「おむにばす!」   作:七音

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第二話「プランAでお願いします」

 

 

 絵のモデルを引き受け、勝手にデートをセッティングされてから、一週間。

 白いワンピースの上から水色のブラウスを着る私は、胃がひっくり返りそうな緊張を抱えたまま、待ち合わせ場所である機銃座公園のベンチに座っていた。

 

 

「人、人、人……。っん。……あああ、やっぱり駄目。全然緊張が解れないよぉ……」

 

 

 定番のおまじないをしてみる私ですが、効果を感じられずに頭を抱える。

 沙織さん達とイメージトレーニングしたり、着ていく服を選んだりで、あっという間に時間は過ぎ去ってしまい、正直に言うと、全く覚悟が決まっていません。

 過去に遡って約束をなかった事にできないかなぁ……なんて考えたりもしていますが、そんなの起こり得るはずもなく、無情にも時間が過ぎていく。

 時刻は十二時四十五分。

 私は十二時半から待っているけど、約束の午後一時より十五分も前だし、エリヤ君が来るまでの間に緊張をほぐして──

 

 

「えっ。あれ? 西住さん!?」

 

「あ、エリヤ君」

 

 

 ──と思っていたら、遠くの方から驚いたような声が掛けられた。

 紺色のズボンに白いワイシャツ。その上に薄緑のチョッキを合わせる彼は、私を見て目を丸くしている。

 

 

「どうかしたんですか、西住さん? まだ待ち合わせの十五分前なのに……」

 

「そ、それを言うなら、エリヤ君こそ」

 

「いや、あの、待たせたらいけないと思って早めに出たんですけど……。何分前から?」

 

「あ、大丈夫、大丈夫ですっ。来たばかりなので!」

 

「……本当に? なら、良いんですが……」

 

 

 駆け寄ってくるエリヤ君へ咄嗟に嘘をつくと、彼はちょっとだけ乱れた息を整えつつ、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべた。

 あはは、嘘っぽいですよね……。自分でもそう感じます。

 でもそれより、緊張が全く解れてない事の方が重要! ううう、どうしよう!?

 

 

「じゃあ、早めに待ち合わせられた事ですし、少し早いですけど行きましょうか」

 

「は、はい! 本日は、どどどどうぞ、よろしくお願いしましゅ……! あっ」

 

 

 反射的に頭を下げて、思いっきり噛んでしまった事に顔が赤く。

 うああ……。案の定だよ……。私、どうして戦車に乗ってないと、こんなに駄目なんだろう……。

 きっとエリヤ君にも呆れられている。

 そう思って、恐る恐る顔を上げてみると。

 

 

「こちらこそ。至らない事も多いと思いますが、よろしくお願いします」

 

「はい……」

 

 

 彼は特に気にした様子も見せず、私と同じく頭を下げてくれる。

 良かった、触れないでくれた。エリヤ君が気配りのできる人で助かっちゃった……。

 まだ全然緊張したままだけど、とにかく私たちは並んで歩き始める。

 ……なんでだろ。男の人と歩いてるっていうだけで、妙に照れ臭いというか、恥ずかしいというか。

 沙織さんも華さんも、よく平気だなぁ。いつかは慣れる、のかな。

 

 

「えっと、西住さん。いきなり、なんですが」

 

「ひゃい!? なんでしょう!?」

 

 

 唐突に声を掛けられ、ビクッとしてしまう私。

 よく考えたら唐突でもなんでもない、普通の雑談として話しかけられただけなんだけど、まだ私の心は落ち着いていなくて。

 それを悟ったのか、エリヤ君はまた小さく微笑み、ある提案をしてくれた。

 

 

「改めて、互いに自己紹介しません?」

 

「自己紹介、ですか」

 

「ええ。一緒に居るのに緊張する大きな理由は、やっぱり互いを知らないからだと思うんです。

 こういう人なんだ、って認識が少しでも頭に入っていれば、ちょっとは話しやすくなって貰えるかな、と」

 

「なるほど……」

 

 

 言われてみれば、実に納得。

 私も、お父さんとだったら一緒に並んで歩くの平気だし、やっぱり相手をよく知っているかどうかが重要なのかも。

 しきりに頷いていると、早速エリヤ君の方から自己紹介が始まる。

 

 

「じゃ、言い出しっぺの法則で僕から。

 農業科二年A組、エリヤです。一月八日生まれ、山羊座のO型。

 本籍は神奈川にあるんですが、実はとある学園艦の上で産まれて、色んな理由があってずっと艦の上で生活してました」

 

「艦の上で?」

 

「はい」

 

 

 へぇ~。凄く珍しい……。

 街を丸ごと内包する学園艦には、学生以外の住人もたくさん住んでいて、中には新しく家庭を築く人も。

 街なんだから医療施設や商業施設も充実してるんですが、万が一の事を考え、妊婦さんなどは一時的に陸の病院へ入院したり、実家に帰ったりというのがほとんど。

 でも、やむを得ない事情があり、学園艦で赤ちゃんを産んだする場合もあったりするって聞いたことがある。

 そんな時は、容体が安定するまで学園艦で生活。その後、一家全員で陸に移住……っていうのが定番らしいけど、そもそも陸に家がないっていう家庭も一定数あるようで、社会問題にもなったはず。ニュースで見たのを覚えてる。

 根掘り葉掘り聞くのは失礼だけど、どんな事情があったのか、少しだけ気になるなぁ……。

 とか思っているうちに、自己紹介は次の内容へ。

 

 

「好きな物は、やっぱり野菜全般ですね。食べるのも、育てるのも好きです。

 得意科目は科学と美術。苦手なのは世界史と地理です。

 農業に関わる事ならすぐ覚えられるんですが、それ以外の暗記は、どうも苦手で……」

 

「あ、ちょっとだけ分かります。暗記って、興味がない事だと全然できないですよね」

 

「そうなんですよ……。おかげで毎回、赤点ギリギリで……。まぁ、農業科は農業が本業ですから、テストの点数はあまり関係ないですけど」

 

「え? そうなんですか?」

 

「僕の場合、テストの点数を野菜作りで補ってる感じですね。ほぼ黒字なので、生活費も捻出できますし」

 

「ええっ!? そ、そんなに凄いんですか……」

 

 

 事も無げにエリヤ君は言うけれど、これって、とっても凄い事なんじゃ……?

 船舶科が学費免除なのは有名だけど、加えて水産科、農業科も、その生産物で学園艦が潤うから、学費は控除されている。

 それを踏まえた上でも、生活費を捻出できるほどの売り上げを出す生徒なんて、聞いた事がない。

 人は見掛けによらないって、実感します。

 

 

「あとは、そうだな……。趣味、は野菜作りだから被るな……。ん~……」

 

「……好きな言葉とか、座右の銘とかは、どうですか?」

 

「ああ、良いですね。好きな言葉は……うん、晴耕雨読です! そういう生活に憧れます!」

 

「あはは。本当に野菜が好きなんですね」

 

「もちろん!」

 

 

 歯を輝かせるような、爽やかな笑顔。

 なんというか、凄く無邪気なその表情に、自然と私も笑っていた。

 前言撤回。こんな風に笑えるエリヤ君なら、野菜の売り上げで生活費を賄ってもおかしくない、かも?

 

 

「それじゃあ、私も自己紹介、行きますっ」

 

「はい。どうぞ」

 

 

 自然な笑顔の勢いを借りて、今度は私が自己紹介を。

 まだ緊張はしてるけど、試合前のような良い緊張に感じられるのが、我ながら不思議だった。

 とりあえず、エリヤ君のを真似てみようっと。

 

 

「西住みほ、十六歳。普通科二年A組。十月二十三日生まれ、天秤座のA型です」

 

「という事は、少しだけお姉さんですか」

 

「お、お姉さんだなんて、そんな」

 

「確か、ご実家は熊本なんですよね?」

 

「あ、はい。でも、どうして……」

 

「今の大洗で、西住さんの来歴を知らない方が珍しいですって。まぁ、戦車道での格好良いイメージが先行してて、細かいプロフィールまでは僕も知りませんでしたけど」

 

「そ、そうなんだ……。恥ずかしい……」

 

 

 私の事を、私が知らない人達に知られている。

 黒森峰に居た頃はそんな余裕なかったけど、改めて考えてみると、なんだか照れ臭いような、くすぐったいような。

 ……ひとまず置いておこうっ。続き続きっ。

 

 

「え、ええっと、好きな食べ物はマカロンです。甘くて、カラフルで小さくて。得意科目は国語なんですけど、エリヤ君と違って、美術は苦手です……」

 

「へぇ、意外だなぁ。女子って基本的にイラストとか、絵的な物が好きそうなイメージがあるんですけど」

 

「ゎ、私も、描くこと自体は嫌いじゃないんですけど。沙織さん曰く、悪い意味での画伯らしくて……」

 

「……逆に興味が湧きますね」

 

「あ、あはは……」

 

 

 顎に手を当て、真剣な眼差しを空に向けるエリヤ君。

 私は苦笑いを浮かべながら、背中に冷や汗をかいていた。

 絵を描くのは、本当に嫌いじゃない。

 嫌いじゃないんですけども、なぜだか指は思った通りに動かなくて。

 むしろ、思っていた事の斜め上に行っちゃって、意図した物を描き上げられた事の方が少なかったり……。

 ボコを描いたつもりがクマのゾンビになっちゃった時は、とっても悲しくなりました。

 ……泣きたくなるから、もう自虐はやめよ……。

 後は趣味、かな?

 

 

「趣味はぬいぐるみ集めです。ボコられグマっていうシリーズが大好きで……。エリヤ君は知ってますか?」

 

「ボコ……。ああ、知ってます知ってます。前に一回、コンビニのペットボトルのオマケに付いてきた事ありましたよね。まだ持ってます」

 

「えっ!? ほ、ホントですかっ!?」

 

「うおっ」

 

「あ、ごめんなさい……」

 

 

 予想外の返答に思わず詰め寄ってしまい、エリヤ君がビクッと後ずさり。

 その反応で少し冷静になれたけど、やっぱり頭の中は、ボコのオマケの事で一杯。

 う、ううう、羨ましい……っ。

 

 

「そのオマケ、熊本の方じゃあまり出回らなかったみたいで、私、一個も買えなかったんです。オマケに付いたのもそれっきりだし、ネットでは凄くプレミアが……」

 

「はぁ……。なら、西住さんにあげますよ、お近付きの印に」

 

「良いんですかっ!? 本当ですかっ!? 嘘じゃないですよねっ!?」

 

「う、うん。本当、本当にです。あの、近い……」

 

 

 またしても思い掛けない申し出をされて、さっき以上に食いつく私。

 エリヤ君が妙に顔を逸らしてる事は気になったものの、超絶レアなボコを貰えるかも知れない喜びに、私は打ち震えていた。

 ああ……。ボコのファンの間では幻とまで言われた、あのオマケを貰えるだなんて。

 この喜び、何に例えたら良いんだろう。

 沙織さんと華さんに、生徒会から庇ってもらった時と同じくらい?

 お家に初めてみんなを呼んで、ご飯を食べた時くらい?

 それとも、戦車道大会で優勝した時?

 ……最後のは、流石にアレだよね。うん。

 とにかく、お礼を言わなくちゃ!

 

 

「ありがとう。エリヤ君、優しいんですね」

 

「い、いや……。西住さんが持っていた方が、ボコも喜ぶ、だろうから……」

 

「そう、かな? えへへ……」

 

 

 天にも昇る心地で、クルッと一回転しながら前に。

 後ろ向きで歩きつつお礼を言うと、俯き加減でそう言ってくれる。

 ボコが喜んでくれるとか、もしそうだったら本当に嬉しいなぁ。

 でも、どうしてエリヤ君、さっきから顔を背けてるんだろ?

 それに、もう一つ気になる事が……。

 

 

「あの……。少し、思ったんですけど」

 

「なんですか、西住さん」

 

「エリヤ君って、女の子と話すのに慣れてるような、そんな気がして。それなのに、デ……女の子と遊びに行くのが初めてなのは、不思議だなって」

 

 

 デート、と言うのが恥ずかしくて言い換えちゃったけど、疑問に思ったのは本当。

 事務的な話なら辛うじて、な私と違い、エリヤ君は自然に、ごく普通に私と話しているように感じた。

 敬語は崩さないけど、特に緊張はしていない……みたいな? 男子分校に通ってるんだから、日常的に話している訳でもないはずだし。なんでだろう。

 と、私的には素朴な疑問だったのに、何故か彼は徐々に肩を落としていく。

 

 

「……僕、そんなに遊んでる風に見えます?」

 

「えっ。あ、違う、違うんです、ごめんなさい! 思っていた以上に話しやすかったから、何か理由があるんじゃないかと思っただけで、その……!」

 

 

 落ち込んでしまうエリヤ君に対し、私は大慌てでフォローを入れる。

 ああっ、そんなつもりじゃなかったのにっ!?

 でもあんな言い方したら、「遊びまくってるんじゃ?」って捉えられても仕方ないよ、私のバカ!

 心の中でも猛省。心配になって彼の顔を覗き込んでみると、それほど深刻に受け取ってはいなかったのか、微笑みが返された。

 

 

「だとしたら、姉のおかげだと思います。僕、姉さんが居るんですよ」

 

「お姉さんが? じゃあ、私と同じなんですね」

 

「はい。顔立ちはあんまり似てないんですが、僕が中学に上がって家を出るまでは、四六時中一緒に居ました。風呂まで一緒に入ろうとするのには困りましたけどね……」

 

「へぇ~。お姉さんはエリヤ君の事、凄く好きだったんですね」

 

「……うん。そうなんでしょうけど、ね。うん……」

 

 

 お姉ちゃんが学園艦へ行く前までは、私も一緒にお風呂に入ってたから、思い出して微笑ましくなっちゃうんだけれど、エリヤ君は複雑そうな顔。

 小学生くらいまでなら、普通……だよね? あ、でも、男女の兄妹だと大変なのかな。深く突っ込まない方が良さそう。

 彼自身、早く話題を変えたかったみたいで、今度は私のお姉ちゃんの話に。

 

 

「あ、西住さんも姉妹が居ますよね。確か、まほさんっていう」

 

「はい。お姉ちゃんは、私なんかより何倍も凄い人で、格好良くて……」

 

 

 それを切っ掛けとして、私はお姉ちゃんとの色々な思い出話を始める。

 小さい頃、お姉ちゃんが操縦する二号戦車に乗せてもらったこと。

 一緒にクジ付きアイスを食べて、せっかくお姉ちゃんが当たりの棒をくれたのに、直後に泥だらけになって、どっちがどっちか分からなくなっちゃったこと。

 家を出て学園艦に向かおうとするお姉ちゃんから、泣いて離れようとしなかったこと。

 同じ黒森峰に通い始めてからは、周囲の目があるから素直に甘えられなくて、ちょっと寂しかったこと。

 たわいない、私以外にはどうでも良いような話だったと思うけど、でも、エリヤ君は凄く楽しそうに聞いてくれて。

 私ばかり話しているのに気付いたのは、結構な時間が経ってからだった。

 

 

「あ、ごめんなさいっ。つまらないですよね、こんな話……」

 

「いえいえ、そんな事ないです。西住さん、お姉さんのこと大好きなんですね」

 

「あ……。そうかも、しれません……。ううん、大好き、です」

 

 

 認めるのは、少しだけ気恥ずかしい。

 だけど、何があっても嫌いになんてなれない、大切なお姉ちゃんだから。

 恥ずかしくても、私はハッキリと断言する。

 それを聞くと、エリヤ君はますます大きく、優しく微笑んで。

 ……ダメ、やっぱり恥ずかし過ぎるよっ! 話題、話題変えなきゃ!

 

 

「と、ところでっ、これからはどうするんですか? お散歩するだけでも、けっこう楽しいですけど……」

 

「ああ、はい。一応、プランは考えてあります。ちょっとお待ちを」

 

 

 お姉ちゃん自慢を中断。話を今後の予定にすり替えると、彼はズボンのポケットから何やらメモ帳を取り出し、「おっほん」と咳払い。

 

 

「えー。西住さん、お昼は?」

 

「まだです」

 

「良かった。僕の野菜を卸しているレストランがあるんですけど、そこでランチはどうでしょう? 味と値段は保証します。

 で、その後は、実際に僕が任されている栽培ブロックを見て貰おうかな……なんて、考えているんですが」

 

「栽培ブロック……。え、もしかして学園艦のワンブロックを、丸ごと任されてるの!?」

 

「そうですよ?」

 

「ふへぇ……。凄い……」

 

 

 またしても何気なく、とんでもない事を言ってのけるエリヤ君。

 学園艦のワンブロックを丸ごとって、普通に借りるとしたら一日数十万円、下手したら数百万円とかいう世界だったと思うんですが……?

 なんだろ、住んでる世界が違う気がしてきました……。

 

 

「……それで、どうでしょうか。お気に召さないんでしたら、他にもプランBとかプランCとか、プランDとかっ」

 

「あ、だ、大丈夫です。プランAでお願いします」

 

 

 感心による沈黙を誤解されたらしく、エリヤ君がメモ帳をめくりつつ捲し立てる。

 私はそれを手で制しながら、奇妙なギャップを感じさせる彼のデートプランに、少しだけドキドキしてしまうのだった。

 

 変な反応とかしないよう、注意しなきゃ……!

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「ありがとうございましたー! エリヤ君、また彼女連れて来なさいよ!」

 

「ですからっ、彼女じゃないんですってば!」

 

 

 お店から出た私達を見送ってくれる、コック姿の女性。

 店長 兼 料理長だというその人に、エリヤ君は顔を赤くしながら言い返す。

 当然というか、私も赤くなっているのを自覚しているんですが……。

 

 エリヤ君が連れて来てくれたのは、創作イタリアンを出すお店だった。

 野菜をメインに使う、女性向けのヘルシーなお料理はとても美味しくて、店内も凄くオシャレ。

 思わず財布の中身が気になってしまうレベルでしたが、彼の言った通り、学生にも優しい値段設定で助かっちゃった。

 お会計をまとめて払おうとするエリヤ君と、割り勘にしようとする私で揉めたりもしたけれど、まぁ、それは割愛。

 いまでも手を振ってくれる店長さんを背に、エリヤ君は酷く申し訳なさそうな顔で頭を下げる。

 

 

「すみません。店長がああいう人だっていうの、すっかり忘れちゃってて……」

 

「あ、あはは……。でも、お料理は凄く美味しかったですよ?」

 

「はい。腕は一流なんです、腕は。やたらと色恋沙汰が好きなのが玉に瑕ですけど」

 

 

 苦笑いするエリヤ君。

 でも、本気で迷惑だと感じているように見えないのは、きっと店長さんと仲がいいからだと思う。

 勘違いされたのは困るけど、お料理の説明をする時とか凄く楽しそうで。あんな風にお仕事できたら素敵だなぁ……。

 

 

「気を取り直して、次に行きましょう。艦内の深い所まで行きますけど、時間とか大丈夫ですか?」

 

「はい。夕方くらいまでだったら」

 

「気に留めておきます。じゃ、着いて来て下さい」

 

 

 店長さんの事はさて置き。再びエリヤ君に先導され、私は艦内へと赴く。

 幾つか階段を降り、次にエレベーターを使い、どんどん下へ。

 前に、沙織さんと一年生の子達を探しに行った時より、もっともっと。

 だけど、普段から人が行き交う区画だからか、普通に明かりが点いていて、ぜんぜん雰囲気が違う。

 そして、移動し続けること約二十分。

 大きな隔壁──艦体ブロック同士を繋ぐ扉が見えてくると、エリヤ君は足を止めた。

 

 

「ここが?」

 

「はい。申し訳ないんですが、中に入ったら靴だけ履き替えて貰えますか」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 

 注意事項に頷いたのを確認して、彼は隔壁の丸いハンドルを回す。

 重々しい金属音と共にそれが開くと、電車の連結部にあるような通路の先に、物が雑多に置かれる、割と広々したスペースが広がっていた。

 一瞬、ここが栽培する場所? とか思ってしまったけど、普通にそんな事はなく。壁際にロッカーが沢山置かれているから、いわゆるロッカールームっぽい。

 

 

「私物とかは、このロッカーに預けておいて下さい。

 中にサイズの書かれた長靴が入ってますから、合うのに履き替えて頂いて、準備完了になります。

 あ、帽子も使って下さい。室内ですけど、紫外線が多いので」

 

「分かりました。けっこう厳重なんですね」

 

「露地栽培とは勝手が違いますからね。病原菌の持ち込みを警戒して……なんです。

 本当はそこまで神経質にならなくても育てられるんですが、何せ商品ですから、そうも言ってられません」

 

「……大変、ですね」

 

「いえいえ。苦労するのも楽しみの内、ですよ」

 

 

 その一角。来客用らしいロッカーの前に案内され、バッグを預けたり、靴を履き替えたりしながらお喋り。

 エリヤ君も、自分用らしいロッカーから長靴と、たくさんのポケットが付いたベスト、紫外線避けのつば広帽子、新品の軍手など、一気に農家さんっぽく見える格好に。

 本当に、何も知らない部外者が入っても良いのかな……?

 不安を感じ始める私だったけれど、にこやかな笑顔に後押しされて、ロッカールームの奥にあるもう一つのドアをくぐる。

 すると──

 

 

「わぁ……! ここだけ別の世界みたい……」

 

 

 緑、緑、緑。

 視界一杯に、様々な種類の緑の葉が広がっていた。

 正確に言うと、私達は工事現場にあるような、でもしっかりとした足場に立っている。

 艦体ブロックの内周に沿うそれの内側に、更に複数の階層が設けられていて、各階は階段で移動するようになっているみたい。

 なんていうか、近未来的な科学ラボ? そんな雰囲気なのに、深呼吸したくなるほど空気は凄く澄んでいるのが、とても不思議。

 船の中とは思えないや……。

 

 

「艦内には複数の栽培ブロックがありますが、僕のブロックでは特殊な栽培法を使っていて、一つのブロックで大量生産が可能なのが特徴です」

 

「特殊な栽培法?」

 

「はい。土の代わりに、特殊なフィルムに根を張らせるんですけど……。見てもらった方が早いですね」

 

 

 階段を下りつつ、エリヤ君が栽培方法について説明してくれる。

 とある階層──多分、トマトを専門に育てている階へ降り立つと、彼は手近な、まだ青い株の根元の、白いビニールを捲った。

 普通だったら土が見えるはずなんだけど、そこには何もなくて、ビッシリと根っこが広がっているだけ。

 ……あ、違う。半透明で、ちょっと分厚い“何か”がある。これが特殊なフィルムっていう物なのかな。

 不思議そうに見ていたら、今度はそのフィルムを持ち上げるエリヤ君。

 すると、その下には湿り気のある布が敷いてあるだけで、他には特に何も見当たらなかった。

 

 

「へぇ~。本当に土を使ってないんだぁ」

 

「管理は難しいんですが、その分、重量を軽減できます。

 普通に土を使うと、面積が多いほど床に重みが掛かりますから。

 これなら土の重さをほぼ考えずに済むので、一つのブロックに普通より多くの階層を作って栽培できる、という訳です」

 

「なるほどぉ……」

 

 

 感心しきりな私の横で、エリヤ君の農業解説が続く。

 なんでも、閉鎖空間での農業は、とにかく場所と電気代との戦いなんだとか。

 太陽光に近い光を出す照明にはお金が掛かるし、それなりに広いスペースを確保できる艦体ブロックだけど、学園艦に住む全員を賄うには到底及ばない。

 これを解消するために、ちょっとした裏技を使って、特殊フィルムの特許を持っている会社と交渉。

 特定閉鎖空間における栽培実験という形で、格安で設備を調達。栽培に必要な機械とかもレンタルしているみたい。

 

 ……エリヤ君、何者なんだろ。

 一企業と交渉しちゃう高校生なんて、本気で聞いた事がない。

 でも、うちの会長も偉いお役人に直談判とかしてたから、割と普通? いや、絶対に普通じゃないよね。

 とりあえず、悪い事をしてる訳じゃないんだし、深くは聞かないでおこうっと。

 

 

「西住さん。高糖度トマト、って知ってます?」

 

「あ、はい。すっごく甘いトマト、ですよね。果物みたいだってテレビでよく」

 

「実は、これがそうなんです。デザート代わりに、もぎたてを食べてみませんか?」

 

「え、良いの?」

 

「責任者ですから」

 

「……じゃあ、ちょっとだけ」

 

 

 少し考え込んでいると、フィルムやビニールを元通りにし終えたエリヤ君が、もっと奥の方を指差しながら言う。

 高糖度トマトかぁ……。ちょっとだけ、ううん、かなり興味あるかも。

 胸を張る彼に着いて行けば、すぐに赤く熟したプチトマトが見え始める。

 何度か足を止め、株を厳選し。

 ようやく摘み取られた数粒は、まるで宝石みたいに艶やかに光っていた。

 

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとう。頂きます。……んっ、甘い! 本当に甘い!」

 

「でしょう?」

 

 

 さっそく口に運ぶと、弾けるプチトマトの薄皮の中から、甘い果汁が溢れ出す。

 凄い! 私の知ってるプチトマトとは全然違う! 思わず、エリヤ君の手からもう一粒貰っちゃった。

 彼自身も味を確かめ、「良い出来だ」と小さく微笑んで。

 こうして見ると、本物の農家さんに思えてくる。

 地に足がついてるって、エリヤ君みたいな人を言うんだろうなぁ。素直に尊敬できる。

 

 

「良ければ、他にも何か食べてみますか? イチゴとか、キュウリとか、パプリカとか」

 

「あはは。そんなに一杯は食べられな……パプリカ?」

 

「はい。パプリカも」

 

 

 すっかり和やかな空気に慣れ、普通に笑い合っていたのだけれど、その中で不意に気付く。

 パプリカ……? パプリカって、あれだよね。色が赤とか黄色とかのピーマン……。

 知らず、小首を傾げる私をどう勘違いしたのか、エリヤ君は。

 

 

「パプリカ、好きなんですか? じゃあ、取って置きのをもいで来ます」

 

「えっ。あ、あの、待って! わ、悪いから! そんなに気を遣わないで……!」

 

「遠慮しないで下さい、西住さん。絶対に気に入って貰えますから!」

 

 

 引き止める私の声も聞かないで、どこかへ走って行ってしまう。

 ど、どうしよう……。私、ピーマン苦手……というか、ハッキリ言うと嫌い、なのに……。

 あの独特な青臭さとか、苦味とかエグみとか、無理なのに。かなり頑張らないと食べられないのに……!?

 

 それと言うのも子供の頃、お姉ちゃんを真似して戦車道を始めようとした私に、お母さんは急に厳しくなって。

 戦車道に関わる事だけじゃなく、今まで残しても「しょうがない子ね」で許してくれたピーマンも、全部食べきるまで許して貰えず、毎日毎日、出されたものを泣きながら食べていた。

 おかげで見るのも食べるのも、名前を聞くのも大嫌いになってしまったのです。ついでに、見た目がそっくりなパプリカまで、食べた事がないまま嫌いになり。

 食卓に出なかったのか? 徹底してピーマンでした。泣かずに食べられるようになるまで続きました。

 うあぁ、思い出しただけで口の中がニガニガするぅ……。

 

 と、暗黒の子供時代に絶望している間に、エリヤ君は帰って来てしまった。

 その手に、とても大きなオレンジ色のパプリカを持って。

 

 

「はい、これです!」

 

「……わ、わぁ。凄く大きいですねぇ……」

 

「大きいですけど、大味ではないですよ? さぁ」

 

 

 ニッコリ。自信ありげな笑顔で差し出されるそれを、私は両手で受け取る。

 

 

(うわぁん……。ズッシリ重いぃ……。善意が心苦しいよぅ……)

 

 

 流石に顔が引きつり、そのせいか、エリヤ君にも本音が伝わってしまい。

 

 

「西住さん? ……あ。もしかして苦手、だった……?」

 

「う、ううん! そんな事ないよ!?」

 

 

 楽しげだった笑顔が曇り、みるみる悲しそうな顔に。

 なんとも言えない罪悪感と後ろめたさ。

 加えて、少しばかりの自尊心が、私にしょうもない嘘を吐かせていた。

 高校生にもなってピーマン類が嫌いだなんて、恥ずかしいし……。

 ……もう! こうなったら、勢いに任せて食べちゃうしかない!

 

 

「ぃ、頂きまひゅ! ……はぐ!」

 

 

 舌に感じるだろう苦味と、鼻に抜けるだろう青臭さを覚悟しつつ、大きなパプリカをひとかじり。

 あああ。

 やっぱり苦くて青臭………………く、ない?

 

 

「あれ? 苦くない。というか、これも甘い?」

 

「……やっぱり、苦手だったんだ。ごめん、勘違いしちゃって」

 

「ううん。いいよ、そんなの。私も嘘ついちゃったし」

 

 

 野菜っぽさはあるんだけど、ピーマンとは似ても似つかない甘み。

 そのギャップに驚きながら、私は尋ねてみる。

 

 

「でも、全然青臭くないんだね。私、パプリカってピーマンの色違いだって思ってたのに。こういう品種なの?」

 

「いいや、違うよ。でも、その認識も間違ってはないかな。

 元々、ピーマンは唐辛子の変種で、パプリカはピーマンを完熟させてから収穫する物なんだ。

 だから、ピーマン特有の青臭さと苦味はなくて、甘みが強いんだよ」

 

「そうなんだ……。私、食わず嫌いだったんだね。もったいない事しちゃってた」

 

 

 思ったより小さな歯型の残るパプリカを眺め、私は呟く。

 嫌いな食べ物だからって、可能な限り情報を聞き流してたのが馬鹿みたい。ううん、馬鹿だった。

 こんなに美味しいんだったら、今まで避けてきたパプリカを使う料理、チャレンジしても良いかも。

 ピーマンは……今後の課題、という事で。

 

 

「本当に無理してない? 僕に気を遣ってるんじゃ……」

 

「ううん、違うよ! 本当に、エリヤ君の作った野菜は美味しいよ。ありがとう、食わず嫌いに気付かせてくれて」

 

「……はは」

 

 

 黙り込んだ私に不安を感じたのか、エリヤ君はまた表情を曇らせるけれど、嘘でない事を証明したくて、パプリカをもうひとかじり。

 すると、ようやく安心してくれたみたいで、小さく笑いながら、彼は頬をかく。

 たくさんの野菜達に囲まれ、こうして、穏やかに午後は過ぎて行くのでした。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「これでよし、と」

 

 

 水の入ったヤカンをコンロにセット。カチリと、ガス台のスイッチをひねった。

 沸くには少し時間が掛かるし、ただ立っているのもなんなので、私はソファベッドへ戻る。

 現在時刻は夜の九時。エリヤ君との……デートを無事に切り抜け(?)、お土産に貰ってしまった野菜を使った夕ご飯も済ませて、食後のティータイムを楽しもうとしています。

 やっぱり新鮮だからか、それとも固定観念を打ち崩されたからか、改めて家で食べるパプリカのサラダは、本当に美味しかった。

 この調子で、ピーマンもいつかは克服できると良いんだけどなぁ……。

 

 そんな事を考えつつ、私は携帯電話を手に取り、とある人に電話をかける。

 プルルルル、と数回の呼び出し音。

 程なく、慣れ親しんだ声が鼓膜を揺らした。

 

 

『みほか。どうした』

 

「あ、お姉ちゃん。今、お話ししても大丈夫?」

 

『ああ。問題ない』

 

 

 そう。電話の相手は、私のお姉ちゃん。西住まほ。

 黒森峰を逃げ出してからは一切の連絡を取ってなかったんですが、戦車道大会を終えてからは、結構な頻度でお話ししていたりします。

 他にも小梅ちゃんとか、黒森峰時代のお友達とも、電話でのみだけど付き合いが復活していたり。

 ……逸見さんには、まだ一回も掛けられてないんだけど。なんとなく怒られそうで。

 

 

「ごめんね、いきなり電話しちゃって。なんだか急に話したくなっちゃって」

 

『……そうか。いや、謝る事はない。嬉しいよ』

 

「うん」

 

 

 戦車道では、正しく未来の西住流を担うに相応しい、厳しい面を見せるお姉ちゃん。

 でも、こうしてお話する時は、子供の頃からずっと変わらない、優しいお姉ちゃんで居てくれる。

 だから、そんなお姉ちゃんに甘えてしまうんだけど、今はそれも良いかな? なんて。

 

 

『近々、エキシビジョンマッチが組まれるらしいな』

 

「もう知ってたんだ。うん、聖グロリアーナとプラウダを相手にするの。私達と組む相手は決まってないんだけど……」

 

『ふむ……。強襲浸透戦術の聖グロリアーナに、重装甲・大火力のプラウダか。

 上手く側面を突けるだけの機動力と、装甲を抜く大口径砲が欲しい所だが……。

 いや、止めておこう。こんな時まで、戦術の話をする事はない』

 

「そうだね」

 

 

 とはいえ、ついつい話が戦車道の方に寄ってしまう辺り、やっぱり私達、戦車道が好きみたい。

 苦笑いしつつ寝転び、壁にかけてある二つの写真を見比べる。

 戦車道大会で優勝した時の、みんなで撮った記念写真と、黒森峰時代に撮った集合写真を。

 

 

「エリカさん達は、頑張ってる?」

 

『ああ。みほが見学に来てからというもの、目に見えてな。みんな、次は絶対に、と意気込んでいる』

 

「ふふ、そっかぁ。でも、私達だって負けないよ?」

 

『勿論だ。全力でぶつかってやってくれ。そうでなくては意味がない。……所で、夏休みには帰ってくるんだろう?』

 

「うん。そのつもり、なんだけど……。お母さん、怒ってないかな……」

 

『怒る? ……ないな。お母様は、良くも悪くも結果で判断する。何も言わないかもしれないが、黒森峰を破った大洗の実力は認めているさ。もちろん、みほの事も』

 

「本当……?」

 

『うん。保証する』

 

「……ありがとう。お姉ちゃん」

 

 

 流れでお母さんの話になり、思わず不安を声に乗せる私。

 けれど、お姉ちゃんは私の不安をあっさり晴らしてくれて。

 私達は姉妹だけど、私がお姉ちゃんみたいになるには、凄く時間かかっちゃいそう。

 

 

「今日は日曜だったけど、どこか出掛けたりとかしたの?」

 

『私か? ……ま、まぁ、少し。……カラオケに』

 

「えっ!? お姉ちゃんがカラオケ!?」

 

『なんだ。そんなに驚く事はないだろう。私だってカラオケくらい行くぞ』

 

「う、うん。ごめん。ただ、意外だったから。じゃあ、エリカさん達と?」

 

『え。………………ぃ、いや。ひ……ひ、一人で』

 

「……お姉ちゃん、勇気あるんだね。私だったら、お店の入り口で立ち往生しちゃいそう」

 

『ち、違う。違うんだ。赤星にな、ストレス発散に良いと勧められてな? 試しに行ってみたら、思いの外、居心地が良くて……』

 

「あはは。どうして言い訳してるの?

 沙織さん──あ、私のチームの通信手さんなんだけど。前にヘリに乗せてもらった。

 時々、一人でもカラオケ行ってた事あるって話してたから、普通だと思うよ?」

 

『……そ、そうか。なら、良いんだ』

 

 

 電話の向こうで、ホッと胸を撫で下ろすお姉ちゃんの姿が見える。

 お姉ちゃん、戦車道では本当に凄いんだけど、女子高生としてはちょっと……お堅いというか、遊びがない感じだったから、かなり意外。

 私も一緒に行ってみたいなぁ。お姉ちゃん何を歌うんだろ。

 

 

『みほの方はどうなんだ。そう言うからには、せっかくの休日を部屋で過ごした訳ではないんだろう?』

 

「え? う、うん。お……お友達と。農業科のお友達と、一緒にランチしたり、栽培ブロックを見学させて貰ったりした、かな」

 

『農業科か。交友関係が広いな。どうやって知り合ったんだ?』

 

「へっ!? あの、ええっと……」

 

『みほ?』

 

 

 お姉ちゃんの方からも話が振られて、なんとなくマズい気がしたので、エリヤ君の素性を微妙に伏せて答えたんだけど、何故だかしっかり食いついてくる。

 ど、どうしよう……。お姉ちゃん、ああみえて過保護な方だし、男子と二人っきりで遊びに行ったなんて知られたら、変な心配を掛けちゃうかも。

 ……うん。エリヤ君の性別は秘密にしておいて、絵のモデルをしてる事だけ話しておこう。

 嘘はついていないし、問題ない、よね?

 

 

「じ、実は私、絵のモデルをやってて……。今日一緒に遊びに行った人、絵が凄く上手な人でね? 今はラフの──あっ」

 

『な、に……?』

 

 

 ピィー! という部屋に鳴り響き、私は話を中断。急いでコンロの火を止めに行く。

 いけないいけない。すっかり話に夢中になっちゃってた。

 

 

「ごめんね、お姉ちゃん。お湯を沸かしてたの忘れてた……。で、今はまだラフの段階なんだけど、凄いんだよ?」

 

『………………』

 

「お姉ちゃん?」

 

『あ、ああ。すまない。みほは、色々と、やっているんだ、な。はは、は……』

 

「……? うん……」

 

 

 とりあえず返事はしたけれど、急にお姉ちゃんの歯切れが悪くなった。

 もしかして、もうエリヤ君の事を勘付かれた?

 ううん。流石にそれはなさそうだけど……。どうしたんだろ?

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 妹との電話を終えた私──西住まほは、質素な寮の自室でしばらく立ち尽くした後、ベッドへ倒れこむようにして、パジャマに包まれた体を投げ出す。

 ギシリ、と大きく軋んだ。

 

 

「……はぁ……」

 

 

 仰向けに寝返りを打ち、天井を見上げながら溜め息を。

 間違いなく楽しかったはずのひと時を台無しにしたのは、当の妹本人が口にした言葉のせいだ。

 

 

(絵のモデル……? しかも、寄りにも寄って、裸婦だと……!?)

 

 

 みほが絵のモデルになる。そこまでは良い。みほは私と違って可愛らしいからな。

 だが、だがっ、幾らなんでも裸婦は駄目だろう!?

 あまりに衝撃で、その後の会話をほとんど覚えていない有様だ。

 

 あの、みほが。

 小さい頃から私の後を着いて回って、無邪気に慕ってくれた可愛い妹が。

 時々、変なイタズラをしてお母様に怒られ、私に泣きついてきたりもした、あの子が。

 誰とも知れない人物の前で、一糸纏わぬ姿を……?

 にわかには信じ難い事だった。

 

 

(いや、みほが簡単に肌を晒す訳が……。しかし、みほは純朴な子だ。心ない人物に騙されている可能性も捨てきれない)

 

 

 姉の贔屓目もあるだろうが、みほは本当に愛らしく育った。

 これから女性としても成熟期を迎える彼女は、魅力溢れる少女だと私は思っている。

 だからこそ、邪な目的で近づく人物が現れるのも、不思議ではないだろう。

 たとえ、女同士であろうと。

 

 友人も多いようだし、怪しい人物なら周りが止めてくれるだろうが、みほの事だ。

 もしかしたら、黒森峰を出た“あの時”のように思い詰め、誰にも相談せず決めてしまった可能性もある。

 モデルをしているという事を、少し言い淀んだのも気にかかる。

 その人物に、誰にも言わないよう言い含められている場合、守ってやれるのは私だけ。

 遠く熊本に居る、唯一の姉だけ。

 

 

「……探りを入れるべきか。うむ。となれば、善は急げだな」

 

 

 勘違いならばそれで良し。

 取り返しがつかない事態となる前に、正確な情報を集めなければならない。

 思い立ったが吉日と、私は次期黒森峰戦車道チームの隊長、逸見エリカに電話をかける。

 

 

『はい! なんの御用でしょうか、西住隊長!』

 

「夜分に済まない。緊急事態だ、エリカ。大洗に斥候を送り込む。信の置ける人物を集めてくれ」

 

『……へっ? 大洗に? 今更?』

 

 

 即座に電話を取ってくれるエリカを頼もしく思いながら、私は頭の中で計画を立て始めていた。

 待っていろ、みほ。

 お姉ちゃんが、絶対に守ってやるからな……!

 

 

 

 





 お姉ちゃん、盛大に勘違いしつつ大暴走の予感。

 と言うわけで、みぽりん編第二話でございました。
 妹の事になると頭のネジが二~三本外れちゃうお姉ちゃん。
 そんな貴方も可愛らしいと筆者は思ってしまいますが、巻き込まれるエリヤ少年には災難でしかないという事実。せいぜい頑張るが良いよ(ニタリ)。
 それはさて置き、作中でエリヤ少年が説明したフィルム農法ですが、現実に存在する手法だったりします。
 テレビで見かけた時、「これ、場所が限られる環境でも有効活用出来そうだなぁ」と感じ、使ってもらうに至りました。
 高校生らしからぬコネクションと交渉能力が、更に正体を怪しくしてますけども。
 そこら辺は次回、絵の描き手が男だと知って静かに怒り狂うお姉ちゃんと、「結局あの子絡みなのね」と溜め息混じりな忠犬エリカちゃんプラスαが、ある程度まで暴いてくれる事でしょう。
 次回更新をお待ち下さいませ。
 それでは、失礼致します。
 

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