「見合い」は、マッテルスブルク家のオーディンにある別邸で行われた。
美しく咲き誇る花々、手入れの行き届いた庭、白亜の支柱に支えられた玄関の天井は高く、その先のどこまで続くのかという廊下の向こうに優美な曲線を描く螺旋階段が設えられている。
「う、」
マッテルスブルク家の使用人たちに迎えられたビッテンフェルトは、その豪奢な玄関に立っただけで既に帰りたい気分になっていた。
一度目に訪れた時もその華麗さに圧倒されたが、改めて見ると、これからこの家の持ち主の娘と見合いなど、やはり現実とは思えない。
彼の職場であるローエングラム元帥府も十分に豪華な建物ではあるが、これが居宅、しかも別邸と言われるとビッテンフェルトには違和感しかないのだ。
とはいえ、逃げ帰ることは許されない。
彼の見合いは上官であるラインハルトも大いに認めるところであるし、マッテルスブルク侯爵はゴールデンバウム王朝の有力貴族。
そして、何よりも──今日この見合いのために、侯爵の一人娘であるアンジェリカがオーディンにやってきているのである。
あまり身体が丈夫でないらしい彼女が、初めて故郷の惑星を離れてオーディンにやってきた、ビッテンフェルトに会うために。
権力や世の中の仕組みについて理解する以上に、ビッテンフェルトは自分に会いに来た女性を追い返せる男ではなかった。
(俺が、守って差し上げるべき方なのだ。)
見合い写真の中の美しい姿を思い出し、自身の心に語りかける。
(しかし、あちらから断られる……という可能性もあるのではないか。)
一方で白壁の豪奢な屋敷を見れば、弱気な気持ちも沸いてくる。
この見合いがいかに不釣り合いであるかは、彼も十分に承知しているのだ。
(第一に、貴族の令嬢なんぞと話が合うのだろうか。)
困惑と弱気の中に期待と決意を少々、それがビッテンフェルトの心中のレシピの具合である。
それらの感情にアンジェリカを加えて出来上がるものが何なのか、それはビッテンフェルト自身にもわからなかった。
「よく来てくれました、ビッテンフェルト提督。」
陽の光の差し込む居間で、マッテルスブルク侯爵が彼を迎えた。
大貴族の名に相応しい優雅な仕草である。
「は!あ、ええ……本日は、ご招待いただきまして……あ、りがとうございます。」
軍人らしく直立の姿勢を取ったビッテンフェルトだが、実のところどのような仕草がマナーに適うのかよくわかっていない。
実際、服装も軍服だった。
何を着ていくべきかとメックリンガーに相談しておおいに困らせた後、話を聞きつけたロイエンタールに「軍服しかなかろう」と断言されて今にいたる。
黒地に銀の装飾が施された帝国軍中将の軍服は雄々しく壮麗なデザインで、ビッテンフェルトの鍛え上げた肉体を引き立てていた。
「娘はもうすぐ参りますので、どうぞお掛けください。」
椅子を勧められて座り、両足に手を乗せて背筋を伸ばす。
(これは軍務だ、軍務だと思うのだ……!)
胸中を吹き荒れる得体の知れない感情の嵐を納めようと、自分自身に呼びかける。
どれほど苛烈な戦場であろうと、猪突を旨とする彼の感情が揺れ動くことはない。
しかし、今は自分でも正体のつかめない様々な気持ちに複雑に揺さぶられて、荒ぶる胸の内を納めるという作業は至極困難を極めていた。
「失礼いたします。」
鈴の音のような声だった。
ビッテンフェルトが己の心を静めきらないうちに、その女性はやってきた。
柔らかそうなドレスの裾を揺らし、しかし足音さえ立てずに彼女は現れ、優美な仕草で膝を曲げて挨拶をする。
ドレスの布地を摘まむ繊細な指の仕草に見とれると、絹糸のような髪が揺れて顔が持ち上がり──何度も眺めた見合い写真の美しい女性がまっすぐにビッテンフェルトを見つめた。
(あの写真の通り……いや、写真以上ではないか……!)
白く透き通るような肌は上質な陶器のようで、きらきらと光を映す瞳を縁取る睫毛までが美しい。
小さな口唇が動いて、「アンジェリカ・フォン・マッテルスブルクと申します」と告げるのを聞き終えてようやく、ビッテンフェルトは自分が不躾なほど彼女を凝視していたことに気がついた。
「ふ、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトです。ローエングラム伯の元帥府で艦隊司令官を務めております……!」
発した声が思わずうわずってしまい、ビッテンフェルトは慌てて咳払いを一つした。
マッテルスブルク侯爵から写真を手渡されて以来、実は何度もそれを見返してきた。
アンジェリカの写真は、ある時はビッテンフェルトを憂鬱な気分にさせたし、別の時は夢を見るような心地にもさせた。
その彼女が、自分を見つめている。
(この人と……俺が?!)
ビッテンフェルトに「娘を娶せたい」と打診してきた時、マッテルスブルク侯爵は、「あなたのような勇壮精悍な男性にこそ、我が娘をもらってほしいのです」と言った。
だが、改めてアンジェリカを見ると、やはり信じられない気持ちになる。
貴族の娘なら同じ貴族を相手に望むのが普通だし、ましてアンジェリカは一人娘。
仮にマッテルスブルク侯爵が軍人の婿を望んだとしても、帝国軍にはいくらでも貴族の位を持つ者はいる。
ローエングラム元帥府に限定したとしても、ロイエンタールやオーベルシュタインは貴族であるし、他ならぬローエングラム元帥その人を望んだとしてもマッテルスブルク家であれば十分に権利はある。
「どうだろう、ビッテンフェルト提督。」
「えッ!」
マッテルスブルク侯爵の柔和な笑みが向けられる。
「アンジェリカはあまり丈夫ではなくてね。その分、世間知らずかもしれないが……とても心根の優しい娘だ。提督のような立派な男性が伴侶となってくれたら、父親の私としてもとても喜ばしいのだが。」
いざ二人を並べてみれば、父親が意向を変える可能性もあるのではないかと思っていたビッテンフェルトだが、マッテルスブルク侯爵にそのつもりはないらしい。
「そうだろう、アンジェリカ。おまえの望む通り……ビッテンフェルト提督は、壮健で頼りになる人だ。」
「おまえの望む通り」と侯爵は言った。
その言葉が、ビッテンフェルトに勇気を与えた。
この見合いは、アンジェリカも望んでいるのだ……!
壮健で頼りになる勇ましい軍人をと、彼女こそが望んでいる。
そう思うと心の内は勇気で溢れ、ビッテンフェルトはアンジェリカの目を見つめて告げていた。
「私があなたを生涯かけてお守りいたします。どうか……私の妻になってください!」
儚くも美しいアンジェリカ。
淡雪のように消えそうな繊細な美貌やさえずる小鳥のような可憐な声音、指先の動きまでも洗練された仕草。
そのすべてを守りたいと思った。
彼女の手を取り、慈しみ、どんな時も情熱を絶やさずに愛し抜くと誓おう。
彼女の前に跪いたビッテンフェルトにアンジェリカがそっと手を差し出し、小さく頷いたことで彼の願いは成就された。
こうして、アンジェリカを妻とすることが決定し、ビッテンフェルトはその日のうちにラインハルトに婚約を告げる。
この時の彼は愛と喜びに満ちあふれ、未来への希望に胸を膨らませていた。
しかし、秋に挙式を控えたその年、設立されたばかりのローエングラム元帥府は俄に慌ただしさを増した。
帝国歴487年8月、自由惑星同盟による銀河帝国領侵略の可能性が察知されたのである。