星々の名をたずね   作:さんかく日記

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【28】導く者

数千光年の距離を、艦隊を連ねて進んでいく。

様々な光年、様々な光彩、漆黒の宇宙に漁り火のように瞬く星々を、ミッターマイヤーは見るともなく眺めていた。

 

この艦で幾度となく宇宙を駆けた。

輝かしい未来を夢見て胸を躍らせたこともあったし、死ぬかもしれないという覚悟をもって乗り込んだこともある。

いずれの場面でも、彼の心は闘志に燃えていた。

どれほど切迫した場面であっても、両足を着け、前を見て立つことができた。

 

それを為し得たのは、軍人としての誇りであったし──共に戦う友がいたからだ。

今この時ほど痛烈にそれを思い知ったことはないと、ミッターマイヤーは思う。

彼を討つと決めた時ですら、これほど頼りない気持ちにはならなかった。

けれど今、ミッターマイヤーの瞳はただ虚空を見つめるばかりで、その足は硬質な艦船の床で収まりなく行ったり来たりを繰り返している。

 

ベイオウルフの一室をロイエンタールに与え、その後でフェザーンへと高速通信を入れた。

ロイエンタールを伴って帰還するというミッターマイヤーからの短い連絡に、通信を受けた相手も思わずといった様子で沈黙する。

アルツール・フォン・シュトライト、皇帝ラインハルトの副官である。

 

「その由、皇帝陛下にお伝えいただきたい。」

直接ラインハルトと話すべきかと思ったが、ミッターマイヤーはそれを避けた。

何を伝えるべきかをミッターマイヤーは確信できずにいるし、何を問われても答えられる自信がなかった。

 

彼の親友は、何を思い、一度振り上げた剣を下ろしたのか。

ミッターマイヤーはその答えを得ていない。

問いかけるべき相手ならすぐそこにいるというのに、まるで死を受け入れたような彼を思うと、聞くことがひどく躊躇われた。

 

しかし、話さないことには何事も始まらない。

フェザーンまではまだ遠いといっても、残された時間にも限りはある。

殺せと言われても殺すことなど出来るはずがないし、死にたいと言われれば止めるまでだとミッターマイヤーは彼らしくはっきりと決断し、親友の居室へと向かうことにした。

 

 

幾日かは昔話に終始し、次の幾日かは艦隊戦術の何たるかを話し合った。

何杯もグラスを重ね、かつて過した日々のように冗談さえ言い合った。

 

思えば、お互い随分と遠いところに来てしまったとふと思う。

軍人になったのは栄達を志したからだし、この人こそはと思ったからこそラインハルトと共に戦ってきた。

夢中のまま戦場を駆け、気がつけばラインハルトは皇帝になり、ロイエンタールは新領土の総督を任され、ミッターマイヤーは宇宙艦隊司令長官の職を賜った。

望んでいたはずのその場所が、お互いの関係を複雑にし、昔のように同じものを見つめることを難しくしている。

あの頃のままではいられないのか──知性ある友に尋ねたいと思いながら、また躊躇ってミッターマイヤーが口を噤んだ時だった。

 

「……ルッツのことだが、」

ロイエンタールが、殉死した僚友の名前を口にした。

ウルヴァシーの事件以降のことを問えないでいた自分よりと彼とを比べ、やはり彼のほうが勇気ある者だと思わされたが、その名を口にするロイエンタールの表情も苦渋に満ちていた。

 

「どんな最期だったか……卿は聞いているだろうか。」

温厚な性格で、僚友たちの信任も厚かった彼が亡くなったのは、今日に至る事態の発端となったウルヴァシー、その場所である。

 

「自分が残ると言ったミュラーを行かせ、一人皇帝陛下の盾となり戦ったと聞いている。彼らしい堂々とした最期だっただろうと皆言っていた。」

 

「そうか……。」

 

「ルッツは射撃の名手だった。」

 

「そうだな、それに勇敢で冷静な分析力の持ち主だった。」

手にしたグラスの中で溶けた氷がぶつかり合い、カラリと小さな音を立てる。

 

「……エルスハイマーにも悪いことをした。」

ロックグラスに揺れる琥珀を見つめながら、ロイエンタールがハイネセンに残る部下の名前を告げた。

 

「彼はルッツの妹と結婚していたのだったな。」

ハイネセンを去る時、ロイエンタールはベルゲングリューンに「エルスハイマーと協力しろ」と伝えている。

エルスハイマーは文官らしい温和な性格の男だが、組織の長を任せられるだけの意思の強さも持ち合わせている。

その彼がよく総督府に残ったものだとミッターマイヤーは思ったが、

 

「一度は去ると言ったのだ。」

彼の疑問を察したのかロイエンタールはそう答え、小さく首を振った。

 

「……そうだ、やはり為さねばな。」

ミッターマイヤーの見つめる先で、彼の親友がその秀麗な面差しを曇らせる。

ついに彼の真意を知る時が来たとミッターマイヤーが感じたのは、この時だった。

 

「何を……するというのだ、ロイエンタール。」

問いかける無二の友にロイエンタールは視線を向け、左右の瞳でしっかりと彼を見た。

 

「……皇帝陛下に失策を詫び、温情を賜るようお願いする。」

それは、ミッターマイヤーが求めていたはずの答えだった。

一方で、得られるはずがないと思っていた答えでもある。

 

「ロイエンタール……。」

己の矛盾と格闘しながら、かろうじて忠実な臣下である自分を選択したミッターマイヤーだったが、「よかった」と肯定して親友の手を取ることはできなかった。

ロイエンタールの視線に激情はなく、しかし奥を覗き込めば──今ははっきりと葛藤の跡が見て取れた。

 

「すまんな、ミッターマイヤー。俺自身まだ……自分のことをわかりかねているのだ。」

自己矛盾を解決できていない友人に、ロイエンタールが口の端を曲げて見せる。

 

「だが、時間は限られている。卿にだけは話しておかねばなるまい。」

そう言って彼は立ち上がり、戦艦の窓辺に寄った。

勝利を目指し、二人、幾度も駆けた宇宙がそこに広がっている。

 

「俺は今でも……果てるならこの宙でと思っている。」

告げられた言葉にはっとなり、ミッターマイヤーも腰掛けていた椅子から立ち上がった。

 

「全身全霊をかけて戦い、己の力を試したい。叶うなら……皇帝陛下と艦隊を向き合わせ知力を競わせてみたい。」

 

「ッ、」

破滅を望むかのような危うい台詞だが、それはミッターマイヤーの知る親友そのもの。

しかし、彼はその選択をしなかった。

 

「ウルヴァシーでの襲撃は、勿論俺の指示ではない。」

はっきりと言ってから、ロイエンタールはこれまでの日々について語り始めた。

皇帝襲撃の報を新総督府で受けた時のこと、何とかラインハルトの身柄を取り戻そうと努力し、しかしルッツの死によってすべてが潰えたと知ったこと──そして、ウルヴァシーに調査に向かったグリルパルツァーが結果を隠匿したこと。

 

「では、グリルパルツァーを尋問すれば……!」

思わず声を大きくしたミッターマイヤーの前で、ロイエンタールは酷薄な笑みを浮かべて見せた。

 

「奴は、俺が殺した。」

 

「なぜ」と問えなかったのは、硝子越しに見えた彼の眼差しが見たことがないほどに冷たく冴えた光を湛えていたからだ。

冷静な彼らしくない判断だとミッターマイヤーは思った。

大事な証人を殺してしまっては、彼の潔白に対する印象は悪くなる。

調査に当たった兵士たちを調べることは当然できるが、責任者であるグリルパルツァーを自ら殺害したという事実は、疑いの芽を残すことにつながりかねない。

 

「皇帝陛下の御身を危険に晒し、ルッツまで失ってしまったのは俺の責任だ。許可も得ずグリルパルツァーも処断した。この上は自ら反逆者となり、いっそ武人らしく滅びるのが軍人たる者の矜持だろう。」

宇宙空間へと向けられていたロイエンタールの視線が振り返り、ミッターマイヤーを見た。

 

「……対話による解決は、剣によるものと同じくらい古い方法なのだそうだ。」

 

「な、に?」

耳慣れぬ言葉に思わず聞き返したミッターマイヤーに、ロイエンタールが尋ねる。

 

「対話と交渉による解決……本当にそんなことができると思うか、ミッターマイヤー。」

対話と協調は、民主主義の根幹である。

つい先頃まで存在した自由惑星同盟がそれを標榜し、今はイゼルローン共和政府を名乗る集団が同じ主張を掲げていることは、ミッターマイヤーも知っている。

だが、それをロイエンタールが口にしたことに驚いた。

 

「そんなことが容易にできると、俺は思っていない。できないからこそ、人は剣を取り、自らの道を拓くために戦うのではないか。」

曝け出された矛盾に、発しかけていた言葉を飲み込んだ。

 

「俺は軍人だ。無位無官の今はもう違うのかもしれないが、それでも軍人だった。民主政治の政治家など、トリューニヒトの如き悪辣な盗人ばかりではないか。」

苛烈さと絶望と、それでも捨てきれぬ何事かへの執着が、青と黒の中で揺らいでいる。

 

「それでも、」

親友との再会を果たした瞬間でさえ感情の色を消していた彼の眼差しが、今激しく揺れている。

 

「それでも、俺はもう戦えぬ。戦えぬのだ、ミッターマイヤー。」

死に赴く彼を繋ぎ止めたもの、軍人としての矜持よりも強く彼を導くもの、それを知りたいとミッターマイヤーは思った。

 

「皇帝陛下は俺をお許しにはならないかもしれぬ。いや、むしろ陛下にはそうあって欲しいとすら思う。だが……俺は新領土を守らねばならない。」

守らねば、と彼は言った。

いつだって前を見るだけだった彼が、そう言った。

自分の身の危険を顧みず、生への執着さえ持たない彼を、友として窘めたことが幾度もある。

その彼が「守る」と言ったもの。

 

「ハイネセンを……?」

新領土を戦禍に巻き込みたくないというのは為政者である彼の本心だろうとは思ったが、本当の心はもっと別の場所にあるのではないかとミッターマイヤーは思った。

 

彼に対話の道を選ばせた何か、いや──誰かがいる。

軍人としての誇りを胸に抱きながら、それでも膝を折ることを選んだ彼の中にある矛盾。

ロイエンタール自身が解けていない疑問、その答えを持っている人物がきっといる。

 

「……我ながら、度し難いな。」

見慣れた冷笑を浮かべて見せて、ロイエンタールはミッターマイヤーのよく知った彼の顔を取り戻した。

誇り高く、堂々として、それでいて皮肉屋。

勇敢さと冷静さを持ち合わせた自慢の親友が、いつの間にか戻って来ていた。

 

「我が友、ミッターマイヤー。もし、俺が死ぬことがあれば……この願い、卿が叶えてくれるか。」

 

「ああ、約束する。」

そう告げながら、心の中で思う。

 

この男を死なせはしない。

今度こそ守り抜き、彼の疑問に対する答えを共に探すのだと。

 

「だが、ロイエンタール。俺と卿とで、成し得なかった何事かが今まであったか。」

彼らしい笑顔を向けたミッターマイヤーにロイエンタールも笑うと、親友の差し出した手を取った。

 

イゼルローン回廊を抜けて新領土へ侵攻しているはずのメックリンガーから、ラインハルトとミッターマイヤーに向けて高速通信は送られたのは、その暫く後のことだった。


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