もたらされた情報の通り、その年の冬の始まりにイゼルローン要塞は銀河帝国のロイエンタール艦隊の襲撃を受けた。
ヤンの説得虚しく、「フェザーン回廊を帝国軍が通過し同盟領を挟撃するはず」という予測は、中央政府を動かすには至らなかった。
民主政治ゆえの判断の遅さや決定力の欠如が事態を悪化へと導いていく様は皮肉としか言いようがない。
意思決定のスピードにおいて自分たちを凌駕する相手に対してすべてが後手に回っていく状況は、民主政治こそあるべき姿と考えるジーンにとって衝撃的な出来事であった。
一人の優秀な支配者は、数多の民衆の総意よりもあるいは正しく人類を導くのだろうか。
否定したいと願う思いをねじ伏せる帝国軍の力は強大で、だというのに肝心の同盟政府は混乱し、愚行を繰り返し、それでもなお権力闘争を止めようとしない。
そして戦況は、政治情勢以上に厳しさを増していった。
フェザーン方面からのハイネセン侵攻。
確信となりつつあるその事態に備えたいと思いつつも、ヤンの艦隊はイゼルローンに張り付かざるを得ない状況に置かれている。
「帝国軍の双璧」と呼ばれるロイエンタールの艦隊戦術は、ヤンの智略を以てしても容易には攻略し難いものだった。
3万6000隻の戦艦を率いたロイエンタールは、堂々たる姿勢でイゼルローンの前に布陣している。
派手な砲撃をもって開戦を告げて寄越した彼らだが、ヤン艦隊ではこれは銀河帝国の長大な遠征の一部に過ぎないという認識が共有されていた。
銀河帝国元帥ラインハルトは、自由惑星同盟の完全制圧をこそ目論んでいる。
ロイエンタールの進軍は、同盟軍随一の智将であるヤンをイゼルローンに張り付かせておくための戦略で、銀河帝国の本隊はハイネセン侵攻に向けて別のルートを進んでいるに違いないと彼らは考えているのだ。
ヤンの司令官室ではもはや共通の認識となったそれは、ロイエンタールの出現によっていよいよ現実へと近づいていた。
事態を打開するための作戦が練られつつあったが、要塞のインフラ維持のため事務監室に張り付いているジーンがそれを知ることはなかった。
主砲と距離を置いて布陣するロイエンタールの艦隊に、ヤンは少数の艦隊による局地戦を繰り返して対応していた。
しかし、戦局を打開したくとも容易には許してくれない相手がロイエンタールである。
巧妙に陽動を仕掛け、それに対処しようとイゼルローンから艦隊が出動すれば、彼もまた艦隊を出して対応する。
数を武器にじわじわと出血を強いるロイエンタールの戦略は、同盟軍の頭脳たるヤンとの駆け引きを楽しんでいるようにさえ見えた。
次々と上がってくる艦隊の損傷や死傷者の報告を数字として見つめながら、これが戦争というものかとジーンの絶望は強くなる。
何のために人が死んでいるのか、自由のため?平和のため?祖国を守るため?
あるいは──ただ一人の支配者の地位を揺るぎないものとするために?
疲労感を増す思考の中で多くの疑問が去来するが、なんとかそれを振り払ってジーンは目の前の事態に対応することに集中しようと心がけた。
けれど、消えない。
恐怖も疑問も、そして絶望を──消すことが出来ない。
何のために戦うのかと問えば、ヤンなら何と答えるだろう。
「自由主義が専制主義に屈するわけにはいかない」と言うだろうか?
それとも「明日の朝食をのんびり食べるためさ」と嘯くだろうか。
では、ローエングラム元帥は?
あるいは、彼のためにこのイゼルローンに矛先を向ける人物は──ロイエンタール提督は何と答えるのだろうか。
自由惑星同盟の結束は揺らぎ、専制主義の覇者たるラインハルトの手は、今にも民主主義の牙城であるハイネセンにまで及ぼうとしている。
「偉大な英雄」と銀河帝国の人々は彼を仰ぎ見るのだろうか。
英傑の背中を仰ぎ、彼だけを信じていれば美しい未来が得られると本当に思っているのだろうか。
共和制の中で生まれ育ったジーンにとって、専制主義はほとんど「自由」の反語のようなものだ。
人類の歴史は専制政治からの解放によって前進してきたはずだと彼女は考えているし、ルドルフ・ゴールデンバウムによる銀河帝国の樹立がもたらしたものは、格差と差別の蔓延した支配階級のためだけの治世だと認識している。
その頭をラインハルトにすげ替えたところで、与えられるのは一時の安寧に過ぎないのではないか。
長く安定的な成長は果たして専制主義のもとで得られるものなのかと疑問を抱くジーンにとって、独裁者の存在はやはり許容できないものだった。
若き元帥が望むのは、銀河帝国の腐敗の一掃と発展なのだとヤンからは聞いている。
彼は単なる軍人ではないと、イゼルローンの司令官ははっきりと言い切った。
そのラインハルトが向ける切っ先は、今にもハイネセンまで届こうかというところまで来ている。
まるで彼に踊らされるかのように、同盟領の政治家たちは重ねる愚行を未だ止めようとしない。
自由は人を怠惰にし、平等は我儘を助長するに過ぎないとでもいうように、祖国は混乱から抜け出せないでいる。
アーレ・ハイネセンたちが光年の果てに辿り着いた自由の地は、また支配者を受け入れなければいけないのか。
幾多の屍の上に築かれようとする王国は、果たして誰のためのものなのか。
不安と恐怖の中で湧き上がる疑問。
得られるはずのない疑問は余計に精神を疲弊させ、ジーンはなんとか冷静さを取り戻そうとモニターに向き合う。
戦死者の数を示す数字が跳ね上がり、戦闘が新しい段階へと移ったことを知る。
シェーンコップの率いる陸戦部隊を乗せた強襲揚陸艦がロイエンタールの乗る旗艦を襲撃したのは、その直後のことだった。