星々の名をたずね   作:さんかく日記

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【5】ガイエスブルク襲来

宇宙歴797年、自由惑星同盟と銀河帝国は一度も戦火を交えることなく、ついに一年を終えた。

双方ともに深刻な内戦状態にあったことが理由だが、その混乱の終結が次に何を招くかは両陣営にとって自明のことと言えた。

宇宙回廊を挟んで対峙する二国は、銀河帝国元帥ラインハルト・フォン・ローエングラムの登場によりこれまでにない緊張へと向かいつつあった。

若い元帥は、内乱によって自国の支配権を確実なものとしつつある。

かつての支配層であった門閥貴族を廃し、権力を自らへと集中させた彼は、宰相として行政改革を行うと同時、軍事力を増強し、外部への圧力を強めている。

銀河の星々を伝い、緊張はイゼルローン要塞へも伝播していた。

 

しかし、愚行を繰り返す自由惑星同盟の中央政府は、こともあろうに軍略的要所であるイゼルローン要塞から本土へと司令官を呼びつけたのである。

救国軍事会議によるクーデターの際、第11艦隊と相対したヤンが発した言葉の揚げ足を取っての査問会である。

軍人としての栄達はおろか、主義はあっても主張はしないという彼にかけられた「反乱」の嫌疑。

政府の無能もここに極まれりとイゼルローンの誰もが嘆いたが、恐れていた事態はこの中で起きた。

銀河帝国軍のガイエスブルク要塞が、ヤン不在のイゼルローンを急襲したのである。

 

ガイエスブルクをワープアウトさせ、巨大な要塞同士を対峙させるという銀河帝国の大胆な作戦は、イゼルローンに駐留する人々を震撼させた。

 

「酷な頼みだとはわかっているが、おまえさんしか人材がいない。」

なんとか自身を奮い立たせるといった様子で拳を握り、ジーンに向き合ったキャゼルヌが眉を寄せている。

光年を隔てた宇宙の彼方から、「それ」はやってきた。

漆黒の宇宙区間に突如現れた球体、それが銀河帝国の要塞「ガイエスブルク」であることが判明すると同時、イゼルローン内は驚きと混乱に見舞われた。

遥かな距離を移動する艦艇は、確かにワープアウトを多用しながら進むものである。

しかし、艦艇とは比較にならないほどの質量をもった要塞がまさか移動してこようなどとは誰も想像さえしていなかった。

 

ガイエスブルク要塞は、イゼルローンを失った銀河帝国において最大規模となる軍事拠点である。

1万6千隻の艦艇を収容するとされている直径45kmの人工天体で、主砲である硬X線ビーム砲は、7億4000万メガワットの出力を誇っている。

「ガイエス・ハーケン」と帝国軍に呼ばれる主砲の威力は、イゼルローンのトゥール・ハンマーに匹敵する。

それほどの巨大要塞が、遙か宇宙の彼方から飛来したのである。

驚愕に見舞われたイゼルローン同様、ハイネセンに置かれた自由惑星同盟中央政府もまた大いなる混乱に陥っているはずだ。

 

「未熟ながら全力を尽くさせていただきます。こちらはお任せいただき、どうぞ作戦に集中なさってください。」

要塞の砲口を向けられているという現状に対し、ジーンにも当然恐怖はある。

それでも胸を張り、まっすぐに上司の両眼を見返すと、微笑みをもって彼女は告げる。

不安と恐怖を感じながらもなんとか笑おうとしたのは、飄々とした平素の態度を一変させて顔を青ざめさせる上官を少しでも勇気づけたいと思ったからだ。

イゼルローンに駐留する者にとって絶対的な存在ともいえるヤンが不在という不安は、誰しもに共通するものである。

けれど、誰よりもその重圧を感じているのは、目の前にいる人物のはずだとジーンは思うのだ。

 

「はあ、まったく……おまえさんの方がよっぽど肝が据わってる気がするよ。」

 

「キャゼルヌ少将。」

 

「わかってる。弱音を吐けるのはおまえさんの前くらいってことだ、許してくれ。」

窘めるように名前を呼んだジーンに、キャゼルヌが眉を下げる。

厳しい中にも明るさを欠かさない彼にとって、珍しい表情だった。

 

「失礼しました。ヤン提督が戻ってきたら、またいくらでも愚痴をお聞きしますから。」

事務官であるキャゼルヌにとっての「戦友」は、ある意味ではヤン以上に今はジーンであるとも言うことができたし、ジーンにとって最も身近な上官もやはりヤンではなくキャゼルヌだった。

事務方のトップとその補佐官として、後方支援におけるあらゆる場面で議論と作業とを重ねてきた二人である。

キャゼルヌの意図をジーンは誰よりも素早く汲み取ることができたし、そんなジーンへの信頼を真っ先に示したのはキャゼルヌだった。

その彼が「おまえさんしかいない」と言っているのだ。

上官からの信頼を素直に嬉しいと感じながら、一方で重い責任が両肩へとのしかかるのを感じている。

物資、燃料、食料の補給と要塞内の秩序の維持、それをキャゼルヌなしにこなさなければならない。

それも、敵軍の襲来という恐怖の中で。

 

ハイネセンの大学を卒業後、代議員の秘書をしていたジーンにとって、ガイエスブルクの襲撃は、初めて自らが危険に晒されることになった戦闘である。

恐怖は、言葉では容易に言い表せないほどに大きい。

胸の中で吹き荒れる弱気を追いやって、意識を実務へと集中しようと試みる。

必ずやり遂げなければ、与えられた役割を果たさなければ、そのために自分はここにいるのだから。

自分を呼び寄せたフレデリカや仕事を任せてくれたヤン、そして誰よりも自分を信頼してくれるキャゼルヌの期待に応えなければ。

胃を押し上げるようにして感じる不安をこらえて、視線に力を込めた。

 

「では司令官代理、いってらっしゃいませ。この扉の向こうでは、もうそんな顔をなさってはいけませんよ。」

イゼルローンには500万の人々が暮らしており、多くの一般市民も含まれている。

戦闘が開始されればイゼルローンからの脱出はほぼ不可能となり、同時に近隣惑星からの物資の供給も困難になるだろう。

その中にあって秩序を保ち、生命とインフラを維持し続けること、それがキャゼルヌから引き継いだジーンの使命である。

信頼を微笑みに変えて、自分よりもずっと大きな不安を抱えているであろう上官に激励の言葉を贈る。

 

「……そうだな。」

自信がない、とはキャゼルヌは言わなかった。

事務官である彼にとって艦隊と戦闘員を指揮下に置く司令官代理の肩書きがあまりに重いものであることは間違いない。

それでも、気弱な物言いが許されないことを彼は十分にわかっている。

ヤン・ウェンリーはイゼルローンにとって絶対的な守護者だが、今彼はここにおらず、査問会などという茶番に彼を呼び立てた政府を批判したところで事態が解決するわけでもない。

キャゼルヌを代理として団結しなければ、イゼルローンに駐留する軍はもとより一般市民までもがいつ悲劇の主役となってもおかしくはないのだ。

それをわかっているからこそ、キャゼルヌも己を鼓舞し軍人としての責任を全うしようとしている。

 

上司の背中を見送ると同時にジーンは着席し、モニターに向かった。

素早くインカムを装着すると、目を閉じて一度深呼吸する。

ドキドキと心臓の音がうるさい。

気を抜けば飲み込まれそうな恐怖が、すぐそこで口を開けている。

しかし、モニターに映し出された数字を見つめた時、頭の中にある景色が姿を変えた。

意識が画面へと埋没していき、じっと見つめる視界の中で次々と作業の手順とルートとが組み立てられていく。

広大なイゼルローンの内部にある様々な設備と指示系統、次々と脳裏に呼び起こされるそれらを元にジーンは作業を行う手順を整理していった。

 

「ジーン・ブラックウェル少尉です。キャゼルヌ要塞事務監から事務系統の指揮を引き継ぎました。以後は私の指示に従い、各自業務に当たってください。」

インカムに向かって発した声は、ジーン自身が驚くほど落ち着いていた。

脳裏には、いずれここに戻ってくるはずの司令官の姿と必死で留守を守る彼の部下たちの姿がある。

自らを奮い立たせなければ立っていられないのは、キャゼルヌだけではなくジーンも同じだった。

それでも、キーボードに両手を置けば、自然と意識は冴え渡る。

恐怖は、意識の彼方へと消え去っていた。

モニターに表示された数字を手早く裁きながら、先へ、その先へと意識を送り、仮定と執行を繰り返していく。

 

「休止、稼働箇所の指示を送ります。電力部は生活インフラの節電可能箇所の割り出しと試算を、生活部は治安維持のためのプランを早急に提出してください。」

 

「一般市民の移動を制限します。イゼルローンが現在戦闘下にあることを早急に通知し、通路を封鎖してください。」

 

「物資と燃料の試算は完了しましたか。当方で再度チェックを行い、司令官室へデータを転送します。試算は正確に、だけど急いで。」

 

ガイエスブルクからの砲撃がイゼルローンを覆う流体金属を揺らし、漆黒に浮かぶ天体に大きな振動が伝わった。

当然、ジーンのデスクも激しい衝撃に揺さぶられたのだが、視線はモニターから動かない。

ジーンの視線の先にあるのは膨大な数字とデータ、そしてそれこそがイゼルローンの生命線である。

 

「試算結果を受領、生活エリアの電力を60%節電します。関連部署は速やかに指示を確認して、対応してください。次に、移動可能区域と封鎖エリアについて連絡します──。」

 

 

キャゼルヌの指示のもとトゥールハンマーが閃光を吐き出すと、砲撃の応酬が戦いの火蓋を切って落とした。

相対するのは二つの巨大な軍事拠点、要塞と要塞とがぶつかり合うという史上稀にみる決戦である。

同時に──後方におけるジーンの戦いも幕を開けたのだった。


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