フェザーンの「友人たち」から届けられた情報は二つ。
一つは、皇帝の安否は依然として不明であり、ロイエンタール叛意の報はほとんど真実としてフェザーン内で定着しつつあるということ。
この情報について、ジーンはさほど気にとめなかった。
事実だったとしてもそうでなかったとしても、事態が展開する方向としてはごく当然である。
以前の彼女であれば、目の前の任務に集中することで動揺する心を鎮めようとしかもしれない。
しかし、時が彼女に情報という武器を与えたように、彼女自身もまた自らを戒めるだけの冷静さを身につけていた。
──ロイエンタールの叛意は真実か、あるいは偶然がもたらした不幸か。
冷静に、ジーンは二つ目の情報を見つめる。
第三の可能性は、もう一方の情報により示された。
「帝国軍人からの不法な横流し品が、先ごろまで大量に購入されていた」、それはフェザーンの商人の一人からもたらされた情報である。
商業都市として栄華を誇ったフェザーンであるが、銀河帝国による侵略、そしてオーディンからの遷都によって、かつてとは雰囲気を変えつつある。
しかし、大量の軍人が進駐し、軍事国家の首都らしく面影を変えていく中にあっても、逞しく生き延びていくのがフェザーンの商人たちである。
戦後の混乱に乗じる形で、マーケットは闇に向かって裾野を広げていた。
軍部による厳しい取り締まりが行われる一方で、末端の軍人たちが闇マーケットの拡大に一役を買うというのも歴史における常である。
彼らが横流しした品が大量に購入されたとなれば、穏やかではない事態を想像するのは当然のこと。
この状況なら尚更──。
「謀略」の文字が脳裏に閃くと当時、ジーンは椅子を蹴って駆け出していた。
「総督!」
飛び込んだ総督室にいたのは、ロイエンタール本人とベルゲングリューン、そしてジーンの上司であるエルスハイマーである。
三人の視線がジーンに集中する。
「ミス・ブラックウェル、何か緊急の用件か。」
問いかけたのは彼女の直属の上司で、そこに来てジーンは自分の行動が慎重さを欠いていたことに気がついた。
フェザーンに独自の情報網を持っていると告白すれば、悪印象は免れない。
それどころか、ジーンこそが謀略者の一端であると見なされかねない。
握りしめた手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。
「わ、私は……今回のウルヴァシーでの事件は何者かの謀略の可能性があると考えます。」
「……何か根拠があるのか。」
ロイエンタールが口を開き、二色を映す両眼がじっとジーンを見つめた。
「いえ……証拠はありません。しかし、私自身はこれまでも謀略により暴動が誘発されたケースを見てきています。」
なんと弱い論拠だろうかと自分でも思った。
案の定ロイエンタールは口の端を曲げて冷笑し、「根拠にならんな」と一蹴した。
彼は既に謀略の可能性を承知している、それを知った上で「根拠の示せないことは議論しても無駄だ」と言っているのだと、ジーンは気がついた。
それでも引き下がれなかった理由を、ジーンは自分でも理解できなかった。
「総督ご自身のお心に問いかけていただければ、答えはおのずと明らかでしょう。それとも総督はただの不幸な偶然であるとお考えですか?!」
詰め寄るようにして告げたジーンに、
「俺自身が企てたこととは考えぬのか。」
ナイフのような視線が突き刺さる。
しかし、怯む気持ちは沸かなかった。
「思いません。」
信じたいと願った相手の無実が事実として帰結しつつある今、ジーンの答えに迷いはなかった。
「ほう。」
冷ややかな笑みがジーンの頬を撫で、しかしすぐに怜悧な新領土総督の顔に変わった。
「……グリルパルツァー大将に治安の回復と調査を命じている。皇帝陛下の御身以外が目的というならいずれ何事かが判明しよう。」
下がれと命じられれば居残る理由はなく、ジーンは総督室を辞した。
そのジーンを追いかけてきた人がいる。
「ミス・ブラックウェル!待ちたまえ!」
忠告であれば甘んじて受けようと構えたジーンだったが、彼女を呼び止めたベルゲングリューンは、平素の折り目正しい彼とは様子を異にしていた。
「今、話したことは真実か。」
いつ何時も冷静さを失わない、歴戦の勇者として名高いロイエンタールの副官である。
その彼の表情に、暗い影が落ちている。
「……私はそう考えています。」
上司であるエルスハイマーと違い、ジーンは彼の人となりを詳しくは知らない。
厚くたくわえられた髭は彼の猛将ぶりを示しているように思えるが、ジーンに向けられた視線には篤実な人柄が滲んでいた。
一つ何かを間違えば、自分は破滅する。
それを覚悟しながら、彼女の観察眼はベルゲングリューンを信じると判断した。
「査閲監閣下。グリルパルツァー大将から報告があった際は、テロリストたちの素性をよくご確認ください。彼らの多くは銀河帝国の兵士かもしれない、けれどその中に必ず正体不明の謀略者が混じっているはずです。例え彼らが帝国軍の制服を着用していたとしても、軍部に名前を登録されていたとしても、怪しい点のある者は必ず出自がわかるまで調査してください。」
「なぜ、君はそれを……。」
ロイエンタールに語った以上の事実を打ち明けたジーンに、ベルゲングリューンは眉根を寄せる。
信用しろという方が無理なのだ。
ジーンにとって彼が信用できると確信できないのと同様、あるいはそれ以上に、ベルゲングリューンにとってのジーンは怪しんで当然の人間である。
「私は同盟人です。かつては同盟軍に所属していましたし、ヤン・ウェンリー提督の旗艦に乗船したこともあります。その私が純粋に総督府に身を奉じるはずがないとお考えになるのは当然のことです。」
静かに語りかけながらも、これは賭けだとジーンは思った。
「ご忠告申しあげるのが真心ゆえと言い切る自信はありません。ただ……そのような人間だからこそ知り得る事実もあるということです。」
即座に処断されてもおかしくない賭けだった。
そして、一つの賭けに勝った。
「……わかった、善処しよう。」
力強く頷いたベルゲングリューンに胸を撫で下ろし、ジーンは黙礼した。
「ミス・ブラックウェル。」
場を辞そうとしたジーンを再び呼び止めて、ベルゲングリューンが言った。
「ロイエンタール総督は比類なき名将、我々はあの方を失うわけにはいかない。」
「私は、良き為政者と存じています。」
真摯な眼差しを受け止め、ジーンは微笑みをつくって答えた。
ベルゲングリューンの口元も僅かに緩む。
「ミス・ブラックウェル、あなたが彼の味方であれば嬉しい。」
銀河帝国の勇将から寄越された言葉に、ジーンは思わずはっとなった。
ロイエンタールを信じたい、謀略によって叛乱の嫌疑をかけられた彼を救いたい。
なぜ自分はそう思ったのだろう。
優れた為政者にハイネセンを導いて欲しい、本当にそれだけだろうか。
イゼルローンにいる仲間たちを思いながら、しかしまっすぐにロイエンタールのもとへと駆けた自分。
胸を突き上げた衝動は、一体どこから来たのか。
目の前に示された答えは、ジーンを激しく動揺させ、精神を揺さぶり、脈打つ心臓の鼓動までも支配した。
(私は……ロイエンタール総督を……?)
押し寄せる圧倒的な激情に逆らえず、ジーンは口唇を震わせた。