それは、怒濤のごときエネルギーの波動であった。
漆黒に染め上げられた艦隊は、同盟軍参謀長チュン・ウー・チェンの計算外の方向から姿を現した。
同盟軍艦隊の前に広がるエネルギーの大河。
破壊された戦艦や宇宙空間によって命の終末を強要された兵士たちの屍が、揺らめく波間をごうごうと漂っている。
同盟軍の参謀長は、敵軍はこの奔流を強行突破して進軍してくるはずだと予想していた。
それは、この宙域に進軍してきているのが、勇猛で知られるビッテンフェルト提督の
実際にビッテンフェルトはそう動いていたし、同盟軍のレーダーは彼らの動きをとらえてもいた。
だからこそ、彼らは帝国軍の動きを計算し、艦隊が流れを渡りきるポイントで彼らを叩こうと待ち構えていたのだ。
予想が狂ったのは、川の流れを迂回するよう動いた別働隊が太陽風を利用してスピードを上げ、彼らの左翼に現れたからである。
突如現れた黒色の艦隊に慌てて砲門を開くが、敵の光子弾が彼らを叩くほうが早かった。
整然と居並ぶ同盟軍の艦隊は、血に飢えた猛獣の格好の餌食となる。
崩れかけた艦隊群をなんとか立て直そうとする同盟軍に、彼らが計算しきった通りのタイミングでビッテンフェルトの本隊が現れた。
左翼に向けられていた砲門を正面に向けようとするが、一度崩れた連携を立て直すことは難しい。
容赦なく打ち込まれる閃光は、同盟軍の艦隊を爆破し、四散させ、光年の彼方へと次々と葬り去っていく。
同盟軍の老将、アレクサンドル・ビュコックは残った艦隊をまとめて辛くも退却したが、その惨状はほとんど殲滅といっていいほどだった。
ビッテンフェルトとビュコック、この二将によるランテマリオ星域での戦いは、銀河帝国軍の勝利を決定づけるものとなったのである。
その後、ヤン・ウェンリーによる後続軍へ襲撃により一時は混乱した帝国軍ではあったものの、やがてラインハルトの一声に鋭気を取り戻し、整然さを取り戻して順次ウルヴァシーに集結していく。
それは、戦勝と呼ぶのに十分な状況であった。
一方で、予定外の刃こぼれもあった。
ヤン・ウェンリーの謀略と思われるゲリラ攻撃によって、補給線を叩かれたのである。
あげく、「目には目を」と敵の補給基地を叩く作戦を逆手に取られ、圧倒的軍事力の差を有しながら、帝国軍は心理的抑圧を強いられる事態を招いたのである。
このことに、苛立ちを募らせたのは他ならぬラインハルト自身だった。
彼は輸送艦隊を全滅させたゾンバルト少将を厳しく処断し、ワーレン艦隊の作戦失敗こそ赦したものの、次第に苛烈さを際立たせていった。
当然、ラインハルトの剣である諸提督の間にも彼の感情の昂ぶりは伝播していく。
ウルヴァシーに作られた急ごしらえの士官用のラウンジで、貴重な補給品の酒でグラスを満たしながら、主要な提督たちが苦り顔を突き合わせていた。
「いっそ、八四カ所の補給基地をことごとく破壊すれば良い。」
ファーレンハイトは言ったが、ロイエンタールはこれを「机上の空論」と一蹴した。
「奴らのパターンを分析してこれに当たってはどうか」と若いトゥルナイゼンが提案したが、「馬鹿か」とあからさまに否定したのがビッテンフェルトだった。
「パターンが読み取れるまで待っていたら、何年かかるか知れたものではない。」
彼はそう言ってからトゥルナイゼンを無視して他の提督たちに向き直り、最もシンプルな作戦案を告げた。
「ヤン・ウェンリーがどう動き回ろうと、そんなものはほうっておいて敵の首都を直撃すればいいのだ。」
これに反論したのが、ミッターマイヤーだった。
「そして、我々は本国へ引き揚げる。すると無傷のヤン・ウェンリーがいずこかの補給基地から出てきて首都を奪還し、同盟を再建するだろう。それを倒すために、また遠征しなくてはならん。」
ミッターマイヤーの意見はもっともなもので、誰もが彼に同意して頷いた。
かつてのビッテンフェルトであれば、ミッターマイヤーの冷静さに刺激を受け、却って攻撃的な姿勢を顕著にしただろう。
しかし、彼の発言は違っていた。
「同盟からヤン・ウェンリーを奪ってしまえば良いではないか。」
「なに?」
ビッテンフェルトの意見はこうだ。
ハイネセンを占領した上で講和し、自由惑星同盟と銀河帝国の間に互いに弁務官を置き合う形にすれば良い。
その弁務官にヤン・ウェンリーを望めば、彼は同盟のために戦うことはできなくなる。
「だが、それでは……。」
同盟領を完全に制圧したとはいえず、ただの一時的な講和に過ぎないだろうとミッターマイヤーが言おうとした時だった。
「私も、ビッテンフェルト提督の案がよろしいように感じます。」
発言をしたのは、かつてであれば必ずラインハルトの側にいたはずのキルヒアイスである。
今、ラインハルトの近くにいるのはオーベルシュタインか、あるいはヒルダであることが多い。
その分、確かにキルヒアイスは諸提督と共に在ることが増えてはいた。
だからといって、ラインハルトに最も近いはずのキルヒアイスが「宇宙を統一する」というラインハルトの目標と異なる発言をしたことに誰もが驚いた。
「キルヒアイス?!」
「宇宙の統一はローエングラム公の最大の目標。しかし、公は彼の土地のどの指導者よりもずっとお若い。だとすれば、今すぐにそれを成し遂げる必要は必ずしもないのではないでしょうか。」
「確かに、国内は内乱の影響もあって疲弊している。我ら軍属としては遺憾なことではあるが、名誉ある選択と言えないこともない。」
キルヒアイスの発言にロイエンタールが頷く。
「しかし、どうだろう……ローエングラム公はその選択をなさるだろうか。」
問いかけながら、ミッターマイヤーの気持ちも停戦へと傾きつつあった。
補給線を叩かれ、長期間の戦闘は難しい。
オーディンに戻るか、敵の首都へ乗り込むか、あるいはヤン・ウェンリーを葬り去るか。
三つの選択肢を比較した時、「敵の首都を奪取し、外交によって最大の邪魔者であるヤン・ウェンリーをハイネセンから引き離す」という当座の案はもっとも現実的かつ有用に思えたのである。
しかし、彼らの考えは、ラインハルト自身によってあっさりと否定された。
彼自身の手でヤン・ウェンリーを打ち破ることを、ラインハルトが求めたためである。
すでに宇宙の覇者となりつつあるラインハルト自身を危険に晒すべきではないと秘書官であるヒルダは諫めたが、ラインハルトは取り合わなかった。
ラインハルトにとってヤン・ウェンリーは宿敵であり、運命の好敵手とも言える存在である。
軍人としての集大成として、偉大なる王はヤン・ウェンリーの命をこそ望んだ。
やがて、銀河帝国軍の諸提督は各星域へと出立し、ラインハルト自身もオーベルシュタインを伴ってガンダルヴァ星域を出発する。
「おそらくバーミリオン星域あたりで敵と接触することになりましょうな。」
彼の参謀がそれを告げた頃、同盟軍の司令官、ヤン・ウェンリーは彼の幕僚たちとともに苦手なコーヒーを啜っていた。
彼らの運命は今まさに「歴史」通りのルートを描き、在るべき場所へと進もうとしていたのである。