ビッテンフェルト提督の麗しき結婚生活   作:さんかく日記

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【19】巡りあう時

ヒルダの印象では、ビッテンフェルトの妻は儚げな雰囲気の美人といったところである。

猪武者のビッテンフェルトと淡雪のような妻という組み合わせは意外であったが、ビッテンフェルトが溺愛するというのも確かに頷ける美貌であった。

故郷の惑星に籠もったままの病弱な令嬢と聞いていたヒルダは、アンジェリカを哀れにこそ思うものの、自身とは別の世界の住人というように割り切って考えていた。

 

「過ごしにくい季節が近づいてきましたわね。お具合はいかがですか。」

折り目正しく気候を話題に出して、ヒルダはアンジェリカの具合を尋ねる。

 

「夏の日差しはどうも苦手で……でも、夫は夏が好きだと申していますから、美点も多い季節なのでしょうね。」

当たり障りなく言葉を返しながら、アンジェリカもヒルダを観察する。

若く、聡明な秘書官である彼女は、「原作」中で非常に大きな役割を果たす人物である。

「原作」の彼女は、キルヒアイスを失ったラインハルトを支え、控えめでありつつも、時には諫言を辞さない意志の強さを持ち合わせている。

 

彼女がキーマンなのだと、アンジェリカは思っている。

愛が世界を変えるなどと感傷的な言葉で言い切るつもりもないが、それでも人に「情」を教えるのは恋や愛であるというのも事実だとアンジェリカは思う。

歴史上の偉大な為政者たちを親愛や情が動かした例は、実際に多くある。

ラインハルトの行動の原点が幼い日の憧憬や姉への思慕であるとするならば、尚更にチャンスはあると思えた。

 

一通りの世間話の後で、アンジェリカはそれとなく告げた。

 

「ヒルデガルド様は、ローエングラム公のお側にいて……恐ろしくなることはありませんか。」

ティーカップを間において座る相手を見れば、直接的な表現がヒルダの関心を引いたようだと見て取れた。

 

「恐ろしく?」

 

「ええ、わたくしなどは……夫が無事に帰ってきてくれるかといつも不安で。このようなことでは軍人の妻は務まらないのかもしれませんが、つい気弱になってしまうのです。」

言いながら、ヒルダの瞳の中を観察する。

まずは彼女に、ラインハルトへの感情を自覚してもらうことが肝要なのだ。

「原作」では自分の感情に鈍感という設定らしいが、それをどう引き出すべきかと思案しながら、アンジェリカは彼女の反応を待った。

 

「ご夫婦であればこそ、そう思われるのでしょうね。」

まるで他人事だと割り切って微笑みを返すヒルダは、なるほど「原作」通りの鈍感さらしい。

 

「でも、ローエングラム公はとてもお美しい方ですし、お人柄も素晴らしく……女性なら憧れる気持ちになるのではありませんか。」

アンジェリカのほうも決して駆け引きが得意なタイプとは言えない。

露骨な表現かと思ったが、ヒルダはそれを気にとめない代わりに、恋情とはほど遠い答えを言って返した。

 

「あの方ほどすべてをもってお生まれになった方はいらっしゃらないでしょう。お姉様のグリューネワルト伯爵夫人と並ばれると本当に絵画のようで……。」

 

「ヒルデガルド様も十分にお美しくていらっしゃいますけど……!」

ラインハルトにとって、ヒルダは運命の相手なのだ。

少なくともフェルナーの解釈ではそうなっている。

若き皇帝の苛烈さと孤独、そして不器用ささえも受け入れて、彼を愛することのできる唯一の女性、それが彼女のはず。

しかし、アンジェリカの願いが届く気配はない。

 

「ローエングラム公には……その、決まった方がいらっしゃるのでしょうか。」

 

「さあ、どうでしょう。」

 

「公爵ほどの方であれば、女性がほうっておかないかもしれませんわね。」

 

「ふふ、確かにそうかもしれませんね。」

所詮は社交場の無駄話と思っているのか、まったく取り合おうとしないヒルダにアンジェリカは焦れた。

「前世」の彼女は仕事人であり、他人に恋愛を語れるほどの経験があると思ってはいない。

しかし、一応は婚約をしたこともあるし、彼女なりに愛しさや幸福感、ほろ苦さや切なさを知っているはずと考えてはいる。

それに、今だって……。

 

「……素晴らしい方とただ仰ぎ見るだけなのは、無責任ではありませんか。」

議論の矛先を変えようと発したはずの声は、アンジェリカ自身が考えていたよりも険のあるものとなってしまった。

はっとなって慌てるが、それ以上に驚いた様子を見せたのがヒルダだった。

 

「無責任、とおっしゃったのですか。」

十分に批判ととれる発言だ、言うべきでなかったのは確かだし、女性とはいえ自分はローエングラム元帥府の提督の妻、許されないことを言ってしまったかもしれないとアンジェリカは思った。

しかし、一度発してしまった言葉を取り消すことは今更できない、だとすれば進むだけ──アンジェリカは膝においた手を握りしめる。

 

「古代、アレクサンドロス大王はエジプトからアジアまでを制しましたが、彼の死後、世は乱れました。ヨーロッパを制した皇帝ナポレオンは、一度の敗戦をきっかけに体制崩壊にいたり、混乱の後、血で血を洗う革命の時代を招きました。」

ブルーグリーンの知性ある瞳が、大きく見開かれている。

 

「どんなに立派な方であっても、意志を継ぐ者と仕組みがなければ、体制は壊れてしまう。英雄の築いた世の中を継続するために必要なことは……共に考え、時に諫めることができる臣下と、ともに未来を見据えた仕組みを作っていくことなのではないでしょうか。」

覇道を成し、さらに持続可能な社会をつくるために必要なのは──より多数の視点であり、多くの担い手であり、覇者の意思を継いでいくための仕組みなはずだ。

偉大な創造主は、確かに現れた。

しかし、それを支える臣下たちは、自分たちの果たすべき未来の役割を理解しているだろうか。

 

「どれほど偉大な方でも、たった一人ですべてが成せるわけではないのです。だからこそ、ただ崇めるのではなく、周囲が支えていかなければいけない。偉大な英雄の治世を次の世に引き継いでいくためにも、たったお一人にすべてを背負わせるようなことはあってはならないはずです。」

 

「アンジェリカ様、あなたは……。」

何者なのです、という言葉を飲み込んでヒルダはアンジェリカをじっと見た。

可憐で病弱な人妻であるはずの彼女は、今確かに知性の光を宿してヒルダを見返している。

偶然のこととはいえ、自身やキルヒアイスが感じていた「臣下としての真の役割」という疑問に対する答えを言い当てたかのようなアンジェリカの言葉に、ヒルダも驚きを隠せずにいた。

 

「ヒルデガルド様。」

アンジェリカは、本音でもってこのプレゼンを締め括った。

 

「わたくしは夫に死んで欲しくありません。ローエングラム公も、他の提督方も、この世界に暮らす誰にも……理不尽に死んで欲しくない。わたくしにできる何事かがあるなら、どんなことだってしたい。そう願うのは、おかしなことですか。」

果たしてアンジェリカの思いは、ヒルダに届いたのだろうか。

彼女は言葉を返さなかったが、意志を宿すブルーグリーンの輝きにアンジェリカは確かに希望を感じた。

 

キルヒアイスやヒルダならば、心優しく聡明な彼らであれば、来たるべき破滅を防いでくれるのではないか。

 

しかし──アンジェリカの願いは、虚しく途切れることとなる。

ローエングラム公ラインハルトは、彼の目的を遂げるための開戦をついに選択する。

イゼルローンの攻略の失敗とほぼ同時期に起こった幼帝の誘拐事件が、銀河帝国と自由惑星同盟の本格交戦の幕を切って落とし、ビッテンフェルトやキルヒアイス、そしてヒルダを乗せた銀河帝国軍の艦隊は、ついに覇道を極めるための旅路へと飛び立っていったのである。


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