新領土総督府に入り込んだ異質の存在を、ロイエンタールは当初から把握していた。
総督府を構えるにあたり、帝国本土からの赴任者ばかりでは当然人員が足りず、旧同盟の役人たちを多く雇用した。
多くは中央政府の諸部署に勤務していた者たちであったが、一部には軍関係者もいた。
侵略者である自分たちを快く思わないのはむしろ当然のことと考え、過度な疑心は却って不要と思い切ったのは彼の度量である。
しかし、イゼルローン駐留軍に所属し、あの「ヒューベリオン」にも乗艦したという彼女の経歴は、提出された多くの履歴書の中でも異色のものだった。
帝国公用語を話し、政府と軍部に精通した人員であれば、新総督府の職員としては望ましい。
しかし、ヤン・ウェンリーの部下だった人物を雇用するというのは果たしてどうなのか。
トリューニヒトを民政府の参事官に迎えているものの、彼の人物には不審しかない。
エルスハイマーが別の補佐役を欲しがるのはもっともなことだったが、ジーン・ブラックェルの履歴書を持参してお伺いを立ててきた彼にどう返答すべきか、ロイエンタールも多少迷った。
──自分はヤン・ウェンリーに拘り過ぎているのではないか。
そう思考したことがジーンの雇用につながったことを、ロイエンタール自身だけが知っている。
ヤン・ウェンリーは銀河帝国に対して常に脅威であり続けたが、ロイエンタールにとってはただの敵将として消化できない存在でもあった。
ロイエンタールと同年に生まれたその男は、時に緻密に、ともすれば大胆に、華麗な戦略を駆使して艦隊を操る魔術師のようだった。
ロイエンタール自身もまた、イゼルローン要塞の攻略作戦の際に彼と対峙したことがある。
知略には自信があると考えていた彼でさえ、ヤン・ウェンリーがイゼルローンを放棄した時は「さすが」と感心したものだ。
艦隊を操る能力だけではなく、地勢を読み取る機知と行動力が備わっている。
イゼルローンを捨てて救援に向かったヤン・ウェンリーがいなければ、銀河帝国軍はもっとずっと小さな損害でハイネセンを手中に収めることができていただろう。
しかし、それだけの戦歴を残しながら、彼は必ずしも自由惑星同盟の要人とは言い切れず、政府からその存在を排除されそうになったことさえあった。
それでも彼が祖国を見捨てずに戦い続けた理由、それがわからない。
彼が何者であったのか知りたい、それは純粋な欲求として常にロイエンタールの中にあった。
しかし、彼の武人としての矜持がそれを思考から排除させた。
(所詮女ではないか。)
「案ずるほどの存在ではないだろう」と彼はエルスハイマーに言い、結果としてジーンは雇用された。
しかし、その「所詮」と思った女が民政府内で存在感を増しつつあることは、ロイエンタールにとってあまり気分のいいことではなかった。
彼女は自身の職務の範囲を忠実に守り、決して出過ぎるわけではない。
その忠実さが却って彼女の有能さを際立たせ、周囲に影響を与える存在となり始めていたのである。
「女」をロイエンタールは信用していない。
だが、彼は「女」をよく理解してもいる。
だから、化けの皮を剥いでやろうと思った。
訪ねた民政長官室で寝顔を見せるという失態の後だったことも余計にそう思わせた。
自分の補佐を命じたのは、猜疑心と好奇心の混じり合う複雑な心理の帰結である。
しかし、そこでもまた彼女は「自身の領分」を適切に守った。
余計なことを尋ねるでもなく、差し出たことも言わない。
多くの女たちがそうだったように、彼の歓心を得ようと気の利いたことを言ったりもしなかった。
その彼女が自分の顔を熱心に見つめていたことがあった。
ついに来たかと実は思った彼は、好奇の眼差しで彼女に尋ねた。
『俺の顔に何かついているか。』
見咎められたことを恥じらうでもなく、「隈が」と答えた彼女が、「少しお休みになられてください」などと言い出せば、これ幸いと口説いてみるつもりだった。
「女など所詮は感情の生き物」というのがロイエンタールの女性全般に対する認識で、その感情の襞を少し擽ってやればあっという間に心も身体も許してしまう安易さを、好ましくも疎ましくも思っていた。
『鏡をお貸ししましょうか。』
と返ってきた答えに思わず笑ってしまったのは、またしても失態だったとは思っている。
色気とはほど遠い返答だった。
しかし、味気ないにも程があると思ったそれを好ましいと彼は感じた。
節度を守っているといえば聞こえがいいが、男と女どころか上司としての自分さえ、まるで一歩引いたところから観察しているようで可笑しい。
職務に忠実である一方で、彼女はロイエンタールに対して傍観者を貫いているのだ。
あるいはそれは、同盟人としての矜恃が作り上げた壁なのかもしれない。
それはそれで賢いことだと感じたし、感傷を職務に持ち込まない姿勢は自身の部下に相応しいことだと思えた。
彼女には部下としての条件を満たすだけの有能さがあり、自身の領分をわきまえるだけの賢さがある。
そのことに納得すると同時、彼本人さえ気づかぬ間にジーン・ブラックウェルはロイエンタールの心の内に居場所を得てしまっていた。
思想も性別も、生まれた場所もこれまでの生き方も、まるで違う。
高く隔てられた壁の向こう、彼女が決して明け渡そうとしないその領域に何があるのか──それを知りたいと思う感情が、ロイエンタールの中に生まれていた。