「うむぅ……っ。由々しき事態であります……」
今月もまた末を迎え、数日後に新しい月を迎える頃。
学校から帰った私は、制服のまま自室で腕を組み、ひっじょーに差し迫った問題に、頭を悩ませていました。
「んぁああぁぁあああっ! なんであの時、マウスのプラモデルを買っちゃったんですか私はぁ!?」
原因はズバリ、金欠です。
四角い座卓へと突っ伏し、横目で眺めるのは、壁際のラックに飾られた、真新しいプラモデル。
ドイツが世界に誇る超重戦車、マウスです。1/144スケールなんですが、それでも128mm砲の存在感は堪りません!
あ、ちゃんと迷彩塗装も施してるんですよ? 我ながら渾身の力作! ……けどまぁ、アレです。
戦車もプラモデルも、往往にして、大きさと価格が比例するものであります故、またしてもお財布がピンチに陥ってしまいました……。明日からどうやって過ごせば……。
「ちょっと優花里、なに騒いでるの!」
「あ、お母さん」
うんうん唸っていると、廊下に続くドアから、ピンクいエプロン姿のお母さんが顔を見せました。
店舗になっている一階。秋山理髪店の方まで、叫び声が届いていたようです。
いつもなら謝ってしまう所ですが、背に腹は変えられません。
恥を忍んで配給の前倒し――もとい、お小遣いの前借りをお願いしてみましょう!
「あの……誠に恐縮なんですが……」
「お小遣いの前借りは駄目よ。増額も駄目」
「まだ何も言ってないのにぃ!?」
しかし現実は厳しかった!
仁王立ちして私を見下ろすお母さんは、腕を組んで呆れた顔をしています。
まぁそうですよね……。もう今年四回目ですもんね……。
「全く……。まぁた戦車グッズに注ぎ込んだのね?」
「はい……。なんと言うか、こう……。ムラっと来ちゃって……」
「女の子がそんな言葉みだりに使わない! ……どうしてもお金が必要なら、前みたいにお店手伝いなさい。ちょっとなら出してあげるから」
「やります! やらせて下さい! じゃないと月間 戦車道の今月号がぁ……!」
「駄目だわこの子……。早くまともな金銭感覚を身に付けさせないと……」
藁をも掴む思いで、私はお母さんに縋り付きました。
書籍というものは初版である事に価値があり、学園艦への搬入数自体も少ない雑誌は、争奪戦必死なんです!
何やら嘆いてるお母さんには申し訳ないですが、これも素敵な戦車ライフの為。
家業の手伝い、頑張るであります!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――と、意気込んでいた時期が私にもありました。
「お父さぁん……。物凄く暇なんですけどぉ……」
「仕方ないだろう。そんな日もあるんだ」
月末間近の日曜日。
我が実家である秋山理髪店は、朝から鶏ではなく閑古鳥が長鳴きし、鯛が靴を履いてコサックダンスを踊る有様でした……。
お父さんがお客さん用の席に座り、新聞を読みつつ、入り口近くのソファに座る私を窘めますが、こんな状態でうちは大丈夫なんでしょうか?
ちなみに、お父さんのエプロンは鼠色で、私のエプロンは迷彩柄の私物です! あ、お母さんは奥でお昼御飯の後片付け中だったりします。
「んあ゛ー、どうせやる事がないなら、使用済みの砲弾でも磨いていたいぃいぃぃ……」
「はぁ……。そんなに動きたいんだったら、表に出て呼び込みでもしてきなさい」
「理髪店が呼び込みって……」
退屈に耐えられず、仕事を放り出したくなる私でしたが、そんな事したらお小遣い貰えません。
仕方がないので、休憩がてら表に出てみましょう。呼び込みは……ちょっと恥ずかしいので遠慮しますけど。
カランカランと、耳に心地良いドアベルを鳴らし、私は通りへ出て背伸びをします。
ん゛~、凝り固まった筋肉が解れて、ついでに欠伸が……。
「あれ、秋山さん」
「ふぁ? ダンチョー殿?」
唐突に、横合いから声を掛けられました。
大口を開けたまま振り向いた先には、白いシャツにジーンズ、黒いパーカーを着るダンチョー殿の姿。
予想外の対面に、私達は硬直。しばらくして、私と理髪店の看板を見比べた彼が、ポン、と手を打ちます。
「ここ、もしかして?」
「はい。うちは理髪店やってるんですよ。家族みんなで、学園艦で暮らしてます」
「そっか、全然知らなかった。……んー。丁度良いし、切って貰うかな」
「え!? 本当ですかっ?」
「うん。放ったらかしにしてたら伸びちゃって。整備するのにも邪魔になってきてさ」
「なら、是非とも御利用下さい! さぁさぁ、どうぞ! ご案内しますので」
なんと! 素晴らしいタイミングの出会いであります!
自分の前髪を摘むダンチョー殿を促し、私は店内へと舞い戻りました。
ひゃっほう! これでお小遣いGETだぜい!
「お父さーん、お客様ですよーっ」
「なんだってぇ!? ほ、本当に呼び込みしてきたのか!?」
「いえ、違います。たまたま知り合いが前を通って、タイミング良く髪を切りたいとの事だったので」
「あら、そうなの? 珍しい事もあるものねぇ」
私の呼び掛けに、お父さんは立ち上がり、新聞をクシャクシャにしてしまいます。
まぁ、タイミング良過ぎてビックリしちゃいますよね。
お母さんも奥から戻って来てましたが、まずはお客様のご案内が先決でしょう。
「ダンチョー殿。さ、こちらに座って下さい!」
「ん? ……男っ!?」
「ど、どうも……」
お父さんが何故だか険しい顔してますけど、とりあえず放っておいて、ダンチョー殿を先導します。
靴を履き替えて頂いて、誰も座ってなかった方の座席へ。他人の体温が残る椅子とか嫌ですもんね。
ついでにパーカーを預かり、散髪用のケープも着けさせて貰うんですが……。なんだか、お父さんの視線が痛いような?
「あなた。お客様なんですからね?」
「うっ。わ、分かっているとも。……さぁ、お客さん。今日はどうします?」
「え、ええと……。バッサリ、行っちゃってください。2~3cm位まで」
「はい、かしこまりました。バッサリ行きましょうね、バッサリと」
「ぉお、お願いします……」
お母さんに突っ込まれたお父さんが、私に代わってダンチョー殿の散髪を始めます。
う~ん……。やっぱり、お父さんの様子が変ですね。
理容ハサミをシャキンシャキン言わせる姿に、妙な迫力が感じられます。ダンチョー殿の顔も引き攣って……。いやマズくないですかそれ?
一言お父さんに言っておいた方が良いのかも……と思う私でしたが、そんな私へと、お母さんがコソコソ耳打ちして来ました。
(ちょっと、ねぇ優花里! 格好良い子じゃないっ、どこで知り合ったのよ?)
(はい? えっと、整備道をやってる方で、戦車道を色々と影からサポートしてくれているんです。男子自動車部の部長さんで……)
(ああ、だからダンチョー君なのね。へぇ……)
簡単にダンチョー殿の来歴を説明すると、お母さんは目を輝かせて何度も頷きます。
……もしや、若い燕と浮気を考えてるとか?
いやいや、あり得ませんね。うちの両親、なんだかんだでラブラブですし。
だとすると、この反応は一体なんなんでしょう……。う~ん、分かりません。
「おや。頭に傷があるね。これはどうしたんだい?」
「あ、整備中にうっかり、角にぶつけて。まぁ、慣れっこっすよ、この位は。蛇道も時々やってるんで、傷が絶えないですし」
「えっ? 整備道だけでなく、蛇道までやってるんでありますか」
「人数稼ぎだけどね」
いつの間にか散髪は始まっていたみたいで、お父さんがハサミを動かしつつ、ダンチョー殿に話し掛けています。
どうせなら、と私も加わってみると、彼は鏡越しに笑っていました。
「何回か、ライカや先輩と一緒に、どっかの学校の公式戦に混ぜて貰った事があるんだ。
市街戦設定だと、普通の車両とかもオブジェクトとして配置されるから、けっこう勉強になるんだよ。
ここをこうすると壊れる、ってのが実際に分かるし、どこを改良すれば良いか、課題を見つけられて」
「なるほどー。全ては夢の為、でありますね。流石です!」
「いや、蛇道の時はクラフト……。工作兵やってるから、むしろ爆破とか、壊すのばっか上手くなって、不本意な部分もあるんだけどね……」
「あああっ、分かります分かります!
私も戦車が大好きなんですけど、試合では敵戦車を撃破しなくてはならなくて、心苦しい部分があるんですよぅ!
どうせなら敵味方に分かれず、ただ戦車を愛でていたいのにぃ……!」
「や、それはどうなんだろう」
「あれ。ダメですか?」
お客様と雑談なんて、本当はいけないんでしょうけど、意外な事実が判明したりして、けっこう盛り上がってしまいました。
整備道と蛇道を両立させるだけでなく、蛇道の中にまで夢の一端を見出すとは、流石ダンチョー殿。敬服するばかりです!
余談ですが、蛇道でも車輌は普通に使いますし、アグレッサーとしてAI制御の最新自動戦車も出るみたいです。
テクノロジー制限は、設定された時にしかありません。と言いつつも、最新式のは値段が高いので、防具以外は一世代前の武器などを多く使うそうです。
男性が戦車に乗るのは歴史的な背景から忌避されていますが、オープントップの車輌や、非武装の車輌には問題なく乗っています。後は航空機ですか。
一時は航空機道という武道も持て囃されたようですけど、こちらは戦車道と違い、あっという間に廃れてしまいました。
空は地上のように区切ることが出来ませんし、実弾ではなくペイント弾を使うにしても、万が一、視界を塞がれた後のリカバリーが難しく、墜落などの危険性が高かったためです。
海の上だと機体とパイロットの回収が困難で、地上ではうっかり競技範囲を飛び越えて住宅地上空に行っちゃったり……。
いかに競技と言えども……いいえ。競技だからこそ、何の関係もない一般の方に迷惑を掛けるなんて、絶対にあっちゃいけませんもんね。
その代わり、アクロバット飛行などを行う競技が、現代では盛んになっているのです。まぁ、パイロットは男女問わず、ですけど。
「お客さん……。随分、家の娘と仲がよろしいみたいだねぇ……?」
「ひっ。い、いえ、その、ですね……」
「ちょ、お父さん!? ダンチョー殿に何してるんですかっ!?」
あ、いけません。思考が横道へ逸れてました。
というかトリップしてる間に、お父さんがダンチョー殿を凄い顔で睨んでます!?
慌てて止めに入りましたけど、何してるんですかもう!
「全く……。あなた。後は私がやるから、奥へ行っててちょうだい」
「いや、これはだな、優花里の事を思って……」
「 早 く 行 っ て 」
「はい……」
お母さんにも叱られて、しょんぼり、肩を落としながら家の奥へ消えていくお父さん。
何がしたかったんでしょう? 別に私とダンチョー殿が仲良くしてても、問題ないと思うんですが……。
とにかく、髪を切るのはお母さんに交代です。あ、ちゃんと免許持ってますから、安心ですよ?
「本当にごめんなさいねー? あの人ったら親バカで」
「ちょっとだけ、怖かったっす……」
営業スマイルのお母さんに、疲れた顔のダンチョー殿。
このままでは今回限りのご利用になってしまいそうな気も……。
近所でも評判の、お母さんのトーク力に期待するしかないようです。
頑張って下さい!
「それで、ダン君? 学園艦に居るって事は、ご家族はやっぱり艦内のお仕事を?」
「はい。父さんが浄水施設とか、発電設備の保守管理を。その関係でずっと学園艦に……」
「あらまぁ、凄いお仕事じゃない。学生が運営の主体とは言え、その道のプロが居ないと危ないものねぇ。整備道やってるんだし、将来的には引き継ぐのかしら」
「いえ、オレは、その……」
――ってぇ、さっそく地雷踏んでますぅ!?
ダンチョー殿の将来の夢は設計者で、それを話すと間違いなく、お母さんは深い事情を突っ込んで聞いてしまうでしょう。それが主婦です。
そんな事になれば、ご親戚の不幸を説明しなければならず……。
あの空気はいけません! ここは私が!
「違うんです! ダンチョー殿は将来、安心安全な車の設計をしようと志している、立派な方なんですよ?」
「車の設計? あらあら、そうなのぉ。しっかりした将来設計を持ってるのねぇ。……でも、なんで優花里が答えるの?」
「細かいことは良いじゃないですかっ。私、ダンチョー殿を影ながら応援する、と決めたんです!」
「ふぅーん。なるほどねぇ……。あ、ちょっと倒しますねー」
ぃよし、なんとか乗り切った!
髪を良い具合に切り終え、お母さんはシャンプーの体勢に。
なんとか誤魔化せましたね。良い仕事しまし……た?
あれ。お母さんが目で呼んでる……。
(優花里、でかしたわ! 将来有望じゃない、逃しちゃ駄目よ!)
(は? なんの事ですか……?)
(整備道やってるなら食いっぱぐれもないし、蛇道やれるなら、優花里を守ってくれそうだし。
いやー、もしかしたら孫の顔は拝めないんじゃないかと心配してたけど、これで安心だわぁ)
(な!? ななな、なんですとぉおおっ!?)
ダンチョー殿に聞こえないよう、小声で話す私達ですが、その内容に驚いてしまいます。もちろん小声で。
ま、孫の顔って……。え? 私、ダンチョー殿と結婚するんですか!? いつの間に婚約してたんですか!?
流石に学生結婚はマズいと言いますか、戦車道する時間なくなりそうで迷惑なんですが……。
「あのー、すみません。耳の上辺りが痒いんすけど……」
「あらあら。こっち?」
「あ、いえ逆の……あ、そこですそこ。ああ……。頭を洗って貰うのって、気持ち良いっすね……」
「うふふ。気に入って貰えてなによりだわぁ」
頭を洗われているダンチョー殿の声に、お母さんは上機嫌過ぎる声で対応していました。
いくら戦車一筋な私でも分かります。これ、私とダンチョー殿をくっつけようとしてますよ、ねぇ?
お小遣いの為の手伝いが、こんな事になるとは……。
ううう、一体どうすれば良いんですかぁ!?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十数分後。
散髪を終えたダンチョー殿を見送るため、お母さんと私は玄関前に立っていました。
すっかり髪も短くなり、サッパリした様子の彼が、立ち去る前にこちらを振り返ります。
「それじゃあ、お世話になりました」
「いえいえー! これからも、優花里と仲良くしてやって下さいね?」
「はい? ……まぁ、戦車道で繋がりがありますから、それは勿論っすけど」
「ええ、ええっ。まずはお友達からよねぇ」
「へ。あー、はい……」
「お母さん! ダンチョー殿に迷惑だから!」
妙にツヤテカした笑顔のお母さんを店内へ押し込み、私はダンチョー殿と家を離れます。商店街の入り口までお見送りです。
しかし、やっぱりと言いますか、会話はありません。
私ですら分かるほどですから、ダンチョー殿に分からない筈がないでしょう。
……とりあえず、謝っておかないと。
「色々と、すみませんでした。母が訳の分からない事を」
「……もしかしなくても、勘違いされてる、よね。やっぱ」
後頭部を撫でながら、彼は視線を泳がせています。
歯切れも悪いですし、困っていて当然ですか……。
「あ、あはは。嫌ですよねぇー。こんな戦車オタクのモジャモジャ頭と勘違いされたって。ホントすみません、母には私から言っておきますので……」
「……別に、嫌じゃないけど」
「はぇ?」
重たい空気が嫌で、私は自虐的に茶化してみるのですが、返ってきたのは予想外の反応でした。
空気を読んだ苦笑いとかじゃなく、とても静かな肯定。
立ち止まったダンチョー殿は、私を見つめて拳を握ります。
「好きな物があるって事は、恥じる事じゃないよ。
それで迷惑掛けられてるってんならまだしも、そうじゃないし。
良いじゃん、戦車オタク上等。オレだって自動車オタクだ!」
胸を張って語るダンチョー殿が、こちらへ拳を突き出し、ニカっと笑います。
……なんでしょう。胸がこう、ジーンと来てしまいました。
そっか。きっとこれが……友情というやつなんですね!
武部殿達とは少し違うような感じもしますけど、この嬉しい気持ちは確かです!
西住殿? 西住殿は尊敬する方なので、敬愛と言った方が正しいのですっ。あ、戦車へはもちろん愛情で。
まぁともかく、私達は自然と笑い合い、ついでに拳も軽くぶつけ合います。
それこそ、友達同士がそうするように。
「ありがとうございます、ダンチョー殿! 私、嬉しいです!」
「うん。じゃあ、また」
「はい! また来て下さいねー!」
颯爽と歩き去るダンチョー殿を、私は大きく手を振って見送ります。
最初はどうなるかと思いましたが、最終的には素晴らしい一日になりました。いえ、記念日ですね。
なんの記念日か、ですって?
それは勿論、私に戦車道以外のお友達が、初めて出来た記念日です!
まぁ、戦車の整備を頼んでるんですから、完全に無関係じゃないですけど。
いやー、嬉しいものですねー。まるで普通の女子高生みたいですー!
……あっ。記念日といえば、今日は月刊 戦車道の発売日でした。
お小遣い貰ったら、忘れないうちに買いに行かなきゃ……。
秋山 優花里、自宅に帰投するであります!
ゆかりーん、ママンへの言い訳忘れかけてるよー。そのままだと誤解が加速するぞーい。
てな訳で、ゆかりん編第二話でした。
ゆかりんのママンは何気に美人さんだと思います。優しく頭洗って貰いたいです。淳五郎さん羨ましいなぁ……。
さて、ここで作品に関するお知らせです。
さおりん編、華さん編と、四つに分けて話を構成して来ましたが、今回、実際にプロットを形にしてみたら、四話じゃ足りない事に気付きました。
なので、ゆかりん編は全部で五話構成となります。あらかじめご了承下さいませ。
それでは失礼します。