ビッテンフェルト提督の麗しき結婚生活   作:さんかく日記

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【26】新たなる日々

三年半という月日は、ビッテンフェルトを本人さえ思いもよらない場所へと連れてきた。

旧暦487年の春、その頃のビッテンフェルトは、ローエングラム元帥府にて初めて提督の地位を与えられた中将だった。

彼が仕えることとなった彼よりももっと若い元帥は、ついに旧体制を崩壊させ、長く対立関係にあった叛徒──今は自由惑星同盟と呼ぶのが適切だろう──との戦いを講和という形で終結させた。

彼はついに自ら王冠を戴き、ラインハルトの背を追いかけてきたビッテンフェルト自身もかつては想像さえしていなかったような場所に立っている。

今や彼は帝国元帥の地位にあり、ついに国務尚書という大任までも預かることとなったのだ。

一方で、私生活も一変した。

マッテルスブルク侯爵から請われた縁談で、彼の娘であるアンジェリカと結婚した。

侯爵から譲り受けた広大な領土と爵位は、ビッテンフェルトを気鋭の青年提督から大領を守護する為政者に変えた。

振り返ればまさに怒涛の日々だったはずなのだが、それを思い返す暇もない程、ただ必死で駆け抜けた時間だったように思う。

 

「この俺が……。」

責任は重くのしかかるが、しかしやらねばならないという気概を感じている。

ラインハルトの夢は今やビッテンフェルトの夢でもあり、辺境や身分の格差を正し、新しい世界を作るという目標は、ただ遠く困難なだけでなく、果たす価値のあることと思えるからだ。

 

その日、まだ新しい元帥用の軍服に引き締まった肉体を包んで、ビッテンフェルトは自身の執務室から新帝国建国の祝賀会が開かれる会場へと向かっていた。

旧体制から新体制への移行を祝うためのパーティーで、その場で新帝国の新しい人事も発表されることになっている。

軍事の要である軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官にロイエンタール、ミッターマイヤー、そして最年少の上級大将であるミュラーを据え、カール・ブラッケ、オイゲン・リヒターを部下にもつ財務尚書にオーベルシュタインを迎える。

そして──尚書たちの要である国務尚書に自らも大領を治めるビッテンフェルトをというのが、新皇帝の定めた人事である。

 

軍人、貴族、そして財界の重鎮と多くの者たちが顔を揃えるその場に、今日は彼の妻も訪れることになっていた。

長く病弱で故郷の惑星を出たことすらなかったアンジェリカにとって、オーディンの社交場はほとんど馴染みのない場所である。

ビッテンフェルト自身も決して派手な場が得意なわけではなかったが、できれば妻をエスコートしたいと望んでいた。

それが叶わなかったのは、新人事の発表に関する対応にかからなければならなかったせいなのだが、それでも彼は妻への気遣いを忘れはしなかった。

 

「もうすぐパーティーだが、アンジェリカは大丈夫だろうか。」

電子端末で執事に連絡を取ると、彼女はもう会場に到着しているはずだという。

宮廷に知り合いのいないアンジェリカを案じるが、聞けばミッターマイヤーの夫人と一緒にいるらしい。

それであればと安心し、端末の電源を切った。

 

「ビッテンフェルト元帥。」

パーティー会場からについた彼に声をかけてきた者がいた。

誰だっただろうかとここに来て大量に増えた「知人」のリストを頭の中で捲るが、どうにも思い出せない。

 

「このたびはおめでとうございます。先日、バーデン氏にご紹介いただいて一度お会いしているのですが、覚えておいででしょうか。」

仲介者の名前さえ、「そんな者がいたような……」という程度の記憶だったが、聞けば男は貿易会社を経営している財界人らしい。

 

今までのようにただ軍人という立場であれば軽くあしらってしまっても問題にならなかったのかもしれないが、今は立場が違う。

それに、今回の人事については既に世間にも情報を得ている者がいるらしく、こうしてビッテンフェルトと知り合いになろうと近づいて来る者は決して珍しくはなかった。

しかし、今回の場合、男が近付いてきた目的は、これまでの者たちとは種類が違っていた。

いくつかの雑談を交わした後で、ビッテンフェルトに一歩近付いた男が声を潜める。

 

「大変失礼ですが、閣下。」

男の声には、媚びるというよりも妙に秘密めいた響きがあった。

 

「なんだ。」

 

「いえ、その……私の娘のことなのですが、」

そう言われて、思わず「はあ?」と聞き返しそうになる。

まだ30代もまだ半ばというのに娘の相手探しを頼まれるのかと思うと、やはり国務尚書など厄介なだけだとため息をつきたくなった。

しかし、男の発言は、ビッテンフェルトの憂鬱になりかけた気分をはるかに通り越すものだった。

 

「我が娘ながらなかなかに出来が良く、オーディンの大学を昨年卒業し、今は料理とマナーとを学んでおります。貴族のご令嬢にも劣らぬようにと十分に教育をしておりますし……どうでしょう、一度お会いいただけませんか。」

見合いならば写真の一枚でも預かればそれで良い、あとは当人同士の問題ではないかとビッテンフェルトは思う。

首を傾げるビッテンフェルトに気付かないのか、男は意味深な表情を浮かべて続けた。

 

「手前みそではございますが、要職につかれる方の妻としても不足のない娘だと考えております。」

「待て」とビッテンフェルトは話を止めた。

ようやく話の先行きを理解はしたが、どうやら相手は多大な勘違いをしているらしい。

 

「そう宣伝されても卿の娘をもらうことはできん、俺には既に妻がいるのだ。」

とんだ無駄骨だったなと呆れてみせたビッテンフェルトだったが、「存じております」と男が言ったから驚いた。

 

「もちろん存じ上げておりますが、国務尚書閣下の妻となれば、知性も社交性も必要でしょう。失礼ながら、マッテルスブルク元侯爵のお嬢様はほとんど家から出られないほどご病弱とか……。」

 

「ッふざけるな!」

ビッテンフェルトの大声に、周囲にいた者が振り返る。

しかし、怒りを抑えることは難しかった。

 

「よくもそんなことが言えたものだな。貴様は自分の娘を、俺の妻を、なんだと思っているのだ!それに商人であるならば、義父とは既知の仲ではないのか?!」

殴り倒さないだけの理性があったのは、近年の鍛錬の成果だっただろう。

ほとんど恫喝という勢いでビッテンフェルトは声を荒げ、驚いた男は逃げるように去っていった。

 

「どうされました、閣下。」

心配した部下が尋ねるが、「どうでもいいこと」と言えないほどに腹の立つ内容だった。

 

「どうもこうも……ッ、あのようなヤツらが蔓延る新体制であってはならん。絶対に、絶対にあのようなこと、二度と……!」

義父と妻とを侮辱され、怒りに肩を震わせる。

結婚とは神聖なものであり、自分はアンジェリカを生涯守ると誓っている。

それを、「国務尚書に相応しい妻に乗り換えろ」とはあまりの言い草だとビッテンフェルトは思った。

 

しかし、その後も彼は忍耐を試され続けることとなった。

先ほどの男ほどあからさまではないものの、貴族やら商人やらが次々と彼に声をかけ、その内の何人かは「ぜひ家を訪ねて欲しい」と熱心に誘い、さらにその内の何人かは「年頃の娘がいる」と暗に示して寄越したのだ。

 

「少しは忍耐強くなったかと思えば……。その赤い顔をどうにかせよ、ビッテンフェルト。」

スピーチを控えた彼を窘めたのは、ビッテンフェルトと対照的にいつ何時であっても顔色を変えるということがない同僚である。

 

「ッ、これが平静でいられるか。俺は貴様とは違うのだ、オーベルシュタイン!」

強い影響力をもちながら権力との距離を保ち、冷静さと鉄の意志が求められる職務──財政と金融の要である財務尚書を担うことになっている彼が、彼としてはいつも通りの無表情な視線でビッテンフェルトの赤い顔を眺めている。

 

「……おおかた娘を遣りたいと言われたのだろう。」

 

「ッ、」

なぜそれを、とビッテンフェルトの顔に書かれた疑問を正確に読み取って、オーベルシュタインが言う。

 

「私のところにでさえ、似たような話が届いているほどだ。ロイエンタールやミュラーなどはそれこそ新しい書架が必要なほどだと聞いているし、話がないのは愛妻家で知られているミッターマイヤーくらいのものだろう。」

 

「俺だって愛妻家だぞ!」

さらりと言ってのけるオーベルシュタインにビッテンフェルトは反論するが、どこで聞きつけてくるのか恐ろしいほど耳の早いこの男は「果たしてそうか」と言う。

 

「卿のような猛獣と病弱な妻ではいかにも取り合わせが悪い、取って代わろうと思う者がいても不思議ではなかろう。」

猛獣と病弱とどちらを先に否定すべきかと一瞬言いよどんだビッテンフェルトに、オーベルシュタインが畳みかける。

 

「マッテルスブルク殿は爵位を譲られ、今は隠居の身。所領はすべて卿のものであるし、今更たいした影響力はない。加えて病弱で満足に学も積んでいないような令嬢では、要人の妻はとても務まるまい。身体が弱ければ子ができるかもわからぬ。」

 

「貴様、オーベルシュタイン……!」

慌てた部下が彼を止めなければ、ビッテンフェルトはオーベルシュタインを殴っていたかもしれない。

それどころか、止められたかも怪しいほどの勢いであった。

その彼の拳を防いだのは、他ならぬオーベルシュタインの言葉であった。

 

「実際は違うのだから、一言違うと言えば良いだけだろう。」

 

「!」

ビッテンフェルトの生涯において、もっとも納得のできる「オーベルシュタインの正論」であった。

 

「そうだ、アンジェリカは……!」

学などなくともその辺りの娘よりもずっと優秀で、夫である自分の知識不足を補ってくれる。

アンジェリカと話していると、決して明るいとは言えない政治についてでさえ、ああしてはどうかこうしてはどうかと考えが浮かんでくるし、義父に譲られた領地の管理について話し合う相手も家令よりも妻のほうが多いほどだった。

アンジェリカと共に歩む中で多くのものを得た、だからこそ国務尚書を引き受けようと思えたのだとビッテンフェルトは考えている。

それに、ひどく心配性で思い詰めるくせがあるが、決して身体が弱いわけではない。

確かに過去はそうだったのかもしれないが、ビッテンフェルトと結婚して体質が変わったのだとアンジェリカと義父はいつも言ってくれていた。

彼女こそが最良の伴侶であり、他に妻を娶れなど、たとえ皇帝陛下の命令であっても決して承服できない。

 

「率直に言えば、マッテルスブルク殿は欲のない男であるし、美しく献身的であれば、皇帝陛下の妻であっても良いくらいだ。」

 

「なにッ!」

オーベルシュタインの一言は、実際余計であった。

しかし、これは彼も承知していたらしく、

 

「もっとも卿の奥方はいくらなんでも弁が立ちすぎる。卿でなければつり合いが取れないであろう。」

この男にしてはかなり珍しいことに、片頬を上げてそう言った。

 

「オーベルシュタイン、おまえ……。」

ビッテンフェルトとアンジェリカを似合いだと告げる口ぶりに、「一体どんな駆け引きをするつもりだ」と思わず身構えるが、そういうわけでもないらしい。

家族が犬だけというのはあまりに気の毒な気がしてきて、ビッテンフェルトは口を開きかけるが、「いらん世話だ」と元通りの無表情に戻って、稀代の権謀家である男はそれきり口をつぐんだ。

 

オーベルシュタインの話が事実なら、これからも下衆な見合い話をもった輩が寄ってくることは続くのだろう。

けれど、自分さえしっかりしていればそれでいいのだとビッテンフェルトは胸を張る。

いっそロイエンタールに全部振ってしまえば、面白いものが見られるかもしれないとも思う。

 

しかし、彼の想像を超えて、事態は秘かに進展していた。

悪意を知らない彼は、悪意が向けられる理由やその手口について思い及ばずにいた。

しかし、宮廷に蠢く様々な思惑がつくりだすさざ波は、やがて穏やかな日々を脅かす荒波となって彼の足下に迫ることとなるのである。


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