星々の名をたずね   作:さんかく日記

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【3】ハイネセンの悲劇

ローエングラム侯蜂起の知らせを受け、ムライはイゼルローンへと帰還した。

秘書官として随員したジーンがフェザーンに留まったのは、銀河帝国の情勢を探り、さらなる情報を得るためである。

表向きの要件である物資の調達や資金繰りの算段の面談をこなしながら、合間を縫って古い知り合いのもとを訪ねた。

大企業の代表を退いたとはいえ、商業都市フェザーンにおいてジーンの父の名前は未だ有効で、人脈を通じて想定以上の人物と接見することができた。

 

そうして日々を過しながら、胸の中で燻る不安。

ローエングラム侯が自由惑星同盟に対して謀略を仕掛けるのではないかという懸念は、ジーンの中から消えていない。

自由惑星同盟は、敗戦後の指針を定めることができずに未だ大きく揺れている。

もしも何らかの謀略が図られるとすれば、それが暴力にせよ政治的な混乱にせよ、同盟全土のバランスを著しく変えてしまう可能性さえあるとジーンは考える。

明確な指針を持てずにいる今、外部から介入や圧力は絶対に避けなければならない危機なのである。

 

特定の支配者や支配階級による政治ではなく、すべての国民が自己の責任をもって国政に携わり運営していく、それが民主主義である。

しかし、等しく与えられた権利は、ひとたびお互いが違う方向を向きだせばあっという間に収拾などつかなくなる。

圧政を逃れて辿り着いた自由の地で、人々は平等という権利を謳歌してきた。

「自由」は、多くの市民たちにとって美しい理念だったはずである。

だが、今の自由惑星同盟は「自由」を美しいとはとても呼べない状況にある。

最高評議会の弱体化、反戦機運の高まり、まとまりをなくした民衆は口々に自儘な意見を述べ、それに呼応するように政治家たちも様々に意見を変え、さながら人気を取り合うゲームのようにさえ見える。

「自由」という言葉が、「身勝手」へと意味を変えていく。

絶対権力の支配から逃れるために打ち立てられた自由の国は、「自由」ゆえの混乱に揺らいでいた。

 

祖国の混乱を思う時、重なって描かれるのが「銀河連邦」の崩壊である。

人類初の統一政体、平和を旨としたはずの組織がいつの間にか疲弊し、やがて一人の男によって簒奪された歴史を思考の中に辿る。

若き軍人から政治家、そしてついには「神聖不可侵の皇帝」を自称した男、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム。

銀河帝国皇帝という歴史的支配者を生み出したのもまた、祖国の混乱だった。

経済的抑圧、治安の悪化、不正と汚職の跋扈する社会を粛正したルドルフの治世は、民衆の支持の中から誕生したものだった。

やがて暴力で人民を支配することになる専制君主を作り出したのは、銀河連邦に暮らす人々自身だったのである。

混乱を収束する英雄を、悪弊を取り除く粛正者を、そして民衆を導く支配者を、人々が求める「英雄」がやがて「支配者」へと変わり、圧政へと向かっていった歴史。

不安に揺れる祖国を思う時、ジーンの心は恐怖に震えるのだ。

 

 

不安に逸る気持ちをかろうじて抑えながら、ジーンは父親の知人らとの接見を続けている。

しかし、耳に入るのは凶報ばかり。

ラインハルト・フォン・ローエングラムはリヒテンラーデ公と同盟し、門閥貴族を相手取ったクーデターを起こした。

現皇帝であるエルウィン・ヨーゼフは彼の手の内にあり、戦局もまたラインハルト陣営の有利に進捗しているらしい。

利に聡いフェザーン人たちの資本も、次代の権力者であるローエングラム侯へと流れつつあるようであった。

 

一方で、銀河帝国が自由惑星同盟に干渉するという情報は得られていない。

ローエングラム侯がヤンの言うような「野心の持ち主」だとすれば、弱体化しているとはいえ敵国である自由惑星同盟を放置しておくはずがないと思うのだ。

だからこそムライとジーンをフェザーンへ送ったのだと、彼女は思っている。

しかし、フェザーン人の売る情報は高い。

それは、金銭という意味だけではなく「信用」と「実績」という意味においても同様である。

つまり父の名前は有効でもジーン自身への信頼が足りないのだ。

立場を用いた説得も、あるいは金銭であっても彼らには容易には通じない。

最小限の軍隊しかもたないフェザーンでは情報こそが生命線であり、だからこそ彼らは安易にそれを明け渡さない。

たとえ父親の名前があったとしても、今のジーンは昨日か今日にやってきた同盟軍のバッヂをつけた小娘に過ぎない、彼らにまともに扱ってもらうには信用も実績も何もかもが不足していた。

そのことを痛感するにつけて、不安ばかりが募る。

ヤンかムライに相談しようかと思い始めたちょうどその頃、「最悪の一報」がもたらされた。

 

自由惑星同盟内で、クーデターが勃発したのである。

一部惑星でのテロ発生を知らせる報からわずか三日後、ハイネセンが占拠され、「救国軍事会議」から軍国主義の樹立を目指す声明文が発表されたのだという。

予感が現実へと変わっていく様子にジーンは言葉をなくし、呆然と立ち尽くした。

「混乱」を抜け出すための手段として、暴力が選ばれたのだ。

それは、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを生み出した過去の歴史を彷彿とさせる。

祖国の尊厳が祖国の軍人たちによって踏みにじられる様子を想像し、苦々しさを噛み締めたジーンだったが、彼女をより驚愕させたのは、「救国会議」に列する人物の名前の筆頭にフレデリカの父の名前を見つけたことだった。

 

(グリーンヒル大将がなぜ?!)

父親の友人として接してきた彼の人の姿を思い浮かべる。

良識派の軍人として知られ、民間人とも積極的に交流を図ってきたその人は、軍国主義に傾くような思想の持ち主ではなかったはずだ。

「なぜ」と憤り、そして──彼の娘であるフレデリカのことを思った。

中央政府と同盟軍を相手取ったクーデターに対し、当然ながらヤンやフレデリカはそれを鎮圧すべき立場となる。

つまりグリーンヒル父娘は、クーデターの首謀者と鎮圧者として向き合うことを強いられるのだ。

 

フレデリカ・グリーンヒルは強く気高い女性だが、状況はあまりにも彼女に酷すぎる。

ジーンにとって、フレデリカは過去も今も誰よりも大切な友人の一人だ。

親友として心の内を打ち明け合った間柄というだけではない。

目指すべき道を閉ざされ、家名を貶められて、途方に暮れていたジーンに手を差し伸べてくれたのは他ならぬフレデリカなのだ。

軍に士官するという予想もしない道ではあったが、フレデリカは落ち込むジーンの手を引いてくれた。

がむしゃらに職務と向き合ったこの数カ月は、ジーンにとって久しぶりに自分の価値を実感させてくれるものだった。

生きる場所と自分の価値を彼女が教えてくれたのだ。

 

(フレデリカ……!)

どんなに願っても、遠くイゼルローンにいる友人の手を取ることはできない。

抱きしめることも、直接言葉をかけることも、ただ傍にいることさえできないのだ。

ヤン率いる第13艦隊がイゼルローンを発ち、クーデターの鎮圧に向かったという情報が送られた時、ジーンに与えられた指示は「フェザーンでの待機」だった。

戻ったところで何ができるわけでもない、それでも友人と共に在れない自分が歯がゆかった。

 

先の帝国領土遠征が失敗したのは、軍部による無謀な作戦と安易なヒロイズムに政治が便乗したことが原因だということを、イゼルローンで得た情報で知った。

「自由」の旗のもとに多くの人が死んだのだ。

 

(自分の身勝手が祖国を破滅させると、どうして気が付かないの……?!)

 

 

「アーサー・リンチ」の名前を耳にしたのは、募る不安に押しつぶされそうになる中でのことだった。

街の雑踏の中で、その名前を聞いた。

フェザーンは豊かな惑星だが、以前にジーンが父と訪れた時とは明確な変化がいくつか起きている。

その中の一つが、路上生活者の急増である。

フェザーンは商業都市であり、もちろんその中で勝者と敗者とが存在するが、それでも全体の生活水準は高い。

そのフェザーンで、以前にはほとんど見かけなかった路上生活者が増えているのだ。

多くが戦火から逃れてきた銀河帝国の国民であったが、帝国、同盟双方の帰還兵の姿があることも見て取れた。

帰還兵の中には様々な理由で帰る家さえも失ってしまった者もおり、行き場のない彼らが生活の術を求めてフェザーンへと流れついているというのが、土地の人々の話だった。

 

軍服を着用しているわけではなかったもののどこか後ろめたく感じ、同盟軍の帰還兵らしき集団の前を足早に通り過ぎようとした時だった。

 

「リンチのやつ、ついに狂ったに違いない。」

 

「帰還船の中でもずっと、うわ言みたいに“恥をかかせやがって”とか呟いてたよな。ついにイカれちまったに違いないぜ、あの様子じゃあ政治家か軍上層部の誰かを刺し殺したっておかしくない。」

 

「まったくだね、アーサー・リンチの名前を新聞で見る日も近いかもな。」

下卑た笑いの合間に聞こえた会話に、俄かに心臓が騒ぎ出す。

リンチ、アーサー・リンチ。

その名前に聞き覚えがある。

一体誰だったか、こんなにも胸が騒ぐのはなぜ──?!

 

こんな時フレデリカなら持ち前の記憶力ですぐに答えを導いたはずだ。

口唇を噛みしめた時、フレデリカの言葉が鮮明に脳裏に浮かんだ。

 

『それでね、ヤン中尉は引き返してきたリンチ少将たちを囮につかって民間人を逃がしたの!』

嬉しそうに話すフレデリカから、何度も聞かされたヤン・ウェンリーの武勇伝である。

導かれた答えを抱えて、逸る気持ちを抑えながら宿舎へと帰ると、ジーンは回線を開いた。

相手はムライである。

 

「ムライ少将!アーサー・リンチという名前は、帰還兵の名簿にありますか?!」

開口一番尋ねたジーンにムライが臆する様子はなく、咳払いを一つしてから「ある」と彼は短く答えた。

 

「……リンチ元少将はグリーンヒル大将の後輩だ。すぐにヤン提督にお伝えする。」

ムライとジーン、二人の認識が重なった瞬間だった。

 

 

祖国への謀略の正体を今更掴んだところで、クーデターを止めることはできない。

けれどもし──もしもっと早くこの情報を掴んでいたら、故郷の混乱を防ぐことも友人を守ることもできたかもしれない。

フェザーンでの出来事は、人脈と情報がいかに大切で重いものか、それを築くことがいかに難しいかをジーンに痛感させた。

激しい後悔と深い教訓とが、ジーンの胸に刻まれた。

身動きさえままならないまま五ヶ月、彼女は祖国の動乱の終結をフェザーンの地で待つこととなったのである。


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