「現在の動力、物資の状況から勘案すると戦闘可能期間は約三ヶ月。それ以降は補給戦になると思われます。」
「なるほど。であれば、当然地理的にこちらが優位なわけだが。」
「ということは、帝国側はある程度の短期決戦を想定しているのでしょうな。」
ジーンが司令部に持ち込んだデータをもとに、議論が続けられている。
戦闘における議論のほとんどはジーンには理解できない、しかし武器弾薬を含めた補給についてはキャゼルヌの補佐を務める中で十分な知識を得ていた。
耳慣れない言葉を記憶の中の文献と照合しながら、ジーンは黙して議論の行方を見守っていた。
そうして幕僚たちを見回しながら、自身と同じ姿勢を取る人物をジーンは見つけた。
ローエングラム陣営との内戦に敗れた後、銀河帝国から亡命し、客将としてイゼルローンに駐在するメルカッツ中将である。
老練な手腕を持つ歴戦の勇将として自由惑星同盟軍でもその名を知られる人物だという。
ジーンも彼の戦歴をデータとして確認しているが、確かに見事なものだった。
艦隊戦において当代でも指折りの能力を有すると名高く、老練さと質実さを感じさせる風貌同様に「堅実にして隙がなく、常に理に適う」と評されている。
銀河帝国では上級大将の位にあり、一時は「宇宙艦隊司令長官に相応しい」とさえ言われていたらしい。
それほどの名将である彼が、沈黙を守っている。
事務官であるキャゼルヌをトップとした議論は終始保守的なものとなり、シェーンコップらによって弱腰を指摘される場面もあった。
しかし、メルカッツは変わらず口を開こうとしない。
そのことは、却って彼の人柄が信頼できることを示しているとジーンには感じられた。
百戦錬磨のメルカッツからすれば、事務官のキャゼルヌの理論は物足りないものであるはずだ。
それでも口を挟まないのは、彼が客分として許容される範囲を十分に認識し、あえて出過ぎない態度を取っているからだろうと推察された。
銀河帝国の壮麗な軍服を着用した客将は、当初はスパイではないかと当然に疑われもしたし、今でも亡命者である彼を快く思わない者たちがいる。
しかし、ヤンやキャゼルヌなどは一貫してメルカッツに対して好意的である。
彼らの意見ならばと便乗する気持ちもないわけではないが、現状を見守るようにして沈黙を守る老将の態度は、ジーンにとっても好ましいものに見えた。
一通りの議論が終結し、幕僚たちが各自の持ち場へと戻る中、ジーンは司令官室を引き揚げるメルカッツを追いかけた。
「メルカッツ提督!」
副官のシュナイダーとともに振り返ったメルカッツが足を止める。
「私に何か御用ですかな、ブラックウェル少尉。しかし、そのように慌てられては無用の誤解を招く場合もあります、ご注意された方がいい。」
「失礼しました……!」
厳格だが決して居丈高ではない物言いは、寡黙な先ほどまでと少しだけ印象が異なる。
軍人らしい硬質さの中に独特の優雅さがあり、これが帝国貴族ということなのかとふと思わされるのだ。
同盟軍の中にも古老の将軍というような風貌の人物は確かにいるが、同じ軍人でもメルカッツのまとう雰囲気は同盟軍将官のそれとは異なっている。
メルカッツと副官のシュナイダーは、共に名前に「フォン」の三文字を有している。
このことは、彼らが帝国貴族、つまり銀河帝国における支配層に所属していたことを示していた。
ジーンの知る限りでは、銀河帝国の国民は自由惑星同盟の市民を「叛徒」と呼ぶらしい。
銀河における政体はあくまで自分たちだけであり、自由惑星同盟は国家を自称するだけの叛乱者の集まりだというのである。
そのような常識の中で生きてきた、しかも特権階級である彼らの目に自分たちは一体どう映っているのだろうと不安は、確かにあった。
「お引き留めして申し訳ありません。その……。」
「どうぞご遠慮なく。」
勢い声をかけてしまったものの、メルカッツのまとう独特の雰囲気に気圧されてつい口を噤むジーンを、老将が笑みを作って促した。
彼の背後で若い副官が何か言いたそうにこちらを見ているのが対照的だった。
「いえ、その……うまく申しあげられないのですが。」
軽率だったという自覚はある。
興味本位に声をかけて雑談が出来るような相手ではないかもしれないし、何よりも出過ぎた行為だったと自分を恥じた。
そんなジーンの戸惑いを打ち消すように、メルカッツは柔らかな笑みで続きを待っている。
「あの……補佐役の私が言うのもどうかとは思うのですが、キャゼルヌ少将の専門は後方支援ですし……その、例えばメルカッツ提督には他の作戦案などがあるのではないかと思いまして……。」
思い切ってそう尋ねたジーンに対し、返ってきたのは暫くの沈黙だった。
事務官なのは自分も同じ、ましてジーンは軍に籍を置いて短い。
親しい上官とはいえ「司令官代理」の任にあるキャゼルヌの力量を疑うような言い方は、褒められたものでは当然ないだろう。
軍事行動の指揮という慣れない立場に置かれた上官を思う気持ちから出た行動ではあったのだが、歴戦の軍人であるメルカッツには不敬に映ったのではないかと不安になる。
しかし、顔を曇らせたジーンに返されたのは、厳しい言葉ではなかった。
「ヤン提督を待ってから攻勢に出るという作戦に異論はありません。私もそれが一番だと思っていますよ。」
告げられた答えは想定内のものだったが、沈黙の後にゆっくりと告げられたそれはメルカッツの思慮深さと誠実さを感じさせるものだった。
彼には戦歴があり、知識があり、そして度量がある。
実力ある艦隊司令官であればこそ、おそらく何らかの意見も持っているのだろう。
メルカッツの沈黙は、却って雄弁にそれらのことを伝えて寄越した。
「それに、」
今にも口を開きたそうに視線を動かした彼の副官をちらりと見ると、メルカッツは笑みを深める。
「あなたの上官は、あなたが思うよりも気概のある人物ですよ。大丈夫、安心して彼に任せておきなさい。」
銀河帝国軍の軍服を身につけた勇将はそう告げると、微笑みを消してから「では、失礼」と短く言ってジーンに背を向けた。
メルカッツから寄越された自身の上官に対する意外な信頼に思わず眉を跳ねた後、去っていく背中にジーンはほっと息を吐く。
安堵した気持ちになった。
ジーンが推察した通り、客将としてただ座すだけではなく、メルカッツの頭の中には様々な作戦案が描かれているのだろう。
彼がそれを披露しないのは、今は必要ないと考えているからだと、先ほどの態度を見て感じている。
そして、もう一つ。
キャゼルヌを案じるジーンの気持ちが、メルカッツにも通じたのではないかと思うのだ。
出過ぎた態度だったと思うし、わきまえが足りなかったともやはり思う。
規律正しい軍人であり、まして貴族の出身である彼からすれば、女性の、しかも一介の事務官に過ぎない人間が要塞の司令官の采配に口を挟むなど許しがたい越権行為のはずだ。
けれど彼はジーンの声に耳を傾け、誠実に向き合ってくれた。
それはメルカッツの人柄に依るものだったのかもしれないが、「人を思う気持ちは帝国人や同盟人という垣根を越えて心に届くのだ」とジーンには感じられた。
銀河の向こうから、自由の国へと向けられた戦火の矛先。
「叛徒」と自分たちを呼ぶ彼らにも、知って欲しいと願った。
すべての星のすべての人々に暮らしがあり、誰しもが誰かを思いながら必死で生きている。
人々の生命は、心は、腐敗した政治家のものでもたった一人の支配者のものでもないのだ。
主義や心情を超えて、結びあえる絆もあるはずだと信じたい。
足下の自由は揺らぎ、戦乱の恐怖は眼前に迫っている。
憎み合うことで散った生命を思い合うことで共に弔うことはできないのか、二国の支配者たちに向ける願いは、ジーンの胸の中で一層強くなる。
戦局は有利とは言えず、司令官室の緊張は日々増すばかり。
ヤンを欠いたイゼルローンがいかに不完全なものかと、そこにいる誰もが思い知らされている。
それでも、司令官の留守を預かっているのだ、だからこそ自分たちが守らなければという気概があった。
胸に抱くのは、共にある仲間たちへの信頼。
闇夜の先にある朝日を信じて、与えられた戦場へとジーンもまた戻るのだった。