ビッテンフェルト提督の麗しき結婚生活   作:さんかく日記

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【5】君と暮らせば

後に「アムリッツァ星域会戦」と呼ばれることになるそれは、同盟軍に占領された恒星系の解放に始まり、約一ヶ月間におよぶ激しい艦隊戦の末、銀河帝国軍の大勝にて終結した。

 

この戦勝によりラインハルトは侯爵の地位を得て、宇宙艦隊司令長官へと席を進めることになる。

戦功を得た多くの幕僚が昇進し、歓喜の中にあるローエングラム陣営の中で、様子を異にする提督が一人だけいた。

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト、その人である。

同盟軍の二艦隊を殲滅する功績を上げた彼だったが、その直後、敵方の智将、ヤン・ウェンリーの策に陥ると、一転多くの戦力を失った。

自身の命さえも危機に晒されたビッテンフェルトであったが、辛うじて自軍をまとめてラインハルトのもとへと帰還した。

多くの将が勝利を手にする中で、唯一と言っていいほどの手痛い大敗を喫したのである。

 

しかし、そんな彼にも光明は差した。

一度は自室謹慎を命じられた上、艦隊を召し上げられそうになった彼だったが、その後ラインハルトは彼を赦し、再び艦隊司令官として戦場に立つことを認めてくれたのだ。

 

いつ何時も豪胆な彼であるが、この時ばかりは深く頭を垂れ、肩を落としてオーディンへと帰りついた。

戦勝の祝賀会もそこそこに辞し、彼が向かったのは未だ一度も足を踏み入れていない我が家である。

 

オーディンの中心部に、その邸宅はある。

美しい白壁はマッテルスブルク侯爵の別邸と同じで、しかし夫婦二人のためのものである建物はアンジェリカの実家よりも幾分小さい。

幾分、である。

というのも、この新しい「ビッテンフェルト邸」には、マッテルスブルク侯爵が故郷の惑星から呼び寄せた使用人たちがアンジェリカのためにと幾人も一緒に暮らしているのだ。

 

「本当にここに住むのか……。」

平民出の彼は、改めて仰ぎ見た建物の仰々しさについため息をついた。

しかし、庭に植えられた秋の木々が色づく様子を見て、少しばかり気分を変えた。

マッテルスブルク侯爵が、「アンジェリカは花や草木を愛でるのが好きだ」と言っていたことを思い出したのだ。

 

「花を買ってくればよかった」と彼は思った。

思えば最後に彼女に会ったのはもう三ヶ月も前のこと、その時の彼女は夏の日差しに素肌が透けてしまうかというほどに儚げで、まるで夢の中で会うかのように美しかった。

その女性が今は自分の妻なのだという事実が、ビッテンフェルトを前向きな気持ちにさせた。

しかも彼女は、戦地へと赴く自分との婚姻を積極的に望んでくれた。

 

(無事帰還しただけでも、ありがたいと思うべきだ……!)

生きて帰った自分をアンジェリカはきっと喜んでくれると思ったし、何よりもこの家の玄関をくぐれば、ついに妻と夫としての対面を果たすことになるのだ。

心は、否応なしに昂ぶった。

 

しかし、

 

「お帰りなさいませ、旦那さま。」

ビッテンフェルトを迎えたのは、マッテルスブルク侯爵が若い夫婦のためにと故郷から連れてきた執事である。

その後ろには、他の使用人も並んでいる。

しかし、アンジェリカの姿はなかった。

 

「あ、ああ。ただいま……ええと、その……あ、アンジェリカはどこにいるのだろうか。」

慣れない出迎えに戸惑いながら、執事に向かって尋ねる。

 

「奥様は書斎にいらっしゃいます。もう数ヶ月の間、ほとんどそちらに籠もりきりで……。」

申し訳なさそうに眉を下げた執事に、ビッテンフェルトははっとなる。

出撃前の自分との結婚を望んでくれたとはいえ、アンジェリカは深窓の令嬢。

夫が戦地へと旅立ってからは、特に心細い思いをしていたに違いない。

 

「そうか……!俺は……不安にさせていたのだな。」

彼は強く頷いて、早くアンジェリカを安心させてやりたい一心で、彼女が居るという書斎へと向かった。

 

「た、ただいま。アンジェリカ……!」

夫婦とはいえ、ビッテンフェルトにとってアンジェリカは雲の上の美女である。

書斎の扉をノックする時は、緊張と興奮で胸が震えた。

 

『ああ、あなた……!無事に帰ってきてくださったのね!』

 

ビッテンフェルトの想像の中で、アンジェリカが腕を広げて彼の胸へ飛び込んできた時──ゆっくりと、書斎の扉が開く。

 

「ッ?!」

ビクリ!と剛毅なはずのビッテンフェルトが、思わず背を跳ねさせた。

 

「……フリッツ様?」

ゆらりと──白い影が薄暗い書斎で揺れている。

そこにいたのは確かにアンジェリカだったが、彼の知る天使のような女性とは少し、いや、かなり異なっていた。

まるで蝋燭のように白い肌、口唇は血の気を失っている。

腕を広げて飛び込んでくるどころか、今のアンジェリカは、ともすれば消えてしまいそうほどの現実感のなさで、かろうじてビッテンフェルトの前に存在しているという様子だった。

一瞬は驚いたビッテンフェルトだったが、その感情は彼の持ち前のシンプルさによって、すぐに逆側へと振り切れた。

 

(これほどまでに俺のことを……!)

自分の身を案じてくれる妻がいる。

それがどんなに幸せなことかを思い知った気がした。

「結婚万歳!」と叫びたい思いで彼は逞しい腕を伸ばし、戦地にいる夫を思い、憔悴しきった妻を抱きしめようとした。

 

「ああ、アンジェリカ……!」

しかし、彼の手がアンジェリカに届くことはなかった。

するり、と彼女はビッテンフェルトの脇をすり抜けて廊下に出ると、眉間を抑えて首を振る。

 

「今はいったい……何月なのでしょう。」

ビッテンフェルトを振り返った彼女の顔は確かに疲れ切ってはいたが、彼の予想した「夫の帰還を待ち望む新妻」とはやはり違っている。

 

「い、いまは……10月だが。」

 

「それで、フリッツ様がお帰りになったということは、自由惑星同盟との会戦は終結したということですのね。」

 

「あ、ああ!」

そこでようやく彼女はほっとしたように息を吐き、「ご無事でなによりでした」とビッテンフェルトに向かって言った。

 

「ああ、無事に帰ったぞ。ヤン・ウェンリーとかいう同盟軍の司令官にしてやられて随分と手こずったのだが……ローエングラム元帥はこの俺を赦されて……!」

ビッテンフェルトの心の中の大半を占めるのは、ラインハルトへの感謝と心酔、そしてアンジェリカとの再会を喜ぶ気持ちであった。

 

ビッテンフェルトの軍人としての根幹にあるのは恐れ知らずの勇気であるが、それは良くも悪くも彼の単純さによる部分が大きい。

過去の栄光に縋ったり勝利をひけらかしたりもしないが、同時に失敗も振り返らない。

常に「今」を全力で駆け抜けようとする性格こそが、ビッテンフェルトを引くことを知らない猛将とたらしめているのである。

 

「手こずる……とは?」

一方で、アンジェリカの性格はその真逆であった。

彼女はデータ分析と戦略立案のプロであり、それは常に過去を基盤とすることを意味している。

「失敗は成功の母」とは、人類史に残る著名な発明家の言葉だが、彼女の経営哲学も同じ見地に根ざしている。

 

「……え?」

ひやりとした視線がビッテンフェルトの頬を撫でる。

 

「そ、それは……配下の艦艇を損ないはしたのだが、しかしそのことはもうローエングラム元帥によって水に流されて……。」

美女の真顔というのはかなり恐ろしいものがある、とビッテンフェルトはこの時初めて知った。

その後も彼は何度も同じ思いをすることになるのだが、とにかくこの時が初回であった。

 

「なぜ?」

 

「なぜ、というと?」

 

「なぜ、艦艇を失することになったのですか。」

「これは一体何の会話だ」とビッテンフェルトは思ったし、「そもそも誰と話しているのだ」とも思った。

しかし、アンジェリカは追求の手を緩めない。

 

「理由をお聞かせ願えますか。例えば、航路の計算に不足があったとか、敵艦隊との距離を誤ったとか、あるいは戦艦同士の連携が不十分であったとか、問題点はどこにあったのですか。」

淀みない口調で彼女は言い、驚くビッテンフェルトの顔を見返した。

 

「報道によれば、銀河帝国領を侵略した同盟軍の艦隊は八個艦隊、しかし、アムリッツァ星系での戦闘では三個艦隊しか残っておらず、約三倍の兵力を投じての殲滅戦だったはずです。」

貴族令嬢の口から発せられたとはとても思えない言葉に、ビッテンフェルトは思わず動揺した。

 

「し、しかし……ヤン・ウェンリーというヤツがとんだペテン師でな、我が軍を引き込んで接近戦にもちこもうとしたのだ。」

 

「それで、そのヤン・ウェンリーの策に乗せられたと?なぜです。数的に圧倒的に有利な状況にありながら接近戦を行う理由がわかりません。戦術の常道では、数的に有利であれば距離を保って相手の消耗をはかるというのが妥当な戦法なのではないのですか。」

 

「う……。」

愛しい妻との再会を喜ぶはずであった場面は、まるで士官学校の教室にでも逆戻りしたかのようだった。

「猪突ばかりするな」、「押すだけでなく引くことも覚えよ」と学生時代に散々に教官に指摘された記憶が甦り、ビッテンフェルトは頭痛がしてくる思いだった。

力押しは彼の流儀であり、実際にそのやり方で戦果を挙げてきた。

結果として士官学校時代に学んだ戦術や軍略の類いの大半を彼は忘れてしまったが、今まさに怒濤のごとく学生時代の記憶が甦ってくる。

 

「あ、アンジェリカ。しかし、俺はもう士官学校生ではないのだから、そのような教科書通りの戦術は……。」

 

「ええ、確かに。」

繊細な睫毛で縁取られた瞳が細められ、アンジェリカはこの日初めての笑顔を見せた。

 

「ぜひ、詳しく教えてくださいませ。いったい何がいけなかったのか、わたくしも考えてみたいのです。」

可憐な花が綻ぶような微笑みをビッテンフェルトに向けてアンジェリカは言い、出てきたばかりの部屋へと踵を返す。

 

「さあ、フリッツ様。こちらへ。」

書斎に一歩足を踏み入れた瞬間──ビッテンフェルトは戦慄した。

電子端末とシミュレーターが据え置かれた室内、壁を埋める書棚には古今東西の歴史書や戦術書がびっしりと並んでいる。

 

「古い書籍は紙でしか手に入らないものも多いのですが、これらもいずれデータ化するつもりです。」

端末が発する青い明かりに照らされて、アンジェリカの笑顔が浮かび上がる。

 

「では、検証を始めましょう。」

こうして、ブルーライトに照らされた書斎で──ビッテンフェルトとアンジェリカの結婚生活は幕を開けたのである。


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