「おむにばす!」   作:七音

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最終話「あの、困りますっ!」

 

 

 

『いよいよ明日、展示会ですね』

 

「はい。少し緊張します」

 

 

 プラウダ高校との試合を終え、来るべき決勝戦への準備に追われていた、ある日の夜。

 寮の自室に居るわたくしは、携帯で若さんとお話ししていました。

 薄手の長襦袢を着て、畳の上のお布団に座って。完全にリラックスモードです。

 

 

『一時はどうなるかと思いましたけど、間に合って良かった』

 

「わたくしは心配していませんでしたよ。若さんなら、必ず素晴らしい花器を仕上げてくださると、信じていましたから」

 

『そ、そうですか。……なんか、照れますね』

 

「うふふ」

 

 

 電話口の声が、照れ臭そうにしている若さんを想像させてくれて、思わず微笑んでしまいます。

 親方さんとの一悶着があってからも、わたくしは幾度か工房へ足を運びました。

 花器の事もありますが、若さんと親方さんの仲が険悪になっていないか、気に掛かりましたし。

 でも、それは全くの杞憂でした。

 親方さんは悪態をつきながらも、土の性質など、経験からくる的確な助言をして、若さんは鬱陶しそうな顔をしつつ、素直に受け入れて。

 男親と息子の関係というのは、案外こういうものなのかも知れません。外から見ると、やっぱり危なっかしくも見えてしまいますけど。

 

 そして、前回訪ねた時。ついにわたくしの花器は完成し、後は花を活けるだけ、という訳です。

 展示会に参加する事は決まっていますが、お母様にはまだ、花器の事は何も話していません。こういうのはインパクトが大事でもありますから。

 不安が無いとは、言い切れませんけれど。今のわたくしの、持てる全てをぶつけるつもりです。

 

 

『あの……。俺、見に行っても良い、ですかね』

 

「勿論です。若さんにも、ぜひ見て頂きたいです。わたくしの活けた花を。あ、みほさん達も来て下さるんですよ」

 

『というと、あんこうチームの? そうですかぁ。なら、ご挨拶できるかも知れませんね』

 

 

 展示会が行われるのは、アクアワールド大洗水族館の一画。確か入場は無料だったはずですので、気軽に来て頂けます。

 ……が、若さんの言葉に、なんだか引っ掛かりを覚えてしまいました。

 こうしてお電話するようになったのは最近で、その中で戦車道のお話や、チームの皆さんのお話もしました。

 なので、会ってみたいと思う若さんの気持ちも、分からなくはない、んですけれど……。わたくし、どうしてこんなに心が揺らいで……。

 とにかく……。そう、釘を刺しておかないとっ。

 

 

「失礼とは思いますが、若さん? 沙織さんにはライカさんという恋人がいらっしゃいますし……」

 

『は? い、いやいやいやっ、違いますよ、そういう意味じゃないです! 第一、俺が見に行くのは五十鈴さんで……』

 

「え? わたくし、を?」

 

『あああ違う、五十鈴さんの活けた花を……。いやでも、五十鈴さんに会いたくないって訳じゃ……』

 

「………………」

 

 

 少し険のある言葉を向けてしまったわたくしですが、慌てて言い訳をする若さんの言葉に、また心は揺れてしまいます。

 若さんが、わたくしを見に来る。

 本人が仰ったように、言い間違えただけ……なんでしょう。

 それなのに、先程とは違う感触が、胸の奥をくすぐって。

 

 

『と、とにかく必ず行きます。何があっても、絶対に』

 

「……はい。お待ちしていますわ。お休みなさいませ」

 

 

 もどかしい沈黙があって、しばらく。

 誤魔化すような若さんに別れの挨拶を告げ、わたくしは通話を終えました。

 ぼうっと天井を見上げ、そのまま布団へ仰向けに。

 

 

(もう準備は整っているんだし、早めに寝た方が良いかしら)

 

 

 学園艦はもう大洗に向かっていて、明日の朝には入港が済んでいるはずですが、展示会の事を考えれば、早めの睡眠を取っておくに越した事はありません。

 ですが、わたくしはお布団の上で寝返りを打つばかりで、一向に眠気は訪れず……。

 この気持ち、なんなのでしょうか。

 ウキウキとドキドキの、中間のような。まるで、遠足前の小学生みたいです。

 

 

「……確認。もう一度、確認だけ……」

 

 

 眠れそうにないと悟ったわたくしは、展示会へ参加するのに必要な準備を、今一度確認する事にしました。

 華道の道具はもちろん、女の子の必需品が入ったポーチや、小腹が空いた時の携帯食も準備してあります。

 あと確認すべきは……。展示会で着る着物、くらいですね。

 

 

(着物は、これで……良いわよね。前にも着た事のある物だし)

 

 

 大洗女子に入学する際、ひょっとしたら必要になるかも? と、お母様に持たされた、衣紋掛けに出してある着物。

 色は黄色を基本として、金の菊や、紫の牡丹、薄桃色の桜などが描かれた、季節を問わずに着られる品です。髪も纏め上げ、牡丹を模った髪飾りを合わせます。

 きっとこれなら、若さんも気に入って……。

 

 

(……あら? どうしてわたくし、若さんの事を)

 

 

 ふと、妙な事に気付きました。

 今回の展示会は、戦車道を通じて得たものを、生け花としてお母様に見せる場。

 考慮するならお母様であるはずなのに、わたくしは、まず若さんを思い浮かべていたのです。

 途端、一気に不安が押し寄せて来ました。

 何度も着て、わたくし自身お気に入りの着物ですが、彼に見せるのは初めてのこと。

 ひょっとしたら、嫌いな色かも知れない。好みの柄ではないかも知れない。

 一応、他にも二着ほど、着物を持たされているのですけれど……。

 

 

「やっぱり、こちらの方が……。でも、派手過ぎるような気も……」

 

 

 押入れから桐の収納箱を引っ張り出し、納められていた青と赤の着物を比べながら、わたくしは悩み始めてしまいました。

 青い方は落ち着いた印象ですが、地味に映るかも知れません。

 赤い方は存在感がありますけれど、自己主張が強過ぎては……。

 

 うう、どうしましょう……? このままだと寝られませんわ……!

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 翌日。

 学園艦を下艦し、大洗水族館へと脚を運んだわたくしは、展示会の準備を終え、胸を撫で下ろしていました。

 

 

(なんとか、無事に活け終わりました……)

 

 

 現在時刻は午後一時。展示会に参加する方々と花を活け、割り当てられた場所へと完成した作品を飾って頂く。これだけで午前中を費やしています。

 人によっては前日に活けておく場合もあるそうですが、翌日まで姿を保つかは物によりますし、学園艦の都合もあったので、当日に場所を借りて活けさせて頂きました。

 

 ちなみに、着ているのは黄色地の着物。

 結局、無難なものが一番だと思い至るのに、夜中の一時まで掛かってしまいました。おかげでちょっと寝不足です。

 そんな訳で、眠気覚ましがてら、まだ人の少ない展示場を歩いていたのですが……。

 

 

(あ、みほさん。他の皆さんも、もう来てくれていたのね)

 

 

 見覚えのある横顔を見つけ、眠気は簡単に飛んでしまいました。

 まだこちらに気付いていないようで、皆さんの視線の先には、わたくしが活けた花があります。

 少し緊張しますが、招いた側として、キチンと挨拶をしなくては。

 

 

「皆さん。来てくれてありがとう」

 

「あ、華さん! こちらこそ、招待してくれてありがとう!」

 

 

 遠慮がちに声を掛けてみると、みほさんが顔を輝かせ、お礼を返してくれます。

 沙織さんや優花里さん、麻子さんも、「やっほー」だとか、「どうもであります!」だとか、無言で会釈だとか。皆さんらしい挨拶が返ってきました。

 微笑みながら近づいて行くと、また生け花に向き直り、さっそく感想を伝えてくれて。

 

 

「このお花、凄く素敵ですっ」

 

「そうそう! 力強くて、でも、どことなく優しい感じがして……」

 

「はい。まるで五十鈴殿そのものみたいです!」

 

「器もなかなか良いな。こんな形は見たことが無い」

 

 

 四人並んで、わたくしの活けた花を、皆さんはじっくり眺めてくれています。

 普段は戦車など、鉄と油の匂いにばかり包まれているわたくし達ですが、やはり婦女子。

 花を愛でる心も忘れてはいません。

 

 

「この花は、皆さんが活けさせてくれたんです」

 

「え?」

 

 

 呟くようにわたくしが言うと、みほさんは小首を傾げました。

 白や黄色の、春に咲く小さな菊を中心とし、大きな広がりを意識して活けたこの花は。

 戦車道で広がった、わたくしの世界と。それを支えてくれた、仲間をイメージした作品なのです。

 

 

「みほさんが居てくれなかったら。沙織さんが居てくれなかったら。

 優花里さんが居てくれなかったら。麻子さんが居てくれなかったら。

 きっと、この花は活けられなかったと思うんです。皆さん。本当に……ありがとう」

 

 

 だから、わたくしは心からの感謝を込めて、大切なあんこうチームの仲間へと微笑み掛けます。

 すると皆さんは、驚いたように顔を見合わせ、次いで、照れくさそうな笑みを浮かべました。

 

 

「そ、そんな事ないよ。このお花が素敵なのは、華さん自身が努力したからで……」

 

「なんだか照れますねぇ……。でも、私なんかがお役に立てたんだとしたら、嬉しいです! ね、冷泉殿?」

 

「ん。まぁ……友人だしな」

 

「お? めっずらしーい。麻子も照れてるー」

 

「うふふ、本当の事ですよ? この作品は、わたくし一人で作り上げた物ではありませんから」

 

 

 大洗女子の廃校の危機や、戦車道と出会い。

 そして、仲間と共に努力し、勝ち抜いて来たこれまでが無かったら、こんなに晴れやかな気持ちで、花を活ける事も出来なかったと思います。

 この作品はわたくしが活けた物ですが、活けさせてくれたのは、わたくしの側に居てくれた皆さん。

 だからこれは、みんなで作り上げた作品なんです。

 そんな気持ちが伝わったのか、みほさんは改めて花を眺め、感慨深く言いました。

 

 

「なら、戦車道と華道の合作……みたいな物なのかな?」

 

「そうなるんでしょうね、恐らくは」

 

「えっ? あ、華さんのお母さん……」

 

 

 急にわたくしの背後から、みほさんとは別の声が届きます。

 突き放すようなそれは、わたくしにとって聞き馴染んだ声でした。

 振り返ると、そこには一人の女性が居ます。

 わたくしの母であり、師匠でもある、お母様。五十鈴流の宗家が。

 

 

「この子が活ける花は、纏まってはいるけれど、個性と新しさに欠ける花でした。

 こんなに大胆で、力強い作品が出来たのは、戦車道のおかげかも知れないわね」

 

「……! お母様……」

 

 

 厳しく、忌憚のない評価は、かつて、わたくしが思い悩んでいたこと。

 五十鈴流の花でありながら、その枠から決して出ることのない、つまらない花。

 でも、これまでをそう評価した上で、お母様は大胆と、力強いと。

 驚きを込めて見つめれば、厳しかった表情はやがて崩れ……。

 

 

「私とは……。五十鈴流とは違う。……貴方の新境地ね」

 

「はい!」

 

 

 とても優しい微笑みを、わたくしに向けてくれました。

 思わず、目の奥がジンとしてしまいます。

 随分と長い時間が掛かったようにも、あっという間だったようにも感じる日々でしたが、やっぱり、戦車道を選んで良かった……!

 

 

「いつぞやは、貴方たちにも失礼な態度を取ってしまって、申し訳ありませんでした。どうか末長く、華さんと仲良くしてあげて下さい」

 

「あ、いえそんな! 頭を上げてください! そんなの当たり前ですから!」

 

「そうです! 五十鈴殿は、我があんこうチームの重要な砲手ですからねっ」

 

「居なくなったらチームが立ち行かない、です」

 

「私はチーム外でも仲良いですけどね! 女子として!」

 

「主にわたくしが、沙織さんの妄言へと突っ込むだけなんですけどね」

 

「あっ、華ひど~い! もう妄言じゃないもんっ、私にはライカが居るんだからー!」

 

「あらあら、楽しそうで羨ましい。あの人との学生時代を思い出すわ」

 

 

 どうやら、お母様の中で戦車道への意識も変わったようで、お喋りするわたくし達を、微笑ましく見守ってくれます。これで心置きなく、決勝戦に挑めますね。

 と、ぷんすか湯気を立てる沙織さんをスルーしていたら、お母様はわたくしの作品を一瞥し、「それにしても」と続けました。

 

 

「あの戦車型の花器には驚いたわ。一体、どうやって用意したの?」

 

「はい。ある方に、特別に頼んで作って貰ったんです」

 

「まぁ。それじゃあ、私からもお礼を言わないとね。後で紹介して貰えるかしら?」

 

「勿論です。とても真摯に作品作りに取り組む、素晴らしい職人さんなんですよ」

 

 

 気になったのは、若さんが作ってくれた花器のようです。

 それも当然でしょうか? 何せ、世界で一つだけの、戦車型の花器ですから。

 麻子さんも褒めて下さいましたけど、やっぱり知人の作品が認められるというのは、嬉しいものですね。

 お母様、お目が高いです……なんて、一人で上機嫌になっていたら、ぷんすかしていた沙織さんが、「キュピン!」と目を光らせました。

 

 

「ねぇねぇ、華、華! もしかしてその職人さん……。男の人?」

 

「……へっ!? い、いきなり何を言い出すんですか、沙織さん」

 

「沙織……」

 

「まぁ、陶芸家には男性が多いでしょうけど、武部殿、流石にこじつけじゃ?」

 

「だって今、一瞬だけど表情変わったよ!

 私達を呼ぶ時と違って、ほんのりラブ臭を感じたもん!

 ライカとラブラブな日々を過ごしている、私の目に狂いは無い! きっと!」

 

「ちょっと自信無いんだね……」

 

 

 ズバリ、若さんの事を言い当てられて、わたくしはドギマギしてしまいます。

 た、確かに若さんは男性ですが、ええと………………あら? そもそも、なんでわたくしはドギマギしているんでしょう?

 別に、殿方の職人さんと知り合いだからって、何がある訳でもないのに。……いいえ。茶化されそうでしたし、そのせいです。多分。

 

 

(……あ)

 

 

 そんな風に、自分を納得させていた時。

 ふと、遠くから歩み寄る男性の姿が目につきました。

 紺のスーツで身を固めたその人は、わたくしの知る普段の姿と違っていましたが、間違えるはずはありません。若さんです。

 本当に、来てくれた。

 疑ってなんかいませんでしたけれど、どうしましょう。鼓動が高鳴ります。

 

 

「華さん。もしかして、あの方なの?」

 

「そ、そうです、お母様。若さぁん!」

 

「……若?」

 

 

 わたくしと若さんを見比べる、訝しげなお母様に頷きつつ、若さんへと小さく手を振ります。

 彼は直ぐに気付いてくれたようで、急ぎ足でこちらに歩み寄りました。

 

 

「こんにちは、五十鈴さん。来るのが遅くなってしまって、申し訳ない」

 

「いいえ。来て下さっただけで、とても嬉しいです」

 

「今日は和服姿なんですね?」

 

「はい。やはり、生け花の展示会ですから。花を活ける者として、場にそぐわない格好は出来ません」

 

「そうですか。……あ~、その……。と、とても、よくお似合いです。綺麗、です……」

 

「あ……。ありがとうございます。……葵さんの入れ知恵ですか?」

 

「うっ。バレますか、やっぱり。でも、綺麗だと思ったのは本心で……」

 

「ふふふ、そういう事にしておきましょうか。若さんも、スーツがお似合いですよ」

 

「はは、どうも。着るの、久しぶりなんですけどね? 普段は作務衣ばっかりですし、着られてる感じがします」

 

 

 若さんはまず、わたくしの着物姿を褒めて下さいました。

 嬉しく思うのは当たり前なのですが、妙に彼らしくないと感じ、ちょっと探りを入れてみれば、案の定。葵さんったら、全くもう……。

 でも、若さんのスーツ姿は堂に入って、普段とはまた違った凛々しさを放っています。作務衣を着ている所しか見ていませんでしたから、新鮮ですね。

 ……あ、いけません。つい話し込んで。お母様や皆さんを紹介しないと。

 

 

「若さん。こちらは、わたくしの母の……」

 

「五十鈴 百合、と申します。この度は、娘が大変お世話になったようで」

 

「ああ、これは御丁寧に。こちらこそ、とても良い機会を頂きまして。感謝しています」

 

 

 お母様が頭を下げると、若さんも頭を下げ、いつぞやの親方さんとわたくしのような、お礼合戦が――

 

 

「はいはーい! 私、華の友達の、武部 沙織でーす! 彼氏持ちなんで、惚れちゃ駄目だぞっ☆」

 

「えと、西住みほです。華さんと一緒に、戦車道をやってます」

 

「同じく、秋山 優花里と申しますっ。以後、お見知り置き下さいっ」

 

「冷泉 麻子。沙織の惚れる云々は気にしない方が良い。彼氏持ちなのは本当だが」

 

「そ、そうさせて貰うよ……。

 君達が、あんこうチームのメンバーなんだね? よく話を聞いてました。

 あいにく応援には行けなかったんですが、決勝戦進出、おめでとうございます」

 

「ありがとうございます。みんなの頑張りのおかげです」

 

 

 ――始まるかと思いきや、やたら元気の良い沙織さんの挨拶が割り込み、今度はあんこうチームの皆さんの自己紹介。

 物腰から人柄を理解して貰えたみたいで、引っ込み思案なみほさんも、笑顔で挨拶しています。

 ……胸がジリジリするのは、気の所為です。

 だって、とても良い事のはずですから。

 

 

「さ、挨拶も済んだ事ですし、華の作品を見てやって下さい。この子の新境地なんですよ」

 

「はい。拝見します」

 

 

 そうこうしている内に、お母様が若さんを作品の前に誘いました。

 あんこうチームの皆さんは、若さんと離れると真っ直ぐこちらへ。

 なんだか、表情がニヤついているような……?

 

 

(はーなっ! 私達は他のお花を見に行くから。頑張ってね!)

 

(えっ。が、頑張るって、何をですか?)

 

(もう~、そういうのいいから~。女は愛嬌、だよっ)

 

(女子高生の着物姿って、結構ポイント高そうですよね? 五十鈴殿、ファイトであります!)

 

(華さんと若さん、大人っぽくて凄くお似合いだと思う! 応援するねっ!)

 

(私にはよく分からんが、まぁ頑張れ)

 

(あ、あの、皆さん? 何か勘違いをされているんじゃ……)

 

 

 沙織さん、優花里さん、みほさん、麻子さん。

 口々に励まし(?)の言葉を掛けて、皆さんはそそくさ歩き去って行きました。

 ええと、が、頑張れって言われましても、あの……。

 ……とりあえず、置いておきましょう。今は、若さんに作品を見てもらうのが先決です。

 誤魔化してなんかいませんよ、ええっ。

 

 

「これが、華さんの……」

 

「……はい。いかが、でしょうか……?」

 

 

 生け花の前に立つ若さんは、しげしげと、前屈みになって花を観察しています。

 自信を持って活けた花ですが、こうもじっくり見られると、なんだか落ち着きません……。

 

 

「生け花に関しては門外漢ですし、あくまで個人的な感想なんですが……」

 

「は、はい……っ」

 

 

 一通り見終えたのか、若さんがこちらへ向き直りました。

 背筋が勝手に伸びて、心臓は異様な早鐘を打っています。

 皆さんの感想を聞いた時は、こんな風にはならなかったのに。もう、何が何やら……。

 

 

「凄く、好きです」

 

「……え!?」

 

 

 そんなわたくしの混乱は、若さんの言葉で加速して。

 す、すすす、好き……!? 

 あのあのあのっ、そんなに穏やかで、優しい瞳を向けられたら、わたくし……っ。

 

 

「ああいやっ、変な言い方になってしまいました!

 あの、とても綺麗で、ダイナミックで、その、なんと、言いますか。

 ……この生け花を見られて良かったとか、花器を作った甲斐があったとか、そういう複合的な意味で……」

 

「そ、そうですよね。ありがとう、ございます……」

 

 

 アワアワと手を振り回す若さんの姿に、はたと気付きます。

 そうです。当たり前ですよ。この場合、お花の事しかあり得ませんよね……。

 なんという事でしょう。

 本当に沙織さん化が進んでいます、注意しなければっ。

 

 

(ねぇ、華さん?)

 

(あ、はい。なんでしょう)

 

 

 ――と、密かに気を引き締めていたら、ツンツン肘をつつかれる感じが。

 妙に寂しそうな顔をしていらっしゃる、お母様です。

 いけません、すっかり忘れていましたわ……。

 

 

(もしかして、私もお邪魔、かしら?)

 

(お、お母様まで? 皆さんといい、さっきから何を……)

 

(あら。まさか貴方、自覚していないの? ……やっぱり、二人きりにしてあげた方が良さそうね?)

 

(ま、待って下さい! わたくし、あの、困りますっ!)

 

 

 寂しそうでいて、けれど楽しそうにも聞こえる、お母様の囁き声。

 何やら勝手に話は進んでいて、戸惑うわたくしを無視し、今度は若さんへと。

 

 

「ええと、若さん? 申し訳ないのですが、このあと外せない用事が詰まっておりまして。少しの間、失礼させて頂きますね」

 

「あ、はい。すみません、お引き留めしたみたいで」

 

「いえいえ、お会い出来て良かったですわ。おかげで安心しました。……華の事、よろしくお願いします」

 

「は? はい……」

 

「お母様っ!」

 

「では失礼ー」

 

 

 わたくしが声を上げると、お母様は「おほほほほ」と笑いながら、視界の隅へ消えて行きます。

 若さんと、二人きり。

 何故か、お客様の姿も近くに見受けられず。ただただ、静かでした。

 

 

「……お、お母様ったら、どうなさったんでしょうね?」

 

「ですね……」

 

 

 居心地が悪く、適当な話で場を保たせようとしますが、全く続きません。

 ソワソワして、ムズムズして、彼の顔も見れませんでした。

 しばらくそのままでしたが、やがて沈黙は、若さんの声で破られます。

 

 

「あの……。五十鈴さん。少し、話をさせて貰っても、良いですか」

 

「お話、ですか」

 

 

 わたくしに向き直り、若さんは深呼吸を。

 三回ほど繰り返した後、頭一つ分も背の高い彼が、やおら腰を曲げました。

 

 

「まずは、この仕事を俺に任せてくれて、ありがとうございました。

 ようやく、自分に自信が持てそうな気がします。貴方のおかげです」

 

「……はい。わたくしの方こそ、ありがとうございます。

 若さんの作ってくれた花器が無かったら、納得の行く作品に仕上げる事は出来ませんでした。

 わたくしが自分の殻を破れたのも、お母様に認めて頂けたのも、全て若さんのおかげです」

 

 

 合わせて、わたくしも頭を下げます。

 あの花を活けさせてくれたのは、戦車道の仲間達ですが、それをより引き立てて下さったは、間違いなく若さん。

 お互いに感謝し合って、引き立て合える関係って、素敵ですよね……。

 ……はっ。他意はありませんよ、他意は。

 純然たる一般市民的な感性から導き出される意見でしてっ。

 

 

「実は俺も、五十鈴さんと同じ悩みを抱えてたんです」

 

「え。お悩みを……?」

 

 

 正気に戻り、オウム返しするわたくしへと、若さんが頷きます。

 お悩み……。作品に関する事でしょうか。

 

 

「俺はずっと、親父に言われるがまま仕事をしてきました。

 本当は自分の好きな物を作りたかったのに、仕事なんだからって言い訳してたんです。

 あの窯元は俺が継がなきゃいけない。だから、親父の言う事を聞いて、親父の望む技を身に付けなくちゃいけない、って」

 

 

 己の手を、ジッと見つめる若さん。

 浮かぶ表情は、どこか自嘲めいていて、呼吸が一瞬、苦しくなりました。

 ですが……。

 

 

「そんな時に、五十鈴さんが現れたんです。

 新しい自分を見つけようと、必死になってる五十鈴さんの姿を見て、思いました。

 ああ。俺もこの人みたいになれたら。この人みたいに、頑張れたら……。

 だから手伝おうと――いや、違うな。

 俺は五十鈴さんを通して、自分自身を救おうとしてたんだ」

 

 

 こちらを見つめる時には、もう、普段の柔らかさを取り戻していて。

 ああ……。そうだったんですね。

 今更ですが、思い至りました。どうしてあんなにも早く、若さんと打ち解けられたのか。

 それは、同じ苦しみを知っていたから。

 同じ気持ちを抱えていたからこそ、わたくしは無意識にそれを感じ、足りない“何か”を補おうとしていた。

 わたくし、は。この方に……。

 

 

「今の俺があるのは、君のおかげ。君がこの道を示してくれた。

 君が居なければ、俺はずっと、自分の本当の望みを見つけられなかったと思う」

 

「そ、そんな……。大袈裟、ですよ……」

 

「大袈裟なんかじゃない。俺にとっては、それだけの意味があるんだ」

 

「あ……」

 

 

 見つめる視線が熱を帯びて、気恥ずかしさに謙遜してしまうわたくしを、彼は強く否定します。

 胸が、またジリジリし始めました。

 ……違う。もっと、ずっと前から。この胸は、熱を宿していました。

 本当は気付いていたはずなのに。知識として知っていたはずなのに。

 もどかしいこの気持ちを、どう呼ぶのか。

 

 

「注文された花器を納めた今、仕事上の関係はお終いだ。あの花器以外に、俺と君の接点は、無い。

 でも、それじゃあ嫌なんだ。始まりは仕事だったけど、それだけで終わりたくない。だから……」

 

 

 一歩。彼が近づきます。

 黒い瞳に、熱はどんどん上がって行って。

 

 

「五十鈴 華さん。俺は、貴方の事が好きです。俺の恋人に、なって貰えませんか」

 

 

 若さんの言葉で、ついに逃げられなくなりました。

 胸が痛いくらいに締め付けられ、心臓も弾けそうなほどに高鳴り、身体は今にも燃え上がりそう。

 苦しくて、苦しくて。……嬉しくて。

 勝手に、喉が震えます。

 

 

「わたくしは……。幼い頃から華道ばかりをやって来ました。

 幸い、沙織さんや麻子さん、みほさんや優花里さんといった友人に恵まれて、戦車道にも出会えて。

 でもまだ……。男性を好きになった事は、ありません。だから、殿方を愛するという気持ちが、よく分からないんです」

 

「……っ、そ、う、ですか……。すみません、忘れ――」

 

「待って下さいっ。……まだ途中、ですから」

 

 

 断りの返事と誤解し、踵を返そうとする若さんの手を取り、わたくしは引き止めます。

 幼い頃から、色んな事を学んで来ました。

 色んな人に、出会って来ました。

 でも、お友達や芸事では、決して知り得ない事もあったんです。

 あったんだと、今、ようやく理解しました。

 

 

「あの日……。若さんがお父様に啖呵を切った後の、強い瞳で見つめられた瞬間。胸の奥に、何か、ジリジリとする熱が生まれて。

 若さんとお話ししている時、それはとても暖かく、時折、身を焦がすほど熱くなりました。

 こんな事は、初めてなんです。こんなに、もどかしくて楽しい気持ち、初めてで。で、ですから……」

 

 

 それは、沙織さんが夢中になっている事で。

 他の誰もが、同じようになってしまう可能性があるもの。

 始まりはきっと、些細な事なんです。

 手が触れたとか、頼みを聞き届けて貰えたとか、笑い合えたとか。

 そんな思い出を振り返って、些細な事を、嬉しく思える心。

 わたくしが、気恥ずかしさから向き合おうとしなかった、幼い気持ち。

 その名前を言葉とするため、わたくしは一歩近づき、彼を見上げます。

 

 

「わたくしに……。恋の仕方を、教えて下さいますか?」

 

 

 気持ちをキュッと絞り込み。

 花を活ける時のように。主砲の狙いを定める時のように。

 真っ直ぐ、若さんへ問い掛けます。

 一瞬、彼の瞳は大きくなり、次に、潤いを湛えて細くなりました。

 溢れるような、微笑みに合わせて。

 

 

「もちろん。喜んで」

 

「若さん……!」

 

 

 静かな返事に、今度はわたくしの目頭が熱くなって。

 気が付けば、逞しい腕の中へ飛び込んでいました。忙しないジリジリが、穏やかなドキドキへと変わっていきます。

 あぁ、やっぱり。わたくしは、この方に惹かれている。

 穏やかで、誠実で、ひたむきな彼に、堪らなく。

 この方と、また新しい道を歩きたい。……恋を、してみたい。

 心からそう思えました。

 

 腕の中で、もう一度彼を見上げます。

 慈しむような笑顔が注がれ、土の匂いを宿す指は、嬉し涙を湛えた、わたくしの目尻を拭い。

 そのまま、距離が近づき始めました。

 彼は身を屈め、わたくしは背伸びをして。磁石のように、唇同士が――

 

 

「ちょおおおおっと待ったぁああぁぁあああっ!」

 

「きゃっ!?」

 

「な、なんだ!?」

 

 

 ――触れませんでした。

 唐突な怒声に驚き、わたくし達は抱きしめ合って周囲を伺います。

 すると、声の主らしい半被姿の男性が、物凄く厳しい顔で、両手に草木を構えて。

 あの声、この姿。間違いなく、奉公人の新三郎です。

 草木は欺瞞工作のつもりなんでしょうか? むしろ目立っていますけれど。

 

 オマケに遠目には、お客様や展示会参加者のギャラリーが構築されていました。

 その方々が、「青春よ」「青春だわ」「三角関係?」「痴情のもつれ?」「燃えるわぁ」などと、好き勝手な事を。

 ど、どうしましょう。若さんにばかり目が行って、周囲の変化に全く気付きませんでした。下手に集中力があるのも困りものです……。

 いいえ、それよりもまず、闘牛のように鼻息を荒くしている、新三郎をどうにかしませんと!

 

 

「し、新三郎? 貴方いつから……」

 

「お嬢! まずは奥様との和解、誠に目出度く存じます! これもお嬢の頑張りあってこそです!」

 

「あ、ありがとう。でも、あの……」

 

「しかぁあしっ! 五十鈴家に奉公させて頂き早十年以上、密かにお嬢を心の妹と見守って来た男として、どこの馬の骨かも分からぬ輩に、お嬢を預ける訳には参りません!」

 

 

 片膝をつき、仰々しい口上で喜びを伝える新三郎。

 けれど直ぐさま立ち上がり、滂沱と涙を流しつつ腰に差していた“何か”を抜き放ちました。

 あれは……孫の手? え? 何故に孫の手?

 一応、怪我させないよう気を遣っている、のかも……。いえ、やっぱり訳が分かりません。

 あぁぁ、若さんの顔も困惑で引き攣っていらっしゃる。

 

 

「……は、華さん? この人は……?」

 

「実家の方に奉公に来ている、新三郎です。で、でもそれだけで。わたくし、別に新三郎とは何もっ」

 

「ええ、確かになんにもありません! が、それとこれとは話が別です! お嬢と結ばれたければ、この新三郎の屍を越えるがいい!」

 

「え~……」

 

 

 しどろもどろに、新三郎との関係を説明するわたくしですが、当の新三郎は両手で孫の手を構えて、今にも面打ちしそうな体勢を。

 若さん、ドン引きしてます……。

 わたくしとしても、心配してくれる気持ちは嬉しいですけれど、正直迷惑です。一体どうしてくれましょうか……?

 なんて、心の中で黒い物を沸き立たせていたら、「決闘よ」「果たし合いよ」「骨肉の争いよ」「最後は違いません?」と騒ぎ立てる野次馬の中から、誰かが飛び出し……ってお母様っ!?

 

 

「ちょっと新三郎! 貴方、なんで邪魔をするの! せっかく華さんと若さんがいい雰囲気だったのに……!」

 

「そうよそうよー! 誰かの恋路を邪魔する人は、馬に蹴られて死んじゃうんだからね!?」

 

「お母様に、沙織さん……だけじゃなく皆さんまで!?」

 

「あはは……。ご、ごめんね華さん。止めようって言ったんだけど、なんだか逃げそびれちゃって……」

 

「いやはやなんとも、流石は五十鈴殿です! ちょっと惜しかったですが、しっとりとした良い感じの告白シーンでしたよ!」

 

「また動画を撮ってしまった……。この携帯、容量少ないのに……」

 

 

 お母様の後ろには、他の花を見ているはずの沙織さんや、みほさん、優花里さんに麻子さんの姿も。

 皆さん、覗いてらっしゃったんですね……。というか、麻子さんには動画まで撮られて……。

 ああ、沙織さん。教室でライカさんとのキスシーンを騒がれていた時、貴方はこんな気持ちだったんですか。

 恥ずかしくて死んでしまいそうです。顔が、顔が熱いですぅ……っ。

 

 

「華さん、ちょっとゴメン」

 

「え? ――あっ」

 

 

 若さんの囁き声。

 両手で、真っ赤になっているはずの顔を隠すわたくしは、いきなり浮遊感を覚えました。

 彼の顏が近く、身体は横向きに。

 これは、まさか……お姫様抱っこ?

 

 

「き、貴様っ、お嬢に何を……!」

 

「申し訳ないけど……。戦術的撤退させて貰います!」

 

 

 困惑し通しのわたくしを抱きかかえ、若さんは新三郎に背を向けました。

 そして、モーセの十戒が如く割れる野次馬を駆け抜けます。

 

 

「待てい貴様ぁ! 常日頃から人力車を引いて鍛えた、この俊足から逃げられると思うなよぉ!」

 

「新三郎、お待ちなさい! こら、新三郎!」

 

「お姫様抱っこで逃避行……。いいなぁ~憧れちゃう~」

 

「そんな事言ってる場合か。どうする? 隊長」

 

「え? 私に聞かれても……。と、とにかく華さんを援護しなきゃ! とりあえず突撃です!」

 

「おおお、西住殿らしくない雑な命令。だがそれが良い。パンツァー・フォー! であります!」

 

 

 孫の手を片手に追ってくる新三郎と、着物の裾をたくし上げて走るお母様。

 ウットリした顔の沙織さんへ突っ込む麻子さんに、みほさんの命令に追従する優花里さん。

 若さんの肩越しにその姿を確認しながら、わたくしは彼の顔をまた見上げます。

 アクアワールドの館内から出て、一面の青空を背景に、遠くを見据える凛々しい瞳。

 ほんのりと、胸を暖かくしてくれる、想い人の横顔。

 

 

「若さん」

 

「なんだい、華さんっ」

 

 

 呼び掛ければ、息を弾ませつつも、優しい眼差しが降り注いで。

 自然とそれに微笑み返し、わたくしは……。

 

 

「不束者ですが、末長く、宜しくお願い申し上げます」

 

 

 若さんの首へ腕を回し、頬にそっと口付けます。

 後ろの方で新三郎の咆哮が轟いていますけれど、気にしません。

 わたくしは、また別の道を歩み始めたのですから。

 

 生まれてからずっと側にあった、華道。

 この春に出会い、これまでと違う自分を見つけさせてくれた、戦車道。

 それから、若さんと出会って見出した、新しい道を。

 

 古来からの乙女の花形、花嫁道。

 わたくし、邁進致しますわ!

 ……ちょっと沙織さんぽいですけど、それもたまには、良いですよね?

 

 

 




 やれー新三郎ー! その孫の手で頭をカチ割れぇええっ!(筆者の叫び)
 という訳で、五十鈴 華編、最終話で御座いました。さおりん編に比べると随分大人しく感じますが、さおりん編がおかしかっただけです。華さんは(食欲と乙π以外は)控えめな淑女なのです。
 男女のお付き合い=ケコーンになってる所も、お嬢様育ち故なんじゃないでしょうか。若さんこれから大変。エンゲル係数的な意味でも。

 さて。これにて五十鈴 華編は完結と相成りました。が、続きを書くかはまだ考え中。
 西住殿にはあんこうチームの大トリを飾ってもらう予定ですから、書くとすれば麻子っちか、ゆかりんか……。
 続きを望む方が一人でも居る限りは、いつか必ず書きますので、取り敢えず四年後にご期待下さい(遠いわ)。
 それでは、失礼致します。

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