フェザーンを発ったミッターマイヤーは、彼の予測と異なる事態を前に、取るべき術を決められずにいた。
決断力と行動力で知られる彼としては珍しいことだ。
ロイエンタール叛意の報を受けたラインハルトが、ミッターマイヤーの進退を賭けた説得を受け入れることはなかった。
このことは友誼に厚い彼を絶望の淵へと叩き落したが、それでも彼がハイネセンへの出兵を引き受けたのは、もしも自分が行かなれば、皇帝自身しかその責務を果たせる者がいないことを知っていたからだ。
あるいはロイエンタールは、ラインハルトと戦うことを望んでいるのかもしれない。
そう思いながらミッターマイヤーが苦痛を受け入れることを決意したのは、銀河皇帝の身を案じたからではない。
臣下として当然そう思考すべきとわかっていたが、彼の本心は違っていた。
ラインハルトがロイエンタールを討ち果たした時、自分は変わらずに皇帝への忠誠を誓えるだろうか。
その答えに自信がない、それゆえに彼は自身に苦痛を科す道を選んだのだ。
しかし、間もなくハイネセンに至ろうかという星域に、ロイエンタールの艦隊がない。
それどころか、新領土軍の戦艦一隻さえも浮かんでいないのだ。
ハイネセンで何かがあったのだろうかとは、まず思ったことだ。
ロイエンタールの支配下にあるとはいえ、新領土軍はそもそも銀河皇帝の所有である。
よもやクーデターかと推察して、あのロイエンタールが指揮を誤るはずがないと思い直す。
そうなると余計に、事態は納得しかねる状況と言えた。
新領土の総督府に高速通信を入れることにする。
まずは親友と話さねばと思ったからだ。
しかし、開かれた回線の向こうにいたのは彼の幕僚であるベルゲングリューンで、ロイエンタール自身の姿はない。
「ミッターマイヤー元帥。」
彼らしく規律正しい敬礼でベルゲングリューンは挨拶し、「どうぞハイネセンへお越しください」と続ける。
「待て、ベルゲングリューン。ロイエンタールはどこにいるのだ。」
それは当然の疑問であり、ベルゲングリューンも想定していたようだった。
「ロイエンタール総督は、ハイネセンで閣下をお待ちです。」
「ハイネセンで……?!」
あらゆる可能性が瞬時に脳内を駆けるが、ミッターマイヤーは親友の招きに応じることを選択した。
彼が皇帝への謝罪を求めるのではという期待は僅かにあったが、ロイエンタールを誰よりも知る身としてはやはりあり得ないことだと思った。
誇り高く高潔な友は、二度目の嫌疑に膝を折ることを受け入れはしないだろう。
皇帝陛下に跪くことはあっても、ロイエンタールが軍務尚書や内務省次官の前に首を垂れることはあり得ない、ミッターマイヤーはそう理解していた。
それでも、と拳を握り決意を新たにする。
もう一度、いや何度でも、決して諦めずに彼を説得する。
ハイネセンで会えるのであれば好機ではないか、とミッターマイヤーは思った。
互いに艦隊の司令官として対峙してしまえば、あとはもう剣を交えるのみ。
だが、ロイエンタールが総督府で待つというのであればまだ勝機は残されているはずだ。
しかし、ハイネセンへと降り立ったミッターマイヤーを待っていた友は、彼の想像をまた裏切った。
「来たのか、ミッターマイヤー。」
ゆっくりと口を開き、ロイエンタールは無二の友の名を呼んだ。
その様子は彼らしく堂々としていて、凪いだ海のように落ち着いていたが──皇帝に反旗を翻した梟雄の姿としては自然ではなかった。
進んで詮議を受けることを拒否した友である、凄烈な激情を滾らせ、反逆の道へと突き進む軍人の姿をミッターマイヤーは想像していた。
だからこそ、絶望に挑む気持ちでここに来たのだ。
「ロイエンタール、卿は……。」
どうしたのかと問いかけようとして、単純な疑問はこの場に相応しくないと言葉を飲み込む。
親友の抱いた疑問を見透かすように、ロイエンタールが頷いた。
「驚いているようだな、だが当然だろう。」
彼の言葉に、決して自分の予想が間違っていたわけではないことをミッターマイヤーは知る。
「つい今までは、相手が誰であろうと飛び掛かって殺してやるつもりでいたのだがな。」
物騒な台詞をさらりと言ってのけて、ロイエンタールが笑った。
その笑みが穏やかささえ感じるものであることに、ミッターマイヤーは衝撃を受けた。
まるで死を受け入れた囚人ではないかと、ミッターマイヤーは思う。
彼の親友は、戦わずして死を選ぶ男ではない。
誇り高き武人であり、戦いの中にこそ生を見出すような男だ。
そんな彼を危ういとも思い、頼もしいとも思ってきたミッターマイヤーにとって、目の前にいるロイエンタールは初めて会う男のようにさえ感じられた。
「だが、もう良いのだ。」
彼は静かにそう言って、改めてミッターマイヤーの灰色の瞳を見つめた。
「卿ならばこの身を預けられる。連れていってくれ、皇帝陛下のもとに。」
説得をしようと乗り込んできたつもりのミッターマイヤーだったが、「なぜ」と思わず問いかけそうになる。
彼と戦わずに済むことはミッターマイヤーの望むことであったはずなのに、それを受け入れられない自分がいる。
己の中に生じた矛盾に顔を強張らせると、
「卿は俺を止めるつもりで来たわけではなかったのか。」
ロイエンタールが呆れたように言って、見慣れた冷笑を浮かべてみせる。
「それとも俺を殺しに来たのか。」
「そんなはずがあるか!」
この言葉にはミッターマイヤーもすかさず反発し、「そんなわけないだろう」と親友を見つめて繰り返す。
「おかしな奴だな。」
ロイエンタールは笑うが、彼もミッターマイヤーの心情の矛盾には気付いている。
一度抜いた剣を納める鞘を、ロイエンタールは持っていない。
艦隊を向き合わせての実戦であれば、あえて退く知略もあるだろう。
しかし、矜持をかけた戦いであれば、退く道など最初からあるはずがない。
一度向けた切っ先が逸らされることがあるとしたら、それは命尽きる時──彼の無二の親友は、ロイエンタールの気質をよく理解していた。
「それでどうするのだ、ミッターマイヤー。俺を連れていくのか、それともここで殺すのか。」
疑問と矛盾とを解決できていないミッターマイヤーだったが、急かす親友に促されるようにして頷いた。
「一緒に行くよ、ロイエンタール。フェザーンまでは距離もある、俺の艦で二人で酒を飲もう。」
なんとか口唇を緩めてみせたミッターマイヤーにロイエンタールも頷いた。
「それは有り難いな。もう一度卿と酒を飲む機会を得られるとは、これは僥倖だ。」
友人が使う大袈裟な表現に、ミッターマイヤーはまた不安を濃くする。
しかし、それに構うではなくロイエンタールはデスクのインターフォンを押すと、「ベルゲングリューン」と彼の忠実な部下を呼んだ。
やってきたベルゲングリューンの顔には、ロイエンタールとは違い不安の色が浮かんでいた。
豪気な男が無言で顔を青ざめさせる様子に、ミッターマイヤーの心配も大きくなる。
「では、俺は行く。ベルゲングリューン、エルスハイマーと協力し、情勢が乱れぬよう努めてくれ。」
まるで戻らぬという口ぶりに、寡黙な部下もさすがに口を開いた。
「ロイエンタール総督……!」
ベルゲングリューンの悲痛な表情を一瞥するが、ロイエンタールは変わらぬ態度で前へと向き直る。
「新領土を預かる者としての責務を果たしに行くだけだ。卿らには負担をかけることになるが、よろしく頼む。そう、くれぐれも……頼んだぞ。」
僅かに視線を下げたロイエンタールに何かを察したのか、ベルゲングリューンが直立に姿勢を正して力強く頷く。
開いた扉の向こうへ、振り返ることなく歩いていくロイエンタールにミッターマイヤーも続いた。
ミッターマイヤーが知る通りの優雅な足取りでロイエンタールは歩き、やがてベイオウルフへと乗り込んだ。
「なあ、ロイエンタール……。」
問いかけて言葉を止めたのは、そこにきてようやく気が付いたからだ。
軍港を発ったベイオウルフは次第に高度を上げていくが、ロイエンタールの瞳は眼下に広がるハイネセンの大地を見つめたまま。
半年を過ごしたその土地に、彼が今置いていこうとしているもの。
その「何か」のために彼は行こうとしている。
──自分ではない誰かのために、ロイエンタールは軍人としての彼を捨てたのだ。