「おむにばす!」   作:七音

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冷泉麻子編
第一話「すぐ行きます」


 

 

「……う。ん……?」

 

 

 微睡みから意識が覚醒を始めると、そこが学園の提供した寮ではない事が分かった。

 縁側。ひらけた庭。古びた畳。

 どれもこれも、古びた日本家屋の寮と同じだが、嗅ぎ慣れた匂いと、見慣れた安心感を覚える。

 ここは、私の──冷泉 麻子の実家だ。

 

 

(寝てた、のか……。時間……)

 

 

 シワになった半袖のワイシャツを直し、脱げかけた短パンの位置も直しつつ、私は古い壁掛け時計を確かめる。

 午後四時。お昼を食べて、お婆に「牛になっちまうよ!」と言われながら昼寝をして……約三時間か。オヤツ食べ損ねた。

 戦車道大会、決勝戦を無事に終え、数日前に母港へと凱旋した学園艦。それに合わせ、私は大洗の実家へ帰って来ている。

 外泊許可を得るのは面倒だけど、こっちに戻れば、唯一の肉親であるお婆の様子も見れるし、一石二鳥という訳だ。

 

 

「お婆……?」

 

 

 寝惚け眼で居間を見回してみるが、背筋を伸ばして正座するお婆は、いつもの定位置に居なかった。

 代わりに、恐ろしく達筆な文字の踊る書き置きが、ちゃぶ台に一枚。

 

 

『夕飯の買い物に行ってくるから、風呂を沸かしといとくれ  久子  』

 

 

 また一人で出かけたのか……。

 書き置きを確かめた私は、携帯片手に自分の部屋へと戻り、上から薄手の短いポンチョを羽織る。

 流石にブラもしないで、シャツと短パンだけでは出かけられないしな。

 ……AAサイズでも浮くとか、我ながら発育の悪さに嫌気が差す。

 いっその事、カバさんチームの左衛門佐みたく、サラシでも巻いた方のが良いのかも知れない。

 

 それはさて置き。

 周囲からもカクシャクしていると言われるお婆だが、その実、胸に疾患を抱えていた。

 軽い運動なら問題ないけれど、大きな負担が掛かると、呼吸が儘ならなくなって意識を失う可能性も……。

 最近は特に安定しているとは言え、私が側にいた方が安心だ。

 多分、いつもの業務スーパーにでも行ってるんだろうから、自転車でいけばすぐ……。

 

 

《にゃ~ん、にゃ~ん、にゃ~ん》

 

「ん? 携帯か……。お婆から?」

 

 

 いざ出発という時に、持っていた携帯が鳴り響いた。

 発信者を確認してみると、冷泉久子の名前。おそらく、何を買ってくるかの相談だろう。

 電話する位なら、起こして一緒に行けば良かったのに……。

 ここはハッキリ言っておかねば。

 私は心を鬼にする覚悟で電話を取る。

 

 

「お婆。一人で買い物に行っちゃ駄目だって、何度も」

 

『……すみません。冷泉 久子さんの、ご家族の方ですか』

 

「え。はい」

 

 

 ――が、耳に届いたのは、聞き覚えのない男性の重低音だった。

 反射的に返事を返すと、とても落ち着いた声で、その人は恐ろしい事を言い放つ。

 

 

『久子さんは今、病院に居らっしゃいます。熱中症で動けなくなって』

 

「……っ!? どこ、どこの病院ですかっ!」

 

 

 怖気を震う、とはこの事だろう。

 予想だにしない……いや、予想していたからこそ聞きたくなかった悪い知らせに、一瞬で季節が真冬になる。

 しかし、ただ震えている訳にもいかない。お婆の運ばれたらしい病院の場所を聞き出した私は、「すぐ行きます」と言って通話を終了。玄関を出て自転車に飛び乗った。

 

 

(まただ……。また、私の知らない所で、家族が)

 

 

 掛かりつけの病院ではなかったため、脳内に地図を思い描き、ペダルを漕ぎだす。

 ドリフトで角を曲がり、横断歩道を赤信号に変わる間際で駆け抜け、可能な限りの速度で病院へ。

 流れゆく景色が色褪せて見えるのは、どうしてなのか。

 

 私は両親を、小学生の頃に交通事故で亡くした。

 直前に母と喧嘩して、一人で家を飛び出し、公園で不貞腐れている間に、二人は居なくなってしまった。

 わざわざ私の好物を夕飯にしようと、揃って出掛けたらしい。残された買い物袋がそれを教えてくれた。

 喧嘩の原因なんて、もう覚えてすらいない。母はお婆によく似た性格だったから、きっと些細な事で言い合いを始めたのだと思う。

 本当に些細な事で、だから、いつもの様に仲直りできると思っていたのに、それはもう叶わないのだ。

 

 もしまた、同じ事が起きてしまったら。

 知らない間に、大切な人を喪っていたら。

 そんな想像が、ペダルを漕ぐ速度を上げさせる。

 程なく目的とする病院に辿り着き、私は自転車を乗り捨てる様に降りて、息つく暇もなく受付へと。

 

 

「あ……。あの、冷泉 久子の、孫、ですが……。病室、は……?」

 

「ああ、はい。すぐに御案内します。……大丈夫ですか? 少し休まれてからの方が」

 

「問題ない、です……。私の、こと、は、いいので……」

 

 

 よほど酷い姿のようで、中に居た看護師の女性が私を気遣ってくれる。

 確かめてみると、全身汗だくで髪はボサボサ。おそらく顔色も悪いだろうから、無理ないだろう。

 でも、最優先事項はお婆の容態。沙織atライカ直伝の呼吸法で息を整え、訝しみつつも先導してくれる看護師さんの後に続く。

 エレベーターで四階へ上がって、両サイドに個室が並ぶ廊下を少し歩くと、看護師さんはとある部屋へと私を促した。

 恐る恐る引き戸を開けてみれば、お婆がベッドで寝息を立てていた。

 聞こえてくる穏やかな息遣いに、私は心底ホッとする。

 

 

「お婆……?」

 

「安心して下さい、軽い熱中症です。手当が早かったですから、命に別状はありません」

 

「そう、ですか。ありがとうございます」

 

「いいえ。お礼でしたら、運んで来てくれた方に……。あ、来ましたよ」

 

 

 礼を言う私に、微笑む看護師さんが入り口を示す。

 いつの間にか、ドアの所で見知らぬ男性が立っていた。

 手にビニール袋を提げ、短く刈り上げた黒髪の……。こう言っては失礼だろうが、ぬぼーっとした顔つきをしている。

 が、それよりも何よりも、デカい。凄く背が高い。2mはあるだろうか? がたいも良いし、プロレスラーみたいだ。

 

 

「失礼ですが、冷泉さんの……?」

 

「その声は、電話の」

 

「すみません。勝手かとは思ったんですが、携帯を確認させて貰いました。ロックが掛かってなかったので、連絡は早い方がいいかと……」

 

「あ、いや。助かりました。本当に、助かりました」

 

 

 体付きに相応しい低音の声は、お婆の携帯から連絡をくれたのと同じだった。

 つまり、この人がお婆を助けてくれた訳だ。

 背は高いのに妙に腰が低い彼へと、私は深く頭をさげる。

 経緯はまだ知らないが、とにかく命の恩人。礼は尽くさないとな。

 ……ん? 彼の着てる服、ごく普通の半袖シャツと黒いズボンだが、よくよく観察してみれば、襟に校章が着けてある。

 あれは大洗女子の──正確に言うなら、大洗女子学園付属男子校の校章。

 同じ学校の生徒だったのか……。てっきり成人男性かと。

 

 

「大事を取って、一日だけ入院という形にさせて頂きますので、後ほど受付けの方に声を掛けて下さいね?」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 

 しげしげと観察してしまっていた私に、看護師さんが一声掛けて退室する。

 マズい。お婆の恩人に失礼なことを。機嫌を損ねてなければ良いが……。

 看護師さんを見送りつつ、改めて顔色を伺ってみると、彼は変わらずぬぼーっとした表情。

 ……感情が読み辛いな。ライカみたく色々と剥き出しなら、会話の取っ掛かりも見つけ易いのに。

 と、無言で困る私へ、今度はビニール袋が差し出された。

 

 

「これ、お婆さんの荷物です。勝手に預かってました。すみません」

 

「謝らないで、下さい。ありがとうございます。……お婆、こんなに買って」

 

 

 やはり、買い物に行っていたらしい。

 手渡された袋は、彼が持つと普通サイズに見えたが、私にとっては大きかった。

 味噌。鰹節。味醂。砂糖。しめじ。玉ねぎ。トマト。アスパラガス。ミョウガ。ピーマン。ニンニク。そしてイチジクに夏みかん。

 いまいちメニューの全体像が見えないが、お婆の手にかかれば、豪勢な食卓になったのは間違いない。

 ……私が帰ってくると、いつもこうだ。

 家にあるものでいいのに、「若いんだからしっかり食べな!」と、食べ切れないくらいつくって、結局は近所にお裾分け。

 やっぱり、今度から私が買い物に行こう。そして料理も作ろう。

 沙織ほどではないが、私だって自活するだけの料理スキルは持っているんだ。

 もう二度と、こんなことが起きないようにしなければ。

 

 

「傷みやすい物は病院の冷蔵庫に入れてもらってますから、帰り際に。良かったら、これも。水分補給は大事、です」

 

「……すみません、何から何まで」

 

「いえ」

 

 

 加えて差し出されたペットボトルの麦茶を受け取り、私はまた頭をさげる。

 ヒンヤリと冷たい。買ってすぐか。気の利く人だな……。

 表面は取り繕っていたが、地味に体力を消耗していたので有り難い。

 というか、お婆はどれだけ買ったんだ? 電動自転車とかじゃないし、家に帰るだけでくたびれそうだ……。

 

 

「じゃあ、自分はこれで」

 

「えっ。あ、あの、まだちゃんとお礼してない……。せめて名前……!」

 

 

 麦茶をあおってゲンナリしていると、その間に彼は、短い挨拶と共に姿を消してしまう。

 慌てて廊下へ顔を出すのだが、まだ近くにあるはずの後ろ姿が見えなかった。念のために反対方向も見るが、やはり無し。

 いや、おかしくないか? 足が速いってレベルじゃないぞ。まるっきり影も形も。

 ……腑に落ちないが、お婆を放って追いかける訳にもいかない。

 私は仕方なく病室へと戻り、備え付けの椅子を引っ張り出して腰を下ろす。

 すると、今までピクリともしなかったお婆が、モソモソ起き出してきた。

 

 

「ふん。今時珍しい、硬派な男だねぇ」

 

「お婆、いつから起きて?」

 

「もともと寝てなんかいないよ! ったく、大したことないって言ったのに、赤の他人を無理やり病院まで運んじまうんだから。お節介な子さね」

 

「助けてもらったんだから、そんな言い方は」

 

「言われなくても分かってるよ、そんなこと! ……やんなっちまうねぇ、買い物すらまともに出来ない体になっちまった」

 

 

 言葉を聞くだけなら、倒れたなんて嘘としか思えないほど態度の大きいお婆だが、その実、表情は暗い。

 こんなに弱気な発言をするとは、今回のことがよっぽど堪えたみたいだ。

 うん、いい機会だ。さっき考えていたことを実行しよう。

 私は姿勢を正し、お婆に向き直る。

 

 

「お婆。お願いだから、無茶はやめて欲しい。散歩くらいの運動ならまだしも、あんなに沢山の買い物なんて……。起こしてくれれば私が行ったんだし」

 

「昼間っから寝ぼけてばっかりなあんたがかい? 心配で任せられたもんじゃないよ。釣り銭騙されたり、置き引きに遭ったりしそうだしね」

 

「それはお婆も同じ。もう若くないんだから、少しは信用して」

 

「信用ったってね。あんたのどこを信用すりゃ良いんだい?

 せっかく戦車道の大会で優勝したってのに、また遅刻ばっかりしてるらしいじゃないか!

 沙織ちゃんから聞いてるんだよ、あたしは!」

 

「ぐっ。……沙織め、余計な事を」

 

 

 説得するつもりが、痛い所を突かれてしまった。

 むう……。確かに、そど子が遅刻カウントをゼロにしてくれてからというもの、逆に気が緩んだ部分もあるが……。

 沙織の裏切り者め。学園艦へ戻ったらライカに入れ知恵して弄んでやる。

 嬉し恥ずかしなラブいイベントで悶え苦しむがいい。

 

 

「それにあんた、その年で浮ついた話の一つも無いじゃないか。

 沙織ちゃんとか、華、だったかい。あの子も彼氏作ってるんだろう?

 だってのにあんたばっかり独り身で……」

 

「わ、私だけじゃない。秋山さんとか、西住隊長とかも、まだ……のはず……」

 

 

 またしても痛い所を突かれ、反論は尻すぼみに。

 別に彼氏なんて欲しくないが、沙織を引き合いに出されると、妙に反抗したくなる。

 というか、私を恋人として選ぶ男は世間的に見てどうなんだ。

 制服着てないと小学生に間違われるし、ときどき着てても間違われるし。流石にそういう趣味の男は遠慮したい。

 秋山さんは……戦車にしか興味なさそうだから、一生独身を貫くかも知れないな。

 西住隊長はどうだろう。破門に近い扱いとはいえ、西住流家元の娘。将来的に、お見合い結婚辺りが妥当な線か。

 と、勝手に仲間の今後を分析していたら、お婆は盛大に溜め息をついて。

 

 

「はあぁぁ……。せめてさっきの男の子みたいな、ガッチリしてて礼儀正しくて、頼り甲斐のありそうな相手が、あんたの側に居てくれりゃあ、安心して任せられるんだけどねぇ。色々と」

 

「そんな無茶な、名前だって聞けなかったのに……。いや、探そうと思えば探せるだろうけど」

 

「だったらあんた、キッチリ探しておいで! このまんまじゃ腹の虫が収まんないからね! あと、その食材はちゃーんと冷蔵庫に入れとくんだよ! それから……」

 

「分かった、分かってるから、大声出さないで。あと、その言い方じゃ不良が御礼参りするみたいだから」

 

 

 相変わらず口が悪いけれど、お婆も助けて貰った自覚はあるらしい。本当はお礼を言いたいのだ。

 私としても、きちんとしたお礼をしたい。探すのはやぶさかではないけれど、どうしたものだろう。

 確実な手掛かりとしては、2m近い身長と、分校の男子生徒であること。

 ん? 学園艦に居る男子生徒の数は少ないし、これだけでも十分か。

 

 

(一先ず、ライカにでも話を聞いてみよう)

 

 

 私は今後の動きを考えて、とりあえずの行動計画を立てる。

 さっきも言ったが、分校の男子は数が少ない。加えて、ライカは蛇道でスカウト──偵察兵をやっているから、情報収集は得意なはず。

 しばらくすれば、エキシビションマッチに向けた練習も再開されるだろう。それまでに会えると良いが……。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 数日後。

 学園艦へと戻った私は、放課後、一人となったタイミングで、ライカに電話を掛けていた。

 目的は勿論、例の男子生徒の情報だ。

 数回のコール音が続き、程なく聞き慣れた声が私の名前を呼ぶ。

 

 

『もしもし。どうかしましたか、麻子さん。あ、学校の用事で沙織さん遅くなるとか? だったら送迎しに行きますけど』

 

「はぁ……。なんでもかんでも沙織に結びつけるな。ちょっと聞きたい事があってな」

 

 

 思わず廊下の窓に寄り掛かり、帰路に着く生徒を眺めつつ溜め息を。

 口を開けば二言目には沙織沙織沙織。

 相変わらずのライカに少しばかり辟易するが、言っても無駄か。

 遠慮しても仕方ないので、さっそく本題に入ろう。

 

 

「分校の男子の中に、身長が高い奴は居るか? 2m近い……」

 

『2m? はい、居ますよ。先輩に一人だけ』

 

「無口で、言葉遣いは固いか?」

 

『ええ。よく知ってますね、会った事でも?』

 

「ん……。お婆を助けてもらった」

 

 

 やはり、分校の生徒であるという予測は正しかったようだ。

 流石に説明無しで個人情報を聞き出すのはアレだし、私は数日前の出来事を掻い摘んで話す。

 するとライカは、得心がいったように呟いた。

 

 

『そうでしたか。また辻助けしたんですね、あの人』

 

「辻助け……?」

 

『はい。なんだか、物凄い確率で困ってる人と出くわして、その度に人助けしてるような人なんですよ。んで、ついたあだ名が“辻助け”先輩。三年生の普通科です』

 

「……そうか。変わった人なんだな」

 

『でも、良い人ですよ。見た目と違って気配りとか凄いですし。

 蛇道の助っ人も頼んでるんですが、始めて二年足らずなのにめっちゃ強くて。

 俺、先輩とタイマン張ったら九割負けます。悔しいけど、才能の塊っすよ』

 

「お前にそこまで言わせるか」

 

 

 ライカの語る人物像は、私の知る男子生徒と重なるようでいて、予想外な一面も含んでいた。

 また蛇道か。それなら、病院であっという間に姿を消したのも頷ける。何かと縁があるな。

 あだ名になるほど人助けをしているという事は、お婆の一件、彼にとっては日常茶飯事だったという訳だ。

 が、だからと言って礼を失するなんて良くない。お婆に怒られる。

 

 

「なぁ、ライカ。もう一つ頼みたい事が……」

 

『分かってます。セッティングは任せて下さい! いつ頃が良いですか?』

 

「話が早くて助かる」

 

 

 私が何かを言う前に、ライカは気安く請け負ってくれる。

 辻助け先輩とやらは人が良いみたいだが、こいつも相当なお人好しだな。

 友人としては心配になる部分もあるけれど、今回は素直に甘えよう。

 

 特に日にちは指定せず、あちらの都合で構わないと伝えれば、「了解です!」と、張り切って通話を終えるライカ。

 あ、しまった。戦車道の練習があるのを言い忘れ……てたけど、ライカなら沙織の練習予定を把握してるだろうから、大丈夫か?

 いや。一応、言っておいた方が……。

 

 

《にゃーん、にゃーん、にゃーん》

 

「ん? 着信……って、ライカか。ちょうど良かった、言い忘れてた事が……」

 

『あ、麻子さん。先輩、OKだそうです。なんだったらこれからでも、って話なんですけど、どうでしょう?』

 

「早過ぎるだろう!? ……まぁ、問題ないけど」

 

『はい。じゃあ伝えときますね。失礼しまーす』

 

「こら待て。待ち合わせ場所を決めてない。とりあえず……」

 

 

 十歩も歩かないうちに折り返しの着信があったと思ったら、即行で約束を取り付けるとは。やる事が本当に極端だな……。

 取り敢えず、待ち合わせの場所だけは指定して、今度こそ通話を終える。

 ええっと、艦首方面の公園だから、私の住む寮は通り道。カバンを置き、お婆に持たされたタッパーだけ持っていけば良いだろう。

 もともと今日は一人で帰る予定だったし、さっさと行くか。

 

 想定より早く例の男子生徒──先輩と会う事になり、私は家路を急ぐ。

 家に着いたら着いたで、冷蔵庫から取り出したお婆謹製の煮物を風呂敷に包み、服を着替え……なくても問題無いか。

 それより、待たせたらそれこそ失礼だ。急がないと。

 こうして、電話の三十分後には、指定した公園へ到着したのだが……。

 

 

(遅い)

 

 

 肝心の先輩が、なかなか現れてくれなかった。

 よく考えると、場所は指定したけれど時間を指定していない。間抜けだ。

 

 

(……人の事を言えた義理じゃない、か。大人しく待とう)

 

 

 普段は、自分自身が寝坊だのなんだので迷惑をかけているのだから、素直に反省して待つ事にする。

 夕暮れの公園でベンチに座り、私はボウっと景色を眺めた。

 そういえば前に、この公園であんこうチームのみんなと、コンビニ飯を食べた事があったな。

 沙織が三毛猫ハーレムを構築していて、なんとも沙織らしいと思ったものだが、それが今ではバカップル。オマケに華も幼妻化。人生、分からないものだ。

 

 と、年寄り臭く思い出を振り返っていたら、遠目にもよく目立つ長身の男が、こちらへ向かって来ていた。

 逆光になっていて顔は分かりづらくなっていても、私の視力は2.0。ぬぼーっとした表情が確かに見える。

 立ち上がってみれば、彼も私の存在に気付いたようだ。小走りになった。

 

 

「お待たせ、しました。申し訳ない、遅れてしまって」

 

「あ、いや。そんなには待ってませんし」

 

 

 何故だか、やたらとズタボロになった制服を着る先輩は、いの一番に頭を下げる。

 ライカから年下なのを聞いているだろうに、畏まった対応が変わらない。これが素のようだ。

 とにかく、まずは礼を言うのが先決か。

 

 

「先日は、祖母がお世話になりました。先輩が病院へ運んでくれなかったら、大変な事になっていたかも知れません。本当に、ありがとうございました」

 

「……どういたしまして」

 

 

 斜め四十五度の最敬礼で、お婆を助けてもらった事への感謝を告げると、変化の乏しかったボヤけ顔に、わずかながら赤みが差した……ように見えた。照れているらしい。

 なんというか、純朴そうな人だな。お婆が気に入りそうだ。昔よく聞かされた、お爺の話にもダブる。

 ……あ。お婆と言えば、渡すように頼まれているものがあったんだ。忘れないうちに。

 

 

「これ、お婆の作った、トコブシの煮物なんですけど。良かったら」

 

「……頂きます」

 

 

 先輩をベンチへ促し、少し距離を置いて腰掛けた彼に、風呂敷で包まれたタッパーを渡す。

 視線が「開けても……?」と問い掛けてくるので、私は頷いた。

 丁寧に風呂敷を解き、相対的に小さく見えてしまうタッパーの蓋を開けた彼は、指で摘んで早速一口。

 

 

「うまい」

 

「良かった……。お婆の煮物は絶品ですから」

 

「はい。ご飯が欲しいです」

 

 

 ぬぼーっとした顔が、むふーっと満足そうに緩む。

 よく噛み締めて食べている所を見ると、お世辞とかではなさそうだ。

 良くも悪くも、噂で人を判断しないよう心掛けていたが、お婆の煮物の味が分かるんだから、この人は良い人に違いない。うん。

 

 

「所で、先輩。妙にズタボロなのは……?」

 

「……ちょっと、色々ありまして」

 

「色々?」

 

「……色々」

 

 

 トコブシを堪能している先輩だが、やはり制服がズタボロになっているのが気になった。

 はぐらかすような答え方は、暗に立ち入ってくれるな、と言われているようで。

 喧嘩でもしたのか? いや、この図体に喧嘩を売るなんてバカしか居ない。となると、事故にでも巻き込まれたか……?

 まあ、昨日今日会ったばかりなんだ。本人が話したがらないんだから、あまり込み入った事情に口を突っ込むのも問題だろう。

 

 そう思い、もう煮物を完食しそうな先輩を観察していたのだが、彼はふと遠い目をした。

 視線を追ってみれば、数m先で、小太りな猫がお座りしていた。ぶにゃー、と鳴いている。

 トコブシを欲しがっていると見たのか、先輩は最後の一つを小さく噛みちぎって。

 どうやら分けてあげるつもりのようだが、それはマズい。私は急いで止める。

 

 

「待った。猫にトコブシはあげない方が良いです。毒になるから」

 

「そう、なんですか。知らなかった。……ごめんな」

 

 

 申し訳なさそうな口振りで、先輩が猫に謝罪を。流石に敬語ではないが、いちいち野良猫にまで謝ることはないだろうに。

 ……ん? 違う、野良じゃないな。首輪をしているし、飼い猫が脱走したのかも。

 彼もそれに気付いたらしく、しげしげと猫を観察した後、ズボンのポケットから何か、畳まれた紙切れを取り出す。

 

 

「それは?」

 

「迷い猫のチラシ、です」

 

 

 チラシには、今、目の前にいるのと同じ猫の写真が載っていた。

 赤い首輪。薄茶色の毛並み。両耳と手足、尻尾の先などが黒く、瞳は青。十中八九、この猫だ。

 試しに、先輩がチラシに書かれていた名前──「八つ橋」と猫を呼ぶと、ぶにゃー。返事があった。

 飼い主のネーミングセンスは疑わしいけれど、こんなチラシまで配っているんだから、きっと心配している事だろう。家に帰してやらねば。

 先輩も同じ気持ちらしく、おもむろに立ち上がり、そろり、そろりと歩み寄るが……。

 

 

「あ」

 

 

 あと一歩で手が届くという瞬間、八つ橋は逃げ出した。

 先輩も諦めずに追うものの、捕まえられない。見失うのを恐れてか、全力を出せないようだ。

 それを分かっているのか、八つ橋も本気で逃げはせず、ちょっと離れては立ち止まり、近付かれたらまた逃げて、を繰り返している。

 ……このままだと完全に日が暮れるな。仕方ない、手助けするか。

 

 

「先輩。私に任せて欲しい」

 

「冷泉さん……?」

 

 

 逃げられまくって寂しそうな背中をポンと叩き、前に進み出る。

 そして、八つ橋が逃げ出そうとするギリギリの距離で座り込み、手を差し出す。

 

 

「おいで。家に帰ろう」

 

 

 呼び掛けると、ふてぶてしい顔がこちらを見つめ返した。

 沈黙。

 ややあって、八つ橋はノソノソと歩み寄り、ぶにゃん、と私の前で腹を見せる。よし、成功だ。

 私は妙にネコ科の動物に好かれるので、この位ならお手の物。ちなみに沙織も動物に好かれるが、何故か寄ってくるのはメスのみだったりする。

 というかコイツ、前に四号の上で昼寝してた奴だな。西住隊長がえらく可愛がっていたような。

 

 

「……凄いですね。冷泉さん」

 

「この位で感心されても。それに、敬語じゃなくても良いです。先輩なんだし」

 

「え? ……でも、失礼ですから」

 

 

 逃げないように八つ橋を抱きかかえる私へと、先輩が尊敬の眼差しを向けている。心なしか、表情も輝いていた。

 そんなに羨ましがる事だろうか。小さい頃からこういう体質だったし、活かそうと思ったのも今回が初めてだ。まぁ、誰かの役に立てるのなら、悪い気はしないが。

 先輩は、腕の中で喉を鳴らす八つ橋に、恐々と手を伸ばす。気紛れで逃げていただけなのか、大人しく撫でられていた。

 ぬぼーっとした先輩の顔は変わらないが、彼も喜んでいるみたいだった。雰囲気で分かる。

 

 

「あの……。冷泉さん、頼みが……」

 

「ん。問題ないです。行こう、先輩」

 

「……ありがとう」

 

 

 言わんとする事を予測できた私は、彼が言い終える前に頷き返した。

 ホッとしたように目尻を下げる先輩。

 風呂敷とタッパーを回収してからその隣へと並び、二人と一匹で、くれなずむ学園艦を歩き出す。

 さて。変なネーミングセンスの飼い主に、迷い猫を届けるとしよう。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 数十分後。

 チラシの案内図に従い、無事に迷い猫を飼い主へ送り届けた私たちは、来た時と同じように、二人並んで歩いていた。

 ただし。

 

 

「なんでこんなに荷物が増えてるんだ……?」

 

「……申し訳ない」

 

 

 暑中見舞いのゼリー詰め合わせに、ビニール袋に入った大きなスイカ二玉とゴーヤ十本、スルメや魚の干物、栄養ドリンクなどなどなど。

 両手と背中に溢れる、“お礼の品々”を抱えてだが。

 

 まず、八つ橋を送り届けた礼として、飼い主の親子(先輩並にデカい父親と小学生の娘さん)からゼリーを貰った。

 娘さん、本当に嬉しそうで良かった。ちょっと泣いていたし、よほど心配だったのだろう。ネーミングセンスは逆にこっちが心配になるけども。

 その次に、道端で農業科っぽい男子生徒から話しかけられ、農作業の手伝いのお礼にと、スイカやゴーヤを貰った。

 食べ切れないから後で分けてくれるそうだ。沙織に頼んでゴーヤチャンプルを作って貰おう。沙織のは苦くなくて美味しい。

 余談だが、大洗女子にある農業科や水産科などは、船舶科ほどではないが学費を控除されている。

 その度合いは出来高制──売り上げに直結するとの事。中には完全に学費を賄う猛者も居るそうな。この学園艦、トンでもない人材の宝庫なのかも知れない。

 

 話を戻そう。

 男子生徒と別れてすぐ、今度は年配のオバサン達が寄って来た。

 その人達の言う所によると、先輩は週末によくボランティアの清掃活動などをしていて、おかげで色々と助かっているのだとか。で、乾物と栄養ドリンクを押し付けられた。

 オバサン達は、何やら私と先輩を見比べ、含み笑いをしていたが……。どうせ二度も会う事は無いだろうから、放っておいた。沙織と同じ匂いがして面倒だったんだ。

 

 そして最後。

 先輩が家まで送ってくれると言い、断るのも悪いし、二人で寮へと向かっていた所を若い男性に話しかけられ、土下座せん勢いで先輩が感謝されて。

 なんでも、坂道の階段で乳母車ごと転んでしまった母娘を、体を張って受け止めたらしい。

 幸い、誰も怪我を負わずに済んだのだが、先輩は「待ち合わせがあるので」と、そそくさ立ち去ってしまったのだという。

 その後、仕事から帰って話を聞いた旦那さんは、デカい男子生徒という情報を頼りに周辺を探し回り、ようやく見つけた先輩へと、これでもかと感謝したのである。

 後日学校の方へ正式にお礼に行く、とも言っていた。先輩は「お気になさらず……」と恐縮していたが、あの旦那さんの興奮ぶりは治まりそうもない。大事になりそうだ。

 

 

「人が良いにも程があるんじゃないのか、先輩」

 

「……すみません」

 

「まぁ、悪い事じゃないと思うが。お婆も褒めてた。先輩みたいなのは珍しいって」

 

「……よく、言われます」

 

 

 両手に提げたビニール袋を持ち直しつつ、私は隣を見上げる。

 やたらと高い位置にある先輩の顔が、申し訳なさそうに俯いた。

 制服がズタボロだった理由が分かり、スッキリした部分はあるけれど、こうも手荷物が増えてしまうと重くて困る。

 しかし、本当に善人なんだな、この人は。

 迷い猫を送り届けたり、農作業を手伝っていたり、ボランティアで街を掃除したり、身を投げ出して親子を助けたり。

 辻助け先輩なんて呼ばれ方も、今となっては納得だ。頼み込めば借金の保証人にすらなりそうで、ちょっと不安にもなるが。

 

 

「……お婆さんは、どこか悪いんですか」

 

「心臓が少し。手術すれば治る可能性はあるけど、歳が歳だから危険性も高くて、踏み切れない」

 

「あ……。すみません、立ち入った事を」

 

「いや、気にしないで欲しい。あれでも最近は調子が良いんだ。だから、無茶をしないか心配なんだけど」

 

「家族想い、ですね」

 

「まぁ……。唯一の肉親だから」

 

「……っ! あ、の……」

 

 

 お婆の名前を出したからか、話はそっち方面へと変わるのだが、うっかり口を滑らすと、先輩の顔がますます色を失う。

 しまった。まだ二度しか会った事のない人に話す内容じゃない。私もどうかしている。

 ……話してしまったんだから仕方ない。勢いで誤魔化すか。

 

 

「いちいち謝ろうとするな。ガタイはデカい癖に、気が小さいぞ!」

 

「め、面目ない」

 

「……と、お婆なら言うだろうな。だがまぁ、気にしないで欲しい。私は平気だ」

 

 

 少し強めに叱りつけた後、私は先輩へ笑いかける。

 すると彼も、面食らうように眼を瞬いてから、かすかに笑ってくれた。

 らしくない事をしてしまったが、変に気を遣われるよりは良い。

 

 お婆を助けてもらった礼は言えたし、煮物も食べてくれた。

 奇妙な縁で知り合った私達だが、これ以上するべき事もない。

 後は実家に電話して、キチンと挨拶を済ませたと報告すれば良いだけ。

 でも……。

 

 

(今回は先輩がたまたま助けてくれたから良かったものの、次また、同じことが起きたら)

 

 

 考え過ぎと言われればそうだけれど、実際に事は起きたんだ。どうにも不安が頭をよぎる。

 どうにかして、あの偏屈なお婆を大人しくさせられたら、私としても安心なんだが。

 

 

「……冷泉さん。どうかしましたか」

 

「ん? いや……」

 

 

 考え込んでいるのに気付いた先輩が、こちらを心配そうに見下ろしていた。

 いっそ、先輩みたいな人がお婆の側に居てくれれば助かるが、無理難題だ。

 ヘルパーを頼むにもお金が掛かるし、とりあえず、私が向こうにいる間だけでも、家事やら何やらを任せて貰えればいいのに……。

 と、そこまで考えて、私はようやく思い出した。

 

 

「……そうだ。そうだった。その手があるじゃないか」

 

「え……? あの……?」

 

 

 立ち止まり、私は何度も頷く。

 お婆が病院に運び込まれた日、お婆自身が言った言葉。

 本人が口にしたことなんだから強く出られるし、自分で言ったことを曲げるなんて、お婆は絶対にしないだろう。

 先輩だったら、頼む側としても信頼できそうだ。お婆に無茶させないためには、これしかない。

 そう決心した私は、オロオロと様子を伺う先輩へ向き直り、黒い瞳を見つめる。

 

 

「なぁ、先輩。一つ頼まれてくれないか」

 

「自分で、力になれる事なら」

 

 

 私を見つめ返し、先輩はなんのてらいも無く返事をしてくれた。

 まだ内容の説明すらしていないのに、躊躇もしないとは。

 いや、だからこそ信じたくなる。この人ならきっと、私の期待に応えてくれると。

 気恥ずかしさを紛らわすため、軽く深呼吸をし。

 屈託のない瞳をもう一度見つめて、私は願いを口にする。

 

 

「私の、恋人になってくれ」

 

「……はい?」

 

 

 図体に似合わず、小動物的な動作で首を傾げる先輩。

 それがなんだかおかしくて、小さく吹き出しながらも、私は決意を改めた。

 全ては、お婆の体への負担を軽くするため。

 ニセ恋人作戦、開始だ。

 

 

 





 流石は冷泉さん! 俺たちには予想もつかない事をやってのける! そこにたまげる眼と耳疑う!
 という訳で、冷泉麻子編の始まりでございます。お待たせ致しました。
 遅々として関係が進展しなかったゆかりん編と違い、今回は初っ端から飛ばしてます。
 お婆の事になると暴走しがちな彼女ですから、場合によってはこんな事もあり得るんじゃないかなぁ、と。
 形だけの恋人関係から、この二人がどうなっていくのか。次回更新をお待ち下さい。
 ……つっても、諸事情により不定期更新になってしまうんですが。何卒、ご了承下さいませ。
 では、失礼します。

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