだから。

 経験に勝る信仰はない。数値の上では問題ないのに励起できなかったのも、おそらくは自分の能力を信じきれていなかったのが原因。

 自らが呼び起こした船で、その統制人格とともに戦い、痛みを共有した今であれば、今度こそ上手くいくだろう。

 そうして、彼も数多の船をあやつり、この国のために戦い始めるのである。

 ……まぁ、ようやく頼り甲斐の出てきた背中を見つめる電の姿に、微妙な嫉妬を伺わせるあたり、今後は別の意味で苦労しそうではあるのだが。

 そんなことを思いつつ、バレないように苦笑していたら、電話口からは変わらず冷淡な声。

 

 

『やはり、事実なのか』

 

「と、言いますと」

 

『傀儡のことだ。奴の電、励起当初から感情を有していた上、今までの統制人格とは見た目にも違うらしいな』

 

「……はい。私自身が直接確認しました。彼女――あの電は、間違いなく感情を宿しています」

 

 

 本来、艦艇から呼び起こされた統制人格――傀儡は、まさしく人形なのだ。

 知性はあっても知恵がない。精神はあっても感情がない。唯々諾々と命令に従い、散って行くヒトカタ。

 そんな彼女達が感情を宿し得るのは、幾つもの死線をくぐり抜け、長く旗艦を勤め上げられるような大型艦船――最低でも軽巡洋艦などに限られる。

 駆逐艦などはそれ以前に撃沈されてしまうことがほとんどであるから、必然的にこうなるのだ。

 しかし、着任したばかりの、名ばかりと思われていた提督が励起した駆逐艦には、最初から感情が宿っていた。

 前代未聞、である。

 

 

『全く、惜しいものだ。傀儡に主従制限さえなければ、無理やりにでも励起させて艦隊を作り上げられるというに』

 

「そう、ですね」

 

 

 感情を宿した統制人格は、あらゆる意味で通常の傀儡と一線を画す。

 彼女達は戦況に応じて自ら判断し、司令官の意図を汲み取り、人馬一体の如き動きを見せる。

 例えば、感情のない傀儡空母の操る無人戦闘機などは、よほど司令官が“上手く”ない限り、一糸乱れぬ一斉攻撃しかできない。

 一方、感情を宿した傀儡空母であれば、例え命令がなくとも戦闘機を効果的に配し、最大効率で攻撃を行うことができる。

 使役艦船が増えれば増えるほど負担の増す傀儡能力者にとって、これほど役に立つ存在はないだろう。

 とはいえ、声の主が言うとおり、それは夢物語だ。一度励起された統制人格は、励起した当人にしか従わない。貸し借りなど出来ないのである。

 

 

(ある意味、それが救いよね……)

 

 

 もしもこの主従制限が無ければ、彼は魂が枯れるまで空母や戦艦を励起させられることになっていただろう。

 彼のことだ。

 ただ使い捨ての駒にさせるために統制人格を励起し続けるだなんて、きっと耐えられない。

 彼は、そういう人なのだ。

 

 

『理由はさだかでないが、しかし有用であるのは確か。せいぜい期待させてもらうとしよう。今後も注意深く、な』

 

「はい。お休みなさいませ。……兄様」

 

 

 言い終える前に、通話は切れてしまった。むしろ、聞こえないように言ったのか。

 どちらにせよ、手にしている意味のなくなった受話器をもどし、少女は立ち上がる。

 ずいぶんと話し込んでしまっていたようで、窓の外に見える空は、白み始めていた。

 

 戦争は――戦いというものは、優しい人をこそ、大きく歪ませる。

 傷つき、傷つけ。

 奪い、奪われ。

 殺し、殺され。

 終わりのない連鎖に絡め取られた心は、自分を守ろうと強固な殻を身に纏う。

 

 

(あの人は、変わってしまった。もう戻れないまでに。だけど)

 

 

 ――私だけは、見捨てるわけにはいかない。

 

 光。

 遥か彼方の水平線から、また太陽が登ってくる。また、戦いの日々が始まる。

 始まりは何だったのか。終わりはいつ訪れるのか。闘争の末に待つ未来は。

 何も知らない、知ることを許されない身。それでも、祈らずにはいられなかった。

 どうか。

 どうか今日も――

 

 

 

 

 

「暁の水平線に、勝利が刻まれんことを」

 

 

 

 

 




電ちゃんマジ新妻

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