その日のビッテンフェルト家は、高貴な客人を迎えていた。
ラインハルトからの求婚を受け入れ、皇帝の婚約者となったヒルダである。
一度見舞いに訪れて以来、アンジェリカに対して親しみを感じているらしい彼女が、「正式に結婚した後では自由に訪ねることもできなくなるから」と夫妻のもとを訪れたのである。
「このたびはおめでとうございます。」
微笑みを向けて祝いを述べたアンジェリカに、ヒルダが頬を染めた。
「アンジェリカ様に言われなければ、わたくしは……気付かなかったかもしれません。」
いつの間にこんな関係になったのだろうかと隣で聞いているビッテンフェルトも驚くが、過ごした時間よりも重要なことを二人の女性はどうやら共有しているようだった。
「臣下として、とはじめは思っていたのです。」
決戦へと向かうブリュンヒルトにヒルダが乗艦することを、ラインハルトは否定した。
彼女がそれを押し切ったのは、「ただ仰ぎ見るだけでなく、時に諫言さえも辞さず支えるべきだ」というアンジェリカの言葉を思い出したからなのだという。
危険だと言われるほど余計に側にいなければと思った理由を、純粋な忠誠心であるとはじめは考えていた。
しかし、ヤン・ウェンリーの攻勢の中で苛烈さを際立たせる彼を目の当たりにした時、自身の思いが別のところに根差していることに気付かされたのだと彼女は言う。
「離れたくない、離れてはいけないと……それに……。」
偉大な英雄としてだけではなく、一人の男性として彼を愛していたからこそ、危険に逸ることを押しとどめたいと彼女は願った。
彼の英雄から同じだけの思いを返された彼女は晴れて婚約し、このことは若き皇帝だけでなく銀河帝国全土にとっても新たな安定と輝かしい未来をもたらすだろうと誰もが感じていた。
「ヒルデガルド様なら、きっと素晴らしい皇妃様になられますよ。」
幸せを瞳に映すヒルダに、ビッテンフェルトも請け合った。
美しく聡明な女性であるヒルダならばラインハルトの知見にも応えることができるだろうし、彼女の冷静さと意志の強さは時に皇帝の苛烈さを諫める存在にもなってくれるだろう。
「努力いたしますわ。それに……。」
ブルーグリーンの視線が、ビッテンフェルトとアンジェリカを交互に見る。
「ビッテンフェルト提督とアンジェリカ様のような睦まじい夫婦になれるといいと思っております。」
この物言いには、ビッテンフェルトもおおいに照れた。
「い、いや……その、なんというか……。」
美しいだけでなく意外な逞しさをもった妻は、今や確かにビッテンフェルトの人生の一部であった。
身分違いの結婚で、当初こそ何から何まですれ違っているような時期も実際にあったのだが、それを乗り越えたからこそ今の二人がある。
「私には足りない部分が多くありますが、それを補ってくれるのが妻なのです。」
武辺者と呼ばれることこそ誇りと思っていた彼だが、今は勇気あるだけでなく柔軟な戦略を駆使する銀河帝国の勇将と評されているし、情に厚い一方で鋭い政治感覚があるという本人でさえ意外と思う評判さえ賜っている。
地位を上げるごとに視野も広がったと周囲は言うが、それが妻の影響であるということをビッテンフェルトは自覚していた。
質問攻めの妻に請われて軍事軍略やら戦史やらも随分と学び直したし、マッテルスブルクの大領を預かることで行政に関する知識も増えた、何よりも軍務以外の国家運営について関心をもつようになったのは議論好きの妻の影響が大きいと彼は言った。
「まあ、それではまるでわたくしが口やかましい妻のようではないですか。」
反感の言葉を口にするアンジェリカだが、その表情は穏やかなものだ。
「実際口やかましかっただろう。世間知らずな娘だと義父上は言うのに、まるで違うと俺は焦ったのだぞ。」
答えながらビッテンフェルトも笑うと、二人のやりとりを眺めていたヒルダも微笑んで言う。
「本当に仲がよろしいのですね。」
再び照れたように笑ったビッテンフェルトだが、彼自身も今の自分たちのことをその通りだと考えていた。
結婚とは幸せなことだとはっきりと思ったし、過去の戸惑いさえも今や愛しく感じている。
「皇帝陛下とヒルデガルド様はどんなご夫婦になられるのか、我々も楽しみですよ。」
明るい未来を思い浮かべ、誰もが心を和ませた時だった。
「失礼いたします、旦那さま。」
不意の来客を執事が告げた。
訪問者の名前を聞いたビッテンフェルトは、それを目の前の二人に告げるべきかどうか迷った。
しかし、約束もなしにやってきたということは余程の急用であることが推察され、無下に追い返すこともできない。
それでも迷うだけの人物だった。
「どなたかいらっしゃったのですか。」
ヒルダに問われてなお、ビッテンフェルトは躊躇った。
しかし、結局はそれを告げた。
「それが、ヒルデガルド様。キルヒアイスとオーベルシュタインだというのです。」