星々の名をたずね   作:さんかく日記

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【12】夏の日の出来事

輝くような初夏の日差しが、木々の隙間から降り注いでいる。

湖畔に立つ上品な邸宅の庭は隅々まで手入れが行き届いており、そこに住む人間の豊かな財力をさりげなく示していた。

 

「ヤン提督の結婚式以来ですね。」

湖を見下ろす芝生の上に設えられたテーブルには、アフターヌーンティー用のケーキスタンドと紅茶が置かれている。

「コーヒーのほうがお好きでは」と尋ねられたことを喜びつつ、「せっかくですから紅茶にしましょう」と答えた彼は、穏やかな表情で向かいに腰掛けた女性を見つめている。

 

「あの時は飲み過ぎてしまって。」

シェーンコップとジーンが顔を合わせるのは、ヤンとフレデリカの挙式の後にレストランで開かれたパーティー以来のことである。

ヤン、フレデリカ、それにシェーンコップにジーン、今は全員が軍部を去っており、「提督」という呼び名は些かおかしくはある。

しかし、シェーンコップはその呼称以外にヤンを呼ぶ方法を知らない。

 

「お強いあなたでもあんなに酔っ払うとは、一体どれ位飲んだんです?」

 

「そんなに酔っ払ってました?」

 

「いや、楽しい酒でしたがね。」

秘かにヤンに想いを寄せていたらしいジーンが真実を打ち明けることはついになかったが、それでも二人の結婚式には感じるものがあったらしい。

随分と酒を過ごし、陽気に笑い、常の落ち着いた彼女とは別人のようにはしゃいでいた。

 

「恥ずかしいところをお見せしました。」

頬を染める彼女だが、本当の意味で恥じらっているわけではないらしい。

それくらいには交流を温めてきたはずとシェーンコップも自負している。

 

「こちらでの暮らしはどうです?」

尋ねたシェーンコップに、ジーンは少し複雑に表情を歪めて見せる。

 

「落ち着いている、と言えばそうなのですけど……。」

人生の大半をハイネセンの中心部で過していた彼女の暮らしが大きく変化したのは、三年ほど前のこと。

企業家であった父親が病に倒れ、同時に職を辞したことで、ジーンの人生はそれまでとはまったく違う方向に舵を切ることとなった。

友人であるフレデリカに請われイゼルローン要塞の事務官となった彼女は、帝国軍の侵攻の中でシェーンコップたちヤン艦隊と共に転戦することとなったのだ。

 

しかし、洗練された邸宅で過す姿を見ると、今こうしている彼女こそが本来のジーンであるように見える。

教養深い資産家令嬢であり、軍や戦争とは最も遠い穏やかな存在──そんな風に。

 

「お父上の具合があまりよろしくないとは伺いましたが。」

 

「ええ。兄も新しい事業を立ち上げてなかなか時間が取れないようですし、今はこうして……私が父の傍に。」

アムリッツァの会戦後の情勢不安の中で、彼女の父や兄は先代から受け継いだ会社を追われたと聞いていたが、どうやら彼女の兄というのもなかなかに逞しい人物らしい。

一方で父親は、療養のために帝国軍の駐留する都市部を離れ、ジーンもそれに付き添って地方の別邸へと移っている。

 

「だけど……そうですね、悪くないのかも。この数年は色々なことがあり過ぎたし、こうして落ち着いて過すのも久しぶりですから。」

視線を落としたシェーンコップだったが、ジーンは声を明るくして微笑んだ。

 

「実はね、料理を覚えたんですよ。このケーキも私が作ったんです。それにスコーンも!」

 

「あなたが料理を?」

純粋な驚きを声に乗せたシェーンコップに、ジーンは声を立てて笑った。

 

「事務処理以外にも向いてるものがあったみたいで。」

別邸に移ってからあれこれと暇に飽かせて挑戦し、今はなかなかの腕前なのだと胸を張ってみせる様子が愛らしい。

知的で落ち着いているという印象のジーンだが、こうして笑う様子を見ていると、ヤンと三人で安酒を酌み交わした時間が甦り、そういえば存外朗らかな女性だったなと自然と口唇が綻んだ。

 

「では、ご賞味に預かりましょう。」

 

「ええ、是非!」

少女のように微笑んで自分を見つめる姿に、胸が熱くなる。

たくさんの女性を愛し、恋愛という戦場でも場数を踏んできたつもりだったが、こうしてジーンと接していると新鮮な感情が沸いてくる。

美女を口説くのは男の務めと自負してきたが、あるいは違う意味でジーンに惹かれているのかもしれないと感じていた。

 

「シェーンコップ中将は、今はどうされてるのですか。」

「大変結構」とケーキの感想を述べたシェーンコップをジーンは素直に喜んで、それから彼の近況を尋ねた。

 

「もう中将ではありませんよ。」

ヤンのことを「提督」と呼んだ自分を棚に上げてそう言い返せば、

 

「ええと……。」

わずかにそよぐ風がジーンの髪を揺らして、二人の間にある空気もまた──微妙に色を変える。

 

「ワルター・フォン・シェーンコップです。ご存じでしょう……ジーン。」

呼びかけた彼自身もまた、初めての呼び名を口唇に乗せる。

 

「ッ、」

瞳を揺らし、それから頬を染めた彼女が口唇を開きかけた時だった。

シェーンコップの携帯用端末が受信を知らせた。

 

「失礼。」

苦笑して端末を取り上げたシェーンコップの顔色が、みるみると変化していく。

 

「……ヤン提督が、政府に拘禁されました。」

 

「!」

これから起こるであろう事態を一瞬の後に予測したのは、二人同じだった。

政府によるヤンの拘禁は、おそらく帝国側の指示によるものだろう。

ヤン自身にその気があるかどうかはともかく、彼は自由惑星同盟における生きた英雄である。

彼の存在をクーデターの要素として警戒しても不思議ではない。

だとすれば、拘禁された後は──。

 

「申し訳ない、すぐに戻らなくては。」

 

「ッ、私も……!」

椅子を蹴るようにして立ち上がったシェーンコップの後に、ジーンも続こうとする。

ヤン、フレデリカにユリアン、かつての仲間たちの存在が、彼女を安住の地から引き離そうとしていた。

 

彼女の手を引くこともできたはずだった。

けれど、シェーンコップはそれをしなかった。

ジーンの手を取る代わりにその頬に触れ、彼一流の微笑みを彼女に送る。

 

「お父上の傍にいてあげなさい。」

 

「でも……!」

この先に待っているのが、死線であることをシェーンコップは知っている。

彼女は十分にその身を同盟軍に捧げてくれた、これ以上の危険には巻き込むべきではないと思った。

それ以上に──守り切れる自信のない場所に、彼女を連れて行きたくなかった。

 

「私、私にも……何か出来ることがあるはずです……!」

ジーンが優秀な事務官であることも、自分たちのために献身的に働いてくれることもわかっている。

それでも連れて行きたくない。

 

「ジーン。」

頬に触れていた手を彼女の背中にまわし、そっと引き寄せる。

彼女が息を飲んだのがわかった。

 

「厳しい戦いになります。私も、残るあなたにとっても……。」

抱きしめた腕の意味を、シェーンコップの望む形で彼女が理解したのかはわからない。

けれど、強ばりの抜けていく背中に、どうにか説得に成功したことを知る。

 

「自分が何のために在るのか、優秀なあなたであればこそ迷うこともあるでしょう。その時は、私のために在るのだと思ってください。私は待つだけの価値がある男です、帰ってきたらきっと……証明して差し上げますよ。」

迷い、苦しみ、それでも前へ進むために戦ってきた彼女を知っている。

自分たちを支えるために、持てるすべてを捧げてくれた彼女を知っている。

だからこそ、待たされる苦しみが、彼女を苛むであろうことも知っている。

 

彼女を置いて去ることは、自分の身勝手なのかもしれない。

だとすれば、その償いはきっとする。

 

『早く戦争を終わらせて、みんなでゆっくりと朝食でも取りましょう。』

 

そう言って微笑んだ彼女のもとに、きっと帰ってくる。

ヤンを、フレデリカを、共に在った仲間たちを連れて。


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