ビッテンフェルト提督の麗しき結婚生活   作:さんかく日記

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【2】アンジェリカの決断

都内の進学校を卒業して、すぐにアメリカへと渡った。

一年をかけて準備した願書は無事に受理され、半年後には念願だった名門大学の門をくぐっていた。

卒業後は帰国して金融機関に勤め、MBAを取得、転職してからはコンサルティングファームの一員として企業経営のサポートに当たった。

仕事は充実していて、まさにこれからという時期だったと思う。

いくつかの同業者や金融機関、外資系のIT企業から転職の誘いがあり、結婚を控えた恋人との生活に向けて、マンションの見学にも出かけるようになっていた。

 

それが──

 

「アンジェリカ、アンジェリカ!聞こえるかい、まさかまた具合が悪く……?!」

呼びかける初老の男性の声に、遠くなっていた意識が戻ってくる。

 

「アンジェリカ、大丈夫かい?」

 

「え……。」

目の前に広がるのは、ヨーロッパ風の豪奢な白壁。

いけられたまぶしいほどの春の花、美しく装飾の施された窓から差し込む日差し。

どこのホテルだっけ、というかこんなホテル都内にあったかな、と彼女は思った。

 

しかし、次の瞬間──雷に打たれたかのごとく、突如として甦った記憶。

 

あの日、マンションの内覧のための待ち合わせ時刻に「彼」は現れなかった。

内覧の後には結婚式場で進行に関する打ち合わせが予定されており、休日の予定は「彼」の名前で埋まっていたはずだった。

それなのに、「彼」はついにやってこず、電話にもでない。

一人きりで向かった結婚式場で打ち合わせを済ませ、何かあったのではと不安を感じながら家路につこうとした時。

たった一本の電話で、結婚を目前にして恋人にフラれた。

 

目眩がして、立っていられなくなって、だけど頼る人もいなくて。

どうしよう、と呆然と見つめた景色が最後の記憶だった。

そういえば、こちらに向かって走ってくる車を見たような気がする──そこまで考えて、また目眩が襲ってきた。

今度は「記憶」ではなく、現実として。

 

 

「ああ、アンジェリカ……すまなかったね、私が悪かった。おまえに幸せになって欲しいと思ってのことだったが……また負担をかけてしまったようだ。」

再び目覚めた時、心配そうに自分を覗き込む初老の男が誰なのかを彼女は理解していた。

マッテルスブルク侯爵、ゴールデンバウム王朝の有力貴族であり、富裕なマッテルスブルク星系を治める領主、そしてアンジェリカ・フォン・マッテルスブルク、彼女の父親である。

 

「……ごめんなさい、お父様。もう少し休んでもよろしいでしょうか。」

そう告げてからしばらく、自室のベッドに横になって彼女は思い出していた。

アンジェリカ・フォン・マッテルスブルクの半生を、そして遠い日の日本で恋人にフラれた末にどうやら命までなくしてしまったらしい自分のことを。

 

何はともあれ、現状の把握である。

そう考えたのは、彼女の仕事人たる所以であった。

 

アンジェリカ・フォン・マッテルスブルクは、現在22歳。

ゴールデンバウム王朝が支配する銀河帝国の有力貴族の娘である。

彼女は麗しく清廉な容姿をもっていたが、病弱であった。

このため学校にもあまり通えずに、父親の領地で過す時間が長く、極めて世間知らず。

彼女を後宮にという話もあるにはあったらしいが、あまりに病弱な身体であったため赦されてついに惑星を離れることなく今日を迎えることになった。

今日、それはアンジェリカのためにと父親が探してきた有力貴族の次男との見合いの日である。

 

今生の自分について冷静に分析を続ける中で、自身が生きる世界について気がついたことがある。

ゴールデンバウム、銀河帝国、聞き覚えのある響きだと頭の中で繰り返しているうちについに辿り着いた答え──彼女が生きるのは著名なスペースオペラ「銀河英雄伝説」の世界、そして時代は帝国歴487年、フリードリヒ四世の治世下である……!

 

「な、んで……。」

どうして、とはまず思った。

どうしようもない、と次に思った。

そして落胆した、病弱な自身の身体にも、女性であれば家を守るしかない世界であることにも。

あのまま人生を続けていれば、結婚はともかくも仕事だけは順調だったはずだ。

 

(働くこともままならないし、か弱い貴族のお嬢様なんて……この先どうやって生きていったらいいの。)

 

「銀河英雄伝説」、その長大な物語を思い出してみる。

学生時代に友人に勧められて読んだ気がする──とそこまで考えて、重大な事実に行き着いた。

 

(そういえば……最後まで読んでない……?!)

彼女は思い出していた。

文学より数字が好きだった自分、物語は特に苦手で、一ページ進むだけで強烈な眠気に襲われた自分、最初の一冊を読み終わらぬうちに諦め、友人への建前のためにネットであらすじを調べた自分……。

 

(どうしてちゃんと読まなかったの!)

過去の自分の横着を恥じた、友達を誤魔化そうとした自分を反省した、なんでもネットで片付けようとした安易さを後悔した──すべて遅かったけれど。

なんという不運!と、自分を呪いそうになった彼女だったが、一つだけ良いこともあった。

 

(あれ、なんだか……身体が軽い!気がする!)

病弱だったはずのアンジェリカの身体だが、彼女が「前世」の記憶を取り戻すと同時、体質も「前世」のほうに幾分寄せられたらしい。

仕事も生きる手段もなく、しかも病弱!と落胆した後だっただけに、これは彼女の気力をおおいに景気づけた。

 

そして──

 

(すっごい美人……いや、知ってたけど。)

ベッドから起き上がって、鏡を見る。

22年間付き合ってきたはずの容姿だが、こうして前世の記憶をもって眺めるとなんとも不思議な気持ちになる。

鏡に映るアンジェリカ・フォン・マッテルスブルクは、まさに純真可憐な乙女。

美しい髪や透き通るような肌、きらきらと輝く瞳を縁取る長い睫毛、女性であれば誰でも憧れる麗しい容姿もまた、彼女の気分をいくらか改善させた。

 

 

やがて彼女は自室を出ると、広大な屋敷の居間にいる父親のもとへと向かった。

 

「ああ、アンジェリカ!もう大丈夫なのか?見合いの最中に倒れてしまうなんて……心労をかけたね、お父様が悪かったよ。」

母親を亡くし、病弱で趣味といえば花を愛でるだけのアンジェリカを侯爵は溺愛している。

なんとか幸せな結婚をさせて、人並みの人生を歩かせてやりたいと、病弱な娘を支えてくれる相手を探して東奔西走していたことは、アンジェリカも知っていた。

 

「ええ、お父様。もう大丈夫。だけど……。」

しかし、見合いの話は受け入れるわけにはいかない。

彼女の知識が正しければ、ゴールデンバウム王朝はやがて崩壊し、同時に有力貴族たちの多くが破滅する──Wで始まるサイトに確かそう書いてあった。

 

「お見合いの話は少し待っていただけませんか。」

 

「しかし、アンジェリカ。私はおまえのことが心配で心配で……。」

父の心配はもっともだが、だからといって実家ごと滅んでしまうような相手は絶対に困る。

とにかく、貴族はいけない。

 

「確かに優しそうな方でしたけれど、わたくしはもっと……。」

言いかけて、次の言葉が見つからないことに気づく。

 

彼女がかつて過した世界──前世の恋人は自分と同じ仕事人間だった。

なんでも対等に話せるのが嬉しかったし、頼もしくもあった。

けれど、彼はそんな関係を望んではいなかったのだと最後になって知った。

別れの電話の言葉が、今更のように甦ってくる──「俺がついていてあげなきゃダメなんだ、だから彼女と一緒にいたい。おまえにはもう気持ちがないんだ、別れて欲しい。」

好きだったな、愛してた……。

思い出せば胸が苦しくて、つい涙が溢れそうになる。

けれど、「前世」で自分を捨てた相手のために、今更泣いたりはしたくない……!

 

「アンジェリカ……?」

心配そうな顔で、父親が見つめている。

その父親を見返して、彼女は言った。

 

「もっと逞しくて壮健な方……できれば、軍人の方がいいわ。」

病弱なせいか、何事も言われるがままだった娘の言葉に父親は驚かされ、普段の温厚な顔を崩して驚いた。

 

「ぐ、軍人?!」

ここが「銀河英雄伝説」の世界ならば、ゴールデンバウム王朝崩壊後に実権を握るのは、新皇帝に使える軍人たちだ。

マッテルスブルク侯爵家は有力な門閥貴族、だとすれば──何もしなければ破滅、貴族と結婚しても破滅、その可能性が極めて高い。

「その日」がいつ来るのかわからないが、とにかく自身やマッテルスブルク家を救う方法は一つ、来たるべき新帝国の有力軍人を夫とすること!

 

「お父様、ラインハルトさんという方はどなたかしら。」

 

「ラインハルト……ミューゼル、いやローエングラム元帥のことだろうか。」

父の話によれば、ラインハルトは華麗な戦歴を重ねて元帥に昇進したばかりの20歳、つい先頃に元帥府を開いて若い提督たちを招聘したばかりだという。

 

「アンジェリカ、おまえはローエングラム伯と結婚したいのかね。」

 

「いいえ、お父様。」

ラインハルトはダメだ、主人公が二人とも死ぬというのが物語最大の衝撃だったはずなのだから。

けれど、誰なら……?

 

「ローエングラム元帥府の提督のお名前を教えてくださらない?」

見違えるような娘の様子に父親は驚くばかりだが、結局はアンジェリカの質問に答えて名前を告げた。

 

「ミッターマイヤー提督、ロイエンタール提督、ケンプ提督、メックリンガー提督、ビッテンフェルト提督……それから、」

 

「ビッテンフェルト提督!」

その名前には聞き覚えがあった。

「作者が殺し損ねた人物が二人いる」、そう書かれていたまとめサイトを思い出す。

もう一人が誰なのかは結局思い出せなかったが、ビッテンフェルトの名前は覚えている。

 

「お父様、ビッテンフェルト提督はご結婚なさってるのかしら?」

 

「さ、さあ。どうだろうか……。」

平民出身の軍人であるビッテンフェルトは、アンジェリカの父親にとって積極的に許容できる相手では決してなかった。

しかし、病弱で意志薄弱だった娘が示した初めての希望を、彼は結局受け入れた。

オーディンに向かったアンジェリカの父は、早速にラインハルトのもとを訪れると、愛してやまない娘の見合い写真を差し出して言った。

 

「ぜひ、ビッテンフェルト提督をご紹介いただきたい。我が娘たっての願いなのです。」

写真を手にしたラインハルトは一瞬沈黙したようだったが、やがて喜んで申し出を受け入れた。

 

こうして、アンジェリカ・フォン・マッテルスブルクは、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトとの見合いを行うこととなったのである。


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