『いよいよ明日、展示会ですね』
「はい。少し緊張します」
プラウダ高校との試合を終え、来るべき決勝戦への準備に追われていた、ある日の夜。
寮の自室に居るわたくしは、携帯で若さんとお話ししていました。
薄手の長襦袢を着て、畳の上のお布団に座って。完全にリラックスモードです。
『一時はどうなるかと思いましたけど、間に合って良かった』
「わたくしは心配していませんでしたよ。若さんなら、必ず素晴らしい花器を仕上げてくださると、信じていましたから」
『そ、そうですか。……なんか、照れますね』
「うふふ」
電話口の声が、照れ臭そうにしている若さんを想像させてくれて、思わず微笑んでしまいます。
親方さんとの一悶着があってからも、わたくしは幾度か工房へ足を運びました。
花器の事もありますが、若さんと親方さんの仲が険悪になっていないか、気に掛かりましたし。
でも、それは全くの杞憂でした。
親方さんは悪態をつきながらも、土の性質など、経験からくる的確な助言をして、若さんは鬱陶しそうな顔をしつつ、素直に受け入れて。
男親と息子の関係というのは、案外こういうものなのかも知れません。外から見ると、やっぱり危なっかしくも見えてしまいますけど。
そして、前回訪ねた時。ついにわたくしの花器は完成し、後は花を活けるだけ、という訳です。
展示会に参加する事は決まっていますが、お母様にはまだ、花器の事は何も話していません。こういうのはインパクトが大事でもありますから。
不安が無いとは、言い切れませんけれど。今のわたくしの、持てる全てをぶつけるつもりです。
『あの……。俺、見に行っても良い、ですかね』
「勿論です。若さんにも、ぜひ見て頂きたいです。わたくしの活けた花を。あ、みほさん達も来て下さるんですよ」
『というと、あんこうチームの? そうですかぁ。なら、ご挨拶できるかも知れませんね』
展示会が行われるのは、アクアワールド大洗水族館の一画。確か入場は無料だったはずですので、気軽に来て頂けます。
……が、若さんの言葉に、なんだか引っ掛かりを覚えてしまいました。
こうしてお電話するようになったのは最近で、その中で戦車道のお話や、チームの皆さんのお話もしました。
なので、会ってみたいと思う若さんの気持ちも、分からなくはない、んですけれど……。わたくし、どうしてこんなに心が揺らいで……。
とにかく……。そう、釘を刺しておかないとっ。
「失礼とは思いますが、若さん? 沙織さんにはライカさんという恋人がいらっしゃいますし……」
『は? い、いやいやいやっ、違いますよ、そういう意味じゃないです! 第一、俺が見に行くのは五十鈴さんで……』
「え? わたくし、を?」
『あああ違う、五十鈴さんの活けた花を……。いやでも、五十鈴さんに会いたくないって訳じゃ……』
「………………」
少し険のある言葉を向けてしまったわたくしですが、慌てて言い訳をする若さんの言葉に、また心は揺れてしまいます。
若さんが、わたくしを見に来る。
本人が仰ったように、言い間違えただけ……なんでしょう。
それなのに、先程とは違う感触が、胸の奥をくすぐって。
『と、とにかく必ず行きます。何があっても、絶対に』
「……はい。お待ちしていますわ。お休みなさいませ」
もどかしい沈黙があって、しばらく。
誤魔化すような若さんに別れの挨拶を告げ、わたくしは通話を終えました。
ぼうっと天井を見上げ、そのまま布団へ仰向けに。
(もう準備は整っているんだし、早めに寝た方が良いかしら)
学園艦はもう大洗に向かっていて、明日の朝には入港が済んでいるはずですが、展示会の事を考えれば、早めの睡眠を取っておくに越した事はありません。
ですが、わたくしはお布団の上で寝返りを打つばかりで、一向に眠気は訪れず……。
この気持ち、なんなのでしょうか。
ウキウキとドキドキの、中間のような。まるで、遠足前の小学生みたいです。
「……確認。もう一度、確認だけ……」
眠れそうにないと悟ったわたくしは、展示会へ参加するのに必要な準備を、今一度確認する事にしました。
華道の道具はもちろん、女の子の必需品が入ったポーチや、小腹が空いた時の携帯食も準備してあります。
あと確認すべきは……。展示会で着る着物、くらいですね。
(着物は、これで……良いわよね。前にも着た事のある物だし)
大洗女子に入学する際、ひょっとしたら必要になるかも? と、お母様に持たされた、衣紋掛けに出してある着物。
色は黄色を基本として、金の菊や、紫の牡丹、薄桃色の桜などが描かれた、季節を問わずに着られる品です。髪も纏め上げ、牡丹を模った髪飾りを合わせます。
きっとこれなら、若さんも気に入って……。
(……あら? どうしてわたくし、若さんの事を)
ふと、妙な事に気付きました。
今回の展示会は、戦車道を通じて得たものを、生け花としてお母様に見せる場。
考慮するならお母様であるはずなのに、わたくしは、まず若さんを思い浮かべていたのです。
途端、一気に不安が押し寄せて来ました。
何度も着て、わたくし自身お気に入りの着物ですが、彼に見せるのは初めてのこと。
ひょっとしたら、嫌いな色かも知れない。好みの柄ではないかも知れない。
一応、他にも二着ほど、着物を持たされているのですけれど……。
「やっぱり、こちらの方が……。でも、派手過ぎるような気も……」
押入れから桐の収納箱を引っ張り出し、納められていた青と赤の着物を比べながら、わたくしは悩み始めてしまいました。
青い方は落ち着いた印象ですが、地味に映るかも知れません。
赤い方は存在感がありますけれど、自己主張が強過ぎては……。
うう、どうしましょう……? このままだと寝られませんわ……!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
学園艦を下艦し、大洗水族館へと脚を運んだわたくしは、展示会の準備を終え、胸を撫で下ろしていました。
(なんとか、無事に活け終わりました……)
現在時刻は午後一時。展示会に参加する方々と花を活け、割り当てられた場所へと完成した作品を飾って頂く。これだけで午前中を費やしています。
人によっては前日に活けておく場合もあるそうですが、翌日まで姿を保つかは物によりますし、学園艦の都合もあったので、当日に場所を借りて活けさせて頂きました。
ちなみに、着ているのは黄色地の着物。
結局、無難なものが一番だと思い至るのに、夜中の一時まで掛かってしまいました。おかげでちょっと寝不足です。
そんな訳で、眠気覚ましがてら、まだ人の少ない展示場を歩いていたのですが……。
(あ、みほさん。他の皆さんも、もう来てくれていたのね)
見覚えのある横顔を見つけ、眠気は簡単に飛んでしまいました。
まだこちらに気付いていないようで、皆さんの視線の先には、わたくしが活けた花があります。
少し緊張しますが、招いた側として、キチンと挨拶をしなくては。
「皆さん。来てくれてありがとう」
「あ、華さん! こちらこそ、招待してくれてありがとう!」
遠慮がちに声を掛けてみると、みほさんが顔を輝かせ、お礼を返してくれます。
沙織さんや優花里さん、麻子さんも、「やっほー」だとか、「どうもであります!」だとか、無言で会釈だとか。皆さんらしい挨拶が返ってきました。
微笑みながら近づいて行くと、また生け花に向き直り、さっそく感想を伝えてくれて。
「このお花、凄く素敵ですっ」
「そうそう! 力強くて、でも、どことなく優しい感じがして……」
「はい。まるで五十鈴殿そのものみたいです!」
「器もなかなか良いな。こんな形は見たことが無い」
四人並んで、わたくしの活けた花を、皆さんはじっくり眺めてくれています。
普段は戦車など、鉄と油の匂いにばかり包まれているわたくし達ですが、やはり婦女子。
花を愛でる心も忘れてはいません。
「この花は、皆さんが活けさせてくれたんです」
「え?」
呟くようにわたくしが言うと、みほさんは小首を傾げました。
白や黄色の、春に咲く小さな菊を中心とし、大きな広がりを意識して活けたこの花は。
戦車道で広がった、わたくしの世界と。それを支えてくれた、仲間をイメージした作品なのです。
「みほさんが居てくれなかったら。沙織さんが居てくれなかったら。
優花里さんが居てくれなかったら。麻子さんが居てくれなかったら。
きっと、この花は活けられなかったと思うんです。皆さん。本当に……ありがとう」
だから、わたくしは心からの感謝を込めて、大切なあんこうチームの仲間へと微笑み掛けます。
すると皆さんは、驚いたように顔を見合わせ、次いで、照れくさそうな笑みを浮かべました。
「そ、そんな事ないよ。このお花が素敵なのは、華さん自身が努力したからで……」
「なんだか照れますねぇ……。でも、私なんかがお役に立てたんだとしたら、嬉しいです! ね、冷泉殿?」
「ん。まぁ……友人だしな」
「お? めっずらしーい。麻子も照れてるー」
「うふふ、本当の事ですよ? この作品は、わたくし一人で作り上げた物ではありませんから」
大洗女子の廃校の危機や、戦車道と出会い。
そして、仲間と共に努力し、勝ち抜いて来たこれまでが無かったら、こんなに晴れやかな気持ちで、花を活ける事も出来なかったと思います。
この作品はわたくしが活けた物ですが、活けさせてくれたのは、わたくしの側に居てくれた皆さん。
だからこれは、みんなで作り上げた作品なんです。
そんな気持ちが伝わったのか、みほさんは改めて花を眺め、感慨深く言いました。
「なら、戦車道と華道の合作……みたいな物なのかな?」
「そうなるんでしょうね、恐らくは」
「えっ? あ、華さんのお母さん……」
急にわたくしの背後から、みほさんとは別の声が届きます。
突き放すようなそれは、わたくしにとって聞き馴染んだ声でした。
振り返ると、そこには一人の女性が居ます。
わたくしの母であり、師匠でもある、お母様。五十鈴流の宗家が。
「この子が活ける花は、纏まってはいるけれど、個性と新しさに欠ける花でした。
こんなに大胆で、力強い作品が出来たのは、戦車道のおかげかも知れないわね」
「……! お母様……」
厳しく、忌憚のない評価は、かつて、わたくしが思い悩んでいたこと。
五十鈴流の花でありながら、その枠から決して出ることのない、つまらない花。
でも、これまでをそう評価した上で、お母様は大胆と、力強いと。
驚きを込めて見つめれば、厳しかった表情はやがて崩れ……。
「私とは……。五十鈴流とは違う。……貴方の新境地ね」
「はい!」
とても優しい微笑みを、わたくしに向けてくれました。
思わず、目の奥がジンとしてしまいます。
随分と長い時間が掛かったようにも、あっという間だったようにも感じる日々でしたが、やっぱり、戦車道を選んで良かった……!
「いつぞやは、貴方たちにも失礼な態度を取ってしまって、申し訳ありませんでした。どうか末長く、華さんと仲良くしてあげて下さい」
「あ、いえそんな! 頭を上げてください! そんなの当たり前ですから!」
「そうです! 五十鈴殿は、我があんこうチームの重要な砲手ですからねっ」
「居なくなったらチームが立ち行かない、です」
「私はチーム外でも仲良いですけどね! 女子として!」
「主にわたくしが、沙織さんの妄言へと突っ込むだけなんですけどね」
「あっ、華ひど~い! もう妄言じゃないもんっ、私にはライカが居るんだからー!」
「あらあら、楽しそうで羨ましい。あの人との学生時代を思い出すわ」
どうやら、お母様の中で戦車道への意識も変わったようで、お喋りするわたくし達を、微笑ましく見守ってくれます。これで心置きなく、決勝戦に挑めますね。
と、ぷんすか湯気を立てる沙織さんをスルーしていたら、お母様はわたくしの作品を一瞥し、「それにしても」と続けました。
「あの戦車型の花器には驚いたわ。一体、どうやって用意したの?」
「はい。ある方に、特別に頼んで作って貰ったんです」
「まぁ。それじゃあ、私からもお礼を言わないとね。後で紹介して貰えるかしら?」
「勿論です。とても真摯に作品作りに取り組む、素晴らしい職人さんなんですよ」
気になったのは、若さんが作ってくれた花器のようです。
それも当然でしょうか? 何せ、世界で一つだけの、戦車型の花器ですから。
麻子さんも褒めて下さいましたけど、やっぱり知人の作品が認められるというのは、嬉しいものですね。
お母様、お目が高いです……なんて、一人で上機嫌になっていたら、ぷんすかしていた沙織さんが、「キュピン!」と目を光らせました。
「ねぇねぇ、華、華! もしかしてその職人さん……。男の人?」
「……へっ!? い、いきなり何を言い出すんですか、沙織さん」
「沙織……」
「まぁ、陶芸家には男性が多いでしょうけど、武部殿、流石にこじつけじゃ?」
「だって今、一瞬だけど表情変わったよ!
私達を呼ぶ時と違って、ほんのりラブ臭を感じたもん!
ライカとラブラブな日々を過ごしている、私の目に狂いは無い! きっと!」
「ちょっと自信無いんだね……」
ズバリ、若さんの事を言い当てられて、わたくしはドギマギしてしまいます。
た、確かに若さんは男性ですが、ええと………………あら? そもそも、なんでわたくしはドギマギしているんでしょう?
別に、殿方の職人さんと知り合いだからって、何がある訳でもないのに。……いいえ。茶化されそうでしたし、そのせいです。多分。
(……あ)
そんな風に、自分を納得させていた時。
ふと、遠くから歩み寄る男性の姿が目につきました。
紺のスーツで身を固めたその人は、わたくしの知る普段の姿と違っていましたが、間違えるはずはありません。若さんです。
本当に、来てくれた。
疑ってなんかいませんでしたけれど、どうしましょう。鼓動が高鳴ります。
「華さん。もしかして、あの方なの?」
「そ、そうです、お母様。若さぁん!」
「……若?」
わたくしと若さんを見比べる、訝しげなお母様に頷きつつ、若さんへと小さく手を振ります。
彼は直ぐに気付いてくれたようで、急ぎ足でこちらに歩み寄りました。
「こんにちは、五十鈴さん。来るのが遅くなってしまって、申し訳ない」
「いいえ。来て下さっただけで、とても嬉しいです」
「今日は和服姿なんですね?」
「はい。やはり、生け花の展示会ですから。花を活ける者として、場にそぐわない格好は出来ません」
「そうですか。……あ~、その……。と、とても、よくお似合いです。綺麗、です……」
「あ……。ありがとうございます。……葵さんの入れ知恵ですか?」
「うっ。バレますか、やっぱり。でも、綺麗だと思ったのは本心で……」
「ふふふ、そういう事にしておきましょうか。若さんも、スーツがお似合いですよ」
「はは、どうも。着るの、久しぶりなんですけどね? 普段は作務衣ばっかりですし、着られてる感じがします」
若さんはまず、わたくしの着物姿を褒めて下さいました。
嬉しく思うのは当たり前なのですが、妙に彼らしくないと感じ、ちょっと探りを入れてみれば、案の定。葵さんったら、全くもう……。
でも、若さんのスーツ姿は堂に入って、普段とはまた違った凛々しさを放っています。作務衣を着ている所しか見ていませんでしたから、新鮮ですね。
……あ、いけません。つい話し込んで。お母様や皆さんを紹介しないと。
「若さん。こちらは、わたくしの母の……」
「五十鈴 百合、と申します。この度は、娘が大変お世話になったようで」
「ああ、これは御丁寧に。こちらこそ、とても良い機会を頂きまして。感謝しています」
お母様が頭を下げると、若さんも頭を下げ、いつぞやの親方さんとわたくしのような、お礼合戦が――
「はいはーい! 私、華の友達の、武部 沙織でーす! 彼氏持ちなんで、惚れちゃ駄目だぞっ☆」
「えと、西住みほです。華さんと一緒に、戦車道をやってます」
「同じく、秋山 優花里と申しますっ。以後、お見知り置き下さいっ」
「冷泉 麻子。沙織の惚れる云々は気にしない方が良い。彼氏持ちなのは本当だが」
「そ、そうさせて貰うよ……。
君達が、あんこうチームのメンバーなんだね? よく話を聞いてました。
あいにく応援には行けなかったんですが、決勝戦進出、おめでとうございます」
「ありがとうございます。みんなの頑張りのおかげです」
――始まるかと思いきや、やたら元気の良い沙織さんの挨拶が割り込み、今度はあんこうチームの皆さんの自己紹介。
物腰から人柄を理解して貰えたみたいで、引っ込み思案なみほさんも、笑顔で挨拶しています。
……胸がジリジリするのは、気の所為です。
だって、とても良い事のはずですから。
「さ、挨拶も済んだ事ですし、華の作品を見てやって下さい。この子の新境地なんですよ」
「はい。拝見します」
そうこうしている内に、お母様が若さんを作品の前に誘いました。
あんこうチームの皆さんは、若さんと離れると真っ直ぐこちらへ。
なんだか、表情がニヤついているような……?
(はーなっ! 私達は他のお花を見に行くから。頑張ってね!)
(えっ。が、頑張るって、何をですか?)
(もう~、そういうのいいから~。女は愛嬌、だよっ)
(女子高生の着物姿って、結構ポイント高そうですよね? 五十鈴殿、ファイトであります!)
(華さんと若さん、大人っぽくて凄くお似合いだと思う! 応援するねっ!)
(私にはよく分からんが、まぁ頑張れ)
(あ、あの、皆さん? 何か勘違いをされているんじゃ……)
沙織さん、優花里さん、みほさん、麻子さん。
口々に励まし(?)の言葉を掛けて、皆さんはそそくさ歩き去って行きました。
ええと、が、頑張れって言われましても、あの……。
……とりあえず、置いておきましょう。今は、若さんに作品を見てもらうのが先決です。
誤魔化してなんかいませんよ、ええっ。
「これが、華さんの……」
「……はい。いかが、でしょうか……?」
生け花の前に立つ若さんは、しげしげと、前屈みになって花を観察しています。
自信を持って活けた花ですが、こうもじっくり見られると、なんだか落ち着きません……。
「生け花に関しては門外漢ですし、あくまで個人的な感想なんですが……」
「は、はい……っ」
一通り見終えたのか、若さんがこちらへ向き直りました。
背筋が勝手に伸びて、心臓は異様な早鐘を打っています。
皆さんの感想を聞いた時は、こんな風にはならなかったのに。もう、何が何やら……。
「凄く、好きです」
「……え!?」
そんなわたくしの混乱は、若さんの言葉で加速して。
す、すすす、好き……!?
あのあのあのっ、そんなに穏やかで、優しい瞳を向けられたら、わたくし……っ。
「ああいやっ、変な言い方になってしまいました!
あの、とても綺麗で、ダイナミックで、その、なんと、言いますか。
……この生け花を見られて良かったとか、花器を作った甲斐があったとか、そういう複合的な意味で……」
「そ、そうですよね。ありがとう、ございます……」
アワアワと手を振り回す若さんの姿に、はたと気付きます。
そうです。当たり前ですよ。この場合、お花の事しかあり得ませんよね……。
なんという事でしょう。
本当に沙織さん化が進んでいます、注意しなければっ。
(ねぇ、華さん?)
(あ、はい。なんでしょう)
――と、密かに気を引き締めていたら、ツンツン肘をつつかれる感じが。
妙に寂しそうな顔をしていらっしゃる、お母様です。
いけません、すっかり忘れていましたわ……。
(もしかして、私もお邪魔、かしら?)
(お、お母様まで? 皆さんといい、さっきから何を……)
(あら。まさか貴方、自覚していないの? ……やっぱり、二人きりにしてあげた方が良さそうね?)
(ま、待って下さい! わたくし、あの、困りますっ!)
寂しそうでいて、けれど楽しそうにも聞こえる、お母様の囁き声。
何やら勝手に話は進んでいて、戸惑うわたくしを無視し、今度は若さんへと。
「ええと、若さん? 申し訳ないのですが、このあと外せない用事が詰まっておりまして。少しの間、失礼させて頂きますね」
「あ、はい。すみません、お引き留めしたみたいで」
「いえいえ、お会い出来て良かったですわ。おかげで安心しました。……華の事、よろしくお願いします」
「は? はい……」
「お母様っ!」
「では失礼ー」
わたくしが声を上げると、お母様は「おほほほほ」と笑いながら、視界の隅へ消えて行きます。
若さんと、二人きり。
何故か、お客様の姿も近くに見受けられず。ただただ、静かでした。
「……お、お母様ったら、どうなさったんでしょうね?」
「ですね……」
居心地が悪く、適当な話で場を保たせようとしますが、全く続きません。
ソワソワして、ムズムズして、彼の顔も見れませんでした。
しばらくそのままでしたが、やがて沈黙は、若さんの声で破られます。
「あの……。五十鈴さん。少し、話をさせて貰っても、良いですか」
「お話、ですか」
わたくしに向き直り、若さんは深呼吸を。
三回ほど繰り返した後、頭一つ分も背の高い彼が、やおら腰を曲げました。
「まずは、この仕事を俺に任せてくれて、ありがとうございました。
ようやく、自分に自信が持てそうな気がします。貴方のおかげです」
「……はい。わたくしの方こそ、ありがとうございます。
若さんの作ってくれた花器が無かったら、納得の行く作品に仕上げる事は出来ませんでした。
わたくしが自分の殻を破れたのも、お母様に認めて頂けたのも、全て若さんのおかげです」
合わせて、わたくしも頭を下げます。
あの花を活けさせてくれたのは、戦車道の仲間達ですが、それをより引き立てて下さったは、間違いなく若さん。
お互いに感謝し合って、引き立て合える関係って、素敵ですよね……。
……はっ。他意はありませんよ、他意は。
純然たる一般市民的な感性から導き出される意見でしてっ。
「実は俺も、五十鈴さんと同じ悩みを抱えてたんです」
「え。お悩みを……?」
正気に戻り、オウム返しするわたくしへと、若さんが頷きます。
お悩み……。作品に関する事でしょうか。
「俺はずっと、親父に言われるがまま仕事をしてきました。
本当は自分の好きな物を作りたかったのに、仕事なんだからって言い訳してたんです。
あの窯元は俺が継がなきゃいけない。だから、親父の言う事を聞いて、親父の望む技を身に付けなくちゃいけない、って」
己の手を、ジッと見つめる若さん。
浮かぶ表情は、どこか自嘲めいていて、呼吸が一瞬、苦しくなりました。
ですが……。
「そんな時に、五十鈴さんが現れたんです。
新しい自分を見つけようと、必死になってる五十鈴さんの姿を見て、思いました。
ああ。俺もこの人みたいになれたら。この人みたいに、頑張れたら……。
だから手伝おうと――いや、違うな。
俺は五十鈴さんを通して、自分自身を救おうとしてたんだ」
こちらを見つめる時には、もう、普段の柔らかさを取り戻していて。
ああ……。そうだったんですね。
今更ですが、思い至りました。どうしてあんなにも早く、若さんと打ち解けられたのか。
それは、同じ苦しみを知っていたから。
同じ気持ちを抱えていたからこそ、わたくしは無意識にそれを感じ、足りない“何か”を補おうとしていた。
わたくし、は。この方に……。
「今の俺があるのは、君のおかげ。君がこの道を示してくれた。
君が居なければ、俺はずっと、自分の本当の望みを見つけられなかったと思う」
「そ、そんな……。大袈裟、ですよ……」
「大袈裟なんかじゃない。俺にとっては、それだけの意味があるんだ」
「あ……」
見つめる視線が熱を帯びて、気恥ずかしさに謙遜してしまうわたくしを、彼は強く否定します。
胸が、またジリジリし始めました。
……違う。もっと、ずっと前から。この胸は、熱を宿していました。
本当は気付いていたはずなのに。知識として知っていたはずなのに。
もどかしいこの気持ちを、どう呼ぶのか。
「注文された花器を納めた今、仕事上の関係はお終いだ。あの花器以外に、俺と君の接点は、無い。
でも、それじゃあ嫌なんだ。始まりは仕事だったけど、それだけで終わりたくない。だから……」
一歩。彼が近づきます。
黒い瞳に、熱はどんどん上がって行って。
「五十鈴 華さん。俺は、貴方の事が好きです。俺の恋人に、なって貰えませんか」
若さんの言葉で、ついに逃げられなくなりました。
胸が痛いくらいに締め付けられ、心臓も弾けそうなほどに高鳴り、身体は今にも燃え上がりそう。
苦しくて、苦しくて。……嬉しくて。
勝手に、喉が震えます。
「わたくしは……。幼い頃から華道ばかりをやって来ました。
幸い、沙織さんや麻子さん、みほさんや優花里さんといった友人に恵まれて、戦車道にも出会えて。
でもまだ……。男性を好きになった事は、ありません。だから、殿方を愛するという気持ちが、よく分からないんです」
「……っ、そ、う、ですか……。すみません、忘れ――」
「待って下さいっ。……まだ途中、ですから」
断りの返事と誤解し、踵を返そうとする若さんの手を取り、わたくしは引き止めます。
幼い頃から、色んな事を学んで来ました。
色んな人に、出会って来ました。
でも、お友達や芸事では、決して知り得ない事もあったんです。
あったんだと、今、ようやく理解しました。
「あの日……。若さんがお父様に啖呵を切った後の、強い瞳で見つめられた瞬間。胸の奥に、何か、ジリジリとする熱が生まれて。
若さんとお話ししている時、それはとても暖かく、時折、身を焦がすほど熱くなりました。
こんな事は、初めてなんです。こんなに、もどかしくて楽しい気持ち、初めてで。で、ですから……」
それは、沙織さんが夢中になっている事で。
他の誰もが、同じようになってしまう可能性があるもの。
始まりはきっと、些細な事なんです。
手が触れたとか、頼みを聞き届けて貰えたとか、笑い合えたとか。
そんな思い出を振り返って、些細な事を、嬉しく思える心。
わたくしが、気恥ずかしさから向き合おうとしなかった、幼い気持ち。
その名前を言葉とするため、わたくしは一歩近づき、彼を見上げます。
「わたくしに……。恋の仕方を、教えて下さいますか?」
気持ちをキュッと絞り込み。
花を活ける時のように。主砲の狙いを定める時のように。
真っ直ぐ、若さんへ問い掛けます。
一瞬、彼の瞳は大きくなり、次に、潤いを湛えて細くなりました。
溢れるような、微笑みに合わせて。
「もちろん。喜んで」
「若さん……!」
静かな返事に、今度はわたくしの目頭が熱くなって。
気が付けば、逞しい腕の中へ飛び込んでいました。忙しないジリジリが、穏やかなドキドキへと変わっていきます。
あぁ、やっぱり。わたくしは、この方に惹かれている。
穏やかで、誠実で、ひたむきな彼に、堪らなく。
この方と、また新しい道を歩きたい。……恋を、してみたい。
心からそう思えました。
腕の中で、もう一度彼を見上げます。
慈しむような笑顔が注がれ、土の匂いを宿す指は、嬉し涙を湛えた、わたくしの目尻を拭い。
そのまま、距離が近づき始めました。
彼は身を屈め、わたくしは背伸びをして。磁石のように、唇同士が――
「ちょおおおおっと待ったぁああぁぁあああっ!」
「きゃっ!?」
「な、なんだ!?」
――触れませんでした。
唐突な怒声に驚き、わたくし達は抱きしめ合って周囲を伺います。
すると、声の主らしい半被姿の男性が、物凄く厳しい顔で、両手に草木を構えて。
あの声、この姿。間違いなく、奉公人の新三郎です。
草木は欺瞞工作のつもりなんでしょうか? むしろ目立っていますけれど。
オマケに遠目には、お客様や展示会参加者のギャラリーが構築されていました。
その方々が、「青春よ」「青春だわ」「三角関係?」「痴情のもつれ?」「燃えるわぁ」などと、好き勝手な事を。
ど、どうしましょう。若さんにばかり目が行って、周囲の変化に全く気付きませんでした。下手に集中力があるのも困りものです……。
いいえ、それよりもまず、闘牛のように鼻息を荒くしている、新三郎をどうにかしませんと!
「し、新三郎? 貴方いつから……」
「お嬢! まずは奥様との和解、誠に目出度く存じます! これもお嬢の頑張りあってこそです!」
「あ、ありがとう。でも、あの……」
「しかぁあしっ! 五十鈴家に奉公させて頂き早十年以上、密かにお嬢を心の妹と見守って来た男として、どこの馬の骨かも分からぬ輩に、お嬢を預ける訳には参りません!」
片膝をつき、仰々しい口上で喜びを伝える新三郎。
けれど直ぐさま立ち上がり、滂沱と涙を流しつつ腰に差していた“何か”を抜き放ちました。
あれは……孫の手? え? 何故に孫の手?
一応、怪我させないよう気を遣っている、のかも……。いえ、やっぱり訳が分かりません。
あぁぁ、若さんの顔も困惑で引き攣っていらっしゃる。
「……は、華さん? この人は……?」
「実家の方に奉公に来ている、新三郎です。で、でもそれだけで。わたくし、別に新三郎とは何もっ」
「ええ、確かになんにもありません! が、それとこれとは話が別です! お嬢と結ばれたければ、この新三郎の屍を越えるがいい!」
「え~……」
しどろもどろに、新三郎との関係を説明するわたくしですが、当の新三郎は両手で孫の手を構えて、今にも面打ちしそうな体勢を。
若さん、ドン引きしてます……。
わたくしとしても、心配してくれる気持ちは嬉しいですけれど、正直迷惑です。一体どうしてくれましょうか……?
なんて、心の中で黒い物を沸き立たせていたら、「決闘よ」「果たし合いよ」「骨肉の争いよ」「最後は違いません?」と騒ぎ立てる野次馬の中から、誰かが飛び出し……ってお母様っ!?
「ちょっと新三郎! 貴方、なんで邪魔をするの! せっかく華さんと若さんがいい雰囲気だったのに……!」
「そうよそうよー! 誰かの恋路を邪魔する人は、馬に蹴られて死んじゃうんだからね!?」
「お母様に、沙織さん……だけじゃなく皆さんまで!?」
「あはは……。ご、ごめんね華さん。止めようって言ったんだけど、なんだか逃げそびれちゃって……」
「いやはやなんとも、流石は五十鈴殿です! ちょっと惜しかったですが、しっとりとした良い感じの告白シーンでしたよ!」
「また動画を撮ってしまった……。この携帯、容量少ないのに……」
お母様の後ろには、他の花を見ているはずの沙織さんや、みほさん、優花里さんに麻子さんの姿も。
皆さん、覗いてらっしゃったんですね……。というか、麻子さんには動画まで撮られて……。
ああ、沙織さん。教室でライカさんとのキスシーンを騒がれていた時、貴方はこんな気持ちだったんですか。
恥ずかしくて死んでしまいそうです。顔が、顔が熱いですぅ……っ。
「華さん、ちょっとゴメン」
「え? ――あっ」
若さんの囁き声。
両手で、真っ赤になっているはずの顔を隠すわたくしは、いきなり浮遊感を覚えました。
彼の顏が近く、身体は横向きに。
これは、まさか……お姫様抱っこ?
「き、貴様っ、お嬢に何を……!」
「申し訳ないけど……。戦術的撤退させて貰います!」
困惑し通しのわたくしを抱きかかえ、若さんは新三郎に背を向けました。
そして、モーセの十戒が如く割れる野次馬を駆け抜けます。
「待てい貴様ぁ! 常日頃から人力車を引いて鍛えた、この俊足から逃げられると思うなよぉ!」
「新三郎、お待ちなさい! こら、新三郎!」
「お姫様抱っこで逃避行……。いいなぁ~憧れちゃう~」
「そんな事言ってる場合か。どうする? 隊長」
「え? 私に聞かれても……。と、とにかく華さんを援護しなきゃ! とりあえず突撃です!」
「おおお、西住殿らしくない雑な命令。だがそれが良い。パンツァー・フォー! であります!」
孫の手を片手に追ってくる新三郎と、着物の裾をたくし上げて走るお母様。
ウットリした顔の沙織さんへ突っ込む麻子さんに、みほさんの命令に追従する優花里さん。
若さんの肩越しにその姿を確認しながら、わたくしは彼の顔をまた見上げます。
アクアワールドの館内から出て、一面の青空を背景に、遠くを見据える凛々しい瞳。
ほんのりと、胸を暖かくしてくれる、想い人の横顔。
「若さん」
「なんだい、華さんっ」
呼び掛ければ、息を弾ませつつも、優しい眼差しが降り注いで。
自然とそれに微笑み返し、わたくしは……。
「不束者ですが、末長く、宜しくお願い申し上げます」
若さんの首へ腕を回し、頬にそっと口付けます。
後ろの方で新三郎の咆哮が轟いていますけれど、気にしません。
わたくしは、また別の道を歩み始めたのですから。
生まれてからずっと側にあった、華道。
この春に出会い、これまでと違う自分を見つけさせてくれた、戦車道。
それから、若さんと出会って見出した、新しい道を。
古来からの乙女の花形、花嫁道。
わたくし、邁進致しますわ!
……ちょっと沙織さんぽいですけど、それもたまには、良いですよね?
やれー新三郎ー! その孫の手で頭をカチ割れぇええっ!(筆者の叫び)
という訳で、五十鈴 華編、最終話で御座いました。さおりん編に比べると随分大人しく感じますが、さおりん編がおかしかっただけです。華さんは(食欲と乙π以外は)控えめな淑女なのです。
男女のお付き合い=ケコーンになってる所も、お嬢様育ち故なんじゃないでしょうか。若さんこれから大変。エンゲル係数的な意味でも。
さて。これにて五十鈴 華編は完結と相成りました。が、続きを書くかはまだ考え中。
西住殿にはあんこうチームの大トリを飾ってもらう予定ですから、書くとすれば麻子っちか、ゆかりんか……。
続きを望む方が一人でも居る限りは、いつか必ず書きますので、取り敢えず四年後にご期待下さい(遠いわ)。
それでは、失礼致します。