ビッテンフェルト提督の麗しき結婚生活   作:さんかく日記

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【13】転生者たち

ビッテンフェルト家の執事は、その日の珍客をはらはらした思いで迎えていた。

その日の客が、当主であるビッテンフェルトが知れば激怒するに違いない人物だからである。

その人物は、客間でアンジェリカと何やら話し込んでいるようだが、絶対に立ち入らないようにと使用人たちはアンジェリカから強く頼まれていた。

来客──つまり、ビッテンフェルトの部下であるアントン・フェルナーがアンジェリカを訪ねて来たのは、軍務に復帰したビッテンフェルトから、「提督以上の者による会議と会食で帰りが遅くなる」と告げられた日の午後であった。

 

使用人たちのどこか不審そうな反応はアンジェリカも気付いていたが、彼女はかまわずにフェルナーを客間に迎えた。

外聞を気にするよりも重要なことが、彼女にはある。

 

「フェルナーさん、あなたは……。」

長い沈黙の後で、アンジェリカが慎重に口を開く。

しかし、フェルナーのほうはとっくに承知していたとばかりの大胆さで事実を告げた。

 

「銀河英雄伝説……あなたもそれをご存じということですね、フラウ・ビッテンフェルト。」

愛読書だったという作品についてフェルナーはどこか嬉しそうに話し、自分が「前世の知識」を思い出したのはアンジェリカよりもずっと昔だと告げた。

 

「だけど、自分がフェルナーになってるなんて……どうせなら、ヤン・ウェンリーが良かったよ。」

飄々とした様子で話す彼は、「この世界」についてかなり詳しいらしい。

 

「そりゃあそうだよ、これほどの名作を読まずに返しちゃうなんて随分もったいないことをしたものだね。」

学生時代に友人に借りた本を、ほとんど読まずに返してしまったというアンジェリカに嘆息して、それから彼はまっすぐに聞いた。

 

「で、どうしてビッテンフェルト提督と結婚してるわけ?」

「原作」をよく知る彼からすれば、なぜわざわざビッテンフェルトを夫に選んだのかがわからないというのだ。

女性が好む登場人物は他にたくさんいるし、アンジェリカとビッテンフェルトでは見るからに不釣り合いだと彼は笑った。

「お似合いだ」と散々にお世辞を言っていたくせに、実はまったく思ってはいなかったらしい彼の割り切りの良さに呆れながらも、アンジェリカも仕方なく動機を告げた。

 

「あはは……!え、本当に?!それは知ってたんだ?!いや、面白いなあ。確かに、ビッテンフェルト提督は“作者が殺し損ねた男”って有名だけど。」

キルヒアイスの悲劇もロイエンタールの終幕も知らないのに、それだけは知っていたのかと、フェルナーはいかにも可笑しそうに腹を抱えて笑った。

しかし、ひとしきり笑い終えると、彼はふと真顔になる。

 

「だけど……どういう偶然かな、”歴史”は少しずつ変わっているみたいだ。」

ガイエスブルクでキルヒアイスが命を取り留めたことに触れ、フェルナーは首を傾げる。

 

「それに俺だけじゃなく、犬までビッテンフェルト提督のところにいるなんて……。」

 

「犬?」

ビッテンフェルトが連れてきたダルマチアンの老犬のことらしい。

未だ名前のない愛犬のことを思い、アンジェリカは寂しそうに目を伏せるが、フェルナーが言うには、ダルマチアンがビッテンフェルト家にいるのは「原作との大きな相違」らしい。

「原作」では、ダルマチアンはラインハルトの参謀であるオーベルシュタインに拾われ、彼の人間性を示す貴重なアイテムになっているらしいのだ。

そしてまた、フェルナー自身も、本来ならばオーベルシュタインの部下になるはずだったのだと言う。

 

「あの時は、君の旦那さんに思いっきり殴られて大変だったんだよ……。」

今でも痛みを思い出すくらいだと頬をさすってみせて、フェルナーは思案顔をつくる。

アンジェリカは、気になっていたことを素直に聞いた。

 

「あなたは……アントン・フェルナーとしてどう身を処すつもりだったの。」

フェルナー自身の説明では、彼はラインハルトの暗殺未遂をきっかけにオーベルシュタインの部下となり、やがて物語の「結末」を迎えるのが本来なのだという。

しかし、そこに至るまでの過程はまさに戦乱と権謀の連続であり、話を聞くだけでぞっとするとアンジェリカは思う。

それを受け入れるつもりだったというのだろうか。

 

「いいや、もちろん違うよ。」

彼女の疑問に、フェルナーはあっさりと首を振る。

 

「俺としては、ローエングラム公を暗殺して……そのまま自由惑星同盟に亡命するつもりだったんだ。だから、「原作」よりも人数を増やして工作したし、作戦も綿密に練った。」

「君のご主人に邪魔されて頓挫したけどね」と悪びれずに言う彼の発言内容の過激さに、アンジェリカは思わず青ざめた。

 

「あ、んさつ……。」

明らかに慣れない言葉で、口にするだけでもおぞましい。

けれど、フェルナーはあくまでも自身の安全のための措置なのだと主張する。

 

「ローエングラム公が亡くなれば、銀河帝国はもとの貴族中心社会に戻るだけだ。俺は前世では銀行員だったし、自由惑星同盟のほうが断然に水が合う。だから亡命してあっちで仕事でも探してのんびりと過したいと思ってたわけ。」

戦争に巻き込まれるのもオーベルシュタインの配下で権謀に腐心するのも、あげく暴動で負傷するのもまっぴらごめんだと彼は言って、しかし皮肉に口唇を歪めて見せた。

 

「まあ、今となっては……亡命どころじゃなくなっちゃったけどね。」

ラインハルトの権力は、リップシュタットの戦役とリヒテンラーデ公の排斥によって盤石となり、彼の右腕であるキルヒアイスも存命している。

銀河帝国が自由惑星同盟を滅ぼすことはまず間違いないだろうと彼は述べ、

 

「もっともその先はまったくの未定だよね。ローエングラム公の寿命も、キルヒアイス提督との関係も、オーベルシュタインやロイエンタール提督がどんな運命を辿るのかも、さ。」

自身やアンジェリカの存在が、微妙に「歴史」を変化させつつあるようだとフェルナーは推察してみせる。

彼の言葉は、アンジェリカを不安にもしたし勇気づけもした。

戦争や権謀という暴力的な世界など、アンジェリカにとっては恐ろしいだけだ。

ビッテンフェルトの「死なない」という未来を信じて家に籠もっていればあるいはいいのかもしれないが、キルヒアイスやその他の提督たち、顔を知る人々が悲劇をたどるのかと思うとそれも苦しい。

一方で、「歴史」が変化しつつあるのだとすれば、また違う未来があるのではないかとも思うのだ。

 

「誰かが死ぬのが辛いって……思ってる?」

フェルナーに尋ねられて、アンジェリカは伏せていた顔を上げた。

人を食ったような態度と潔いほどの割り切りの良さで、先ほどまではつらつらと淀みなく話していたはずの男が、気がつけば顔を曇らせている。

 

「……わかるよ。」

重い口調で言って、彼はため息をついた。

 

「ヴェスターラントの映像を見た時……ぞっとした、いや、ぞっとしたなんてものじゃないな。恐ろしくて恐ろしくて、立っていられないんじゃないかってくらい……とにかく怖くて全身が冷たくなっていくような思いだった。」

人民が虐殺される光景に恐れおののき、この後でキルヒアイスがブラスターに貫かれて死ぬのだという差し迫った現実に震えが止まらなくなったと彼は言う。

 

「人が……死ぬところなんて見たくないよ、そりゃあね。」

ラインハルトを暗殺しようとしたという人間の台詞とも思えないが、彼の目は確かに暗い影を落とし、「読むのと見るのじゃ大違いだ」と苦しそうに声を絞り出して、アンジェリカに向かって口唇を歪めて見せた。

二人はただ沈黙し、持て余した行き場のない感情をため息に変えるしかできない。

物語の世界といっても、宇宙はあまりに広く、自分たちはほんの小さな存在に過ぎないのだ。

現実は重苦しくのしかかり、救いを求めたところで容易に拓けそうな道はどこにもない。

 

 

「ねえ、」

長い沈黙の後で、フェルナーが声の調子を変えて言った。

どうやら話題を変えることで、気分を紛らわせようとしているようだった。

 

「俺は銀行員だったわけだけど、君は一体どんな人だったの?」

昔話でもするような口調にアンジェリカの心もいくらかほぐれ、なんとか口唇に微笑みを浮かべて言葉を返す。

 

「私も銀行で働いたことがあるよ。日系じゃないし、MBAを取った後すぐにコンサルに転職しちゃったんだけど。」

 

「えー。」

じとっとしたフェルナーの目線がアンジェリカに向けられる。

 

「なんか聞きたくなかったかも。じゃあ、大学は?」

 

「えっと、アメリカの……。」

 

「ああ、もう!自慢かよ!全然敵わないじゃないか!」

華やかなキャリアに「やっぱり聞きたくなかった」と大げさに喘いで見せて、しかしすぐに何かを懐かしむような眼差しに変わる。

 

「だけど、良かったのかな。一人じゃ心細かったし、それに……。」

言いかけて、フェルナーは何か思いついたとでもいうようにはっと目を見開いた。

 

「頭、いいんだよね?!」

 

「え、どうかなあ。」

 

「いや、いいよ!多分、というか少なくとも俺よりは優秀だろ?!」

まさか肯定するわけにもいかずアンジェリカは眉を下げるが、フェルナーはまったく気にしていないらしい。

腰掛けていた椅子から立ち上がると、膝の上に置かれていたアンジェリカの手を両手でぐっと掴んだ。

 

「俺の知識と君の頭脳とで……もしかしたら、未来を変えられるかもしれないじゃないか!どう?やってみないか?!」

 

「え……。」

アンジェリカは思い出していた。

夫と出会ってからのこと、書斎に籠もってひたすらに学んだ日々、すべては生きるためだった。

それで何かが叶ったわけではない、守ってくれたのはいつも夫だった。

そんな自分に、一体何ができるというのか。

──けれど、もしこれまでに学んだ知識が、誰かを救うことに役立つのだとしたら……。

 

「だけど……そんなこと、できるのかな……。」

 

「やってみなければわからない!前進、力戦、敢闘、奮励!それが黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)のモットーだッ……!」

勢いよく告げられた言葉は、アンジェリカの心にも勇気を与えた。

「前進、力戦、敢闘、奮励」それが夫のモットーであることをこの時初めて知ったアンジェリカだったが、いかにも彼らしいなと微笑ましくその言葉を受け止める。

そして、彼女も頷いた。

 

「そうだね、考えてみる……!」

誰かの命を救うなんて、そんな大それたことが簡単にできるとは思わない。

けれど、生きて欲しいと思った。

夫にも、ローエングラム公にも、ロイエンタール提督やルッツ提督、会ったことのないヤン・ウェンリーにも──そして、辛くも命を繋ぎ止めたキルヒアイス提督にも。

 

「それじゃあ、まずはお互いの知識を共有しましょう。」

そう言って立ち上がったアンジェリカが、フェルナーを自らの書斎へと案内した。

うずたかく積まれた書類の山と天井に届くほどの巨大な書棚、そしてブルーライトを放つ複数の端末。

 

「う、わあ……。」

書斎を見たフェルナーは、初めてその場所を訪れたビッテンフェルトと同じ顔をしていたが、アンジェリカはそれをまったく気にとめなかった。

不安に揺れる胸を決意と希望でなんとか支え、彼女は薄暗い私室の扉を閉める。

そして、銀河の歴史に対する挑戦が始まった。


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