「フェルナァァアァァ……!!なぜ!なぜ貴様がアンジェリカと親しくしているのだッ?!」
沸点に差し掛かろうという上官の怒りに身震いしながら、フェルナーは通されたビッテンフェルト家の居間に辛うじて腰を落ち着ける。
奇妙な取り合わせの五人が居並ぶ様子にさすがに驚くが、アンジェリカの落ち着いた様子を見ると呼ばれたことが何の目的であれ、決して悪い意味ではないだろうという気持ちになった。
アンジェリカとはもう随分と長いこと会ってはいないが、上機嫌の上官の様子を見ればなかなかにうまくいっているのだろうと推察されたし、時折漏れ聞こえてくる盛大な惚気話はこそばゆいながらも彼を楽しい気分にさせた。
そのアンジェリカが、オーベルシュタインと向き合っている様子に驚かされる。
犬を「返した」時の出来事を語った際には、義眼の参謀がどれほど恐ろしかったかと熱心に話していたはずなのに、今は落ち着いた様子で同じ男と向き合っている。
「大変差し出がましいことではありますが、ご提案というのは先ほどから皆さまがお話になっている人事についてです。」
皆一様に驚いた表情を見せたが、騒ぎ立てるでもない様子を見ると、アンジェリカの理知的な性格や知性は彼らにも伝わっているらしい。
「国家権力として強大な影響力を持ちながら、同時に権力から国民を保護すべき立場でもある政務。それは、財務と金融です。この点において、財務担当は必ずしも皇帝陛下の腹心である必要はないのかもしれません。しかしながら、皇帝陛下の財務顧問であるブラッケ氏とリヒター氏の思想はともすれば急進的に偏りかねない。彼らが大学に寄稿した論文をお読みいただければ、誰でもそう感じるはずです。」
すらすらと語るアンジェリカにキルヒアイスやヒルダは驚いた様子を見せているが、彼女の素性を知るフェルナーからすれば彼女が大学の論文を読んでいたところで特に意外なことではない。
アンジェリカの性質を理解しているからだろう、ビッテンフェルトが黙ってそれを聞いている様子に夫婦関係の良好さを感じる。
「だとすれば、皇帝陛下に近いどなたかが財務尚書の席につかれ、彼らの上に立たれることが国家の安定のために一番よろしいことかと存じます。」
アンジェリカが「前世」で暮らした世界では、司法と中央銀行は権力と距離を置いて存在していたが、銀河帝国において司法は皇帝のものであり、中央銀行は財務分野に組み込まれている。
専制主義において司法が皇帝のものであることは当然かもしれないが、財政と金融については必ずしもそうではないというのが彼女の考えだった。
権力の源でありながら権力との距離を適正に保つ必要がある職務──その神聖な場所を守る人間には当然、鉄の意志が求められる。
一方で、急進的すぎる思想は、産声をあげたばかりのローエングラム王朝にはそぐわない。
「国家を想う気持ちをお持ちで、冷静な判断力と鉄の意志を兼ね備えた方、その方こそが財務尚書の任に相応しいと考えるのですが、いかがでしょうか。」
彼女が示す相手が誰なのかということを、その場にいる全員が理解した。
「なるほど。」
とキルヒアイスが言い、
「確かに。」
とヒルダが言った。
「だ、そうだが。」
とビッテンフェルトが視線を送る先で薄い目蓋を一度閉じ、オーベルシュタインが言う。
「お決めになるのは、もちろん皇帝陛下だが……。」
言いながら、ラインハルトがこの案を受け入れる可能性が高いであろうことを彼自身も承知している。
カール・ブラッケ、オイゲン・リヒターの処遇についてラインハルトが決断をしきれていないことは事実であり、キルヒアイスが皇帝から距離を置こうという今、自身にもその時が近付いていることを彼も感じていた。
「何事であっても陛下より賜ったものであれば、私はそれに従うのみ。」
自分も殺されることを承知しているからヤン・ウェンリーを葬ってしまえと剣呑なことを言っていた男の穏便な反応に、誰もが胸を撫でおろす。
一人、予感を感じていたのはフェルナーである。
「こちらを。」
一度部屋を出たアンジェリカが抱えてきた紙と電子データの束を受け取りながら、「やってくれたね」と小声で返す。
“産業育成と銀行制度改革について”、“証券取引所の設立に関する法整備について”と様々にラベルが貼られたそれらは、「かつて」金融マンだった彼がアンジェリカの書斎で一時期熱心に取り組んでいたものである。
「こちらをつくられたのが、フェルナーさんなのです。」
これに一番驚いた様子を見せているのがビッテンフェルトで、神経逞しい自身の部下が意外な特技を隠していたことに目を丸くしている。
「本当なのか、フェルナー。」
「ええ、まあ……なんというか、それはそれで専門というか、専門だったというべきか。」
言葉を濁しながらも彼はアンジェリカの言うことを否定はせず、おとなしくファイルの束を受け取った。
「まあ、人事であれば従うよりほかないっていうのはいつの時代も一緒みたいだし。」
そう独りごちてから、彼は上官であるビッテンフェルトに向き直った。
「閣下のもとで働かせていただいたことは小官にとって何事にも代えがたき名誉であります。しかし、新しい時代に求められる場所が他にあるならば、喜んで奉仕いたします。」
キルヒアイスが災難を逃れ、自由惑星同盟と講和が成された。
彼の希望は叶えられたのだ。
だとすれば、「戻るべき場所」に戻る日が来たとしても不思議ではない。
それを、受け入れている。
残る気がかりは、乱世の中で辛くも命をつないだ皇帝の親友の「想い」の行方。
アンジェリカも同様に思うのか、安堵の中にわずかに表情を曇らせてキルヒアイスを見ている。
そして、そのアンジェリカの視線の行く先に気付いたらしいもう一人の人物、自身の上官のことである。
(おかしな勘違い、しなきゃいいけど……。)
そばにいることができるなら、「奥様は閣下一筋ですよ!」といくらでも励ましてやれるのだが、きっとこれからはそうもいかない。
物語は今、彼の「知識」を超えて進行している。
美しく、輝かしい明日は、きっともうすぐそこなのだ。
そう思えばこそ、この世界で知り合ったアンジェリカと彼女の夫の未来も幸多いものであれと彼は願う。
美しき世界の創造主に、どうか人生の祝福を──。