「おむにばす!」   作:七音

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第三話「ご馳走になりまぁす!」

 

 

 息を潜め、気配を殺し、体を縮こませながら。

 私こと冷泉 麻子は、人でごった返すとあるファストフード店にて、諜報活動を行っていた。

 いわゆる尾行というヤツだ。

 ごく普通の、赤と白を基調とした上着に水色のスカート。

 頭は目深に被ったバイザー付きの帽子。髪も後ろで縛り、即席ではあるが変装もしている。

 が、しかし。この尾行は当初の予定から外れに外れまくった行動であるため、どうしても溜め息が出てしまう。

 

 

(私は一体、何をしているんだ……?)

 

 

 それとなく、背後の仕切りの向こう──窓際の席に並ぶ“三人”の背中へと、非難がましい視線をぶつける。

 やたらとデカい男と、その両隣に座る女子高生達には、見覚えがあった。あって当然だ。

 なぜならば、真ん中の両手に花な男は、私の恋人(仮)である辻助け先輩で。

 無闇に楽しげな笑顔を浮かべる女子高生達は、学校の後輩である佐々木 あけびと、近藤 妙子なのだから。

 

 

(こんな事して、なんになると言うんだ)

 

 

 そう自分へ問いかけてみても、何故だか無性に、気になって仕方なかった。

 先輩は洒落っ気のないポロシャツと紺のズボン姿。

 上品な半袖のブラウスを着て、水色の膝丈スカートを履いているのが佐々木。

 赤と白のボーダー柄のシャツに青い上着を合わせ、白いパンツルックなのが近藤である。

 傍目から見ても、親しい間柄なのが伝わってきた。ダブルデートでもしてるみたいだ。

 仲の良い女子が居るなんて、先輩から聞いた事なかったのに。

 しかもそれが、私と同じく戦車道をしている仲間だなんて、全く予想すらしていなかった。

 

 

(……っ! 動くか)

 

 

 やおら席を立つ三人に、私は思考を中断。

 沙織atライカ直伝の隠密術で、気配を殺しつつ後を追う。

 どこに行くのか知らないが、とにかく今は、このモヤモヤを解消したい。

 それには絶対、先輩達の真意を確かめる必要があるから。だからこれは、正当な行為なのだ。

 自動ドアをくぐりながら、私は決意を新たにする。

 出迎えたのは、むせ返るような夏の熱気だった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 にゃーん、にゃーん、にゃーん。

 

 聞き慣れた着信音が、寝ぼけた頭に木霊する。

 電話……。私の、携帯。

 出来ることなら無視してしまいたいけれど、生徒会の連中だったりすると後が怖いので、とりあえず発信者の名前だけ、確認しておかねば。

 そう考えた私は、頭まで被った布団代わりのタオルケットから腕だけを出し、枕元にあるはずの携帯を探す。

 沙織とかライカだったら、悪いが放っておこう。きっと許してくれる。

 

 

「ん゛ん゛……?」

 

 

 五秒くらい掛けてようやく見つけ、タオルケットの中へと引っ張り込み、光る画面を確かめると、そこにあった二文字は、お婆。

 思わず「ゔぇぇ……」と唸ってしまった。

 無視したら後で必ず怒られる。というか出ても怒られそう。

 ……諦めるしかない、か。

 私は気力を振り絞り、タオルケットから頭を出しつつ、通話ボタンを押した。

 

 

「なに、おばあ……。こんな、はやく……」

 

『早くって、もうお昼じゃないか! あんた、まさか今の今まで寝てたのかい!?』

 

「おおごえ、ださないで……。ねむい……」

 

『ったく、だらしないねぇ。こんな子のどこが良いんだか……』

 

 

 開口一番、予想通りの大声を放ったお婆は、呆れたように言う。

 確かに、目覚まし時計の長針と短針は重なっている。お昼丁度だ。

 だがしかし、今日は日曜日。

 学校は休みで、練習も休みで、久しぶりに惰眠を貪れる日だったのだ。むしろ寝ていて当然だと思う。

 世間一般の事なんか知らん。

 

 

『あんた、ちゃんとあの子と逢い引きとかしてるんだろうね? いや、せっかくの日曜に寝てるんだ。してないに決まってるか』

 

「ん゛……」

 

 

 お婆の嫌味に、ぐぅーっと、猫みたいにお尻を上げる伸びをしつつ、曖昧な声で返事をする。

 逢引する相手なんて……いや、居るのか。先輩が。

 例の約束もあるし、まぁ、デートくらいした方が良いのだろうけども、眠いしな……。

 それに、先輩は人が良過ぎる。

 デートしようと誘えば、たとえ先約があっても来てくれそうで、申し訳ない気もするのだ。

 そんな訳で、先輩と恋人関係を偽装するのは、もっぱら放課後になっている。

 もしかしたら、お婆に送る証拠メールがワンパターン過ぎたのかも……?

 

 

『何を思って、あの子と付き合いだしたのかは知らないけどね。……相手の善意に頼ったままじゃ、いつか他の子に取られちまうよ』

 

「お婆……?」

 

 

 携帯から聞こえてくるお婆の声質が、微妙に変化する。

 睡魔に挫けそうな頭でも分かるそれは、お婆が私の事を、本気で心配している時の声だ。

 取られる……。先輩が?

 善意に頼ったまま、というのにはぐうの音も出ないが、そもそも、本当の恋人同士ではない。

 本気で先輩の事を好きな子が現れたなら、キチンと対応するまで、だし。

 ……んん。なんだろう。頭がボンヤリする。

 やはりまだ眠いのか、私は。

 

 

『とにかく! いつまでも寝てないでさっさと起きな! 寝てる間に留年しちまうよ!』

 

「分かった……。起きるから……。それだけならもう切るよ……?」

 

 

 まだ寝ぼけているのを察知したか、お婆は最後にもう一度、大きな声で私を叱った。

 逃げるように通話を終えると、私もどうにか起床モードへと移行し、けれどタオルケットにくるまったまま畳を這う。

 そのまま部屋の端に行き、沙織が用意しておいてくれる着替え一式を引きずり込んでモゾモゾ。

 部屋着のシャツと短パンに着替えてから、顔を洗いに洗面所へ。サッパリして戻って来ると、ちょうど腹が鳴った。

 腹が減ってはなんとやら。まずは腹拵えをするか。冷蔵庫に何か……。

 

 

「……食料が無い」

 

 

 中身は見事に空っぽだった。

 かろうじて存在を確認できるのは、マヨネーズとケチャップ、麺つゆ位である。

 いや、正確に言うならば、食材はある。野菜とか肉とか、そういった材料は入っているのだ。

 が、今の私に必要な、調理せずとも、そのまま食べられる品はなかった。

 そうだ! 沙織が作り置きしてくれる常備菜……うっかり昨日食べ切ってしまったじゃないか。

 冷凍食品とかもないし、万事休す。日頃の不摂生が祟ったか……。

 

 沙織に助けを求めようにも、確か今日はライカとデートだとか言っていた。

 邪魔したら今後一週間、食卓に私の不得意な、苦い食べ物ばかりが並ぶ事だろう。この時期だと苦味抜きしてないゴーヤ一辺倒になる。

 うむぅ。昼間から外出なんて私らしくないが、致し方ない。

 

 

「買い出しに行くか……。ついでに、駄菓子屋で買い食いでもしよう」

 

 

 面倒臭さを気合いで押さえ込み、私は再び着替え始める。

 業務スーパーなら出費を抑えられるし、駄菓子屋なら二百円でお腹一杯食べられるだろう。

 沙織やお婆に知られたら、凄い勢いで「栄養が偏っちゃうでしょ!?」とか怒られるに違いないが、今日なら大丈夫……なはず。

 若干の不安は拭えないけれど、もう決めた事だ。

 よそ行きのスカート姿になった私は、財布と携帯をポシェットに入れ、熱射病対策の帽子も被り、寮を出る。

 とりあえず、鳴きっ放しの腹の虫をなんとかしないと。まずは駄菓子屋だな。

 

 

「ん? あれは……」

 

 

 颯爽と、勝手知ったる街並みを歩く私だったが、見知った後ろ姿を見かけて、思わず足を止めてしまった。

 サスペンダーで釣ったハーフパンツと、ピンクいシャツを着る癖っ毛な女子。

 あんこうチームの装填手である、秋山さんだ。

 別に、彼女と街中で出くわすのは珍しくもないのだが、問題はその隣に、同じ年頃と思しき、パーカーとジーンズ姿の男子が居たこと。

 最初は見知らぬ人だと思ったのだけれど、秋山さんと笑顔で話す横顔を見て、ふと記憶が蘇る。

 あれは確か、私の遠縁の親戚だ。

 両親の葬儀の時に会ったきりで、思い出すのに時間が掛かってしまった。

 

 

(そうか……。あいつも大洗に居たのか……)

 

 

 懐かしいような、物悲しいような気持ちに、私は空を見上げる。

 名前は……残念ながら思い出せないが、一度会っただけだし、きっと向こうも覚えていないだろう。それは別に良い。

 むしろ気になるのは、秋山さんとどういった知り合いなのか、だ。

 これまで男の影など全く感じられなかった彼女が、ああも楽しそうに男子と出歩くとは。もしや、彼氏?

 ……いや、可能性としては低いだろう。

 失礼に聞こえるかも知れないが、秋山さんは戦車一筋で、男に微塵も興味なさそうだし。

 まぁ、あいつの方は満更でもなさそうだから、片想いという可能性は捨て切れないか。

 親戚のよしみだ。陰ながら応援しておこう。

 

 遠ざかっていく背中を見つめ、私は心の中でエールを送る。

 そして、再び自己主張し始めた腹の虫に従い、歩き出そうとするのだが。

 しばらく進むと、またしても知り合いの姿を見つけてしまった。

 

 

「ん? 今度はライカと沙織か。……相変わらずラブいな」

 

 

 半袖のワイシャツの上に、シンプルなベストを羽織る、ダメージジーンズのライカ。

 ガーリーなノースリーブのブラウスと、赤と黒のチェック柄スカートを合わせる沙織。

 誰がどう見てもカップルとしか思えない、独り身には目の毒なイチャイチャっぷりだ。

 ラーイカ♪ 沙織さん♪ と無意味に呼びあったり、ライカが沙織の髪に触れたり、沙織がライカの腕に頬を寄せたり。

 あんなピッタリと腕を組んで、夏なのに暑くないのだろうか。

 

 挨拶……すると邪魔になるな。とりあえず物陰に隠れて見送ろう。

 そう思い、建物の間の路地へと入って通り過ぎるのを待っていたのだが、正直見ていて腹が立ちそうなバカップルに、なんと声を掛ける人物が居た。

 沙織たちと同じく、男女ペアの彼らは。

 

 

(華と若さんまで……。今日はなんなんだ?)

 

 

 学園艦の上では絶対に見かけないと思っていた、大人なカップルたちだった。

 お婆の見舞いに来てくれた時に着ていた、落ち着いた風合いのワンピースの華。その隣に、シックなスーツを少しだけ着崩した若さんが立っている。

 二組のカップルは親しげに立ち話しているけれど、どうして今日に限って、知り合いのカップルに出くわすんだ? いや、秋山さんはまだ未確定だが。

 

 にしても、限りなく有頂天な沙織&ライカ組と比べて、華&若さん組の風格と言ったら。

 隣にいるのが当たり前的な雰囲気まで醸し出す様は、もう若夫婦と表現して良いかも知れない。落ち着き過ぎだろう。結婚秒読みか?

 ま、それはそれとして。

 偽の恋人が居るとはいえ、本来の私は独り身。あまりラブい空気に触れるとカブれてしまう。さっさと退散するか。

 

 

(しかし、何で腹拵えするか。ミニヨーグルト、棒ゼリー、かりんとう、ミルクせんべい、あんこ玉。どれもこれも捨て難……ん? あの後ろ姿は、先輩?)

 

 

 駄菓子屋のラインナップを思い出しつつ、大通りを回り込んで目的地へ急いでいると、二度ある事は三度だけならず四度目も。

 少し先を、見覚えのあるデカい背中が歩いていた。

 スポーツマンらしい白いポロシャツに、折り目のピシッとした紺のズボン。シンプルだ。

 ……うん。お婆にもああ言われたし、一応、声を掛けておくか。

 しばしの間、腹の虫を無視する事にした私は、小走りに先輩へと駆け寄り。

 

 

「先ぱ──っ!?」

 

 

 その途中で、また電柱の物影に隠れていた。

 何故ならば、先輩の向かう先に、予想だにしない人物が居たからだ。

 大きく手を振り、笑顔で先輩を迎える“彼女たち”は、もはや当然の如く、見知った少女。

 

 

「あ、来た来た。こっちですよぉ~」

 

「おにーさん、こんにちはでーす!」

 

「……お待たせ」

 

 

 ブラウスとスカートという、お嬢様ルックな佐々木あけび。

 ボーダーのシャツと青い上着の、白いパンツ姿な近藤 妙子。

 戦車道ではアヒルさんチームに所属する、一年バレー部女子である。

 

 

(さ、佐々木と近藤……? なんであの二人が、先輩と)

 

 

 二人と待ち合わせでもしていたのか、合流した先輩は柔らかに微笑み、両手に花状態で、どこかへ向かって歩き出す。

 待て。待て。待て待て待て。

 笑った? 今、先輩が笑ったか? 私の前では滅多に笑ったりしないのに?

 それ以前に、私というものがありながら、他の女と日曜に出歩くとはどういう事だっ。

 いや、偽の恋人なんだし、本当の私生活に口出しする資格なんてないが、何が切っ掛けでお婆にバレるか分からない。

 それは困るんだ。

 ……それだけ、なのに。

 

 

(なんだ、このモヤモヤ)

 

 

 仲睦まじげに歩く、三人の後ろ姿を見ていると、胸の中にシコリのような物が生まれるのを自覚した。

 腹の虫がすっかり鳴りを潜めるほどの、異様な感覚。

 初めての、感覚。

 その正体を理解せぬまま、私の脚は動き始める。先輩たちの後を追って。

 

 私の気持ちはともかく、先輩とバレー部一年女子との関係だけでも、確認しておかなくては。

 偽恋人作戦をつつがなく遂行するためにも、これは必要な行動だ。

 ……その、はずだ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 沙織&ライカに仕込まれた隠密術を駆使し、私は三人を追い続ける。

 まさか役に立つとは思ってなかったが、なんでも学んでおくものだな。

 どうやら、私が目指していた駄菓子屋とは逆方向の、繁華街エリアへ向かっているようだ。

 

 

(やけに親しげだな、あの三人)

 

 

 人混みの喧騒に掻き消され、何を話しているのかまでは聞こえてこない。

 けれど、昨日今日出会ったばかりではない、見知った間柄の雰囲気を感じた。

 

 

(デート……。いや、三人で? ぬぅ……)

 

 

 男女が休日に出掛けるのだから、デートだと考えるのが当然だが……。

 男一人、女二人ではバランスが取れないだろう。

 万が一の可能性で、一対二のダブルデートという可能性も捨てきれないものの、先輩の性格を考慮するとあり得ない。

 先輩だったら間違いなく、無理にでも時間を作り、一対一でデートするだろうし。ハーレムとか許されても、絶対に拒否するのが先輩だ。

 それがどうして、こんな風に……?

 

 とか考えている内に、周囲の景色は更に街中へ。飲食店が立ち並ぶ界隈に差し掛かる。

 ふむ。どこか店に入るみたいだな。

 

 

(ファストフードか。色気が無い……。ついでだ、私も入ろう)

 

 

 先輩たちが選んだのは、世界のどこにでも展開している、カーネルが目印のファストフード店だった。

 駄菓子屋よりも高くつくが、昼食も済ませておくべきだし、丁度良いと言えば丁度良いか。

 ひとまず、先輩たちに気付かれぬよう、距離を取って注文。

 手頃なセットメニューのトレイを手に、窓際に並んで座る彼らを観察可能な、ちょっとだけ離れたテーブル席へ腰を下ろす。

 ここでなら、会話の内容も把握できそうだ。

 

 

「ほんとーに良かったんですか? 奢って貰っちゃっても……?」

 

「気にしないで。頑張ってる後輩は、応援しないと」

 

「わぁ、流石はお兄さん。太っ腹ですねぇ! ご馳走になりまぁす!」

 

 

 かたや恐縮しつつ、かたや朗らかに。

 先輩の両脇へ座る近藤と佐々木が、ハンバーガーの包みを開ける。右側が近藤で、左側が佐々木である。

 後輩に昼食を奢る、か。うん、いつもの先輩らしい行動だな。

 私も奢って欲しい所だが、無理なものは仕方ない。とにかく食べよう。

 

 

「はー、ポテト美味しー。でも、食べ過ぎるとすぐお肉になっちゃうしなー」

 

「うっ。妙子ぉ、嫌なこと言わないでよ……」

 

「……気にし過ぎじゃ?」

 

 

 三人も食べ始めたらしく、チラリと様子を伺ってみれば、一年女子たちがセットのポテトをつまみ、物憂気に溜め息を。

 先輩は不思議そうに首を傾げていて、私としても同感だ。

 日頃からバレー部だけでなく、戦車道の練習にも精を出す彼女たちは、程よく引き締まった体つきである。

 更に言えば、つい半年前まで中学生だったとは思えないほどの、巨乳だった。DとかEとかでは済まないんじゃなかろうか。

 まぁ、先輩は多分そんなこと考えてない。純粋に、太って見えないから不思議なのだろう。

 疑問の声を受け、ポテトを「はむ」と咥えた佐々木は、しかし、やはり憂鬱な顔。

 

 

「それがそうでもないんですよぅ。

 わたし、また胸が大きくなっちゃったみたいで……。

 ブロックする時、タッチネットしそうで困るんです」

 

「っ!? ごほっ、ごほっ……」

 

「あ、だいじょーぶですか。もー、ダメだよあけび。おにーさんは純情なんだから」

 

 

 ゆさり。

 重たそうに胸を持ち上げる佐々木の姿を、間近で見てしまったのだろう。

 先輩が思いっきり噎せた。近藤がその背中を、慣れた手付きでさすっている。

 後ろ姿の動きから想像しただけの私でも、あまりの重量感に慄く。

 これって逆セクハラではなかろうか。

 

 

(……胸、か)

 

 

 なんとなく、食べかけのハンバーガーを胸に当ててみる。

 カサ増ししても、Cにギリギリ届くかどうか、だった。

 

 

(虚しい……。何をしてるんだ私は)

 

 

 唐突に馬鹿らしくなり、大口でハンバーガーへと食らいつく。

 胸の大きさがなんだと言うのだ。それだけで女の価値が定まる訳じゃない。

 貧乳はステータスだと、どこかの誰かも言っている……気がするし。

 

 

「そう言えば、典子は?」

 

「キャプテンですかぁ? 忍の足止めです」

 

「ないとは思いますけど、うっかり鉢合わせとかしちゃったら、いろいろ台無しになっちゃいますからねー」

 

 

 勝手に落ち込み、勝手に立ち直った私だったが、時を同じくして先輩も復活したようで、一年女子に話を振った。

 二人はハンバーガーを齧りつつ、笑顔でそれに答えている。

 内容から推察できる事もあったが、けれど、もっと気になる発言があった。

 

 

(典子……。アヒルさんチームの磯辺さん? 私にはちゃんを付けるのに、呼び捨て?)

 

 

 それは、先輩の磯辺さんへの呼び方。

 気心の知れた男友達なら、あだ名か呼び捨て。普通の友人知人なら「さん」付けが基本だ。

 私は強要したので「ちゃん」付けだが、少なくとも、知る限りで呼び捨てにされている女の知り合いは居ないはず。

 もしや、磯辺さんと先輩は──

 

 

「ごちそー様でしたー」

 

「お兄さん、ありがとうございました!」

 

「うん」

 

 

 ……っ! 動くか。

 考え込んでいる間に、三人が席を立とうとしていた。

 まだ先輩たちの目的を明らかにしていないし、尾行を続けるためには、早く食べ終えねば。

 味わって食べたかったが、致し方ない。私は大急ぎでハンバーガーとポテトを咀嚼し、コーラで流し込みつつ、彼らの動向を見守る。

 すると、出口へ歩き出そうとした先輩を、不意に近藤が引き留め。

 

 

「あ、おにーさん、動かないで下さい」

 

「……?」

 

「口元にケチャップが……はい、取れました! ぁむ」

 

「……っ!? ちょ……それは……」

 

「あぁぁ! 妙子ズルいっ、わたしもお兄さんと恋人っぽい事してみたいぃ!」

 

「へへーん、早い者勝ちだもんねー!」

 

 

 口元に着いていたらしいケチャップを指で拭い、そのままパクッと自分の口へ。

 顔を真っ赤にする先輩を差し置いて、二人は姦しくキャイキャイ騒ぎながら歩いていく。

 取り残された先輩は、フラフラと壁に手をつき、心を落ち着かせているようだった。

 

 

「最近の子は、このくらい普通、なのか……?」

 

 

 いや、そんな事はないと思う。

 一般常識に照らし合わせても、女子がああいった行動を取る時は、一定以上の好意を抱いている場合に限られる。

 すなわち、あの二人は先輩を……。

 

 

「おにーさーん、次行きましょー!」

 

「早く来ないと置いてっちゃいますよぉ!」

 

「……今、行くよ」

 

 

 自動ドアで手を振る近藤と佐々木の元へ、遅れて先輩が向かう。

 数多の男性客からの、舌打ち多重奏に見送られて。

 ちょっとだけ憐れに思わないでもないが、戦車道仲間の贔屓目を差し引いても、あの二人は美少女だ。僻まれるのもしょうがないだろう。

 さて、私の食事も終わった。少し時間を置いて、彼らの後を追わなければ。

 

 ……うん? なんで私は、ジュースのカップを握り潰しているんだろうか……。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 二十分後。

 連れ立って歩く三人と、後を追う私の前に現れたのは、落ち着いた外装の洋菓子店だった。

 

 

(○イズ大洗店……。確か、北海道の方で有名なチョコの店だな)

 

 

 いつだったか、沙織がテレビ番組の北海道特集を見て、「彼氏とあんなお店行って、買ったチョコで、はいアーンとかしてみたいなー」とか言っていたのを覚えている。きっと本人は覚えてないだろうが。

 まぁ、それはそれとして、だ。

 押し開くタイプのドアをくぐる三人の後に、私はしばらく時間を置いて続く。

 それというのも、店のドアにはベルが着いており、何も考えずに入ったらモロバレになるからである。

 幸い、すぐに他客が来店してくれたので、その後ろに着くようにして入店に成功した。

 

 が、そこで思わぬ出来事が発生する。

 

 

「……ん」

 

「あれ。おにーさん、どうかしました?」

 

「いや……。覚えのある気配を、感じたんだけど……」

 

「気配ですかぁ。お知り合いが来てるとか?」

 

「……ごめん、気のせいみたい」

 

 

 不意に先輩が、こちらを振り返ったのである。

 慌てて商品棚影に身を隠し、なんとかやり過ごすものの、心臓に悪い……。野生児並みの勘だな。警戒を強めなければ。

 幸運な事に、三人はすぐ店の奥へと進んでくれた。

 店員さんの不審な眼をガン無視し、尾行を続行しよう。

 

 

「うーん! チョコの甘い匂いー! こういうお店って素敵ー」

 

「ここが、お兄さんオススメのお店なんですねぇ」

 

「うん。ここのは、美味しい」

 

 

 近藤と佐々木が、深呼吸したり店内を見渡したりしている。この店に来るのは初めてのようだ。

 対する先輩は非常に落ち着いていて、常連である事を裏付けていた。確かに、こういう店なら先輩でも入りやすいだろうからな。

 問題なのは、なんの目的があってこの店へ来たのか、だが……。

 

 

「ねぇねぇ妙子、どれが良いかなぁ? やっぱり、流行の生チョコ?」

 

「んー。忍はチョコならなんでも良い気がするけど……。誕生日プレゼントだし、ちょっとくらい豪華にしよーよ!」

 

(……んっ?)

 

 

 疑いの眼差しを向けていると、唐突に、近藤の口から真相っぽい単語が出た。

 誕生日、プレゼント。河西の?

 そういえば、河西はチョコが好きだと聞いた覚えがあるな。

 

 

「夏だから、すぐに食べ切れる物が良い……と、思うよ。

 生チョコは冷蔵庫に入れると固まるし、こっちの、ドライフルーツが入ったチョコバーとか……」

 

「おぉー、流石おにーさん。詳しー」

 

「わたし達、練習後の寄り道とかは基本ガッツリ系だったから、こういうのに疎くて……。本当に助かりましたぁ」

 

「お安い御用」

 

 

 あれこれと商品を指差す先輩に、二人は揃って頭を下げている。

 相変わらず動きの乏しい彼の表情が、そこはかとなく自慢げに見えた。

 ここまでくれば、もはや間違いようもない。

 

 

(なんだ……。つまり、プレゼント選びに付き合ってただけか)

 

 

 商品を物色するふりをしながら、私は胸を撫で下ろす。

 全く、紛らわしい。そうならそうと早く言って……貰える訳がないじゃないか。尾行してるんだし。

 それに、なんでホッとしてるんだ。

 いつまで続けられるか分からないが、偽の恋人関係なんて、いつか終わりが来る。いや、来なければならない。

 その時の事を考えれば、先輩を好きだという女子が居てくれるのは良い事だろう。

 何より近藤と佐々木は、少々頭が足りないものの、私にはない愛嬌がある。ついでに胸も。

 

 彼は良い人だ。どうせなら、幸せになって欲しいと思えるほど。

 だから……。

 だから、なんなのだろう。幸せになって欲しいのに、そこから先を考えようとすると、モヤモヤする。

 先輩達の目的は判明したし、逆にスッキリして然るべきなのに、胸の内のシコリは、むしろ大きくなってしまったようで。

 ……不可解だった。

 

 

「あれ? おにーさん、忍への以外にもチョコ買うんですか?」

 

「あっ、分かった! 彼女さんへのプレゼントだったり? 当たりですかぁ?」

 

「……うん、まぁ」

 

『え゛!?』

 

「え?」

 

 

 ん。なんだ今の声。

 どうやら、私が考え込んでいる間に、三人はレジへと向かっていたらしい。

 手にあるのはチョコバーだったり、夏でも食べやすいトリュフチョコだったりしたのだが、先輩だけは二種類のチョコを買おうとしているようだ。

 

 

「ぉおお、お兄さん、本当に恋人居たんですかぁ!?」

 

「……つい最近、出来たというか……」

 

「そ、そーだったんですかー。……そーだったんだー」

 

 

 珍しく照れ臭そうな先輩を囲み、一年女子が眼に見えて落ち込んでいく。

 ……途中からしか聞いてなかったが、推測は容易だった。

 先輩は、河西へのチョコのついでに、私へのプレゼントも買おうとし、それを見た二人が茶化した所、正鵠を射てしまったのだろう。

 憐れとしか言い様がないけれど、しかし、なぜ。

 なぜ私のモヤモヤは、今、このタイミングで晴れたんだ?

 後輩二人が、落ち込んでいるというのに。

 

 

「それじゃあ、自分はこれで」

 

「あ、はい。お疲れ様でしたぁ」

 

「おにーさん、ありがとうございましたー」

 

 

 気がつくと、私はまた三人を追い、店から出ていた。

 少し前を歩いていた先輩が、ビニール袋を手に別れ道を行き、佐々木と近藤は笑顔で見送っている。

 さらに後方で、街路樹の影からその様子を観察する私。

 やがて先輩の後ろ姿も見えなくなり、私もバレないうちに退散しようとしたのだが。

 

 

「うわぁーん! まただ、まただよあけびー! ライカさんに続いておにーさんまでぇー! 戦車道やればモテるとか嘘っぱちだー!」

 

「な、泣かないでよ妙子ぉ……。わたしだって、地味にライカさんとかお兄さんのこと、良いなぁって思ってたのにぃ……!」

 

 

 突然、残された二人は互いをひっしと抱きしめ合い、大声で泣き始めてしまった。

 通り掛かる人々の、好奇の視線もなんのその、といった具合いだ。

 本気で先輩に好意を寄せていた、のか。

 ライカが地味にモテていたのも驚きだが、まぁ、なんだ。かける言葉が見当たらない。

 

 

(これで、良いのか……?)

 

 

 彼女達を思うならば、今すぐに先輩の恋人は偽物だと言ってやるべきだろう。

 諦める必要なんかないのだと。

 だというのに、脚は動かなかった。

 説明するのが面倒臭い? 違う、と思う。

 私は、あの二人に真実を伝えたくないと、感じている。拒んでいる。

 教えてしまえば、きっと。

 

 

《にゃ~ん、にゃ~ん、にゃ~ん》

 

「ぬぁあっ」

 

 

 そんな時である。

 いきなり携帯が着信音を発し、私は相手の名前も確認せず、大慌てで通話ボタンを押す。

 誰だ、こんな間の悪いっ! 近藤達に気付かれたらどうするっ!?

 

 

「も、もしもし。どちら様……?」

 

『……あ、麻子ちゃん。自分だけど』

 

「ぁ、ああ、先輩か、うん。なんだ。何か用か?」

 

 

 ガクッと崩れ落ちそうになるのを堪え、どうにか平静を装う。

 つ、疲れる。何がどうとは言わないが、疲れる。

 隠れて尾行なんかしたから、そのバチが当たってるのか?

 だったら甘んじて受けねばならないだろうけど、もうちょっと時間と場所を選んでくれ。

 タイミングがクリティカルに過ぎるぞ。

 

 

『今日、これから会えないかな……。渡したい物が、あるんだ』

 

「えっ。今日?」

 

『都合、悪いかな』

 

「い、いや。問題ない、けど……」

 

 

 私の疲労感を知る由もない先輩は、いつもの落ち着いた調子で続けた。

 今日これから、渡したい物がある。

 何を? そんなの、さっき先輩が買った物に決まっている。

 これで分からない奴が居たら、そいつは間違いなく間抜けだろう。

 不意打ちの動悸が収まり始めた胸に、不思議な感覚を覚えた。

 つかえが取れたような、わだかまりが解けたような。

 待ち合わせしていた三人を見かけた時の、あのモヤモヤやシコリは、完全に払拭されていた。

 

 

(私は、喜んでいる……のか。私の事を、あの二人よりも優先して貰えた、から?)

 

 

 ほんの少しだけ後ろめたくて、確かに自尊心を満たしてくれるこれは──優越感、だろうか。

 朝。お婆の声。買い出し。モヤモヤ。シコリ。尾行。ファストフード。買い物。優越感。

 今日一日の、私自身の行動を振り返り、自己分析を……馬鹿か。そんな事しなくても、分かり切ってるじゃないか。

 

 私は喜んでいる。

 私は安心している。

 私は、先輩との関係を、好ましいと感じている。

 だからこそ、胸に去来する感情があった。

 どうしようもなく心が痛くなる、これは。

 

 

「あっ、冷泉センパーイ! ちょーど良い所に!」

 

「わたし達、これからヤケ食いに行くんです。付き合って下さい! 奢りますから!」

 

「ぬぉ!? な、なんだお前達!? は、離せ、腕を掴むなっ。……すまん、後で掛け直す!」

 

『え……? 麻子ちゃ──《プツッ》』

 

 

 唐突な浮遊感に、思考が中断させられた。

 いつの間にか近付いていた近藤と佐々木が、私の両腕を掴み、何処かへと歩き始めたのだ。

 もがいて抵抗するも、バレー部で鍛えられた腕力に敵うはずがなく、スーツの男に攫われる宇宙人よろしく引き摺られてしまう。

 なんとか誤魔化して携帯の電源を切ったけれど、あえて一つだけ、心の中で叫ばせて貰いたい。

 

 どうしてこうなるんだー!?

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

「つ、疲れた……。あの二人、体力あり過ぎだろう……。うっぷ」

 

 

 西日が街を照らす頃になって、私はようやく、食べ歩きから解放された。

 あいつらの食欲はどうなってるんだ……。

 クレープ。ケバブ。たこ焼き。串団子やコンビニアイスなどなど。もう食べまくりだった。胃が重い……。

 あれだけ食べられるなら、バレー部と戦車道を両立するだけの体力も納得だが、つき合わされる方はシンドいだけである。夕飯代が浮いたのは怪我の功名か。

 

 ちなみに近藤達だが、スポーツウーマンだけあって立ち直りも早く、「クリスマスまでに彼氏見つけよー!」「おぉー!」と宣言しながら帰って行った。

 実際の所、あの体を使って誑かせば、大抵の男は落とせると思うのだけれど、体だけで繋ぎ止める関係なんて良くない。素直に頑張って欲しいものだ。

 と、こんな事を考えつつ、妊娠初期みたいに若干膨れた腹を抱え、私は帰路に着いている。

 もう寮のすぐ近くまで来ているはずだが、ふと前方を確かめると、寮を囲うブロック塀の入り口の所に寄りかかる、見知った人影を見つけた。

 塀とあまり変わらない身長で、ビニール袋を提げた彼は、数時間前まで私が追いかけていた人物。

 

 

「先輩?」

 

「お帰り」

 

「ただい、ま」

 

 

 声を掛けると、先輩は簡潔な出迎えを。

 近くにつれ、彼の額に、うっすら汗が滲んでいるのが分かった。

 

 

「まさか、待ってたのか? あの電話からずっと」

 

「立て込んでる、みたいだったし。……あ、ずっと立っていた訳じゃ、ないから」

 

「そうか。良かった……」

 

 

 炎天下の中で待ちぼうけを食わせていたとしたら、流石に心苦しかったのだが、服に汗染みは無いし、嘘ではなさそうだ。

 コンビニとかファミレスとか、暑さを凌げる場所も近くにあるしな。

 まぁ、ジッとしてると汗くらいは出るだろうけど、夕方になれば、海風のおかげで夏でも学園艦は涼しいし、それを見越して待っていてくれたのだろう。

 しかし、待たせていたのは事実。麦茶の一杯でも出さなければと、私は先輩に──

 

 

「これ。甘い物、好きだと思って」

 

 

 ──家へ上がってくれと言おうとした瞬間、先んじてビニール袋が差し出される。

 中身は当然、箱詰めされたチョコだ。

 しかも、高校生が買うにはちょっとお高く感じる値段の。溶けたりしないよう、キチンとドライアイスも入っていて。

 きっとこうなるだろうと、そう予測できていても、問わずには居られなかった。

 

 

「……ありがとう。でも、どうして? 別に、誕生日でもなんでも……」

 

「一応は、彼氏だし。……喜んで欲しかった」

 

 

 そっぽを向き、先輩は頭をかいている。

 夕日と重なって、表情が見えない。

 でも、ほんの少し。少しだけ、微笑んでいるように感じた。

 

 

「帰るよ。じゃ、また」

 

「あ。ま、待っ……」

 

 

 ぼうっと眺めていると、先輩は素早く踵を返し、返事をする前に早足で歩き出した。引き止める声も届かない。

 小さくなっていく背中を見送り、思わず伸ばした右手の落とし所に困った私は、彫像のように固まってしまう。

 

 

(私は、何がしたかったんだろう)

 

 

 胸を締め付けていたのは、近藤達に攫われる直前に自覚した、あの気持ち。

 この人に……。

 こんな良い人に嘘をつかせているという、大きな罪悪感だった。

 

 

 





 驚愕! ライカくんと辻助け先輩、ロリ巨乳二人組にフラグを立てていた!?

 さてさて。沙織んがヤンデレそうな新事実はさて置き、麻子っち編第三話でした。
 お婆の電話で危機感を煽られ、バレー部二名の行動を勘違いし、先輩からの好意に自己嫌悪する。
 嘘で始まった関係ならではの悩みですね。ああ、こんな青春送りたかったなぁ。
 それと、もう大多数の方がお分りでしょうが、キャプテンと辻助け先輩の関係は……。分かっててもまだ秘密ですよ? 感想欄でのネタバレ厳禁ですからね? されたら泣くよ? いい歳した大人が。
 次回はいよいよ最終話。乙女になりつつある麻子っちの決断を、ちょっとだけお待ちください。
 それでは失礼します。

 あ、最後にもう一つだけ。
 もう一月も下旬ですが、明けましておめでとうございました(過去形)。
 今年こそ、あんこうチームのメンバーだけでも完結させますぜ! あわよくば他のキャラの話も……。
 応援のほど、どうぞよろしくお願い致します!

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